はてなキーワード: 橋本治とは
お年寄りリベラルのチラ裏みたいなブクマ(朝日新聞、東京新聞、毎日新聞、NHKのジェンダー貧困ニュース、生活保護が、ガザ空爆が、が、HPVワクチンが・・・)と、Togetterの雑まとめ成分とEV逆張り記事ブクマ(EVなんか幻想だ!EVは環境に悪い!ほれみろEV売上減速だ!みたいな垂れ流しブログ)夫婦別姓がなぜできないのかブクマ(いつものカス)が多すぎてなんか世の中的に重要なことがごっそり抜けてる感ある。増田のジャンプ重要漫画とかスピリッツ重要漫画とか、昔評論家(夏目房之介、いしかわじゅん、橋本治とか)が系統だてて論じた内容全部ぶっ飛ばして、俺好み書いてみた、みたいなカスみたいなエントリ。なんかインターネッツの集合知とかとは程遠いんだよな。
実家は拡大方針を取らなかったので、作中の塾の発展とは異なりますが、
月としての教育インフラであった塾業界、そして受験ビジネス産業については
いろいろと父の話を思い出すこともありました。
そして私が学生だった20年以上前と比べて、塾の位置付けがこんなに変わっていること、
塾が悪いなんて言っている人みたことないと書いてあるブクマの意味がよくわかりました。
私自身が自分の経験のために、学生時代から塾のイメージをアップデートできていなかったのかもしれません。
いま、塾はこんなにポジティブに捉えられているのですね。
塾の子供たちのエピソードは昔を思い出しました。自分は蘭に一番似ていたと思います。
教師から目の敵にされていたのもあり、良い成績を取ってやるという気持ちもあり、
父親はそんなことを全然望んでいなかったと思いますが、自分は塾の広告塔だと思って、
良い成績を取って、生徒を集めて、家庭を助けたいとも思っていました。そんな大人びた子供でした。
逆に父は、生徒の進学結果などを公に公開することを反対で、良い中学・高校に進んだ学生は多いのに、
また、習熟度別クラスに反対で、同学年は成績に依らず一つの教室でした。それは父のポリシーだったと思います。
私は成績もよかったこともあり、たしかに学校の定期試験をなめていたこともありました。
歴史なんてただの暗記科目、子供の記憶力チェックをされているだけなので、
別にこれは日本の歴史じゃなくても、マイナーな外国の言葉のボキャブラリでもなんでも取り換え可能だ。
そのときは、明確に叱られました。歴史とは現在と地続きの人間の営みであって、
いまがどのようにつくられてきたのか、そして人間がこれまでどれほどの愚かなことをしてきたのか、
それを学ぶものだと。
私が、「いやいや、この似たような仏像の写真を並べて、名前を当てる問題なんて、ただの暗記&IQテストじゃん」
みたいなことを言った時に、いまはそう思えるかもしれないけど、いつかその違いを楽しめるようになる時が来る。
そういうのが教養なんだと教えてくれました。当時はただの屁理屈だと思いましたが、
今思えば、父の言葉は真実でした。橋本治のひらがな日本美術史は私の好きな本の一つです。
もちろん父を神格化していたわけではなく、はっきり言ってしまえば、
自分は普通の家の子どもに生まれたかったと反抗期には何度も言っていました。
同級生が自分の父親を知っている、同級生が自分の家にお金を払っている。
この居心地の悪さは、自営業の子にしかわからない感情かもしれません。
(塾は関係ないですが)
そういう感情もあり、作品中の一郎が教育業界と距離を置きたくなる気持ちがとてもわかります。
結果として、私は少なくとも現在は教育業界からは遠いところにいて、
(昔の)学校の教師が、塾の存在が、自分たちの仕事が不十分であると感じさせられるので敵視する一方、
作品中で吾郎が「塾の人間というものは、すべての子どもに等しく勉強を教えられていない現実に、
絶えずある種の鬱屈を抱いている、商売であることの限界が、喉に刺さった小骨のようにつきまとう」と語るように
大手を振って、すべての子どもたちに教育を無償で提供できる学校教員を、
ある意味で羨ましく思っていたところもあったのだろうなぁと思いました。
もう70になる父の語った賤業という自虐も、この辺りの感情が根っこにあるのではないかと思わされます。
最後の教育格差の問題へのアプローチも含めて、非常に良い作品でした。
二月の勝者も、作中で何度も匂わされているように、同じ問題意識があると思います。
父は、資源がない日本だからこそ、教育に力を入れるべきだと昔からずっと言っていました。
なんとも古臭い文言ですが、先進国トップの学力を誇った日本が、
いまや公教育がぐちゃぐちゃになり、そして富裕層・貧困層の教育格差が拡大し、
他の先進国から博士がいないとビジネスの場ですら、馬鹿にされている始末です。
教育の底上げもエリート層の教育もどちらもできていない現在の日本の教育ですが、
SSクラス 江藤淳、柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎、谷沢永一、村上泰亮、中村元
Sクラス 小室直樹、浅田彰、福田和也、渡部昇一、呉英智、蓮實重彦、永井陽之助、中村雄二郎、すが秀実、佐伯啓思、高澤秀次、筒井康隆、小谷野敦、菅野覚明、養老孟司 見田宗介、佐藤誠三郎、大森荘蔵、西部邁
Aクラス 丸山眞男、吉本隆明、長谷川三千子、丸山圭三郎、橋本治、村上陽一郎、佐藤優、松岡正剛、伊藤貫、猪木武徳、坂部恵、坂本多加雄、大澤真幸、中川八洋、永井均、野矢茂樹、小浜逸郎、飯田隆、河合隼雄、片岡鉄哉、鎌田東二、梅棹忠夫、竹内洋、山本夏彦、山口昌哉、入江隆則、
Bクラス 猪瀬直樹、坪内祐三、中沢新一、御厨貴、橋爪大三郎、鷲田清一、北岡伸一、池田清彦、中西輝政、立花隆、山本七平、宮台真司、桶谷秀昭、宮崎哲弥、司馬遼太郎、古田博司、市川浩、東谷暁、苅谷剛彦、秋山駿、関岡英之、加藤尚武、浅羽通明、松原隆一郎、東浩紀
Cクラス 中島岳志、鎌田哲哉、兵頭二十八、内田樹、森本敏、村上龍、西尾幹二、仲正昌樹、大江健三郎、齋藤孝、森岡正博、富岡幸一郎、小泉義之、井沢元彦、桝添要一、中西寛、中島義道、鄭大均、山内昌之、村田晃嗣、山形浩生、林道義、松本健一
Dクラス 斎藤環、福岡伸一、副島隆彦、榊原英資、梅原猛、寺島実郎、佐藤健志、大塚英志、五木寛之、笠井潔、潮匡人、高橋源一郎、岸田秀、山田昌弘、竹中平蔵、池田信夫、萱野稔人、大川隆寛、大森望、櫻田淳、上田紀行、手嶋龍一、和田秀樹、藤原正彦、中野剛志
Eクラス 佐々木中、村上春樹、三橋貴明、田原総一郎、木村太郎、池上彰、竹田恒泰、切通理作、島田雅彦、酒井信、夏野剛、苫米地英人、上野千鶴子、姜尚中、鷲田小爾太、竹田青嗣、小阪修平、佐藤亜紀、
Fクラス 糸井重里、加藤典洋、中上健次、勢古浩爾、北田暁大、藤原和博、小熊英二、佐々木俊尚、西條剛央、玄田有史、城繁幸、茂木健一郎、岩田温、千葉雅也、岡田斗司夫
Gクラス 小林よしのり、宇野常寛、勝谷誠彦、荻上チキ、鈴木謙介、勝間和代、伊坂幸太郎、濱野智史、赤木智弘、坂本龍一、いとうせいこう、上杉隆、酒井順子
Hクラス みのもんた、久米宏、古舘伊知郎、ハマコー、太田光、水道橋博士、テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ、森永卓郎、ホリエモン、津田大介、ひろゆき、中村うさぎ、雨宮処凛、桜井誠
ブコメが図らずも橋本治レファレンスの様相となっているが、自分にとって意外なIDが影響を受けている。さすがにファンの裾野も広いのだなと思う一方で、お前は影響を受けてその仕上がりなのかという驚きもある。もちろん大きなお世話ではあるが。
ブコメ界のミソジニーの王子様ことKoshianX、橋本治に影響を受けてアレだとしたら、もし少量でも読んでいなかったら王子様どころか非モテミソジニーの暗黒帝王になっていてもおかしくないだろうと戦慄する。読んでくれてよかった。橋本治も山ほど文章を書いた甲斐があろう。いやしかし、橋本治を読んで影響を受けてアレってある種すごい強固だ。影響を受けたと言いたいだけで影響受けてないんなら別に良いのだが、いや俺は確実に影響を受けたのだというのなら編み物編んで出直してほしいところではある。
あとはtokage3だ、私にとってのtokage3は、過剰な嫌中韓、マイルドな極右、自称現実派その実態は脇が甘いキュートなナイスガイという印象なのだが、橋本治を若い頃に摂取して今の仕上がりというのはなかなか興味深い。どこをどう読んで今の仕上がりになっているのか一度じっくり話がしてみたい気もする。
年寄りの昔語りを抜きにしてどうだったのかを少しでも分かりたいのなら、昔語りと馬鹿にしているヒマがあったら江川紹子の本でも読んでみたらいい。個人的なお勧めは「救世主の野望」これはサリン事件前に出してる本で逆に今読むと面白い。
もう一つごく個人的なお勧めは橋本治の「宗教なんかこわくない」オウムが出てきた社会背景分析みたいなことをやってる下りがあるのでその部分がお勧め。
分かりたいわけじゃなくて、単にイラッとしただけだというなら、増田も、もうすでに「同様に関係ないところに物申したくなっちゃうオッサン」に片足突っ込んでる証拠。実年齢と精神年齢は異なるからなぁこういう癖は。
橋本治が、自分は「男の気持ちにも女の気持ちにもなれる」ことを特技としてやっている、みたいなことを言っていたのを思い出した。
男として生きる息苦しさを感じた時だけ女になっちゃえばいい、両性の視点を保有するのは、作家として生きるためには不可欠な特技でもある、
みたいなことだったような。出典は忘れた。あの人は書いているものが多すぎる。
増田は「女から見た景色」しか見えないのだろうし、その男の娘とやらは増田よりも更に狭く
「自分に見える景色」だけに都合よく酔っていて、それが増田や私や、少なくない人の心をイラッとさせる。
本当は、どの立場から見える景色も、それなりに良いところも悪いところもあるはずで、
女を表現したいというのなら、「女山の展望台」から本当は見えているはずの、その男の娘が無視して視界に入れないようにしている
汚れた川やゴミ山やら廃屋やらの、悪い景色ごと引き受けた上で、「女を表現する」をやるのが筋だと思う。
そんな、イイとこどりしようとしてあんまりうまく行っていない残念な若い子は、野良犬に噛まれたと思って忘れるか、
痛い発言に真顔で一々マジレスして、向こうから嫌われるように仕向けるか、どっちかぐらいしか意趣返しもしようがない。
面倒くさくて辛気臭いが、一々真顔でマジレスすることで、自分以外の性がどういう景色を見てるか、を考える訓練ぐらいにはなるかもしれない。
ただ、実際に女装するのには、毛の処理も女よりは大変だろうし、スマホで自撮りしたカワイイぼくと
実際には実は骨ばって絶対的に丸みや柔らかさ足りなくて、風景に溶け込むには違和感がある女装オレのギャップなどには
すでに内心苦しい思いをしていたりもするかもしれないから、まぁ放っておけばいいよなという気もする。
学生時代、クラスの女子全員から美人の称号を得た、ちっちゃくて顔キレイで超可愛い同級生男子を、クラス女子の英知を使って女装させてみたけど
顔だけならいけるんだけど、やっぱりごつくてなんか違うね…ってなったことあるから、何となく想像がつくとこもあるのだが
「女山」に上ったからには美醜ランキングと嫉妬と努力は避けて通れないし、そうなると、その男の娘は
安田理央さんの「大きな胸はどう呼ばれてきたか」という文章が素晴らしい。是非読んでいただきたい。
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous01
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous02
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous03
安田さんの文章でも前提とされているし、知っている人も多い話だと思うけど、江戸時代の銭湯は混浴だった。昔の人はハダカを恥ずかしく感じなかったのか? 異性のハダカに欲情しなかったのか? という疑問が浮かぶが、どうもそうらしい。昔の銭湯のお湯は熱く、湯冷ましのため男女とも服を着ずにハダカで家に帰ったというから相当なものだ。また夏は道にタライをだして行水の習慣もあった。
明治時代になって、西洋人から男女がハダカで混浴したり、公共の場所にハダカでいることが破廉恥だと非難されたため、政府により街場の銭湯の混浴は禁止される。しかし田舎の温泉宿などは、いきなり浴場をもう一つ増やす財力が無いので、ロビー活動をして混浴という状況を許してもらう。その後世情により徐々に男湯女湯の区別が作られては行く。しかしガチの混浴の習慣はいつまで残っていたのか?
1961(昭和三十六)年、押田氏が栃木県の鬼怒川温泉に投宿したときのことである。同氏は同僚と飲んだ後に二度目 の入浴のため大浴場に向かう。時間も遅かったので先客は誰もいず、一人湯船につかっていると、やがて脱衣場の方から声がする。そして二十代から五十代 の女性七、八名が、浴場に入ってきたというのである。いずれも仕事がはねた 仲居さんたちである。人数的にも圧倒され、湯船から出るに出られなかったと押田氏は当時を述懐する。
1960年代まで田舎では、特に裸は恥ずかしくなかった可能性がある。観光旅館ではなく、地域の共同浴場なども混浴が残っているケースは多く、70年代のドキュメンタリー番組で「若い人は気まずい」という解説とともに紹介されていた記憶が自分にもある。
ハダカはともかく、ムネはいつから恥ずかしいのだろうか? 昔の海女さんや炭鉱で働く女性は、男性のように上半身ハダカだったらしい。これもどうやら1960年代、女性の間にブラジャーが普及するのと平行して、恥ずかしいという意識も広まっていったようだ。
しかし女性が一旦胸部にブラジャーをつけると単に美しく見せるだけではなく、それとは別の副次効果が現れる。先の井上章一氏の言葉を応用すると「ブラジャーをつけだしたその後に、女性は胸部により強い羞恥心をいだくようになった」と言える。こうして、従来は羞恥心の対象外だった女性の胸部が質的に変化する。昭和三十年代には普通に見られた、街頭で母乳をやる女性たちも、授乳室の中に隠れるようになる。
いずれにしても上記のことから、女性のハダカを見て男性が興奮するのは、決して本能などではないことは容易に推理できる。欲情する気持ちは、文化により形作られた、女性が羞恥心を感じている様子に引き出されるもの、あるいは国家権力に規定された禁忌を破ることによる興奮なのだ。そもそも男性が女性に欲情することが自然なのかどうかもわからない。橋本治さんの受け売りだけど、森鴎外の時代、男子大学生は硬派と軟派に分かれていたが、硬派とは下級生男子に欲情するもの、軟派は女性に欲情するもので、鴎外は性暴力の被害を恐れナイフを携帯して通学していたという。