はてなキーワード: 私立大学とは
私立大学の理工系に入学してくる生徒ってこれまで専門科目は何一つ学習していないし、実習の授業も受けたことなければレポートを書いたこともない。そして早慶などを除くと理科すらオンリーワン科目の3科目入試だから、普通科の学習内容もマトモに勉強してきたのか怪しい。
ずっと遊んでたのか?
いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。
大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトとサークル活動であっという間に過ぎていった。
記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶の水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。
こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業に入社できた。この業界では一流とされている。
会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。
私自身を殺したい。
子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメやドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。
大学3回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学のレベルの低さを。
志望していた企業は説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。
うすうす分かっていた。
学際サークルに所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。
どうして私はあの時、浪人を選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。
あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。
もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学に合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。
朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去の自分に鞭を打つ。
こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。
もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。
つまらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……
エピソードをひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェントの見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。
その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。
課題というのは、転職希望者リスト(履歴書+職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである。
「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」
先輩が椅子に腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。
お昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。
勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。
「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人も留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。
私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強を半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。
でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生と麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。
部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。
彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。
「こいつの見てみ」
こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。
「お前も」
先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。
……整然としていた。業界、職種、特技、資格、学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。
「参りました!」
芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。
「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」
そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。
「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」
声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。
「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」
彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。
「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」
ほら、やっぱり。
もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。
先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。
先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。
先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。
彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。
行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手と食事はできない。
彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分の意思を実行する力に欠けている。
甘えたい私に負けて、自分で自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。
これからも自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。
私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。
転職できる可能性順だ。社内にある過去の転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランク、ほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。
クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。
なのでこの場合、優先順位は、①学歴、②社会人経験(特に新卒で入った会社)、③希望する業界・職種・企業名になる。
①学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。
②も大事だ。どんなレベルの会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測しやすいこともある。
③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。
詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。
結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。
その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。
今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。
『嘘』を吐かれたからだ。
講義とか、就職関係の行事などで、大学の先生や事務職員から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。
とある文学部の先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験に合格して法務省に採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学を卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業に必要な単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。
とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事に内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売の仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。
私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校の先生だった。
見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部の先生方から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元の教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。
相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学の先生が、どうしてはるか年下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議な光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。
すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。
大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格がおかしい人が多かった。
①常識のない人
健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会の部活が支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険極まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人の利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかにも危険な行為をしていた。
②精神的に幼い人
講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人のレベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。
私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋を強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルームで危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子のそばで震えていた。
すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情を説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。
大学を卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織に所属したことはなかった。
大学だけでなく、中学・高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。
数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検本試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。
高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。
このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。
学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。
私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流であると認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。
飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ちに抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。
嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分で自分を許せない気持ちになる。
どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?
何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。
シロクマ先生ほか、有名なブロガーの記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは、自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我が生まれる。
私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。
今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。
満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代の努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去の自分を許せないんだと思う。
最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。
だったら、この、昔の自分が許せない気持ちに感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。
ここまで聞いてくれた人、ありがとう。
涙が止まらないんだ。
昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。
「諦めないでくれてありがとう」って。
大学受験お金掛かりすぎじゃない?国公立の前期で合格を決めたとしても滑り止め私大の入学金約30万は絶対に払わなきゃいけないわけだし(人によるとは思うけど)最短ルートの推薦なんて限られた枠なわけだしほぼほぼ無理ゲーでしょ。自分自身が欲を出して親に我儘を言ってしまった身なので申し訳ない気持ちが余計ある。公立高校に入学して親を安心出来たかな?と幼心には思ってたけど私立高校→私立大学ルートより公立高校→国公立挫折→私大ルートの方がなんだかんだお金かかってる気がするし。自分が親になってこれだけのお金と労力を子供に注げる自信も無い。
今のとことりあえず滑り止めは確保出来てて1番行きたい私立は追加合格候補でまだ国公立は残ってるから出来るだけのことはします。てか追加合格候補ってなんだよ。中途半端に賢く生まれなければ良かったなぁ。
ちょっと年の離れた三人兄弟で、兄二人は私立大学の学費全部出してもらって一人暮らしも仕送りたっぷりで満喫してたのに、運悪くリーマンショックと重なって受験期にカネがないカネがない今は我慢のとき我慢するべきと呪いをかけまくる親のもと、俺だけ国立実家通いバイト漬け苦学生やる羽目になった。兄二人は実家に金を入れるほど稼いでないし、そもそも親が息子に迷惑かけられないっていう精神性だった。俺は息子じゃねーんかよクソがって言いたくなったが、まあバイト代や奨学金を取り上げるようなことはしてないので諦めた。
兄二人はさんざん遊ぶ余裕があった大学時代に知り合った人とさっさと結婚して、俺だけ未だに独身。そりゃあ出会いも遊ぶ時間も無いならしゃーないよな。クソが。
で、今でこそ全く金に困らない、十分な収入がある状態で、「学費分お前の口座に振り込んだ、これでお前だけ不幸じゃないな」って親から連絡が来た。
この金すら憎い。
老後が心配だ。
金融庁のレポートを見てみると、夫65、妻60の世帯で、年金収入に対し月5.5万円不足するらしい。
月5.5万が30年続くと1980万、なので2000万円というわけだ。
現在、夫婦共に30歳、共働きで世帯年収900万(税金・社会保険料控除前)。
今からどのくらいの貯蓄ができるのか。
俺が今の職場で働き続けた場合、退職金はおよそ1800万くらい。
妻は俺の転勤について回ったり、出産等で退職金は多く望めないだろう。
iDeCoが夫婦で年28.8万で、運用益抜きだと30年で864万になる。
所得税・住民税抜きにすると、ここまでで4264万の財産になる。
十分なように思えるが、支出も考えないといけない。
まず、老後のための2000万。
子供は今いないが、妻は3人欲しいらしい。
車もいつか買い換えるだろう。250万くらいにしとくか。
ここまでを合計すると、5850万。
明らかに足りない。
しかもiDeCo、積立NISAを引き出せるタイミングを考えると、早い段階でキャッシュフローはマイナスになるだろう。
育休を取るとしたら妻だ。その間収入は無くなる。
雇用保険の育児休業給付金は、一人の子供につき、少なくとも一年、給与の50%以上を支給してくれるが、
同じところに1年間勤めていないといけないという謎の縛りがあるため、転勤につきあわされる妻は利用できない可能性もあるだろう。
仮に受給できたとして、育休の間、一馬力で上記の貯蓄を達成するのはかなり大変と思われる。
子供が増えていけば尚更だ。
しかも、社会保険料はじわじわと高くなっていき、手取りも思ったように増えないかもしれない。
家を買ったら住宅ローンも増える(アパートでないと住居手当が無くなる)。
親の介護費用も必要になるだろう。いや自分の介護費用を無視するな。
上に書いた「理想の人生」は身の丈に合っていないことは認めざるを得ない。
子供3人が中高大と全員私立に行かせられるのは、裕福な家庭でないと難しいのだ。
では、私立学校を全て諦めたらどうだろうか。
仮に公立学校が市立の半額として、「理想の人生」から1650万浮いたとする。
定年までがんばった貯蓄が4264万で、「理想の人生」5850万との差が1586万。
たったの1650万円では、ほとんどこれを埋め合わせるくらいの意味しか持たないのだ。
うだうだと上に書いた懸念は手つかずのまま。
「考えが保守的すぎる」かもしれないが、多少楽観的に考えたところで、お金の心配が消えることはない。
「子供3人に家も、なんて望み過ぎ」なのか。
目先の利益を考える時、お金のやりくりは楽しいが、人生の終わりを考える時、暗鬱な気持ちになる。
子供ができなければどうでもいいしな。
2009年に衆院選で民主党が大勝した前後で、民主党支持者と自民党支持者を対比する画像が流行った。
知らない人のために説明すると、
自民党支持者=日の丸ハチマキを頭に巻いたキモオタ。ネトウヨ、タカ派、高卒ニート。
民主党支持者=シャープなメガネをかけ、スーツで決めたイケメン。リベラル、ハト派、大卒正社員。
という感じの画像。
試しに、ネットでリベラル的な活動をしている何人かの実名を検索してみた。
1000円カットで切ったような髪型、整えてない太眉、似合ってないメガネ、中年太りや不健康そうな痩身…
数年前までは本や論文を出していたようだが、最近はそれもない。
数人検索してなぞったように似たり寄ったりの経歴で変な笑いが出た。
そういえばマスク拒否男も私大の学生チューターだったか。反権力の人間は大学の非正規職員にならなきゃいけない決まりでもあるのか?
なんというか、虚しさだけが心に残った。
僕のおうち
みんなwwwおつかれwwwwwもう心が限界だから増田に落書きして寝るわwwwwwww
周りは好きな大学選んでるしよ〜浪人決めてるやつだっているしよ〜博士課程まで行くこと決めてるやつまでいるしよ〜〜 クッソ〜〜そもそも大学行くんじゃなくて早く働きたかったのに就職も許されずじゃあどうせ大学行くなら好きなこと勉強したいのに好きな大学も選べず国公立現役のプレッシャーで死にそうだし同年代との格差が酷くて毎日泣いてるわwwwwww
友達好きだけどみんな嫌いwwww 好きに未来を選択できるやつらとは一生わかりあえないわwwwwwww みんな受験辛いみたいな顔してるけどさwwwwそもそも好きに未来を選択できてる時点でwwwもうお前ら勝ちだからwwwwその顔やめろよwwww
受験生各位、お疲れ様。今はなきセンター試験のことを振り返る。
とある地方の公立高校の現役受験生の当時、夢はでっかく東大合格!と張り切って受験。まずは東大の二次試験(文科三類)にたどり着くため、脚切りだけはなんとか回避すべく、85%以上を目標にした。
試験会場は近くのFラン私立大学で、親に車で送っていってもらった。毎年センター試験の日だけは雪が降るという謎のジンクスがあり、2年前に受験した姉のときも雪だったという。そしてその年もやはり雪だった。雪が年に1回か2回ほどしか振らない地域のため、母親が運転にビビりまくっていた。
現役生のため制服で受験したが、会場が暑い暑い。シャツの第2ボタンを開けて左右に体を大きく揺らしながら解いていたら試験監督に優しく注意された。
結果は、799/900点。数学は相変わらず苦手でうまく行かなかったのと、最大の得意科目である倫理でまさかの70点代を叩き出したが、それ以外の科目はほぼほぼ9割を確保。なんとか脚切りは回避できたと確信して、ホッとしたのを覚えている。
ちなみにこの年、文系では高校でトップの点数だった。いかにレベルの低い高校だったか…。
その後、満を持して東大を受験して1点以下の点差でギリギリ不合格。泣きながら一年浪人生活。
もはや過去問、各予備校の予想問題をあるだけ全部解き尽くしており、ほぼ二次試験のことしか眼中にないほど楽勝感があった。
この年の受験会場は、前年とは別の某公立大学。宅浪していたため浪人中に友達はいなかったが、センター試験の日の朝、偶然会場で高校時代の同級生に出会い、テンションが上がった。その友人は自分ともっと話したい様子だったが、自分としては乾坤一擲の勝負の日なので、予習があるからと言ってその場を辞した。ちなみにその彼は第一志望落ちたらしい。気合が違うんだよ、気合が。
結果は、827/900点。もうちょっと高めの点数が取れるかとも思ったが、ま、二次試験の足を引っ張るほどの点数でもないので良しとした。
その後、満に満を持して文科一類を受験。合格者平均点を少し上回る平凡な成績で合格。
ちなみに大学では普通に留年したし、なんとか卒業したけど就職も第一志望にはいけなかった。大学受験で燃え尽きて大学でサボるとこうなる。
大学の進路選びの時、親には医療系にしなさいと口を酸っぱく言われた。母親が看護師だったのもあるだろう。
頭は良い方だったので医学部にでもしておくかと思ってモチベーションは割と高めに勉強をしていた。そもそも勉強は好きだった。
それなりの医学部の判定がよくなったあたりから瞬間母親からの嫌味がひどくなって挙句学費は出したくないと言われたのを思い出した。
どうして成績が良くなって嫌味を言われて物を投げられ怒鳴られなければいけないのかわからなかった。もとから暴力がひどい人間だったので母親の生理周期をなんとなく把握して、できるだけ情緒がマシであろう時期に模試の結果を見せていろいろ画策していたのにすごく惨めだった。
最終的にすべてが嫌になり看護学科に進路を変えた。えーもったいないって母親に言われて余計に意味が分からなかった。まあ小さい頃の写真を見て、あの時はかわいかったというくせに何の抵抗もしない私に物を投げつけたり、暴力暴言、料理すら出さない人間だし、なんかおかしい人だなあとは思っていたけれども。
センター試験、自己採点で9割とれていたのをみてすごく悲しくなった。二次試験の面接で恐らく先生(教授)は私の成績を見たであろう。一瞬手が止まって成績いいんですね、とだけ言われた。(それがセンター試験の結果なのが、高校時代の成績なのかはわからない。いや、高校の成績は大学に出さないんだっけ...?昔すぎて忘れた)
そもそも看護師なんてすぐ仕事になんてありつけない。最近は意外と看護師が余っていて、先輩が病院就職にてこずっているのを見て大変そうだなあと思う。今の情勢的にも、看護師がいかに大変かがわかるだろう。本当に現場の人々を尊敬するが、私はもそうなるんだなあと思うと鬱。
安定してるからいいよ、給料いいからいいよと母親は無責任にう。しかし安定しているのは嘘。さっき上げた通り看護師が最近余り気味であるのをあの人は知らない。給料がいい?たしかに20代の割には給料が高い。しかしながらあまり上がり幅はよくない。専門学校を出て2年で専業主婦になったような人間ならそりゃあ給料のいいうちにやめたからなと私は言いたい。言ったら殴られるけれども。
けれども、責任のある仕事だ。国家試験もあって私は泣きながら勉強している。
将来私が受け持つであろう患者さんにはそんなの知ったこっちゃないから。
そもそも人生の岐路である大学受験ですら親に歯向かえないような人間だし。子どもだなあって思うのです。
ちなみに妹はなぜか好きに進路を選ばせてもらっていた。バカには金を出さないと親は私に言っていたのに妹は聞いたのことのない私立大学に進学していた。理不尽のオンパレード。
数日前に、はてブで反出生主義について書かれた記事が話題になっていた(有料部分は読んでいないが)。
人間が生まれることは本当に良いことなのだろうか。昔からよく考える。むしろ、何一つ自分の思い通りにならなかった昔の方がよく考えていたかもしれない。
小学校低学年の頃、週刊ストーリーランドという番組があって(この番組は途中で打ち切りになっちゃったみたいなので、年齢がバレてしまうが)、読者からストーリーを募ってアニメ化するという趣旨のもので、私はとても面白いと思って観ていた。
占い師のおばあさんの超怖い話など、インパクトがあるものが多かったので記憶に残っている人も多いのではないだろうか。
この番組で私が特に印象に残っているのは、神様が世界中の人に同時に語りかけ、願い事を叶えてあげる、ただし叶えるのは1番願った人が多いもの1つだけね、と告げることから始まるお話だ。願いは1つだけだから、多数決でどんな願いにするか決め、皆でそれを願おうということになった。当然もめにもめまくるし暴動が起きるしで大変だったが、なんとか最後は心を一つにしてお願い事をしてハッピーエンド。と思いきや、実は神様は世界中の「人」ではなく「生き物」に語りかけていて(人間は自分たちだけに語りかけられていると思っていた)、人間以外の動物たちの共通の願いはただ1つだったので、世界中から人間だけいなくなったというオチだった。
コロナウイルスの蔓延っぷりを見ていると、鬱々としつつも、ずっと昔に流行したスペイン風邪とかペストの時代の人々の心境と今きっとシンクロしているんだなぁと妙に感慨深くなったり、自分がパニック映画のモブキャラであるような気持ちになったりする。そして、イッヌとかネッコにも感染るようではあるが、死にまくっているのは人間ばかりのようなので、上記の週刊ストーリーランドの人類粛清のお話を思い出したりした。
日本でちょっと前に人気を博した韓国のインフルエンサーのホン・ヨンギさんという女性がいる。彼女は、中3くらいからモデルとして活動を始め、高校生から服のECサイトを経営してめちゃくちゃに稼いだ。一見すると、ファッション好きな可愛くて商才のある女の子のサクセスストーリーだ。しかし実は、これまでの活動は彼女のお父さんの借金(約3億円)を返すために始めたことだった。返しても返しても利息分にしかならない。彼女が自分の出産・育児のために借金の返済が滞ったときがあり、子供の100日祝いの場に取り立てが押しかけてきたという(多分闇金だと思う)。その後も取り立ては続いた。これまで長きにわたって実家と新しい家族の2家族分を彼女が支えてきたが、もう精神的に限界で、肩の荷をおろしたいとインスタに綴っていたという。
彼女は子供の頃本当に貧乏だったらしい。サイズの合っていない靴を履き、中学校に入学しても小1の時のカバンを使うしかなかった。家庭の事情でなんども引っ越すのが嫌だった。それが、モデルの仕事を始めて注目されるようになって、サイズの合う靴を履けるようになるかと思うと嬉しかったらしい。
こういうクズな親の話はよく耳にするので、その度に、やはり産まれることが良いとは手放しに思えなくなる。
私は、どんな子も、色々あったとしても、数年単位で積分した場合になんとかプラスになるような人生であってほしいと心から思う。でも、この社会ではそれは難しい。恵まれた者とそうでない者の落差が大きすぎるのだ。上にいればいるほど、底に近い場所のことは暗くてよく見えない。底に近ければ近いほど、上の方は眩しくて、手を伸ばしても空を切るばかりだ。そんな社会で、子供を作ろうと思える人はどのくらいいるのだろうか。その結果が出生率の減少に現れているのではないか。
落差について考えたとき、映画「パラサイト」のことが頭に浮かぶ。とても緻密で素晴らしい映画だったが、かなりショッキングな重苦しいテーマを扱った作品であることから、数日間は精神的に浮上できなかった。
映画の最後の方で、半地下のお父さんが咄嗟にしてしまった行動の理由が、私にはわかった。人間としての尊厳を粉々に破壊されて、でも破壊した相手は自分を「同じ」人間だとは(一切の悪意なく)思っていなくて、それがわかっていてもどうしようもなくてああするしかなかったのだと思った。
映画を観た後に、一緒に観に行った知人と感想を言い合っているとき、彼女が「あ、それそういう意味だったんだ!」と驚いていた。彼女は、地方都市出身だけど私と違って都心部に近いところで一人っ子として溺愛されて育ち、色々な習い事をして東京のそこそこ偏差値の高い私立大学を出た人だ。映画も本も音楽も好きで教養がある人だ。そのような人が、あのシーンの意味がわからなかったというのは結構衝撃的で、というのは多分だけど解釈不足ではなく想像が及ばなかったからだと思うからだ。そんな風に惨めな思いをしたことがないから。
私の一人暮らしの家にはテレビがなく、「逃げるは恥だが役に立つ」の新春スペシャルはTVerで観た。けど、途中で観るのをやめてしまった。前回のドラマも途中で観るのをやめて、その時は二人の恋愛模様が何だか気持ち悪くなってしまったという理由だったが、今回は、現実の社会問題をこれでもかとふんだんに詰め込んでおきながら、登場人物の設定は全部ファンタジーというちぐはぐさがあり、何だこれは?となってしまったからだ。ツイッターでは、恵まれた人の恵まれた物語、「持てる人」しか出てこない、などの声がある一方で、感動した!すごく良かった!という声もあった。
学生時代、研究者の人が昨今の就職難について嘆いていて、公募受ける時だけ女になりたいなと冗談めかして言っていた。最初、言っている意味がわからなかったのでどうしてか聞いたら、女性枠があるからだという。私はふいに怒りを覚えたが、ぐっと堪えた。
結局のところ、皆自分より下の階層については鈍感であるか、鈍感であろうとしているのだろう。私がパラサイトを観てショックを受けたのも、いつも自分が一番不幸だと思っていたのに、自分より下の見えなかった分断を突きつけられたからだと思う。アフリカの恵まれない子供達、肋骨が浮き出てお腹が膨れて上半身裸の彼らのことを知っているのに、普段は頭の片隅に追いやって考えないようにしている。私たち全員が、今より高いところとの間にある分断を見ていて、眩しくてつらい気持ちになるのに精一杯でいる。人生は不幸なことばかりで、自分より恵まれている人を憎んでいるのだ。その一方で、自分より下の分断も見たくない。
こんな気持ちを抱えてずっと生きていくのはつらい。
昨日発表された、東京の子育て世代が普通の生活を送るのにいくら必要になるのか?について、
メディアのやや雑な取り上げ方や分かりにくい記載によって様々な誤解が生まれていたため、元のPDFで書かれている内容を所感も交えながら解説する
元のPDF:http://www.chihyo.jp/oshirase/data/shiryo-kisya.pdf
生活に必要な費目を積み上げることによって最低生計費を算出している(マーケット・バスケット方式)
なお、生活実態調査と持物に関する調査についてはアンケートベースの部分もある
明確な記載はないが、アンケートや会議によって「健康で文化的な最低限度の生活」を決めている
住居費は「最低最低居住面積水準」、食費は必要な栄養を満たす最低限にするなど、かなり慎ましい生活を想定されているように見受けられる
月々の支出で計算されているので、よく言われる「手取りで月54万」は間違い
また、税金や保険料の算出前提となる夫の賃金は以下で想定されているため、不足分は妻や子の収入、あるいは手当や奨学金で賄う想定と見受けられる
以降は各費目について記載する
世帯モデルに対応する年齢層と性別ごとの必要栄養素から、食品群別の必要量を試算し
家計調査2018に基づく食品の消費単価を掛けることで食料費を算出している
外食も別途考慮されている。夫は月に10日コンビニ弁当、子供は給食や学食を利用、月に1〜2回の飲み会やママ友会ランチなど
余談だが、飲み会は枝豆、刺身盛り合わせ、鶏から揚げ、おでん、ビール3杯だったり、ママ友ランチは毎回ハンバーグステーキセットだったり、なかなかの侘しさである
上述の会議でも盛り上がったんじゃなかろうか
国土交通省の「住生活基本計画(全国計画)」による「最低居住面積水準」に基づいて面積を決定している
以上から、30代世帯は42.5㎡、40代世帯は47.5㎡、50代世帯は50㎡とされている
家賃はインターネットのサイトで築34年以下の物件を調査し、下から3割を目安としている
築34年としたのは耐震基準が1981年に導入されたことを考慮しているとのこと
総務省「平成26(2014)年全国消費実態調査」と「東京都消費者物価指数」を元に算定
品目別に、月価格 = 価格 × 消費量 ÷ 使用年数 ÷ 12 で計算する
品目は、持物調査に基づいて、原則7割以上の保有率のものを「最低限必要な必需品」と定義して、費目ごとに積み上げて算定
価格は、持物調査における主な購入先である「大手スーパー・量販店」で実施。売られてなければネット通販等も調査
礼服や背広などは「人前に出て恥をかかないように」最多・標準価格を採用し、その他は最低価格を用いて試算されている
消費量は、原則として少ない方から数えて合計3割の人が保有する数を基準としている
使用年数は、「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」や「クリーニング事故賠償基準」の平均使用年数をベースとする
生活実態調査(アンケート)に基づく平均額としている。また、体重計や救急箱などの「保険医療用品」はこちらに加算している
持物調査では自家用車の所有率は10割超であったが、アンケートでは生活の必需品との回答が5割未満のため、公共交通機関によって通勤・通学としている
レジャーにおける交通費は後述の教養娯楽サービスに含まれている
通信費は総務省「平成26(2014)年全国消費実態調査」と「東京都消費者物価指数」を考慮して算定
文部科学省「平成30(2018)年度子供の学習費調査」に基づいて、原則として支出率が7割以上の費目を算定
一応さらに費目は細分化されているが、細かい内訳が不明のため概算とのこと
大学については日本学生支援機構「平成30年度学生生活調査」、文部科学省「平成30年度私立大学入学者に係る初年度学生納付金について」に基づき算定
教育娯楽耐久財、教養娯楽用品、供養用娯楽サービス、NHK受信料、インターネット接続料を計上
日帰り行楽は教養娯楽サービスに含まれるが、生活実態調査と会議でざっくり出している
理美容、傘などの身の回り品、冠婚葬祭などの交際費、こづかいを計上
結婚式と葬式・法事は年に1回、お中元やお歳暮は送らない。誕生日やクリスマスの費用は会議で決定。盛り上がりそう
小遣いは夫婦月6000円、大学生月6000円、高校生月5000円、中学生月2500円、小学生月1000円、幼稚園児月500円
この辺の費目はやや適当さを感じるので、「こんなのもあるよね」的な話をうまいことまとめたのだろう
夫の賃金は上述のとおりの想定で、夫以外の家族構成員は扶養家族として計算されている
謎に「個々人の多様性を考慮したもの」として消費支出の1割を計上されている
エネルギー消費量は身長や体重によって違うし、心身の健康状態や障害の有無による違いもあるためとのこと
まぁ色々意見が出たんだろう
所感として、食費や住居費は最低限のもの、物品も保有率7割以上のもので算出しているなど、かなり慎ましい生活を想定しているように見受けられた
予備費で若干割増されているような気がしたり、本当に倹約するなら家電などの所持品は耐用年数を超えて使用したりする気はしないでもないが、
内容としてはそれなりに妥当なのではないだろうか
詳細はぜひ原文をあたっていただきたい
私立大学理工系で4科目入試を課すのは早慶のみ。ほとんどの私立大学理工系は入試で3科目しか要求されません。国語や社会科(日本史、世界史、倫理、政治経済、乃至現代社会)のような文系科目がないだけではなく、理科もたった1科目を選択するだけでよいのです。ですから、合格するためにはあまり学力は必要ないのだといえましょう。
一方、私立大学の理工系に入学してくる生徒はこれまで専門科目は何も学習していないし、実習の授業も受けたことなければレポートを書いたこともない。
このように学力でも専門科目でも高専に勝るものが何一つない私大理工系に、一体何の価値があるんでしょうかね。