はてなキーワード: イントネーションとは
理由あって色んな中学校の合唱コンクールを30回以上見てきたがもういい加減ウンザリしている。合唱する前にクラスの代表者がクラス紹介するやん。そんとき9割以上の生徒がまったく同じことを言うんだよ。
「最初はバラバラだったけど毎日練習したらまとまるようになりました」
もうマジで9割以上の生徒がまったく同じようなことを言うからね。嘘だと思うなら是非見に来てほしい。これって学校側からそう言えって強制されてんのか。もし強制されてるなら「何の意味があるの」って思うし、強制されてないならそれはそれで大問題だ。なぜかっていうと、もしこれが自分で考えた文章なら型にはまったことしか考えられない量産型社畜予備軍が見事に出来上がってるってことだからな。
そもそも合唱曲ってことごとく歌詞がクソやんか。J-POPのしぼりカスみたいな「君はひとりじゃない」とか「つながっているよ」とか薄っぺらいクソみたいな歌詞のオンパレード。今年のうちの息子のクラスの曲もそんな上辺だけとりつくろったような、安っぽくて耳障りがいいだけの言葉が並べられてるだけのクソみたいな曲で何も響かなかったわ。せっかく仕事休んでまで見に行ったのに、泣。韻を踏んでないなど当たり前。メロディへの乗せかたも稚拙極まりなく、日本語のイントネーションなどまるで無視。まさに中学生がつくったような低レベルなクソ曲だった。
中学校って義務教育だから残念ながら99%くらいの日本人はこんなくだらない合唱コンクールを経験してるわけやん。ということは日本人の価値観とか人生観とかの形成に合唱コンクールはかなり影響を与えてる可能性があるよね。そう考えると因果が逆で、合唱曲がJ-POPのしぼりカスなのではなく、J-POPが合唱曲のしぼりカス(+恋愛要素)なんだよな。そりゃあくだらない曲が流行るわけだ。まあ、小室系やAKB系が流行ってたころに比べると最近はだいぶマシになったが。
ともかくクラス紹介が9割以上、同じことしか言えないような教育は終わってるし、合唱曲云々以前の問題として、クラス紹介がクソなんだから合唱曲もクソだしJ-POPもクソなんだよ。そりゃあ闇バイトも流行るわけだ。価値観や人生観がクソなんだから。ひたすらバカのひとつ憶えみたいに「明日」だの「希望」だの歌って現実を見てこなかったんだから。地に足をつけて子どもと向き合おうなんてまったくして来なかったんだから、そりゃあ醤油ぺろぺろするわなあ!
ただ、そんな過去の合唱コンクールのなかでもひとつだけ思わず唸らされたクラスがあったっけ。そのクラスは天然パーマに眼鏡の男子が指揮棒を振るってたんだけど、なんと、歌っている曲の作詞作曲をすべてその子がしたという話だった。正直言って歌詞の内容はあまり憶えてないが、笑、少なくともJ-POPのしぼりカスみたいな曲ではなかったよ。当然、クラス紹介もその子がしてたんだけど、もう一言目から「あ、こいつ天才だな」とわかるくらい堂々としてたな。あれは最高だったよ。こういう才能を活かせるような日本であってほしいと素直に思った。でも残念ながら合唱コンクールのクラス紹介が定型文である以上、そんな社会はまだ遠いだろう。。。
面接でキチッとした服を着ると「服だけ上等やな笑」、私が自分で買ったアクセサリーには「安っぽいで笑」という調子。
いつもと違う私や彼が関われない部分にケチをつける、つまりは私が離れていくのが嫌だという独占欲だろうと思ってた。付き合い初めはそういう子供っぽさも好ましく思えたが、だんだんつらくなって別れた。
連休で岡山に行った時のこと。上着を落としたのに気づかずにいたら、元彼と同じイントネーションのおじさまが親切にも声を掛けてくれた。あいにく上着は水たまりに落ちてしまって、拾って下さったのはありがたかったけれど、ひと言「高そうな服やのに笑」と付け足されたのにカチンときた。
人のドジを笑うの!?とムッとしたが、「お気の毒に」と言いたかったのだろうか?よくわからない。
誰かがラジオで「岡山の人ってちょっと嫌味言うのよね。古くからの港がある所はね」と言っていたのを思い出した。元彼のアレも県民性だったんだろうか?だったとしても不快さが減る訳ではないが。
うおっしゃぁああ!ワイが電車の魅力を一気に語りまくるで!
まずな、電車っちゅうもんはただの移動手段やないんや!もはや生きてるんや!だって考えてみい、あの鉄の巨体が「ゴォォォ!」って轟音立てて走り出す瞬間!アレがたまらんやろ!もう、あの時点で胸がドキドキするし、心が「うぉおぉ!これや!これぞ旅の始まりや!」って叫ぶねん!で、線路の上をビューンと滑るあの感じ、これが気持ちええんよ!風を切って、街から田舎へ、田舎からまた街へ、あの景色の変わり様、もうワクワクしかないやろ!
それにやな、新幹線とか特急のフォルム!あれ、惚れへん奴おらんやろ!?流線型のツルッとしたボディ、もうアレは芸術やで!デザイン美の極み!で、たまに乗るローカル線のちょいレトロな車両もええねん、木の座席に揺られて「これや!これが昭和の浪漫や!」って感じや!ほんでな、夜行列車とか乗るとき、ちょっと非日常に踏み込む感覚あるやん?列車に揺られながら夜通し走るとか、最高やろ!
ほんでさらに言わしてもらうなら、車内アナウンスや!アレが鳴るたびに「おお、来たぞ来たぞ!」って気分高まるし、特急やと「この列車は〜」ってテンションちょい上がるイントネーション!ああいう細かいとこまで最高やねん!
つまりやな、電車に乗るんはただの移動やなくて、心の旅なんや!一瞬一瞬が特別で、電車がゴォォォって進むたびにワイの心も広がる!電車、最高やろ!!
美味ぇ⤴️というイントネーションまでがセット
A型事業所で働いてるが、話題のAさんや少し前に流行ったBさんレベルの人はなかなかいない
どころか、健常者と遜色ないコミュ力の持ち主が大半だ
数人ほど、障害あるっぽいなと感じる人はいるが、その人たちにしても話題のAさんほど酷くない
コミュ力の塊で皆に好かれていた人が辞めてから、お喋りタイムはお通夜タイムとなった
ところで、A型事業所にくるのも納得の明らかな発達障害の人がいた
AさんとBさんの枠はもう埋まってるので仮にCさんとしておこう
だがCさんは仕事は普通にできたものの、壊滅的に空気が読めず、何度も何度も脈絡なく同じ話をし、会話の途中で意味不明な口を挟み、話題のAさんを弱くした感じのように無駄な正義感で場を白けさせ、小さなことで独特のイントネーションで大袈裟にお礼やお詫びを言い(いいことだと思われるかもしれないが正直鬱陶しかった)、かと思えばお礼を言って欲しい時に限って言わず、態度がやけにオドオドうじうじしており、顔や体型からして陰キャオーラ全開であった。
これはもう、明らかに学生時代から周りから嫌われて疎まれてきたんだろうなと思わせた。他害するわけではないから本人も辛いし周りもいじめだとみなされやすいやつ。
私は段々とCさんが苦手になった。顔を見るのも、声を聞くのも生理的に無理な状態に。加害されたわけでもないのに、自分だって人のこと言えないのに、Cさんを嫌う自分も嫌だった。Cさんには妙な嗜虐心が引き起こされた。関わりたくない。関わったらCさんを傷つけるかもしれない。Cさんと顔を合わせないためにも早く就職しなきゃ。
Cさんとは幸い仕事の都合上あまり一緒ではなくなった。空気の読めなさに直面することもなくなった。たまに挨拶を交わす(いつも向こうから)だけとなった。
何が嫌って、私がCさんを嫌う理由の大半が同族嫌悪だということだ。顔も性格も陰キャなのも空気が読めないのもお礼のタイミングがおかしいのも昔から周りに嫌われるのも発達障害なのも、私だ。ともすれば私はCさん以下かもしれない。そんなことを考えてまた鬱になった。
私は大いに喜んだ。よかった!これで私はもう神経をすり減らさずに済む!私がCさんを傷つけてしまう可能性はなくなった!
Cさんに幸あれ