はてなキーワード: マイノリティとは
幼児期の子供は、世界についてあまりに知らず、力の及ぶところがなく、大人によって支配されているので
「この世界は完璧に明文化されたルールによって運営されている」
と考える
しかし大人になると実は明文化されたルールはごく一部で、その都度人々の裁量で決まっているという事に気付く。
コレが大人になることの一つだと思う
しかし一部の未成熟な人々には未だに世界は「完璧な場所」であり
明文化されてないものなど一切なく、あらゆる特異なシーンでも従うべき法がある
と考えている
だから身体障害者やマイノリティーあるいは一般人が何かを訴えると彼らには
として映るのだ
全く同意できないなぁ。
保守的で思考停止している層がマジョリティとして選挙に対して強い影響を及ぼしてしまうような国では、
激しい糾弾と扇動によって民衆の怒りを焚きつけマジョリティを分断し、マイノリティ側に引き込むのは真っ当な戦略。
「結婚を避け、子供をもたない」ほうが人生のコスパが良い…現代の日本人に起きている"憂慮すべき変化" 「自己家畜化」が進み、資本主義の下僕になっている
相変わらずさあ~、
どうして識者の間ではこの手の「独身者は自らの意思で自発的に非婚を選んでいる」という藁人形論法が後を絶たない訳?
まぁ、その方が大多数である勝ち組既婚者の説教欲に応えられるからウケがいいんだろうけどさ。でもその間違った想定に基づく政策では何も変えられないでしょ
世の独身者の殆どは、「結婚『しない』」人ではなくて「結婚『できない』」人なんだよ。
世の中、コスパが理由で結婚しないなんて人はいないよ、いてもディカプリオみたいに殆ど無視していいレベルのマイノリティだよ
適齢期を過ぎて独身の理由なんて大体次のうちのどれかか複合的なものだろうに。
・容姿が悪い
・金がない
・それゆえに異性から選ばれない
独身者、少なくとも女の場合、一見自発的に非婚を選んでいるかのように見えても、厳しすぎるルッキズムとエイジズムで自尊心をズタズタにされて
子供に不幸を受け継がせないために敢えて「選ばされている」のが殆どだ
よく言われる、「今は女一人でも十分生きていけるから」は明らかに間違い。
一人でも生きていけるような優れた女性ほどさっさと結婚するし(大谷選手と結婚した田中真美子さんのように)、そうでない女性は生涯結婚『できない』
文化の盗用ならぬ、活動家による手柄の横取りを礼賛する内容になっている。
「わきまえない人たちが敢えてコンフリクトを起こすことでマジョリティは不承不承マイノリティの要求に対応してきた。今日では皆がその積み重ねの恩恵に与っている」
それは本当か?
例えば男女同権を推し進めてきたのは何ものの力か。戦争や産業に従事する上での、腕力の重要度の低下。家事専従者が必須でなくなったこと。そして法改正。ハードウェアの進歩と制度的な裏書きが社会を動かしてきたのだ。
フェミニストによる道義的非難に耐えかねて、あるいはその啓蒙に感激して動くほどに社会はヤワでも腰軽くもない。イズムにイズムをぶつけても1ミリも動きはしないのである。
バリアフリーのためのインフラ整備だって同じだ。増田は利用者の視点のみから「先人の闘争のおかげ」としているがただの想像でしかない。商業上の要請や建築法規に基づき、あるいは単に業務の一環として、少しずつ尽力してきた無名の貢献者はいなかったものとされている。
繰り返すがマジョリティは非難に耐えかねたり説教に感激して動くほどナイーブではない(へりくだって情を乞えではなく、マジョリティの冷たさ薄情さをナメるなと言っている)。活動家のおかげ説はそのフィクションに立脚している。その結果として何が起きるか。
小さなコンフリクトを平熱で改善につなげるべきところ、常にこうして感情的な分断ネタとして消費される「型」が出来上がってしまうのだ。施設側が100%悪い!いや車椅子の側が100%悪い!と。
「日本社会はいまだこんなに遅れているから、こういう機会を捉えて燃やさないと変わらない」というのは因果が逆で、無駄に燃やしてばかりだから協働の文化の成熟がスポイルされているのだ。
誰かが白眼視を恐れずいきなりギャーって騒いでくれたら「正直助かるわけよ〜」って言ってるが普通に恥ずかしい発想だと思わないか?
そうやって物理的/道徳的に担当者を責めたてるという要望の仕方が本当に合理的だと思うか?社会は基本的に事なかれ主義で、ノイジークレーマーには「特別あつかい」でお茶を濁すのだ。
「クレーマーがほどほどに騒いでくれると有り難い」ってバカみたいな結論だぞ。
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共産党赤旗、コンビニで見かけた成人誌の密告フォームを作成「国連に持ち込んで問題にする」ヤングジャンプ、ヤングキング、ヤングアニマルなどが対象
こういうのも同工。
とっくにエロ本が完全撤退したあとでヤンジャンとか燃やそうとしてんの。
「ワシが育てたムーブ」にコロっと引っかかってんじゃねえよ
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法律の制定が権利主張なしに良心に満ちた人々によって行われるとでも信じているのだろうか。大したお花畑。激しくない権利主張は現実として黙殺されるだけ。差別者が被差別者の大人しい主張に傾聴すると思うかい?
法整備はエンジニアリングを後追いするという本質論を主張する上で全然重要でないから詳論してない所に、隙があると思いこんでこうしてバカが頭をねじ込んでくる。
まあいったん対立のパターンができてしまうことの弊害はこういうことなんだ。それぞれの陣営の正義の能無しが問題の周りを固めてしまい、手つかずにさせてしまう。
実際にコツコツ手を動かす人を遠ざけ、吊し上げが好きな奴ばかりが集まってくる。
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「穏当に地道に“活動”してる人もいる」
そらそうよ。みなまで言わなかったけど。
自由な市民としての矜持を持ち、選挙にいく以外でもあらゆるチャンネルを探って社会の運営/改善に参画しようとする、リベラルであるとはそういうことだ。そこには当然にして摩擦が生じることもある。
くだんの車椅子インフルエンサーのことも別に迷惑100%とは評価していない。施設側のモノの言いようにカチンと来たのも想像はできる。
そんなに難しいこと言ってないが、まあはてな界隈にもうなんも期待してないのはある
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毎たび最後に同じようなこと言ってるが、一言マウンティングじゃなくてトラバで字数気にせず堂々反論すれば?でもお前らは絶対に自分の発言に責任持たないんだよな。ピンポンダッシュに最適化したカス連中
フランス革命のように、弱者が強者に物申して実力行使して社会を変えたことがない。
明治維新も大政奉還の形をとり、敗戦もGHQによる外部の力による改革だった。
今のヨーロッパで行われている大規模な農家のデモにしても、フランス革命やドイツ革命の成功例を持っているから実践できるのだろう。
現地の人達は、ベルリンの幹線道路がトラクターで占拠されて日常生活に支障が出てきても、「これは彼らの権利だから」と温かい目で見ているらしい。
日本で同じことをやったら、「自分たちを注目させるためにパフォーマンスしている面倒くさい人達」扱いされて終わりだよ。
要するに、日本では社会的弱者が強者・マジョリティに対して抗議するという文化自体がない。
社会に対して不満を持ったとしても、「世間の目」を気にして声を上げるハードルがものすごく高い。
日本の社会が欧米と比べて、非常に規律正しく、安定していて、治安も良くて、(人種的にも)同質性が強いことも原因だろうか。
マイノリティはマイノリティであるがゆえに経営を支えるような母数がない
当然サービスが落ちた業者をマジョリティが使うわけがないのでマイノリティを優遇する業者は消えてなくなるというのが自然の摂理だ
マイノリティーってなんですか
限られたリソースの中でやりくりしないといけないのも確かにそうなんだけど
それって
って話しかしてないよね
「マジョリティへのサービスを現状維持すると残りのリソースは少ないからマイノリティに使うリソースがない」が正確な表現で
注目ブコメをひろってみた
社会の正常性バイアスみたいな「わざわざマイノリティのために変わりたくない力」に対して、「正しいやり方」があるかというと微妙だよな、ってのは思う。真綿で他人の首を絞めている自覚を持つのは難しい
これ少し違うんだよなぁ
障害者割引もある
4DXシートから車椅子利用者が【排除】されるのは許容されるだろ
ここに「車椅子の利用者でも安全に使える4DXを提供しろ」って声が上がったら、さすがにそれはちょっと・・・ってなるだろ
実際に行った人がいるが、大人数で行動して周りが引いて押しての移動で物議を醸したね
介護リフト付きの宿は当然にあるが、入浴介助まで頼むなら専門のヘルパーさんを要予約だ
すべての宿は入浴リフトまたは車椅子入浴を可能とし専属ヘルパーを用意することってさせるかい?
この程度って思える話だからだよ
そういう諸々について、当然に施設側に責任が発生して、何かあれば間違いなく賠償問題になるのに
「この程度」って思ってるから言えるんよ
3000円は座席とかに発生している料金でバリアフリー料金じゃないからね
多分、初回あたりは従業員も全開の善意でお互いにっこりの話だったと思うんだよね
私は腐女子で、「左右固定」というやつだ。とはいえそんなにこだわりが強い方ではない。雑食の友人がたくさんいるし、キャラ解釈が合えば逆カプの人とも友達になってきた。逆リバも、進んで見に行くことはないが、たまにちょっと口に入る程度では死なないし、カプ色の薄いものなら好きな作品に出合うこともある。信頼のおける友人から勧められたものなら大抵いけてしまう。ゆる固定、とろ火固定を自称している。
そんな私が最近とある作品にハマった。それほど新しくもない、小さなジャンルだ。私がハマったABは、ジャンル内ではメジャーな二人だった。ジャンル内の大多数がABかBAで活動しているようなところで、どちらかが圧倒的に王道ということもない。というより「ABもBAも好き」という、いわゆる雑食の方が多数派だった。
そんなジャンルの空気を知らないまま沼に飛び込んだ私が浴びたのは、想像を超えて逆リバにまみれた世界だった。支部に上がっている作品の多くはABとBAが一緒に格納されていた。小さなジャンルだけにみんな仲がよく、ABの人をフォローしたつもりでも、当たり前のようにBAがRPされてきた。元々多少なら食えると思っていた逆リバも、あっというまに辟易してしまい、思った以上にBAがダメになってしまった。私はぐったりしながらフォロイーのRPを切って回り、BAをミュートワードに設定した。
私は友人に愚痴った。
「いくら雑食が多いからって、このジャンルは腐女子の常識がなさすぎる。死ぬわけじゃないといっても逆を見る前に心の準備はしたいし、さすがにキツい。住み分けぐらいちゃんとして欲しい」
雑食の友人は言った。
「それはお気の毒。でも、気にする人がほとんどいないなら、いいと思ったものは気ままにRPしたいし、わざわざ区分して別々に作品を上げるより全部まとめてアップする方が楽なのもわかる。それでもそのジャンルの人には読んでもらえるわけだし」
そしてこう続けた。
そう、これは固定への配慮の問題だ。ちゃんとカプ分けしなかったからといって、何かのルールに反しているわけではない。それでこのジャンルの人たちが楽しくやっているなら、私にとっては息苦しいが、誰も悪くはない。
「固定」とは、「そういう障害」なのではないか、と。症状の出方や強さに個人差があるところも共通している。
雑食の人は「健常者」なのだ。バリアフリーじゃなくても、何も気にならない。カプ分けされてなかろうが、生きづらいということもない。
たいていのジャンルは固定者の圧が強いので、当然の常識として「ABとBAは住み分けるべき」とされている。それは「腐女子界隈にはこの障害を持つ人が多いので、配慮が行き届いた状態にしないと逆に叩かれる」からではないだろうか。
固定者は障害者なので、配慮がないと生きづらくて仕方がない。けれど、健常者が多数を占める場所では配慮しなくても困る人が少ないから、細やかな配慮はされなくなってしまう。だって、その方が健常者にとっては楽だから。気にすることが少なくて済むから。
最近話題になった「逆を目にしただけで寝込んでしまう」だとか(それが本当なら確かに日常生活に支障をきたしているのだからまごうことなき障害だ)、車椅子騒ぎだとかを合わせて思い出して、私は猛烈に自分が恥ずかしくなってしまった。
五体満足で目も耳も使えて、発達も定型。そういう人ばかりが集まっているところに障害者が入ってくると、それまで必要のなかった「合理的配慮」を求められるようになることがある。できればお互い気持ちよく生きられるといいね、とは思うけれど、正直なところ「めんどくさい」と感じてしまう人はいると思う。自分だってそう思ってしまうことがあるだろう。
さらに言えば、そもそも障害に気付かれないこともある。目に見えない障害ならなおさらだ。そういうとき、マイノリティである障害者の存在はまるで「ないもの」のように扱われてしまう。それらが我が身に跳ね返ってきた瞬間だった。「このジャンル、みんなどっちも好きだからいいよね~」という雰囲気が、誰も悪くないのに自分にとってこんなにしんどいものだとは思ってもみなかった。
「自分は面倒くさい存在なのだ。他人に配慮を要求して、それを当然と思い込んでいたのだ」
自分を健常者だと思い込んで生きてきた人生で、それは頭を殴られたようなショックだった。あまりの衝撃に、今この文章を書くことで心を落ち着けようと試みている。
私がこれを書き、それを誰かが読むかもしれないことで、なんの問題が解決するわけでもないけれど、もしかしたら何か見え方が変わるものや、新しく見えてくるものがあるかもしれない。できたら、少しなにかがよくなるようなことだといいな、と願っている。
海外みたいにイーロンが気に入らないアカウントをバンするようなことが無かったこともあって、
海外ほどユーザーが離れず、特に専門家が離れないので他のSNSへの移住者が少なく
結局Xとインスタという状況。青バッジはインプレゾンビだけじゃなくて、まともな専門家もインプレッション多い
人はつけるようになってしまった。イーロン以前からそうだったけど、扇動、デマ、マイノリティへの攻撃が目に見えて増えた。