はてなキーワード: プログラミングとは
従来プログラミング業界においては、やれ「ググる力が重要」だの、やれ「分からないことはググればいい」だのと言われてきたわけだが、もうそろそろこういう妄言は根絶されるべきだ。
そもそも、専門知識の要る分野でそれなりの水準の仕事をしようと思えば、ググって済むようなことはほとんどない。
実際、プログラミング以外のあらゆる分野で「ググればいい」なんて言われることはほぼ無い。その分野の仕事に必要な基礎知識を身につける方が圧倒的にウェイトが高いからだ。
「ググる力」とか言ってるアホは、じゃあためしに俺の手元に、タネンバウムの「コンピュータネットワーク」第6版があったから、これと同等の知識を、コーディング時の調べ物だけで身につけてみてくれないか。
こんな知識は業務で必要ない?そりゃお前がその程度の仕事しかしてないってだけだろ(笑)
ネットのサンプルコードコピペするしか能のないIT土方、コンピュータサイエンスや数学にコンプレックス持ってる低学歴は、さっさとエンジニアやめろ。少なくとも、他人(とくにプログラミング初学者)を自分と同じ水準に貶めるな。
Pythonは全くわからないのですべてを生成AIに丸投げすることにした。頼むぜ、Claude3
んで、出力されたコードをJupyter Notebook上にコピペして実行。
すげぇ・・・ 動いた。テキストファイルに増田の各エントリのURLがモリモリと列挙されていく。
何がいいって官能的な文章を書いてくれること。一応規約でR18の描写はダメと言われ、直接的なリクエストは弾かれるのだが、オナニーぐらいの描写なら特に怒ることもなく普通に書いてくれる。セックスも直接的なのはダメだが、ほのめかし描写ぐらいなら別に普通に書いてくれるので、本番描写にこだわるんじゃなければ普通におかずにできる。まあちゃんと読んだら意味が通らないなんてのは日常茶飯事だが、そのへんはまあどのAIもそうだから、適当に脳内補完するか自分で書き換えてしまえ。特殊性癖なんかも割りかしゆるゆるだし、妙に理解があるからそういうのが好きなやつは本当に今使ってみるべき。草むらに落ちてるエロ本読んで、国語辞典でエロい単語引いて育った、国語のできる悪ガキって感じがする。制限はあるがある程度はタダ。
その点chatGPTはダメ。頭コハル。「エッチなのはダメ!死刑!」とばかりに不適切判定してくるし、そもそもあいつはどんな話を書かせても明示しない限りは教訓的な話にしかしてこない。あいつ「校長権限で制服が超ミニスカになってしまった女子校」って頼んだら「この決まりに慣れることが新しい私を作る」とかそんな話書いてきやがる。そんなわけないだろ。あいつはプログラミングのドキュメントと道徳の教科書しか食ってないんか?
(専門学校という謎の学校もあった。欧米では専門学校といえば芸術系しかメーンだが…まさか劇団員?)
欧米中韓みたいに計算機科学や情報数学の博士や修士どころか、学士号持ちすらいなかった
計算機科学や情報学の学位もないとまともなプログラミングやコードを作るなんて不可能なのに
なんで日本のITや情報学の分野では、専門知識を軽視するんだ?
日本でも他の機械工学や化学と言った分野ではそういった学位をもった人たちがエンジニアになっていると聞きます
年齢・30代~50代
性別・男8:女2
世帯年収・500~1000万
婚姻・既婚6:未婚4
子孫・子あり4:子なし6
特徴・ガジェット好き、プログラミングや英会話に興味だけはある、平和主義者、冷笑者、疑り深いが自分に都合の良いものにはコロッと騙される、性格が悪いが人前には出さないので対人関係は良い、基本根暗の陰キャ、体育嫌いの運動好き、漫画アニメは好きだが最新は話題になってるものをちょっとかじる程度、嫌いなモノが正義棒で叩かれるのが三度の飯より好き
えーとそれで、この、カールソンの言っている、f(x)に対応する最大関数のことを、 最大関数というのはインターネット上では、 その関数の最大値を返す関数と書いていますがここで言っている
最大関数は、プログラミングの min max値のことを言っているので、この、 max f(x)というのは、カールソンの言っている最大関数のこととは違うので、ここの、カールソンの、最大関数が、
ほとんどいたるところで、f(x)に概収束するというときの最大関数とはどんな定義を与えているのか全然分からない。ここでいう最大関数とは一般化された特異積分作用素のリプシッツ空間上とソボレフ空間上の有界作用素のことで、応用としてカルデロンの交換子作用素C_A f(x) = ∫(A(x)一A(y))/(x-y)^2 f(y) dyがA'が有界かつリプシッツ連続関数のとき、上の空間上で有界作用素であることを証明できた。というようなことを考えていると平成の株式会社と法が出来るかどうかと金のことしか考えていなかったのが露見して、こうなんか、段々嫌になるわけですね、 それで、
すまんトラバつける先間違えてた
創作活動は作りたいものがあるから妥協はあれど下手でも作ったりするじゃん
そういうのが何故ない人がプログラミングなど教えを請いに来てるのかって話に対して、プログラミングやってる人の視点だけで話進めてるからだよ
それはIT業界が高収入で門は見かけ上だけは広く構えていて、ネットの記事で持て囃されてるしオタクイメージより陽キャイメージや意識高いイメージの方が強くなってるからだよ
その時の流行でサッカー大して興味ないけど流行ってるからサッカーやる奴とかいるじゃん
弁護士、会計士、医者に興味ないけどステータスだけで資格取る奴とか実際になる奴だっているじゃん
アニメや漫画でもバンドが流行ればギター手に取るけど弾きたい物もやりたい物もないしすぐ売るじゃん
色々な人がいるのにそういう対象へ一切フォーカスして無いのが、ズレてると感じた
ただし語ってる論自体は「やる気も興味もあるけど経験や自信がなく言語化出来ない」類の人なら正答だと思う
でも流行りモノに集まるのってそんな人ばかりじゃないよね?
プログラミングを学ぶを会社経営に置き換えると異常性がわかりやすいぞ
経営を学びたいですがやりたいネタはありません考えてないです起業して稼ぎたいです!
あっ、、、(察し)
ってなるでしょう?
え?馬鹿じゃんこのオッサン就活や転職のために決まってんだろ?とか下らない質問するなと思われるだろうね
作りたいもの(笑)(笑)(笑)(笑)ドカタは皆何か作りたいものあったんですか?
ゲームを作りたいと思ってプログラミングに入門して、はや10年。
まだゲームを作ったことはなく、業務でしかプログラミングしてないけど。
でも世間をあっと言わせる革新的なゲーム体験をもたらす名作を作りたい。
別にファイナルファンタジーのような大作じゃなくてもいい。
個人製作でできる範囲で、グラも音楽も高品質じゃなくてもいい。
だけど!
インフルエンサーかなんかに影響されてるのかなぜかフリーランス年収爆増を夢見てプログラミング学びさえすれば成功できると勘違いしてる層がいる
何を作るかそれでどう稼げるのか仕組み(=作りたいもの)考えないといけないことがすっぽり抜けてる
皆さんおはよう。
自分は、余暇の時間を使って会社で知りあった後輩に電子工作を教えているのだが、最近の若者に妙な傾向があるのに気づいた。
「これからはじめたいです」
おお、では何を作りたいのかな?
「…」
「わかりません…」
この話を友人にボヤいたら、何とプログラミングの分野でも、こういう人たちは結構いるらしい。
ビジョンを持ってる方が伸びるのが速いのは明らかだと思う。
というか、モチベーションが無いのに、なぜ何かを始めようとするのだろう。
「好きです、付き合って下さい! でも恋愛で何をしたいとか、どんなデートをしたいとかの希望はありません」とか言ってくる奴がいたらヤバイだろ、それは宗教勧誘か詐欺だ。
最近、いくつかの作品・書籍を視聴したり読んだりして「自分らしくあれ」という助言があるのだけど、自分らしさってなんだろう?
子供の頃の素の状態が自分らしさだとするとキチガイだし、かといって今の自分らしさと言ってもわからないし。
ただ自分の癖としてすぐに誰かを真似してしまうというのがあるかもしれない。ヤングシェルドンのシーンを借りるなら「偉大な科学者の真似をして、ユダヤ教に入信しようとする」みたいなこと。
自分自身の精神や人格の根源はなにか。あるいは祖父母や両親が教えてくれた事を覚えているだろうか。
「楽しいことを考えて生きる」が最近の母の口癖だ。母が俺に言ったことの中で最も印象に残っているのは「あんたの身の回りに起こる出来事はあんた自身が起こしているんだよ」と。
この母の助言は、俺が学生の時覚醒状態にあって眠れず、その状態で友人のBBQパーティに行って錯乱して喧嘩したときのことだ。
グッドオーメンズでアダムがその強大なオーラを纏っていることを自覚せず、でたらめな陰謀論を単に実在すると信じるだけで現実にしたようなものだろうか。
なぜ世界は、精神薄弱や錯乱状態を俺の中に生み出しておいて、その中で「自己」について助言するのだろう。
覚醒して全く睡眠ができずてんかん発作で気絶したとき、一体誰が俺の苦しみについて理解できたというのだろう。
リーナス・トーバルズが「Just For Fun」といってLinuxを開発していたように、俺も楽しむことを人生の中心にしたほうがいいだろうか。
時々、本当にマトリックスの世界があるのではないかと疑ってしまうことがある。たくさんエネルギーを使わせて、電池として消耗しているわけだ。
しかしエネルギーを使わなければ楽しむことはできない。自分を変えなければ、怠け者から抜け出すことはできない。
「努力」に対する俺のトラウマは「教育」「習い事」などに対する発狂的なヒステリーとして記憶されている。それは邪悪な悪霊のごとく、子どもたちの笑顔を奪ってきた。
だから俺は成長してから、ストールマンの言うようなハッカー観、好きなことに熱中して習熟するという価値観を大切にしてきた。
しかし肝心の「好きなこと」が好きではなくなる感覚が最近は感じられる。
プログラミングが好きだ。しかし仕事としてそれをやり続けると義務感に押しつぶされそうになり、趣味からは遠い存在になっていくのを感じる。
結局、物事はシンプルに説明がつく。つまり自分を見失っているのは、仕事で疲れているからだ。強制労働させられていた歴史上の奴隷は生きていく上で「自分らしさ」を感じただろうか。
旅に行く勇気はないが、ちょっとした散歩をして、その範囲を広げてみるといいかもしれないな。そのぐらいの気晴らしが俺には必要だ。