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2012-12-31

増田とは”決して後悔しないこと”

(元記事)「ゴメンで済んだら愛なんて簡単になくなっちゃうんだぜ」(http://ararara.exblog.jp/19752448/)について

愛とは決して後悔しないこと(であり、だから、ああしたら良かった、こうしたら良かった…という後悔は私にはない。それゆえあなたのごめんなさいも必要ないのです)」

……と、相当距離を置けば、"Love means never having to say you're sorry"の訳が上記になる理由は分からなくもない。まあ、確かにかなり遠い「超訳であるのは事実

したがって違和感があることは否定しないけれども、「ゴメンで済んだら…」云々というのも、ちょっと大仰というか特殊すぎないか

これを訳す際には、この小説でこの台詞が二回目の登場であることを考慮すべきであって(参考:http://getupenglish.blog.ocn.ne.jp/getupenglish/2010/07/love_means_neve.html)、それを踏まえれば

「愛に『ごめん』はいらないのよ」

「愛に『すまない』なんて言葉はいらないんですよ」

くらいが台詞としては妥当な訳かな、と思ったり。つまり、「…(ソンナコトヲじぇにーガイッテタナア…)…」という言外の雰囲気がそこに漂えばそれでいいと思うわけですね。

でも、結局この部分、あんまり印象的な台詞にならない。その理由として致命的なのが「愛」という日本語の軽さではないかと思います。つまり、いきなり「愛に『すまない』なんて言葉は…」という台詞が出てきても、英語Love」のもっている言葉の重みが悲しいか日本語だと足りないもんだから、その「愛」がどの「愛」か、瞬間的に分からない。「え?誰が何を愛してるって話…?(・・;)(キョトン)」…となってしまう。だから、訳してもすとんと落ちないんですよね。

そこで、たとえば「愛」という言葉を省いてしまうのが一案。

「ゴメン、なんて簡単に言っちゃダメ

スマナイ、なんて簡単に言っちゃダメですよ…」

これなら、日本人相手には、もとの演出意図がより伝わりやすくなると思う。演出的には、いい感じ。けれど、ここで「愛」という言葉を外すと、作品のメインテーマがそっくり抜け落ちることになるのは、別の意味で致命的な事実です。

結局、演出を殺すか、テーマを殺すかという二択。そこで、当時の訳者が、テーマを殺すことだけはどうしてもできないので、演出を殺しつつ件の(最後の)台詞過剰な演出を施すという第三の解決策を施したのが、最終形「愛とは…決して後悔しないこと」だったのではないか、と思います。それはそれで、まあ当時の経営判断としては充分正しかったんじゃないかなあ。学校でいう「訳の正しさ」という意味からはかなり遠い話にはなるんだけれども。

以下想像

P「あのシーンのせりふ、超カッケー感じにしろしwwww」

   ↓

訳者「いや、前の台詞との関係気づかせるとか、無理スwww」

   ↓

P「知らんwwwwとにかくカッコつけろwwwしww」

   ↓

訳者おkwwwwコッコォーwwwクシャーシタァ---ライッtライッtwwwww」

   ↓

P「ハヤスwwwwテラ適当www」

   ↓

訳者「ケッシテ…ッカイシナーコトォ! ( ´,_ゝ`)キリッ」

   ↓

P「ゲラゲラゲラwwwwテラカッケーwwwwwwおswwwwwww」

まあ、知らんけど。 

 
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