これはそうだが
でもって「面白い」かどうかは「売れてる」かどうかで測ってるということでいいんだよね?
こっちは違う。
業界的に言えば「継続率」、つまりハマって続けてくれる人がどれくらいいるかで計っている。
で、昔はゲームを面白くする、っていう一番基本的なこと以外の小手先のテクニックで継続率を上げる方法がもてはやされていたんだけど、今やそんなものは通じない、ただゲームを面白くするしかない、というのが共通認識。
ちなみに売り上げはあんまり気にしていない。なぜなら面白くてみんなが続けてくれるゲームなら、売り上げは勝手に付いてくることがわかったから。
まぁそれはそれとして。
つまり「面白いと感じる要素」が「ゲームの本質」だということでいいのかな。
でもって「面白い」かどうかは「売れてる」かどうかで測ってるということでいいんだよね?
http://anond.hatelabo.jp/20110912234013
もっと生産性の高いことをして世の中をよくしてくれればいいんだよ
無理だと思うけど
最近Facebookをあまりご利用いただいていないようです。Facebookを利用している知り合いをご紹介します。友達や家族、同級生、同僚と友達になって、近況を知らせあったり、写真をシェアしたりしましょう。
とか言う人がよくいたけど、野田内閣のほうが菅政権の時の経産大臣より脱原発に積極的なのに評価されなさすぎな気がする
菅を持ち上げたいばかりにdisられまくった野田総理がかわいそう
鉢呂が辞めさせられたのは原発推進派の陰謀とかいう人もいたけど、後任も原発ゼロでも行けるようにするといったわけで、もしそういう陰謀があったとしたら、菅降ろし同様後任の当てもない行き当たりばったりのずさんな陰謀だったんだなあと思う
ある者は放射線によって命の危険にさらされ、ある者は住まいを奪われ、ある者は風評被害により信用を失っている。
この現状がある中で、原発に賛成・反対の議論が多くなされてきたが、その議論に意味があるとは思えない。
仮に原発を無くした場合、当然電力不足に陥る。そして原発関連の雇用も無くなる。だがそれが何だ。
これらは今起きている危険性に比べられるほど重くはない。
原発に賛成している者に問いたい。
自分や家族の住まいの近くに原発が建てられたらどう感じるのか。
嫌な顔せず受け入れられるのか。
原発がこのまま存在し続ける限り、危険は常に我々に付きまとう。
人は不便になってもそれを解決すべく、努力によって便利な世を作ってきた。
原発で賄ってきた恩恵を絶ち切り、必要に駆られれば、我々はきっと新たなエネルギーを生み出し、今より良い世界を築けるはずだ。
原発に議論の余地は無い。
今の会社には満足している。
これ以上、上を望むというのは、身の程知らずというもの。
が、出身大学に不満がある。
この不満を埋めるためには何をしたらいいだろうか?
何をすればこの不満は解消されるだろうか?
世間的に見て、これはすごい!と思われる資格を取るなり、業績を上げるなりしたい。
だが、それってなんだ?
そして、そんなことにかける時間はあるのか?
GREEが、って書いてないでしょ?
中の人なのでわかるのだが、GREEも多分理解していない。(というかGREEは数値化できるパラメータしか評価しないある意味正しい会社なので、面白さって評価軸はうまく扱えない)外部SAPは理解し始めている。
多分触りたくもないだろうし理解したくもないのだろうが、いろいろ触るとはっきり面白いゲームとつまらないゲームがあって、で、面白いゲームじゃないと人が残らないという至極当たり前の現実がわかるのよ。
一昨年にmixiがOpenSocialを解放してからソーシャルアプリ会社ってのは立ち上がったわけだけど、それから2年、「ゲーム面白くなくても友達づきあいをさせればいいんじゃねぇ?」とか「とにかく宣伝しまくって人一杯入れればゲームの面白さなんていらないよ!」ってところから、「やっぱり面白いゲームじゃないと金もうけしようとしても無理が出てくるんだね…」ってところにたどり着いたところ。
この人なんか良く理解してるよね。
コナミがGREEでボロ儲けしている現状で、ムービーゲーばっかり作っていたスクエニが大手ゲームメーカーでただ一人赤字を出してしまっているのがよく現している。
コタローが逝ってしまった。
近所でよく見かける3匹組の茶白猫。
クリクリお目目のかわいい顔立ちがそっくりだから、名付けてみたらし団子三兄弟。
ササミが好きな子は、ササミ茶白→ササミチャシロー→佐々木小次郎→コジローとなった。
一番大きな体をしていた子は、お兄さんっぽかったからコタロー。あとはコサンタ。
その後、実はコタロー、コサンタはコジロー母さんの子であったことが判明する。
猫って子離れ、親離れするんじゃなかったの?
コタローはコジロー母さんにべったりなんだけど。
体が大きくて食いしん坊だけど気が弱くて、家族大好きな優しいコタロー。
2週間前は元気だったのに、あっという間に小さくなってしまった。
外猫は厳しいとは思っていたけど、まさかコタローが逝ってしまうなんて。
みたらし団子三兄弟は近所の人に愛されて、いつまでものんびり寝そべっていると思ってた。
子どものころ、いろんな外猫と仲良くなり、そしていつの間には外猫はいなくなっていった。
長く一緒に遊んでいた記憶があるけど、今にして思うと、やっぱり1,2年サイクルだったと思う。
子どもの私にとって、2年は長い時間だった。猫にとっても、きっと長いと思う。
コタローと出会った私は大人になっていて、2年が短くなっていた。
まだまだ遊び足りないよ。コタちゃん。
いっつも一緒にいた、コジロー母さんもさみしいんじゃないかな。
食べにこないと、コジちゃんがご飯を一人占めしちゃうよ。
「コタコジ」って、もう携帯の予測変換もばっちり。もはやテンプレなんですけど。
失ってから戻ってちゃおそいよ。
コタちゃんと一緒にいるときを、大切にしなければいけなかったのに。
まったくもっておっしゃる通りで、携帯電話でしかアクセスできない状況だと不正はほとんど不可能だったんだけど、スマートフォン時代になって話が全然変わってきた。
メディア・リテラシー(英: media literacy)
ずっとBカップだった私だけど彼氏が出来たらたった半年でEカップにまで成長した。
アンダー小さいから普通乳だけど自分では何となく巨乳な気分になった。
私には努力して巨乳になろうという気概はなかったけどぼんやりとした巨乳願望があった。
服の上からでもおっぱいがハッキリわかるようなラインが出る人を見かけるといいなーと思ってた。
そんな感じだったから胸が成長するのは良い事と思い込んでいたけどそうでもなかった。
可愛い下着を買うのが好きだったのに下着買うことが憂鬱なイベントになった。
ブラの値段が全体的に高くなった。デザインもごついものばかりで可愛いものが選べなくなった。
売り場に並んでるブラ見るとDカップ以上は防具みたいで本当に嫌だ。
元々微乳だったせいか乳が垂れることに対する恐怖感が激増した。
ブラしてても運動するのが怖い。(運動するにしても何か邪魔だったりする。)
以前はそんなこと滅多になかったのに胸に視線を向けてくる男性が増えた。
姿勢が悪く猫背気味なのもあって服着たらあまり胸目立たないのに確実に増えた。
普通乳でこれなら巨乳な人々はきっと毎日不快な思いしてるんだろうなと思う。
今は胸がこれ以上成長するのが怖くて出来ればBカップに戻りたい。
爆乳レベルの巨乳でコンプレックス持ってる友人がいるけど彼女の苦労が少しだけわかった気がした。
口に出さなかったけど贅沢な悩みだなーとか思ってて本当にごめん。
アニヲタあがり声優が出てきちゃう原因のかなりの割合を占めてるよね。
あと、アニヲタキモいってのが出てきちゃうのは、声優だからってその手の
番組に出なきゃいけないってことも関係してるんだろうな。