はてなキーワード: 完全自殺マニュアルとは
終わった。
休職して3ヶ月。普通の人なら分かることが何か分からない。小さい頃は「KY(空気読めない), KY」と言われ、いじめられてきた。アドラーがいうところの、共同体感覚がない。
5年くらいまともな社会人のふりができてたのに、異動のタイミングで今まで無理していたのか壊れてしまった。病院に行ったらうつ病との診断。
幸にして休みを頂けたが、何もしたくない。いまま趣味だと思っていたことも楽しくない。行ったことない所に行ってみた。買ったことのないゲームも買ってみた。何も楽しくない。すぐ飽きる。
生ききてても面白くない。何もやりたいことはない。ただ早くこの人生を終わらせたい。シオランの本を読んだ。自分が思っていることと大体同じことが書いてあってつまらない。
死にたい、死にたい。口で言ってるだけだと、「じゃあなんで死なないの?」とニコニコしながら行ってくる人たちがたくさんいるから死ぬ準備だけは進めている。完全自殺マニュアルで一番苦痛のない方法を調べた。死んだら親族が部屋を片付けに来るだろうから見られたくないものは全部捨てた。職場の先輩から借りていた本があったので、誰に返すのかメモを書いた。
あとはどうすればいい?
頑張った人間は報われるべき、環境次第では報われないのもやむなし、そもそも頑張るのに必要な環境がない、みたいな議論が色々あるっぽいけど、頑張るのは前提なんだなって思う。
前提かどうかは知らんけど、頑張らない人間が相応に貧しい思いをするのは当たり前みたいな共通の認識がある気がする。
インターネットで観測する反出生主義みたいなのは割とそこん所が入ってるような気がする。なぜ頼みもせんと生まれてしまって、生存(あるいは人並みの生活)を人質に労働をせなあかんのかっていう。
おれもそう思うけど、まあ悲観する人間もいれば生まれて生きてることを喜ぶ人間もいる訳だし、良いも悪いもなく今の世界はそういうもんなんなんだろうなあという気持ちだけがある。ローマ帝国市民か超大金持ちのボンボンに生まれたかったねえ。
とはいえ割り切って頑張ろうという気持ちにもならない。興味もないことを頭に詰め込んで仕事にありつくのも、好きなものを楽しい範疇を超えて磨くのも、死ぬほど面倒臭いし楽しくない。
じゃあ好きなことだけ満足できるほどやってられるかと言ったら、世の中そんな天国でもない。
楽しくないなら死んでしまった方が良いと思うが、死ぬのにも中々気合いがいる。その気合いが無いのだから死ねないし、色々なことが面倒臭い。あと完全自殺マニュアルはゴミ。なーにが首吊りは快楽や。
好きなことだけやってられる世の中に変えていこうかといったら、自分が生きている間に実現出来るビジョンが見えない。そもそもそうやって行動するのが面倒臭くて生きるのも面倒なんだよって話だし。誰かが変えるのを期待するにも、待ってる間は飯を食わな苦しいし、飯を食うにも金はいる。
死なずとも生活保護というものがあるらしいが、雑にググると情報が錯綜しまくっている。
労働信仰寄りのポジショントークでは、健康体の人間は受けられないと言っている。そもそも働きたくない人だって沢山いるし、オマエだけ楽しようだなんてけしからん。甘えるな。みたいな説教付きで。知らんがな。
労働アレルギー寄りのポジショントークでは出来る、少なくとも出来たという情報もあるらしい。事実なのか、そうだとして再現性があるかどうかは甚だ謎だ。
憎まれもしなければ愛されもせず、辛くもなければ楽しくもない。
「あなたが必要だ」と言われたところで、社会の歯車として、という略された枕詞が見えてしまう。
自分の遺伝子を引き継いだところで、こんな遺伝子欲しくないだろうという悲惨なスペックである。おそらくいじめられるか見向きもされない、そんな子供が生まれる気がする。とか考えるとその子がかわいそうだから子供が欲しいとも、結婚したいとも思わない。
一見集団の輪の中にいても、「ああ、自分はここにいないな」というのが皆の視線や口元から伝わる。興味の矢印が自分に向くことはない。居ても居なくても変わらない。それならいる必要もないよな。
そんなときに帰ろうとすると「え、帰っちゃうんですか?」と思ってもいないだろう言葉を聞く。余計に足早になる。
なんのために生きているのか。自分に問いかけても時を経るごとに靄がかかる。もっとも10代や20代そこそこの頃は根拠のない全能感に包まれ、無邪気に生きていた。夢現で過ごすうちに、まわりの人間は一人、また一人と何者かになっていた。ヒーローやらヒロインやら。自分は気づけばエキストラ。役名なんかありゃしない。
あるいはせいぜい味変用の調味料。そこにあったら誰かが喜んでくれるかもしれないが、無くて困ることはないんだよな。
母さんごめんよ。
完全自殺マニュアルを買ったものの私には死ぬ勇気なんてなくて、でも生きつづけたいとも思ってない。臓器提供の意思表示だってしてない、中途半端なクソダサ人間。
頭のめでたい系の精神疾患にでもなって、フワフワ生きれたらいいが、どうやらそんな気配もない。無駄なとこだけタフでさあ。親の精神病は遺伝しなかったくせに、クソみたいなヴィジュアルだけ遺伝しやがった。俺が何したっていうんだよ。バカが。
いつどこでどうやって自殺したのか知りたくなるが、ブラウザの検索履歴に残るのも、かといってシークレットモードを使うのもなんだか癪に障る。
だからいつも「いいなあ、自分も早く死にたいなあ」って思うだけだ。
とはいえ、自分は「死ぬしか後がない」というほど追い込まれているわけではない。
自分は20代前半で、シス男性(身体的性・性自認がともに男性)で、異性愛者で、大学を卒業しており、家族との関係も円満で、住む場所もあり、友人もいる。
社会的に見れば、よほど恵まれている方であるという自覚はある。
新卒で入社した企業と相性が合わず、ここ2週間ほど仕事を休んでいること。
微熱などの体調不良が続き、心身共に疲弊した状態が続いていること。コロナでもインフルでもなかった。
クリエイティブな趣味に没頭しようとするも、集中できずスランプが続いていること。
そのような状況を改善しようともせず、「できない自分」に酔って自己憐憫に浸っていること。
そんな中でも一番の理由が、「生きることに希望がないから」だ。
二十数年生きてきて、今まで上手くいったためしの方が少ない。
もちろん完全なゼロではないが、それでも他の人より劣っていたり、社会に上手く溶け込めなかったことの方が多い。
今までそうだったのだから、これからもそれが続いていくのではないか。そんな不安に苛まれている。
前置きが長くなったが、本題に入ろう。先日、自分は自殺未遂をした。
もともと希死念慮はあったが、ここまで強く、そして具体的に「どう死ぬか」まで考えたことはなかった。
その日は突然だった。
いつものように仕事を休み、Twitterで「死にたい」だの「いかに自分が無価値な人間か」を呟いているうちに、「本当に死ぬか」という気持ちが膨れ上がってきた。
失禁があると聞いていたので、足元にタオルや珪藻土マットなどを敷いた。
死ぬとしたら遺書や遺言を残すつもりだったけど、そんな気力はなかった。
その日はもう遅かったし、一人暮らしだったから邪魔は入らないと思った。
何もできなかった日だったので、自殺の準備をしている時間は生き生きとしていた気がする。
ネクタイの片端をドアノブに結んだ自分は、仰向けで横になり、首を吊った。
息苦しかったが、それだけだった。
意識が朦朧とするわけでも、視界がぼやけるわけでも、音楽が歪んで聞こえるわけでもなかった。
結果は同じだった。
大学時代に読んだ『完全自殺マニュアル』によれば、首吊りは最も楽で確実な自殺方法だという。
曰く、一瞬にして意識が飛び、苦しみを感じることもなく死ねるとかなんとか。
自分が首を絞める箇所が悪かったのだろうか。それとも、この本に書いてあることが間違っていたのだろうか。
今となっては分からないが、その時の自分は、死ぬことすらできないという絶望を抱きながらスーツを脱ぎ捨てた。
あれから数日経つが、今のところ自殺をしようとは思っていない。
満足したからなのか、死ねないことが分かったからなのかは分からない。
もっと良い首の吊り方を探すかもしれないし、別の死に方を見つけるかもしれない。
でも、それまでは頑張って生き延びてやろうとは思う。
より良い自殺のために。
twitter: Geemoku: 誤解とデマと工作と広告とアフィと検閲にまみれて、言葉も文書もつながりを失った。こんな世界に誰がした。
twitter: Geemoku: 2007年も終わりに近付いてきた今になってWWWに欠けているのはハイパーテキストであると思い始めている。
twitter: Geemoku: 「子どもに見せたい○○(漫画とか映画とか)」を語るオタって馬鹿すぎて救えない。どうして人は大人になると、子どもの頃の“ピュアとはかけ離れたドス黒い感情”を忘れてしまうの? 大人が勧めてくるものなんて古臭くて説教臭くてクソつまんないもので、さっさと古本屋に売って金に換えてただろ?
twitter: Geemoku: 僕たちはもう少しハレーズコメットやスクランブルフォーメーションをタイトーシューティングとして丁重に扱うべきだと思うんだ。だけどATOKの野郎が「低調に」と変換しやがるんだ。
twitter: Geemoku: 「ソースは?」「[要出典]」なんてくそくらえ。もっとお前の妄想を見せろ。独自研究を出せ。
twitter: Geemoku: ほとんどゲームだけにオタ人生を費やして来たので、70〜80年代の漫画や映画を見ても懐かしさはなく、純粋に面白く見れてしまう俺は幸せものなのかもしれない。ブックオフの100円コーナーもTSUTAYAの旧作の棚も俺にはすべて新作なのだから。
twitter: Geemoku: 飯野賢治は一時期ゲーム雑誌でやたら連載を持っていた。しかし当初は本人が書いていたコラムも、そのうちワープの広報や嫁が代筆するようになっていた。これが死ぬほどつまんねんだ。ゲームなんか作ってないでゲーム話をしてくれと強く思ったものだった。
twitter: Geemoku: 飯野賢治がどれだけ持ち上げられても(D食~E0)、どれだけ貶されても(リアルサウンド~D食2)、業界からその存在を消していても(ここ数年)、変わらない事実がある。それは、彼のゲーム語りは非常に面白いということ。
twitter: Geemoku: 実名を出して仕事をしている人(作家とか)が、その仕事を叩かれる。ムカついたり凹んだりするだろうけど、でもこれはごく普通にあること。それらの中に、近親者しか知りえない表に出さない情報が混ざっていると、途端に不気味さが増す。
twitter: Geemoku: 実際のところ、掲示板に書かれた情報の信憑性などなきに等しく、読む方もそれなりに「どーせ嘘だろ」と思いながら読んでいるので影響はないが、しかし、本人はどの書き込みが事実か知っているから、事実が書き込まれるほど恐怖は増す。
twitter: Geemoku: 知らないうちに自分の実名が強力なネガティブイメージと共にWebにばらまかれる、しかもそれを実行したのは自分のクラスメイト……なんて状況はほとんどホラーの領域だと思う。悪意が文字になることで形を持ち、形を持った悪意がWebを通じて流通することに比べたら、教室で悪口言われた方がマシ。
twitter: Geemoku: ネットワークビジネスだの情報商材だのに関わる人々は、みんなウンザリするようなことを言う。だけど、一部はそれで本当に儲けている。儲けている人間はその行動・言動・信念・人格……が肯定される。一方、自分に肯定されるようなものは何一つない。
twitter: Geemoku: 彼らはカモを釣るためにどれだけの努力と創意工夫をしているかを、専門用語を駆使しつつも抽象的に語る。それから、何なら君も仲間に加えてやらないこともないが、君にその資質があるかと値踏みしてくる。とてもウンザリする。
twitter: Geemoku: 俺は彼らを論破しようとは決して思わない。彼らは何だかんだでたくさんの知恵をつけている。こちらは専門用語のひとつも知らない。賢くもない頭を使うのも疲れる。とにかく阿呆のように振る舞い話が終わるのを待つしかない。
twitter: Geemoku: 360の実績システムによって、ゲーム購入者の中でクリアまで到達するのはほんのわずかということが明らかになったように、たぶんゲーム雑誌も購入者の数%しか中身を読んでないんじゃないかという気が。特にゲーム批評とか初期の全否定キャッチコピーしか記憶に残ってないんじゃないか。
twitter: Geemoku: ゲーム批評批評が今ひとつ的外れになりがちなのは、初期の全否定キャッチ(「ファンタジーは死んだのか」とか)と、その人の大好きなゲームをけなしたソフト批評文だけが強く印象に残っていて、それを元に雑誌批判を展開するからではないかと思う。かといって全部読んで俯瞰する奴もおるまいよ。
twitter: Geemoku360: 経験を絶対視するなら、死や死後については誰も何も語れないな。経験者はもう喋れないわけだし。
twitter: Geemoku360: つまり完全自殺マニュアルは、ゲームをクリアしてないライターが書いたゲーム攻略本だと。
twitter: Geemoku360: 世界三大RPG:頭脳戦艦ガル、キングスナイト、キャプテンED、アシュギーネ虚空の牙城……あっ、四大シューティングRPGになってしまった。
https://twitter.com/_keroko/status/1533997330634280965
Mizuho.H
@_keroko
「母親になって後悔してる」という本、題名見て子どもがショック受けるって感想、普段本当に本を読まない人の感覚だなあ。互いにとって、心臓に悪い題名とか内容の本が家にゴロゴロ転がってる体験ってあるあるだと思うんだけど。
貧困化が進んで本も自由に買えない人が増えているという話題がTwitterで盛り上がるこのご時世に
「互いにとって、心臓に悪い題名とか内容の本が家にゴロゴロ転がってる体験ってあるある」とか、当たり前のように言えちゃう神経……
この人自身は独身子無しっぽいのに、どうしてこんなにナチュラルに母親目線で考えられるんだろうか?そういう思考自体奴隷根性を内面化させられた「気遣いの出来る娘」っぽくて気の毒ではある。
メンズ地下アイドルみたいな、ホストみたいな、そういうのにハマってたのが原因だと思う。絶対にそう。推しが被ってる他のオタクの動向が気になって、推しのちょっとした言葉が気になって、対応に病んで、でもやめられなくて、現場に行くことが義務みたいになって、泣きながら飛行機の予約を取っていた。
あれは麻薬みたいなもんで、たまにあるちょっとの幸福感をもう一度味わいたくて、味わえると信じてやめられなくなるんだよね。
今お金を使わなきゃもう二度とあのときみたいな対応はしてくれないかもしれない。
そんな気持ちでお金も時間も全部使って自分の全部を犠牲にしてた。
じわじわメンタルがやられて、ちょうどそのとき仕事でトラブルも重なって、一番ひどいときは毎晩ベッドの中で完全自殺マニュアル的なサイトを見たり、家の近くの高いビルを検索したりしてた。
車を運転しながら、今対向車がはみ出して来たら死ねるかなとか考えていた時期に、家族と車種の話になったことがある。
「軽自動車は事故の時危ないから嫌だ」という家族の言葉を聞いて、軽自動車の方がさくっと死ねそうでいいじゃん、と思った。
普通の人はあんまり、さくっと死にたいとか思わないのか…とそこで気づいた。
さて、世界がコロナで一色になって、あんなにメンタルを削りながら通っていた依存先はあっさり活動を休止した。
もちろん他の依存先を探すことも時勢的にままならず、寂しさを埋めるために、わたしはリアルで彼氏を作った。
とはいえ元が依存体質だから、ダメ男に引っかかり、捨てられ、ダメ男に引っかかり、捨てられ、を繰り返した果てにやっとだ。
彼氏は、今までの依存先とはまったく違う、普通で、優しくて、真面目な人だった。
わたしは気に入られたかった。次こそ逃がしたくなかった。全力で猫を被って、けれど被った猫は出会って3回目のデートの時にはすでにどこかに逃げ出していた。
がさつで、口が悪くて、すっぴんがとんでもなくブスなわたしでも、彼氏は好きだと言ってくれた。
わたしは何も気負うこともなく、自然体で彼氏の隣にいることができた。
この前、ホルモンバランスの関係で久々にメンタルが落ちて、死にたいな〜と思った。
いつもみたいにベットに入って、このまま目が覚めないまま死ねればいいのになぁ、と、無になることを想像しようとして……怖くて目を開けた。
死ぬのが怖かった。
もう二度と目覚めないなんて、そんなこと恐ろしすぎる。
明日も朝起きてLINEしたいし、来週は彼氏の実家に挨拶に行くし、再来週はわたしの実家で一緒にご飯を食べるんだし。
死にたくない。そう思った。
あんなに死にたかったのに、今では軽自動車より乗用車の方が安全でいいかもなぁ…と思ったりする。
助けてくれてありがとう。
どこにも書けないから、ここに書くね。
同人誌の海賊版を放流するネットワークにベルダンディという御仁がいる。
そいつは修正されている同人誌をどういう技術か知らないが無修正化してアップしている。
著作権法と刑法175条と二重に法律を犯している不届き者といえる。
だけど俺は発想の転換をしたい。
その無修正化する技術が皆に知識として共有されたらいいんじゃないかと。
今表現の自由戦士が騒いでるのって非実在なんちゃらに関することよりも、版権モノのエロ漫画は版権モノって時点で商業では出せないから、半透明の海苔
みたいな甘い修正で見れることが同人なので出来ないって状況に対する不満に起因する部分が大きいんじゃないか。
それなら簡単で、各々がベルダンディみたいに無修正化する技術を身に着ければいい。
美術大学に修復学科みたいなのがあるように、一度修正された漫画の無修正化するということは、面白い漫画を描くような特別な才能ではなく、教科書を読んで理解するような客観的な知識や技術の有無の問題なんじゃないか。
客観的な手続きを踏まえることにより誰でも同様の結果になる修復(無修正化)が行える類の「技術」であるということだ。感性の問題じゃないのだ。
そういう知識が広く共有されるように誰かが本でも出せばいいと思う。
そういうことをすればFLマスクだっけ?を出した人みたいに捕まる可能性があるんじゃないかと思う人もいるかもしれない。
むしろFLマスクと違って特定のツールに依存せずに無修正の同人誌が見られるようになるという点ではより深刻に映るかもしれない。
でもFLマスクは明確に「ツール」だったけど、これは単なる知識だ。
これの出版を脅かすようなことこそ本当に言論の自由に抵触することだと思う。
そもそも規制するなら完全自殺マニュアルを有害図書ではなく発禁にするのが先だろう。
完全自殺マニュアルが自殺幇助に触れるグレー具合と無修正化の技術の本が刑法175条に触れるグレー具合は同じぐらいだと思う。
再度まとめるとそういう知識を伝える本が出れば表現の自由にこだわる意義が半減して表現の自由戦士の活動も沈静化するんじゃないかってことだ。
中学2年生のとき、優しかったのにだんだん豹変していった父は破産して消えた。
小学校卒業くらいまでは、工場で働く薄給の父と夢を追う専業主婦だった母のもとで豊かではなかったが兄弟と一緒に愛されて育った。小学校高学年になって三兄弟になり、小さい公営アパートが手狭になったので家族で新築に越した。田んぼ広がるド田舎の、小さい町の中での引越しだった。そこから全部が変わっていったと思う。
幼稚園の頃に高い遊具から下りるのを怖がる私に、「俺が死んでも受け止めるから安心して降りてきな」と私を受け止めてくれた優しい父はいつしかたまに容赦ない暴力を振るうようになり、夜は帰ってこなくなり、身なりはどんどん派手になっていった。そんな父を見て、子供の前でもなりふり構わず自殺未遂を繰り返す母の姿を幼い弟に見せないように頑張って守った(つもりだったが、最近弟に聞いてみたらバッチリ覚えていた)。
ある日父は全く帰ってこなくなり、突然住んでいた家を追い出されることになった。父が破産したと聞かされた。当時高校1年生、破産の意味はよく分からなかったがとりあえず母の知り合いが倉庫に使っているという今にも壊れそうな「かろうじて」一軒家に越した。踏切の近くでいつもうるさかった。
「鬱は甘え」と思い込んでいる、ド直球に鬱病を患った母はベッドから動けなくなった。ベッド脇にはいつも首吊りの縄が吊られていて、踏切に飛び込もうとする母を兄弟全員で羽交い締めにして家に引きずり込むことすらあった。
学校はパワハラが横行する自称進学校で、勉強しないできない者に人権がないレベルの病んだ所だった。未だに高校の時の同級生と再会するとあの場所の凄まじさが1番の話題になる。
そんな毎日を過ごして、私も鬱病を患った。母と同じようにベッドから動けなくなり、死ぬことばかり考えるようになった。その時の記憶が曖昧になってしまっているが、弟もそういう様子だったと思う。家族全員がそうなってしまって、もちろん家にはお金がなかった。最近母に聞いてみると、祖母にお金を借りて何とか生活していたらしい。
ある日、母が「明日の米がない」と泣いた。母はご飯だけはなんとか作ってくれていた。もうそれを見て情けなくて情けなくて、私は出会い系アプリを使って援交しせめて自分の食費は自分で持つことを考えた。処女だったので、小学校の時に使っていた縄跳びの持ち手を使って体を使えるようにして、早速中年の男性と会った。それを繰り返して自分は外で食事を済ませ、パンなどのすぐ食べられる食料を買っておいてそっとリビングの卓に置いておいたりした。
ある日しばらくぶりに顔を合わせた母を見て、なんとなく綺麗になった気がした。言いづらそうに、全身の医療脱毛を始めたと言われた。
全身の医療脱毛は40万もするという。そのお金で私や兄弟が食べられたんじゃないの?一体お金の出処はどこなの?地獄に突き落とされたような気分だった。同時に、顔立ちがよく女として魅力的な母は、私たち子供がいなければ気兼ねなく美容にお金を使って人生を楽しめたんじゃないかと思うともうどこにも自尊心はなくなった。その次の日私は中型犬用のリードを使って(確か完全自殺マニュアルかWEBか何かに効率の良い自殺はそうだと書いてあったから)、首を吊った。死ねなかった。それから嫌なことがあると首を吊る習慣がついた。ドアノブ吊りではなかなか死ねない。死にたいのに死ねない自分がダサくて余計に情けない。死にたいのに異様に腹が減って、援交して得たお金で過食を繰り返した。死にたいのに食うのか(笑)と自嘲してまた首を吊った。体重は身長下2桁+20Kgを超えたのに、そんな醜い体を買いたがる中年男性も、そうして体を売る自分自身も気持ち悪くて仕方がなかった。
もはや記憶が無いに等しいがなにかのきっかけで私は何とかしなくてはならないと急に思い立ち、ダイエットのために絶食し(極端だ)、朝起きて夜眠ることを心がけた。色々あって今は関東の大学を卒業し、学費と生活費を兼ねて借りた700万円の奨学金を返すべく働いている。今は元気でそこそこ幸せに1人で暮らしている。
当時の自分を抱きしめて、コンビニのご飯じゃなくてちゃんとしたご飯を適量食べさせて話を聞いてやりたい。居場所はどこにもなくても生きていていいんだよと教えてあげたい。