はてなキーワード: 九分九厘とは
2017年後半から一般人と呼ばれる層にもプロゲーマーという単語が流れるようになり、ゲームでお金を稼ぐ人の存在が明らかになった。
日本ではゲームを子供がするものという認識が強く、プロゲーマー(笑)状態になっているのは言うまでもないと思う。プロゲーマーの存在を昔から知っていた人はこういう認識をする人に対して「馬鹿だアホだ」と投げかけるが、これではプロゲーマーの印象は悪くなるばかりだ。
私もここ最近プロゲーマーについて知った口なので、彼らについて知らないことが多い。何を知らないのか書いていくので詳しい人は教えてください。
①何をしている人なの?
いやいやプロゲーマーだからゲームだよwという解答は目に見えてくる。でも聞きたいのはそこじゃない。
プロゲーマーがどんなゲームをしているのか、主にどこで活動をしているのかわからない。
FPSや格ゲーが多いと聞くが大会になっていないゲーム(格ゲーと一言で言ってもいろいろな種類があると思う)が有るのはどういう差で大会レベルのゲームになるのか、個人が遊ぶレベルのゲームになるのか気になる。
②自己研鑽はどのようにしているのか。
これもいやいやプロゲーマーだからゲームだよwという解答は目に見えてくる。でも聞きたいのはそこじゃない。
プレイヤースキルの上達のためにしていることが気になっていて、何も考えずにただ闇雲にゲームしているわけじゃないのはわかっている。
対戦が終わった後に例えばあの時にパンチしたのは間違ったとか、ガードするべきだったとか考えているんだろうとは思うがこの辺が表に出てこないのでよくわからない。
③どの程度稼げるのか
ゲスい話になるが子供が「プロゲーマー目指す!」って言ったら九分九厘「やめろ」と言うはずだ。
と言うのもどの程度収入を得られるのかわからないからで、それなら200万程度安定して手に入れられるサラリーマンを推めるだろう。
“プロ”なのでピンキリなのは百も承知だが普通のレベルの人がどの程度稼げるのか知りたい。
「なんで〇〇って××なの?」って聞いてくる奴は九分九厘「〇〇」について知らないし「××」は見当違い。まず疑ってかかるべき。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6253908
途端に繊維筋痛症や関連する慢性疲労症候群の患者が調子乗ってきて草生えた
米国だから金払ってちゃんと診察しての結果だろうし、ガガが頑張って治して欲しいけどさ、この病気って九分九厘ストレスが原因なんだよね
そりゃ難病認定できませんわ。何がガガもなったんだから難病認定されるだろうだ。鬱は甘えとは言わないけど、環境変えれば治るわ。もしくは一生困らない金さえあれば
復活とか諦めて一生遊んで暮らす事決めればガガくらいならすぐ治りそう。治らないのは繊維筋痛症のせいで不幸なんだって原因にしている奴だけ。理由なくなったら困るもんね
そういう意味じゃ、ガガはもう歌いたくないんじゃね?
街中で妊婦を見かけると、それがどんな女性だろうがハ淫セ(イチャラブ中田氏セックス)してる情景を勝手に想像してしまってとてもつらい気持ちになる。
中にはもちろん不妊の人もいるだろうし不満足なセックスライフを送っている女性もいるだろうけど、問題の本質はそこじゃない。
見目麗しさとは程遠いカップルが目の前でペッティングするよりキツい想像を勝手におっぱじめる脳のせいで本当に不愉快な気持ちになる。
正直とても困っている。
ちなみに小さい子供を連れてる女性を見たときは一割くらいの確率で「セックスだ!!」と思う。
病気なのかな。
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臨月の妊婦となった今、上のようなことは起こらない。むしろ彼女らの苦労を忍んでしまう。我が身にふりかかる妊娠ゆえのトラブルが重かったのもある。しかし、当時の自分と根本的に異なるのは、セックスの有無は本質ではないと分かったからかもしれない。以下は自分語り。
当時の自分は、人生とセックスは切っても切り離せないものだった。欲望に忠実で、どうしても手に入れたいものが目の前にあるなら手段を厭わず行動していた。行動力の源泉としてブラックホールのようなものが自分の中にあり、自分の中の物足りなさや満たされなさを埋めたくて欲望のままに何もかもを吸い込んでいたと思う。今ならその正体が少しは分かる。生まれてから死ぬまで徹頭徹尾自分は孤独であること、ひとりうまれひとりしななくてはならないこと、不十分な自分の人格を誰かが代わりに育ててくれるということはなく自分が満足するような自分自身になるためには他でもない自分の努力や意思に基づく試行錯誤によってのみ実現すること。近道もズルも存在しないこと。これらが耐えがたい苦痛であるためにずっと目を背けた結果ブラックホールのようなものが誕生したのだった。
そのブラックホールに名前を付けるとすれば驕り、または臆病な自尊心かもしれない。私は妊娠で「底つき」を経験できて、きれいさっぱり驕りが解消されたので、よかったと思う。
重症妊娠悪阻で水も飲めず点滴を打たれて寝ているあいだだけが「人間」でいられた。
一人で外出はおろかシャワーさえ浴びられない。仕事はなくなった。なんのために生きているのか分からなくなった。
まともな食事ができるようになってからは、日中の静かな家に一人取り残されて、孤独感に苛まれ、頭がおかしくなっていくのが分かった。暇を解消しようとするも、体が動かず、情報に敏感で、ラジオすら聞き続けられない。寝ようとしても数分~数十分で起きてしまう。深夜に帰ってくる家族との会話が命を繋いでいた。
仕事もしない、家事もしない、寝ているだけ。今までの人生において、そんな「役立たず」や「穀潰し」になったことがなかった。いつも私は自分で自分を納得させる生きる上での口実があった。こんなにも満足のいかない生活は初めてだった。
初めて知る。「ただ生きているだけでもたいへん」ということを。
人間は生きているだけでもたいへんなので、ほかの要素が組み合わさったら当然カオス的に大変である。解析的に解けないし、適切な数値解にたどりつくには果てしないパラメータチューニングの試行錯誤が必要になる。そして苦心して解を得ても、誤差項を多いに含む。
元の記事に戻ると、人生をモデル化した時に性行為が欠かせないと思うから妊婦を見てセックスを連想するわけだよ。
今の私はもうそうは思わない。人生は存在それ自体が大変。大変であるというのが人生の本質。その大変さの各論は個人によりけりで、ひとによってはセックスが困難かもしれないし、暮らしが困難かもしれないし、自分の体が困難かもしれない。それは外見からは分からないことだよ。
ひとくちに妊婦といってもフェーズによってトラブルはコロコロかわる。
当初、腹の中に人間がいるのさえ自覚がないのに、そのために日に日に変化する自分の体がグロテスクで、第二次性徴への嫌悪感を思い出した。
今でも、腹の中に人間がもう一人いるというのには慣れないが、皮膚が突っ張って痛いほど膨れる腹への受け入れがたさは時とともに薄れていった。そのかわり、乳頭から滲み出る乳汁への嫌悪感は凄まじい。ひとつ解決すれば、別の問題が浮上するものである。
艱難辛苦汝を玉にす、とはよく言ったものだよ。妊娠を経験したおかげで、他人に向ける視線から邪な思いが少しは消えてよかった。
今回はインスタントラーメン関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問でもあり、愚問でもあるな。そもそもメーカーがそれなりに商品として売れると考えて市場に出しているのだから、元から美味しいはずなんだ。こんなことをいうのは酷だけれど、君がアレンジしてそれが美味かったとしても、それは君の手柄ではないんだ。君の小細工でも美味しさを維持できるメーカーの手柄なわけだね。
とはいえ、私にだってアレンジ調理法の一つや二つや三つや四つあるさ。だが他人にドヤ顔で教えられるような候補は一つもないし、これは君にとっても言えることだね。そういうのは、どうしても気分を変えたいとき、こっそり誰にも言わずやるものなんだよ。
この質問だけでは君個人の問題か、メーカーの努力不足か判断しかねるね。だが、私の経験から言わせてもらえば、このテの問題は十中八九、個人の問題だ。
意外と思われるかもしれないが、君のような人間は袋に記載された調理法方をちゃんと読まない、或いはそのとおりに作らない。
電子機器の説明書で、「なぜ動かないか」の項目にすごく当たり前なことが列挙されていることは覚えているかな、あれは実際にそんな初歩的なミスをする愚か者が少なくないからなんだ。私も当初は疑問に思っていたが、インスタントラーメンすらまともに作れない人種がいることを知って納得したね。
まずは記載された調理法をよく読み、忠実に作ってみるんだ。君の考える「こうした方が美味しいはずだ」は全て余計なことだ。ああ、だがトッピングのオススメとかが書いてあるものは無視してしまっていいぞ。あれは君たちに送る、メーカーの悪意だ。なにせ、トッピングを入れること前提でラーメンを作ったわけではないからな。
君はレベル1でドラゴンに立ち向かう蛮勇者だ。インスタントラーメンの始祖であるチキンラーメンは、君が思っているほど初心者向けではない。
特に煮込みは君のような人間は試みないほうがいい。食卓でいただくころには、九分九厘ラーメンは伸びているだろう。煮込みは一分とされているが、お湯をかけても3分でできることから、チキンラーメンはとても伸びやすいことは容易に想像がつく。
他のラーメンにもいえることだが、麺の煮込み時間と食べ始めはほぼ同時でなければいけない。この点でも、その計算を狂わせるトッピングはオススメできないことがお分かりいただけるかな。
32歳の男。
昔は割りと積極的に行動して色々な事に興味を持っていたと思う。
「仕事が疎かになるからほどほどにしておこう…」というのはあって、
実際に何かハマりそうな事があっても自ら遠ざけていたという行動は取っていた。
「働ける内に働く、頑張れる内に頑張る」とかで判断してたりで、
自ら興味を削いでいたのかなぁーっと。
で、最近仕事をしなくていい時間をどうやって使っていいのかが分からなくなってきた。
昔はクリア後のレベル上げをするほどゲーム好きだったけど、今ゲームはほぼしない。
バッディングセンターやゴルフの打ちっぱなしもまったく行かなくなった。
という事を色々と考えてたら
オタクをマーケティング上のなにか有意の層みたいに語るのも面倒くさいから辞めた方が良くないか。
あれはただの消費者なんだよ。それだけなんだ。もし奇矯な行動で周辺やベンダーに迷惑を与えるなら(コンサートで騒ぐとか好みのものが買えなかったので店舗に嫌がらせするとか)それは彼らがモンスター消費者だからであって、オタクであることとはなんの関係もないんだよ。アニメにもアイドルにも鉄道にもミリタリーにも関係ないんだ。ただ単に彼ら個人が、あるいは集団が、モンスター性をもってるだけなんだ。それ以外はただの消費者であって、別に消費者より上の価値なんてなんにもないんだよ。
オタクというものが消費者として以外の何らかの価値を持ってるとするならば、彼らが彼らのコミュニティからなにかのコンテンツや文化を生み出し、それが新しい市場性や商品性を持っているという一点なんだ。そこにはもちろん価値がある。でも今の時代、そういうオタク個人がいて、たとえばニコニコで作曲をしたり、Webで面白いマンガや小説を書けば、それはあっというまに発見され、作り手の側へ回ることが出来るんだ。つまり彼らはその瞬間消費側じゃなくて生産側に回ってプロになる。消費者の群れがなにかを作り出して上級のなにかになったりはしないんだ。永久にただの消費者のままなんだ。
これは個人宛でも言える。オタクとか言われている人々は、自分を見つめ直した方が良い。九分九厘のオタクはただの消費者だ。自意識を仮託先としての「オタク」なんてとっくのとうに死に絶えた。
そして別にそれでも困らないはずだ。消費者として深夜アニメを見たり、消費者としてAKBのアルバムを買ったり、なんの不都合もないはずだよ。そのほうがあちこちすっきりしないか?
格差社会って言うと経済的なそれが真っ先に思い出されるし、議論の場ではまず九分九厘それなんですが、それ以外にも沢山あると思うわけですよ。
それは時として経済的な格差よりも絶望的な断絶としてあるんじゃないでしょうか。
もちろん経済的な格差は大問題です。(経済的)貧困はそこを起点として様々なレイヤーを破壊してしまいます。
人間の価値が肉体労働の出力とほとんど同じ意味だった古代社会。「技能」が発見されて職人的存在が出現した古典、中世社会。農村部では、つい100年ほどまえまで、その人間の価値は(肉体的)労働力でありコミュニティの成員としての奉仕能力であり、コミュニティ維持のための生殖能力でした。そこでは性別や年齢などのざっくりとした要素さえそろえれば、「わたしとあなた」は代替可能な存在であり、だからこそ養子なんてのもさらりと行われてきたわけです。
でも50年前、100年前、200年前に比べて豊かになった現代社会において、またWebが隅々まではりめぐらされて「わたし」や「あなた」が隠しようもなくルポされてしまう現代において、「わたしとあなたの間にある格差」という問題はどんどん肥大化してきているようにに思えます。自由や人権を教育される現代社会において「わたし」と「あなた」は自意識レベルで交換可能な存在ではありません。なにより、人間の能力が肉体的な労働から別種の労働にかわった現代社会において、「わたし」と「あなた」の間には、生産性で10倍どころか100倍以上の差がつくことも少なくありません。
(あのクソ同僚の書くコードとオレの書くコードが同じ時給換算で計算されるとか、冒涜だ! みたいな)
しかし労働x生産性に関していうと、労働市場のマッチングだと職業訓練だのという形で「なんとかしよう」という意識が社会にありますが、それ以外の格差については割合無頓着に見えるのです。
たとえばの「はい、面白いこと言って!」なんてフリにたいしてA君は上手く対応できるけれど、B君は上手く対応できない。そういうことはあるわけです。
あるいはそれは「はい、彼女作って!」でもいいし、「はい、あなたの将来を設計して!」でもいいし、卑近な話で言えば「はい、はてなスター100個あつめて」でもいい。
要約すると「なりたい自分になって」と言うことなのだと思いますが、ここに格差はあるわけです。
たとえばA君は年収500万円の労働者にはなれるかもしれない(し、その社会支援はあるわけ)ですが、「なりたい自分」たとえば「リア充」になるにはルート設計がないわけです。
そんなもん当たり前じゃないかといわれれば当たり前です。才能なんだから諦めろよ、もいま現在通用すると思います。
しかし重要な問題ではあるわけです。理由は幾つもありますが、まず、経済的な格差であればある指標を決めて社会が救済することは出来るわけですね。たとえば生活保護とか。最低賃金とか。でも、「なりたい自分になれない格差」については現在のところ社会システムでのケアが不十分。職業選択の自由とか、男女の雇用格差解消とか、それくらいしかできてない。「人気絵師になりたい」には対応していない。
http://anond.hatelabo.jp/20120619092231
もちろん私も全面的にギリシャ人は悪くないと思っているわけではありません。思うところをギリシャ人にぶつけてみましたが、論理立ててきちんと話せる人はそんなにいないんですよ。
日本人でも、消費税上げると言えば「それはやだなあ」という人が多いはずで、じゃあ、どうすると聞いたところで、論理立ててどうこう言える人はほとんどいないですよね。それと同じで、ギリシャ人の政府が悪い、外国資本が悪い、IMFが悪いというのも、直観的な話であって、「私たちが悪いのではないのだから、外部に悪い原因があるに違いない」という感覚的な見方が大半です。
いや、統計的にはこうなっていて、こういう構造的な問題があってというレベルで話せた人は、例の経済学者と日本に住んでいた人だけです。
日本語を勉強しているという大学生は、彼は母親がドイツ人で、ギリシャではドイツについてネガティヴなことを言われてうんざり、という風でしたが、日本のウェブでのギリシャ批判に目を通して、「ひどい、差別だ、偏見だらけだ」と憤っていました。そりゃ、あなた、2ちゃんねるばっかり見るから…。彼は、スペインやイタリアがほとんど批判されていないのにギリシャだけが批判されている、差別だ、と言っていましたが、その発想自体が問題じゃないかしらと私は指摘しました。プライマリーバランスが悪いわけではないイタリアやスペインを同列に扱う訳にはいかない、イタリアやスペインはユーロゾーンの信用不足の煽りをくらった二次的な被害者という側面があり、国家財政の収支を虚偽改竄したギリシャと同列に扱うとしたらそれこそが差別だ、ギリシャ人の事実を捉えられない、我が身のみを憐れむメンタリティが批判されているということがどうして分からないのかと聞きましたが、そこから先は発狂状態でインタビューどころではありませんでした。
ギリシャ政府を選んだのはギリシャ国民なのだから政府を批判してことたれりとしているギリシャ人のメンタリティはおかしいのではないかともインタビューをしたすべての人に聞きましたが、うん、そうだね、みたいなことを言ったのは、日本在住15年歴のある老人のみでした。彼は物の見方が一般的な日本人とほとんど変わらないというか、ギリシャに対して、場合によっては辛辣すぎる見方をしていたので、ギリシャではなかなか生きづらいのではないかと思います。そう聞いたら、「そうだね、横浜の水準に慣れてしまっていたから、帰国して数年はいちいち腹を立てていたものだが、今もし日本に戻ったら、私なんてまるで使い物にならないだろうね」と笑っていました。彼が言うには、もともとギリシャは地政学的な理由から列強によってこしらえられた国で、ギリシャ人というまとまりもなかった。そこでありもしない古代ギリシャとの連続性を持ち出して、ナショナリズムを煽った。作られたものだから空虚で地に足がついていない。それに加えて第二次世界大戦中から戦後には血で血を洗う内戦があり、軍政もあった。公共に対する一体感や責任感は育ちようがない。数々の矛盾をその時々に解決するのではなく、民主主義政権はネポティズムで支持者を増やしたり、福祉で懐柔して、やり過ごしていただけだ。ギリシャ人にはナショナリズムはあっても愛国心はない。
彼はそう言っていました。
民主主義は、民衆が責任を誰かに押し付けることが出来ないという一点において優れた政治体制であるとかのヤン提督は言いましたが、実際には民衆はそうそう物分りがいいわけではないようです。それにある政党に投票したからと言って、このような不正が起こることまで予見して、その責任を民衆に負わせるというのも、おかしな話ではないでしょうか。
何度か話に出てくる経済学者はナショナリストで、その見解はいちいち鼻につくところが多かったのですが、たとえば、そもそもの遠因としてギリシャがユーロゾーンに加盟できたこと自体、ヨーロッパの古代から続くアジアに対するレイシスト意識と関係しているのではないかと私は疑問を提示しました。たとえばキプロス問題は経緯を見る限り、九分九厘ギリシャの責任なのですが、トルコのみがなぜか悪者として欧米のメディアでは扱われている。一事が万事、ギリシャについては、ギリシャを西欧文明揺籃の地として取り込まなければならない西欧側のコンテキストに沿って、ある種のプレミアが無条件に与えられてきたのではないか、そのプレミアが建前と現実の乖離をもたらしたのではないか、と私は尋ねました(こういうレベルのことを聞けたのは経済学者氏に対してだけです)。
彼はいちいち反論というか糊塗をしてきたのですが、それは歴史修正主義者が実際にはどうかと言うことよりも「やる」という意思で事実を取捨選択するような、意志の産物であったのですが、そういうことをしようと思えばやれるわけで、現実にギリシャが困窮していると言う事実から敷衍すれば詭弁なのですが、ある程度の知識人にも事実よりはフィクションを優先させる態度があるのではないかとは思いました。
何をどこまで求めて家事をしているのか分からないけど、
育児をしているわけでもないのに、一年中家事に忙殺されて動けない、なんてことはありえない。
それじゃあなんで世の女どもは「家事が忙しい」などと嘯くのか?
ありていに言えば「かまってちゃん」なわけだが、これが根深い。
自分が世の中にいてよくて、誰かに大切にされている、ということを実感できていないわけだから、
そりゃ焦りもするし不安にもなる。
食欲だの性欲だのよりはるか上位にある欲求だし、最近の犯罪の多くも、結局これが原因だ。
パートに出たり、習い事を始めたりしてそれを解消しようとする主婦は多い。
旦那のほうも、その時間を作ってやっているのだから満足しろ、と言いたくなるはずだ。
でも結局、パートや習い事なんてものは「誰にでもできる簡単な作業」でしかない。
責任ある仕事やその人にしかできない専門職を担ってきた人なら、満たされない気持ちがかえって際立っていく。
自己承認欲に対する欲求不満は、主婦の職業病と言ってもいいかもしれない。
社会との唯一のつながりは旦那だけ、その旦那が評価するポイントが家事だけなのであれば、
家事がいかに大変な仕事で、自分はどれだけ頑張っているかをアピールしてしまうのはある意味必然。
しかも、家事というのはできていて当たり前、できていないと怒られる減点方式の評価しかされない。
どんなに頑張っても「普通」以上の評価は得られないのだ。
だから女は「愛してるなら手伝って」などと言う。
それ以外に表現方法が見つからないからだ。
かまってほしいけど、どうして欲しいのか自分でも分からない。
それが家事至上主義と呼ばれる現象の本質ではないかと私は思っている。
だから、バカ正直しぶしぶ手伝ったりしても無駄だ。
家事を奪えば奪うほど、女は逃げ場を失っていく。
今度はやり方がダメだと注文をつけたり、より無理難題を押し付けたりしてくるはずだ。
最近流行りの新型うつに感染する確率も、どんどん高まっていく。
世の旦那さんがたよ。
彼女や奥さんが自分で考え、実行したことを見つけてやっていますか?
成功にせよ失敗にせよ、それを評価していますか?
彼女が興味を示したものに、あなたも興味を持ってあげていますか?
たとえば愚痴でもいい、何かを話して、彼女にアドバイスを求めることは?
ペットではなく、メイドでもなく、デリヘル嬢でもなく、なぜ彼女と一緒に暮らしているのか、考えたことはありますか?
お互いの信頼やコミュニケーションに不備があるのでしょう。
「性格の不一致」としたほうが、丸いと思います。
八割ならいいじゃないか。世の中九割九分九厘愚痴しか言わないやつだっているんだぞ。
女だってセックスだけやってバイバイして家に帰った後はやばいんだぞ。今までやってきたし返しされてるだけだろそれ。