はてなキーワード: 中沢新一とは
古市憲寿が小山田の擁護のつもりで「裁判するにも頭と金が必要だからね」と火に油を注ぎ、それへのフォローのつもりで「あれは結婚祝い」とか変なこと書いてまた炎上しているけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/poe1985/status/1416750358521475073
あれってわざとナンセンスな事言って「相手にしてない」って態度示してるだけだと思うよ。
2chで正面切って異論を唱えるIDが来た時に、住民が延々と「好きな寿司ネタ」とかの話をし続ける事があるが、あれよ。
80年代地続きの90年代前半を吹っ飛ばしたのはオウム事件なんだが、この時思想的に責任がある中沢新一は「あれはネタだし」って事を言って呆れられ更に叩かれる事になった。
数年前に衝撃的自死を遂げた西部邁は東大教授だったのだが、80年代末に「あれは学問ではない」と中沢の研究を認めない東大教授会に対抗して中沢擁護の論陣を張り、結局退官してしまった。
そんな西部が体張って人生掛けた自分の研究、カッコつき「学問」はネタだと言ってしまった。んでついでに自分も身に覚えがある浅田彰は「自分も構造の中で逃げろと言ってた訳でw」とか言っちゃった。
ネタだから、本気じゃないから本当の自分は傷つかないのって事を公の場所で言った訳で、自意識のコップの中であーだこーだ言ってたのがバレちゃったのよ。
めいろまなんかも言ってる事だが、そういう文化的土壌というかサンドボックスを吹き飛ばしてしまった、或いはサンドボックスの外郭を外からサーチライトで照らし、それがガキの遊びだったって事を知らしめたのがオウム事件で、その後はオウム以前の言説、思想商売なんか全く出来なくなって環境が一変してしまった。
今回の小山田の問題はそのオウム前のサンドボックスでやってた事がオウム以後である現在、しかも五輪プロデュースという究極の「オウム後」で参照されてる事にある訳だ。
言うまでもないが被害者にとってはそのサンドボックスは機能していなかった。小山田とサブカル糞連中だけが中で遊んでただけだ。
1985年生まれの古市はオウム事件では10歳であるのに、何故かこの思想的サンドボックスを巡らすとリアルから保護されるという認識を持っている。不思議だ。
知のサンドボックスは学問とか大学には必要なものだが、それを現実に影響するところでやると「構造の中で逃げろと言ってた訳でw」って言う羽目になる。
そして今おっさんになって渋谷系のリスナーなんて居なくなり、更に五輪の楽曲担当に選ばれてしまった小山田の立場というのは「内向きのノリ」で擁護できるはずがない。
その辺はオウムの時に10歳だったので判らないのだろうが、浅田彰に聞いてみるとか島田裕巳(オウム事件で大学解雇)に聞いてみるとかあるだろうと思う。
オリパラは国家的セレモニーで、普通そういうのはそつのない人選をするものだがかなり「挑発的な人選」をしてしかもその自覚が無い。こんな事会社勤めでやったら会社に居られるだろうか?能無し扱いされて人事の申し送りが延々と付くレベルの失態だろう。
でも社会一般ではバカ、ガキ扱いされるそんな能無し人事が政治とかTVとか社会の上の方では常態化していてその結果こんな見えてる地雷を踏む案件がしたんじゃなかろうか?
例えば西村博之がTVに出て若者に人気だったり、ネットデマにのせられて個人のデマを流布し訴えられたデビィ・スカルノがTVを追放されなかったり、パンデミック初期にコロナはインフル以下と世論を誘導したかと思えば自説の過ちを糊塗する為にPCRデマを流布して延々と防疫妨害を続けた医者がTVに出るようになったり、TVによく出ていた反がん治療論者が反ワクチンで荒稼ぎしていたり、パチンコやアムウェイのCMが流れていたり。
西村博之は揚げ足ばかりだが言う事はそんなにおかしくはない。揚げ足ばかりだけど寧ろ常識的な立場で人を揶揄論破するのがウケるのは判る。
でも脱税と民事裁判逃れの為に財産飛ばしと収入隠しをしている人物をTVに出すというのは本来かなりの冒険である。
昭和だったらヤクザに刺されたり、ボリビアの奥地で顔面を剥がされ指の指紋が全て切り取られ歯が全て抜かれ全身を焼くか熱湯が隈なく掛けられ体毛分布が判らない状態で見つかった遺体が西村さんと判明しましたというニュースが流れるようなレベルだ。
更に「2chを奪われた事実」というのは社会的には無い。合法的に事業譲渡してそう世間に発表しているのだ。
フィリピン在住の米国人極右と共謀して法的に事業譲渡するが実態は西村が配下の人間経由で管理権を掌握し続け利益もそのまま得る。
比極右ジム・ワトキンスもサーバ管理費に上乗せした利益を得る。サイト運営により発生する民事争訟は比極右持ちになるが、対米中韓の国際訴訟を扱える弁護士は多くとも対フィリピンではぐっと減るからリスクは減る。減ると言っても比極右方にはある事には変わりないが西村の方はゼロになる。
ところがクレジット情報が洩れる事件があって決済が停止してしまった。比極右方には経費が掛かっているがエサは無しだ。ふざけんな、となる。
そこで法的な契約通り、社会の体面通りに手下どもの管理権を剥奪した。広告出稿なども手を廻して西村方を干して自分らが主体となる契約にし直した。
そもそもこんなスキームにしたら刑事事件だって比極右の方に行く。更に児童ポルノなんかの放置があれば比極右は米国領に再入国すら出来なくなる。しかもサイト管理は西村の手下達がやるのにそいつらは法的な矢面に出ない。警察も欺むこうとするスキームだ。国税局もだ。舐めたもんである。
つまり悪人達が片割れにエサやらずに仲間割れしただけであって、刑事ドラマなら「仲間割れか検視室に放り込んでおけ」と死体を足蹴にするシーンでしかない。
こんな状況なのに西村は「2chを騙し取られた」と言い出したのだ。騙したのはおめえで世間と当局を騙そうとしたんだろ。法的に譲渡したけど実際はしてないという密約をしたんだろ。盃かわすだけでエサもやらないから密約の方だけ切られたんだろ。「のっとり」されても外部の社会的、法的にはなん~~にも権利関係が変わってないだろ。
こういう下剋上でもなく仲間に裏切られた悪人というのはその不幸に対する憐憫が発生しえないので単純にお笑いの対象である。
ところがこんな人間をTVに出してしまう。そして揚げ足や論破が面白いので人気が出てしまう。そして事情を知らない若者が慕ってしまう。あのさ、論破されてる人たちより間抜けでみっともない事してるんだから。ちゃんとTVもその辺の経緯を説明しろよ。ショーンkみたいな状態やんか。
「2ch創始者」みたいな肩書をテロップで出すのはやめて「共謀脱税執行財産隠蔽給餌放棄其儘法実行実権取上慌叫2ch漏所有皆笑 の西村さん」と書くべきだろう。この騒動の背景を説明せずにTVに出していい人間ではない。
政治の世界はもう非常識人事が常態化していて感覚がマヒしている。
例えばその中心人物の安倍さんは悪人ではない。彼が起こした事件で彼自身が利益を得た事は余り無い(さくらを見る会で招いた有権者を総務省の人間に接待させたという事はあるが)。
腰巾着にたかられて「良きに計らえ」と下命した事が事件化してる。逆に言うと立場が上がるに従い良きに計らえの効果が絶大になってくる事を理解しないままに社会の上に行っているのだ。
自殺者が出た責任は感じていても、組織で犠牲になり易い場所で自殺者が出るという事は得心出来ていないのではないか?経験が無いのではないか?
この人は兎に角イノセントでその辺のイノセントさが腰巾着達にたかられた原因だろうし、その結果が事件になっている。フリーターの店員が友達タダで飲食させてるみたいな騒動ばかりだった。
シリアの難民問題が猖獗を極めていた時にプーチンが国連総会だかでシリア支援の声明を出し、直後に安倍さんが「ウラジーミル!」と親しげに挨拶していたのが彼のイノセントさを特に表していたと思う。この声明は米、NATOへの対立を明確化する覚悟を示したものだった。
社会の上の方では裁量が大きくなるが責任を自覚せず使ってはいけない、それが身に付いてない者は上に行かせない、という経験律を得ていないようなのだ。
とび職で喩えると、上から足場材を落とされたら下の者は死ぬから最初は足場の上には立たせない。「上の人間が手を滑らせたら自分は死ぬ」という事を理解してから上の作業を任される。
社会の殆どでそういう構造になっていて、例えば就職活動なんかは過剰にストイックで過去のSNSでの不行跡なども許されない。
なのに国家セレモニーでパラリンピックにピンポイントの不行跡の尻ぬぐいもしてない人間を任命してしまうのだ。社会の下の方の宮勤めならあり得ない事が上の方では悠々と起きる。
これは異常な事で職場がそんな事になったら事故や倒産は目の前だ。なのに国レベル、マスコミレベルになるとそんなクソ人事しか無い。
会社で経営者の消費を経費計上する時、経理の人間は家族的付き合いで抱き込んでおく。ぶっちゃけ抱き込まずに経費計上させても密告はリスクがあるのでバレないときはバレない。だがそんな事をしたら経理がユルユルになりどこで抜かれているか見分けが付かなくなる。西村博之を出すTVなどはそういう悪事をする時の覚悟も知らないような感じである。
小山田を据えた決定をした者も同じだろうと思う。上の方は実にイノセントだ。自分が乗る飛行機や電車が事故を起こさないのはどういう社会構造に立脚していると思っているんだろうか?
因みに反がん治療論者で反ワクチン商売っていうのは近藤誠の事。
近藤の影響力が大きくなったのはTVに出たせいであり、始めに出した番組は「たけしのTVタックル」である。財産隠しで脱税、民事裁判逃れしてた西村を最初に出したのもTVタックル。ここはオウムの浅原も出していて中沢新一などより大衆層への浸潤に影響力を持っている。
SSクラス 江藤淳、柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎、谷沢永一、村上泰亮、中村元
Sクラス 小室直樹、浅田彰、福田和也、渡部昇一、呉英智、蓮實重彦、永井陽之助、中村雄二郎、すが秀実、佐伯啓思、高澤秀次、筒井康隆、小谷野敦、菅野覚明、養老孟司 見田宗介、佐藤誠三郎、大森荘蔵、西部邁
Aクラス 丸山眞男、吉本隆明、長谷川三千子、丸山圭三郎、橋本治、村上陽一郎、佐藤優、松岡正剛、伊藤貫、猪木武徳、坂部恵、坂本多加雄、大澤真幸、中川八洋、永井均、野矢茂樹、小浜逸郎、飯田隆、河合隼雄、片岡鉄哉、鎌田東二、梅棹忠夫、竹内洋、山本夏彦、山口昌哉、入江隆則、
Bクラス 猪瀬直樹、坪内祐三、中沢新一、御厨貴、橋爪大三郎、鷲田清一、北岡伸一、池田清彦、中西輝政、立花隆、山本七平、宮台真司、桶谷秀昭、宮崎哲弥、司馬遼太郎、古田博司、市川浩、東谷暁、苅谷剛彦、秋山駿、関岡英之、加藤尚武、浅羽通明、松原隆一郎、東浩紀
Cクラス 中島岳志、鎌田哲哉、兵頭二十八、内田樹、森本敏、村上龍、西尾幹二、仲正昌樹、大江健三郎、齋藤孝、森岡正博、富岡幸一郎、小泉義之、井沢元彦、桝添要一、中西寛、中島義道、鄭大均、山内昌之、村田晃嗣、山形浩生、林道義、松本健一
Dクラス 斎藤環、福岡伸一、副島隆彦、榊原英資、梅原猛、寺島実郎、佐藤健志、大塚英志、五木寛之、笠井潔、潮匡人、高橋源一郎、岸田秀、山田昌弘、竹中平蔵、池田信夫、萱野稔人、大川隆寛、大森望、櫻田淳、上田紀行、手嶋龍一、和田秀樹、藤原正彦、中野剛志
Eクラス 佐々木中、村上春樹、三橋貴明、田原総一郎、木村太郎、池上彰、竹田恒泰、切通理作、島田雅彦、酒井信、夏野剛、苫米地英人、上野千鶴子、姜尚中、鷲田小爾太、竹田青嗣、小阪修平、佐藤亜紀、
Fクラス 糸井重里、加藤典洋、中上健次、勢古浩爾、北田暁大、藤原和博、小熊英二、佐々木俊尚、西條剛央、玄田有史、城繁幸、茂木健一郎、岩田温、千葉雅也、岡田斗司夫
Gクラス 小林よしのり、宇野常寛、勝谷誠彦、荻上チキ、鈴木謙介、勝間和代、伊坂幸太郎、濱野智史、赤木智弘、坂本龍一、いとうせいこう、上杉隆、酒井順子
Hクラス みのもんた、久米宏、古舘伊知郎、ハマコー、太田光、水道橋博士、テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ、森永卓郎、ホリエモン、津田大介、ひろゆき、中村うさぎ、雨宮処凛、桜井誠
某死刑囚の死刑執行に際して、その遺族のツイッターアカウントに「おめでとう」などとクソリプを飛ばす馬鹿がいる。
それらに対して、「犯罪者の家族だというだけで中傷を受けるのはおかしい」といった(そこだけを取り出せば正論な)擁護を試みる人達もいる。
どちらも良いカモだろう。
何のために、わざわざ身分を明かして中傷を受けるリスクを犯しているか?
少しでも経緯を知ってれば明らかで、同情を買い共感を得るためだ。
選挙やバラエティ番組を通じて、顔を晒して奇行を演じ、中傷を受けやすい場所に身を置く。
それによって、"不当な"中傷を受けて、一部の人の同情を買い味方につける。
穴だらけな批判を、準備していた論理で論破して、"実は頭良くて誠実"と思わせる
彼らの言説は、ややインテリな層(ハッキリ言ってしまえば、中途半端に知能があり最も愚かな選択をする層)の耳に心地良い。
「自分は法や倫理を理解し感情に流されず正しく判断できる」と信じたいプライドを利用され、奇行を演じる者の擁護に向かわせる。
中沢新一や吉本隆明といった著名人もこの手口に見事に引っかかり、社会的に大恥を書いた。
当時はオカルトブーム、新宗教ブーム、終末思想ブームがあったわけでさ。
今から思えば異常だけど、霊能力者がごく普通にテレビ出るわ、超能力者が科学者と討論するわ、夏になったら必ず心霊写真のコーナーがあって、霊媒師が「これは何とかの霊で……」って言ってタレントがまじめにうんうんって頷いてさ。
今から考えたら信じられないほど、「人智には測れない世界がある!」って受容されてたわけよ。
そりゃたいていの人は「そんなわけない」って思ってただろうけど、「ひょっとしたら……?」という空気は色濃くあったよ。
当時オウムを持ち上げてた文化人って、あれは面白半分に取り上げてたんじゃなくて、「科学じゃ認知できない世界があるのかも……」って空気のなかで、大真面目に「修行するぞ!」ってグループが現れて、勢力を拡大してたもんだから、「やべー! ついに来ちゃった?」って思ったんだと思うよ。中沢新一なんかさ。
とにかく当時の時代の空気をなかったものにして「オウムがやばかった」「当時肯定してた奴らは戦犯」みたいに断罪するのはちょっと違うと思うのよ。
というか、オウム的なものに惹かれるのって、多かれ少なかれ大抵の人にあったと思うのよ。
だってオウムは前世少女とかスプーン曲げとか霊視とか、その延長線上にあるもののはずで、それらは国民のほとんどが普通に受容していたものなんだからさ。
以前ブログにも書いたのですが、
人間のために一生懸命働いてきたのに、いきなり寄ってたかって悪者扱い・・・
原発を肯定しているわけではなく、自然エネルギーに移行していくべきだという考えです。
悪いのは人間です。
意識の持ち方は大切です。
安倍昭恵の2012年のフェイスブックへの投稿が話題になっている。
スピリチュアリズムの悪いところが前面に出ている酷い文章だが、論理の飛躍が大きいせいか、誤解にもとづく非難や賛同も多いようだ。とりあえずスピリチュアリズムとしての解釈を示してみたい。
安倍昭恵の記事の最大の問題は、「人間」を一枚岩で捉えて「放射能(ここでは原発関連の放射性物質のこと、以下同じ)」に「一億総懺悔&総感謝」的に反省することで、現実社会の問題や被害と加害の関係を等閑視することにある。とはいえ、ここで書きたいのはまた別のことで、「放射能自体が悪いわけではない。悪いのは人間です」という箇所についてだ。
この解釈として、安倍昭恵の弟の松崎勲はこの記事におそらくは賛同の意を込めて「全ての自然物(現象)に対し、人間の勝手な価値観を押し付けることは今すぐにやめるべき!!」とコメントしている。これは道徳的価値において人間と物質の関係を「非対称的」に捉える思考だ。善や悪という道徳的概念は人間の領域に限定されていて、「善悪無記」の物質(自然物)にそれを押し付けることはカテゴリー・ミステイクであるという発想だ。
松崎勲と類似のコメントは数多くある。しかし、これらは安倍昭恵の思想を根本的に誤解している。
そもそも記事の前半の「もしも私が放射能だったら・・・」という想定が「対称性」の思考そのものである。そしてスピリチュアリズムとは、人間とそれ以外(生物や自然)を霊の次元において連続的・「対称的」に捉え、それらの霊の交わりを説く思想である。百歩譲って放射能を人格化し、感情を想定するのは共感能力だけで可能だとしても、その感情にもとづいて現実になんらかの力が行使される(「嫌われ者はいじけて大暴れするかも・・・」)とまで想定するのは霊のはたらきを考慮に入れないと不可能だろう。
このような「対称性」のスピリチュアリズムが記事の後半にも貫徹されている。
「放射能自体が悪いわけではない。悪いのは人間です」という箇所は、「人間が善悪無記の放射能を悪用した、すなわち人間社会にとって有害に用いた」という意味ですらない。安倍昭恵の関心は、人間社会そのものにはなく、あくまで「人間」が放射能にどのような心情・態度を示し、どのようにスピリチュアルな交わりを実現するか、にある。つまり、安倍昭恵が糾弾する悪とは、前半で想定されていた、人間が放射能を「人間のために一生懸命働いてきたのに、いきなり寄ってたかって悪者扱い」することの悪に他ならない。
問題の箇所をわかりやすく言い換えると、「放射能といういじめられる方が悪いわけではない。悪いのはいじめる方の人間です」となる。これは紛れもなく「対称性」のスピリチュアリズムである。(いじめる方といじめられる方の関係は非対称的だ、と思われるかもしれないが、ここでいう「対称性」とは「入れ替え可能性」のこと。)
要するに安倍昭恵はこの記事で一貫して霊の次元における「人間」と放射能の「対称性」を主張しているのである。したがって、スピリチュアルな感度のない弟の松崎勲の「全ての自然物(現象)に対し、人間の勝手な価値観を押し付けることは今すぐにやめるべき!!」というコメントは安倍昭恵への賛同どころか、アイロニーとなってしまっているのである。
安倍昭恵の記事を読んで、槇原敬之が2011年に発表した曲「Appreciation」(http://j-lyric.net/artist/a0005ff/l025b9d.html)を思い出した人は多いと思われる。この曲にあるのは「僕ら」の原発への態度の豹変を反省し、感謝の大切さを唱える内省の精神である。言うまでもなく、それは外部の現実から目を閉ざすことと表裏一体であり、発表当時に物議を醸したのも当然といえる。
一方、安倍昭恵の場合は、同じように「人間」の放射能への態度の豹変をなじり、放射能へ感謝を捧げるわけだが、槇原と違って単なる内省ではないところがポイントだ。安倍昭恵は「意識の持ち方は大切です」と文章を結んでいるが、ここにあるのは「(無意識を含む、思考や欲望などの)意識は(霊のはたらきによって)現実化する」、つまり「意識の持ち方こそすべて」という自己啓発と結びついた安直なスピリチュアリズムに他ならない。安倍昭恵は人間が放射能に感謝すると、それだけで放射能の霊が喜び、人間に良いはたらきをすると考えているのだ。
安倍昭恵にスピリチュアリズムというレッテルを貼って終わるといかにも安易でつまらないので、最後にスピリチュアリズムの内部から批判してみる。さしあたりスピリチュアル知識人として影響力のある中沢新一の議論を援用する。上で用いた「対称性」という言葉も中沢の大好きな概念であるが、中沢ならば安倍昭恵を批判するに違いないからである。『日本の大転換』の冒頭の内容を可能なかぎり簡略化して述べてみよう。
人間は地球の自然生態圏のうちに社会をつくりだし、生きてきた。地球の生態圏には、太陽圏からの(核融合の)エネルギーが植物の光合成によって媒介されて持ち込まれ、さらに動植物の死骸の分解という何重もの媒介メカニズムによって化石燃料はつくられてきた。しかし、原子力は生態圏に太陽圏の(核分裂の)エネルギーを無媒介にもたらすものであるため、生態圏そのものを壊す危険性をもっている。
中沢の議論にもさまざまなツッコミどころがあるだろうが、ここでは措く。たとえば中沢は原発を一神教の神に比してもいるが、要するに、「対称性」の思考は生態圏のうちでのみ働くものであって、その外部の無媒介な導入である一神教の神・原発・放射能には適用できないということである。
中沢の議論にどれほど説得力を感じるかは人それぞれだろうが、少なくとも安倍昭恵のような「対称性」が大好きなスピリチュアリストならば、傾聴すべきではないだろうか。
「原子力発電は生態圏内部の自然ではないのだから、それをあたかも自然の事物のように扱うことは許されない。……生態圏の自然と太陽圏の『自然』を混同することほど、危険なことはない」(『日本の大転換』39頁)。
SSクラス 江藤淳、柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎、谷沢永一、村上泰亮、中村元
Sクラス 小室直樹、浅田彰、福田和也、渡部昇一、呉英智、蓮實重彦、永井陽之助、中村雄二郎、すが秀実、佐伯啓思、高澤秀次、筒井康隆、小谷野敦、菅野覚明、養老孟司 見田宗介、佐藤誠三郎、大森荘蔵、西部邁
Aクラス 丸山眞男、吉本隆明、長谷川三千子、丸山圭三郎、橋本治、村上陽一郎、佐藤優、松岡正剛、伊藤貫、猪木武徳、坂部恵、坂本多加雄、大澤真幸、中川八洋、永井均、野矢茂樹、小浜逸郎、飯田隆、河合隼雄、片岡鉄哉、鎌田東二、梅棹忠夫、竹内洋、山本夏彦、山口昌哉、入江隆則、
Bクラス 猪瀬直樹、坪内祐三、中沢新一、御厨貴、橋爪大三郎、鷲田清一、北岡伸一、池田清彦、中西輝政、立花隆、山本七平、宮台真司、桶谷秀昭、宮崎哲弥、司馬遼太郎、古田博司、市川浩、東谷暁、苅谷剛彦、秋山駿、関岡英之、加藤尚武、浅羽通明、松原隆一郎、東浩紀
Cクラス 中島岳志、鎌田哲哉、兵頭二十八、内田樹、森本敏、村上龍、西尾幹二、仲正昌樹、大江健三郎、齋藤孝、森岡正博、富岡幸一郎、小泉義之、井沢元彦、桝添要一、中西寛、中島義道、鄭大均、山内昌之、村田晃嗣、山形浩生、林道義、松本健一
Dクラス 斎藤環、福岡伸一、副島隆彦、榊原英資、梅原猛、寺島実郎、佐藤健志、大塚英志、五木寛之、笠井潔、潮匡人、高橋源一郎、岸田秀、山田昌弘、竹中平蔵、池田信夫、萱野稔人、大川隆寛、大森望、櫻田淳、上田紀行、手嶋龍一、和田秀樹、藤原正彦、中野剛志
Eクラス 佐々木中、村上春樹、三橋貴明、田原総一郎、木村太郎、池上彰、竹田恒泰、切通理作、島田雅彦、酒井信、夏野剛、苫米地英人、上野千鶴子、姜尚中、鷲田小爾太、竹田青嗣、小阪修平、佐藤亜紀、
Fクラス 糸井重里、加藤典洋、中上健次、勢古浩爾、北田暁大、藤原和博、小熊英二、佐々木俊尚、西條剛央、玄田有史、城繁幸、茂木健一郎、岩田温、千葉雅也、岡田斗司夫
Gクラス 小林よしのり、宇野常寛、勝谷誠彦、荻上チキ、鈴木謙介、勝間和代、伊坂幸太郎、濱野智史、赤木智弘、坂本龍一、いとうせいこう、上杉隆、酒井順子
Hクラス みのもんた、久米宏、古舘伊知郎、ハマコー、太田光、水道橋博士、テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ、森永卓郎、ホリエモン、津田大介、ひろゆき、中村うさぎ、雨宮処凛、桜井誠
http://anond.hatelabo.jp/20100127001517
さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。
この時期になると大学生向けに読むべき100冊みたいなリストが出回る。
あんなリストを真に受ける人も少ないだろうが……はっきり言って悲しくなるくらいお粗末だ。
ずらっと並べられた古典名著。あまりに埃の被ったラインナップにがっかりする。
こういった学問には「原書病」とでも言うべき、くだらない風習が根強く残っている。
原典や本文を極度に重視するのは不健全だ。それ自体は面白いとしても、その後発展と整理を経て洗練されている。
歴史的興味以外であえて出発点に戻る価値はすごく小さい。そんなところに本当の「教養」は存在しない。
難解で時代遅れな文章と格闘したって、趣味以上のものにはならないし、考える力は湧いてこない。絶対誤読するし。
そこで本当に頭を強くしたい人が読むべき書籍リストというものを作った。
これは単なる学問という空気に浸ってみたい人が読むものじゃなくて、日常に根ざした本物の力を分けてくれるものだ。
この100冊さえ読めば考える素材に困らないだけでなく、コミュニケーションの強者にもなれる。
飲み会で古臭い古典の話をしたって煙たがれるだけだが、この100冊をネタにすればそんなことにはならないし、
黙考はずいぶんと深くなるし、ブログのネタに応用すれば必ず一目置かれる。
選んだのは現代的で網羅的、そして極めて平易なもの。どの分野にも精通できるように色んなジャンルのものを配置した。
この100冊を大学生活のうちに読み切れば、必ずや一生の財産になるだろう。
ここに挙げられた本が、現代最新型にアップデートされた真の「教養」だ!
『逃走論』 浅田彰
『アメリカン・コミックス大全』 小野耕世
『よいこの君主論』 架神恭介
『おまえが若者を語るな!』 後藤和智
『シミュレーショニズム』 椹木野衣
『箆棒な人々』 竹熊健太郎
『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』 西寺郷太
『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 ばるぼら
この春、女に振られて、なんだかヤケクソになって、出会い系サイト「Yahoo!パートナー」に登録した。三十路のオタク。
前回http://anond.hatelabo.jp/20080531014648書いたように、アクセスのあった8人のうち、連絡を取ろうと思ったのが5人。そのうちの1人(A子さん)が、この24時間で4本ぐらいメールをくれています。なんだか僕と波長があったと思ってくれたみたい。スペックは、
嬉しいのか......正直、微妙です。
A子さんのプロフと1度目のメールを見ている限り、ちょっと重そうな子だなあと思ったのですが、僕とやりとりをしているうちに、なんだか弾けてしまった感じになった。本人が質問し、僕が答えているんだけど、会話になっていない。レスが明後日の方向に行きだした。
たぶん、というか確実に、A子さん、スピリチュアルな世界にかなり関心を持っているみたい。「本人にカウンセリングが必要な心理カウンセラー」って感じです。中沢新一とかそっち系が好きそう。他者との人間関係が気まずくなる経験を繰り返すことで、"自己分析"を行うのではなく、"自己の救済"となる何かを求めてしまっているのでしょう。
オレ、そっちの世界は全くダメです。サイババとか江原とかそこら辺は全く肌が受け付けない。「エヴァンゲリオン」とか好きでしたが、そっちの世界について語ろうとするごく一部のオタクたちに嫌悪感を示していた。小さな時から血液型占いとかやっている女の子たちとは距離を置いていました。
さて、どうしよう。意外と住所は近そうだし、アプローチすれば食いついてくるかもしれない。でも、問題は、自分があっちの世界に、どこまで対応できるかということ。
一回目の時のブクマで、1d:sanzunokawaさんが、「"現実はそんなに甘くない"と言うことを学ぶには良い場所かも」と書いてあるのをさっき見て、つくづく考え込んだ。
そもそも女と別れたから出会い系という自分も動機が不純だ。いや、過去に付き合った女の子のうち3人は、ちょっとメンヘルが入っている感じだった。そういう人たちを受け入れてしまう素地が自分の中にもあるんだろうか。非モテだった過去に対する何かのこだわりがあるんだろうか。
何年か前、とある風俗でお世話になった女の子に、「あのテレビの江原さんによく似ているね」と言われたことがある。体型は確かにスピリチュアルカウンセラーの江原啓之みたいな感じだ。顔も話し口調も……、いや考えるのはよそう。
とりあえず、しばらくはA子さんと連絡を続けようと思う。心の中で「おい、あんた大丈夫か」と思っているのに、どこまで仮面を被れるのだろう。そこまで器用な人間ではない。
http://www.shakaihakun.com/data/vol067/main01.html
村崎▲いやあ、唐沢さん、ここんとこスゴイね。モロ皮肉で言うけど、例の盗作疑惑騒動で、一部のネット界隈じゃ完璧に“極悪人”ロードまっしぐらじゃない(爆笑)。惚れ惚れしちゃうな??。もういっそ次回からこの連載もタイトルも「ドロボーくんがゆく!」に変えちゃおうぜ、オレも現役のゴミ泥棒だし。
唐沢●最初から釣るねえ(笑)。 経緯はウチのHP(http://www.tobunken.com/)に掲載したからそこを参照してほしいんだけど、ホントウ、じらして申し訳ないがこちらもまだ条件の最後に残ってる改訂版発行が残っているんで、まだ話せないこと多々、なのよ。まあ、全部終った段階で経緯は全部発表するつもりではいるけどね。
村崎▲ネットでの一部の炎上ぶりに反して実際はどういう状況になってるかは、オレも全部聞いているんで言いたくて言いたくて仕方ねえんだけど、また前回みたいにカットされるのも会話の無駄なんでやめとくよ。それにしても、ここまで来たら唐沢さんも実刑喰らって投獄された方が、いろんな意味でスキルアップにもなって、“真摯な反省”もできるからいーんじゃねえの?
唐沢●っていうか、もはや一部では唐沢俊一は明日にでも牢屋に入れられてしかるべき人物ってことになってるんだな。あれには笑った。
村崎▲実際、この件に関しては諸悪の根源が唐沢さんにあるんだから、しょうがないよね??♪ まあ、安心してよ、世界中の誰が何と言おうと、オレだけは唐沢さんの無実を全く信じてないから(きっぱり)。
村崎▲ギャグじゃなくてフツーに本心なんだけど(笑)、まあ前回カットされたんだから、別にいま言ったっていいっしょ。それにしちゃ、あれだけ極悪人扱いされてるわりには、唐沢さんの身辺に何の変化もないのはどういうことよ?
唐沢●テレビやラジオや講演の仕事がフツーに来るのには自分でも驚いたね。マネージャーがうっかり依頼に“いいんですか?”と聞いてやがるの(笑)。自分とこのボスの潔白を信じてないんじゃねえか(笑)。
読んで吐きそうなくらい気分悪くなった。読んだ人の気分を悪くさせるのが鬼畜ってやつなんだろうけど、この文章は一見さんが読むことも視野に入れてるその計算高さが何より気持ち悪い。文章だけ読むとホント漫棚の人が悪人になっててすごい。何も知らない人がこれを読んだら、漫棚の人は頭のおかしい人で、唐沢氏にイチャモンつけていったところを唐沢&自称鬼畜にネタにされてこてんぱんにされたという認識しか残さない。しかもそう思わせる文章を書くことを漫棚の人は(自分ではそんなこと一切思ってないんだろうが)認めちゃってるし。
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_604f.html
漫棚の中の人の意思に反してようがなんだろうがこれは「唐沢氏のアクションに対して私は一切無力である」ということを公表したことと同じことだよなあ。さらに声のデカイ方の言い分が通る世の中、無理が通れば道理が引っ込む世の中で、過去ログもろくに読まれないブログにおいてこう書くことの意味はほとんど無いと思う。少なくともあれだけネットで荒れてた時も唐沢氏には順調に仕事が来ていたようで、なおかつネットでの炎上をこんな風に揶揄してるし。
村崎▲やっぱネット世論って、現実社会の世論と正比例してるわけじゃないのかね? こないだの参院選だってネット界隈じゃ維新政党・新風が大人気で、比例区では新風に入れる意志を表明した書き込みがあちこちにあったそうだけど、結局、ロクに票を集められなかったよな。あれは鬼畜的に躍進を期待してただけに非常に残念だったよ。
唐沢●ネット調査では議席数一位は自民党で、民主党は三位くらいだったっていうよね。それがフタを開けたら、“民主圧勝、自民惨敗”。
村崎▲だから、掲示板で大荒れになっているように見えて、実は同じ人間が何回もハンドルを変えて書き込んでいただけ、なんてパターンばっかりだったりするのかもな。まあ、だからといって、唐沢さんがネット住人の勘違いの被害を受けてるだけの潔癖な善人だなんていう気はオレもさらさらないし、これで腹くくって極悪人の仲間入りになったってことなら、それはそれで鬼畜的には納得できるし、もう付ける薬はねえわな。これで実刑くらってしばらく監獄生活が続くようなら、この連載はオレが一人二役で続けるから安心してよ、っていうくらいだな。
唐沢●何を安心するんだか(笑)。
村崎▲まあしかし、オレとしてはオウム事件の時の中沢新一の例があるから、たかだか一個のポカで、その人間の業績や全存在を全否定しないと気がすまないっていう人物評価の仕方には賛同しかねるよ。あの時、オレは中沢の熱心な愛読者だっただけに、オウム事件の時の中沢の対応にムチャクチャ腹が立って、マジで道歩いてて中沢に出会ったら奥歯が折れるまで全力でブン殴る気でいたんだ。それから数年はイヤミで自分の肩書きにも「中沢新一先生とオウムの関係を一刻も早く忘れる会”会長」とか書いてたくらいなんだけど、そういうオレでも、中沢の著書は別で、その後10年の中沢の学者としての仕事は称賛してもいいかなってくらい評価できるんだわ。「人間性はちゃらんぽらんで最低でも、書くものは別」っていうか、最近は「クソ真面目な学者にはとても発想できないモノの見方」ってのもあって、それはそれで貴重なもので、今となっては中沢の腐った人間性さえも「人類には必要なモノなのかも」とか認めたくなるくらいで(笑)。だから何かを全否定か全肯定しかできない二極的な発想って結果的に損だと思うのよ。唐沢さんが結果的な無断掲載みたいなことをしたのはダメだと思うし、それについてはオレもボロクソ言うけど、それは唐沢さんの部分であって全体じゃないと思ってるからこそ言えるわけで、完全にダメだと思ったら批判なんかしねえよ。今でもたまに思い出すけど、バタイユの「部分の総和が全体ではない」という言葉には、いろいろと教えられる事が多いわな。
唐沢●その辺も、「批判=自分に対する全否定」としか受け取れないネット脳の弊害なんだろうね。まあ、こちら側の誠意は尽くしたつもりなんで、あとは状況に任せるしかない。前回カットしたところも、いずれ何らかの形で公開するつもりなので、もう少しお待ちくださいということで。
村崎▲そもそもこの連載読んでりゃ、唐沢さんもオレも超がつくくらいの極悪人だってことはわかりそうなもんだし、むしろゴミ泥棒や下着泥棒の前科を偉そうに公表して威張ってるオレの方が鬼畜としてはレベルが上で悪質なんだ! ってことは強く主張しておこう。
多分漫棚通信の中の人は唐沢氏関係の文章を一切読む気が無いんだろうから、どうせ上に書いた「社会派くん」の更新も読んでないんだろうけど、これだけ読むと漫棚通信の人の全面敗北にしか見えん。今の所誰も「社会派くん」の記事をブクマしてないけど、単行本化して後の世に残る“事実”が上記の唐沢&自称鬼畜の言い分だけで通されるって事に物凄い不快感とどうしようもない無力感を覚えるのは俺だけかね。俺だけですかそうですか。そもそもこうなった原因を作ったのは漫棚の中の人が下手打ったせいだっていうのも事実だし、今更しょうがないんだろうけどさ。あれだけ盛り上がったニュースサイトも今回は一切取り上げてないし。逮捕されて箔が付くのは雑誌の編集長くらいだって言うけど、漫棚の中の人との論争も結局唐沢氏の箔になってよかったねということでよろしいでしょうか。
ただ、自称鬼畜は鬼畜のくせに自分のお友達とはきちんと仲良くするんだということがわかったのはやや収穫。楽屋裏で馴れ合ってるだけの会話をしておきながら鬼畜ですかそうですか。へー。「たかだか一個のポカで、その人間の業績や全存在を全否定しないと気がすまないっていう人物評価の仕方には賛同しかねるよ」って、問題は「人格の全否定」じゃなくて唐沢氏の対応が酷かったからだろうが!!