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封建主義を忘れてもらっちゃ困るね
【梨泰院事故】この事故を「自己責任」で片づける日本人は、民主主義を本当の意味で理解しているのか
https://news.yahoo.co.jp/articles/b9919573a1ede3a40bf26cebcdd9e6104b8a692f?page=1
何かが起こった時に、日本人が「大きいもの」ーー例えば、会社、自治体、国、政治の責任に思い至らないのは、基本的人権を擁する自由と民主主義の社会よりも、鎌倉時代から江戸時代に連なる封建主義社会の、つまり支配者にたいする臣下とか小作農の(つまり上下関係の)精神性です。臣下や小作農にあるのは権利ではなく、お上から求められる奉公と忠誠、そして押し付けられるままに支払う年貢のみ。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が描くのがまさにこの体制が確立した時代で、自分にたて突く御家人を次々排除する北条義時(小栗旬)を見ても、それがまったくもって民主主義でないことがわかります。義時が守っているのは、御家人(=国民)でなく、国体=つまり国の体制だからです。
本当にこの通りで、日本人はいまだに鎌倉時代レベルの精神性にとどまっている。
国社会が本当に民主主義的かどうかはさておき、少なくとも韓国人は「国民」が政治の「主体」であることーーつまり「民主主義」を理解しています。かたや日本では、政治や社会に対する誰かの怒りの声を、同じ国民が「自己責任だろ」とつぶしています。為政者にしたらこれほど都合のいい、チョロい国はありません。
投げ銭乞食で食ってる絵師が「いかにして『俺が課金して支えないとコイツはこの仕事をやめて普通に働かなきゃいけなくなる!』って焦らせるかなんだよね」みたいな事言っててさ。そういや前にVtuberも配信で同じようなこと言ってたなあと思い出したわけよ。確かに自分で何かを生み出すのではなく支えられることで成立させる仕事ってそうだよな。いわゆる「推してもらう」ことによって成立させているタイプの職業。
それの最も顕著なのが現代の王族だよね。まあいわゆる封建主義国家だったら王族が国民を奴隷として飼っている状態だけど、今の民主主義国家において象徴として王族の類を擁立しているタイプにおいて王族はペットだよね。国民の一部がその王族を推していて、もしもソレをやめたら彼らが貴族であることをやめて普通の社会人としての労働に染まってしまうという理由から支えている。つまりはアイドルの一種なわけだが、いわゆるアイドルが音楽やライブや写真集によって金を払う理由を作り出し対価を求めるに値するコンテンツも用意しているのに対して王族は存在しているだけなんだよね。こうなるともうペットと同じだ。
我が家でも猫ちゃんを飼っているんだが、そういえばコイツなんてまさに王様そのものだ。ふんぞり返って餌はまだかとしているだけでこっちは食事を作るし、死なれちゃ困るから病気っぽかったら必死にググるし病院にも連れて行く。とはいえウンコを好き放題に漏らされちゃ困るから最低限のことは教える。これについては世界各国の王族が頑張って勉強してそれなりの学歴になるように教育されているのと同じだな。王たるものの責務として最低限知っておかねばならないことがあり、それを学ぶ機会を用意するのが家臣の務めだ。家臣とはいうなれば飼育係なわけだ。つまり王族とはペットなのだ。
そもそも歴史的な話として封建時代の「男系長子相続の社会」みたいなモデルを「男子優遇社会」だと社会学者なんかが判断したのが始まりっしょ。それはそれで間違ってない、なぜならこの社会において女性は財産の相続権がないわけだから。
んで、この社会は「男子優遇社会」なのはそれはそれでいいんだけど、じゃあすべての男子がそうなのかといえば違う。具体的には長子以外の男子は相続権がないし、長子のスペアとして自由やら権利やらが制限されてきた。つまり「男子優遇社会」の中で相対的に弱者だった。これが前近代の封建社会における弱者男性だよ。
上記の話は歴史上の話であって直接的には現代社会には関係ない。のだけど、現代の自由主義社会を作るに当たって、その恋愛観や男女観を形作るときに、騎士道物語的なロマンチック・ラブイデオロギーを利用したってのはある。女性の人権なんざ薄っぺらい封建主義から人道人権が重要な近代主義に移行する仮定で、女性を尊重するに当たっての「物語」として男性は女性を守るべしみたいな価値観が挿入された。
でもそれって「物語」であって「価値観」だから色んなものがごっちゃになって濁って導入するしかなかった。物語って多面的なものだから仕方ない。
「男は女を守るべきだ、それが男の甲斐性なのだ」みたいな価値観。日本で言えば文明開化から戦後昭和に至るまで、そういうのが繰り返されてきた。ジャンプ漫画にだってその影響は強くある。それは細かく精査すれば、男性側の労力的精神力的あるいは財産的な「持ち出し」にあたる行動規範だ。
しかし、前述したように封建的だった時代から男性は女性よりも優遇されてきた。最終的には優遇をなくして同権社会を作ればいいんだけど、一足飛びにそこにはいけない。社会が混乱するし下手したら壊れる。なので、男性優遇社会の優遇分を「再配分」するために、男性側が持ち出して女性を遇するという文化が要請された。
時代が進み現代になっても、この文化はあちこちに根付いている。卑近な話で言えばデート料金をどっちが持つかって話にもなるだろうし、専業主夫にたいする風当たりの問題もあるだろうし。
現代社会においては「男系長子相続」が強要されているわけではない(※日本でも一部田舎の家系ではそういう文化が残っていたりして話を面倒くさくしてるんだが)。だからそういう意味でもう僕らの社会は個人主義自由主義の社会だ。
にもかかわらず、再配分文化の名残で、男性がその男性の能力や財産とは無関係に、何らかの持ち出しを続けなければならないとすれば、それは再配分を超えた搾取であるのだから、弱者搾取ではないか? これが現代の弱者男性でしょ。
別に難しい話じゃないし、明快な話なのに、なんでこんなに混乱してるんだ。
いや?「何もしない」というのが自由主義だから並べていいんだよ。何もしないより、マルクスやケインズのほうがマシということだ。
もっとも、金融制御だけはしていいというのが新自由主義だが、今の日本を見てのとおり大失敗だ。
自由主義って、封建主義に対して、自由にしたほうがうまくいくという思想だ。もっとも、貧富の格差は起きるし、一度大規模経済危機を迎えると、永久に続く不景気と衰退を作る。
ケチが付いたのはインフレだが収入所得が上がらないオイルショックや1970年代アメリカのスタグフレーションだ。
それでも今の海外需要起因ののスタグフレーション懸念に対して、金融緩和を中止せよ、基準貸付金利を上げろ!なんてのが新自由主義の規制緩和だ構造改革言ってたやつの口から出てるのを見ると、本当に何も考えてなかったんじゃないかとすら思えてくる。