はてなキーワード: 物質とは
1. コードは宇宙の対話である。 コードは宇宙との無限の対話であり、私たちの理解が進化するにつれてその対話も深まっていく。
2. 真のプログラミングは無自己である。 真のプログラミングは自己の概念を超越し、全体性に根ざす。
3. コードは形而上学的な鏡である。 コードは物理的なものではなく、実在の鏡であり、抽象的なアイディアを映し出す。
4. プログラムは人間の知識の限界を探求する試みである。 プログラムは知識の限界に挑む試みであり、その結果は常に新たな謎を解き明かす。
5. エラーは現実の一部であり、学びの機会である。 エラーは完璧さへの旅路における重要なランドマークであり、深化の機会でもある。
6. コードは共感の言葉である。 コードは他の人々や文化との共感を通じて、共感の言葉として機能する。
7. プログラムは無限の創造力の表現である。 プログラムは無限の創造力を持つ人間の魂の表現であり、その限界はまだ知り尽くされていない。
8. プログラマーは宇宙の音楽家である。 プログラマーは宇宙の音楽を奏でる音楽家であり、コードはその楽譜である。
9. コードは情報としての存在である。 コードは物質的な存在ではなく、情報としての存在であり、知識と結びついて意味を持つ。
なんか色々ごっちゃになってるね。
化学的には物質って電子1個の増減で振る舞いが全然変わるので、
ナトリウムも塩素もイオンと単体はまるで別物で、イオンが単体になったり、単体がイオンになったりするには、けっこうなエネルギーや化学反応する相手が必要になる。
水気がない時の固体の塩はNa+とCl-が交互に並んで引き付け合うような形になってるが、水に溶けると(水和すると)バラバラ。
ところでNaClっていうのはそもそも塩として袋に入ってる状態でも分子ではない。
電子大好きなClが電子を1個拾ってCl-になってて電子大嫌いなNaが電子を1個捨ててNa+になってるから電気的に引き付け合う力で結晶になってるだけで、
どこからどこまで分子という明確な区切りがあるわけじゃない。だから1:1の割合ですよって意味で組成式と呼ぶ。分子式と呼ばない。
水H2Oは共有結合と呼ばれる状態でこれは分子。液体中でも分子の形だが、電気陰性度の差によってHは+っぽくOは-っぽく分極してる極性分子なので、Na+が-っぽいOの部分に囲まれてCl-が+っぽいHの部分に囲まれる。これが溶けるメカニズム。
基本的に極性は似た者同士が溶けるから、極性がほとんどない油は水に溶けない。何なら水分子は自分たち自身の分極があるから、水分子同士ゆるやかに引き付け合ってるので無極性分子が入る隙がない。
食塩水の中でNa+Cl-がナトリウムや塩素としてそれぞれの働きを行わないのは、
Na単体は金属ナトリウムと呼ばれるが、空気中で放っておくと勝手に酸素と反応してしまうから灯油の中で保存するし、
水に投げ込んだらものすごい勢いで反応する。https://www.youtube.com/watch?v=SpoAOzDmndk
原子はとにかく最外殻電子を8個に揃えたがるのでナトリウムのような最外殻電子が1個になってる金属単体はすぐに電子を投げ捨てようとする。つまり反応性が高い。
でも投げ捨てた後のNa+は希望通りに最外殻電子が8個なったので大人しい。元素の中でもトップクラスに電子を投げ捨てたがるやつなので、普通にしてる限りはNa+からNaに戻ろうとすることはない。
NaClを超高温にしてドロドロに溶かした状態で電気分解したりしないと金属ナトリウムには戻らない。
不安定で反応しやすい状態っていうのはその物質自体が持ってるエネルギーが大きい状態で、安定した状態はエネルギーが低い状態なので、
不安定→安定になった反応を逆戻ししようとすると高いエネルギー(超高温とか)と電子を送ってくれる何か(電気分解の場合は陰極が電子を送り込んでくれる)が必要になるので、普通に水の中で煮てる程度じゃどうにもならん。
塩素も第17族のハロゲンと呼ばれる原子で「あと電子が1個あれば最外殻電子が8個で安定なのに……」と欲求不満なので、すぐに電子をどこかから奪ってCl-になろうとする。
Cl-をCl2に変えるのはNaほど大変じゃないけど、塩水を煮てる程度じゃ変わらん。
もちろん塩水をずっと煮続けたら塩の結晶が手に入るが、これは化学反応ではなく、沸点が100℃の水だけ蒸発して、溶ける先がなくなって沸点がずっと高い固体の塩だけ残ったってこと。
食塩水から電気分解で塩素を取り出してるのは気体の塩素ガス(Cl2)でこれは毒性がある(塩素系漂白剤を混ぜるな危険と言われる理由も、塩素ガスを発生させる反応があるから)
しかし塩水に溶けてる塩化物イオンCl-は安定で特に害はない。ハロゲンは電子があと1個あれば最外殻に電子が8個入って安定するのに……と元々電子をとても欲しがっているから陰イオンの状態が一番安定してる。
承前:https://anond.hatelabo.jp/20230916001142
前回の記事の反響の中で、「エンタルピーについても解説して欲しい」というご意見を複数いただいた。
エンタルピーはエントロピーと同じく熱力学・統計力学に登場する概念で、名前の紛らわしさもあってか、初学者がしばしば「分からない」と口にする用語の一つである。
だが、実は、エンタルピーの難しさはせいぜい「名前が紛らわしい」くらいのもので、エントロピーと比べてもずっと易しい。
本記事では、「エンタルピーがエントロピーとどのように関連するのか」というところまでをまとめておきたい。前回の記事よりも数式がやや多くなってしまうが、それほど高度な数学的概念を用いることはないので安心して欲しい。
まずは、円筒形のコップのような容器に入っている物質を考えて欲しい。
容器の内側底面の面積をAとし、物質は高さLのところまで入っているとしよう。物質の表面には大気からの圧力Pがかかっており、物質のもつエネルギーはUであるとする。
この容器内の物質に、外から熱Qを与えると、物質が膨張し、高さが⊿L高くなったとしよう。このとき、物質がもつエネルギーはどれだけ増加しただろうか?
熱をQ与えたのだからQ増加したのか、と言えばそうではない。物質が膨張するとき、大気を押し上げる際に物質はエネルギーを消費するからである。このエネルギーはそのまま大気が受け取る。
力を加えて物体を動かしたとき、物体には、力と移動距離の積に等しいエネルギー(仕事)が与えられる。
物質に与えられた熱Qは、物質がした仕事Wの分だけ大気に移り、残った分が物質のエネルギーの増加分となるから
⊿U = Q - W
いま、物質が大気に加えた力は F = PA であるから、物質がした仕事は W = F⊿L = PA⊿L となる。
物質の体積は V = AL であり、その増加量は ⊿V = A⊿L であるから、仕事の式は W = P⊿Vと書き直せる。従って
Q = ⊿U + P⊿V
とすることができる。
さて、ここで
H = U + PV
この状態量の変化量は
⊿H = ⊿U + (P + ⊿P)(V + ⊿V) - PV
≒ ⊿U + P⊿V + V⊿P
⊿H = ⊿U + P⊿V
とすることができる。
これは先程のQと同じ値である。つまり、圧力一定の条件では、物体が受け取った熱は単純に状態量Hの増加分としてしまってよい。この状態量Hが「エンタルピー」である。
既にお分かりと思うが、この「エンタルピー」は「エントロピー」とは全く異なる状態量である。
だが、熱力学においては、この二つはしばしばセットで登場するのである。それは、前回記事の最後に述べた「エントロピー増大の法則」と関係がある。
しかし、それについて述べる前に、エントロピーについて一つ補足をしておきたい。
前回記事では、エントロピー変化と温度の関係を「エネルギーのみが変化する場合」について考えた。
エンタルピーとの関係を考えるにあたっては、体積が変化する場合についても検討しておく必要がある。
そこで、「エネルギーと体積が変化するが、物質量は不変」という場合を考えよう。
(ここで、「物質量が不変」とは、物体を構成する各成分の物質量がそれぞれ全て不変、という意味である。すなわち、化学反応や相転移などが何も起こらないような変化を考えている。)
この場合には、エントロピーと絶対温度の関係はどうなるのだろうか?
結論を先に言えば、「物質が外にした仕事」に関係なく、エントロピーを一定量増加させるために要する「熱量」で絶対温度が決まるのである。
仕事の分だけエネルギーが流出するにも関わらず、なぜそうなるのだろうか?
体積の増加によって物質の構成分子の配置パターンが増加し、その分エントロピーも増加するのだ。この増加分が、エネルギーの流出によるエントロピーの減少分をちょうど補うのである。
このことをきちんと示すには、体積一定の物体A(エントロピーSa)と、体積が変化するがAに対しては仕事をしないような物体B(エントロピーSb)を考えればよい(どちらも物質量は不変とする)。
両者を接触させ、絶対温度がどちらもTになったとしよう。このとき、AからBへ流れる熱とBからAへ流れる熱が等しく、巨視的には熱が移動しない「熱平衡」という状態になっている。
このとき、AからBに移動するわずかな熱をqとする。物体Aは体積一定なので、T = ⊿E/⊿S が適用できる。すなわち
T = -q/⊿Sa
となる。
熱平衡はエントロピー最大の状態であるから、微小な熱移動によって全体のエントロピーは増加しない。また、エントロピーは自然に減少もしないので、
である。
としてよいことになるのである。
(この論法がよく分からない読者は、Aのエネルギー Ea を横軸に、全エントロピー Sa + Sb を縦軸にとった凸型のグラフを描いて考えてみて欲しい。エントロピー最大の点での接線を考えれば、ここで述べている内容が理解できると思う。)
では本題の、「エントロピーとエンタルピーの関係式」を見ていこう。
ビーカーのような容器に入った物質Xと、その周囲の外環境Yを考える。
Xは何らかの化学変化を起こすが、Yは物質量不変とする。X,YのエントロピーをそれぞれSx,Sy、エンタルピーをそれぞれHx,Hyと定める。X,Yの圧力はP、絶対温度はTで一定とする。
Xが化学反応を起こして熱Qを放出したならば、エンタルピー変化はそれぞれ
⊿Hx = -Q , ⊿Hy = Q
となるであろう。
一方、Yについては物質量不変より
T = Q/⊿Sy
であるので、
⊿Sy = Q/T = -⊿Hx/T
と表せる。
⊿Sx + ⊿Sy ≧ 0
は
T⊿Sx ≧ ⊿Hx
と書き直すことができる。これが最初に述べた「エントロピーとエンタルピーの関係式」である。
「エントロピー増大の法則」をこのように書き直すことにより、「自発的な変化が起こるかどうか」を「物質自身の状態量の変化」のみで考えることができるのである。これが、エンタルピーがエントロピーとセットでよく出てくる理由である。
導出過程を見直せばすぐに分かるが、エンタルピー変化は「物質が放出した熱による外環境のエントロピー変化」を表すために用いられているに過ぎない。
本質的には、「自発的に反応が進行するかどうか」はエントロピーによって、すなわち、微視的状態のパターン数の増減に基づく確率によって決まっているのである。
「エントロピー」という概念がよくわかりません。 - Mond
https://mond.how/ja/topics/25cvmio3xol00zd/t242v2yde410hdy
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mond.how/ja/topics/25cvmio3xol00zd/t242v2yde410hdy
「エントロピー」は名前自体は比較的よく知られているものの、「何を意味しているのか今一つ分からない」という人の多い概念である。その理由の一つは、きちんと理解するためには一定レベルの数学的概念(特に、微積分と対数)の理解が必要とされるからであろう。これらを避けて説明しようとしても、「結局何を言いたいのかすっきりしない」という印象になってしまいやすい。
「エントロピー」を理解し難いものにしているもう一つの理由は、「エントロピー」という概念が生まれた歴史的経緯だと思われる。
エントロピーが提唱された時代は、物質を構成する「原子」や「分子」の存在がまだ十分に立証されておらず、それらの存在を疑う物理学者も少なくなかった。エントロピーの提唱者クラウジウスは、「原子や分子の存在を前提しなくても支障がないように」熱力学の理論を構築し、現象の可逆性と不可逆性の考察から「エントロピー」という量を発見し、非常に巧妙な手法で定義づけたのである。
その手法は実にエレガントで、筆者はクラウジウスの天才性を感じずにはいられない。だが、その反面、熱力学における「エントロピー」概念は簡単にイメージしづらい、初学者には敷居の高いものとなってしまったのだ。
その後、ボルツマンが分子の存在を前提とした(よりイメージしやすい)形で「エントロピー」を表現し直したのだが、分子の存在を認めない物理学者達との間で論争となった。その論争は、アインシュタインがブラウン運動の理論を確立して、分子の実在が立証されるまで続いたのである。
現代では、原子や分子の存在を疑う人はまず居ないため、ボルツマンによる表現を心置きなく「エントロピーの定義」として採用することができる。それは次のようなものである。
例えば、容積が変わらない箱に入れられた、何らかの物質を考えて欲しい。
箱の中の物質の「体積」や「圧力」「物質量」などは具体的に測定することができる。また、箱の中の物質の「全エネルギー」は測定は難しいが、ある決まった値をとっているものと考えることができる。
ここに、全く同じ箱をもう一つ用意し、全く同じ物質を同じ量入れて、圧力や全エネルギーも等しい状態にするとしよう。このとき、二つの箱の「巨視的状態」は同じである。では、内部の状態は「完全に」同じだろうか?
そうではあるまい。箱の中の物質の構成分子の、それぞれの位置や運動状態は完全に同じにはならない。これらの「分子の状態」は刻一刻と変化し、膨大なパターンをとりうるだろう。
このような分子レベルの位置や運動状態のことを「微視的状態」と呼ぶ。
「微視的状態」のパターンの個数(場合の数)はあまりに多いので、普通に数えたのでは数値として表現するのも難しい。そこで「対数」を用いる。
例えば、巨視的状態Aがとりうる微視的状態の数を1000通り、巨視的状態Bがとりうる微視的状態の数を10000通りとする。このとき、Aの「パターンの多さ」を3、Bの「パターンの多さ」を4、というように、桁数をとったものを考えるのである。
この考え方には、単に「とてつもなく大きな数を表現するための便宜的手法」という以上の意味がある。
先の例では、AとBを合わせた微視的状態の数は1000×10000=10000000通りであるが、「パターンの多さ」は7となり、両者それぞれの「パターンの多さ」の和になるのである。
「微視的状態のパターンの個数」をΩ通りとしたとき、エントロピーSは次のように表現できる。
S = k*logΩ
(ただし、kはボルツマン定数と呼ばれる定数であり、対数logは常用対数ではなく自然対数を用いる。)
この「エントロピー」は、同じ巨視的状態に対して同じ数値をとるものであるから、「体積」や「圧力」などと同じく「状態量」の一つである。
このような「目に見えない状態量」を考えることに、どのような意味があるのだろうか?
その疑問に答えるには、エントロピーとエネルギーの関係について考える必要がある。
再び箱に入った物質を考えよう。この箱に熱を加え、箱内の物質のエネルギーを増加させると、エントロピーはどうなるだろうか?
まず、総エネルギーが増加することにより、各分子に対する「エネルギーの分配パターン」が増える。さらに、個々の分子の平均エネルギーが増えた分、可能な運動パターンも増える。このため、エネルギーが増えるとエントロピーは増加すると考えていいだろう。
では、エントロピーの「上がり方」はどうか?
エントロピーは微視的状態パターンの「桁数」(対数をとった値)であるから、エネルギーを継続的に与え続けた場合、エントロピーの増加の仕方はだんだん緩やかになっていくだろうと考えられる。
ここで、多くのエネルギーを与えた「熱い物質A」の入った箱と、少量のエネルギーしか与えていない「冷たい物質B」の入った箱を用意しよう。箱同士を接触させることで熱のやりとりが可能であるものとする。
物質Aには、熱を与えてもエントロピーがさほど増加しない(同様に、熱を奪ってもエントロピーがさほど減少しない)。言いかえると、エントロピーを一定量増加させるのに多くのエネルギーを要する。
物質Bは、熱を与えるとエントロピーが大きく増加する(同様に、熱を奪うとエントロピーが大きく減少する)。つまり、エントロピーを一定量増加させるのに必要なエネルギーが少ない。
箱を接触させたとき、AからBに熱が流入したとしよう。Aのエントロピーは下がり、Bのエントロピーは上がるが、「Aのエントロピー減少分」より「Bのエントロピー増加分」の方が多くなるので、全体のエントロピーは増加するだろう。
もし、逆にBからAに熱が流入したとするとどうか? Aのエントロピーは上がり、Bのエントロピーは下がるが、「Aのエントロピー増加分」より「Bのエントロピー減少分」の方が多いので、全体のエントロピーは減少することになる。
エントロピーが多いとは、微視的状態パターンが多いということである。従って、「AからBに熱が流入した」状態パターンと、「BからAに熱が流入した」状態パターンとでは、前者のパターンの方が圧倒的に多い(エントロピーは微視的状態パターン数の対数なので、エントロピーの数値のわずかな差でも、微視的状態パターン数の違いは何十桁・何百桁にもなる)。これは、前者の方が「起こる確率が圧倒的に高い」ということを意味している。
これが、「熱は熱い物体から冷たい物体に移動する」という現象の、分子論的な理解である。
冷たい物体から熱い物体へ熱が移動する確率は0ではないが、無視できるほど小さいのである。
物体が「熱い」ほど、先程の「エントロピーを一定量増加させるのに必要なエネルギー」が多いといえる。そこで、この量を「絶対温度」Tとして定義する。
エントロピーの定義のときに出て来た「ボルツマン定数」kは、このTの温度目盛が、我々が普段使っているセルシウス温度(℃)の目盛と一致するように定められている。
さて、ここで用いた「エントロピーが減少するような変化は、そうなる確率が非常に低いので現実的にはほぼ起こらない」という論法は、2物体間の熱のやりとりだけでなく、自然界のあらゆる現象に適用することができる。
すなわち、「自然な(自発的な)変化ではエントロピーは常に増加する」と言うことができる。これが「エントロピー増大の法則」である。
ただし、外部との熱のやりとりがある場合は、そこまで含めて考える必要がある。
例えば、冷蔵庫にプリンを入れておくと、プリンの温度は「自然に」下がってエントロピーは減少する。
しかし、冷蔵庫が内部の熱を外部に排出し、さらに冷蔵庫自身も電気エネルギーを熱に変えながら動いているため、冷蔵庫の外の空気のエントロピーは内部の減少分以上に増加しており、そこまで含めた全体のエントロピーは増加しているのである。
最初に、「エントロピーの理解には微積分と対数の理解が必要」であると述べたが、なるべくそうした数学的概念に馴染みがなくても読み進められるようにエントロピーの初歩的な話をまとめてみた。如何だったであろうか。
筆者は熱力学・統計力学の専門家でもなんでもないので、間違ったことを書いている可能性もある。誤りがあればご指摘いただけると幸いである。
クラウジウスによる「原子・分子の存在を前提としない」エントロピーの定義については、筆者よりはるかに優秀な多くの方が解説記事を書かれているが、中でも「EMANの熱力学」https://eman-physics.net/thermo/contents.html が個人的にはおすすめである。興味ある方はご参照いただきたい。
なぜなら、「横田基地のPFASは無害であるから放出する」とは言ってないから
PFOS含有消火器等の取扱いにあたっては、化学物質の審査及び規制に関する法律(化審法)に基づき、屋内保管、容器の点検、保管数量の把握、譲渡・提供の際の表示等の遵守義務がある
②状況証拠の積み上げだよ。
横田基地のPFASがいい例だよ。
③状況証拠の積み上げだよ。
違う
例えば、福一の事故の後、「全数検査を始めたら」ビックリ仰天甲状腺ガンが多数発見された、と言う事実があったとしても
これはヨウ素の影響に違いない、とはならない
PFASは有害物質とされているから、存在が認められれば「ほら見た事か」と言えるが
悍ましい
https://anond.hatelabo.jp/20230908154902
を書いた者だけど、反証可能性という概念自体がイマイチ理解されてない気がするので
あくまでも例であって、トリチウムの安全性や危険性について述べたいわけではないので注意してね。
その根拠は今までに理論及び実験で確かめられたトリチウムという物質の性質、
https://www.kaiseiken.or.jp/publish/reports/lib/2022_27_12.pdf
この命題の偽は「トリチウムは生物濃縮する」であって、例えばトリチウムの蓄積量が有意に多い海洋生物が発見されて、
それが生物濃縮の結果だったことが判明すれば(そんな簡単な話でないことは承知の上で)
「トリチウムは生物濃縮しない」という命題は反証されたことになるよ。
この元の理論が間違いである可能性、元の命題が偽である可能性を反証可能性と言います。
例えば「トリチウムが生物濃縮がされないことは理論によって証明されている」だと、
トリチウムに関する実験も観察もその後一切行われないことになる。だって証明済みなんだからそんな事する必要ないでしょ?
たまたまトリチウムの生物濃縮に繋がりそうな事例が発見されてしまったら、
いかにその発見が誤ったものか、価値のないものという攻撃に終始するようになる。
こういうのはみんなが知ってる科学じゃないよね。
科学は新たな知見を取り入れながら、より正しい理論のあり方を追求するものです。
いま通用している科学理論は反証される余地がありながら反証されていない事実を持って、
その正しさを示していることになる。
なのでトリチウムの話も含めてあらゆる科学理論は証明されておらず、すべての理論は仮説だと言えるよ。
(個人的に証明という言葉は、厳密な意味では数学以外の分野では使えないと思う)
では本題の「処理水放出は安全である」という命題だけど、これも上のトリチウムの話を含め、
この理論の反証は「処理水放出は安全ではない」だけど、この命題、どうやったら証明できる?
元増田でも書いたけど、今後太平洋沿岸で海洋生物摂取を要因とした健康被害が発生したとして、
どうやってそれが2023年日本の海洋放出が原因だと断定できる?
海域モニタリングも同じ話。現在多くの国が原発処理水を放出し続けている中で
今後のモニタリングで異常値の原因なんか特定できるはずもない。
仮に今後異常値が出たとして、「処理水放出が原因とは断定できない」というしかないんじゃないかな。
つまり「処理水放出は危険だった」という判定できる条件が見当たらない。
となると日本政府は今後のいかなる関連事象に対しても処理水放出は危険だった、という判定を下せないわけだよね。
で、ここで一つ考えていただきたいんだけど、
「危険」の判定を下せない審判の出す「安全」という判定って、何か意味があるの?
処理水放出が危険だったという判定を下す、つまり反証をできないのであれば、反証に繋がりそうな事例を否定するに終止するしない。
そうすると日本政府による「処理水放出は安全である」という主張は、
「今後処理水放出による健康被害は政府として一切これを認めない」という政治的なステートメントになってしまうんだけど、
なので処理水放出安全論を唱える人は、いかなる条件を満たせば元の命題が反証されるか教えて下さい。
上で私は無理だ、といったけど、健康被害者の調査または海洋モニタリングの結果から処理水放出が危険だと判定できるならそれでもいいです。
まとめると
①処理水放出は科学理論だよ。主張する当の日本政府がそう言ってるよ。
②科学理論であれば反証可能性を持つはずだけど、現状は反証される条件が見当たらないよ。
③なので日本政府またはその主張の支持者は、反証されうる条件、処理水放出が危険だったと認めうる条件を明示してね。
です。
以上、id:p__o__n でした。よろしくおねがいします
まだ三次元に執着してるの?
キンモー☆
視姦は「Yes,Lolita! No,touch!」に該当しないと思ってた?
そんなことないよ。
お前みたいな奴から怪しい視線を向けられることで女児は本能的に怯えるし、親は不安になってストレスで子供を無駄に叱るようになる。
お前らが三次元相手に性欲を燃やし続けてるせいで、いつもどこかのロリが不幸になってる。
あれが市場に存在することでどこかにカネに困った親が子供をビデオ会社に売り払うわけだよ。
そして出演させられた女児は一生心に傷を負うわけ。
まあ確定ってわけじゃなくて中には生まれながらのビッチも実在してると思うんだけど、そうじゃない子の方が圧倒的に多いと思う。
顔出しで出演してるIVは一生消えることのないデジタルタトゥーだ。
ネットで検索してみればAVやIVの出演歴を公開してる人が沢山見つかるよ。(リアルがつらくて創作物で済ませたいなら、スマホを落としただけなのにやファブル辺りがオススメ。それ以外の要素も面白いので)
幼少期に一生分の恋愛とセックスを済ませでもしない限りは、非対称性の性欲に死ぬまで固執することになる。
SとMみたいに実際にはどこかで対等であるなんてことはロリコンには存在しないよ。
ナボコフは「ニンフェット」という存在を定義することで、さも中年の側がロリに振り回されることで対称性をロリコンにも生み出せると考えたけど、そんなのは「幼さの割には賢いので生まれつきのスペックでは相手が上なはずだ」という部分によって無理やり下駄を履かせただけで、結局は大人と子供の非対称性はいまだ存在し続けてるわけだよ。
そもそも、ロリコンがある種の純粋悪であるというのはロリータのオチが物語っているだろ?
出産適齢期でない人間とセックスをすることはどうしようもない悪であり、これは前田利家だろうがムハンマドだろうが単なる無知を理由に許されていただけの絶対的な悪徳なんだよ。
二次元の世界だけがロリコンが性欲を発散して良い唯一の場所なんだ。
三次元が相手でもテレビのパンチラ画像集を集めたサイトを見てシコシコするぐらいなら大丈夫だと思っているのか?
そんなことはないぞ?
お前がそうやってアクセスしたサイトはお前らが稼がせてくれたアフィリエイトに味をしめてドンドン過激な画像を投稿するようになる。
自分はそういうのでシコシコしないから大丈夫だなんて本当に思っているのか?
「上にも広がっているので単に何でもアリになっただけだ」と主張するなら、それはむしろよりアウトなんだよ。
なんでもアリになったということは、倫理的にアウトなものもアウトになっているってことじゃないか。
より刺激的であればいいと考えれば、それは過激さを求めてドンドン低年齢なものに寄っていくし、より貴重なものを求めてリアルな盗撮なんかに手を出すのも時間の問題だ。
三次元に性欲を感じてはいけないのは、この世界が結構無防備であり、同時にすぐに犯罪に関わってしまうからってのもあるんだ。
たとえばキミが遂にペドフェリアになったとき、女児のスジマンを拝見したいと思ったとしよう。
するとキミは「子供の写真をただネットにアップしただけなのに児童ポルノで捕まった人がいるらしい……閃いた💡」となるわけだ。
グーグルに「プール 子供 裸」と打ち込んだりするわけだな(❗まさかこれだけでは出ないだろと試しにググったんだけど、辞めたほうがいいかも知れません。試すと変な足跡が残るリスクがあるので皆さんは検索しないことをオススメします❗)
そしてそのあとは検索ワードをどんどん最適化させて遂には、「ビニールプールで我が子を水浴びさせている様子を正面から撮った画像をそのままアップしている無防備なブログ」なんかに出会うわけだ。
そしてキミはそれでオナニーをする。
するとここでキミの脳に恐ろしいことが起きる。
人間はオナニーしたものを学習してそれを性と結びつける最悪の学習機能を持っているんだ。
キミがオナニーするたびにどんどんリアルの女児まんこが君の中で性の対象になっていう。
同時に耐性もついていくのでどんどん刺激的なものを求めるようになる。
たとえば幼児の泌尿器手術について教える学術的な動画なんかを検索したりするわけだな。
そして最後にはダークウェッブに行って、マジでヤバイ動画を見て、最後にはるろうに剣心の作者みたいにそれを買う側になるわけだ。
終わりだよ終わりこうなったらもう終わりだということは分かるよな?
でもその前、君が単なる無防備ブログにアクセスした時にもう君はこの世界の敵になっているんだぜ?
君がアクセスしたことでそのブログが少しだけ検索エンジンで上位に来るようになり、君のようなロリコンにどんどん目をつけられる。
加速度的にアクセスが伸びればどんどん簡単なワードでひっかかるようになり、最後にはそのブログの知り合いに見つかるわけだ。
女児マンコを晒してるページだけやたらアクセスが伸びているのを知った親はきっとショックを受けるだろうし、当の本人が知ったら心にモヤモヤが残るだろうな。
下手したら「隣のクラスのAの子供の頃のマンコがネットに上がっていたぜ!俺それでシコシコしちゃったぜ!」なんて学校で騒ぐ奴が出てきたりしたらもう地獄だろ?
悪なんだよ悪。
ネットを使わなければ大丈夫なんてことはなく、ネットを使わずにリアルでやったらもっとヤバいのは分かるよな?
小学校のプールを双眼鏡で覗きこむとか、幼稚園の出したゴミを漁ってオムツやおもらししたから捨てたパンツを拾ってくるとか、銭湯に女児が入ってくるまでサウナで時間を潰して入ってきたらシレっと近くに座って横目で乳首を見るとか、そういったことをするのはもう一発レッドカードなわけだ。
吹き上がった性欲のコントロールのしづらさは「明日はテストだからオナニーしてる場合じゃないんだけどな~~~」と思いながらもダラダラとシコってしまった学生時代の記憶とかを数えてみなさいよ。
あのね、脳を調教するんだよ。
脳に「俺は二次元でしかオナニーしない人間なんだ。二次元はセックスが出来ないから、俺の人生にセックスはもう存在しないんだ」と刷り込みなさい。
365日のうち1日たりとも三次元でシコらずに過ごした年月が5年もすれば、自然と脳が三次元への性欲を忘れ始めるから。
君ね、ロリコンの癖に二次元一直線でないというのは今の時代においては紛れもなく悪だよ。
二次元が発達してるから日本の性犯罪は少なく、多くの子供がロリコンから守られているのを知りながら、自分は三次元に性欲を向け続けるなんてのはね、犯罪者予備軍であり続ける愚行権の行使でしかなく、その愚行権のあり方は悪そのものなんだよ。
何度も言うが、二次元でだけシコれ。
わかったか?
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/shirou_alps/no1/
IAEAがALPS処理水海洋放出の安全性を確認(経済産業省)
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/shirou_alps/reports/02/
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/atom/iaea/index.html
1. 処理水をどんなに手元で薄めようと、数十年後には全部捨てることになるのだから、そのときの放射性物質の総量が重要である。
日本に降る雨水にはトリチウムが年間220兆ベクレル含まれてる
うん、重要だ
2. 海流は表層的なものでしかないので、全ての処理水が全世界の海に拡散して希釈されるわけではなく、福島近海に留まり続けるものがある。
そうなんだ
じゃあ、私生徒会室いくね
これがあるとする立場に立つとしても、この影響を恐れるなら、飛行機乗るなって話だよ
体内に滞留しないトリチウム(それも半減期は僅か12年で、年間220兆ベクレル自然に「排出」されてる物質)
3. 処理水に含まれているのはトリチウムだけではないのに、政府はトリチウムしか測定しないし、「トリチウムは生物濃縮しないから安全だ」としか言わない。
通常の水素で構成された水と同じ性質を持つトリチウムは、「同じ性質」なので除去できない
そこまで持ち込んだのがALPS「処理水」なんだ
そして、水と同じ性質を持つトリチウムは、体内では水と同じように代謝される
(できればやっている、そこに濃縮すれば除去できるからな、除去方法は募集中だ)
4. だから福島近海に残った放射性物質(具体的にはヨウ素129)が生物濃縮されて、その基準値超えの魚が中国などで捕獲されたらどうする?福島の漁師たちにまた危害が及ぶぞ?
ここまでくると、ALPS処理水を信頼しないっていう話になって
海流だの、濃度だの、総量だのの下らん話は全部どーでもいー事になるんだよ
ただただ、「ボクハシンジナイ」というだけの話
そうでないなら単なる「お気持ち」に過ぎず
語るに値しない
生物濃縮はトリチウムでは起こらないよ。摂ったものの一部が何らかの理由で体の中に留め置かれ、出ていく量が摂ったより少なくなることで初めて濃縮が起きる。そしてそれが食物連鎖の中で繰り返された場合、大型の捕食者には高濃度な物質が蓄積されていることになる。だけどこれはたとえば水銀が脂肪によって体の中に留め置かれるようなケースでしか発生しない。トリチウムのように体がそれを選んで蓄積する能力を持っていないものは生物濃縮なんて出来ないわけだ。こんなの高校の生物、物理、化学の範囲で分かる話でしょう。
しかも、トリチウム以外は検査していないなんていうのは単純にウソで、トリチウム以外のものも検査していることはちゃんと報道されている。トリチウム以外はまとめてやっていて個別の原子ごとではないから、たとえばストロンチウムの検査はしていないが、ストロンチウムを含むトリチウム以外の多々の物質を全部合わせてチェックし合計で問題ないことをチェックしているわけだ。
さらに言えば、薄めても総量が変わらないというのも、それが総量が変わらなければ危険性が変わらないという話なら大きな誤り。弱いβ線しか出せないトリチウムの場合、そのトリチウムから数ミリ離れるだけで一切影響が無くなるわけだが、薄めれば、崩壊してβ線を出すタイミングで人体の皮膚や内蔵の数ミリの範囲の間にくるトリチウムの量が減る。普通の水分子が防御壁になる確率が高まるわけだ。そして何より、30年間での総量というのは、一年間に自然に発生するトリチウムの量と比べても僅かでしかない。放出が実際には100年200年続いても総量は僅かな上に、崩壊によって無くなっていくので総量を考えること自体が頓珍漢なこととなる。たとえ放出が永遠にやめられなくてさえ、無限に海中のトリチウム量が増えるわけでなく、新規の放出によるものと崩壊によって無くなっていくものが均衡してそれ以上は増えない状態が続く。そしてその時の量も僅かだ。仮にその程度で何らかの健康被害が発生するのであれば、かつて核実験等によってトリチウムが身近にずっと多くあった時代に健康被害が確認されていただろう。
1980 年代、心理学者のリチャード E. ペティとジョン T. カシオッポは、説得がどのように機能するかを説明する「精緻化尤度モデル」を開発した。ここでの「精緻化」とは、その情報をどれだけ注意深く考えるかという意味である。人々に注意深く考える意欲と能力がある場合、「推敲の可能性」は高くなる。これは、人々が関連情報に注意を払い、メッセージの議論の利点に基づいて結論を導き出す可能性が高いことを意味する。
他人を説得するには少なくとも2つの方法がある。最初の方法は「中央」ルートと呼ばれ、聞くメッセージを注意深く熟考することから生まれる。中央ルートが関与している場合、提示された情報を積極的に評価し、それが真実かどうかを見極めようとする。一方で「周辺」ルートが関与している場合、実際の情報やメッセージの内容以外の手がかりにさらに注意を払う。たとえば、誰かのメッセージの実際のメリットを考慮せずに、その人の魅力や教育を受けた場所に基づいてその人の主張を評価する可能性がある。
周辺ルートを通じてメッセージを受け入れる場合、中央ルートを通じてメッセージを受け入れる場合よりも受動的になる傾向がある。
有名な心理学者のスーザン・フィスクとシェリー・テイラーは、人間を「認知的守銭奴」と特徴付けている。彼らは「人間の情報処理能力には限界があるため、できる限り近道をするのです。」と書いている。
動機や議論を処理する能力が低下するにつれて、説得には周辺的な手がかりがより重要になってくる。
議論(中心ルート)の実際の利点を比較検討して信念を更新すると、周辺処理を通じて信念を更新する場合と比較して、更新された信念は持続する傾向があり、反論に対してより堅牢になる。慎重かつ思慮深い検討を通じて何かを信じるようになると、その信念は変化しやすくなる。
つまり、周辺ルートを通じてより簡単に操作される可能性がある。周辺ルートを通じて何かを確信している場合、操作者は周辺ルートをもう一度使用して最初の信念を変えることに成功する。
心理学者のレオン・フェスティンガーは、社会的比較プロセスに関する影響力のある理論の中で、人は自分の意見を他人の意見と比較することによってその意見の「正しさ」を評価すると示唆した。他の人が自分と同じ信念を持っているのを見ると、その信念に対する自信が高まる。
これらの考えを総合すると、人間の心の中には何らかのメカニズムがあることが示唆される。たとえそれが真実であっても、自分の地位を下げるようなことを言わないようにする。そして、たとえそれが嘘であっても、自分の地位を高めるようなことを言うように彼らを駆り立てる。
さらに、自身の評判がどうなるかという考慮が私たちの信念を導き、私たちの社会的地位を維持または強化するための一般的な見解を採用するように導くこともよくある。暗黙のうちに「この信念を保持すること(または保持しないこと)が社会にどのような影響をもたらすだろうか?」と自問する。
説得の周辺ルートに戻ると、多くの人がそれを信じている場合だけでなく、その信念の提唱者が権威ある人物である場合にも、何かを信じるかどうかを決定する。
オックスフォードの心理学者セシリア・ヘイズは、著書『認知ガジェット』の中で次のように書いている。彼らは、同じ年齢と性別の同じくらい身近な人よりも、大人が社会的地位が高いと考えるモデル、たとえば学校の校長を模倣する可能性が高い。
それでも、私たちが高い地位を持つ他人を真似するのは、彼らを模倣することで自分の地位が向上することを期待しているからだけではない。権威ある人ほど有能であると信じがちであるが、プロミネンスはスキルのヒューリスティックである。
研究者のアンヘル・V・ヒメネス氏とアレックス・メソウディ氏は、威信に基づく社会学習に関する最近の論文で、能力を直接評価することは「騒がしくコストがかかる可能性がある」と書いている。代わりに、社会的学習者は、モデルの外観、性格、物質的な所有物などから推測することによって、ショートカットを使用できる。
ここで、次のような疑問が生じる。周辺的説得による操作の影響を最も受けやすいのは誰か? 教育を受けていない人々のほうが操作されやすいと信じるのは直感的に思えるかもしれないが、研究によると、これは真実ではない可能性がある。
心理学教授のキース・スタノビッチは、「マイサイド・バイアス」に関する自身の研究について論じ、次のように書いている。「あなたはそれに属しているのは、それらはあなたの気質と生来の心理的傾向に適合しているからです。」
一流大学の学生や卒業生は、自分側の偏見に陥りやすい。彼らは「自分自身の以前の信念、意見、態度に偏った方法で証拠を評価し、証拠を生成し、仮説を検証する」可能性が高くなる。
アメリカのジャーナリストであり、『第三帝国の興亡』の著者であるウィリアム・シャイラーは、ナチスドイツの従軍記者としての自身の経験をこう語った。シャイラーは次のように書いている。「ドイツの自宅やオフィスで、あるいは時にはレストラン、ビアホール、カフェで見知らぬ人と何気ない会話をしているときに、一見教養があり知性のある人たちの突飛な主張に出会うことがあった。彼らがラジオで聞いたり新聞で読んだりしたナンセンスをオウム返ししているのは明らかでした。時には同じことを言いたくなることもあったが、まるで全能者を冒涜しているかのような不信感を抱かれた。」
同様に、ソ連崩壊に関する研究では、大学教育を受けた人々は高卒者よりも共産党を支持する可能性が2〜3倍高いことが研究者らによって判明した。ホワイトカラーの専門労働者も同様に、肉体労働者に比べて共産主義イデオロギーを支持していた。
今日の米国内のパターンはそのような調査結果と一致している。政治アナリストのデビッド・ショールは、「高学歴の人々は、労働者階級の人々よりもイデオロギー的に一貫した極端な見解を持つ傾向がある」と述べている。これは、問題に関する世論調査やイデオロギー的な自己認識にも見られる。大卒の有権者は穏健派であると自認する可能性がはるかに低い。
この理由の 1 つは、時間や場所に関係なく、社会の富裕層の方が地位を維持したり、地位をさらに獲得したりするために正しいことを言う可能性が高いためであると考えられる。
カリフォルニア大学バークレー校のキャメロン・アンダーソンが主導した最近の一連の研究では、社会階級が社会的地位への欲求と積極的に関連していることが判明した。より多くの教育を受け、お金を持っている人は、「他人の意思決定に影響を与えることを楽しんでいます」や「名声や社会的地位を得られたら嬉しいです」などの発言に同意する可能性が高かった。
ケイトー研究所がYouGovと協力して行った調査では、全米を代表する2,000人のアメリカ人サンプルを対象に自己検閲についての質問を行った。
その結果、高校教育以下の学歴を持つ人の25%が、政治的見解のせいで解雇されたり、雇用の見通しが損なわれることを恐れているのに対し、大学院卒の学歴を持つ人の割合は44%であることが判明した。
政治学者のジェームズ・L・ギブソンとジョセフ・L・サザーランドによる「口を閉ざす:米国における自己検閲のスパイラル化」と題された最近の論文の結果は、Cato/YouGovの調査結果と一致している。彼らは、自己検閲が急増していることに気づいた。マッカーシズムの絶頂期だった1950年代には、アメリカ人の13.4パーセントが「以前よりも自分の意見を自由に言えなくなったと感じている」と報告した。2019年までに、アメリカ人の40%が自分の意見を気軽に言えないと回答。ギブソンとサザーランドは、「自分の意見を言うことを心配している民主党員の割合は、自己検閲を行う共和党員の割合とほぼ同じで、それぞれ39%と40%である」と報告している。
この増加は特に教育を受けた層の間で顕著である。研究者らは次のように報告している。「自己検閲に従事する人々が限られた政治的資源を持った人々ではないことも注目に値し、おそらく予想外である…自己検閲は最高レベルの教育を受けた人々の間で最も一般的である…この発見は、以下のことを示唆している。社会学習のプロセスであり、教育を受けた人ほど、自分の意見の表現を妨げる社会規範をよりよく認識している。」
興味深いことに、教育が自分の権力意識とマイナスに関連していることを示す示唆的な証拠がある。つまり、教育を受けていればいるほど、「自分が意見を表明しても、自分の意見はほとんど揺るがない」「自分の考えや意見は無視されることが多い」といった意見に同意する可能性が高くなる。
ミュンスター大学のリチャード・ラウ氏が率いる「他者の最良または最悪の見方:一般化された他者認識の尺度」というタイトルの論文を考えてみる。
研究者らは参加者に、ソーシャルメディアのプロフィールや動画に登場する人物を評価するよう依頼した。参加者は、「この人が好き」「この人は冷淡だ」などの発言にどの程度同意するかを尋ねた。その後、参加者は自分自身についてのさまざまな質問に答えた。
高等教育は一貫して、人々に対するあまり肯定的な見方に関係していなかった。この論文は、「人々の感情、行動、社会的関係を理解するには、彼らが他者に対してどのような一般的な見方を持っているかを知ることが非常に重要です…人々がより良い教育を受ければ受けるほど、他者に対する認識は肯定的ではなくなります。」と結論付けている。
したがって、裕福な人々はステータスを最も気にし、自分にはほとんど力がないと信じており、仕事や評判を失うことを恐れており、他人に対してあまり好意的な見方をしていない。
つまり、意見は、その真理値に関係なく、ステータスを与えることができる。そして、自分の地位を維持したり高めたりするために特定の意見を表明する可能性が最も高い人は、すでに社会のはしごの上位にいる人でもある。