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はてなキーワード: 訳者とは

2014-02-25

アンネの日記が破られてる事件

破られた本の訳者出版社電子版を無料配布したらと思うんだけどどう?

密林だと4冊くらい出てくるんだよねー

いまどき、一家に一台タブレットあるだろ、なくてもPCスマホくらいはあるだろ。

表現をする場所は紙に限らず、ネットだってできるじゃん。(ニコ動の○○してみた、みたいに)

表現の自由がどうのこうの、特定思想を刺激するものだとか、歴史的資料だとか、

理由はどうあれ、暴力しか訴えをおこせない(口じゃ負けるから手を出す)事実は変わらないし、

他人の所有物を破壊するという行為はそれそのものが許されないこと。

「手ぇだすと痛い目みるでぇ、嫌だったら余所へいきな!ここのヤバイ本はみんな破ってやる」

そういう「意志」を顕示したいんでしょ、あるいはただの愉快犯か便乗犯か・・・

だったら、電子書籍化して、無料公開して誰の手にでも簡単にわたるようにちゃえばいいんじゃないかと思う。

どれだけ破こうと引き裂こうとしても、電子版じゃやりようがないよねー

世界的に貴重な文献とかって、図書館で紙でアーカイブするだけじゃなくって、

国会図書館とか蔵書の電子化進めてるけど、)生きてる人の記憶にもアーカイブしていかなきゃ

後世には残らないと思うんだ。

から、破られた本の出版社の人は、破られた屈辱と伝えたい思いを、無料電子版配布という

手段で多くの人に伝えていってみてはどうかと思うんだ。

2014-02-04

光文社古典新訳文庫の丘沢静也訳の『論理哲学論考』について。

訳者あとがきからうかがえるお説教についての訳者の考えについて色々考えさせられた。

ほんとに病的な反芻のような気もするので、書いて心を落ち着かせた。

「装飾は犯罪だ」は、それ自体が装飾された表現であるとともに、その表現から説教のにおいがするように思う。

理由を少し詳しく書くと、もし何が装飾であるかを判定する明確な基準が定められ、

それが犯罪だとされているという制度事実を指摘しているのでないならば、(多分そうだと思うが、)

犯罪をしてはならない」という前提を共有する人々(あるいは未来自分)に、

「装飾をしてはならない」というお説教を、修辞という、言語表現における装飾を用いてしているように思えるからだ。

また、「語ることができないことについては、沈黙するしかない」という表現からは、

「××歳にもなってそんなバカなことをするやつがいるわけがない」みたいな、婉曲的なお説教のにおいがすると思う。

相手に叱られているという自覚が伴いやすいという点ではお説教ではないとしても、

ひょっとしたら、気づかれずに影響を受けやすい人々を「倫理」に従属させるための表現かもしれない。

訳者あとがきから引用

岩波文庫では、「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」と訳されている。

>ん? その気になれば、語ることができるのだろうか。

著者流の独特の意味で「語りえないもの」については独特の意味では「語る」こともできないのだろうが、

それ(あるいはそれであるかのようなもの)について普通意味で語る(あるいは語ったつもりになる、お喋りする)ことは、

言い換えれば沈黙しないことはできるのかもしれない。

2013-10-03

はてな民コンテンツ著作権についてどう思っているの?

はてブで長期にわたって話題のテーマといえば、著作権系の問題である。たとえば、無断で音声を書き起こしてコンテンツにするのはいいのか、NAVERまとめ2ch系まとめはいいのか、などである

はてブにあがってくるものには、ウェッブ上でのコンテンツを他からアクセス数を稼いでいるサイトはたくさんある。しかし一部は叩かれ、一部は完全にスルーされている。

興味深いのは、漫画の一コマだけでも炎上するケースもあれば、全部を転載していても全く叩かれないばかりか、内容について絶賛されていたりする。はてな民はどういう基準で線引をしているんだろうか?

興味がでてきたのでまとめてみた。

翻訳

海外ブログを(おそらく無断で)翻訳をしてそのまんま掲載しているサイトはたくさんあり、多くのはてなブックマークを集めている。

上部と下部に、訳者意見が書いてあるものの、ほぼ翻訳をまんまで載せている。SEO JAPANはかなりの部分が海外翻訳をそのまま載せてブクマ数を稼ぎ、被リンクを増やしているように見える。はてな民の反応としては絶賛。

※2013/10/03 13:12追記:SEO JAPANはすべて許可をとった上での全訳だったとのこと。大変失礼いたいしました。

IDEA*IDEAもこの手のものが多い。「ちょいとテンション高めで訳してみましたがいかがでしょ。」と書いてあるけど、これって海外ネタをそのまま持ってきて翻訳するだけで自分コンテンツにしちゃっている。こちらも「パクリじゃねーか」みたいな反応は皆無。

当然、勝手翻訳をしたら著作権侵害になる。

これは、IDEA*IDEA管理人ネット上で厚い信頼を寄せられているという点と内容がおもしろいからという点が考慮されていると予想される。

書き起こし系

一時期前に話題になったのがこれ。

ほぼYouTubeなどで見れる動画を書き起こしているだけ。反応としては、ちらほら「著作権的に大丈夫?」という反応がある。

当然許可を取らずに書き起こされてたら問題だ。今は許可を取った内容のものが多くあるように見える。

こちらは編集して載せている。反応はほぼ内容についての言及のみ。

世界数字で出来ているはテレビラジオをほぼそのまんま書き起こしている。これも内容についての言及のみ。著作権などについては言及なし。

これは書き起こしすらしていない。ほぼキャプチャ2chレスコピペはてなでは絶賛。

まとめ系

よく見るパターンのまとめ。引用元は小さいURLで書いてあるものの、画像がここまでの大きさで見れて、しかも拡大されるなら、アクセス数もあまり渡せない気はする。神まとめなどと言われ絶賛。

nanapi社長NAVERまとめにパクられたとボヤき、nanapiだってパクってるじゃねーかと元隊長に突っ込まれプチ炎上。五十歩百歩という意見多し。

漫画

4コママンガを載せ続けたら転載以外のなにものでもない気がするが、はてな民漫画の内容についての言及のみ。意外だった。

ちなみに1コマブログオチとして使ったら炎上したケース。

記事から記事

記事で書いたことが引用元も明示せずにパクったと炎上したケース。これ系ははてな民的にはほぼ例外なくアウトとされる。

おまけ

マジコン関係については、はてな民はかなり厳しい意見犯罪者呼ばわりレベルまでいく。

考察

個人的には翻訳や書き起こしは価値が高いと思っている。翻訳する人がいなかったらそのコンテンツを知れなかったため、読み手にとっては価値が高い。さらに、翻訳や書き起こしは、コンテンツ元ネタに対して、(さほど)悪影響を与えているように思えない。

法律だけでいうと、U-NOTEとかは編集しているからさすがにほぼセーフか、という感じはする。報道に近い。ログミーは筆者の意見などは入っていないので許可取っていないものはアウト。翻訳系はやや独自文章は入っているものの、引用と言い張ることは出来ないレベルかな。ただ訴えられるリスクはほぼゼロだろう。

となると、たとえば、翻訳系は、真面目にライセンスを取得してやっているであろう、lifehackerやGIZMODEが割を食っているわけだ。ライセンス料とか払わなくても同じくらいアクセス数稼げるわけだし、メディアジーンはちゃんとしている分、ビジネス的に損してしまっている。

同じユーザーでもターゲットによって態度を変えていることも多い。NAVERまとめを批判しつつ自分2chまとめブクマして楽しそうにコメントをしていたりする。このあたり、実際にやっている人たちがどう考えているかは知りたいところ。

まあ、俺だって正直おもしろコンテンツであればさほど著作権について思いを馳せたりはしない。一方ではちまのような特定のブログやらかしていると一言いいたくなる。

はてな民の反応をまとめてみて思ったのが、ほぼ自分が感じるであろう反応と差がなかったということだ。マツコと有吉テレビ番組がどんなにキャプチャだらけで無断転載だったとしても、問題には思わないし、NAVERまとめには、たまにおいおいと感じたりするしね。

みんなはどう思っているの?

2013-08-28

言い出す覚悟とやる覚悟、そして自分で汗を流すということ。

俺は、土日にハナクソの記事を書いた者だ(ハナクソの記事→http://anond.hatelabo.jp/20130824122536)

もうここに降臨することは無いかと思っていたが、はてな匿名ダイアリートラックバック君が仕事を投げ出したので、拾わずはいられない。

はてなブロガーサミット(サイバースペースにて)を開催すべきだ!!】

http://anond.hatelabo.jp/20130825202707

お前な、トラックバック君よ。

これ仕事でも通じることなんだけど、アイデアの丸投げはやめろ。

いか

「こんなことやったら面白いな。こんなことあったら楽しいな」

なんて考えるのは楽なんだよ。誰でも色々妄想するんだよ。

あんなこといいな♪

できたらいいな♪

ってな。

でも悲しいかな、現実ドラえもんはいないんだ。

大事なのは、「できたらいいな」を実行することだ。

お前の場合アイデアを出して丸投げして、煽ってるだけで何も仕事してねぇじゃねぇか。

いか

まず、こういうのをやるときは、最初自分で苦労して調べるんだよ。

ブロガーと読者の関係について」、そのブロガー達が過去に言及していないか調べるんだ。

そうやって編集するところにお前の付加価値があるんだよ。

後でちゃんとまとめるけど、最初に見つけたのが

「あざなえるなわのごとし」さんの、

バカはブログを読むな ~ブロガーの憂鬱

http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/08/13/123407

という記事。

ちゃんと書いてるじゃねぇか。「ブロガーと読者の関係について」

お前は少しでも検索して、こういう記事があるか調べたのか?

自分で汗を流したのか?

いか、まず、自分が動く。

それが大事なんだよ。

※調べた分は下の方にまとめる。まずはトラックバック野郎説教しないと気がすまん※

あとな、ついでに言うと、鉄は熱いうちに打て。

意志も熱いうちに動け。

人の気持ちって、冬の体育みたいなもんなんだよ。動かないと体が冷えてくるだろ。

まず、動いてみることが大事なんだ。そうじゃないと、どんどん冷めてく。

抽象的過ぎますかね・・・あとグダった時がこわぁぁっぁっぁっぁあっぁいいいいいい!!

じゃねぇよ。怖いとか言ってるうちに周りも冷めてんだよ。

周りを巻き込む仕事をやるときは、誰だって怖いんだよ。

ごまかしてんじゃねぇよ。スベったときは、スベったことを受け入れろ。

「負けたことがある」ということが、いつか大きな財産になるんだよ。

で、次。

次にやることは、自分なりに考えてみることだ。

人に考えてほしかったら、まず自分でも考えてみることだ。

ここから少しの間、「ブロガーと観客について」俺なりの意見を書く。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ブログってのは特殊なもんだ。

何に比べて特殊かっていうと、TwitterとかFacebookとか、昔流行ったmixiなんかと比べて、だな。

ブログの向こうには、たしかにその記事を書いた1人の人間がいるんだけど、どうもそれが意識されにくい。

企業ホームページのような感じになる。

要は、「書いている人間がいる」ってことがあまり意識されないんだな。

やまもといちろう氏とかイケハヤみたいに、顔出して書いてる人はまた別だぞ。

顔が見えないブロガーのことだ。

で、俺が考える「観客のあるべき姿」ってのは一言で言える。

人間がいるってことを意識しろ」ってことだ。

コメントをつけたら読む人がいる。

ブコメというハナクソをつけても見る人がいる。

Twitterでつぶやいても書いた人は見ている。

そこにはたしかに「人」がいるんだよ。

なのにだな、「観客」の一部からは、「人」に対する敬意とか愛情とか、そういうのが全く感じられねぇんだよ。

とにかく「けなしたい」

とにかく「馬鹿にしたい」

とにかく「見下したい」

そういう気持ち、わかるよ。優越感、感じたくなるよ。

顔の見えない立場から人を殴るのって楽だよ。

でもな、たしかに人はいるんだよ。

初期のドラゴンボールで、透明人間ボコボコにされてたヤムチャみたいに、弱い人間もいる。

そういう奴らを見えないところから殴るなよ。

誰もが闘うつもりでブログを書いてる訳じゃねぇんだよ。

記事の向こうにいる「人」を意識すること。

「人」が書いていることを忘れないこと。

それが、俺が思う「観客」のあるべき姿だ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いま、俺は自分意見を述べた。

それに加えて、他のブロガーがどういう考え方をしているのか、まとめてみる。

まず冒頭で紹介した「あざなえるなわのごとし」さん。

【バカはブログを読むな ~ブロガーの憂鬱~】

http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2013/08/13/123407

以下、簡単な内容の紹介(訳者:俺)

「知識もないし、何も語れもしないクセに偉そうにコメント付けるのだけは一人前」が多くてウンザリする。

ブロガーは言いたいことがあるから書く。そういう人が長く続く。確かにその通り。

でも、「読んで欲しい/いかに読まれるか」と「何を書きたいか」はイコールじゃない。

書きたいことを書いていると、夏のゴキブリのように次々湧いてくるバカは早くいなくなってほしいわ。

次、「かみんぐあうとっ」

ブログは多くの人が読みたくなるような内容じゃないとダメなのか?読む価値がないのか?】

http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20130811/p1

記事の紹介(訳者:俺)

ある人に、「あなたブログは多くの人が読みたいような内容じゃないよ、それじゃダメだよ」というようなことを言われた。

それ以来、

ブログは多くの人が読みたくなるような内容じゃないとダメなのか?読む価値がないのか?」

ってことにずっと悩んでいる。

答えは出ない。私に価値はあるの?

次、「Hagex-day info」さん

【Hagex脳の恐怖!】

http://d.hatena.ne.jp/hagex/20101019/p4

Hagexさんは、読者(ファン)との関係を「Hagex脳患者」と呼んでいる。

Hagex脳患者には以下のような特徴がある。

(特に面白かったもののみ抜粋)

年収1000万円を超える人間がでてくるとエピソードは全て創作(と思う)

2ちゃんねる発言小町で文章が上手いエピソードは全て創作(と思う)

夫婦間のトラブルと聞くとすぐに離婚を勧める

配偶者は基本的に敵

次、「情報の海の漂流者」さん

BLOGOSへの掲載をやめた理由】

http://hatena.fut573.com/entry/20130612/1371027920

BLOGOSへの掲載をやめた。

なぜやめたかというと、空気が悪かったからだ。

yahoo newsコメント欄みたいなノリは個人的にはちょっとダメなんだ。

楽しくないからあまり読まなくなる。するとだんだんコメント読まないんだったら、わざわざ転載する意味あるのかなぁという気になってきて、最終的に寄稿ストップした次第だ。

次、「gothedistance」さん。

サンタクロースじゃなくても大丈夫だよ】

http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20101224/1293172379

自分の記事が誰かの役に立ったり、悩んでいる人の助けになったりするのは基本的に結果論

役立つ or 役立たないといった二元論に思い悩んで「アウトプット熱」が下がってしまうのは大きな機会損失なので、そこについて考えたい。

僕は、誰かの笑顔が見たくてブログを書いたことは一度もない。でも。特定の相手を意識して書いたことはある。

誰かの笑顔を思い出しながら、書いたこともある。

そのときの、ブログを書く時に感情って、不思議と文章の中からにじみ出てくるもんなんだよ。

笑顔を届けるサンタクロースのように、僕らもサンタクロースになれちゃうんだ。

(随時追記・・・)

・・・でだ。

最後に、自分の力でどうしようもない部分は人を巻き込むんだ。

お願いするんだよ。プライド捨てて頭を下げるんだ。

ドラゴンボール元気玉最初から使わない理由を知ってるか?

自分で闘ってからじゃないと、元気をもらえないからだよ。

他の人のパワーをもらうときは、まずは自分で闘わなきゃダメなんだ。

そして最後に、「オラに元気を分けてくれ」って頼むんだよ。

すみません、誰か続きをお願いしますってな。

【追記】

日見てなかっただけで、投げんなよ!!ですかw どんだけ早漏なの?バカなの? 今日までに、返事が来るか待とうと思ってたんだけど、いいや。

久しぶりに見たらこんなトラックバックが。消えてたけど。

情けない。本当に情けない。なんなんだこいつは。こんなにダメな奴なのか?

見えない奴に期待すると、こんな気持ちになるのか。情けない。

お前は本当に馬鹿だ。

まずな、返事が来るのを「待とう」なんて時点で、終わってるんだよ。

お前は学生だとしたら、うだつのあがらない地味で退屈なヤツで、社会人なら窓際だと思うが、そんなお前が待っていて、誰か誘ってくれるか?

仕事ヘッドハンターから電話が来るか?女の子に誘われるか?

こねぇだろ。

雑魚は自分で動かなきゃ、誰も雑魚のために動いてはくれないんだよ。

からお前の人生はいつまでたっても上向かないんだ。

あとな、お前がダメな理由はな、そのプライドの高さなんだよ。

人に注目されたくて色々とはしゃいでみたものの、ダメ出しされたら悔しくて言い訳する。

言い訳し続けて機を逸して、いつまでも何もしなかった結果が、お前そのものだ。

どうだ?自分を見て、自分が情けないと思わないかネット世界で考えるなよ。

リアルなお前を見つめてみろ。

今回の件はもういい。

しかし、お前は社会に出るまでに一度、自分を見つめ直すことだ。

素直さと謙虚さ、当事者意識責任感。

それらは普段の生活から培っていくものなんだ。

一度ひねくれたら終わりだぞ。指摘されたらそれをチャンスだと思え。年をとれば取るほど、リアルでは誰も注意してくれなくなるし、誰も相手にしてくれなくなる。

そして、このままだとお前がそうなる未来が見える。

あとな、「純粋キモいわ」とか「ムカツクわ」とか、そういうのが通用するのはネットの中と、学生中だけだぞ。

筋を立てなきゃダメなんだよ。キモい、ウザい、腹が立つなんていうお前の感情には何の価値もねぇんだ。

そこ自覚してないってことはたぶんまだ働いていないんだろうけど、お前は仕事をする前に俺に説教されてよかったな。

何回も読み直して、今までの生き方を恥じ、猛省しろ

ニートブクマついて気持ち盛り上がっちゃった感がすごい。リンク集めてドヤってるところからも滲み出てるけど。

お前もか・・・

子供仕事を教えてやるつもりで頑張ったんだが、響かなければ空回りだな。

残念だ。実に残念だ。

今回学んだことは、スカスカな奴に情熱をぶつけても、肩透かしにあうということだ。

スカスカには何も響かねぇんだよ。

お前らの人生と一緒だよ。スカスカなんだ。

スカスカなお前らが、誰かを批判して、スカッとしてんだろ。

同じ土俵に立ってると思うなよ、観客風情が。

お前もまずは舞台に立って、矢面に立ってみるといい。

そこがお前の成長の舞台だ。

嫌味言ってるだけだと、いつまでもお前スカスカのままだぞ。

おまえ、やる気だけが空回りしてるって言われるだろ?w

お前、やる気があるやつを馬鹿にするなよ。

お前はリアルでもそういう態度を取っているのか?恥ずかしくないのか?

この文章を読むことがあったら、胸に手を当てt自分を見つめなおしてみてくれ。

お前は、カッコ悪い生き方をしてはいいか

自分に胸を張れるのか?

2013-08-24

はてなブックマーク図書館の本にハナクソをつけることと同じ

はてなブックマークを見ると、穿ったもの見方をしてブログ主挑発したり、嫌がらせしか思えないコメントが目につく。

書いてるやつは「鋭いこと言ってる俺、カッコいい」とか思ってるんだろうけど、それ図書館の本にハナクソつけるのと同じだからな。

公開されてる本を、汚してんじゃねぇよ。作者も見てんだよ。

てゆうか、不愉快なんだよ、基本的に。真っ当な批判ならともかく、どんだけ首を斜めに傾けたらそんな解釈になるんだよって奴が多すぎる。

自分コメント見ながら、「す、鋭ェ!」とか思ってんだろ。流川に抜かれた沢北かおまえは。

もっと醜いのが、ついてるハナクソに星をつけて笑う目クソがいることだ。

目クソ、ハナクソを笑うとはまさにこのこと。

よく笑われたハナクソが「人気コメント」になって10ハナクソ選ばれて、ハナクソの自尊心を満たすわけだ。

スターがつきました?馬鹿言え、それは鼻毛だよ。鼻毛付きのハナクソだよ。見たくもねぇ。

まずね、おまえらセンター試験国語からやり直せよ。

筆者が主張したいことは何か考えろって言われただろ?まずは高校レベルの読解力を身につけることから始めろ。

浪人してやり直しだ。

あとな、こういうの書くと、「釣りだ」とかコメントしてくる奴がいるが、釣りじゃねぇぞ。

釣りは魚を釣るもんだ。ゴミ釣り上げるつもりはねぇ。

俺は怒ってるんだよ。馬鹿はてブユーザーにな。

ただな、ハナクソが悪いわけじゃねぇよ。ハナクソつける奴が悪いんだよ。

せめてハナクソ出そうになったら、自分のティッシュで拭きやがれ。

他人の本につけてんじゃねぇよ。

あ?この日記か?たまりにたまった俺のハナクソだ。

出してしまって、スッキリしたぜ。

じゃあな、愛すべきハナクソどもよ。

【追記】

~~~~~~~~~~~~

※色々追記したけど、最もいいたいことは、長くなったので別記事に書いた。

「脱社畜イケダハヤトを一緒にするな。いろいろえっちいじめるな」

http://anond.hatelabo.jp/20130825160438

~~~~~~~~~~~~~

出してもいつの間にかついてるところがハナクソのハナクソたる由縁だが、取れたね。

取れたよ、たくさんのハナクソが。

俺の俺による、俺の主観のハナクソ判定だと、本日ベストハナクソはこちら。

hatekun_b

意訳:俺がキライなものは間違っていてクソ、俺が気に入るものは正しくて高尚

いるんだよ、こういう「I love you」を「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」みたいに訳すような意訳者が。

うまいこと言ってるけど0点だよ。筆者の主張とずれてんだよ。

君はあれだな、まず2次試験国語がある大学からやり直し!筆者の主張を100文字以内でまとめる練習から始めるといい。

jt_noSke

これ自慢したかったんだけど自分センター試験で180点越えたのよ、偏差値76くらいや

センター試験偏差値出ねぇよ。模試か?180点越えたくらいで偏差値76いくのは進研模試くらいじゃねぇかw

進研模試は自慢になんねぇよ。

eirun

最後予防線ハラなければもっと良かった

この人は鋭い。

まるで覚醒した流川ドライブのように鋭い。

実は俺は最後予防線を張った。このeirun氏には見事にバレたわけだ。

これだよこれ。君に100点をつけてあげる。

筆者がハッとさせられるようないいハナクソだ、君は。

hate_flag

便所の落書きにはさら落書きされるのが宿命

便所の落書きさら落書きすんなよ。壁が汚れるじゃねぇか。

そもそもお前は便所に落書きしたことあんのか?

俺は昔、「神よ、願わくば私に紙を与えよ」って落書きしたら、「←つまんない」って追記されてたぞ。こういうことか?

存在しない敵と戦うのは楽しいですか?

お前は想像力が足りねぇよ。

これが天災だったら気にならねぇよ。雨降ってますねで済ますよ。

問題は、こういうハナクソには、ハナクソをほじってる奴が必ずいるということだ。

まりネットの向こうのどこかには、パソコンに向かって意味不明コメントをつけている1人の人間がいるってことだ。

俺はそういう、パソコンに向かってコメントを打っている奴を想像して、訴えかけてるんだよ。

fiiguy

釣り増田がはてぶに釣られてるという意味でな。

お前も鋭いな。80点つけてあげる。たしかに釣られたよ。

ところで、バガボンドって漫画知ってるか?

あれの一巻で武蔵が空を見上げながら、

「俺は 敗れた」

って言ってるだろ?今そんな気分だよ。

「俺は 釣られた」

shuitic

お前こそ、うまい事言ってるつもりなんじゃねぇの?全然伝わってこないけどな。

おおバレたか。俺の気持ちが伝わらないのを見て、お前も誰かに告白する時は、言葉の選び方に気をつけろよ。

そう、批判するだけじゃなく、他人のダメなところを見て、糧にすることが大事なんだ。

「なぜこいつの文章は伝わってこないのか」と考えて、自分還元してくれ。

あと、練習したいならイケダハヤトブログオススメだ。なぜイケダハヤトブログを見てイライラするのか、考えてみるといい。

そして、そうやって考えると、俺も何も学んでいないことがわかる。お互い様だな。頑張ろうぜ。

pQrs

僕は国語センター197点でした。

お前そこまでいったんなら満点取れよ。漢字間違えてんじゃねぇよ。

tadasukeneko

追記の鋭いことを言ってやろう感がはんぱないのが残念

追記はあくまで追記だよ。グリコのおまけみたいなもんだっつーの。

どっちをメインで見るかは、お前次第だな。残念に思われたのが残念だわ。

他人が見ても意味がよく分からないタグこそがハナクソ

トラックバックね。

これは俺も思った。

意味わかんないからググったけど。たぶんこのハナクソほじってる奴は、「俺のほじり方超かっこいい」とかとか思ってんだろうな。

足の指でハナクソほじってるような奴だよ。曲芸に近い。

alloreverything

ここにブクマすると採点してもらえると聞いて来ました。でも実際はてブはハナクソ以下だよね。ハナクソは拭き取ればいいんだもん。

おう、お前はたぶんいいやつで、優しい奴(当社比比較対象はハナクソブックマーカー)なんだろうけど、逆に採点しづらいよ。

まるで無味無臭二酸化炭素のようなコメントだ。そして、悲しいことに、CO2コメントには星がつかねぇんだよ。

イヤミコメントには星がついて、「人気ハナクソ」になるんだよな。

masuhajime

この人の事好きになりそう。応援したい。

おい・・・そんなこと言うなよ・・・(照)

毒吐きづらくなるじゃねぇか。

u_eichi

追記の増田がとてもいい人なので鼻くそつけとく つ●

からそういうこと言うなよ。キャラ見失っちまうよ。

akikan2

I love you. は月が綺麗ですね。だろーが!

お前、痛いとこつくねぇ。

しかにここは俺も迷った。適切なたとえが思いつかなかったからだ。

たとえ迷子に陥り、苦肉の策で聞いていたB'zを使ったわけだ。

この件に関してはお前の勝ちだ。今度使わせてもらうわ。

kz78

追記でデレるのはあかんあとがきで「つまらなくてごめんなさい」と謝る作者くらいアカン。

うるせぇよ。人間は変わるんだよ。

男子三日会わざれば刮目して見よ」って言うだろうが。

お前一回活目してこい。

そして、お前もけっこうなたとえ迷子だよ。俺と同じ穴のムジナだよ。

pero_pero

あああああああああああ乗り遅れてる!今からでも鼻くそにして下さい!!

そもそもお前なんでハンドルネームがペロペロなんだよ。ハナクソなめてんじゃねぇぞ!

kaitoster

図書館の本にハナクソつけるのと同じだからな。公開されてる本を、汚してんじゃねぇよ。作者も見てんだよ。』←図書館の本にハナクソつけても作者は見れないと思いますが。

きたきた!こういうのがハナクソブックマークっていうんだよ。

お前みたいな奴を待っていたんだ!

お前はメタファーって言葉を知らんのか?一回村上春樹小説読んでこいよ。

イチイチつっこみ切れなくなるぞ。

それか、センター試験の第二問。小説の問題を練習してから出直して来い。

2013-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20130722152157

そういうことだろうと思った。

変な話だけれども、小説業界化粧品業界って非常によく似ている部分がある。

化粧品会社というのは方向性の違うブランドを複数持っていて、女が少女から年頃の女性になり、マダム層になり、更に中高年齢層になるまでをフルフォローする仕組みになっている。

少女たちが憧れる派手でリーズナブルブランドマジョリカマジョルカや、アナスイなど)からキャリア層の少し高級感のあるブランドマキアージュ等)に移動させ、更に中高年齢層でスキンケア中心に高級感ある素材でブランドを売る。

で、少年少女を読者対象に据えるライトノベルってのは、例えるならばマジョリカマジョルカアナスイのような素材でないと困る、というものなんだろうな、と。

今の若者は本を読まない、ってのは百年も前から言われてることであると思う。百年前ってのの「本」ってのは、恐らく哲学書だとか宗教書の類だったんだろうけれども。メディアの発達でその昔卑しまれていた新聞は「それぐらい読んでおけ的教養」にまで持ち上げられ、女子供向けの幼稚な読物とされていた小説はまさに教養書扱いを受けてしま時代になった。

「赤と黒」の訳者(多分現在ジーサン的年齢)がリア高時代にこれに触れていたく感動したスタンダール、今ガチ高校生でどんだけ読む子おるん?私が読んだのは20代の半ばで、それでも惜しいことしたなあと残念に思ったくらいなんだけど。

正統ファンタジーとか王道SFとかをラノベ化するには、ただ情報量を減らせとか、語彙を削ればいい、とか、そんな簡単な問題じゃなくて、読者である少年少女ハートが届かなければならないわけでして。だから、その力が失せかけている30代からラノベ作家への挑戦はお諦めなさい、ととても丁寧にお断りの足きりを行っているのが実情だったりもするんじゃないのかな、と思います。私はそういう理由でラノベ作家目指すのを諦めました。

自分が書きたいものを別の表現でもって読者が吸収できるように努力する作業のしんどさは恐らく並大抵のものじゃないと思うわけです。そういう作業はもっと若い世代に任せてしまっていいんじゃないの、と思うようになったんですよ。

からといって今30代超えの人全員にラノベ作家目指すのやめちゃえばいいのに、っていう足ひっぱりは、私は行うのはイヤですのでやりません。だってそういう人たちは結局ラノベ大好きなわけでしょう。一般小説よりラノベじゃなきゃイヤなわけでしょう。その情熱を吹き消すなんて残酷で底意地の悪いこと、私にはとてもできませんよ。

じゃ、自分はそれ以外のどこに向かえばいいんだろう、と迷ったりもする。ラノベ小説界の最大市場だけれども、それ以外のエンタメ市場はだいぶレベルが高く、狭い。純文学など、原稿料だけでは生活できない作家がどれだけいるんだろうって大昔からの定則。

そんなの分かっていて自分で足場を作るのが、他に道を決めた作家志望のやることじゃないのかな、と思うわけです。

私みたいなのは欲がないから、読んでくれる人がいさえすればいい、って考えで、でもそういう考えの書き手ってなぜかどんどんまわりから人がいなくなるんですよ。読んでもらえなくなっちゃう。それで泣く泣くプロ目指すことになる。そいでナニモノか正体の分からんものから追い立てられて書き続ける羽目になる。それでもプロになかなかなれず、プロの足がかりになりそうなものもやっぱり次々と突き崩される。誰にも読んでもらえない、でも書かなくてはならない。

こういう地獄が待ってるから、今の若い人に軽々しく作家目指してます、なんて言って欲しくないんです、私は。こんなシステムじゃそりゃ死人出ますよ。「ヤメロ」とも「お前この程度だ」とも誰も言ってくれない、ただ「もっともっと頑張れ」って見えない場所から鞭打たれるだけなんですから

読んでもらえない辛さ、感想ひとつ貰えない悔しさってのが分からないうちは私の言ってることは何にも響かないでしょう。自分には友達百人いるから平気だって思うでしょう。でもそれがある日半分になり、四分の一になり、いつしか顔色だけ窺っているスパイみたいな独りきりになったとしたら?あなたそんな状態で何年も書き続けられますか?それだけの精神力は自信ありますか?

それでも私は書いてるんだけど。自分の書いてる小説適当に頑張ってれば、いつか誰か読者が認めてくれるんだろうな、くらいには思ってね。無理しない程度に。この、無理しないってのがまあ、難しいんだけどね(笑

あいいのさ。自分ブランド再春館製薬ドモホルンリンクルみたいなのか、先の資生堂エリクシールみたいなのかは分からんけれども、まあマジョリカマジョルカアナスイみたいな若年齢向けメイクアップ化粧品ブランドでないのは分かったからさ。

2013-06-05

セックス描写のない小説を紹介してほしい

2chNAVERまとめサイトを見ていて、

海外小説だったら「悪童日記

日本小説だったら「疾走」あたりが

紹介されているのを見ると何となく胸の内に苦いものが走る。

前者は、バター犬で

後者は、二次性徴

でしょう。

何かその描写の部分だけですごく体力持ってかれる気がする。

ハローサマーグッドバイ』って表紙の女の子可愛い小説があるのだけど、

よし、今日はこれを読もうと、がっちがちに決めて、

やっぱりNAVERで知った喫茶店で日曜の午後をずっと過ごしていたら、

落ちの前の方で、あの可愛い女の子ゴルゴ13?の女性みたいな心の声を上げるので

脱力して、本を閉じて帰ってしまった。

帰りしなの電車で改めて最後まで読んですごく後悔したのだけど、

あれは訳者が悪い!

なんか古かったし、もっと軟着陸できなかったのか。

木を見て森をみないことはないし、確かにどれも面白いお話ではあるのだけど、

予見していないとストレスが残ってしまう。

から、いっそ最初からセックス描写なんてなければいい。

話は変わるけど、私の母と妹は、ディズニーなどの海外ドラマが好きだ。

記憶に新しい三年前は、アグリ・ベティーをずっと見ていた。

親子でいつもソファに並んで、見てた。

「なんで、そんなに海外ドラマばかり見るの?」

妹が化粧室に立った際に、母に聞いてみた。

「今九時だしチャンネル回せば、邦画ドラマだってたくさんあるのに」

ディズニードラマってベッド(シーン)がないんだよね。

 だから安心して見られる。」

面白いよ、一緒に見てみない?座って座って。」

その後戻ってきた妹と母に左右を塞がれて

強制的にドラマの鑑賞会をやらされた。

青い入れ歯やメキシコ系って設定がものしかったし、

普通に面白かった。

黒幕は、事故の末に性転換を受けた元男性、今女性という

設定なのに、色物キャラのわりに健全な美しさだった。

昔のドラマでいえば、フルハウスもそんな感じだったと思う。

あんな大家族なのに、そういう描写がなくて、ふつーに爽やかだった。

あのドラマを良く読んでいた時は知る由もなかったけど。

ところで自分が好きな漫画家

大石まさるさんとあずまきよひこさんがいらっしゃるのだけど、

同じ共通点を持っていた二人の、これは乱暴な言い方だけど似たような日常系作品のうち、

「おいでませり」は残念だけど三巻で終わってしまい、「よつばと!」は今も続いてる。

自分パンツマンが理由だと思う。

一人は微妙な年頃のぱんつばっか描いて、

こけたら、宮崎駿みたいにあけっぴろげにしてる。

話は好きなんだけど、ジャジャムさまのぱんつはもういいや。

もう一人は中年男性パンツマンだ。

よつばちゃんのぱんつは見たことない。

それでやらしい、やらしくないかなんだけど、

よつばとのとーちゃんにそういうのを感じた事は今までない。

しろ笑って何度でも読んでしまう。

確か、将棋の人が苦笑まじりに自分キャラの服のトーンが

父ちゃんと被ったって言ってたのも、

父ちゃんのぱんつは対象外だからじゃないかな。

そんな次第です。

セックス描写とぱんつ描写がなくて、居間であけっぴろげに読んでいても

恥ずかしくない小説などございましたら、紹介してください。

. 。○ (十二国紀の新作(yom yom既出じゃないよね)が7月に出るみたいだけど、

   そういえば、こんな感じで安心して読めたんだった)

2013-05-24

仮名君って、知ってる人にはごく初歩的な内容でも知らない人にはすごく難しそうに話すよね。』

『お前が今話してることって全っ然大したことがないの、気づいてる?』

研究室助教に面と向かって言われたことがある。あれから少なくない日が過ぎたが、私の本質は今も全く変わってないらしい。

先日、こんなエントリを書き殴った。

かつて、私の隣にSQL魔女がいた

http://anond.hatelabo.jp/20130517235137

元増田エントリを書いた心境や、その後、ブコメ感想を書くことが流行ってるらしいので私も書きたいことを書こう。

あれは私の妄想です。

良き師に巡り合う世界線なんてここには存在しなかった。

私の幻想界に皆様をも引き込み、こんな人に会いたかった、なんて目をそばめさせた方には本当に申し訳ない。

そのままそっぽを向いていてほしい。私も付き合うから

気になったブコメレスを返します。

書き手さんの心の中に読み手さんがいなかったんだろな。決めになる「通称」の方のことをなんとか文字にしたいって思いで溢れて突っ走った感じ。

このブコメ書いた人何者なんだろう。

ええ、正直釣れるなんて微塵も考えてなかったし、ましてやそれがホッテントリ入りするなんて想像だにしてなかった。

断っておくけど、SQL魔女は確かにいた。かつて在籍していた。寿退社事実だ。だが、私との関わりは一切ない。飲みの席で、それこそ幾たびとなく修羅場を助けていった伝説の人として名前を聞いただけだ。具体的なエピソードをいくつか聞いた気がするが、二次会を過ぎたあたりで名前しか記憶に残っていなかった。

から、あの話はSQL魔女に二度目の再開を果たすまでが本当で、再開した後は全部、こうあったら良かったのになという妄想だ。私だけの、サクセスストーリーのつもりだった。カウンターが回らないブログ、そんな気持ちでいつものように増田で嘘をついた。

もともと私は息をするように嘘をつく。マグロが貧弱な呼吸機能を泳ぎ続けて補うように、私も弱い心を力強い妄想で常に支えている。

先月は妹を題材にいくつか話を書いた。

http://b.hatena.ne.jp/entry.touch/anond.hatelabo.jp/20130409084241

http://anond.hatelabo.jp/20130430012552

ありもしない兄妹関係

一方では仲の良さを装って就活成功裏に終わったことを描いて、もう一方では具体的に心境を説明できなかったから逃げで不仲を装いつつ、兄妹の同居を描いてみた。意外と実際から相違ないらしい。

安心して、GWは妹との会話を心ゆくまで楽しむことができた。ぼっちに耐えられた。

SQLを一切読み書きできなかった素人が「いろは」を教えてもらったおかげで現場無能扱いを免れたので嬉しさのあまり話を美化しまくってるだけ、に思える。元が出来なすぎただけでは。

HAHAHA、今も出来ないです。無能が有能になりたい、あれはそういう夢でした。実際はT2...結合試験ですね…のフェーズ終了とともにめでたくおはらい箱になり、今もうだつの上がらない日を過ごしております

どうしてこのレベルSQL魔女と呼ばれるのか?と疑念を抱いた方もおられるようですが、お人がいいですね。メディアである元増田能力を、まずは疑うべきなのに。SQLパズル名前を出したのがそれっぽかったのかな?この通りだからステマなんてあり得ない。訳者か、関係者がこのレベルで済むはずないもの。私の話なんてほんと全然大したことない。

知的に見えるだなんて嘘。だってこんなに分かりづらいと言われる文章を書くんだもの。鼻先三寸は予想だにしなかったタイポだけど、もっと根本的なところが私には欠けている。これ以上嘘を強化しないで。成功した未来現実に重ねて降りさせないで。

思えば今年の二月、増田に初めて書き込んだ時、父を殺した。存命中の父よりも死んだ方が手っ取り早かったからそうした。それから、先、増田投稿する内容は必ず嘘を混ぜてから出し続けた。

でも、もうダメだ。もう、終わりだ。嘘はこれまで。嘘が通じる世界もこれまで。肥大した自負が現実を支えられない。もう、お終いにしよう。さようなら増田さようなら、私の女の子さようなら、私。

2013-04-19

英語ができないとカネがかかるのではなく、情報検索能力が低いまたは試行錯誤能力が低いと金がかかる、要するにバカは金がかかる

http://d.hatena.ne.jp/oneshotlife_tom/20130418/1366264835

"on lisp"でぐぐるトップに出てくる草稿置き場を見ずに

Download 無料で手に入るものお金を払うってどうよ?! ポール・グレアム氏の知に対して対価を支払うのではなく、質の悪い翻訳に対して対価を支払っているのかと思うと悲しくなってきた

(注 現在この文は変更されている模様)

とか言っちゃってるのがなんというかかんというか。

なおon Lisp日本語版は決して質の低い翻訳ではありません。野田くんは、2005年の時点ではすでに翻訳を開始していた(と思う)。で、2005年だったか2006年だったか出版の話があったようでその後2007年に発売されたわけだが、当時Lisp情報ってあんまりなくて、翻訳苦労してるみたいなことをはてダに書いていた(ような気がする)。

あと学術関係書籍は逐語訳をすれば出来上がるものではなく、まだ存在していない語を新たに作ったりとか、日本人が正しく元の言語と同じイメージを描けるように訳語を変える(数学系か物理系か情報系かでまたイメージするところが変わるので難しいが)とかいろいろ工夫が必要。また、実践系の書籍特にWebに挙がってるタイプや、著者がつらつらと書いたタイプレガシーコード改善ガイドみたいな)とかは元の文章が読みにくかったり、例に間違いがある場合もあり、それをわかりやすく整理するのも訳者(編者)の仕事になっていて、日本語のほうがよっぽどわかりやす場合もある。そういう編集作業に対価は発生しているのだ、となんで考えないんだろう。

というか良い物をただで貰えるというのは単に著者が良い人なだけで、基本的にはよいものを手に入れたらそれに対価は払うべき。なにただのりしてんだよ、というのもある。

しか2007年発売で未だ発売されてる本だぞ。評判とか前もって検索しなかったのか?今買っときゃなくなる本でもあるまいに本屋で見かけてから家に帰って調べる時間くらいあるだろう。ネットで買うならその前にググれば草稿版も原文もでてくるのに。

ケチ英語ができなくても頭が悪くても金はかからない。なぜなら情報検索試行錯誤ができなければケチを徹底できないからだ。ケチも徹底するとやがて英語も読めるようになるし、それなりに知識もつく。頭の回転が悪くても試行回数でカバーできる

というわけで表題に戻るわけだが、世の中には著しく情報検索能力もしくは試行錯誤能力が劣る人々がいるらしいということは、僕もそろそろ大人になったので理解している。情報検索能力(もしくはその情報の精査能力)というのがなければ対価を払って上げ膳据え膳で情報をもらうしかないんですよ。そこらへんはビジネスチャンスになるので、頭の良い人はみんな情報検索能力もっとあげるべき!とは言わない。むしろ知らなくていいよ、日本語だけ出来ればいいのよというだろう。そんで文句をいってもちゃんとはいはいって言って聞いてくれる。それはビジネスから

ググりはするけど試行錯誤能力が異様に低い人間というのもいる。まぁいってしまえばググって上の3つの候補しかみない、みたいな。3つの候補で目的を達成することのできる検索能力があればそれはそれで構わないとは思うが、大抵の場合そういうわけにはいかないわけで、候補からキーワード抽出してそれでググり直して、もしくは不要な語を覗いて再検索をかけて目的情報に到達するためにはやはり試行錯誤能力必要だ。もちろんできなくてもたぶん問題ない。それもビジネスチャンスになるから、代わりに調べてくれて代わりにやってくれる人もいる。それで文句を言ってもやっぱりはいはい聞いてくれる。ビジネスから

俺は面倒くさがりなのと自分を棚上げして文句いう奴嫌いなのでとっととググれクソが、と思うけどな。ていうか金がもったいないならググれよ!ケチならケチなりにただで提供していただいている検索エンジンをおもいっきり活用して、必要なところに必要なだけ金を使えよ。対価を支払うべき相手にきちんと自分が得た価値の分だけ対価を払えよ。それができないなら頭下げて金でも払ってろうんこうんこ

2012-12-31

増田とは”決して後悔しないこと”

(元記事)「ゴメンで済んだら愛なんて簡単になくなっちゃうんだぜ」(http://ararara.exblog.jp/19752448/)について

愛とは決して後悔しないこと(であり、だから、ああしたら良かった、こうしたら良かった…という後悔は私にはない。それゆえあなたのごめんなさいも必要ないのです)」

……と、相当距離を置けば、"Love means never having to say you're sorry"の訳が上記になる理由は分からなくもない。まあ、確かにかなり遠い「超訳であるのは事実

したがって違和感があることは否定しないけれども、「ゴメンで済んだら…」云々というのも、ちょっと大仰というか特殊すぎないか

これを訳す際には、この小説でこの台詞が二回目の登場であることを考慮すべきであって(参考:http://getupenglish.blog.ocn.ne.jp/getupenglish/2010/07/love_means_neve.html)、それを踏まえれば

「愛に『ごめん』はいらないのよ」

「愛に『すまない』なんて言葉はいらないんですよ」

くらいが台詞としては妥当な訳かな、と思ったり。つまり、「…(ソンナコトヲじぇにーガイッテタナア…)…」という言外の雰囲気がそこに漂えばそれでいいと思うわけですね。

でも、結局この部分、あんまり印象的な台詞にならない。その理由として致命的なのが「愛」という日本語の軽さではないかと思います。つまり、いきなり「愛に『すまない』なんて言葉は…」という台詞が出てきても、英語Love」のもっている言葉の重みが悲しいか日本語だと足りないもんだから、その「愛」がどの「愛」か、瞬間的に分からない。「え?誰が何を愛してるって話…?(・・;)(キョトン)」…となってしまう。だから、訳してもすとんと落ちないんですよね。

そこで、たとえば「愛」という言葉を省いてしまうのが一案。

「ゴメン、なんて簡単に言っちゃダメ

スマナイ、なんて簡単に言っちゃダメですよ…」

これなら、日本人相手には、もとの演出意図がより伝わりやすくなると思う。演出的には、いい感じ。けれど、ここで「愛」という言葉を外すと、作品のメインテーマがそっくり抜け落ちることになるのは、別の意味で致命的な事実です。

結局、演出を殺すか、テーマを殺すかという二択。そこで、当時の訳者が、テーマを殺すことだけはどうしてもできないので、演出を殺しつつ件の(最後の)台詞過剰な演出を施すという第三の解決策を施したのが、最終形「愛とは…決して後悔しないこと」だったのではないか、と思います。それはそれで、まあ当時の経営判断としては充分正しかったんじゃないかなあ。学校でいう「訳の正しさ」という意味からはかなり遠い話にはなるんだけれども。

以下想像

P「あのシーンのせりふ、超カッケー感じにしろしwwww」

   ↓

訳者「いや、前の台詞との関係気づかせるとか、無理スwww」

   ↓

P「知らんwwwwとにかくカッコつけろwwwしww」

   ↓

訳者おkwwwwコッコォーwwwクシャーシタァ---ライッtライッtwwwww」

   ↓

P「ハヤスwwwwテラ適当www」

   ↓

訳者「ケッシテ…ッカイシナーコトォ! ( ´,_ゝ`)キリッ」

   ↓

P「ゲラゲラゲラwwwwテラカッケーwwwwwwおswwwwwww」

まあ、知らんけど。 

日常底」について

こんにちは。前の記事(http://anond.hatelabo.jp/20120720212651)に、エピクテートスの「日常底」について「あとで調べる」と書き、あとから少し調べたのに、そのまま忘れてたので、結果を報告します。

  • 仏教学関連の論文で「日常底」という語が用いられている例がある。

仏祖の言をこのように考え来り、その言葉の内奥に潜む仏祖のこころ(語り手と聞き手という二重の意味で)こそが第一義であるとするとき、いま一つの問題が残ることになる。それは、日常底の人間が未だ仏祖ではないということである。(岡島秀隆「禅仏教言語観」、『禅研究所紀要』第21号、愛知学院大学研究所1992年、108頁)

日常底の宗教とは、先の臨済の四料簡での四つの境涯に愛(アガペー)や慈悲の裏打ちをして各個が生き得るような宗教である。(花岡永子「仏教キリスト教との出会い: 根源的いのち経験から」、『宗教研究』77巻2号、日本宗教学会2003年、219頁)

即心即仏、非心非仏、不是物とか、その他、ふつう理解できないような数多くの言葉が、禅匠たちによっていわれて来た。それはわからないといえばわからないけれども、それほど明らかなものもないわけで、それは眼の前にはね返っているもの、それなくそれを離れては、日常の行動、人との対話、仕事実験無神論者唯物論者の論争さえもできないような、根本的なものなのである。そういった日常のものではあるが、それに気づいているか、ということになれば問題である。(鹿野治助「禅と倫理」、『講座 禅 第2巻 禅の実践筑摩書房1967年、185-186頁)

さて、しかしだからと言って、私には「日常底」という語の意味は分かりません。ご存知の方いましたら教えてください。以上、報告おわり。

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (2/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

どうやら村上は、この本のアメリカ版をそのとき初めて目にしたらしい。

そういう文化交流はえてして少しぎこちなくなるものだ。

日本では『1Q84』は2年を掛けて3巻に分かれて発表された(村上は2巻目で一度終わりにしたが、一年後にもう数百ページ付け足したのである)。

アメリカでは、一巻のモノリスとして組まれ、秋の読書イベントに発表が設定された。

YouTube ではきらびやかトレーラームービーを見ることができ、

一部の書店では発売日10月25日に深夜営業が予定されている。

Knopf は英語訳を急がせるため、二人の訳者に手分けして翻訳をさせた。

村上にこれほど長い作品を書くつもりがあったかと尋ねると、なかったという。

これほど長くなることが分かっていれば、書き始めなかったかもしれないともいう。

彼はタイトルや冒頭のイメージ(この作品の場合は両方だった)が浮かんだ時点で、机の前に座り、

毎朝毎朝、終わるまで書きつづけるのである

1Q84』によって彼は三年間収監されたという。

といっても、この大作はごく小さな種から生まれた。

村上によれば『1Q84』は、人気を博した彼のショートストーリー『四月のある晴れた朝に100パーセント女の子出会うことについて』(英語版では5ページ)を増幅させたものに過ぎないという。

「基本的には同じなんだ」と彼は言う。

少年少女出会う。別れてしまった後、二人は互いを探し合う。単純な物語だ。それを長くしただけ」

実際には『1Q84』は単純な物語ではない。

筋書きを要約することすら、少なくともこの宇宙人間言語をもって雑誌の1記事で書くとすれば不可能だ。

物語は行き詰まりから始まる。

青豆という少女が、タクシーに乗って東京の周縁に掛かる高架の高速道路を行く。

そこで渋滞に巻き込まれ、身動きがとれなくなる。

タクシーラジオからある歌が流れる。

チェコスロバキア作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」だ。

渋滞に巻き込まれたタクシーの中で聴くのにうってつけの音楽とは言えないはずだ」と村上は書く。

しかしそれは神秘的な深さで彼女共鳴する。

シンフォニエッタ」は進み、タクシーは動かない。

運転手は青豆に変わった迂回路を提案する。

高架高速道路には非常用脱出口が設置されている、そして、普通の人には知られていない脱出口への階段がある、と彼は言う。

本当に絶望しきっているのであれば、そこから地上に降りることもできる。

青豆が考えていると突然、運転手が村上一流の警告を口にする。

「見かけにだまされないように」と彼は言う。

降りていけば、彼女にとっての世界根底から変わってしまうかもしれない、と。

彼女はそうして、世界は変わった。

青豆が降りた世界歴史の軌跡がわずかに違っていた。

そしてわずかではない違いとして、月がふたつあった(ちなみに彼女遅刻した約束というのは暗殺約束であったことが明らかになる)。

そしてその世界にはリトル・ピープルと呼ばれる魔法の種族がいる。

彼らは死んだ盲の羊の口(詳しく書くと長くなる)から生まれ、オタマジャクシの大きさからプレーリードッグの大きさにまで育ち、「ホーホー」と合唱しながら空中から透明な糸を紡ぎだして「空気さなぎ」と呼ばれる巨大なピーナッツ型のまゆを作る。

1Q84』の狂気はおよそそのような流れだ。

この本ではなかばあたりまで、このように浮世離れしたした超自然ガジェット(空中に浮かぶ時計、神秘的なセックス麻痺など)が繰り出されてくるので、

私は行間にエクスクラメーションマークを置きたくなった。

この数十年、村上は自身が「本格小説」と位置づけるものを書こうとしていると言い続けてきた。

一例として彼は『カラマーゾフの兄弟』を挙げて目標にしている。

その試みこそが、三人称の幅広い視点から描かれた巨大小説1Q84であるように思われる。

怒り、暴力惨事、奇妙なセックス、奇妙な新現実を抱えた本であり、

日本のすべてを取り込もうとするかのような本である

偶然ぶつかることになってしまった悲劇にも関わらず(あるいはその悲劇のなかでこそ)、

ひとりの人間の脳に詰め込まれた不思議を提示して、本書は読者を驚嘆させる。

驚きを覚える本の数々をこれだけ読んだあとでもなお、私は村上の本で驚かせられた。

そのこと自体が驚きだったと村上に伝えると、彼はいものようにそれを受け流し、

自分想像力を入れたつまらない花瓶でしかない、と言い張った。

「リトル・ピープルは突然やってきた」という。

「彼らが何者なのかはわからない。その意味づけもわからない。

 僕は物語の虜だった。選択したのは僕ではなかった。彼らが来て、僕はそれを書いた。それが僕の仕事

村上の作品は夢のようであることが多い。

明晰夢を見ることがあるかと尋ねると、

覚えていられたことはない、という。

目覚めたときには消えている、と。

ここ数年で覚えていられた夢は一度だけ、それは村上春樹小説のような繰り返す悪夢だったという。

その夢の中で、影のような未知の人物が「奇妙な食べ物」を料理してくれていた。

蛇肉の天ぷら芋虫パイ、そしてパンダ入りライス

食べたいとは思わないが、夢のなかでは彼はそれに興味をひかれていて、まさに一口入れようというとき目が覚めた。

2日目、村上と私は彼の車の後部座席に乗り込み、彼の海辺の家へ向かった。

運転したのはアシスタントの一人である身ぎれいな女性で、青豆よりわずかに若かった。

私たちは東京を横切り、青豆が『1Q84』で運命的な下降をした高架高速道路の本物へと向かった。

カーステレオではブルース・スプリングスティーンカバーした「Old Dan Tucker」がかけられていた。

アメリカシュールレアリズム古典である

車中で、村上は冒頭のシーンを思いついたときに考えていた緊急脱出口のことを持ち出した(青豆と同じように実際に渋滞に巻き込まれていたときにそのアイデアを思いついたという)。

次に彼は存在論的に複雑な仕事をした。

実際の高速道路で、小説中であれば青豆が新世界に向けてくだっていったであろう場所を正確に特定しようとしたのである

彼女用賀から渋谷に行こうとしていた」車窓をのぞきながら彼はいう。

「だから多分このあたりのはずだ」

と言ってこちらを向いて念を押すように

「それは現実じゃないけれど」

と付け加えた。

それでも、彼は窓の方に戻って実際に起こった出来事を話すように続きを語った。

「そう」と指差して「ここが彼女が降りていった場所だ」

キャロットタワーと呼ばれる、およそ巨大なネジが刺さった高層ビルのような建物の前を通り過ぎた。

村上はそこでこちらを向いて、もう一度思いついたように、

「それは現実じゃないけれど」と言った。

村上フィクションは変わったやり方で現実漏れ出す。

日本に滞在した5日間のあいだ、私は村上東京にいたときとは違って、実際の東京で落ち着くことができなかった。

村上東京、それは本物の東京を彼の本というレンズで見たときの姿だ。

私はできるかぎりその世界時間を過ごそうとした。

村上天啓を得たあの場所神宮球場へ行き、

客席の上の方で二塁打が打たれるたびに注目した(私がもらった天啓もっとも近いものは、枝豆を喉につかえさせて窒息しかけたことだった)。

また、私はローリングストーンズの「Sympathy for the Devil」とエリック・クラプトン2001年アルバム「Reptile」をかけながら、神宮外苑という村上お気に入り東京ジョギングルートゆっくりと走った。

私のホテル新宿駅に近い。そこは『1Q84』でも重要役割を果たす、交通機関ハブ的な場所だ。

登場人物たちが好んで使う集合場所中村屋で私はコーヒーを飲み、カレーを食べた。

そしてフレンチトーストタピオカティーの向こうで東京人たちが交わす会話に耳をひそめた。

そうしてうろつくあいだに、村上小説が極度に意識しているものごと、すなわち、偶然かかる音楽、上昇と下降、人々の耳の形といったものを、私も極度に意識するようになった。

こうして私は、村上巡礼者の列に連なることになった。

実際、彼の小説中の説明をもとにして料理本を出版した人もいるし、

登場人物が聞いた音楽プレイリストオンラインでまとめている読者もいる。

村上は、明らかに喜んだ様子で韓国のある会社西日本への『海辺のカフカ旅行を企画したこと、

ポーランド翻訳者が『1Q84』をテーマにした東京旅行ガイドブック編集していることを教えてくれた。

こうした旅自体が、形而上の境界を越えてしまうこともある。

村上は読者から彼が生み出したもの現実世界で「発見」したという便りを受け取ることがよくあるという。

たとえば、彼が作り出したと思っていたレストランや店が東京に実際ある、など。

ドルフィンホテルというのは『羊をめぐる冒険』で村上が生み出したものだが、札幌にはそれが複数ある。

1Q84』の発表後、ありえない名字として作り出したつもりだった「青豆」という名字家族から村上は便りを受け取ったという。

彼はサイン本を一冊その家族に送った。

ここでの要点と言えるのは、現実漏れ出す虚構、虚構に漏れ出す現実というものが、

村上の作品についてはほとんどの場合、作品そのものだということだ。

彼は私たちを世界から世界へと往還させる。

世界から世界への往還──それは翻訳の作業を思い起こさせる。

翻訳は、様々な意味村上の作品を理解する鍵となる。

彼は一貫して日本作家からの影響を否定してきた。

作家活動の初期には、「日本人という呪いから逃れようとしているとさえ語った。

その代わり、十代の若者として、西洋小説家の作品を貪ることによって、文学感受性を培った。

その中にはヨーロッパ古典ドストエフスキースタンダールディケンズ)もあったが、

彼が生涯を通して繰り返し読んだのは、とりわけ20世紀アメリカのある種の作家たち、

レイモンド・チャンドラートルーマン・カポーテ、F. スコット・フィッツジェラルドリチャード・ブローティガンカート・ヴォネガットなどだ。

処女作に取りかかったとき村上は奮闘し、標準的でない解決法に行き当たった。

本の冒頭を英語で書き、それから日本語翻訳し直すのである

そうやって自分の声を獲得したと彼は言う。

村上を長く翻訳しているジェイ・ルービンによると、村上の作品の特徴のひとつは、

たか英語原作から翻訳されたかのように読めることだという。

2011年10月21日

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2011-09-12

[][]ヒラリーパトナムの古い邦訳本のひどさ

昔のヒラリーパットナム名義の邦訳本はひどい。

どれだけひどいものであるかは、学会誌科学哲学』17号(1984年)での藤田晋吾氏による書評J-Stageで閲覧可能)が端的に指摘している。

書評の対象は「H.パットナム著(藤川吉美訳)『科学認識構造意味精神科学―』」。(以下、訳の訂正を書いたのは私。)

 

原文:He said 'P' & P.

邦訳:彼は'P' & Pと言った。

 

「彼は'P'と言った & P」の誤り(彼は「Pである」と言った、かつ、Pである)。

 

原文:Asserting p is asserting p is provable.

邦訳:Pを主張することはPを主張することであるということは証明可能である

 

「pを主張することは、pが証明可能であると主張することである」の誤り。

 

原文:is still of value

邦訳:静寂の価

 

「なお価値がある」の誤り。

 

 

原書を読むと分かるように、パトナムの英語は明晰で読みやすい(哲学者であるにもかかわらず!)。

しかしその「H・パットナム」名義で、中学生レベル英語読解力と学部レベル未満の哲学の知識しか持たない者が出版した本が存在し、それは全章にわたって意味不明ものなのである

 

この件は、日本における言語哲学泰斗飯田隆氏らが訳した『実在論と理性』(勁草書房)の訳者あとがきでも触れられており、「あまりのひどさに恐れ入るような代物」とされているのだが、具体的な書名や訳者名は書かれていない。

また、一部で知られている「これから文系大学院へ進む人のために」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~teorema/)というサイトにも、当該の訳者のエピソードが登場し、その訳本は「Pの名前で出ている不思議な本」と呼ばれていると紹介されているが、イニシャルでの記述になっている。

 

調べれば分かることだが、ネット上で目に触れやすい情報がなかったのでここに書いておく。

2011-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20110825193144

外国人著者が書いた本は、日本語訳の本を読むのではなく、原書で読まなければ意味はありませんよ」

意味が無いとは言わないけど、結構別物だと思う。

文学作品なんかがそうなのはみんな異論ないよね。文体なんて言語が変われば変わってしまう。

そうでないものでも、著者の世界観というか、そういうもの言葉の端々に出るもので、訳者が著者と全く同じ世界観を持っていない限り訳者が理解した世界観表現されてしまう。

2011-03-28

図で見る放射線の影響

http://www.flickr.com/photos/60159863@N07/5567134825/sizes/l/in/photostream/

原作者:Randall Munroe

著作権パブリックドメイン原作者パブリックドメインで公開しており、訳者権利も全て放棄する)

注意:画像中にもあるように、内容の正確性については原作者訳者も一切責任を負わない

2010-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20101219101756

How about Korean? Great market, go for it! I've already seen people using Dropbox here, sweeet!

私だったら、「韓国はどうなんだ?すげぇマーケットなんだからさっさとしろよ!」としますね。

私だったら、

韓国語は?凄いマーケットだよ、やってみてよ!ここでも色んな人がDropboxを使ってるのを見たよ、すごーい!”

って感じでしょうか。

"go for it!"や最後の"sweeet!"からして、これは学生・あるいは精神年齢学生が甘ったれて書いてる感じですからおバカな感じにはしても読み手が悪意を感じるようには訳しませんよ。

結局原文を書いた人にコンタクト出来ない以上、書いた人の真意はわかりませんから訳者解釈になります

日本語意味は同じ文でも語尾の選択で印象が大きく変わってきますから、そこにどんな日本語を当てるかは翻訳者の心を映す鏡だと思いますよ。

2010-10-09

訳書を読むという行為は写真を見るのに似ている

同じ作品でも、訳し方は人によって全く違う。

それぞれに良い所があり、味がある。

その作品をより深く理解しようと思えば原書を読むのが一番だろうが、その言語への理解が浅ければ作品も深くは理解出来ない。

だから訳書を読む。

けれどそれは訳者の理解のフィルターを通した作品であり、だからこそ人によって違った訳が生まれる。

何人もの訳を読めば、理解は深まると思う。

同じように、一つの風景でも撮り方は人それぞれだ。

撮影者が何処に美しさを感じたか。

それが、風景を忠実に写し取っていると思われがちな写真というものにも現れる。

現地へ赴けばどんな景色であるか、どういう風に美しいのか、あるいは美しくないのか、何も通さずに感じられるだろうが、そう何処にでも行ける訳ではない。

だから写真を見て楽しむ。

何枚も、何人もが撮った写真を見れば、そこがどんな場所なのか良く分かるだろう。

そんなことをふと思った。

2010-04-23

Twitterは良すぎるのかしら?

From Creating Passionate Users

By Kathy Sierra

2007年3月

私はTwitterが怖い。これだけ人気があるサービスだけれど、私は少なくとも三つの問題点を見て取れる: 1)Twitter心理学にいう「間欠的不規則報酬」のほとんど完璧な実例である。これはスロットマシンが人を惹きつける仕組みと同じ。 2)Twitterを使うことで得られる強力な「人とつながっている感覚」は、脳を騙して「何か有意義な社会的交流を行っている」と思わせてしまいうる。その一方で、脳の別の(古い)部分では、そこに人間の生存にとって重大な何かが欠けていると「分かっている」 3)Twitterは「常時マルチタスク状態」の問題を悪化させる要因の一つであるーーもしかしたら他のものよりもっと強力かもしれない。Twitterをしながら(もちろん、emailでもチャットでも同じ)、深く考え込んだり、フローの状態に入ったりすることはできない。

[注意: 私はこの問題について本当に少数派みたいで...ほとんど100人中99人がTwitterを支持している状態だから、たぶん私が間違っているのでしょうね(でもとりあえず書いてみるけど)。それと、この記事の大部分は、関係するテーマについて私が書いた様々な記事を混ぜ合わせて作ったものです]

この三点についてもっと詳しく見てみましょう:

1) Twitterスロットマシン

スキナー発見の中でも最も重要なものの一つは、間欠的に強化された行動は(継続的に強化されたものとの対比において)、最も消えにくいということだ。言い換えると、間欠的な報酬予測可能な報酬より優れているのだ。これは大抵の動物トレーニングの基礎となっていて……人間にも応用が効く。スロットマシンがあんなに人の心に訴えるのはそのためで、別に中毒にならずともこのことに気がつくことはできる。

Time誌のマルチタスクに関する記事より:

テクノ心理学者パトリシア・ウォレスは〔中略〕Emailがーー十代の子供のみならず成人に対してもーー持つ魅力の一部はスロットマシンの持つ魅力に似たものだと主張している。「間欠的変動強化を受けているのです」とウォレスは説明する。「毎回報酬をもらえるのか、またどれくらい頻繁にもらえるのかがはっきりと分からないがゆえに、ハンドルを引き続けるのです」

2) 人とつながっているという感覚

多くの人にとってTwitterの最大のメリットは、他の人とよりつながっていると感じられることにあるようだ。カーソン・システムズのリサは、Twitterを擁護するテラ・ハントの記事へのコメントの中で、これを次のように表現している。

Twitterは友達の感情地理的な場所、動作を記録することによって〔中略〕このギャップを生めてくれる。まるで私たちが本当にそこにいるみたいにね。このおかげで『本当に』つながっているって感じになるの」

これは本当に良いことなのだろうか?

おそらく、答えはイエスなのでしょう。たぶん、ほとんどの人にとっては。けれど、「人とつながっているということは常に良いことだ」という反射的な回答は批判的に検討してみる価値はあると思う。UCSFの神経生物学者であるThomas Lewisさんは、「注意しないと、たとえ実際はそうでない場合であっても、人は脳の一部を騙してーーはるか昔より人の生存にとって不可欠なものであるーー本当の社会的交流を行っていると思わせてしまう」と主張している。これは不快な(しかし無意識の)認知的不合致、つまり脳が必要だと思っているものを取っているのだけど、「科学的に完全に分かっているわけではないけど、おそらく嗅いで感じられる何か」を満たすには足りないという状態につながる。彼はこれをTwitterについて言ったわけじゃないけど……Conference on World Affairsで彼の講演を聞いた時には、emailやチャット、さらにはテレビにまで言及していた(脳は「人々」を見ていると認識して、社会的関係を持っているに違いないと考える(GOOD)、けどそこには何かが欠けているとも気がついている(BAD))

Lewis先生はとても多くの研究を引いていたけど、私はそれを書きとめなかったので、このことは割引いて聞いてもらってもいい。加えて、私は彼がemailやチャットについて述べたことをTwitter拡張していることにも注意。けれど、Lewis先生が言うことには、私たちがこのようになる理由の一部は、私達の脳が体の身振りや顔の表情や声の調子などを解釈する先天的能力を発達させていて、こういう情報チャンネルを予期していることにあるのだという。だから、社会的交流があるように見えているけれども、この先天的な、昔ながらの脳の機能の一部が働いていない状態になると、ストレスを感じるのだ。

繰り返すけれど、だからといってそれに見合う価値がないというわけじゃない。これは遠くに離れた家族や友達とつながっているには非常に有益なものだ。私が言いたいのは単に、これが一部の人々に「私はつながっている」という誤った感覚を与えていて、現実のつながりを犠牲にさせているかもしれないと問うてみる価値があるということだけ。

隣の人とコーヒーを飲むのは、千のTwitterの投稿より脳に多くを与えてくれるかもしれない。

これと同じような議論はずっとなされてきたし、テレビにだって同じことはいわれているけど、それだからこの話が間違っているということにはならない(孤立したカナダ人の村にケーブルがようやく開通すると、集団のIQが下がってしまったという研究がある...とルイス先生は講演のなかで述べていた。私はこの研究への引用ウェブで見つけることができなかったけど)

皮肉なことに、Twitterのようなサービスは同時に、仲間の輪の中に入っていないのではないかという心配を一部の人たちに植え付けて、「つながっていない」という感覚を起こさせる。「常に更新している」ことの重要性を高めることで、十分頻繁にtwitterをチェックしたり投稿したりしていない人たちの「何かが欠けている」という感覚を増幅させてしまうのだ。

3) Twitterは最も(厄介に)継続的な注意散漫状態を作り出すものである

前の私の記事より:

最悪なことに、この押し寄せる投稿は、私たちのほとんどを最も幸せにしてくれる「あること」から引き離してしまうということだ...つまり、フローの状態にいることから。フローの状態に入るには深く考え込み、意識を集中させる必要があるけど、この種のコンテキストを切り替えるものはそのどちらも妨げてしまう。フローの状態では知識やスキルを意欲的に使う必要がある。これはマルチタスクで(食べながらや、テレビを見ながらなど)できるような頭を使わない仕事とは全然違う。フローでいるには、ある程度の時間を使って知識とスキルを脳のRAMにロードする必要がある。そして、それが大きいものであれ小さいものであれ、より多くの邪魔が入るにつれて、ますますフローの状態にはたどり着き難くなる。

しかも、フローの状態に入れなくなるというだけではない。およそ何かについて熟達するということもなくなってしまい、エキスパートにもなれなくなってしまうのだ。脳科学者に尋ねてみれば、エキスパートとなるのに重要なのは天才かどうかではなく、物事に集中できるか否かなのだと教えてくれるだろう。

情報過多という現象に対する反動はもう見えている。Web2.0 VC はかなりの額を、情報を整理(されたままに)する サービス約束する会社に注いでいるみたい。43 Foldersがトップ100のブログに入っているのにはそれ相応の理由があって、それは単にMerlin Mannがカッコいいというだけではないの ; )

たくさんの人がこのことについて語っている。でも、たぶんLinda Stone以上に雄弁な人はいないと思うけど:

継続的な注意散漫状態とは、半端な注意を払うということーーそれも絶え間なくね。これはネットワークライブノードでいたいという欲求に基づく行動だ。別の言葉で言えば、私たちは人とつながりたいし、つながれた状態でいたいの。どんな時でも、チャンスを見逃さないように効率的に目を見張らせようとし、最も良いチャンスや行動や関係のために最適化しようとしている。忙しくすること、つながっているということは、すなわち生きているということ、他者から認識されること、そしてなにがしかの存在となるということなの。

絶え間なく部分的な注意を払うのは、何一つとして見落とさないため。常時つきっぱなしで、どこへでも、いつでも、どんな場所でも働くもので、人為的に作出された慢性的な危機感もこれに含まれる。この人為的で慢性的な危機感というのは、マルチタスクというより、継続的な注意散漫状態に典型的に見られるものよ。

要点:

Twitterを使うことにメリットがあると思う? もちろん。Teraはこのメリットを本当によくまとめている(その全てがメリットであるとは考えない人もいるけれど、その人たちもテラの主張には賛成の立場に立っているのであって、大事なのはその部分)

人々がTwitter責任を持って使えると考えているの? しっかりコントロールしつつ、twitterを使うことで注意散漫になりすぎたり、(タブロイドニュースTVアメリカでこれほどまでに広まった原因たる)覗き見のたぐいを避けて?

当然、そう思っている。

私が言いたいのは、ごまかしを避けて、「常に注意をそそぎつづける」というウサギ穴にどれだけ深く入り込みたいと思っているのかを判断してみるべきだというだけ。

私はTwitterターゲットではなかったーー生まれながらの独り者なのよ。私はそこまでつながりあっていたいとは思わない。そして、ミステリーを残しておくという美学が大好きなの。それだけ多くの人たちについて、そんなにも多くを知りたいとは思わないし、人々にそんなに私のことを知ってもらいたいとも思わないの..それが日常のことであれその他のことであれね。だから、これは私がマイノリティたるゆえんで、私のTwitterに対する恐怖は、私独自のーーねじくれてあまり一般的でないーー個人的な性格に由来するものなの。


本文書は原文著作権表示にしたがい、Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 2.5 Licenseのもとで利用できる。なお、訳者著作権は全て放棄する。

2010-02-24

プログラミング常識」著者コメント(DQN向け翻訳)

世の中には、どうしても「賢い人」と「あまり賢くない人達」人たちがいて、「あまり賢くない人達」は「賢い人」の足を引っ張るモノです。

「あまり賢くない人達」が自らの愚かさゆえ、人生を無為に過ごすのはある意味しかたがないことだと思いますが、問題なのはこれから賢くあろうとする未来ある若者達が、このような「あまり賢くない人達」に惑わされ、不幸に見舞われることであります。

日向さんはこのような未来ある若者のために、わざわざ時間を割いて素晴らしいエッセイを書きおこしてくれました。

http://www5.ocn.ne.jp/~seablue/res/ckp.html

けれども日向さんの文章は、あまりのレベル差故か、極力平易に書こうとはしているものの、それでも文章が高度すぎて、対象である「あまり賢くない人達」には今一歩言わんとしていることが伝わらないのでは、と感じました。

そこで私は、日向さんの文章の意味を極力損ねないまま、このエッセイを対象である「あまり賢くない人達」向けの言葉翻訳することを試みました。

もちろん、訳者が至らないために、間違いや勘違い、あるいは校正の際の見落としなども あるかと思います。そのようなことがないように努力はいたしますが、 お気づきの点があれば冷静にご指摘いただければ幸いです。




この書籍については、さまざまなご意見がさまざまなところに書き込まれているようです。

まったく話題にもならないたくさんの本があり、また批評もされない多数の著者たちがいるなかで、 拙著または著者に関心を持っていただいたことにまずお礼を申し上げます。

いやぁ、人気者はつらいね。いつだって妬まれる。

本書については、書籍のはじめに「本書では、初歩のプログラミング学習を終えて、 プログラマが実践的なプログラミングに臨む時に知っておかなければならない重要な事項をわかりやすく解説します。」 と明示してあるように、プログラミング初心者を対象にしています。

具体的には、はじめてのプログラミング言語勉強したか、これから何か言語を学ぼうとしている人、 ふたつめの言語を選ぼうとしているひと、あるいは、 「どうしてデータ型などというものがあるのだろう?」とか、「オブジェクトって、いったい何?」という 素朴な疑問を抱いている人を対象とした書籍です。

また、筆者の「常識」を読者に押しつけようとするものではなく、プログラミング常識とは何かという ことについて考えるヒントにする本です(このことは書籍の中でも重ねて説明しています)。

この本は エキスパート俺様が、初心者のために書いた本だ。初心者向けって所が重要な。ついでに世の中常識のないやつが多いから、プログラミングだけじゃなく常識まで教えてやる、そういう本でもあるな。そうそう、断っておくが俺がこの本で言っていることは「世の中の常識」な。だから、異論挟むヤツはそのまま「常識」のないやつってことになる。ここも重要だ。

プログラミングに限らず、対象によって説明の仕方、取り上げる範囲、そして「何が正しいか」は異なります。 身近な学校教育という場を考えてみても、小学生には「人はみな平等です」と教えます。 しかし、それは理想であって、実際に差別は存在し、したがって、教えている対象を考慮しなければ、 小学校で教えていることは嘘ばかりである、ということになります。 実際、大学生ならば、「実際には人は平等ではない」という前提にたって、社会問題などを考える必要があることは 誰にも異論のないことでしょう。

同様に、プログラミングでも、初歩のプログラミング学習を終えた人と、 より高度なプログラミングをマスターした人を対象にするときでは、解説の範囲も表現もすべて異なります。

ところで、みんな平等というけどさ、愚民がいるのが現実なのよ。愚民がいるなら愚民向けに方便をつかわなくちゃいけない。大人ならわかるな。

本書について、文章の真意を理解しないで書き込みをされていることも多々あるようです。 たとえば、「プログラミング言語はどれがよいか?」というトピックの主眼は、本文で 「多人数を運ぶならバス、荷物をたくさん運ぶならトラック、少人数でドライブするなら小型セダンと、 目的に応じて最も良い自動車の種類が違う」と例をあげて説明していますが、プログラミング言語においても 用途やプログラマ経験あるいは環境等々によって適する言語は異なり、 特定の具体的な条件を示したうえでなければ「プログラミング言語はどれがよいか?」という質問自体がナンセンスである、 というのがこのトピックの主眼です。

したがって、それに関連する説明は、それぞれのプログラミング言語がおおよそどのように異なるかわかればよい という立場で書いており、具体的な解説についてはたとえば環境(近くにすぐに質問できる先輩がいる、 特定の言語学習環境が際立って整っている、特定の種類の言語をすぐに使う必要がある、など)に よって異なるという前提で書かれています。

また、このトピックは、これから最初のプログラミング言語を選ぼうとしているか、 ふたつ目のプログラミング言語を選ぼうとしているような初心者で、 車にバスから軽自動車までいろいろな種類があるように、プログラミング言語にもまた さまざまな用途の言語があるということを認識していない読者を想定して解説しているものです。 すでに複数のプログラミング言語をマスターしている読者を対象としたときには、 自ずと表現記述するレベルや範囲も変わってきます。

で、だ。俺の書いた本にケチつけるガキ共がいるんだけどさ、ヤツラ何? 技術的なことを書くと低能なヤツラじゃ理解できないから、車の話に喩えてやる。(略)つまりヤツラは、車にもいろいろ車種ってものがあることすら、わかんないバカってことだ。

そのほか、本書について間違いであるかのように指摘されているところの多くも、本書の意図を理解できれば、 指摘したことが逆に誤っていることに気づくでしょう。 (もちろん、筆者が至らないために、間違いや勘違い、あるいは校正の際の見落としなども あるかと思います。そのようなことがないように努力はいたしますが、 お気づきの点があれば冷静にご指摘いただければ幸いです。)

また、本書の批判の多くは、本書が初心者プログラマ向けに書かれていることをまったく無視した、 きわめて無責任意見が多く、そのような書き込みが何の批判もなく行われていることは残念でなりません。 良識のある人たちは、想定読者レベルを無視した無責任意見は無価値であると考え 頭から相手にしていないのでしょうが、初心者はそのような判断ができないので惑わされる可能性があるからです。

ようするに、愚民向けの本を読んでも「方便」を「方便」だって読み取れないバカ?ww 指摘(笑)を通して 自分馬鹿さ加減を世界に発信しているってことに気づかないって超ウケるじゃん? この内容は間違ってます(キリッ みたいな?wwww ま、少しでも知性があれば、恥ずかしくてで出来ねえことだよな。

わかっているヤツは わざわざ DQN の相手をしたりせず鼻で笑うだけだ。しかしお前らひよっこは、こういう低レベルな扇動に惑わされるかもしれないな。気をつけろよ。

書籍批評ということについて、ひとつ例を示して筆者の考えを明らかにしましょう。

B.W.カーニハン/D.M.リッチーが書いた「プログラミング言語C」という本があります。現在は第2版となり訂正版として出されていますが、 日本語翻訳初版から現在まで、プログラミング言語の本として名著のひとつとみなされてきました。

実際、私もC言語についてまだほとんど何も知らない日本語初版が出たときにこの本を一読して、 「Hello, world」の出力のしかたから始まり、徐々に高度な内容に導いてゆく書き方に自然となじんで、 まるで読み物を読むように一気に読了し、同時に、C言語とはどういうもので、何ができて、何ができないのかを理解しました。 日本語初版は間違いも多く、記述の仕方もプログラミング言語書籍としては最良とはいえないものでしたが、 C言語についてまだほとんど何も知らない私にとって、まさに「プログラミング言語C」はとても良い本でした。 また、プログラミング言語仕様という概念が今ほど確立していなかった当時、C言語コンパイラを実装する(開発する) ようなレベルの人にも、「プログラミング言語C」はバイブルといってよいほど重要な本でした。

ところで、今、誰かが「プログラミング言語C」と同じようなスタイルC++Javaの本を きわめて丁寧に間違いもほとんどなく書きあげて私に献本してくれて私個人の率直な意見を求められたら、 それを読んできっと「冗長で退屈である」と答えるでしょう。 なぜなら、私はC++Javaについて講義(授業や講演)をする程度にすでに知っているから、 「プログラミング言語C」のような書き方の本を改めて最初から読むのは苦痛にさえなりかねないからです。

しかし、その本について公開するレビューを書いてくれと頼まれたら、 「これからC++(またはJava)を学習する人にとってはとても良い本である」と推奨するでしょう。 なぜなら、まだ何も知らない人が、まるで読み物を読むように一気に読んでその言語を理解できれば、 それはとても素晴らしいことだからです。

読む人のレベル、その本の主眼とすることとその表現のしかた、本が出版されたときの状況などによって本の価値というものは異なり、 それが本というものです。

ヤツラにも解るように具体例を示すけれどさ、ストラウストラップ?ってヤツの 「プログラミング言語 C++」って本、冗長で退屈でダセェよな。内容のレベル低すぎるしさ。けど、どうしてもオレにレビューしてくれっていわれたら、まぁ「俺には必要ないけど良い本だぜ」って紹介してやるよ。だってバカどもにはちょうど良いじゃん。バカ向けの本はバカ向けってことを考慮して評価する。それが大人ってもんだ。

インターネットが普及して誰でも自由に発言できるようになったのは良いことですが 一部のお暇をもてあましている方々が、拙著に限らず、 さまざまな著作や著者に対して誹謗中傷に近い書き込みを匿名で行っているのが見受けられます。 このような状態が続けば、 誤解を受けることを承知の上で初心者向けにあえてやさしく解説するような著者は書く気をなくし、 どのようにでも解釈できる(あるいはすでに理解している人しか理解できないような)難解な 文章を書く一部のいわゆる権威だけが著者として残る結果となり、 出版文化書店を含む出版界はますます疲弊し、いずれ現在のように多種多様書籍出版できなくります。

インターネットが出来てから、そんな大人の対応も出来ないウゼえガキが増えたよな。マジ ウゼェ。ったく、「間違っている」「正しくない」とか、ウゼェウゼェウゼェ!偉大なるオレ様のやる気が無くなったらどうしてくれるのか。これでオレが本を書かなくなったら人類の損失になるって事実、わかんねぇのかコイツらは。ほんっとカスだな。

どうか、初心者の方々は無責任な批判や的外れレビューなどに惑わされずに、 まずは本を読んでみて(買わずに図書館で借りてでもかまいません)、自分自身で判断してくださるようお願いいたします。

まぁ、カスのことはほっといて、お前らは黙って俺の本を買っておけ(貧乏だったら図書館でもいいぜ。自治体に買わせろ)。普通に考えれば有象無象匿名ブロガーより、本まで出してるエリートのオレの本の方が信頼できるってのは、ひよっこのお前らにだってわかるだろ。つべこべ言わず買えば幸せになれるってモンさ。

さて、無責任な批判や的外れレビューを書き続けている人には、次のように申し上げておきます。

批判する人間にもし本当に能力があるのであれば、匿名無責任な批判をする前に、 C++Javaアセンブリ言語JavaScriptのようなスクリプト言語XMLXAMLのような記述言語を 含めて、5種類上の言語で実際に動作するプログラムを作成してそのソースコードを広く一般に公開し、 他人の批判を受けてみてから、 自分完璧な本を書いて出版社に持ち込んで出版してみてください。

そうすれば、著作、あるいは出版というものがどういうものか、少しはわかるでしょう。

あー、それと、バカどもに言っておく。オレ様は C++Javaアセンブリ言語JavaScriptのようなスクリプト言語XMLXAML のよな記述言語 を含めた5種類以上の言語精通した超絶スーパーエンジニアだ。ハッカーと言ってもいい。しかもコードを公開して完璧な本まで書いている、マジ パねぇ男だ。 マチュアーしてるんだよ。おめぇらなんて足元におよばねぇ。身の程を知れ。(関数型言語マイナでどうでもいいから勉強しなくてもいいぜ。あ、でもオレの Scala の本は買えよな。)

もし、自らは何も創造しないで、単に無責任な批判や的外れレビューを続けるなら、 そういう人は、いずれ何年かのちに(そのときまでボケずに、人間社会というものを学んで人間として少しは成長したとしたら) 自分がしてきたことが無意味であり、そのようなことだけに時間を費やした自分自身の人生そのものが 無価値であったことに必ず気づくはずです。しかし、その時になって謝罪していただく必要はまったくありません。

まー、オレ様は心が広いからバカがバカであることは責めないでやる。人間生まれついてのものはどうしようもねぇ。俺はどうしようもないことは責めない主義だ。でも、お前らが無価値ゴミクズであるってことだけは理解しとけよな。ゴミゴミなりの人生がまってるさ。身の程を知って生きればオレは哀れみくらいはかけてやるぜ?

なお、著者はあらゆる書き込みに対していちいち反論することはできません。 また、一部の低俗掲示板のようなものを読んだり書き込んだりするのは 時間無駄なので、私に限らずほとんどの著者は、そのようなものに書き込むことはもちろん、 目を通すこともありませんのであしからず

最後に言っておく。お前ら如きがオレ様に意見するなんて間違っている。なぜならオレ様はいつだって正しいからだ。そして、間違った意見などに反論を書くなんて無駄時間はオレ様にはない。お前らはせいぜい便所で落書きに勤しむんだな。あばよ。

要点のまとめ

長い文章が読めない方のために、要点のまとめを作りました。

  • 本を書く人間エリートで、それを批判するネットイナゴ愚民
  • 愚民的外れなことを言っても、自分が恥をかいていると気がつけないから厄介だ
  • 誤解するな、俺の技術力はパねぇ。そこん所くれぐれも勘違いするな
  • 間違えているように見えるところはワザとだ。もしくは指摘自体が間違えてる
  • とにかく俺の本を買え

補足

日向さんは、本当に素晴らしい技術力をお持ちで、その著書リストをご覧になれば皆様もその高い技術力をご納得いただけるかと思います。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url?_encoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E6%97%A5%E5%90%91%20%E4%BF%8A%E4%BA%8C

これだけの内容の濃い本を、こんなにも沢山発行していらっしゃるので、日向さんが新たに本を書い時、気がつけば参考文献リソース 一覧が 過去の自著ばかりになった――というエピソードだけでも、日向さんの凄さの一端が伝わるかと思います。

ですので皆様も

のような「匿名の愚か者」の世迷い言に惑わされないように、ご注意願います。解っている人から見れば、日向さんの著書は総じて評価が高い という事実は、「記名の賢者」であるdankogai氏のレビュー

をご覧になっていただければ、一目瞭然かと思います。(dankogai氏は同レビュー中で日向さんを「真に初心者向けに本を書ける希有の存在」と評しています)

なお、訳者はあらゆる書き込みに対していちいち反論することはできません。 また、一部の低俗掲示板のような増田を読んだり書き込んだりするのは 時間無駄なので、私に限らずほとんどの著者は、そのようなものに書き込むことはもちろん、 目を通すこともありませんのであしからず

2010-01-27

強くなりたい新大学生が本当に読むべき本100冊

この時期になると大学生向けに読むべき100冊みたいなリストが出回る。

あんなリストを真に受ける人も少ないだろうが……はっきり言って悲しくなるくらいお粗末だ。

ずらっと並べられた古典名著。あまりに埃の被ったラインナップにがっかりする。

こういった学問には「原書病」とでも言うべき、くだらない風習が根強く残っている。

原典や本文を極度に重視するのは不健全だ。それ自体は面白いとしても、その後発展と整理を経て洗練されている。

歴史的興味以外であえて出発点に戻る価値はすごく小さい。そんなところに本当の「教養」は存在しない。

難解で時代遅れな文章と格闘したって、趣味以上のものにはならないし、考える力は湧いてこない。絶対誤読するし。

そこで本当に頭を強くしたい人が読むべき書籍リストというものを作った。

これは単なる学問という空気に浸ってみたい人が読むものじゃなくて、日常に根ざした本物の力を分けてくれるものだ。

この100冊さえ読めば考える素材に困らないだけでなく、コミュニケーションの強者にもなれる。

飲み会で古臭い古典の話をしたって煙たがれるだけだが、この100冊をネタにすればそんなことにはならないし、

黙考はずいぶんと深くなるし、ブログネタに応用すれば必ず一目置かれる。

選んだのは現代的で網羅的、そして極めて平易なもの。どの分野にも精通できるように色んなジャンルのものを配置した。

この100冊を大学生活のうちに読み切れば、必ずや一生の財産になるだろう。

ここに挙げられた本が、現代最新型にアップデートされた真の「教養」だ!

新大学生が本当に読むべき100冊

存在論的、郵便的東浩紀

動物化するポストモダン東浩紀

ゲーム的リアリズムの誕生東浩紀

アナーキズム浅羽通明

ナショナリズム浅羽通明

右翼左翼浅羽通明

構造と力浅田彰

『逃走論』 浅田彰

『反芸術アンパン赤瀬川原平

東京ミキサー計画』 赤瀬川原平

ギャルギャル男文化人類学荒井悠介

ディズニー魔法有馬哲夫

テヅカ・イズ・デッド伊藤剛

マンガは変わる伊藤剛

ヤンキー文化論序説』 五十嵐太郎

オカルト帝国1970年代日本を読む』 一柳廣孝

『寝ながら学べる構造主義内田樹

ゼロ年代の想像力宇野常寛

『二〇世紀の批評を読む』 大谷能生

『ぼくたちの洗脳社会岡田斗司夫

オタクはすでに死んでいる岡田斗司夫

アメリカン・コミックス大全』 小野耕世

教養としての〈まんが・アニメ〉大塚英志

おたく精神史』 大塚英志

サンデーマガジン大野

キャラクターとは何か』 小田切博

『よいこの君主論』 架神恭介

『完全教マニュアル』 架神恭介

映画は撮ったことがない』 神山健治

『ポケットは80年代がいっぱい』 香山リカ

戦前少年犯罪管賀江留郎

スペイン宇宙食菊地成孔

東京大学のアルバート・テイラー』 菊地成孔

おまえが若者を語るな!』 後藤和智

封建主義者かく語りき』 呉智英

賢者の誘惑』 呉智英

『現代マンガの全体像』 呉智英

『定本日本の喜劇人小林信彦

カノッサの屈辱小山薫堂

お厚いのがお好き?小山薫堂

虚人のすすめ』 康芳夫

『生き延びるためのラカン斎藤環

ニッポンの思想』 佐々木敦

『シミュレーショニズム』 椹木野衣

ロックミュージック進化論渋谷陽一

日本の10大新宗教島田裕巳

ヒーロー正義白倉伸一郎

『箆棒な人々』 竹熊健太郎

『定本気分は歌謡曲近田春夫

完全自殺マニュアル鶴見済

洗脳原論』 苫米地英人

スピリチュアリズム苫米地英人

苫米地英人宇宙を語る』 苫米地英人

『青いムーブメント外山恒一

マンガ哲学する』 永井均

チベットモーツァルト中沢新一

ベストセラー構造中島梓

嫌オタク流中原昌也

『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書西寺郷太

前衛の道』 根本敬

『花咲く乙女のキンピラゴボウ橋本治

アーキテクチャ生態系濱野智史

タイアップ歌謡史』 速水健朗

自分探しが止まらない』 速水健朗

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書ばるぼら

NYLON100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流』 ばるぼら

ロマンポルノと実録やくざ映画樋口尚文

70年代日本の超大作映画樋口尚文

アダルトビデオ革命史』 藤木TDC

ワンダゾーン』 福本博文

『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』 ブルボン小林

ゲームホニャララブルボン小林

電波男本田透

喪男の哲学史本田透

世界電波男本田透

セカイ系とは何か』 前島賢

映画の見方がわかる本』 町山智浩

ブレードランナーの未来世紀町山智浩

『なぜ宇宙人地球に来ない?』 松尾貴史

貧乏人の逆襲!』 松本哉

サブカルチャー神話解体宮台真司

『14歳からの社会学宮台真司

『定本アニメーションギャグ世界森卓也

放送禁止歌森達也

職業欄はエスパー森達也

趣都の誕生森川嘉一郎

『興行師たちの映画史柳下毅一郎

殺人マニア宣言』 柳下毅一郎

『新教養主義宣言』 山形浩生

『たかがバロウズ本。』 山形浩生

訳者解説』 山形浩生

『超クソゲー箭本進一

戦後SFマンガ史』 米沢嘉博

戦後少女マンガ史』 米沢嘉博

戦後ギャグマンガ史』 米沢嘉博

漫画原論』 四方田犬彦

日本映画史100年』 四方田犬彦

日本文学ふいんき語り』 米光一成

恋愛小説ふいんき語り』 米光一成

2009-11-29

かな書きの文章はなぜ「読みにくい」と言われるのか?

http://d.hatena.ne.jp/lever_building/20091127#p1

ひとつ前の記事を非常に多くの方に読んでいただいたようです。まったく予想していなかったことなので、驚いております。とてもありがたいことです。

●時間厳守は遅刻する人に迷惑がかかるのでやめてください

この記事にたくさんの方がブックマークをしてくださり、またコメントを書いてくださりました。記事の内容についての様々なコメントもいただいたのですが、私が漢字をほとんど使わずに文章を書いていることについてのコメントもたくさんありました。

前回の記事からはだいぶ間が空いてしまったのですが、今日はそうしたかな書きについてのコメントを読んで考えたことを書いてみたいと思います。

●記事のブックマーク・ページ(1)

●記事のブックマーク・ページ(2)

●ブックマーク・ページのブックマーク・ページ

●ブックマーク・ページのブックマーク・ページのそのまたブックマーク・ページ

以上の4つのリンク先からブックマークコメント引用させてもらいます。

id:naoya_0708 [ネタ] そんな小さいこと気にせず堂々と遅刻して「へぇ、すんません」って言えばいい。そんなことよりこの人がなぜ平仮名なのか、のほうが気になるわ。

私がブログでかな書きを実践している理由については、これまで5つの記事で述べてきました。

1. 漢字について

2. 「学校という空間」をこそ問題にしよう

3. 表記が生成される場に立ち返ってみる

4. 国語廃止論序説

5. 「国語廃止論序説」への補足

5.の記事だけは、「漢字・かな混じり文」という日本語の《書き表し方》の問題にはほとんど触れておらず、主に《言語》の問題を論じています。日本で話されている様々な言語*1の中で日本語だけを「国語」として特権的に扱うことをやめましょうという提案を行っています。

ただ、この《言語》の問題と漢字・かな混じりの《表記》の問題の二つを、私は基本的に同じ論理で考えておりますので、興味のある方は、5.も併せて読んでいただけると幸いです。

上に挙げた5つの記事は、どれも長い文章なので、ここで簡単に私が漢字をなるべく使わないでブログを書いている理由を述べておきます。

それはできるだけ多くの人が文章を読んだり書いたりできたほうが望ましいと考えるからです。私は一方では読み書きができなくても何の不都合もなく生活できる社会理想的だと思っています。しかし、日本語の読み書きができないと様々な面で不利益を被ってしまうという日本社会の現状では、そうした人たちが読み書きを身に付けやすい環境を作っていくということも同時に行っていく必要が大きいでしょう。

また、私自身、文字で書かれた物を読み、また書くことによって、様々な良きものを今まで他人から受け取ってきたと思います。もちろん、私が本を読むことができるゆえに、かえって見落としたり見えなくなったりしていることはあるでしょう。だから、一方では、単純に「読み書きによって世界が広がり、見方が広がる」といって良いのか、ためらいも覚えます。少なくとも、「読み書きのできる人がそれをできない/しない人よりも広い世界と深い物の見方を持っている」などとは断じて言えないことははっきりしています。

とはいえ、私自身読み書きのできる者の一人である以上、読み書きのできない人に対して「読み書きなどできなくても良い」と言うわけにはいかないし、「読み書きしたいけれどできない」という人がいる状況を正してゆく責任を負っていると考えます。

そのためには二つの方法が考えられます。一つは、読み書きの教育を充実させること。もう一つは、読み書きを身に付けるためのハードルを低くすることです。

もちろん、一つ目の課題も大事ですが、とくに日本語の場合、二つ目の 「ハードルを低くする」ことの必要性は極めて大きいといわざるを得ません。私自信何度か書いてきたことでもあるのですが、ブックマークコメントでの次の Cunliffe さんの指摘は重要です。

id:Cunliffe 「読みにくい」とか「読めない」とか難癖つけてる人みると、どうしても幻の鯖の器にケチつけた海原雄山を思い出す。漢字かな混じり文を読みやすいと感じるのは、正規の国語教育受けた大人だけなんですねー。

日本語について一通りの読み書きができる人は、その習得に非常な時間と労力がかかるということを知らないわけではないでしょう。また、そうしてかけられた時間と労力の大部分が漢字学習に費やされていることも。

日本学校教育を6年なり、9年なり受けた人でないと、おびただしい数の漢字と熟語を覚えるのは極めて困難なはずです。

いうまでもないことだと思いますが、日本社会の住民のうち、日本学校教育を受けた、あるいは受けられる人はその一部に過ぎません。一般的に学校に通う年頃を外国で過ごした人もいれば、学校に通えなかった/通わなかった人、その中には年を取ってから読み書きを学ぼうとする人もいます。また、日本学校に通っても、漢字や熟語が十分に身に付かなかった人も大勢いるでしょう。

あべ・やすしさんの次の文章も併せて読んでください。

●漢字が排除するもの - hituziのブログじゃがー

 漢字は、文字表記として複雑すぎるために、様々な文字弱者を排除し、抑圧している。

 もちろん、漢字をなくせば文字弱者がいなくなるわけではもちろんない。だが、大きく改善することがたくさんある。

 私が「漢字という障害」という論文で指摘した漢字弱者は、非識字者や識字学習者、盲人、弱視者、ろう者中途失聴者、読字障害を持つ人、知的障害者日本語学習者です。

 そうした人たちが文字情報アクセスする権利を奪っているのが、いまある日本語表記に他なりません。漢字が障害となる度合いは、それぞれ異なっています。けれども、何らかの形で、漢字は障害として働いているのです。

こうして漢字が作り出している「文字弱者」の存在を指摘しますと、こう言われることがあります。すなわち、このブログを読みにくる人たちの中にそうした文字弱者が存在するのか、と。今までに何人の人からそういう意味ことは言われました。「わざわざ大多数の読者にとって読みにくいかな書きで書く必要が本当にあるのか?」と。

こういう考え方は、たとえば次のような発想と本質的に違わないと思います。

「この街では車椅子で歩いている人を見かけない。だから、わざわざ駅にエレベータを つけたり、スロープをつけたりする必要はないだろう。」

これは一見してひどい言い分だと分かるのではないでしょうか? 必要なエレベータスロープがないからこそ、車椅子で移動する人が街に出てこれないのかもしれない。「排除されている他者の存在が、私たちによる排除の結果として見えなくなっているのではないか?」という可能性を考えなければなりません。

同じことは読み書きについてもいえます。ひらがなでも書き表せることを漢字で書く ことで、漢字を知らない人を排除してしまっているのだろうし、その結果排除されている人の存在が見えなくなってしまっていることはあるでしょう*2。

だから、「今この場所にいる人」だけでなく、「今この場所にいない人」にも向けて、この場所をできるだけ開かれたものにしていく試みは重要だと思うのです。

さて、先日の記事でいただいたコメントで多かったのが、かな書きの文章が「読みにくい」「読む気がしない」といったものでした。この記事に限らず、私はこのブログでかな書きを始めてから記事を書くたびに同じことを何度も言われてきたのですが、こうした反応はとても興味深いものだと思ってきました。

「読まない」という選択肢もあるのに、なぜわざわざ読んだ上で「読みにくい」と書き込まずにはいられないのだろうか? また、「読みにくいので途中で読むのをやめた」というようなことをわざわざブックマークコメントで報告してくださる方もたくさんいます。私の記事のようなかな書きの文章ではなくても、途中まで読んでやめることなどしばしばあるだろうに、どうして私の記事にだけ、わざわざそれをお知らせしてくださるのだろうか?

前回の記事に関して付けられた200を超えるブックマークのうち、「読みにくい」「読む気がしない」といったコメントをざっと拾ってみたら、これだけありました(他にも別の表現で「読みにくい」ということを言っているコメントがたくさんありましたが、それはまたあとで触れます)。

id:elwoodblues [*あとで読む] 読みにくい

id:baumkuchen555 みんなよく読めるな

id:ezil [考え方][教育][society][education] よ み づ ら す ぎ る \こめんと を かならず みること

id:yosuken [あとで][大学][教育][社会] やっぱ読みにくいな

id: [ネタ] 昔のドラクエみたいな文章で読みづらいぜw

id:zoumurasan [あとで読む] ひらがな ばかりは つかれる

id:Harnoncourt http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E8%AA%AD%E3%81%BF%E3%81%AB%E3%81%8F%E3%81%84%E6%96%87%E7%AB%A0  アンサイクロペディアの「読みにくい文章」。私この人の文章大嫌い。目が滑りまくり

id:makiyamakoji とても よみに くいね

id:feita さすがによむきがおきないね。

id:suzuchu せっかくすごくいい事をいっているのに、読みにくい。漢字を使わない理由のほうも読ませていただいたけど、そっちはただの屁理屈に思えた。

id:hotomaru [教育] だめだ よむきにならない

id:kubodee ひらがなおおくてよめない。 それと たてよみ どこ?

id:kasuga-k [これはひどい] 興味のある題材だが読む気にならない…

id:change-of-pace [社会] たいとるにはきょうみをひかれたがぜんぶひらがなでよむきになれない

id:yatt 読み物 半分読んで止めた。読む気がくじけた。

id:puyop [これはひどい][ネタ][社会] 遅刻常連者を更生できない教師とご学友というレッテルが張られることかな?/それにしても、ひらがなでちょうぶんはよみにくいぞ

id:rs6000moe [カリカリモフモフ][キタコレ][あらあらうふふ] 読みにくいものは読みにくい。わざわざ読みにくく書く人間の不誠実さには頭が下がる。/↑お、恥の文化

id:feita ボクは読みにくいものは読みにくいので素直に言っただけですよ。それ以上の意味もそれ以下の意味も悪意も善意もない。ごめん悪意は多少ある。

お疲れ様でございます。

みなさん、自信たっぷりに私の文章が「読みにくい」ということをご指摘くださって います。

「読みにくいものは読みにくい」のだ、と。それはそうですよね。読みにくいものは 読みにくい、読みやすいものは読みやすい、美味しいものは美味しい、美しいものは美しい、ですよね。

「不誠実」とまで言われました。自分にとって読みにくい文章を書く書き手は「不誠実」ですか? さぞかし良いご身分なのでしょう。

上のようなコメントはいつも頂いているので、もう慣れっこなのですが、今回目を引いたのは fromdusktildawnさんのコメントです。

id:fromdusktildawn この文章を少し読んだだけですごい疲労が襲ってきたんだけど、ブコメをみたら、ちゃんと読んでる人が沢山いておどろき。この程度のストレスに耐えられないとは、オレの脳も老いたか。

この人のコメントは、私が今まで頂いたたくさんの 「読みにくい」というコメントの 中でも、例外的なものです。それは「オレ」というご本人個人にとって「読みにくい」とおっしゃっている点でです。

なお、かな書きの文章が読みにくいはたぶん fromdusktildawn さんの脳味噌が老いたからではないと思います。ちょっとした慣れの問題ですよ(これはあとで説明します)。少なくともとりわけ年を取ってから漢字学習する手間と苦労を考えたら、すでに漢字・かな混じり文の読み書きを習得した人がかな書きの文章に慣れるのは簡単なものです。漢字を使って文章を書き表さなければならない何か合理的な理由があるならまだしも、そんなものは、あとで述べるように、漢字を学んだ人にとってのちょっとした「慣れ」以外にないのは明らかです。

ともかく、私のかな書きの記事に「読みにくい」とコメントする人たちの中で、「自分にとっては読みにくい」という言い方をする人はほとんどいません。つまり、読みにくさの原因が読み手である自分自身にではなく、一方的に書かれた文章の側にあるのだという確信があるのでしょう。だからこそ「私にとってはあなたの文章は読みにくい」ではなく、単に「読みにくい」という言い方ができる。まさに「読みにくいものは読みにくいのだ」というわけです。

そして、「読みにくさ」の原因が読み手自身にではなく、書かれた文章の側にあるという確信を支えている条件とは、「この文章は私以外の多くの人にとっても読みにくいものであるはずだ」という思い込みに他なりません*3。「みんなも読みにくく感じるはずだ」と思うからこそ(多くの人が「読みにくい」と感じているのは事実でしょうけど)、遠慮はばかりなく、自信を持って、ただ「読みにくい」と言える。

つまり、「私にとって」と言わずに、ただ「読みにくい」とだけ言えるのは、多数者によりかかるという姿勢を取る限りにおいてです。かな書きの文章に対し、ただ「かな書きである」という理由で「読みにくい」という評価を下せるのは、それが「一般的に」――というのはとりも直さず「多数者にとって」ということですが――「読みやすい」と信じられている書き方から外れているからに過ぎません。

こうした自らが多数者であることに寄りかかった、いわば権威を笠に着た発想は、次のような表現をとって現れることもしばしばです。

id:Yagokoro [これはひどい] 日本語すぎて読めない。

日本語すぎて読めない」だそうです。だいたい私にとっては、自分が書いたりしゃべったりする言葉が結果的に「日本語」に分類されるかどうかなど知ったこっちゃないのですが、この人はご親切にも(余計なお世話ですが) 私の文章を「日本語」とみなした上で、その「日本語」の名の下に「酷い」と断じるわけです。この、「自分は『日本語』の名の下に他人の言葉を評価できる/しても良い」といわんばかりの思い上がりご立派もんだと思います。

書き言葉であるか話し言葉であるかに関わらず、他人の表現を「日本語としておかしい(間違っている)」とか、反対に「日本語お上手ですね」とか評価を下すことに無頓着な人はよく見かけますけど、こういう人たちは一体何様のつもりなのでしょうか?

なるほど、あなたは他人の言葉を「日本語」とみなすかみなさないかについて権限をお持ちだ、と。そして、あなたがそれを「日本語」とみなすとき、あなたはそれを一方的に評価できる特権をお持ちだ、と。すなわち、相手があなたたちの「標準」と考える「日本語」に一方的に合わせるのが当然だ、と。そう考えているのでしょう。本当に結構なご身分ですわね。

すでに述べたように、私は自分言葉が栄えある「日本語」という位置付けを与えていただこうがそうでなかろうが構いやしないのですが、光栄なことに「日本語」という分類に含めてくださるのだとしても、その「日本語」には様々な書き表し方が考えられますし、実際行われています。書き手がどういう読み手を想定するかに よって、「日本語」は、漢字かな混じり文で書かれることもあれば、かな書きで書かれることもあるでしょう。あるいは、ローマ字で書かれることもあれば、ハングルで表記されることもあるでしょう。点字で書かれることもあります。私は先に述べたような、またリンクした記事で述べてきた理由から、かな書きを選んでおります*4。

たとえば、ひらがなや漢字を知らないけれどもアルファベットには馴染んだ日本語話者同士が、アルファベット表記の日本語でやりとりする場合があります。おそらく、そういった場合には、第三者が横から口を挟んで「君たちの日本語は読みにくい」などとは言わないでしょう。では、なぜ私のかな書きの文章が一部の人を苛立たせ、「読みにくい」「読む気がおきない」といったコメントを誘ってしまうのか?

その理由の一つには、私が漢字かな混じり表記でも書けるのに、あえてかな書き文章を書いていることがあるでしょう。つまり、「わざわざ意図的に読みにくい(と漢字かな混じり文に馴染んだ人には感じられる) かな書きで書いてやがる」という反発があるのではないかと思います。

しかし、そこには 「日本語で書かれた文章である以上、自分たち大多数の読み手にとって読みやすい漢字かな混じり表記で書かれるのが当然だ」という前提が――屈託なしに「読みにくい」というコメントを書き込む人はあんまり自覚していないのでしょうが――あるのではないでしょうか? 普段日本語の読み書きにさほど不自由を感じずに済んでいる人は、「日本語で書かれた文章である以上、自分にとって読みやすいのは当たり前だ」と思ってしまいがちなのでしょう。だから、「日本語」で書かれているにも関わらず、「日本語」の「普通」の読み手である自分たちにとって「読みやすさ」の点で配慮されていないと感じられる文章には苛立たずにはいられない。

繰り返しになりますが、そうして苛ついたときに、屈託なくただ「読みにくい」とはばかりなく言ってのけることができるのは、多数者としての権威を笠に着ることによってです。そのことに私が気付くことができたのは、はてなブックマーカーの皆様方から「読みにくい」というコメントを度々もらったおかげです。私自身別の場面では、同じように多数者の権威権力を笠に着た物言いを無自覚なまましているのかもしれません。

次に引用するのは、コーリィー・フォードという人が1949年に書いたコラムです*5。あえて、かな書きに直して引用します。

 このごろ建物階段は、昔より勾配がきつくなったように思う。蹴込みが高くなったのか、段数が多いのか、何かそんなことに違いない。

 たぶん、一階から二階までの距離が年々伸びているせいだろう。そういえば、階段を二段ずつ上るのもめっきり難しくなった。いまでは一段 ずつ上るのが精一杯だ。

 もうひとつ気になるのは、近頃の活字の細かさである。両手で新聞を広げると、新聞がぐんぐん遠くへ離れていくので、目をすがめて読まねばならない。

 つい先日、公衆電話の料金箱の上に書いてある番号を読もうと後ずさりしているうちに、気がついたら、ボックスから体が半分外にはみ出していた。この歳でメガネなんて考えるだけで馬鹿馬鹿しいが、とにかく新聞ニュースを知りたくても、誰かに読んで聞かせてもらうしかなくて、それではどうも物足りない。最近の傾向なのか、みんながひどく小声でしゃべるので、よく聞き取れないのだ。

 何もかもが昔より遠くなった。私の家から駅までの距離も倍ぐらいに増えたし、これまでになかった丘が中間にできたようだ。……

(訳者注:原文ではかな書きで引用されている)

見ての通り、この文章はは、耳が遠くなり、また足が弱くなった年寄りの、いわば「自己中心的な」視点から書かれたジョークです。これが滑稽に感じられ、ジョークとして受け取られるのは、普通年寄り自己中心的な視点から物を言うことが許されていないからです。

文字を読むのに苦労するのは「活字が細かすぎるから」ではなく、彼・彼女が「年を取って老眼になったから」とされる。また、話し声を聞き取るのに苦労するのは「みんながひどく小声でしゃべるから」ではなく、本人が「年を取って耳が遠くなったから」と される。

だから、普通年寄りは遠慮がちに「私にとっては新聞の文字は細かすぎて読めない」と言わざるを得ない。

同じことは文章の表記についてもいえるはずです。漢字かな混じり文に慣れた多数者は、自分たちが多数者であるからこそ、自信たっぷりに大声で「この文章は読みにくい」と言える。しかし、その一方で漢字かな混じりの文が読めない、あるいは読みにくい人が、大声ではばかりなくただ「読みにくい」と言うのは難しいでしょう。彼ら・彼女らは遠慮がちに「私は読めない/読みにくい」という言い方をするか、あるいは遠慮して「読めない/読みにくい」ということを言わないか、どちらか でしょう。

そうやって彼ら・彼女らに遠慮を強いているのは誰か? それは漢字かな混じり文だけが「まとも」な「日本語」だという常識を作り上げてきた私たち多数者でしょう。

石川准さんの言葉を借りると、多数者は、自分が「配慮されている」ことを都合良く忘れる一方で、少数者への配慮を「特別な配慮」とみなしがちです。石川さんの文章を、今度はかな書きでは読みにくいという一部の人たちに「特別に配慮」して、元の文章のまま引用します。

 もっとわかりやすく言い直すために「配慮の平等」について説明する。

 多くの人は「健常者は配慮を必要としない人、障害者は特別な配慮を必要とする人」と考えている。しかし、「健常者は配慮されている人、障害者は配慮されていない人」というようには言えないだろうか。

 たとえば、駅の階段エレベーターを比較してみる。階段は当然あるべきものであるのに対して、一般にはエレベーター車椅子の人や足の悪い人のための特別な配慮と思われている。だが階段がなければ誰も上の階には上がれない。とすれば、エレベーターを配慮と呼ぶなら階段も配慮と呼ばなければならないし、階段を当然あるべきものとするならばエレベータも当然あるべきものとしなければフェアではない。実際、高層ビルではエレベータはだれにとっても必須であり、あるのが当たり前のものである。それを特別な配慮と思う人はだれひとりいない。と同時に、停電かなにかでエレベータの止まった高層ビルの上層階に取り残された人はだれしも一瞬にして移動障害者となる*6。

あえてかな書きで文章を書くことが漢字の読めない人への「特別な配慮」だとするなら、漢字かな混じりで文章を書くことも、そのほうが「読みやすい」という人への 「特別な配慮」といわなければなりません。反対に、漢字かな混じりで文章を書くことが読み手にとっての「当たり前の配慮」だと考えるならば、漢字の読み書きに困難を抱える人に配慮するのも「当たり前の配慮」です。

要するに私が言いたいのは、漢字の読み書きができるからといって偉そうにするんじゃないよ、ということです。

その上で、この文章を読まれている方に、かな書きで書くことをおすすめしたいと思います。

私は前の記事で次のように書きました。

 さて、明らかに不合理でくだらないということが分かりきったルールを守るということは、権力に屈服するということです。権力に屈服するということは、おそらく多くの人にとってみじめなものでしょう。そうしたみじめさを感じずに生きて行きたいものですね。そして、権力と戦わずにみじめさから逃れるためには、自分権力に屈服しているという事実、不合理なルールに従っているという事実を忘れなければなりません。つまり、実際は不合理なルールに従っているにも関わらず、そのルールが「合理的な理由がある」ものだと思い込めば良いわけです。

これは別の文脈で述べたことですが、実は書いているときに漢字の問題なども念頭に置いていました。

漢字の読み書きにあまり不自由しなくなった人は、そのためにおびただしい時間と手間をかけてきたはずです。また、「あまり不自由しなくなった」とはいっても、それでも実際のところ結構不自由しているでしょ?手書きで文字を書くときに漢字の書き方を思い出せなかったり、パソコンで書くときだって同音異義語があるときにどの文字に変換すべきか分からなかったり。難しい漢字や熟語が使われている文章は、読むのだって大変だし。こうして漢字のせいで余計に辞書を引く手間がかかる。漢字を知らないと恥ずかしいと思わせられたりもする。

そうやってこれまで苦労してきたし、今も日々苦労しているから、その自分の苦労を否定したくないという気持ちになるのは、ある意味自然なことではあります。自分の苦労に「意味がある」と思うために、漢字を使うことに「合理的な理由がある」思い込もうとする気持ちもわからないではありません。

id:chakimar 漢字って素晴らしい。それに気づかせてくれたすばらしい日記

id:te2u こういう発想はなかったな。守って当然と思っていた。/このエントリをみて、漢字が出来てよかったしみじみ思う。

id:qp365 日本語はひらがなとカタカナだけじゃ駄目なことが良く分かる。悪いけど面倒で全部読めなかった

id:zeri やっぱ漢字があると読みやすさが全然違う んだなあと再確認

ところが残念なことに、というか幸いなことに、漢字を使わなければならないという合理的な理由はたぶん存在しません。

たとえば、「日本語同音異義語がたくさんあるから、かな書きでは意味が通らない文章になる」ということを言う人がいます。

しかし、これは物事の順序を取り違えた議論で、「漢字を使うから、同音異義語がたくさんできてしまうのだ」というべきだし、同音異義語を避ける工夫をすれば良いことでしょう。そもそも、同音異義語はどんな言語でもあるのだし、多少それがあっても、文脈で判断できるように書き方を工夫することは簡単です。

実際、話し言葉では、そうやって文脈から判断できる範囲で同音異義語を使ったり、また文脈から分かりずらい同音異義語の使用を避けたりといった工夫はなされているわけです。もちろん、話し言葉では、イントネーションを始めとしてかな書きでは書き表せない情報を含んでいるので、単純には比較できないのですけれども。しかし、わかりにくい同音異義語が多すぎるのが問題だというのなら、新しい言葉を少しずつ作っていけば良いだけの話です。

他によくある誤解はは、漢字表意文字なのでビジュアル的に把握しやすいというものです。たとえば、次のようなコメントもそうした誤解に基づいているのでしょう。

id:koisuru_otouto 漢字って絵文字と同じだから "かな"だけの文章を読み解き辛いのは自分もだしわかるんだけど

ちょっと考えればわかることですが、漢字がかなやアルファベットと比べて特別にわかりやすいということはありません。「漢字は一目でその意味を把握しやすい」と言う人は多いですが、そういう人はアルファベットだったらどうなのかということを少し考えてみると良いでしょう。アルファベットだって同じなのです。

英語を読むのに慣れた人は、たとえば "guitar"という文字の連なりを見たときに、一目でその意味を把握しているでしょう。一方、"kltjautr"といった文字の連なり――これは いま私がでたらめにキーボードを打って作った文字列です――を見ても、ひとまとまりの物と認識することはできないはずです。

つまり、漢字を読むのに慣れた人が、たとえば「雪」という漢字や「弦楽器」といった熟語の意味を一目で把握できるのも、それとまったく同じことであって、単に「見慣れているから」に過ぎません。アルファベットであれ、ひらがなであれ、文字を読むのに適応しやすい体をもった人にとっては、見慣れた単語や連語を、文字単位ではなく、ひとまとまりの語句として認識することは簡単なはずです。

要はちょっとした「慣れ」の問題であって、「漢字そのものの特徴ゆえに、漢字で書かれた文章は読みやすい」という俗説は全くの誤りです。「漢字で書かれた文章は読みやすい」と感じるとしたら、それは単にあなたがそれに「慣れているから」に過ぎません。

(続き)

2009-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20091030103753

訳者プログラム知らないって感じじゃなさそうだけどな。

プログラミング知らない人にも伝わるようにと思って無理矢理日本語当てたんじゃない?

2009-08-19

[]渡辺仙州編訳 三国志

児童書なのに終わりが

晋が呉を滅ぼしたあとに司馬炎陳寿正史三国志」を作成させるまで

まで書いてあってびっくり。

小学生のうちに子供三國志ヲタクにさせたい親御さんにお勧め

訳者30才でまとめあげたのか…すげー

2009-08-05

ミッフィーじゃないのか!!!!

http://www.fukuinkan.co.jp/ninkimono/bruna/miffy.html

 他社から出版されている本やビデオで、うさこちゃんミッフィーとよばれていることにお気づきのかたがいらっしゃるかもしれません。うさこちゃんのもともとの名まえはオランダ語でネインチェプラウス。ネインチェは「うさちゃん」、プラウスは「ふわふわ」という意味です。ミッフィーという名まえは、うさこちゃん絵本オランダ語から英語翻訳されたときにつけられた名まえです。

時期的には「ミッフィー」よりも「うさこちゃん」の方が古いのか。

ナインチェ・プラウス - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9

名称出典日本での初出由来
うさこちゃん福音館書店刊行分など1964年訳者石井桃子による訳語
ミッフィー講談社刊行分、テレビアニメなど1981年1960年イギリス英語訳版が発売される際に付けられた英語風の名前

道理で身近に「ミッフィー」で通じない人がいるわけだ。

ついでにニコ動MADも貼るか。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm7588593

2009-07-29

翻訳業界も終わってません?

IT業界終わっている話を最近よく読むけれど、翻訳業界もヤバくない?ご同業の皆様どうですか?

いや仕事にあぶれている翻訳者の話をよく聞くんで。これまで見向きもしてこなかった

うちみたいな弱小翻訳会社に突然営業掛けてきたりとか。

ちょっと話したことがあるくらいの知り合いのコーディネータも嘆いていた。今、どんなに仕事の質の高い翻訳者でも

仕事ありつけない状態だって。何かあったらぜひ紹介してくださいって。あんまりよく知らない人間に頼むくらいだから

よっぽど苦しいんだろうなあと思ったけど。大手の人も仕事がないとぼやいてたの聞いたし。

あと最近、捨身ですごい割引してくる同業者がいて、その価格で受けて一体どうするんだよ、と思うんだけど、

訳者さん遊ばせておくよりはましってことかなあ。

逆に翻訳を頼みたい側にとっては今はいい時期かも。底値で受けてもらえるかもよ。

いやこんなこと、業界の首絞めるだけだから黙ってろって?

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