はてなキーワード: 早慶とは
東大理系って頑張ってて偉い・・・増田みたいな人がいるの誇らしいよ!
二個程質問なんだけど、
①医学部狙わなかったのは都内出身だけどお金が無い家庭のパターンは厳しいと思ったからかな?
東大狙える女子かつ就職だけが目的の人なら早慶より医学部狙うと思ったので。
余計なお世話だけど、医学部なら返済不要の高額奨学金とかあるから、却って家計は楽になったのかもしれない。
でも頭いい人が皆医学部目指してしまう世の中だから、東大理系を選んだ増田は有難い存在だよ。
全てが自分のおかげではないけど、「環境/性別のおかげ」と言ってくる人間に腹が立って仕方ない。
こんな事を女性が女性の友人に言ってくる場面・必要性が思い浮かばなくて。
仮に男性だとすると、増田は結婚してるのに、異性の友人(男性)とばかり沢山会う機会があったってことかな?
なんで夫を混ぜなかったの?それとも夫もフォローしてくれなかったの?
頼むから子供部屋すら確保できない状態で子供を産まないでくれよ。俺は大学生になっても収容所みてえな二段ベットで寝て、勉強机も無いから毎日毎日このクソクソクソ暑い中図書館にわざわざ行って勉強とかしてるけどもううんざりだ。呆れたわ。
俺の人生の苦しみの殆どが子供部屋がない事に起因しているとさえ思う。特に3つの点で困っている。
1,自分の物が置けない
まずこれだ、自分の物を置くスペースがあまりない事。これはかなりの制約で、俺はこれで文化系の趣味を持ちづらくなってしまった。
コレクションができないのって文化系の趣味にとって致命的で、例えば漫画とか単行本が買えないから1回雑誌で買ったらもう二度と読めないんですよ。買うとしても小説とか、せいぜい中編漫画ぐらいで過去の長編とかが読めなかった。
今こそKindleとかで漫画を買えているが、やっぱり自分の部屋を持っていた奴と比べるとオタクとしての薄っぺらさが否めない。子供部屋さえあれば今頃……
2,勉強ができない
金持ち(こいつらは全員子供部屋を持っている)は、貧乏人がレベルが低い大学に行く事に対して努力不足だと抜かすが、俺には貧乏人の気持ちがよくわかる。できる環境じゃないんだ。
金持ちは静かな部屋でしっかりとした机にピカピカの参考書を広げる。一方で貧乏人はどうだ?ジジイとババアが韓国ドラマを見ながら「やっぱ韓国人は〜」とかごちゃごちゃ言ってるのをBGMにリビングのボロボロの机に中古の本を広げ勉強をしようとする……当然集中できない。
じゃあ外に行こうか、でも雨も降ってるな、100均で買ったレインコートはもう破れちゃったし濡れちゃうのは嫌だな……いい大学に行きにくくなるに決まっている。
俺はどうにかMARCHに入れたが、子供部屋さえあれば早慶にも入れたんじゃないかと時折苦しくなる。これも全て子供部屋がないからだ!!!滅!殺!!!
3,プライバシーがない
最後は今困っていることだが、プライバシーがないため通話ができない。インターネット上の関係とかは作れなくて困ってる。俺は元不登校だったのでコミュ力が無く、それを鍛えることさえ許されない。子供部屋さえあれば……
以上のことから、子供部屋が無いせいで俺はオタクになれず、頭のいい大学にも入れず、コミュ力もつけらなれなかった。証明完了!!!
数学も化学物理も得意じゃなくて文系に行きたかったけど、お金になる分野に行く方が良いと思って根性で勉強して理系を選択した。
早慶に行く金銭的な余裕がないから、必死に勉強して東大に受かった。
本当はゆるいサークルに入りたかったけど、就活を見据えて体育会に入ってかなり大変な4年間を過ごした。
修士に進むと決めた後は、研究と並行して早くから就活して希望していたJTCに内定した。
就活が終わったら奨学金返済のために研究の合間を縫ってバイトしまくった。
就職した後はずっと付き合っていた人と結婚して、今は子供を産める環境を作るべく必死に働いて貯金している。
全てが自分のおかげではないけど、「環境/性別のおかげ」と言ってくる人間に腹が立って仕方ない。
内定が決まった時には、「東大の女の子ってやっぱり内定でるの早いよな。」
結婚したら「女性は収入とか関係ないし、若いうちに結婚できるのいいよね!」
とてもムカムカする。
大学進学も就職ももちろん環境によるものはあったと思う。けど、根性で理系科目をできるようにしたこと、体育会で必死に活動したこと、就活を早くからやったことは女も環境も関係なく私が努力したこと。
結婚だって、旦那より私の年収の方が高いから、女かどうかなんて関係ない。
飲み会の時で泥酔してる時にポロっと出る言葉だから本気じゃない、何も考えてないのはわかる。
だから表立って責めるつもりはないけど、私の努力を否定されてる気がして悲しくなる。
以上、お盆でたくさん友人と会う機会がありモヤモヤしたことを吐き出したい日記でした。
追記①
やっぱり見事に叩くコメントがついてる!
・研究の合間のバイト→ガチだよ。奨学金を6年間借りていたからエグい額になってたんで少しでも貯金のある状態で卒業して、焦りがない状態で社会人1年目10月から始まる返済を迎えたかったんだよな。
・女の子で東大に行くには環境が必要→都内サラリーマン家庭、公立小中高、高3で初めての塾。という感じだったので、ある程度には恵まれているけど、東大に行くための環境がバチバチに揃っていた訳でもなかったかな…。それと、良いところに就職となると、高学歴の中で競い合うことになるので努力は必須だよ。
追記②
優しい言葉くれた方ありがとうございます。
追記③
男性女性問わず東大生あれば就活苦労しないと思われがちですが、それは企業を選ばなかった場合だな…。
人気企業は東大生でもそれなりに就活しないと一部の人を除き内定でないです…。高学歴の中での勝負なので…。
私は企業をきちんと選びたくて就活ガチっただけ。容姿とかコミュ力が特段優れているわけでもないので、体育会・理系という武器を手に入れるため頑張っただけの話。
・全部が自分の努力!って言いたいわけではない。もちろんある程度環境に恵まれてると思うよ。
ただ背景も詳しく知らん人に、環境が良かったからだねと言われるのがうざいなーということね…
追記④
わわわ、昨日の夜から全く確認してなくて仕事終わって見てみたらめっちゃ反応きててビビった。
昨晩は否定的なコメントばかりだったのに、優しい言葉かけてくれてる人多くて嬉しいです。(ブコメでね!ここでのコメントは否定ばかりで草。まぁそんなもんよね)
仕事から逃げたくて落ち込んでいる時に過去の嫌なことを思い出して殴り書きしたので、一瞬でも優しくされて少し救われました。
会社員で中学生と高校生の子どもがいて反抗期が大変で学費もこれからかかるというのに、すごく大学院行きたい。キャリアアップとかはホントどうでも良くて、単に人文系の大学院に在籍して、大学図書館とか通って勉強したいんだ。ミーハーな動機なんだ。
仕事の業績とそれを発展させる研究計画を出せば体裁は整う気がしている(自分の仕事関係で本も出版してる。研究書とはとても言えないけども)。
50歳の平凡な知能の女が今から勉強をはじめてTOEFL80を取れるんだろうか…?
大学を出てから全く勉強してないので、最後に英語学習をしたのは前世紀ということになる。
就職にTOEICは必須!とか言われる前の世代で、仕事でも全く英語を使わなかった。
似たような経験ある方がいたら勉強の始め方や参考書などご助言ください。有給をフルに使ってお高めな塾に終日通うなどもありです。
※貯金を崩すことになるけど家のローン終わったし家計的には大丈夫そう。子どもが医学部行きたいとか言ったら破綻するが多分ない。
目黒の女児虐待死事件の記事を昼間に読んでしまったからかなぁ。
明日出社なのにこんな時間にこんなもの打ってていいのかな、サクサクいこう。
フェイク入れるよー
20代女
中高私立
ずっと精神科に通ってる
今はCMが流れるくらいには大手の企業で正社員として働いています
もちろん金のない家の虐待の方が何倍も地獄なんだろうけど、金のある家の虐待も地獄です。
幼い頃の記憶がほとんどなくて、色んなところが抜け落ちてるからもしかすると事実と違うところもあるかもね。(補正がかかってしまっているのかも)
あと中学高校の時も事情があって記憶がないから、あやふやかも。ごめん。
まず、父親が異常者。
子供が泣いてたら指を指して大笑いする人なんだよね。おかしいよね?普通は慰めるよね。
なんで殴るの?って聞いたら俺がイラついてるからって答えてくる。今でもそう。
会社では部下を虐めて休職や退職に追い込むのが趣味で、この間も女の部下に「ブスなのに仕事もできないのかよ」と言いまくって休職に追い込んで退職までさせたのを家族に自慢してきた。
あと、私が小さい時からずっと学生時代のいじめ自慢をしてきた。小学生の時に貧乏な同級生の掘っ建て小屋みたいな家を壊しに行って、その家のお母さんやお婆さんが泣きながら「やめてくれ」と頼んできたけど壊してやったぜ!みたいな話を笑いながらするような人。
幼少期の話
・これは後から聞いた話。父親が一歳半の私の足を持って振り回して、投げ飛ばした。頭を打った私はぱっくりいってしまって出血。救急車。頭を縫うことになった。今でも私の頭の上の方には縫った跡がある。
・これも後から聞いた話。父親が無理やり煙草を私に食べさせて緊急搬送、胃洗浄。父親は笑ってたらしい。
・これは記憶にある。家族でマクドナルドに行った時、何故か両親が4歳の私にトレーを持たせたんだよね。それで、階段で転んじゃって、トレーにあったハンバーガーとか飲み物とかポテトとか全部ぶちまけちゃった。やばい、思い出して泣いてしまってる。
三人分で重かったんだよ……
で、父親が激怒。マクドナルドの店内で殴る蹴るをされて、優しい店員さんが新しいのを全部用意してくれた。本当に嬉しかったけど、その時に父親が「こんなことをするお前はもう食事をするな」と言ってきて、食事禁止令が出た。
母親はこの時転職活動中だった。(出産で退職して、私を育てていた)だから、家にいた。
地獄だった。自分でも分かんないんだけどさ、子供って親から絶食って言われて従っちゃうんだよね。しんどかった。今でもトラウマで、絶食系の虐待のニュース見る度にフラッシュバックする。
給食がないからさ、本当に何も食べられない。母親が父親に「水は飲ませてもいいですか?」と聞いて、父親が「水ならいい」と答えてくれたから母親は私に水は飲ませてくれた。お腹タプタプになるまで飲んでもさー、お腹って空くんだよね。
一週間くらい何も食べさせて貰えなかったらなんかもう頭がおかしくなって、畳のい草食べた。美味しかった。めっちゃ美味しかったよ。
みたいなことがまあ多々あったんだけど、よく覚えてない。
大学に入ってから受けたカウンセリングで無理すんなって言われたから蓋をしたままにしておく。
毎日殴られてたし蹴られてたし、父親は不機嫌になると頭からビールをかけてくるからビールが大嫌いだった。今でも飲めない。
その後ビールで汚れたカーペットは幼い私が処理しなきゃいけなかった。
時期はぼかすけど弟が生まれた。
弟の方が酷い扱い受けてるんだけど、小3くらいから私は父親から性的虐待を受けているので、トントンかなーと思うよ。
書きたくもないから詳細は書かない。女児は抵抗できないからね。
今でも隙あらば私の胸や股間を触ろうとしてくる。スマホのカメラを向けて、ムービー撮影を開始すればやめてくれるから、スマホは手放せないけど今は何もされてないよ。
風呂に入ってたら風呂に乱入してくるから、父親が帰ってくる前に風呂に入らなくちゃいけないのがネック。夜遅くに帰ることになったら父親が寝るまで待つか、朝早く起きるしかない。
小学校に入って、家庭が異常なことに気づいた。気づいたきっかけは、父親に「愛人」がいた事。今でも愛人がいるよ。母親公認の愛人。家族全員愛人がどんな人でどんな名前なのか知ってる。だって愛人との話を家でしてるからね。
行政は助けてくれない。当たり前。だって世間体がいいもん。母親も転職っていうか、再就職か。大手企業に再就職してさ、外面は二人とも凄くいいから子供を虐待してるなんて思ってくれなかった。
金がある家はこれが出来ます。
家出も数回したけど、家出をすれば見つかったあと更に酷い目にあうから家出は選択肢から無くなった。
父親がやばい人なのは祖父母から縁を切られていることで何となく察した。高校進学の時に「金は出すから」と言われて、一人暮らしをすることになったらしい。武勇伝のように語っていたけど、父親は都内の出身だし、都内の高校に通っていた。一人暮らしをする理由はないから、多分捨てられたんだと思う。
今は関係修復してて(祖父母も孫は可愛いよね)、祖父母のことを知っているけど、めっちゃ金持ち。
遊びに行くと必ず5万円くれる。これが非常に助かった。(後で書く)
学歴社会に生きてきた両親なので「MARCHはゴミ」と言われて育った。
私はそんなこと思ってないし、ヤバすぎると思う。
小4の頃から中学受験の塾に入れられた。成績が良ければ褒められたし成績が悪ければ殴られて蹴られた。
凄い話をすると、成績が落ちた時に椅子に縛り付けられて、トイレはペットボトルでしなさいって言われたよ。机から移動するな、ずっと勉強しろって事だね。
そんなこともあってか(?)、無事に偏差値の高い第一志望へ合格出来た。
中高が地獄だった。
まず、私立の学校に入れば周りは金持ちばかりだ。私の家だって金持ちの部類だけど、子供の娯楽には金をかけない家だった。
携帯?持ってない。
旅行?行かない。行ったことない。旅行は父親が綺麗な愛人と行くもの。お土産も買ってくれない。
ゲーム機?買ってもらえるはずがない。
お小遣い?ない。
そんな感じで、周りとの格差に愕然とした。友達が出来てもさ、あー……ウチ、おかしいんだわ……とテンションが下がっていく。ブランド物バッグの話してる金持ちの同級生とかね、なんかもう、世界が違いますよ。
何度か、お小遣い欲しい。携帯欲しい。って言ってみたことがあるんだけど、「それなら女なんだから風俗で稼げ」って言われた。
毎日のように殴られたし蹴られた。
タオルで鞭打ちされるのが本当に痛くて、赤い痕が身体中にあった。
この時期に弟が発達障害であることが分かった。父親は激怒して「俺の遺伝子に障害の血は無い」と母親を怒鳴って殴って、何故か私も殴られた。
そんで、父親は弟を他県に連れて行って、置いてけぼりにした。
警察沙汰になったんだけど、外面が良いからあの手この手で言いくるめてすみませんでしたーで済ませてた。許せなかった。本当に今でも怒りで身体が震える。
弟がパトカーから出てきた時に真っ先に抱きしめた。まだ覚えてる。母親も泣いてた。
あの時、ミッキーの絵柄のネクタイの刑事さんだけが父親を怪しんで追及してたのを凄く覚えているし、最後まで納得してなくて「これからは気をつけてくださいね」と嫌味みたいな言い方でチクチクしてくれたのが気持ちよかった。ちょっと怖い見た目の刑事さんだったんだけど、ミッキーのネクタイだったし、優しい人なのかなーと思った。
(ちなみに私はディズニーなんて行かせてもらったことなかった)
後日、父親に「迷惑かけてすみませんでしたって謝りに行け」と言われたので何故か母親・私・弟で菓子折りを持って警察署に謝罪しに行った。
ほんとなんで?お前が行けよ。
もう、何もかもの記憶がない。気づいたら学校にいて、気づいたら家にいた。分からない。
それでも成績は維持してた。
親の金盗んでたのがバレて、父親に半殺しにされた。家に入るなってベランダで生活をすることを強要された。まあこれは私が悪いと思ってたので夜中もベランダで過ごした。
色々ぼかすけど、この辺で自殺未遂を起こして、母親が私がおかしくなってることにようやく気づいてくれた。この時に私を児童思春期の精神科に連れていってくれたことが良かったのか……悪かったのか。
なんか凄く謝られた。私の中の母親と言えば父親に従って、殴られて蹴られて、私に「○○ちゃん、辛いよぉ……」とヨシヨシを求める人だったから、まともだったんだーってびっくりした。
母親が仕事の形態を楽なものに変えた。年収1000万→800万くらいになったけど、その代わりほぼ定時退社。職場も異動願出して家に近いところにしてくれた。家庭を大切にするようにしてくれた。
私は弟の世話のために小学校を休めと言われ、まともに小学校に通えてなかった時期があるので(かなりこの事がトラウマなので書けなかった)凄い進歩だと思った。女性のキャリアが厳しい世の中で、母親は昇進を諦めた。
小学校に通えてなかった時期のことに触れてしまったので、書いておこうと思う。
一歳の弟の世話を私に任せて両親は仕事に行っていた。当然私は学校には行けない。
なんか、弟が、あれ……わかんないな、ごめん、覚えてないんだけど、変な風になったことがあって(ひきつけ?みたいな?分からない……吐いちゃったような気もする)、どうすればいいか分からなくて、でも親の携帯の電話番号なんて覚えてないし、泣きながら赤ちゃんの弟を抱えて近くの家のピンポンを押したことがある。
出てきたのはおじいさんとおばあさんで、事情を察したのか、なんか、色々と処置をしてくれた。助けてくれた。ちょっとトラウマの発作が出てきたからもう書くのを止める。
中学で私は完全にダメになってしまって、不登校になった。鬱で身体が動かなくて、寝たきりだった。
風呂も職島も排泄も介護なしでは出来なくなったんだけど、母親が全部やってくれた。
母親は今でもヒステリー持ちだけど、この時期からまともに会話ができるようになって、普通に良い関係が築けている。
周りとの格差には悩み続けた。金持ちの学校に通ってる貧乏人の気分を味わったよ。帰りに買い食いなんて出来ないし、学食なんて夢のまた夢。
悩んでたら母親がお小遣いをくれるようになったんだけど、それが月2000円だった。月2000円でもありがたかったけど、まあ足りないよね。
2000円は交通費になった。
これが本当に助かった。じいじ ばあば ありがとう。孫は貴方たちのことが本当に大好きです。
弟は私より酷い目にあってたけど、可哀想だから書かないでおく。まず、父親には発達障害持ちってことで人間扱いされてないです。
今でも。
これを書きながら父親が弟を罵倒する声が、リビングから聞こえてる。
高二になって、母親に携帯契約していい?って聞いたらいいよって言われたので母親名義で契約することに成功した。
やっと父親の性的虐待から逃げられて、一安心した。スマホをかざすと逃げるの、ウケる。そんなに証拠を撮られるのが怖いか!なら最初からやるな!クソボケ!
ずっとうつ病だけど、頭が良いことが助かった。父親より偏差値の高いところに進学することが出来た。
家にいたら風俗やって稼げと連呼されるので、バイトを詰めて家に寄り付かないようになった。
なんか疲れてきたから後は書かない。まだうつ病は治ってないし、ぶっちゃけ虐待事件のニュース見る度に発作が起きて頓服飲んでる。
学費を出してくれただけ、マシなんだろうなーと思いながら生きてる。
実家は色々あって出れてない。出たいんだけどねー、私が出たら母親見捨てることになるからね。あんまり非情になれない。色々意見あるだろうけど、母親が「私を置いていかないで」と泣きながら頼んできたことあるし、まあいいかな。
……働き始めてから月8万円を入れることを強要されてて、辛い。
初任給の手取り23↑だけど、8入れるの辛かったよ。地方の中小と変わらんやん!ってなった。
今度交渉したい。
学費を出してやっただろうが!といわれたことがあるんたけど、それなら奨学金借りたかったよ。奨学金の方がうんとマシ。
ちなみに父親はもうすぐ取締役のポストが見えているらしい。第二のビッグモーターになるのかな。
記事へ反応で前にも見たことあるって言われてるから一応違いますーってことで書いとくと、はてな匿名ダイアリー書き方知らなくて改行?空白行の挿入?が出来ないから「 」(空白)を入れて改行してる!
選択とかしてみたら分かるかも。
その人は私と同じように「 」改行の使い手?
はてなブログ初めて書くから、誰かスマホからの改行の仕方教えて欲しいです。(検索をするほどの余裕はないし、もう遅いから寝る)
体調悪くて暇つぶしにはてな匿名ダイアリーの人気エントリ?みたいなのを漁ってたら目黒の虐待事件のやつを読んでしまって、その後色んな虐待記事を読みまくったらみんな金のある家に云々みたいなのを見たから書こうかなと思ったのが発端。
【追記】
こんなもん自慢するに決まってんだろ。
反応見ても称賛7割、お追従2割って感じだしマジで笑い止まらんわ。
人は肩書きとスクールカーストに弱いのね。このパワーアップした肩書を存分に利用して生きていきますわ。
自分の例だけど、
「資格は一つもないっす!でも元気っす!マジうるさいっすけどキャラなんで勘弁してください!w」
1年生のときに遊ぶためだけに通って半年間で辞めた芸人養成所のエピソードを1から50に盛って話し、
結局、10社くらい面接受けたところで内定した売上数千億の専門商社に入った。
外回りは既存取引先のメーカーを回り続けて世間話するのみで、定期的に案件もらって、会社戻ったら事務仕事ぶん投げて、
先輩と仕事と関係ない話を面白おかしく駄弁りながら夜8時くらいになったら退勤して、
そのまま先輩や上司や同期と飲みいったり、大学時代の仲間と合コンしたりそんなことばっかりしてた。
そろそろ転居を伴う転勤があってもおかしくないって年齢になった頃、付き合ってた彼女から
「絶対に東京通勤圏から動きたくないし、遠距離するつもりもないからそうなったら別れる」
と突き放されて仕方なく、「経理採用で東京本社の大手でもいくか」と適当に簿記の勉強始めて1年半後に2級取って、
あとで知ったけど、経理未経験×簿記2級でこういう転職活動するのはあまりに世間知らずで無謀だったらしい。
でも面接でペラペラ適当に喋って押しまくったら普通に受かった。
なんだこれ。
俺なんも身についてないぞ。
高校3年生の頃の自分に全く同じワークを課しても今の自分と同じくらいに働くはずだぞ。
少なくとも、貰っている年収相応のスキルなんぞ俺には間違いなくないし、年収相応の成果だって会社に与えていない。
仕事を辛いと思ったことないし、仕事について深刻に悩んだことない。
社会人になってからもサークル活動の延長線程度に面白おかしく適当に生きていけるよう、キャラをアピールしたり、先輩や上司と仲良くなったりして、要するに依怙贔屓してもらってるの。
帰社してからの仕事は、3年目になったくらいからは、超真面目で賢い後輩に9割くらい肩代わりしてもらってる。
基幹システムの使い方なんぞ実は知らんし、やや複雑な案件になるとスキームも決裁ルートも全く理解できてないし、
ていうか新卒からずーっとやってきていた基本的な仕事ですら、この書類がなんのために必要なのかとか、その仕事の大枠の流れはどういう感じなのかとか、悪いけど15%くらいしか理解できてないし知らない。
それでも、年齢考えたら日本人のサラリーマンの上位5%くらいの給料を転職後は貰える。
周りの人間と仲良くできる、図々しい、芸人ノリってだけでこの身分が手に入った。
特に『高専→大学3年次編入→大学院進学→メーカー入社』みたいな、
早いうちに将来設計して、目的や夢から逆算して何を学ぶか決めて進路選択して、しかも人生の大半の時間を勉強かスキルアップに費やしてきたような人からしたら、マジで文系学部卒の人生って意味不明なんだろうな。
ましてや、俺みたいにクソ適当に生きてきたくせにもっと上のステージに君臨してる人間とか怪奇現象なんだろうな。
他ならぬ俺も自分自身の人生を省みて日本ちょっとおかしくねえか?とは結構本気で思ってる。
もしかして身長って現代上流階級の世界行くうえで超大事だったりする?
自分は188cmあるからもしかしたらこの要素デカかったのか?と結構本気で考えたりしてる。
【追記】
しっかりしてて1年目で窓際50代のおっさんを即効で超えちゃうような後輩には結構恨まれてました。
本当に全部仕事ぶん投げていたので。
出身大学は最近スキャンダルになって一時これ以上ないのではというほど評判が落ちたあそこです。(【追記】早慶って決めつけてる人まあまあいて俺の過大評価され力すげえなと思った。ニッコマです)
彼らの中で1番良い進路は例年東大現役合格が3~4人程度の県立高校だった(ちなみに自分もひっそりとここに進んだ)。
高校進学まもなく、
「東大行きたい」と公言してる人は体感値で3割くらいいた記憶がある。
自分はというと、
「共通テストで9割取って、さらに二次試験で英語国語地歴×2数学1A2Bを課される頭おかしいとこ目指すわけないだろ」
結局、高校3年の夏頃にもなると東大目指す同級生は激減しており、
秋に開催される最後の駿台東大実戦はうちの高校からはたったの20人しか受験していなかった。
だいたいが早稲田(ほぼ教育社学文構たまに商や政経)か横浜国大か、あとなぜか明治に進学していた。
私は早稲田は全滅、慶応は経済商落ちて文と法に受かり、バンザイして法へ進学した。
スポーツの世界で何年に一度か現れる"勉強もめちゃくちゃ出来るプロ注目選手"が、記者に乗せられてしまったのか「東大受験」を公言することがあるのだが、
やはり彼らは東大にほぼ受からず私学に進学する(なぜか早慶落ちての立教が多い)。
中卒になる者も反社になる者もぜーんぶひっくるめた同世代のバスケットのなかで、「バケモノみたいに頭がいい」と評される者たちでも、
そんな彼らの中の上澄みでも結局は上の下程度の学力でしかない、
という現実を間近で目撃した私が疑問に思うのは……
どうやったらそうなるの?
生えてくるの?
聞くところによると学年の東大現役合格率で30%以上叩き出す高校(我の代の母校は1%未満か……)なんかだと、生徒同士でこんな感じの価値観が共有されてるらしい。
身の回りにいそうだけど1人もおらず想像すらつかない人種なので、彼らの生態も謎だし、後天的に育成可能かどうかも分からないし、受験までに何をやって生きてきたのか気になる。
みたいなイメージが地元で強いらしく何気に人気の伝統校だったけど。
入学1ヶ月くらいは12歳の子供らしく席が近い同級生同士がちょい他人行儀に会話したり、とりあえず一緒に帰ったりして緩く仲良くなり始めるんだけど、1ヶ月経ったくらいから明白なマウント合戦が始まる。
いとうせいこうみたいな髪型で強度近視用のメガネ掛けてる「いかにもお坊ちゃん育ちです」って見た目の連中(ていうか半分くらいそんな外見だった。入学初日にクラスのメガネ率弾き出したら8割超えてて仰天した記憶がある)でも、
歳の割に体格良かったり元々の気性荒かったりする奴なら弱そうな同級生に突然馬乗りになって鼻血出るまでボコボコにしたり、
「顔が暗いから笑」で前の席の奴の後ろ髪をライターで炙ったりしてた。
そんな様子を傍から見てて
「こいつらなんて恐ろしい奴なんだ……目つけられたら殺される」
と俺は震え上がってたけど、冷静に考えるとそいつらも皆お勉強頑張ってきたお金持ちの家のお坊ちゃんなんだよな。
粗暴とかけ離れたタイプにしか見えない中学1年のメガネくんが、
血だの火傷だの失明リスクだのにひるまず大笑いで同級生たちを痛めつけてるのは結構異様な光景だったと思う。
あと、家が寿司屋の同級生が裏でめちゃくちゃ笑いものにされてて衝撃を受けたのも思い出した。
下の毛が生えるかどうかの歳で職業の貴賎的な概念をすでに周りは普通に備え持ってたようで、年齢相応に幼かった俺はひたすら
「人の親のことバカにするのは思いっきりタブーだろ。ていうか寿司屋で何で笑ってんの?」
と混乱してた。
一部の人間が大人になって身につける類の嫌な差別心をそんな歳でどうやって身につけてたのか未だに分からない。
野球部が圧倒的に偉かった。
野球部がカーストトップで周りがビビって何も言えないみたいな風潮は多くの学校であるあるなんだろうけど、うちの野球部員はとにかく暴れまくってた。
休み時間、虫の居所が悪ければ金属バットで教室のロッカーベッコベコにするし、鉄アレイとか周りの人間の机を砲丸投げみたいにぶん投げまくって大暴れするし。
パフォーマンス感は全然なくて、本当に突然癇癪起こして気が狂ったみたいに暴れ出してたからみんな震え上がって嵐が過ぎるのをひたすら待ってた。
でもそんな彼らがタバコだけは絶対に吸おうとしてなかったのは今でも不思議でならない。
かくいう学生同士のカーストが下位の自分もどういうわけか大学途中くらいから
と、悪い思い出をなかったことにして気づけば母校愛が強いOBの1人にすっかりなってたけど、
最近になって、なかったことにしてた思い出が急に色々脳裏に蘇ってきてモヤモヤしてたのでここに吐き出した。
あいつら何不自由のない裕福な家に生まれ育って、同世代平均を上回る知能があって……
要するに恵まれてたくせに、なんであんな小さい時分から粗暴だったり差別的だったりしたんだろ。
父子2代どころか祖父、父、子3代でOBみたいな家も珍しくない学校だったけど、俺は自分の子供は絶対に入れたくない。
以前ネットで慶応大学野球部の就職先が凄いみたいなのが話題になってて見たけど、うちの学校の同級生連中のほうが良かった。
中高一貫のくせに「現役で早慶受かったら凄え」程度のレベルでしかない学校だったのにもかかわらず、明白にウチのほうが良かった。
1億積まれても入れたくない。
まあ何か知らないけど勉強に対する意識がめっちゃ低い学区で、中学受験するのが同学年1◯◯人いて5人しかおらんっていう中々謎な所だったんですけどね。
勉強ママがゲーム禁止してる人の家も何故か中学受験はしてなかった。
そんでまあその中で中学受験で受かったの俺ともう一人だけで、俺のほうがいい学校に行ったんですよ。
つまり、中学受験の成績だけで言うなら俺が一番勉強できたんです。
でもそのあと怠けてたんですよね。
中学受験の時も結構ゲームやりまくってて塾の宿題もサボってたのに第一志望補欠合格できて「あー意外と人生って何とかなるな」って。
んで中高六年間は漫画家になるとか言いながら絵の練習したり、ネットにひたすら籠もって承認欲求満たすためにネトゲやりまくったりしてたんですよ。
高校の時に小学校時代の知り合いが入ってきたんですけど、高校受験組と自分の成績がもう全然違うんですよね。
あの頃、「◯◯マジ天才やわ」と言ってた子が俺の倍ぐらいテストで点数取ってるんですよ。
そうなんですよ俺はもう高校の頃には学校のテストで半分も取れなくなってた。
んでまあ大学受験で逆転するんやみたいに息巻きつつも「ネットゲームやめられないんだけどwwww」してたらしょーもない大学に入っちゃったんですよ。
滑り止めで受けはしたけど行く気全然なくてオープンキャンパスも行ってないの。
でも親が「浪人とかさせたらもっとサボるやろがい」って言うからそこに入学した。
んでまあその学校の中でも「この学校なんか来てもしゃーないよな」とかイキってたんですけど、気づいたらそこでもドンドン落ちこぼれていくんですよ。
息も絶え絶えで4年間で何とか卒業はしたけど、あまりに単位とレポートが溜まりすぎて就活してる余裕なし。
まあネトゲ辞めれば出来たんでしょうけど、辞めれなかったんだな。
そんで就活浪人になったんだけど、対してやってもないで就活終わらせたから「ぶっちゃけ面接なんて適当じゃん?」ってノリにもなれず「俺はもう駄目なんだ」って就活恐怖症になった。
でもニートしてたら怒られるから公務員受験することにしたんですよ。
公務員試験の内容ってぶっちゃけ中学入試にソックリだから、俺的にはかなり楽に感じたんだよね。
んでまあ実際面接以外はなんとかなった。
面接はカスみたいな状態だったんだけど、ここでも補欠合格発動して「やっぱ人生ってチョロくね?」と。
そのあとがまあ……思い知らされたわ。
優秀な人、ちゃんと就活の研究してる人が逃げ出したのは正解でしたって世界が待ってた。
マジでさ、今どき公務員なんてなる時点でソイツは「僕はお受験しか出来まちぇん」と言ってるようなもんなんだな。
それもかなりレベルが低い奴。
つうか大学受験で早慶行けるような奴なら大学4年のときに気まぐれで受けてもそのまま受かるだろうな。
何が大変ってひたすら時間がかかることぐらい。
今どきハンコ使ってるんだよハンコ。
それも10個ぐらい集めなきゃいけないのに全部口頭で説明して自分の手足で持ち運んでるの。
アホやろ。
こんな仕事してるなんて小学校の頃の知り合いに知られたくないわ。
だって俺はあの頃「1◯◯人の中で一番勉強が出来る男」だったんだぜ?
そのイメージのままで居たいわ。
「頭が良すぎておかしくなってマッドサイエンティストとして学会を追放された」みたいな末路を勝手に想像してて欲しい。
結局日本国民の中央値と同じ年収もらいながら、日本でトップクラスにつまらない仕事をしていますなんてバレたくないよ。
どうすりゃ良かったんだろうな。
2009年卒の就活は氷河期どころか思いっきりバブルだったぞ。07年卒、08年卒はもっとザルだった。
ちなみにこの時期は、マーチ内ですら
「みずほ銀行とりそな銀行は無対策で応募してもかなりの高確率で内々定までいっちゃうから行く気ないなら受けないほうがいい」
みたいに囁かれてた。学内で親しい先輩のうち、この年度にみずほ銀行を受けた人は5人いたけど5人全員内定してた。
早慶なんかだと
というのが常識だったようだ。今の時代の就活生や20世紀の就活を知っている人からしたら衝撃的だろう。
リーマンショック由来の就職氷河期が始まったのは2010年卒の人間の就活から。
この就職氷河期は、不景気突入の嚆矢となる象徴的事件(リーマン破綻)から新卒採用抑制の時間差が全然ない珍しいものだった。本当に突然バブルから氷河期に突入したのだ。
秋頃にメガバンクの採用予定計画が発表されてどこも軒並み半減してて「あーこれはヤバいわ」とNHKのニュースを見ながら血の気が引いたのを覚えている。結果、やはり前年までの就活が嘘のような超買い手市場と相成った。圧迫面接が大流行した。
「マスコミとかパイロットとかじゃない限り大手企業の最終面接は儀式だから落ちない」
という新卒就活の常識が全く通用しなくなったのもこの年度からで、大企業の最終面接落ちも大流行した(増田の友達は東大法学部でしかもコミュ強で容姿も別に悪くなかったのだが、のべ7社の大企業で最終面接まで進んだのにも関わらず全て落とされ無い内定のまま就職留年した)。
そして、このリーマンショック起因の就職氷河期は11年卒、12年卒と年度を重ねるごとに地獄絵図になっていった。
さすがに13年卒の親しい人間は自分にはいなかったので、この年度以降の就活戦線がどういうふうになっていたのかは全くわからない。
誰か教えてほしい。
とりあえず2009年卒はバブル、2010年卒から突然氷河期突入っていうのは強く言っておきたい。
【追記】
メガバンク内定が学友から「うん、まあ良かったね……」程度の反応されるような微妙な位置づけだったのには理由がある。
当時の就活生は「大手でしかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、
したがって、「大手・低倍率・給料と福利厚生以外が非ホワイト」なメガバンク内定は大して凄いと思われなかった。
この価値観がよく表れていたのは2ch就職板の『就職偏差値ランキング』なる有志が独断と偏見で作成したもので、
記憶が確かならそこではメガバンクよりも食品メーカーとか素材メーカーとかのほうが上に据えられていた。
実際、三菱東京UFJを蹴ってサッポロビール、三井住友銀行を蹴って中央発條に入社を決めた人間が友達にいた(生涯賃金で5000万円以上差があると思うのだがそれでも激務は何より恐れられていた。ドラマ半沢直樹が放送されるずっと以前だったが、もうメガバンクが健康に人間らしく働くにはあまりに苛烈でエグい職場環境であることはネットのせいでバレバレだった)。
ちなみに日興コーディアル証券なんか日大や専修あたりの大学からでも内定バンバン出てた。
このように大手金融の採用は(基本的に)ザルだったのだがこれにも例外があって、
東京海上と日本生命(営業幹部採用じゃないほう)の総合職はマーチ男子程度だとほぼノーチャンスだった。
いずれも体育会系有利と言われる会社ではあるが、マーチに関しては体育会系とかどうとかもはや関係なく、各大学0~3人程度の内定にとどまった。
身分違いだったのだろうか。
さて、
当時の就活生は「大手でしかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、
「無い内定にならないため、万一入社しても高給が保証されているから、戦略として仕方なく受ける企業」
でしかなく、基本的に不人気だったのだが、これにも例外があった。
みずほ証券については「ホールセールばかりでリテール全然やらなくていいから」、
信託銀行については「メガバンクと違い、残業全くしないで30歳1000万円まで一律昇給できる地上の楽園だから」
という大間違いでしかないイメージが当時の就活生のあいだで広まりに広まっており、
学歴とコミュ力とルックスとスクールカーストに自信のある就活生が猫も杓子も信託銀行を希望するという謎のブームが生まれていた。
ノー残業・ノーパワハラ・ノー怒声なんていかにも嘘くさいっていうか100%ありえないと確信していたし、
完全に諦められた窓際社員でも自動的に到達できる年収は30歳700~800万円・40歳1000~1100万円くらいがせいぜいなのではという見立てだったからだ。
書いてる途中に思い出したけど、当時は楽天もソフトバンクも本体内定者の学歴ボリュームゾーンは日大って感じの会社だった。
大事なのは大学名、その場でいかに「論理的に落ち着いて会話できるか」、本人の雰囲気であり、超人エピソードを作りに動く就活生は嗤われていた。
バイトかサークルのどれか一つやっていれば充分であり、インターンに応募しようとするやつはそれがたとえ1dayであっても周りから「凄まじく就活に気合を入れている」という見方をされていた。
これはつまり、あっと驚くような体験や活動のおかげで就活結果が大きく変わることがないというシビアな現実を意味しており(テレビ局とかの採用は違うんだろうけど)、
裏を返せば課外活動をせずともコンビニバイトでも適当にやって面接の場をどうにか凌げば大手から内定が出るような時代だった。
筆者には法政大学に通う仲の良い友だちがいたのだが、
彼は今で言うチー牛で(当時は非リアといった)、サークルには所属せずボランティアなどの課外活動のエピソードもなく、
週3のコンビニバイトと1日2度のオナニーをするのみであったが某中堅損保に内定した。
ちなみに体育会野球部であろうが同大学の一般学生と比較してさして就活で有利にならない時代でもあった。
チー牛友人は内定者懇親会に参加したとき、同じ大学の野球部の有名選手がいたことに
と大変なショックを受けたと言っていた。
実際、筆者は野球が好きなので六大学や東都大学の4年制進路を毎年チェックしていたが野球部ブーストが全然効いてなくて毎年苦笑したものだ。
東大や早慶でも一般学生と期待値は大して変わらず、マーチや日東駒専にいたっては一般学生より下手すりゃちょい悪いのではというほどだった。
マーチ野球部から全国紙とかサントリーとかADKとかにいけるのは直系附属出身者や県立トップ校から一般入部してきた選手とかで、野球名門校出身者は主力選手であろうとも野球継続しないのなら大手百貨店が関の山だった。◯◯自動車”販売”とかもお馴染みの進路だった。
そして日東駒専大東亜帝国あたりの野球部の進路はこんなもんじゃなかった。
当時の就活も嘘つき合戦ではあったが、今の就活はインターン当たり前、エピソード作るために大胆に動くの当たり前だと聞いて本当に大変だと思う。
・同じような家庭、階層出身の女の子と学生時代に付き合って結婚
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来世の人生を想像してたらもう現世生きられなくなっちゃった。1番辛いのはこんな人生を送ってる奴が都内や高級住宅街にはマジで相当数いることなんだよな。〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇みんな怒る?
・父親は身長は175以上、母親は165以上 ・両親ともに国立or早慶or医学部 ・中学受験することは息をするくらい当然の地域で育つ ・幼児教室でスポーツ、ピアノ教室でピアノ、塾で中学受験 ・学校、幼児教室、ピアノ教室、塾でできる友達全てが上流階級 ・私立中高一貫校から東京大学か国立医学部に進学 ・同じような家庭、階層出身の女の子と学生時代に付き合って結婚 ・人生で金銭的に一度も不自由することなく、やりがいのある仕事をして充実した毎日 ・自然妊娠で生まれた子供たちは健康で明るく優秀で自分と同じかそれ以上に充実した人生を送り、可愛い孫たちを見せてくれる ・老衰で眠るように永眠 来世の人生を想像してたらもう現世生きられなくなっちゃった。1番辛いのはこんな人生を送ってる奴が都内や高級住宅街にはマジで相当数いることなんだよな。〇〇エクスプレス止めたらみんな怒る?