はてなキーワード: 九分九厘とは
ローションガーゼオナニーというものをご存知だろうか。これを読んでいるあなたが知らなくても別に恥ではない。かくいう自分も友人の話からローションガーゼオナニーという自慰方法があることを知った。むしろ知っていた方が恥かもしれない。ともかく、この文章はそのローションガーゼオナニーを実際に体験してみた様子を記したものである。
まず、この体験記は友人との通話中ローションガーゼオナニーという自慰方法を試してほしいと依頼されたことに端を発する。
俺の最初の反応はまず「なにそれ?」だった。自慰の方法としては男性器を握って上下に擦る、いわば普通のオナニーと呼ばれるものしか知らなかった。床に男性器を擦り付けて行う方法なども知っていたが、九分九厘行うのは通常のものだ。
しかしローションガーゼオナニーとは、それとはまったく異なっていた。
まず三十センチほどの横長のガーゼにローションを染み込ませる。それからそのローションまみれのガーゼを両手で持ち、勃起させた男性器の亀頭に擦り付けるらしい。そのまま両手を左右に動かすと、亀頭が刺激され普段のオナニーでは得られない快感を味わえる、とのことだった。
ともかくローションガーゼオナニーを試してみたいとは思った。通常のオナニーなど10年単位で行っている。さすがに飽きが来ているのも確かだ。たまには新しい刺激が欲しい。やってみるのも悪くない。そう思って、その次の日にはローションガーゼオナニーに必要なものを調達しに行った。
冬風吹き荒ぶ1月の夜、仕事を終えると俺は大阪梅田の歓楽街へと向かった。
コロナ影響か、もしくは単純に寒いせいか街に人通りは少ない。そして駅から10分以上離れたところにある信長書店に入った。信長書店とは関西では有名なアダルトグッズ、DVDを取り扱う店だ。こちらも何気に入るのは初めてだ。自分で言うのもなんだがこう言う事柄に関しては、自分は初心だ。はじめてメロンブックスのR-18コーナーに入った時のような緊張感に襲われる。キョロキョロしながら店内を見ると、双頭ディルドにTENGA、穴あきランジェリー、エネマグラなどが所狭しと並んでいる。人類はこんなにエロに興味があったのかと驚くばかりだ。
そんな中、退魔忍アサギとコラボしたオナホールを発見して、少し安心した。他人しかいない群衆でようやく知り合いを見つけた時にような安心感だ。
そんな気分で店内を散策する。もとの目的も忘れ、アダルトグッズの散策に夢中になっていると、目の前に他の客を発見した。
いたのは男女二人の客だった。ああ、このあとこいつらは買ったグッズを使ってセックスするんだろうな……と思うと急に気分が萎えてきた。それからすぐにローションのコーナーに向かうと、適当にローションを見繕って会計を済ませた。それから俺はまもなく店を出た。
ローションは手に入れた。次はガーゼだ。ガーゼなど適当な薬局にいけば売っているだろう。駅への帰り道の途中で買えば良い。そう思っていたが考えが甘かった。
政府の休業要請により、梅田の店はどこも20時には閉まるようになっていた。すでに時間は20時に近い。駅までの地下街を歩いてみるが、どこもシャッターが閉まり始めている。
しばらく歩き回って、ようやく一軒まだ営業しているコクミンドラッグを発見した。
しかし地下街の空いたスペースで営業している店舗のため、品揃えは期待できない。店内を一通り見て回るがガーゼは見当たらない。変な勘が当たったようだ。だがせっかく薬局まで来たのにこのまま買わずに変えるのもなんだ。俺は店員さんに「ガーゼありませんか?」と直接聞いてみた。
「それなら真後ろにあるよ」
店員のおばちゃんが指さした先にガーゼはあった。灯台下暗し、レジのすぐ近くの棚にガーゼは並んでいた。
俺は親切な店員のおばちゃんにありがとうと告げ、ガーゼを買った。
けれど口が裂けてもオナニーのために使うとは言えない。せっかくの親切心に白濁液をかけたような気分になったが、ともかくこれで準備は整った。
そのまま駅に行くと、まるで俺はローションガーゼオナニーになんて一ミリも興味ありませんよ? という顔で電車に乗って帰った。
さて、ようやくここからローションガーゼオナニーの体験パートに移るわけだが、準備物は他にもいる。いわゆるオカズが必要なのだ。通常であればエロ漫画、スマホの動画、画像などを使ってオナニーができる。
しかし今回はローションガーゼオナニーである。両手を、ガーゼを持つ手で塞がれるため、スマホをスワイプすることもエロ漫画をめくることもできない。
そこで俺が選んだのはエロASMRであった。音声のみであれば操作に両手を使用しないし、音声作品はワンプレイに30分ほどかかるのもざらだ。
ゆっくり丁寧にローションガーゼオナニーを行うのであればちょうど良いだろう。
俺はDLsiteのページを開き、テグラユウキの『ダメダメOLお姉ちゃんと酔っ払い甘々えっち』を再生した。再生時間は33分35秒と大ボリュームだ。しかもテグラユウキ作品はどれも高クオリティでハズレはない。これならば問題ないだろう。そういえばこういうときワイヤレスイヤフォンは便利だ。それに外音遮断機能を使えば音声に集中できる、そうAirpods proならね。
それからベッドの上で用意を続ける。
ベッドの横にもう使わないであろうマグカップを用意すると、そこにローションを入れた。それからガーゼを取り出してマグカップの中に浸す。ネバネバしてひんやりした感覚が指先に伝わる。これだけでなんとなくやらしい気分になってきた。
上半身はインナーのみになり、下半身はパンツをずり下げ、男性器を外に出す。
すでにASMRを再生し始めていたため、まだローションに触れていないというのに我慢汁が少し先から溢れて、濡れ始めている。
ベッドで上半身だけ起き上がったまま、だんだんとモードに入っていく。
直接はまだ触れていないため、男性器はまだ完全には勃っていない。
はじめてのローションガーゼオナニーに緊張感と少しの興奮がおしよせてくる。
エロASMRがなかなか本番にいかないからだ。テグラユウキ作品は前戯からの本番までを丁寧に描くことで有名だ。すでに再生から10分ほど経っているというのにまだキスだけで本番にいかない。勃っている姿のまま両手にガーゼを持って待機する。なんと恥ずかしい姿なのだろう。
音声の内容など気にせず、男性器を擦り始めればいいのだろうけど、世界観没入派の俺はじっくりと本番が始まるまで待った。
それからしばらくして本番が始まった。
両手を揺らして亀頭を刺激する。
こすこすこす……
すると、どうだろう。今まで感じたことなのない刺激が亀頭を襲った。
半分気持ちいいような、半分くすぐったいような、おかしな感覚だ。
通常のオナニーであれば何回か擦ればすぐに男性器は硬くなって最大の大きさになる。
しかしローションガーゼオナニーは快感に包まれているというのに、男性器が完全に勃起しないのだ。
こすこすこす……
しかし妙だ。
確かに亀頭が刺激されて気持ちいい。しかし刺激されているというのに、その快感の延長線上にイくという未来が見えないのだ。
通常のオナニーは男性器を擦れば擦るほど、ゲージが溜まっていって、そのゲージが満タンになると射精するようなイメージだ。
擦るスピードを落としたり、速くしたりして射精のタイミングを調節する。だからいってしまえば擦るスピードを調節すれば射精などものの数十秒で行うことも可能だ。もちろんそれでは気持ちよくないから時間やイくタイミングを調節するわけだが。
しかしローションガーゼオナニーはいくら擦ってもそのゲージが溜まっていかないのだ。
ただ快感が押し寄せてくるだけでイけない。
こすこすこす……
「……ふ、あ……んあああ……ふぁ……」
代わりに溢れ出てくるのは情けない声だけだ。
通常のオナニーで声など出さない。ただ擦って快感に身をまかすだけだ。
しかしどうにもこのローションガーゼオナニーというのは声を出さざるを得ない。
ローションガーゼオナニーが市民権を得ていない理由が分かった。
こんなに声が出てしまっては、こっそり家族に隠れてシコるなど無理だ。
しかもなかなかイくこともできない。こんなに恥ずかしいだけの行為がはやるわけがない。
そう考えながら、体をのけぞらせる。快感が体中を駆け巡っているためだ。
こすこすこす……
「ん……ああああああああ……ん、あ……」
外音遮断機能を使っているのに、自ら出した声に音がかき消されるのだ。
逆にASMRとは遮断されて、ただ男性器をしごいている情けない自分と向き合わざるを得なくなる。
こんな、こんな、恥ずかしいことがあるだろうか。
ASMRの世界に没頭していたというのにそこから首根っこを掴まれて、ローションガーゼオナニーの羞恥世界に連れ出されるのだ。
男性器は血液が集まってきて赤くなってきているが、いまだに完全には勃った状態ではない。だというのに声が止まらないのだ。
「もうそろそろイくよ」
こっちはまったくイケる気配はないというのに。
しかし声を出しているせいか、俺は肩で息をし始める。普段のオナニーで息を切らすことなどない。しかし今はそうならざるを得ないのだ。
それに背を大きくのけぞらせる。生殺しのままで快感を発散させる方法がこれしかいないのだ。
こすこすこす……
「ん……く、ううううううう……ん、あ……」
「イく、イくよ」
音声は俺に発破をかけるがいくら擦るスピードをあげてもイける気配はない。
ただ漏れる声の音量が上がるだけだ。
「ん……く、はぁはぁ、うう……ん、あ……」
「イく、イくぅぅぅぅうぅぅぅぅ」
音声は俺に構わず達し始めた。
たまらなくなり、亀頭を擦っていたガーゼを男根に巻きつけて上下に擦り始めた。
もう限界だ。
それからはこみあげるように頂点へとフルスピードへ向かっていく。
通常のやり方に切り替えれば、とっくに達する準備は整っていた。
まるで天使に後押しされてるような気分だ。
もうすぐだ。
もうすぐ狂い咲ける。
「く、う、あああぁぁぁぁっ!!!」
イった。
それはまるでパンパンに膨らましていた風船の膨らませ口から手を離すような感覚であった。
しかしその一方で俺はおおきく肩で息をしていた。
まるで100メートルを走った後のように、疲れ切っていた。
ビリビリと痺れるような感覚の男性器から手を離すと、俺はベッドに上半身を倒した。
ローションガーゼオナニーはイった後にさらに男性器を刺激し続けるとさらなる快感を得られるらしいが、どうもそんな気分にはなれない。
イった後の男性器は敏感であるし、イったあと特有のオーバーヒートモードに身を包まれ、性欲が体から失せていく。
俺はそのままベッドに倒れたまま、精子とローションが混ざってドロドロになったガーゼを見ながら、息が再び整うのを待つ。
ローションガーゼオナニー、まあ、また試してみるのも悪くないかもしれない。
ただ、自分のイく姿を克明に書くのは二度とごめんだと思った。
菅は、まず自粛をうながすのなら、相応の補償をするべきだろう。協力しろと言う割に国民のヘルプは聞かないというのは協力しようにもできない。
収入減らして先を見えなくしてどうするのかと。
これは麻生のおっさんたちにも言いたい。貯蓄してる余裕ねえんだよ。てめーの財布で物事考えんなや。
次に、元旦にゲリラ販売するバカ店舗。コロナがそこで発生してみろ。お前ら責任とれんのかよ。売るにしたって頭を使え。バカみたいに砂糖置いてアリみたいに集るバカな客集めしてんじゃないよ。
次、自分は大丈夫だと盲信して実家にコロナを振り撒く阿呆なガキども。お前の大丈夫は九割九分九厘駄目だけど一厘は大丈夫だからって言ってるようなもんだ。
去年
https://anond.hatelabo.jp/20200101232410
を書いた増田です。
去年は散々な一年でしたね。
私も、去年は個人的にも色々と散々な年だったんですが、そんな中でも「年始には半分釣りでタイトルつけたけど、ほんとに人生変わったかも」と思うところがありました。
まぁ正確には、変わってきたかも、、、?ですが。
以下つらつらと書いていますが、まとめると
「100分で名著とは別のジャンルで、去年実感した「知識がつながって読めるようになる」が再現できた」
それでいて、
それによって、去年一年で少し世界が広がったと思いますし、それでいつつ、本業で必要な知識の深化も出来たと思っています。
これが何故出来たかと言うと、一昨年本業と関係ない本を100冊読むという行為をしたメタ効果じゃないかな、と思うわけです。
以下詳細。
いきなり自分語りスイマセン。
去年もちらっと書きましたが、私は趣味の一つとして持久系スポーツをやっています。
レベルとしては社会人アマチュアでは上位1-2%くらいには入っていましたので、まぁまぁ本気の趣味です。でした。
が、一昨年(2019)の末に足をボキッとやりまして、都合4ヶ月ぐらい走れませんでした。
長い時間をかけて鍛えてきたものが為す術なく失われるのを見ているだけという喪失感は中々きつくて、だいぶメンタルやられました。
の上、御存知の通りコロナで夏以降の大会も全て中止、日常復帰後の練習モチベーションも上がらず正直一年で別人レベルまで体力落ちたと思います。
健全な肉体に健全な魂が宿る、あれは「だったらいいな」という話らしいですが、少なくとも肉体が「健全でなくなるカーブ」を描いているときには魂も降下カーブを描きますね。
振り返るとマジで生活全般にやる気の出ずやっとメンタルが上向いてきたのが晩秋ごろ、という一年でしたが、唯一分量を維持ないし増加させられた生産的アクションが読書でした。
結構これに精神的に救われていた部分もあると思います(クソみたいな1日だったが一応本は読めた。。。と言う感じ)。
春頃はもう死にたいとか思った瞬間もあった気がしますが、今は寝たきりになっても少なくとも本は読めるな、という心持ちでいます。
気持ちがどんだけ落ち込んでいても、ベッドの中でできる生産的活動がある安心感があるという感じです。
100分で名著解説本で掴んだペースを維持したかったのもあり、読書の方向性を広げる方向として去年はNHK出版のテキストを中心に選びました。
本の物理的サイズ、厚さ、章毎の分量等々が似ていたからです。(これは今まで読んでいた場所、時間、等々がそのまま続けられるということです。)
あと、NHKが好む文化人というのは大体決まっているので、百分で名著シリーズで知っている人が著者だったりして安心感あります。
結果読んだ数(下記しますが、28冊)が物語っていますが、良かったです。
NHKは番組内容とか受信料であれやこれや言われることもありますが、教育系のコンテンツは極めて良質だと思います。
前置きが長くなりましたが、特に読んでよかったのが宗教の時間シリーズです。
最初の7-8冊程度は、これは求めているレベルを超えている、九分九厘内容忘れるなと思いながら読んでいましたが、
これも何冊か読んでいうちに「知識がつながって」読めるようになってきました。
この年になっても、何かを身につける、学ぶことができる。それは読書による独学だけでもある程度可能である、ということは個人的に心強いメタ経験になっています。
逆に言うと最初の数冊はほぼわからないままなので、数年後また一気に読み返したいですね。
去年は、自発的にはまず読まないであろう本も、読んでみたいと思っていました。
そのための方法として、友人におすすめの本を聞くという方法を取りました。
また、一週間以内くらいには実際に読んで感想を伝えて内容についてやりとりするというマイルールを作りました。
これによって狙い通り、新しい関心フックが幾つか作れましたが、想定外の効果としてある程度親しくなった人とさらに距離を縮める手段としてかなり有効だったように思います。
一昨年以前の私だったら、それが有効だと知っていても負荷が大きかったでしょうが今なら別に無理せずやれる、むしろ楽しい、というところがポイントです。
今のところ猛烈につまらないものを紹介してきた人がいないのもありますが。。
何かについて知りたいと考えた時、ネットで検索するという初動は変わりませんが、さらに知りたいことがあるor体系化したいor記憶への定着率を挙げたい時、本を読むというアクションが自然に追加されました。
また、読書をするにあたって、ちょっとした障害になっていた事が怖くなくりました。例えば下記のように。
・中断:面白そうな本を見つけたらそっちを読み出してしまう。中断してもまた一週間もしたら読めるのだから。もし中身忘れていたら都度振り返ればいいのだから。とシンプルに考えられるようになりました。自由です。
・積読:いま読めなくても恐れることはない、そのうち読めると素直に考えられるようになりました。流石にそろそろ消化に一年ぐらいは掛かりそうなくらい本が積まれていますが、現在のところ三年後の自分を信じられます。
・読書履歴・読書キュー汚染:穏やかでない単語を使いました。これは要するに「話題になっているけど、こんな俗っぽい本を読む時間を~もっと重要な本が~」とか考えなくなったということです。気になったら読みます。
これらって結局全部やらない言い訳だと思うんですが、単純に読書に対する心理的ハードルを下げて読書量で解決するというパワープレイ(一昨年の私比)が可能になりました。
一昨年解説本を100冊読んだのは運動部一年生がやるような練習のための練習だと書きましたが、あれはそんなに外してないなと今でも思います。
百分で名著シリーズ:12冊(2021年1月分の「資本論」も、もう読みました)
で、個人的に出色なのは教養系の読書がたっぷりできたことより、仕事の本がたくさん読めたことです。
去年までは年間7-8冊ほど読んでるかな?という感じでした。
ところが、今年は読書に占める仕事本の割合は減ったにも関わらず、倍以上読めました。
本を読むという行為自体がスムースになったと言うか、「仕事の本は(趣味・教養の本より)重要である」という心の中の序列がどうでも良くなり、いつかは読めるのだから、になった効果だと思います。
はてなあたりで使われがちな「文化資本」「分断」あたりの用語の社会学的なバックボーンについて理解できました。
はてブ見てると「社会学者って、、、」と思うシーンも多いですが、必要な学問だと捉えなおすいい機会になりました。
面白くない話として社会を伝えて分析するのが社会学、という分類はなるほどと思いました。
逆に言えば、美しい弱者、貧者のストーリーなんかばっかり見ている人は社会学者とは言えないのだなと。こういう人はてブあたりでよく見る気もしますが。。。
年末だったのもあり、久しぶりに放送の方も全て見たのですが、やっぱりできたら放送も見るべきですね。
解説本の著者の言いたいことが、スルスル入ってきます。それと、伊集院光さんやっぱすごいなと。ああいうレスポンス返せる人間になりたい。
能楽師の安田登氏解説の古典説明本です。下記する「史記」でもそうですが、
漢字の成り立ちに纏わる深い知識(今ある漢字が成立した年代には開きがある)から独特な解釈をされています。
これが真実なのかはわかりませんが非常に興味深く、この著者の著書をあたったり、この視点で更に歴史を追ってみたいなと思わせてくれる本でした。
安田登氏の能舞台も見てみたいと思ったのですが、昨今の状況では難しいですよね、、、今年あたり何処かで見に行けるといいな。
タイトルのとおり、経典や歴史的事件ではなく残っている手紙から親鸞聖人の人物に迫ろうという趣旨の本です。
上記したとおり「何冊か読んだ効果」が大きいのでしょうが、これ読んで、はじめて浄土真宗わかった気分になりました。
ちなみにうちは曹洞宗なんですが、曹洞宗はいまのところわかったと思う瞬間がないです、、、
観無量寿経をベースに、浄土系の教えが中国~日本で花開いていった過程を追った本です。
私が読んだ中では最も単独で理解しやすく、去年おすすめした「集中講義・大乗仏教」と合わせて読むとより日本仏教の流れが理解できるかなと思いました。
宗教の時間は多くが前後編の2冊構成なのですが、1冊構成なのも読み返しやすくて良いです。
著者の釈徹宗さんには、もっといろんなお経の解説書を書いて欲しい、、、!!
単純に、日々の話題の元ネタとして興味深くまた著者が「面白い人」であると感じてとても読みやすかった。
独立した章立てで分割した読書もしやすく、何方にもおすすめできる本だと思います。
子供向けに実施された19世紀の科学講義を書籍化したもので、科学レクチャーの傑作と言われているそうです。
当時はプロジェクター等も無いため図があまりなく、正直、本として読んだだけでは当時の雰囲気を十分に味わうことは出来ないかと思ったのですが、
ファラデーという当代最高の学者がが全力をもって子供たちに科学の楽しさを伝えようとしていることはとても良くわかりました。
去年は西欧文明というか西欧社会の限界的なものが色々見えた年かなとも思うのですが、ソロモンの指輪もそうですが、こういった本を著した方々が繋いできたものはやっぱり尊いなと思います。
100分で名著の解説本を読んでから、絶対に読もうと思っていた原典の一つ。
下記の、薩摩焼窯元めぐりと合わせて水俣に行く前に読みました。
内容については私が今更感想をいうのもあれなんですが、「読む前と後で違う自分になっているような気がする」読書体験ができる数少ない本の一冊と思います。
あとがきにある通り、書かれていることは読んだ印象より遥かに創作の比率が高い、ということを差っ引いてもこれは日本人全員が読んだほうがいいんじゃないかと。
恥ずかしながら初・司馬遼太郎でした。焼き物が好きで窯元めぐりも趣味なもので、薩摩焼の里をめぐる前にと思って読んだんですが、面白かったです。
声に出して読みたい日本語というか、何でしょう、文章がうまいと言うより文章の響きが格好いいというか、流石昭和の大作家ですね。一気に好きな作家リストに載りました。
今、ちょっと重めのものもと思って坂の上の雲もちょっとずつ読んでいます。
タイトルの付け方も最高にうまいですよね、、頭にのこるというか。
スパチャがキャバみたいという話だけど、これは一部のVTuberファン、はっきり言えばホロライブファンがキモがられているだけじゃねーのって思う。
ここのファンは、にじさんじファンのような、脳死のアホやサブカルバカやゲーマーっぽい奴はあんまりいなさそうな反面、キモオタ率の高さは間違いなくぶっちぎりで、他の追随を許さない。
ファンの男女比率の偏りも相当なもので、恐らく九割九分九厘は男だろう。
そんな状態になったのも、ここの所属タレントが「ドル売りVTuber」というプロデュースにより、アニオタ・声優オタ・ドルオタといった奴らをまとめて絡め取る、ブラックホールと化しているからである。
2ちゃん(5ちゃん)風に、「厄介オタクの隔離箱」と揶揄される日もそう遠くないというか、既に言われていても何らおかしくはない。
そういう手合いが画面の向こうの「女の子の動画」に向かって、「てぇてぇ」などと呟きながら銭を投げるんだから、世間的には新興宗教よりもヤバみがあるでしょ。
とはいえ、日本を含む東アジア〜東南アジアにおいて、アイドルムーブは芸能を語る上で決して抜きにできないというか、非常に根強い文化になっているわけで、それを裾野に、遂には世界中のキモオタからカネを巻き上げるシステムが出来上がったと。
まあそれ以前の話として、陰に日向にキモオタをdisりまくっていた、あの宇野常寛(富野信者)でさえ、あっさりAKBオタとして完堕ちしたのだから、もう何をか言わんやである。
扉を開くと、中からひんやりとした空気が溢れて俺の肌を掠めた。
どうやら、それを感じたのは自分だけじゃなかったらしい。
それとも中にいる“何か”が発しているのか。
ミミセンの提案で、俺たちは様々な撃退グッズを持ち寄っていた。
このあたりは俺もよく知っている吸血鬼の弱点だ。
塩水入りの水鉄砲、サンザシの枝、兄貴が修学旅行で買ったアクセサリ。
纏まりのない物ばかりのように見えるけれど、どれか一つでも効いてくれることを祈るしかない。
「さあ、行こうか」
意を決し、俺たちは物置部屋へ足を踏み入れた。
室内の温度は、まるで真夏を感じさせない程ひんやりとしている。
この寒気、やはり気のせいでは済ませられない。
「ここから厳戒態勢だ」
物置部屋は行事で使うオブジェで溢れており、10畳ほどの面積を半分は埋め尽くしている。
まだ日中だから吸血鬼は寝ているだろうけど、これらオブジェの中に紛れ込んで隙を窺っているかもしれない。
俺たちは背中合わせに隊列を組むと、その状態でゆっくりと進行していく。
ミミセンは全ての音を拾おうと、ここに入ってからずっと耳当てを外したままだ。
タオナケはいつも以上に眼光が鋭く、いつでも超能力を発動できるよう神経を尖らせている。
シロクロだけはいつも通りだったが、この状況下ではそれが俺たちの精神的支柱にもなっていた。
「みんな、棺桶を探すんだ。ドラキュラがいるなら絶対にあるはず」
俺も小さい頃は同じ枕じゃなきゃ寝られなかったけど、ベットごと必要だなんて随分と繊細なんだな。
数々の弱点といい、何だかドラキュラが少し可哀相にも思えてきた。
「僕の見ている方には何もないね」
「私も見る限り、それっぽいものはないわ」
そうして、しばらくオブジェの山を見渡していたが、目ぼしいものは見つからなかった。
念入りに調べたい気持ちもあるが、人ひとり入っているような箱だ。
「となると……やはり二階か」
当時の俺も、一階の物置部屋は何度も見たことがある。
その時も、それらしいものを見た覚えはなかった。
だから可能性として高いのは、俺が見たことも行ったことすらない二階だろう。
「医者が自分のサイトでよく『貰ってない』だの『突き返してる』だのと書いてますが、少なくとも、私の周囲の医師は上も同僚も後輩も基本的に全員いただいています。私が接してきたのが特殊な人ばかりとは思えないし、彼らとは『税金がかからないお金は、やっぱデカいよね』という会話になります。突き返すような人のほうが特殊ですね」
だから、逆に医師自身が患者として手術を受けた場合は、「九分九厘、現金か商品券を置いていきますよ。私自身が手術を受けたときは15(万円)、かみさんの出産のときも5(万円)置いていった」(同)という。
「もし出さなかったら、仲間内で『ふーん、そういう奴だったのね……』という評価が下される」
「親しい医師に母のがんを診てもらった際、母に『お菓子だけでいい?』ときかれて、『お菓子の袋に(現金を)一緒に入れとけ』とアドバイスした。その通りにやってましたよ」
もっとも手術後、その医師から母親が「ウチの妻からです」と手渡された菓子の箱の中に、渡した全額が入っていた。ならばとホテルの食事券等々10万円相当を直接自宅に郵送しておいた。「母を叱っておきました」とその勤務医は苦笑する。
若い頃から「本物」を食べたくて、恋い焦がれている料理がある。
ロッシーニは有名なウィリアムテル序曲の作曲者だが、美食家として色んな料理を考案したらしく、これはその代表的一品と。
一頭の牛から細長い形で取れるフィレ肉の尻尾側1/3(これをフィレミニヨンという)を、更に半分に分割した頭側の、トゥルヌドという部位のステーキにフォアグラのソテーを乗せ、刻んだ黒トリュフ加えたマディラワインソースをかけたもの。
ちなみにフォアグラはガチョウと鴨があるが、多分食感固めでも熱で溶けにくいガチョウのフォアグラ(フォアグラ・オアという)のほうが良さげ?
とまあレシピはそこまで込み入ってないが、その分食材の質が命なので、いつでもどこでも食べられる料理じゃないのは確か。
実際、本場フランスでもクリスマスくらいしか食べられない珍味と聞く。
日本だと運が良い人は結婚式で食べたことあるかもしれないくらいの話。俺はそんな機会なかったけどな。
あとは昔、デニーズで冬の限定メニューの目玉だったこともあり、それはそれで美味しかったが、あれは付け合せのキッシュやポテトピューレの美味しさがメインで、いうなれば「雰囲気イケメン」みたいなものだった。
まあ値段的には当然そうなるが。
さて、そんなフィレロッシーニだが、都内の某ビストロがこれを看板メニューにしているわけですよ。
それも、高級フレンチよりはお高い値段じゃなさそう。
というわけで先日、行ってきました。
だって1500円くらいだよ?ヤバくね?激安だよ激安。多分昔のデニーズで出たやつより安い。
そして、味も激安だったと。
「安かろう悪かろう」の見本みたいな味。
だって、レアのフィレ肉が固いんだぜ?信じられるか?ありえねーだろ一体どこの肉使ってんだよ。
フォアグラが缶詰っぽくても、「よく見れば入っている」程度にトリュフをケチっていても、ソースにマディラワインの風味が全く無くても別にいい。そんなのデニーズで経験済みだし。
でも肉質にフィレっぽさが微塵もないのは、流石にカネ払う気をなくすレベル。しかも看板メニューとか詐欺じゃねーの?
これだったら、固い謎の赤身肉(文字通り脂肪が全く無い肉)を血が滴る程度のレアで焼いて、ハーブ入りバターソースぶっかけて、フライドポテトと一緒にムシャムシャガツガツ食ったほうがよっぽど満足できる。
というかビストロだったらそっち出せよ。
あ、でもお店の名誉のためにフォローしておくと、フィレロッシーニ以外のメニューはどれも本当に美味しかった。
まあ値段相応の食材使ったメニュー(つまり高級食材使ってない)な感じだけど、美味しかった。
てかパリ風ステーキを目玉にしてくれたら、俺ももう一回くらいは行くから。
というわけで、お口直しに本物のフィレロッシーニが食べられるお店を知りたい。
「そういう高級料理は、値段を気にするくらいなら食うな」というのは心底実感したので、あとはどこで食えるかだけ。
もしコースで魚料理も一緒に食べるなら舌平目のムニエルも食べてみたい(これも食べたことない)。
で、どういうお店に行けばあるの?
ワイこれ先日知ってびっくりしたんやけど、電動子供乗せ自転車って未就学児童しか載せちゃいけないってなんかの法律(道交法?)で定められてるみたいなのね。
でも現実問題、まだ小学校低学年って自分で自転車こいでお母さんの後ろついて遠出するのってほぼほぼ無理ゲーじゃん?
だから実際の運用としては、もう明らか小学校入っとんなってレベルの大きな子が子供乗せ自転車の後ろの座席に乗ってんのもよく見るのよ。都会だから。車持ってる人少ないから。
自転車の設計上は「安全に使用するには未就学児童の体重しか支えられませんよ、それ以上は載せちゃいけませんよ」としておくしかないんだけど、育児の運用上そうもいかんケースがあって、だから法には反してるけどやむなくさせて頂いている、そのかわり事故が起きてもそこは親が責任かぶりましょうねって感じの運用になってる。
実際問題、道路の飛び出しや子供の他害みたいなケースなんか特に取り締まる手間も暇もないわけでね。
原則違法です、法律を作る側としては「これはセーフ」という線引きを提示することは虐待の抜け穴を作ることに等しいのでできません、あとは各自で判断してねって感じのグレー運用になると。
元増田本人が絶対妊娠することはないし、おそらくは健常児しか育ててきていない父親ということもあって、全体的に「望まれない妊娠」「重篤障害児だと出生前に分かったケース」に対する想像が甘いし、仮に運悪くそうしたケースが娘さんの身に起きてしまった場合のフレンドリーファイアになりそうな点が少々気がかりではあるな。
もちろん世の中には性に関する話し合いをできない親の方が圧倒的に多いわけで、その親たちに比べれば増田はずっとずっと立派な親だと思うよ。
ちなみに自分は30代で結婚後に妊娠した者で、まだ子供も小さいけど、その子が腹の中にいる時に新型出生前診断(NIPT)を受けたよ、陽性だったら中絶するつもりでね。
「生んですぐに特別養子に出して二度と会わない」ということが可能なのでなければ、結局その妊娠が望んだものであろうがあるまいが、産んだ子をメインで育てる羽目になるのは産んだ当人なのだから、出産の決断において産んだ当人のQOLが最優先されなくてどうするんだと思っている。
だからってもちろん中絶なんか望んでしたいわけじゃない。だから独身の時はピルを飲んで、子供を産み終わった今は避妊リングを入れて、望まぬ妊娠を九分九厘せずに済むよう自衛をしてきたし、しているよ。
おそらく平穏な家庭に育っただろう元増田や娘さんの世界には、夫との間に子供を妊娠したけれど家にお金がなくて、その子を産んだら上の2人の娘を中卒にして水商売で働かせなれば家が立ち行かなくなる状況とか、長く同棲していて親にも紹介していた恋人が妊娠した途端に態度を翻して別れたがり、そのショックで薬を大量に飲んで救急車で運ばれ、服薬が胎児に障害をもたらしている可能性があると医者に言われる状況とか、そんなものなかったんだろう(まあ大抵の家の人がそうだろうけどね)。
私は自分ではない身内がそういう目に遭うのを見てきたから、ゴムだけの男頼りの避妊がどんなに不確実で恐ろしいかを知ってるし、未来の我が子のいかなる妊娠に際しても「我が家の孫なのだから中絶は絶対に認めない」なんて言葉を使うことはできない。
「中絶は認めない」なんて言葉を使っていいのは、腹の子の遺伝上の父親が娘への愛情のかけらもない卑劣で醜悪な性犯罪者でも、腹の子が生まれてから死ぬまで一度も言葉を発さず、親や祖父母をそれと認める能力を持たず、仕事も余暇もすべてをなげうって介護しなければならない重篤障害者だったとしても、その子を受け入れて責任持って育てられる人間だけだと思っている。
饅頭怖いの誘い受けならともかくな。俺だって『おっぱいこわい!』とか言ってエロ画像求めるわ。
でも残念ながら頭がフラワーガーデンじみたキモ・ヲタ(男女を問わぬ)や、自分の言葉で世界を変えられるなんて思ってるお気持ち表明マンfeat.お気持ち表明ウーマンはネットに多く、本気で言っている。
いやアホでしょうよ。見ず知らずの人間の優しさに期待して弱点や苦手を述べれば手心加えてくれたり、気遣ってくれるなんて甘っちょろい考え。
それされたら怒る、それされたら嫌な気持ちになる、それされたら死にたくなるってわかりやすい弱点。
『そう言われたら嫌なんだね!そうされたら嫌なんだね!たっぷりと言ってたっぷりとしてあげる♡』と思う奴が出てくる、まず俺。
仮に『私はこれ食ったら苦しんだ果てに死にます』とアレルギーを述べたとして、九割九分九厘はお前を思い遣ってくれるだろうがね。
でも一厘はこう思うぞ?『食えない!?甘え!!食べさせて改善させよう!』『見たいよぉ見たいよぉお前が苦しんで死ぬ様を見たいよぉ』って。倫理が邪魔して実行しないのが殆どだけどな。
追伸:この増田前に見た!なんて無粋な事言うのも居ると思う。お前の中ではそうだろうしそれも俺と思っていいぞ。それだけ俺と同じ思いがいるってワケだ。
なぜわざわざ宣言したかというと、もちろん自己顕示や承認の派生からなる欲求が関係しています。
というわけで、これから私のセンチメンタルな身の上話を交えながら、増田をやめることになった理由を書き出していきましょう。
前置きとして、とても長い文章であることや、これが駄文であることを保険としてかけておきます。
もちろん、私は生まれてすぐに増田を始めたわけではないため、この情報は客観的に見て蛇足です。
ですが、このまま話を進めましょう。
父と母は今風にいえば“毒親”というやつで、そこから毒を抜いたような親でした。
そんな家庭で育ったこともあり、私は思春期を迎えたときには性格が歪みきっていました。
そして還暦を迎えたとき、友達の田中一郎様に誘われて匿名ダイアリーに出会いました。
匿名ダイアリーでの体験は毎日がエキサティングで、私はたちまち虜となります。
特にハマっていた時期だと、人気エントリに必ず言及したり、流行りの議論には積極的に参加していました。
匿名性をウリにしているのに特徴的な文体で存在感を示したり、一部のファンが必ずブクマしてくれるのをいいことに同じ形式のエントリを何度も書いたりもしています。
ここだけの話、自分の書いたものに別人を装って言及したり、自分でブクマしてホッテントリを狙うこともありました。
それだけ、私にとって当時の増田は切り離せないものだったのです。
しかし、それは長く続きませんでした。
そんな日々が数十年も続くと、さすがの私もマンネリを感じ始めます。
私の気持ちの問題か、他の増田が問題なのか、ブクマする人達が問題なのか、はたまた匿名ダイアリーのサービスが問題なのか。
確信はありませんが九分九厘、匿名ダイアリーの問題だと私は思っています。
もちろん俯瞰して考えれば、ブクマする人達の性格が原因ではあったのですが。
いずれにしろ、増田はストレスとトラブルの温床になっており、今すぐやめるべきであったのは明白でしょう。
だのにやめられない、とまらない。
完全に中毒です。
もはや私にとって増田というものは、貧困層にとっての高カロリー食品と同じになっていました。
生活習慣病まっしぐらの私は、家族や友人をいつも心配させていたように思います。
直接謝る気はないので、ここで「申し訳ないと思っている」と書いておきます。
もはや死ぬまでこのままだと思っていたある日、転機が訪れます。
従姪孫の友達が遊びに誘ってくれたのです。
もちろんそれは断りましたが、ふとその遊びの起源が気になりました。
検索してみるとトゥギャザーなまとめ記事が出てきて、私は何の気なしにそれを見たのです。
「戦隊ヒーローは多対一だからズルい」と言われた時以来の衝撃といえましょう。
何も変わっていないのに、何かが変わったような感覚に漠然と包み込まれたのです。
没個性のキャラを描いて、自分の主張を喋らせることに人生を費やそうと。
そういうわけで、夢を実現させるため私は増田をやめる決意に至ったのです。
ですが増田のことが嫌いになったわけではありません。
もしかしたら十数分後には戻ってきて、なぜ戻ってきたのかを説明するエントリを書くかもしれません。
それを恥ずかしいことだと私は思わないし、思う必要もないと考えています。
自分の意志で「やめる」と宣言したので、それを撤回するのも私の意志なのだから。
なので皆さんは私を応援して、何らかのセンセーショナルな言葉をかけて欲しい。
己の人生観を下地に、何かを悟っているような口ぶりでブコメを書いてもらえると嬉しいです。
そしたら追記のエントリを書いて、皆さんと馴れ合うことができますから。
未練が残るのみです。
ここで仲間たちと過ごした日々、たくさん書いたエントリを忘れないでしょう。
公務員試験の勉強してたら親父から突然「公務員試験受けるな。お前は九割九分九厘無理。一縷の望みもない」と言われた。
母親との些細な事で起きた喧嘩で俺もついでに嫌われてしまった。まぁ何年も同じことが度々起こってるわけだが。
で、「職歴1年(公務員)、30近い逃げ癖ありのデブがどこ行ってもダメ」
「公務員もダメ正社員もダメ30にもなってフリーター、どんな優しい奴に生かされてるんだ?」
「じいさんが生きてたらお前とっくに殺されてるのにな〜」
「職歴一年のお前と卒業後今も働いてる同級生と、稼ぎも人間性も劣っていることを毎日考えて生きろ」
「何もできないお前、自分で何ができるか一晩考えろ」
去年の半年が過ぎた頃から前職を辞めた。ホモ上司によるセクハラが記憶に新しいが、そんなことは些細なことで、自分の仕事のできなさに嫌気が指し自殺未遂した。親父は最初こそ心配したが、今となっては俺の過去の失敗(公務員以前の超短期職歴とか)を延々と話しずっと責める。で、今日の朝「もう一度公務員試験頑張ろう」「でも人間の道から外れていることは自覚してな」だってwwwwwはいいつものパターンきましたwwwwwwwwこれ何度目かなww
あーつら。ホント何度目だ。俺がやらかしたことで一部の親戚から絶縁された(丸一年電話や土産が来なかった)のは本当に申し訳ないと思ってるし、家族にも未だ迷惑掛けてるよ。大学時代、アルバイトもせずに安い賃貸で一人暮らしまでさせていただいた。ただ飯いつまでも食うわけにはいかないし出て行きたいけど貯金100万切ったよ。でもそういう話すると「魚の世話はお前の仕事だ。出て行くとして、金魚がどうなってもいいのか?」「ただ飯の恩を仇で返しますってか?ハハ」と思い止まらせにくる。何をどうしてほしいんだよ・・・聞いても「低能無職は俺の言うことに従え」。母親にも似たようなことを言って大抵1週間は互いに口を開かなくなる。
「俺に文句があるなら意見を具申しろ」と言うのでせっかくだからと自分の意見を言えば「ただ飯食らいが本当に意見を言うとはな」「お前には恥も後ろめたさも無いことがわかったよ、二度と喋らねぇ」
お前にかけた金を返せだぁ?社員時代に「子から金を受けとるのは恥」と言って受けとるの拒否したし、今のアルバイトで得た金も受け取らない。だから代わりにこそこそドラッグストアで洗剤買って申し訳レベルの家計負担軽減はしている(つもり)。
うーん、低能なりに親父が俺にどうしてほしいのか考えても、俺に自殺してほしいという結論しか出ない。最後の究極の逃げだな。
自分に非がある状況を何がなんでも避ける(他人に罪を擦り付ける)タイプなので俺を殺すことは100%あり得ない。ってことは、俺が自発的に死ぬのを待ってるってことだよな・・・。
ハングマンズノットの結び方はとりあえず覚えたが、資格無し職歴カスが一縷の望み(正社員採用)ってどう掴むんだ?もういい加減疲れた