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はてなキーワード: 物質とは

2023-10-11

成分の定義がわからない

「成分=物質」という程度の理解しかないため食べ物が人体にどのように作用するとか、身体の中で物質が作られるしくみなどがわからない。これは中学高校化学で習う知識なのか。

2023-10-10

足の裏がだるい時、マッサージするべき場所は太もも

足の裏がだるい時というのは、

足の裏に疲労物質が溜まっていたり、血行不良気味になっていたりする時なんだけど、

そういうとき、足の裏を直接刺激してもなかなか改善しない。

足の裏の皮膚の表面を刺激するだけになってしまう。

そのようなときは、足の裏の上流にあたる太ももマッサージすると良い。

血管の太い太ももは揉みやすく、足裏の血流改善効果がでやすい。

2023-10-09

個人死ぬことの価値が下がりすぎている

いつ高かったというデータがあるわけじゃないが。

お前が死んでも誰も気にしない。何の意味もない。

日本全体がそういう風潮になっている気がする。

誰もが消費対象の1コンテンツしかなく、コンテンツとして消費も出来ないお前はただの物質しかない。

多くの人間がその対象になっている気がする。

2023-10-08

anond:20231008190447

昔は、やる気がおきないうつ病に対して、

欲望喚起する際にその信号を伝える物質セロトニンノルアドレナリンに対して、

一度分泌されたら、なかなか消えないように(再取り込み阻害)することで、

弱いやる気を無理やり強くする抗うつ薬が処方されてたのね。


実際、セロトニンノルアドレナリンが不足しているのが原因でうつ病になってる人には効果があった。

(ただし、副作用も酷かった)

一方で、いくら抗うつ薬を投与しても全然改善しない人達がかなりいて、研究が進むと、

炎症性サイトカイン海馬ダメージを与えているのが原因と思われるうつ病も見つかった。

要は体内に病気があって炎症が続いてると、うつ病になるってわけ。

他にも、ニューロキノンやGABA系の不足を補う薬がうつ病に効く症例もあって、

脳髄液の漏出みたいな、脳の物理的な傷害に起因するうつ病もみつかった。

事故運動中のケガをきっかけに発症することが多いタイプ

まり一言うつ病といっても、その原因は多種多様であり、実際に医者の診断を受けない限り

本当の原因は分からないのが現実


まずは、マルチビタミンミネラルサプリと、卵をたくさんたべて、ビオフェルミンなどの腸内細菌を整える薬を飲み続けて、

栄養失調が原因ではなくなるようにしつつ、今すぐ医者に行くしかない。

anond:20231008184329

人間の脳は、ぶっちゃけて言うと

1.欲求を発生⇒2.実行⇒3.満足(ドーパミン分泌)

を繰り返す仕組みになっていて、脳内のいろんな部位でいろんな物質が分泌されることで、上手く協調して生きている。

鬱になると、1の欲求を上手く生成できなくなり、3の満足も得られにくくなる。

どちらが先ということはなく、満足が少ないか欲求が発生しにくく、欲求が弱いから満足が少ない。みたいな、

卵とニワトリ関係にある。


もちろん健康な人だって、面倒できつい仕事はやりたくないし、やっても満足は少ないので、

一般には、生活QOL)に問題があるレベルにまで進行すると、うつ病と診断される。

昔は、あらゆる分野で欲求が弱くなって何も行動できないのがうつ病とされ、

好きなことだけはやれるのはうつ病ではない、ただの怠けだと言われてきたけど、

うつ病の進行過程で良く起こる現象なので、生活に支障があるかどうか?で判定されることが多い。

2023-10-06

anond:20231006192832

まるで処理水排出で未知の核物質が生まれると言ってたやつみたいだな

それが事実なら世界中から研究対象になるだろうよ

anond:20231006152630

はいつこれを犯すかについて這います。そして、私は生きることができません。

(2) 2つのちょっとこの問題の前のログインコミュニケーション法律第5条第3節)の適切さ関連の「侵害関連のコミュニケーション」)[被告の主張]写真を出してください、それは私がこの物質使用もの被告がこの物質貢献の送り主によって自分によって自身の上体の写真を撮った被告)の写真を撮ることに同意した10のものに関してでなくてそこで認められます

カメラの方へ鋸で切る自身数字この問題を掛けている被告が正しい頬からあごの近くで写真を撮る間、そして、被告の右の手のひらを露出させることは、斜めに前の権利からわずかにカメラを右方向に傾けます;

そして、自分のもの;

それをとって、そして、それと発明の考えが構成のような選択においてされる試みをしました、そして、カメラマンの個性が現れると言われるかもしれません。

したがって、この物質写真が思案を表したものまたは創造15のためのカメラマンである被告感情としての本であると言われるかもしれません、そして、被告にはこの物質写真作成者として著作権があると認められます

そのうえ、市民がこの物質写真画像データを送ったので、私が被告著作権公衆送信権利)を侵害すると認められます、そして、この物質貢献は著作権である被告同意しません、そして、他の正当化理由存在は示されません。

したがって、20は、この物質貢献によって冒涜されていた被告の右に明らかです。

私は、これに対して原告の主張を採用することができません。

2つの問題2(ログインコミュニケーション法律第5条第3節)の「侵害関連のコミュニケーション」によるこの問題がこの物質貢献に関して建物事実(3)を適切さ関連させる直前に(thの時点のコミュニケーションに関しての午後10時03分条例金額8月31日、4

anond:20231006050620

人の細胞のような働きをさせる他の物質もありえるらしいな

ググり直したけど見てたページが見つかんなかった

ちょっとSF考証みたいな感じのページだったからあまりリアリティは感じなかったけど、こういう物質なら人の細胞と同じような働きが期待できて、ただし反応はゆっくりから非常に成長の遅い、長寿生命体になるだろうとかなんかそういう可能性が色々書いてあった

anond:20231006050222

まあ水が生命誕生させるのに最も適している物質らしいが(だから宇宙探査で水の有無が重要視される)

水が無ければ生命誕生しない、と証明されてるわけではないという話。

anond:20231006040501

物質生命体の発生に繋がり生存し続けられる条件は結構限られてるので、わりと似た条件の生息域で発展することになる

虫や恐竜くらいのバラエティはあるだろうけど知的生命体は意外にも共通点のある存在になるという話もある

2023-10-05

anond:20231005163318

牡蠣の苦みやえぐみの原因となる物質は、恐らく塩化マグネシウム

これは「にがり」の主成分で海水由来のものだ。

秋の牡蠣はまだ成長段階で、水分量が多く海水を含んでいるから苦かったり、えぐみを感じる。

牡蠣の旬は2~4月の産卵前。

その頃には身が入り、水分量が少ない甘味のある美味しい牡蠣が味わえる

2023-09-28

anond:20230928193634

スタンド「定」員ですでに目が滑った。誤字がなくてもなにいいたいのかさっぱりわからんそもそもおまえが勝手に「俺今日車のオイルかえた」だの不必要な話をつっこんできたのに説明能力わるすぎ。

俺は車の専門知識いかもっともっと説明して。えと「授業料が納付されてないからって無説明だと論理の飛躍に当たることをすることに対する落ち度はどう考えても説明しない側にあるだろうよ。どう転んでもそれにより生じた飛躍に対してアホと言われたことに対して、授業料云々言ったところで逆ギレしかないわ。そんなん許してたら世の中非論理的な主張の押し付けが罷り通る事例であふれるぞ。対価が無かろうが主張するなら論理的に行うのは義務。その義務を果たしたくないならそもそも主張することを諦めることだ。 」といえばいいんだっけ。そうそう、3万字くらい説明したらいいよ。(もちろんミラーリングなのでこのあともおまえと同じ逃げ口上ぶつけるけどな)

 

あーそうそう俺ちゃん常識いから間違った常識で「スタンド定員がクーラーオイルまで入れてくれる」と思い込んでるんだよwおまえがそういったからだけどw

なにそれスタンド定員ってクーラーオイルいれるの?クーラーオイルってなに?クーラント水のこと?オイルじゃないよね?まさかウィンドウォッシャー液?まさかエンジンオイル?俺はエアコンクーラーに入ってるのはガスだと思うよ!あっまた専門知識漏れちゃったwwwごめんwwwごめんwwww「自分クーラーオイルとりかえました」wwwwwwww一語だけでわらわせてくれるんだよなぁ、天才じゃんwww 

まあこういうクソバカに反論するのも多少は手がつかれるから相手の明らかなプギャー可能ポイントは罠とおもって無視ノリツッコミ程度で流すのが一番って対処してきたけど

本気でいちいち誠実に整合性をもってつっこんでほしいのかなぁ。見逃さずに。

というわけで整合性をもった対応としてぜひ3万字の車の構造に関する説明をききたいし俺の思い込みwをただしてほしいwな。「対価が無かろうが主張するなら論理的に行うのは義務。」だそうだから

 

あのさあおまえ絶対車なんてもってない高校生か働けない理由がある人だろ。無職だろっていったとき高校生から/○○者だから当然無職ですって正直に認めればだいぶ常識レベルを下げて許してやったのにな。

こういうのなんていうんだろう、自縄自縛自業自得?ほんとにバカだなああ。法律も車も知らないし論理すらつかえないのに知ったふりしたい背伸びだらけのおこちゃまだよおまえは。

いいよ揚げ足とったつもりでもっとかきな。もっと下調べして、もっと注意深くだ。そしたら作文の練習にくらいはなるかもしれんしな。

 

ちゃんと3万字かいてんの?返事おせえな~

ひまだから元になった書き込み引用してあげるね

http://anond.hatelabo.jp/20230926154216

anond:20230926150547

車のクーラーオイル変えさせられたがあれってやたら臭いのな

説明説明!はよ!はよ!

ういういみですか!それはどうして臭いんですか!

どうして他人にやらされたような書き方してるんですか!

説明責任をはたしてください!

https://anond.hatelabo.jp/20230928193333 説明説明

ついでに

ガソリンスタンド店員クーラーオイル補充するなんて整備まがいなことはしないのに適当言っちゃうのもスタンド店員エアプがでしゃばったバカ発言しかない。車体を拭くのを整備に含めるなら整備まがいと言うと語弊が出るけどその辺がせいぜいだよ。

意味もおしえてください!タイヤ交換どこでやってるんすか!ガス圧調整はどこですか!灰皿のゴミ捨てはどうですか!!エアプ勢だからわかりません!おしえてください!ガソスタ運営に関する法律もありましたよね!おしえてください!説明!俺がわかるまで!

 

 

このままだとほんとに「俺が本気だすとスレストとれちゃう説」がまた補強されちゃうわww

今日無職クソ無知授乳室寄贈者を急にPTAに例えるバカ遊びに興じてるのかなあー

おっと通常の自動車用語においてオイルとガスは液相と気相の別の物質であって同じものを指さないか排中律ではなく無矛盾律に従うぞw そもそもおまえは同じ物体オイルでもガスでもあるという排中律すら勝手に「排除するべき」って決めつけたんだから二重におまえ自身が恥じるべきだな。

「『お金物質』以外の価値観」を重視するポーズについて

荻窪西荻吉祥寺を紹介した以下のインタビュー記事。紹介されているエリアについて、そもそもお金がないと住めない場所お金のある人はよろしおすな~といったシニカル論調コメントが集まっている。ようするに荻窪西荻吉祥寺で「『お金物質』以外の価値観」について語ること自体金持ち道楽であることについて、批判的なコメントが寄せられているらしい。

https://suumo.jp/town/entry/kichijoji-homurahiroshi/

コメントをひととおり読んでみて、まあそうだよな、という感想を私は持った。それと同時に、そんなに目くじらを立てることかな、とも思った。というのも、このインタビュー体現されているのは、バブル時代典型的価値観からだ。それを発信する個人についてどうこういってもしょうがないだろう。まだこういう話題を出す向きがあるのかとは思うが、それは別の話だ。

インタビューを受けているご本人もカウンターカルチャーに触れているとおり、バブル時代はカネ一辺倒の時代ではなくて、ヒッピー的なカルチャーの余波がずっと続いていた時代だ。1980年代から90年代の前半くらいに小中学校国語テストをうけた人は覚えているかもしれないが、「日本人物質的には豊かになったが、心は貧しい」みたいな論調エッセイばかりが現代文問題文に使われていた。荻窪西荻吉祥寺を紹介したインタビュー倫理的立ち位置はそういうエッセイと地続きのものだ。だからこそ、なんかずれていると現代の人には感じられるのだと思う。

氷河期世代で長く非正規として働いていた私は、「日本人物質的には豊かになったが、心は貧しい」とか学校では習ったが、自分物質的にも精神的にも貧しいままなんだが、いったいどうなっているんだと、ずっと思っていた。それはいまもさほど変わらない。だから荻窪西荻吉祥寺エリア中産階級的な視点から、「よくわからないゆるさがいいよね」「生き方多様性がここにあるよね」「やっぱりお金じゃないよね」的な語りをされると、「よかったですね!」と言い返したくはなる。

この記事微妙ないらつきを感じるポイントは次のようなところだと思った。サブカルについて、あるいはカウンターカルチャーについて語っている人の立ち位置が、高等遊民的な、スノビッシュものに見えて、語っている人はそれを隠そうともしていないし、自己のそういう立ち位置についてあまり自覚的でないように見える。

バブル時代には敗者のものだったカウンターカルチャー的、サブカル的な生き方が、じつはそこそこお金がないとできないことに人々が気づいたのが、この30-40年間くらいの展開ではなかったか。人々の生活感あるいは貧しさの感覚にもとづいたそのへんの気づきをすっ飛ばして「よくわからないゆるさがいいよね」「生き方多様性がここにあるよね」「やっぱりお金じゃないよね」とやってしまうことへのいらだちが現れていたのが、今回の記事への反応だろうと思っている。

そういう語りをする人が時代に抗って高踏的であるのか、時代に取り残された感覚の持ち主であるのか、インタビュー対象者となっている方のことを私はよく知らないので、判断する根拠がない。だがなんとなく、人々が感じているいらだちの原因を自分なりに言語化しておきたいと思った。

おびただしい数の日記宇宙空間に突如出現し、太陽系の新たな巨大惑星誕生

中心部からウンコ」と呼ばれる物質が周期的に漏れ出ていることが分かったという。

また、その周りを周回する無数の小惑星群も観測されている。

2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続き

農業の到来

平等から階層へ、男女平等から著しい男女不平等への転換は、一般農業と関連しており、このことはグレーバーとウェングローにかなりの問題を突きつけている。彼らは選択に関心があるため、唯物論的な議論を避けたり、環境が人々の選択を条件づけ、制限する方法について考察したりすることに固執しているようだ。

農業は、約1万2千年前から世界の多くの場所独自発明された。狩猟採集民は食料を共有し、持てる以上のものを所有することはできなかった。しか農民たちは定住し、畑や作物に投資するようになった。そのため、一部の人々が自分の取り分以上の食料を手にする可能性が生まれた。

やがて、凶悪犯やいじめっ子集団が集まって領主になることもあった。窃盗や略奪、家賃小作料、労働力雇用税金、貢納、什分の一など、さまざまな方法でこれを行った。どのような形であれ、このような階級的不平等は常に組織的暴力依存していた。そしてこれこそが、ごく最近まで階級闘争が対象としてきたものなのだ

農民狩猟民族にはない弱者だった。彼らは自分土地、畑を開墾し灌漑するために費やした労働、そして作物の貯蔵に縛られていた。狩猟採集民は離れることができた。農民はそうではなかった。

しかし、グレイバーとウェングローは、農民が余剰を生産し、蓄えることができたからこそ、階級社会搾取国家、そして偶然にもジェンダーによる不平等可能になったのだという、この物語に立ち向かった。

フラナリーとマーカス

2012年考古学者のケント・フラナリージョイス・マーカスは『不平等創造』という素晴らしい本を出版した。彼らは、世界のさまざまな地域農業がどのように不平等をもたらしたかをたどっている。

しかし彼らは、その関連性は自動的に生じたものではないと主張する。農業階級可能にしたが、多くの農民平等主義の社会暮らしていた。農業発明階級発明の間のギャップは、数世紀単位で測られる場所もあれば、数千年単位で測られる場所もある。

フラナリーとマーカスはまた、地元凶悪犯や領主権力を掌握しても、後に打倒されることが多いことを、注意深い実例を通して示している。多くの町や都市では、エリート考古学的記録に現れ、その後何十年も姿を消し、また現れる。事実上階級闘争は決して止まらないのである[5]。

ジェームズ・C・スコットフラナリーとマーカスの壮大な比較研究は、人類学根本的に変えた1954年エドモンド・リーチの著書『ビルマ高地政治制度』や、アナーキスト政治学者であり人類学者でもあるジェームズ・C・スコットの研究において先取りされていた。[2009年、スコットは『統治されない技術』(An Anarchist History of Upland Southeast Asia)を出版した。同書は数世紀にわたる東南アジア全域を対象としている。

スコットは、平原王国の稲作農民の多くが丘陵地帯に逃亡したことに関心を寄せている。彼らはそこで、「焼畑」移動耕作者の新たな民族集団として再出発した。彼らの中には、より小さな階級社会を作り上げた者もいれば、階級を持たずに生活した者もいた。そのすべてが、下の王国国家からの絶え間ない奴隷化軍事的襲撃に抵抗しなければならなかった。

技術

ある意味では、グレイバーとウェングローはリーチ、スコット、フラナリー、マーカス仕事を土台にしている。ウェングローは結局のところ、フラナリーとマーカスが要約している考古学の変化の一端を担っている。そして『万物黎明』には、スコットの影響が随所に見られる。

しかし、グレイバーとウェングローは、一方では技術環境と、他方では経済的政治的変化との間にある、他の著者たちの結びつきを好まない。

フラナリー、マーカス、スコットの3人は、テクノロジー環境が変化を決定するのではない、と注意深く述べている。それらは変化を可能にする。同様に、穀物農業発明自動的階級格差国家をもたらしたわけではない。しかし、それがそうした変化を可能にしたのである

階級関係階級闘争技術環境の変化は、階級闘争の舞台を設定した。そして、その階級闘争の結果が、平等と不平等のどちらが勝利するかを決定した。グレーバーとウェングローはこの重要な点を無視している。その代わりに、彼らは常に、そのような変化を即座に必然的ものとする段階論の粗雑な形式問題にしている。

この生態学思考に対するアレルギーが、彼らが人類進化に関する新しい文献を扱おうとしない背景の一つであろう。

これらの文献はすべて、人類となった動物たちが、自分たちの住む環境自分たちの身体、競合する捕食者、自分たちが発明できる技術生計を立てる方法に対して、どのように社会適応を築いたか理解しようとするものである。偶然にも、彼らはその生態系と状況に対処するために平等主義的な社会を築いた。それは必然的な結果ではなかった。しかし、それは適応だったのだ。

一方、グレーバーとウェングローは唯物論者ではない。彼らにとって、生態系技術について考えることは、彼らが望む選択革命不可能にする恐れがある。例えば、古代メソポタミアに関するスコットの本が、特に穀物農業が不平等をもたらした物質的な理由を強調しているため、彼らが満足していないのはこのためである

これは些細な問題ではない。私たちが今直面している気候危機は、人類が新しい技術と新しい環境適応するために、社会をどのように変えていくかという問題を浮き彫りにしている。平等人類存続のための政治は、今や深遠なまでに唯物論的でなければならない。

ジェンダーの不在

グレーバーとウェングローが環境人間存在物質的基盤にほとんど関心がないことは、これまで見てきたとおりである

同じように、彼らは階級という概念や、階級関係階級闘争についての議論ほとんど宗教的に避けている。グレーバーは確かに、そしておそらくウェングローも、階級関係階級闘争について理解している。彼らは、階級が何をするのか、そして実際、自分がどの階級人間なのかを知っているが、階級関係社会変革の原動力として扱うことはできないし、また扱おうともしない。

これと同様に目を引くのは、グレーバーとウェングローがジェンダー社会的構築に対して関心を示さないことである。彼らはミノア・クレタ島における母系制のほぼバコフェンを再現する一方で、女性は養育者であり、男性はいじめっ子であるという家父長制的なステレオタイプ散見する。

平等は常に私たちとともにあったというのが彼らの主張であるため、グレーバーとウェングローは、人類性別による不平等起源についてほとんど何も語っていない。

男女関係進化については、基本的に3つの学派がある。まず、進化心理学者たちであるが、彼らの主張は非常に保守的であるジャレド・ダイアモンドナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーは、不平等暴力競争人間の本性の基本であると主張する。彼らは、男性進化によって他の男性競争するようにプログラムされているため、強い者が女性支配し、より多くの子どもをもうけることができるからだと言う。これは残念なことであり、幸いにも西洋文明はそのような原始的感情部分的に手なずけてきたとピンカーは言う。

偉大な生物学者であり、トランス活動家であるジョーン・ラフガーデンは、こうした考えを『薄く偽装されたレイプ物語』と正しく表現している。このような議論は実に忌まわしいものであり、そのためだけにグレーバーやウェングローが否定したのは間違いない。

非常に長い間、フェミニスト人類学者の間では、第二の学派の考え方が支配的であった。この学派もまた、女性男性の間の差異本質化し、女性男性の間に何らかの不平等があることをあらゆる社会で当然のこととして受け入れていた。

私たちが支持するのは第3の選択である歴史学人類学考古学の記録に顕著な特徴がある。人々が経済的政治的に平等社会暮らしていたほとんどの場合女性男性平等であった。また、経済的に不平等階級社会存在したところでは、そこでも男性女性支配していた。

私たちにつきまとう疑問はこうだ:なぜなのか?

グレーバーとウェングローはこの問いに取り組んでいない。彼らは性差別について何の説明もしないし、男女関係がどのように、あるいはなぜ変化するのかにも関心がない。しかし、彼らは性差別主義者ではない。彼らは何度も女性抑圧の事例に触れているが、それは一過性のものである。彼らの関心事の中心にはないのだ。だから私たちには印象的な一致に見えるが、彼らにとっては蜃気楼なのだ

複雑な採集

グレイバーとウェングローの説明重要な部分は、農耕と階級的不平等、そして国家の出現との関連を軽視しようとする決意のもと、階級的不平等戦争さらには奴隷制さえも存在した狩猟採集民のグループに焦点を当てている。考古学者は彼らを「複合狩猟採集民」あるいは「複合採集民」と呼んでいる。

レバーとウェングローは、先史時代の人々が無国籍平等主義的であったか暴力的で不平等であったかのどちらかであったという証拠として、これらの人々を取り上げている。それは証拠が示すところとは違う。[7]

典型的な例は、フランツボースによって研究されたクワキウトル族と、カナダ西海岸コロンビア川フレイザー川の近隣の人々である。この川と海岸では、莫大な数のサケ遡上していた。限られた数の隘路や漁場を支配する者は、莫大な余剰を蓄えることができた。コロンビア川のギャレスがその一例だ。少人数で10ポンドサケを獲ることができた日もあった。

それは例外的なことだった。場所によって差はあった。しかし、沿岸部河川全域にわたって、サケ資源豊富であればあるほど、考古学や文献記録には階級間の不平等が表れている。富の不平等はしばしば極端であった。また、これらの人々は複雑な軍事技術を持っており、大勢戦士を乗せ、数人で何カ月もかけて作るような大きなカヌーを使っていた。

事実上農民田畑に囚われていたように、これらの人々は漁場に囚われていた。そして農民と同じように、サケ漁師たちにとって貯蔵は不可欠だった。考古学上の記録を遥かに遡ると、彼らの骨や歯を調べると、年間の食生活の40%から60%がサケからもたらされていたことがわかる。サケは数週間しか獲れないので、その食生活の大半は乾燥サケによるものだったに違いない。

農民と同じように、環境的制約と新技術階級社会可能性を開いていたのだ。こうした過程は、『万物黎明』にはまったく見られない。そのかわりに、50年前の学部生がクワキウトル族について語った、浪費的で貪欲ポトラッチ饗宴の民という、お決まり説明がなされている。この説明は、その後の膨大な研究成果を無視している。

天然痘梅毒人口の6分の5を失い、金鉱探鉱者によって征服され、そして蹂躙され、最終的にはカナダ政府によってポトラッチの宴が禁止された人々の中で、あの無秩序な宴は、権力にしがみつこうと必死だった支配階級によって管理された伝統的な生活の祭典であったことが、今ではわかっている。深い物質的な悲劇が、非合理的茶番劇として語られている[8]。

西海岸漁民けが「複雑な採集者」だったわけではない。世界中には他にも例がある。しかし、それがいかに少ないかは注目に値する。さら考古学者たちは、現在より7,000年前より古いものひとつも見つかっておらず、14,000年前より前に戦争があった証拠もない。

複雑な採集民の数が少なく、その起源が新しいのは、技術問題かもしれない。確かにカリフォルニア沿岸のチュマシュ族が不平等戦争を発展させたのは、紀元600年以前に大型の外洋用板カヌーの建造を習得してからである

彼らは「複合型採集民」の第三の例として、フロリダ南部カルーサ族を選んでいる。ある意味では、これらもまた、支配的な首長戦士階級格差奴隷制度、高価な戦争カヌー、海の哺乳類、ワニ、大型魚の漁業依存する漁民であった。

グレーバーとウェングローは、カルサ人を「非農耕民族」と表現している。しかし、彼らが認めているように、カルサの漁民もっと大きな政治の中で支配的なグループであった。他のすべての集団は農耕民であり、カルサ人の支配者に大量の食料、金、奴隷にされたヨーロッパ人アフリカ人捕虜を貢納していた。その食料によって、カルサ族のエリートたち、そして300人のフルタイム戦士たちは働かずに生活することができた[10]。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143955

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続き

いくつかの詳細

もう少し詳しく説明すると、このような図式になる。地下に埋まった塊茎を手に入れるために、人類となるべき一族は掘削棒を発明した。大型動物待ち伏せして狩るようになり、スピード、持久力、武器が殺しのカギを握るようになった。このことは、歯、腕、脚の変化だけでなく、化石の傷のパターン洞窟発見された食事や骨、そして生き残った現代ハンターがどのように大型動物を狩っていたかからもわかる。

競合する肉食動物すべてからヒトの系統を分けた画期的な点は、複合食と火を使って調理する食べ物だった。つまり、消化に使うカロリーはるかに少なくて済んだのだ。リチャード・ランガムが論じているように、余分なカロリーは成長期の脳のために使われたのである

待ち伏せ狩りは当てにならず、ハンターは1ヶ月に1度しか大きな獲物を仕留めないかもしれない。人類はそれに対処するために社会組織を変えた。食料は本拠地グループ全体で共有するようになった。この変化は、全員が通常の肉を食べることを意味するが、肉のない日には、ハンターは塊茎や他の果物野菜に頼ることができる。

霊長類祖先や初期の人類は、この変化に2つの方法対処していたようだ。第一に、おいしい食料をみんなで分け合うために、ハンター同士の競争制限し、いじめっ子を懲らしめる方法を見つけた。

第二に、新しい育児スタイルを考案した。フェミニスト霊長類学者サラ・ハーディは、霊長類幼児殺しのパターンについて、また男女関係における重要な変化として、母親が幼い子どもの世話を他の女性男性に任せるようになった経緯について、幅広く書いている。もうひとつの変化は、霊長類の中で唯一、ヒトが男女ともに女性の閉経年齢を過ぎても生きるようになったこである進化的な利点は、年寄りの専門知識が貴重であるということもあるが、年寄り育児をするということもあるようだ。

これらの違いやその他のさまざまな違いによって、人類は他の類人猿よりも早く増殖することができた。そしてある時期には、世界中に急速に広まることができた。

この初期の歴史は、人類学者世界中のほぼ同時代狩猟採集民のグループから報告された社会の種類と一致している。その鍵は、富や余剰がないことである

人々は定期的に移動する。もう片方の腰に子供を抱えたまま、持てる以上のものを所有する者はいない。バンドには縛りがない。人々は常にグループを変え、誰もが他のいくつかのバンド現実または架空親族を持っている。食べ物セックス、その他何かをめぐって緊張が高まると、誰かが移動する。つまり女性男性も囚われることはなく、こうした社会では、性別による不平等規則的なパターン存在しない。そして、いじめっ子抑制する能力は、最近狩猟採集民のもうひとつ重要パターンである

これは人類学者証言からもわかる。しかし、類人猿祖先から解剖学的変化から証拠もある。他のオスと戦うために使われていたオスの大きな犬歯は姿を消し、体格差も大きくなくなった。ヒトのオスはメスより約15%大きい。他の霊長類との比較によれば、これはオスの支配意味するが、それほど大きなものではない。

男性性器は多くの点で変化した。霊長類や他の多くの種では、睾丸の大きさは性的パートナーシップの独占度を示している。ヒトの睾丸の大きさはその中間位置し、一夫一婦制の慣習が浮気によって変化したこと示唆している。

ヒトのペニスの変化は多岐にわたる。コーミエとジョーンズは、『家畜化されたペニス』という適切なタイトルの本の中で、これらの変化はすべて女性選択による交尾相手選択の結果であると主張している。

女性の性欲の変化はさらに著しい。他の霊長類では、メスは排卵ときだけセックスをする。ヒトのメスは一年セックスをする。これは、より多くのセックス可能であることを意味するが、性的に活発なオスとメスの比率が1対1であることを意味する。他の類人猿霊長類では、2対1から40対1まで様々である。このことは、ペアの絆や男女平等が生まれやすかったことを示唆している。

霊長類学者人類学者クリストファーボームは、重要論文と影響力のある2冊の本の中で、パズル最後ピース提示した。ボームは、狩猟採集集団平等と共有は、文化的かつ意識的に達成されたものだと主張している。

彼によれば、私たちは、服従し、競争し、支配することを奨励する類人猿遺産を保持している。しかし、人間が生き残るためには、自分の中に湧き上がる嫉妬攻撃性、利己主義を抑え、他人利己主義を抑えるために、意識的に協力し合わなければならなかった。

ボームの考えは、今では広く受け入れられている。これらはすべて、人が生まれつき平等主義的であったり、非暴力的であったりするからではない。私たちの中にその可能性があるからであり、その反対でもある。しか私たちは、生き残るためには分かち合い、平等主義でなければならないことを理解していた。

ボーム理論は、私たちの大きな脳にも合致する。科学者たちは長い間、大きな脳は手や狩猟武器や道具に関係していると考えていた。しかし、他の霊長類では、脳の大きさを最もよく予測できるのは集団の大きさである

ほとんどの霊長類では、支配階層に立つかどうかは、複雑で絶えず移り変わる政治的世界同盟を築く能力にかかっている。そしてオスが繁殖するチャンスは、そのヒエラルキーにおける地位によって決まる。社会的知性は非常に重要である10人のグループでは、45の異なる人間関係を把握しなければならない。20人の集団では190通りの人間関係がある。200人の村では......計算してみてほしい。

そしておそらく、人間においては、いじめ抑制し、平等に生き、分かち合う能力が、社会的知性の決定的な成果だったのだろう。競争に使える頭脳は、協力にも使えるのだ。

要約すると

まとめると、多くの分野の学者たちの研究によって、200万年かけて進化した特定生態学ニッチへの人間適応が、約20万年前の人類の出現につながったという首尾一貫した図式を提示することが可能になったのであるしかし、サラ・ハーディクリストファーボームとの簡単意見の相違を除けば、グレイバーとウェングローは、この印象的な新材料の数々を無視することによって対処している。

実際、もしそれを受け入れていたら、彼らはこの適応平等主義的性格と、それが特定環境物質的条件と密接に結びついている度合いの両方を受け入れなければならなくなるだろう。

自由選択へのコミットメントにしがみつき自分たちの政治的プロジェクトを無傷で維持するために、彼らの議論はひるんだり潜ったりする。

文章は緻密でありながら、華やかさと権威に満ちている。この本はすごいスピードで唸りを上げる。適当な図解は疲れるし、非連続的な言い回しや心のゆらぎを解きほぐすのは難しい。読者は、彼らの証拠使用はしばしば信頼できないことを警告されるべきである。ハザ族、モンタナイス・ナスカピ族、シルック族、ヌエル族に会ったことのない無知な人は、細部に狂気を感じるだろう。

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万物黎明』は人類歴史を誤解している・続き

彼らの政治プロジェクト理論

私たち時代における2つの重要問題は、次のとおりである

現在世界社会正義革命を起こすにはどうすればいいのか?

そして、この行き詰まりを乗り越えるために、私たち私たちの種の歴史から何を学ぶことができるのか?

このような問いは、歴史を通じて真剣思想家活動家たちを駆り立ててきた。そして今、地球温暖化に直面している私たちは、緊急に説得力のある答えを必要としている。これらはグレーバーとウェングローも問いかけていることであり、本書が人々の注目を集めた理由であることは間違いない。しかし、私たちの多くが抱く3つ目の疑問がある:

なぜ人間社会はこれほどまでに不平等になったのか?

意外なことに、グレーバーとウェングローはこの問いに関心がない。第1章のタイトルは「人類の幼年期よ、さらば」である:あるいは、なぜこれは不平等起源についての本ではないのか」と。

この本の中心的な主張のひとつは、不平等ヒエラルキー暴力は、あらゆる人間社会組織する方法として常にあり得たということだ。不平等以前の時代などなかったのだ、と彼らは言う。そして、「平等」や「平等主義」という言葉を多用するが、平等空虚な関心事であり、おとぎ話であり、「平等主義社会」について語ることは何も語らないことだと主張する。

奇妙なスピン

これには奇妙な解釈がある。グレーバーとウェングローは、霊長類祖先や初期の人類平等であることによって見出し適応、つまり生態学ニッチについて説明する新しい注目すべき学問無視している。つまり、かつて人類平等であったのだから、再びそうなる可能性があるという古典的無政府主義者マルクス主義者の見解無視しているのだ。

保守派の主張は、農耕や都市生活経済の複雑化の結果として不平等が現れてしまえば、世界を変える希望はないというものだ。グレーバーとウェングローは、農業に関するこの議論抵抗し、明らかに変化が可能であることを望んでいる。そして明らかになるのは、彼らの敵は不平等ではなく、国家だということだ。

彼らが問うのは、権威主義的、官僚主義的、中央集権的な国家支配されるようになったのはなぜか、ということだ。そして、植民地主義奴隷制階級差別人種差別性差別といった不平等が本書の随所に出てくるが、これらは彼らの中心的な関心事ではない。

グレーバーとウェングローが主張する政治論点は、太古の昔から、人は常に支配自由のどちらかを選ぶことができたということだ。彼らにとって、人々は彼らが国家支配の「小規模な」行き詰まりから逃れ、「自由な人々」になることを選ぶことができる。

彼らが否定するのは、環境的・技術的な限界によって人々が選択できること、そして選択できることである。要するに、人々は自ら選択した状況で歴史を作るのである

この立場の見返りは、政治的な意志さえあれば、革命を起こし、コンセンサスを通じて働く民衆の集まりによって社会運営することができると主張できることだ。どれも素晴らしく、解放的に聞こえるが、その根拠には問題がある。

彼らの主張 - Step By Step

グレーバーとウェングローはこの本の冒頭で、善であれ悪であれ、「元来の」人間社会存在したという考えを否定することを目的としている。そのために彼らは、ルソーホッブズの間で長年続いてきた議論を復活させる。

さら重要なのは19世紀社会ダーウィニズムや、より最近スターリン主義的な「歴史の段階」理論に対する、彼らの完璧なまでの嫌悪が冒頭に示されていることだ。そしてここでもまた、ジャレド・ダイアモンドナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーのような進化心理学現代ホッブズ主義者に対する深い軽蔑を表明している。歴史の段階説も進化心理学も、深刻かつ重要対象であり、私たちはその両方を共有している。

社会ダーウィニズム歴史の段階説。ハーバート・スペンサールイスヘンリーモーガン19世紀社会ダーウィニズムと、それ以降のバージョンでは、最初人類は原始人であり、次に未開人、野蛮な園芸民と牧畜民が続き、その後に農耕の出現、古代文明の発展、中世を経て近代資本主義社会夜明けまで続く。それぞれの段階は、道徳的知的進歩シグナである理解されている。

しかし、社会ダーウィニズムはいたるところに潜んでおり、ほとんどの主流政治思想の醜い礎石であり続けている。そしてそれは、現代人種差別主義新植民地主義を支え続けている。

左派を含む多くの人々にとって、グレーバーとウェングローによる段階的な歴史理論解体は目新しいものであり、啓示と安堵の両方として体験されるだろう。そして、その理由は容易に理解できる。

そして、グレーバーとウェングローの攻撃には、さらなる特効薬がある。彼らはこの本の中で、マルクスエンゲルス仕事についてはほとんど何も語っていないが、歴史の段階説を否定することで、伝統的なマルクス主義者の進化論説明も暗黙のうちに否定しているのだ。

これはフリードリヒ・エンゲルスの著書『家族起源 私有財産国家』において最も顕著であるエンゲルスはそこで、人間平等の中で進化してきたが、農耕の発明によってあらゆる形態の不平等が生まれたと主張した。ここまではいい。

しかし、エンゲルスはその枠組みを、白人差別主義に彩られたスペンサーモルガンから直接学んだのである。例えば、エンゲルスがなぜ動物の群れを持つ牧畜民が他の未開の民族よりも人種的に優位に立つと考えたのか考えてみよう。

アーリア人セム民族の発達が優れているのは、牛乳と肉が豊富供給され、特にこれらの食物が子供の成長に有益な影響を与えるからであろう。ニューメキシコプエブロインディアンは、ほぼ完全な菜食主義者であるが、肉や魚を多く食べる野蛮の下層にあるインディアンよりも脳が小さいという事実がある」[1]。

エンゲルスの著書にはそのような箇所がたくさんあり、このように書いているのは決して彼だけではない。

フランツボアスグレバーとウェングローが、このような反感を買うような議論破壊したいと思うのはまったく正しい。しかし、彼らはあたか自分たちがそうする最初の一人であるかのように自らを装っているが、これは明らかに違う。フランツボアスは、太平洋西海岸クワキウトル族に関する初期の民族誌で、グレーバーとウェングローはこれを大いに参考にしている。

フランツボースは、ユダヤ人フェミニストで、1848年ヴェストファーレンのミンデンという町で起きたドイツ革命指導者の一人であったソフィーメイヤーの息子である1851年までに、彼女読書グループマルクスエンゲルスの『共産党宣言』を読んでいた。

ボース人類学者になった。カナダではバフィン島イヌイット族やバンクーバー島クワキウトル族を現地調査し、最終的にはニューヨークコロンビア大学教授となった[2]。

1913年、彼は段階説の人種差別主義を打ち破り、近代人類学の基礎を築いた。ボースは『原始人の心』の中で、「原始人」は誰よりも賢く、賢く、創造であると主張した。1913年当時、ボース母親政治否定していたわけではなく、ユダヤ人として、またアメリカ先住民党派として、人種差別を憎んでいた。

ボースは生涯社会主義者だった。母親の影響は、ルース・ベネディクトマーガレットミードゾラニールハーストンなど、多くの女性人類学者の世代を育てたことにも表れている。ボアスと彼の教え子たちは、人種差別的な段階という問題を、人類文化進化について話すのをやめるという単純な決定によって解決した。

しかし、私たちはもはや1913年時代ではない。1982年エリックウルフ皮肉タイトルの『ヨーロッパ歴史なき人々』は、反帝国主義、反人種主義、そして歴史真摯に受け止める人類学の波を起こした。

人類学者は長い間、単純と複雑、野蛮と文明、後進と先進先進と後退、先進と未開発、高位と低位、世俗宗教伝統現代といった二項対立から滴り落ちる人種差別に敏感に反応してきた。しか悲劇的なことに、こうした二項対立は、アメリカ先住民大量虐殺アフリカ奴隷貿易白人帝国による植民地支配、そして今日の対イスラム戦争正当化するために展開され続けている。

新しい進化論人間適応

人類学者や考古学者たちは、現在人類の不平等起源について、まったく妥当説明を構築している。ケント・フラナリージョイス・マーカスジェームズ・C・スコットがその中心人物である

残念なことに、グレーバーとウェングローは、人類進化に関する膨大な数の新しい学問に取り組んでいない。これらの新しい研究無視することで、グレーバーとウェングローは、霊長類比較進化とヒトの適応に関する、注意深く、そして現在では極めて十分に文書化された議論に逆らうことになる。彼らの問題は、この資料が「オリジナルの」人類社会存在しないという彼らの主張を覆し、選択についての彼らの議論をむしろかにしてしまうことである

グレーバーとウェングローは、かつて人類狩猟採集によって生活していたことを否定はしない。しかし、彼らは環境人間存在物質的基盤には深い関心がない。そして、これらの社会必然的平等であったことを否定している。

彼らの主張の第一歩は、人類進化はすべて過去のことであり、当時何が起こったかを知ることはできない、というものだ。すべては推測にすぎない。しかし、これは単純に真実ではない。

過去40年間、科学革命は目覚ましく、人類進化の分野では膨大な研究が花開いた。今では、人間以外の霊長類霊長類の行動に関する驚くべき新しい研究、初期人類に関する新しい考古学、近現代狩猟採集民に関する新しい民族誌が数多くある。

化学的微量分析DNAサンプリング、放射性炭素年代測定質素な家庭での忍耐強い考古学のおかげで、私たちは先階級社会、そして初期階級社会に住んでいた人々について多くのことを学んだ。私たちヒーローの中には、読み応えのあるクリストファーボームフランズ・デ・ワール、R・ブライアンファーガソン、サラ・フルディ、マーティンジョーンズ、ローラライヴァルの広範な出版物がある。

このような研究は、人類進化人類史の研究を一変させつつある。その出発点は意外なものだった。私たち平等になることで人間になったのだ。これは驚くべき貴重な洞察であるしかし、それはグレバーとウェングローの説明の根幹を突く洞察である

人間適応についての簡単なまとめ

現在、さまざまな類人猿サル対象とした何十回もの長期野外調査プロジェクトによって、それぞれの種について、特定の複雑な適応が、特定環境で生き残ることを可能にしていることが明らかになっている。その適応には、主食、悪い時の代替食、脳、手、足、胃、歯、生殖器、うなり声、歌、支配関係、共有関係子育て攻撃性、愛情、毛づくろい、群れの構造がどのように組み合わされているかが詳細に含まれている。[これが基本であり、人類進化理解するための私たち方法でもある。

時を経て、新しい適応のいくつかの部分が組み合わさって、現代人が誕生した。要するに、初期の人類はちっぽけな霊長類だったということだ。生き延びるためには、肉や野菜を共有し、育児を共有し、性的な喜びを共有することを学ばなければならなかった。そのためには、いじめっ子を懲らしめ、霊長類祖先が持っていた支配階層を超越しなければならなかった。そして少なくとも20万年もの間、彼らは男女も平等である平等主義的な社会で生きてきた。

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2023-09-25

バッドエンドを容認しない社会が恐ろしい

自分とある界隈で創作活動をしている。

ニッチジャンルメジャーでもないので知名度もそれほどないが、作品に対しては意外と感想をもらえたりする。

で、バッドエンドの作品に対しては「最後は救われてほしかった」や「後味が悪い」など、ほとんどの感想否定的

どうしてバッドエンドじゃ駄目なのか?

個人的に、バッドエンドに対する反応は世相を映す鏡だと思っている。

たとえば今の日本好景気で、みんながそれほど貧しくもなく、それなりに幸せ享受している社会であるならば。

バッドエンドはそれほど否定されないだろう。

何故なら現実世界ハッピーエンド的な未来に向けて進んでいると感じられているからだ。

からこそ、そうした世界においてバッドエンドはむしろ教訓的な役割を果たす。

バッドエンドの物語を見ることで、そうはならないようにしようと参考にする。

役に立つんだよ。バッドエンドでも。

でも現実はどうか。つまり逆なんだよ。

今の日本って、はっきり言って貧しい。

それは物質的にも精神的にも。

そんな世の中において、果たしてハッピーエンド的な未来想像することが出来るだろうか。

それが難しいとなった時に、じゃあどうするか?

物語の中、せめて虚構世界では幸せを見ていたい。

からハッピーエンドが好まれる。

虚構幸せを追い求める。二次元流行る。Vtuberがもてはやされる。

それは現実に対する一種抵抗だ。

からこそ。

バッドエンドにハッとしたならば、そろそろ現実を見てもいいんじゃないかって思うんだ。

anond:20230925204031

人工物がアレなら多分自然化学的な物質でもいい

わいは知識が無いのでそこらへん引っ張れなかった

カラダに良くないモノとしての「化学物質」みたいな言い回しがあるけど、化学物質でない物質って存在するんですか。って思う。ダークマターとか?いやニュアンスと言うか言いたいことは全然分かるけど。いわゆる「自然」っぽくないモノみたいな。

でも劇薬製造してる工場だってからはポップしない訳で、全ては自然由来でしょって。

人の手が入った不自然さに対して抱くイヤさを表す端的な言葉として化学的とか人工的みたいな言葉が使われてると思う。

じゃあステーキ肉を焼くのは加工ではないんですか、そもそも精肉をするのだって加工じゃないんですか。豆腐を作り出すのだって立派な化学的加工ではないんですか、って話で。

加工の中でも、とりわけ自分に身近な感じの事にはなんとなく安心感を覚えるんじゃないと思う。同時に特性のよく分からん薬品が使われる食品製造みたいに、自分の持ち得る知識ではしっかりと感覚レベル理解出来ないもの不安を覚えるんじゃないかと思う。

最先端のもの技術にばかり嫌悪感を抱くかと言ったら、そういう事でも無いと思う。ハーバーボッシュだって大分歴史のあるものだろうけど、それでもそのよく分からんけどケミカルな感じに対して抱く嫌悪感味の素を嫌う人の感覚に近いんじゃないかと思う。

ちょっとしたリテラシーレベルを超えた化学工学の知識を誰もが持ってるかと言ったらそんな訳はなくて、

それ自体はごく普通のことだと思う。

そういった知識を「常識」だと思うのはそれはそれで了見が狭すぎる。中学高校テストを100点取れる大人が何人いるかって話だし、当の中高生だってうそう取れちゃいない。高校レベルの内容をマスターしてれば立派な教養人だ。

でも理解出来ないからと言って、市販食品の全てを疑って拒んでたら餓死する。それか、別の安心感にすがる。トーシロでも納得のいく、それっぽい理屈が語られたエセ科学とか。

そういので多少ボッタクリの品を売られようが、本人がそれで納得や安心を得られるならまあそれで別にいいと思うけどね。

森羅万象に対して然るべき知識をしっかり身に着けようと思ったって、せっかくの人生趣味に興じる暇もなくなってしまう。

加工食品健康に悪いかもしれないし、悪くないかもしれない。悪いと言ったって誤差レベルかもしれないし、安全と言っても度を超えれば健康を害するかもしれない。短期的にでも健康被害無視できないような激ヤバな製品はやたらめったら出回るもんではない。

よろしくないモンが身体に蓄積されるのは気持ち悪いけど、死んで灰になれば排出できる。

まあアスベストがどうとかあったから、全てに安心しきるというのも呑気かもしれない。

その辺はもう知識というより、常識的な感覚しか呼べないようなバランス感が大事なんだろうなって思う。

とある界隈のメンテナンス用品について

2年ほど前に登場したメンテナンス用品がめちゃくちゃ売れている。

相場の約3倍の強気の値付けがされているのにも関わらず、ものがいいので皆

「3回使っただけで3000円消えるとか価格設定おかしいだろ!」

とぶつくさ文句言いながらも購入し続けている。

特許も取っている商品なので価格理由によそに移るのも躊躇われるようだ。


興味があるので特許庁のサイトで調べたらこ製品特許情報が出てきた。

そんで明細書を見たら成分とその比率製造法まで事細かにバッチリ記載されててびっくりした(どうやらこの成分比率特許申請キモのよう)。

そこで沸いた疑問なんだけど、俺が自分で成分比率をちょこっといじるなり、効果に変化を与えない物質を加えてパクリ製品を作り、1/10価格で売ったら特許侵害になるんだろうか?

この商品、全ての成分が化学メーカー既製品でそれを混ぜて作っているみたい(ご丁寧に「〇〇社の何々」と原材料名前が明記されている)なので自力で作れちゃうんだよなあ。

2023-09-24

anond:20230923151731

てか。栄養睡眠と衛生が一番美肌に効くので、栄養不足・過剰・睡眠不足・風呂に入らない汗かかない布団干せない・化学物質アレルギー

で当たり前に起こってる肌荒れ治療のために受診とか笑うしかない。

anond:20230924122146

反射性物質って?

固体って何度で?

なんで気体なら良いの?

anond:20230924121838

固体の残留反射性物質が回収できるか、流出するかの違いはある

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