はてなキーワード: スキナーとは
親が甘えたい人だった+自分は発達障害、のダブルパンチで、ほとんど甘えられないまま育ったけど、
この歳になって「正しく他人に頼る」方法が身についてないって、本当に困る。
自己愛性の人間には引っかかりやすい(利用はできないけど利用される側に立ってしまう)、
恒久的に無力感が強くて、すぐに身動きが取れなくなる。
コミュニケーション能力も、年齢相応とまでは行かなくても、まぁ高校生レベルくらいまでは身についた。
だけど、根っこを直さんとマトモに社会生活が送れないことに気付いた。
行動する方法がわかっていても、アクションが起こせない、外界に働きかけられない。
育児が重労働なのはわかる。ウチだって親を一方的に責める気はない。
とはいえ、野球中継なんか見てる余裕があるんなら、ね……
「スキナー化」された娘さんが将来苦労しないことを祈るしか。
http://www.mindhacks.jp/2010/05/post-2426
スキナー化というのはつまり、寝る前に泣きわめく声量が日に日に増してくる娘を、放置して泣き止ませるという戦略をとってみただけです。ま、ドア越しに気をもみつつ様子を見守っている間抜けな両親がうろうろしていたわけですが、それでも抱き上げたりあやしたりは一切しない。
すると、驚いたことに、日に日に声量は下がり、4日目にして全く泣かなくなりました。ベッドに置いたとたん、指をしゃぶってそのまま寝入ってしまうのです。狙った結果ではありましたが、やっぱり驚きです。Skinnerすごいな。
それは、間違っています。
「子どもへのまなざし」という本を読んでみてください。児童精神医学が専門の佐々木正美というお医者さんが書いた本で、もう何十刷も増刷を繰り返していて、Amazonの幼児教育のジャンルでもずっと1位のベストセラーです。読むのが大変だったら、p114からの数ページだけでもいいです。
これによると、たしかに子どもが泣いたときに放っておけばそのうち泣かなくなるが、それは「忍耐づよい、現実認識がしっかりした、かしこい」赤ちゃんになるのではなく、「困難に対して早くギブアップする」子になるということだそうです。
泣いたときに放っておくのとすぐに相手をするのとどちらがいいかという議論があって、40年ほど前にヨーロッパで比較実験が行われたそうです。何年にもおよぶ追跡観察で明らかになったのは、「泣く→無視する」ということを行った赤ちゃんは、ちょっとした困難をすぐ回避しようとする、困難を克服するための努力をすぐ放棄する子どもに成長し、また周囲の人や世界に対する漠然としたしかし根深い不信感と自分にたいする無力感のような感情を持ってしまったということです。逆に、「泣く→相手をしてもらえる」ということを体験し続けた赤ちゃんは、自分をとりまく周囲の人や世界にたいする信頼と、自分にたいする基本的な自信の感情が育まれてくるのです。
つまり、赤ちゃんが泣くの親が無視するということは、赤ちゃんの「環境に働きかけても無駄」という認識を強化していることにつながってしまうのです。
そういうわけですので、子どもが泣いたときには、子どもが自分の力を試しているんだと思い、できるだけそれに答えてあげてください。十分に満たされれば、時間はかかるけど、だんだん泣かないように育っていきますよ。
From Creating Passionate Users
By Kathy Sierra
私はTwitterが怖い。これだけ人気があるサービスだけれど、私は少なくとも三つの問題点を見て取れる: 1)Twitterは心理学にいう「間欠的不規則報酬」のほとんど完璧な実例である。これはスロットマシンが人を惹きつける仕組みと同じ。 2)Twitterを使うことで得られる強力な「人とつながっている感覚」は、脳を騙して「何か有意義な社会的交流を行っている」と思わせてしまいうる。その一方で、脳の別の(古い)部分では、そこに人間の生存にとって重大な何かが欠けていると「分かっている」 3)Twitterは「常時マルチタスク状態」の問題を悪化させる要因の一つであるーーもしかしたら他のものよりもっと強力かもしれない。Twitterをしながら(もちろん、emailでもチャットでも同じ)、深く考え込んだり、フローの状態に入ったりすることはできない。
[注意: 私はこの問題について本当に少数派みたいで...ほとんど100人中99人がTwitterを支持している状態だから、たぶん私が間違っているのでしょうね(でもとりあえず書いてみるけど)。それと、この記事の大部分は、関係するテーマについて私が書いた様々な記事を混ぜ合わせて作ったものです]
この三点についてもっと詳しく見てみましょう:
スキナーの発見の中でも最も重要なものの一つは、間欠的に強化された行動は(継続的に強化されたものとの対比において)、最も消えにくいということだ。言い換えると、間欠的な報酬は予測可能な報酬より優れているのだ。これは大抵の動物トレーニングの基礎となっていて……人間にも応用が効く。スロットマシンがあんなに人の心に訴えるのはそのためで、別に中毒にならずともこのことに気がつくことはできる。
テクノ心理学者のパトリシア・ウォレスは〔中略〕Emailがーー十代の子供のみならず成人に対してもーー持つ魅力の一部はスロットマシンの持つ魅力に似たものだと主張している。「間欠的変動強化を受けているのです」とウォレスは説明する。「毎回報酬をもらえるのか、またどれくらい頻繁にもらえるのかがはっきりと分からないがゆえに、ハンドルを引き続けるのです」
多くの人にとってTwitterの最大のメリットは、他の人とよりつながっていると感じられることにあるようだ。カーソン・システムズのリサは、Twitterを擁護するテラ・ハントの記事へのコメントの中で、これを次のように表現している。
「Twitterは友達の感情や地理的な場所、動作を記録することによって〔中略〕このギャップを生めてくれる。まるで私たちが本当にそこにいるみたいにね。このおかげで『本当に』つながっているって感じになるの」
これは本当に良いことなのだろうか?
おそらく、答えはイエスなのでしょう。たぶん、ほとんどの人にとっては。けれど、「人とつながっているということは常に良いことだ」という反射的な回答は批判的に検討してみる価値はあると思う。UCSFの神経生物学者であるThomas Lewisさんは、「注意しないと、たとえ実際はそうでない場合であっても、人は脳の一部を騙してーーはるか昔より人の生存にとって不可欠なものであるーー本当の社会的交流を行っていると思わせてしまう」と主張している。これは不快な(しかし無意識の)認知的不合致、つまり脳が必要だと思っているものを取っているのだけど、「科学的に完全に分かっているわけではないけど、おそらく嗅いで感じられる何か」を満たすには足りないという状態につながる。彼はこれをTwitterについて言ったわけじゃないけど……Conference on World Affairsで彼の講演を聞いた時には、emailやチャット、さらにはテレビにまで言及していた(脳は「人々」を見ていると認識して、社会的関係を持っているに違いないと考える(GOOD)、けどそこには何かが欠けているとも気がついている(BAD))
Lewis先生はとても多くの研究を引いていたけど、私はそれを書きとめなかったので、このことは割引いて聞いてもらってもいい。加えて、私は彼がemailやチャットについて述べたことをTwitterに拡張していることにも注意。けれど、Lewis先生が言うことには、私たちがこのようになる理由の一部は、私達の脳が体の身振りや顔の表情や声の調子などを解釈する先天的な能力を発達させていて、こういう情報のチャンネルを予期していることにあるのだという。だから、社会的交流があるように見えているけれども、この先天的な、昔ながらの脳の機能の一部が働いていない状態になると、ストレスを感じるのだ。
繰り返すけれど、だからといってそれに見合う価値がないというわけじゃない。これは遠くに離れた家族や友達とつながっているには非常に有益なものだ。私が言いたいのは単に、これが一部の人々に「私はつながっている」という誤った感覚を与えていて、現実のつながりを犠牲にさせているかもしれないと問うてみる価値があるということだけ。
隣の人とコーヒーを飲むのは、千のTwitterの投稿より脳に多くを与えてくれるかもしれない。
これと同じような議論はずっとなされてきたし、テレビにだって同じことはいわれているけど、それだからこの話が間違っているということにはならない(孤立したカナダ人の村にケーブルがようやく開通すると、集団のIQが下がってしまったという研究がある...とルイス先生は講演のなかで述べていた。私はこの研究への引用をウェブで見つけることができなかったけど)
皮肉なことに、Twitterのようなサービスは同時に、仲間の輪の中に入っていないのではないかという心配を一部の人たちに植え付けて、「つながっていない」という感覚を起こさせる。「常に更新している」ことの重要性を高めることで、十分頻繁にtwitterをチェックしたり投稿したりしていない人たちの「何かが欠けている」という感覚を増幅させてしまうのだ。
前の私の記事より:
最悪なことに、この押し寄せる投稿は、私たちのほとんどを最も幸せにしてくれる「あること」から引き離してしまうということだ...つまり、フローの状態にいることから。フローの状態に入るには深く考え込み、意識を集中させる必要があるけど、この種のコンテキストを切り替えるものはそのどちらも妨げてしまう。フローの状態では知識やスキルを意欲的に使う必要がある。これはマルチタスクで(食べながらや、テレビを見ながらなど)できるような頭を使わない仕事とは全然違う。フローでいるには、ある程度の時間を使って知識とスキルを脳のRAMにロードする必要がある。そして、それが大きいものであれ小さいものであれ、より多くの邪魔が入るにつれて、ますますフローの状態にはたどり着き難くなる。
しかも、フローの状態に入れなくなるというだけではない。およそ何かについて熟達するということもなくなってしまい、エキスパートにもなれなくなってしまうのだ。脳科学者に尋ねてみれば、エキスパートとなるのに重要なのは天才かどうかではなく、物事に集中できるか否かなのだと教えてくれるだろう。
情報過多という現象に対する反動はもう見えている。Web2.0 VC はかなりの額を、情報を整理(されたままに)する サービスを約束する会社に注いでいるみたい。43 Foldersがトップ100のブログに入っているのにはそれ相応の理由があって、それは単にMerlin Mannがカッコいいというだけではないの ; )
たくさんの人がこのことについて語っている。でも、たぶんLinda Stone以上に雄弁な人はいないと思うけど:
継続的な注意散漫状態とは、半端な注意を払うということーーそれも絶え間なくね。これはネットワークのライブノードでいたいという欲求に基づく行動だ。別の言葉で言えば、私たちは人とつながりたいし、つながれた状態でいたいの。どんな時でも、チャンスを見逃さないように効率的に目を見張らせようとし、最も良いチャンスや行動や関係のために最適化しようとしている。忙しくすること、つながっているということは、すなわち生きているということ、他者から認識されること、そしてなにがしかの存在となるということなの。
絶え間なく部分的な注意を払うのは、何一つとして見落とさないため。常時つきっぱなしで、どこへでも、いつでも、どんな場所でも働くもので、人為的に作出された慢性的な危機感もこれに含まれる。この人為的で慢性的な危機感というのは、マルチタスクというより、継続的な注意散漫状態に典型的に見られるものよ。
Twitterを使うことにメリットがあると思う? もちろん。Teraはこのメリットを本当によくまとめている(その全てがメリットであるとは考えない人もいるけれど、その人たちもテラの主張には賛成の立場に立っているのであって、大事なのはその部分)
人々がTwitterを責任を持って使えると考えているの? しっかりコントロールしつつ、twitterを使うことで注意散漫になりすぎたり、(タブロイドニュースやTVがアメリカでこれほどまでに広まった原因たる)覗き見のたぐいを避けて?
当然、そう思っている。
私が言いたいのは、ごまかしを避けて、「常に注意をそそぎつづける」というウサギ穴にどれだけ深く入り込みたいと思っているのかを判断してみるべきだというだけ。
私はTwitterのターゲットではなかったーー生まれながらの独り者なのよ。私はそこまでつながりあっていたいとは思わない。そして、ミステリーを残しておくという美学が大好きなの。それだけ多くの人たちについて、そんなにも多くを知りたいとは思わないし、人々にそんなに私のことを知ってもらいたいとも思わないの..それが日常のことであれその他のことであれね。だから、これは私がマイノリティたるゆえんで、私のTwitterに対する恐怖は、私独自のーーねじくれてあまり一般的でないーー個人的な性格に由来するものなの。
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スキナー心理学の特徴は結果さえでれば内的な処理を問題にしない点にある。
■「林檎を食べれば、空腹が治る」重要なのはこのことであって
■「どうして林檎を食べると空腹が治るのか? 内部でどのような処理が行なわれているのか?」
そんなことを知ってどうなるのだろうか?
脳科学などに取り組むよりも、林檎が有益であることがわかればそれで十分で、林檎を植えたほうが良いというのがプラグマティックな判断ではないのか。
脳科学は「どうして○○を善だと我々は思うのか?」「なぜ林檎を美味しいのか」といった常識を生理現象から詳しく説明するだけであって
Amazon.co.jp: TQ―心の安らぎを発見する時間管理の探究: 本: ハイラム・W. スミス,Hyrum W. Smith,黄木 信,ジェームス スキナー
ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer
変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける英知を我に与え給え。
私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。 ゲシュタルトの祈り Gestalt Prayer
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
天体の運動はいくらでも計算できるが人の気持ちはとても計算できない
すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。シェイクスピア
幸福への道意志の力でどうにもならない物事は悩まないエピクテートス
完全に我々の力の範囲内にあるものは我々の思想しかない。デカルト
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
1時間は60秒*60分=3600秒
1日は3600*24時間=86400秒
1年は86400*365日=31536000秒
80年は31536000*80=2522880000(約25億秒)
365日*80年は29200日
人の時間には限りがある。
公益目的でなければ、他人に関する思いで君の余生を消耗してしまうな
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>素地がペシミストの奴が自己啓発本に感化されて失敗すると悲惨
書き込んだ後、似たような話がすぐ下にあってビックリしたw
俺はその友人を見て思うんだけど、彼が考えてる事っていうのは、売れ残った30代ビジネスウーマンが、売れないミュージシャンみたいな人とばっかり付き合うような事と同じような気がするんだよね。
何ていうか、すでに「普通」に甘んじる事しか出来なくなったプライドばっかり高い奴が、起死回生を狙って起こす理解不能な行動というか。
きっと彼が恐れているのは「普通」の二文字なんだよね。そして、何故それを恐れているのかといえば、自分に自信が無い癖にプライドだけは高いからなんだと思うんだよ。
「普通」に甘んじれるという事はイコール、集団に埋もれてしまっても「自分」という者を持っていられるっていう事じゃん。
キチンと生きてる人間ってのは、普通じゃない肩書きがあろうが無かろうが、ただ自分が生きているだけでそれが個性になりうる、ってのを自分でちゃんと理解してる人なんだよね。
だけど、彼にしてみれば、「普通じゃない事をしている」っていう外見のブランドを身に付けていないと、集団に埋もれて何の特徴もない人間になってしまうって思ってて、自分を保つことが出来ないんだよね。だから、「普通じゃない肩書き」が欲しくて足掻いちゃう。
でも、それを伝えても、まともに聞いてくれないからなぁ。
つーか、スキナーの本にもある通り、成功者の原則の1つは「既に成功している人をモデリングする」ってのがあるのに、全くGoingMyWayで俺は俺で誰かじゃない状態なのは、やっぱりコンプレックスが問題なんだろうな・・・。