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2024-11-09

[]花咲くいろは アニメ

ようつべ公式が2話ずつ無料公開してたか10年ぶり?当時ぶりに2回目みた

うーんよくも悪くもマリーだなって感じで、アニメっぽくないなって

よくこんな売れなさそうなアニメ作ったなーと

一応お色気がそこそこ多くてあざとい部分もあるけど

主人公の女が彼氏持ちでも全然炎上しなかったのも時代だなあ

キャラもあるけど

朝ドラ外連味くわえてアニメにした感

うーんでも2クール見たのにこの心への残らなさはなんだろう

なんとなくいいアニメだったなーとは思うんだけど

なんかキャラが全部うわっつらなんだよな

適当にギスらせて解決させての繰り返しっつーか

みんちはだいぶ割を食ってたと思う

いろんな年齢のキャラがいるのに、どれもいまいち感情移入できない

旅館アニメとしても内容うすいし、キャラものとしてもうすい

ストーリーもちぐはぐでイマイチ

いちおうお花の自分探しアニメってことになんのかなあうーん・・・

これみるなら最近アニメでも見りゃいいのにね

なにやってんだろ

nanoRIPEのボーカルゲスト出演してたときあったけどあまりにも棒読みすぎてワロタ

2024-11-02

「ハプバー行ったら人間不信になったんだが…」

1: 名無し 2023/11/02(木) ID:abc123

最近さ、ちょっとした興味でハプバー行ってみたんだよ。なんかドキドキするじゃん?自分探し的な感じ?まあ、ほんと軽い気持ちだったんだけどさ。

2: 名無し 2023/11/02(木) ID:def456

わかるわ。ああいう非日常世界ってちょっと気になるよな。で、どうだった?楽しめたん?

3: 名無し 2023/11/02(木) ID:abc123

いや、全然楽しむどころじゃなかったわ。むしろ人間不信になって帰ってきた。マジで笑えないレベル

4: 名無し 2023/11/02(木) ID:ghi789

kwsk

5: 名無し 2023/11/02(木) ID:abc123

まぁ、簡単に言うとさ、行ったらめっちゃ空気が違うのよ。自分のペースで楽しめるもんだと思ってたんだけど、周りの人たちのガツガツ感がすごくてさ…。なんか、みんな手慣れてる感じっていうか。

6: 名無し 2023/11/02(木) ID:jkl012

あー、そういうのあるらしいな。初心者お断り感出てるっていうか、「分かってる人だけ来い」みたいな雰囲気

7: 名無し 2023/11/02(木) ID:abc123

まさにそれ!で、なんかどんどん人間不信が増してくるんだよ…。ちょっと目が合っただけで声かけられて、「あれ?こっちからも何かアクションしないといけない感じ?」ってなるしさ。

8: 名無し 2023/11/02(木) ID:mno345

なんか想像以上に生々しいな…

9: 名無し 2023/11/02(木) ID:abc123

で、もう無理だと思って店出ようとしたんだけどさ、ドアの前に店員が立ってて、「あれ?まだ何もしてないですよね?」って真顔で言われたんだよ…。

なんか引き返す流れになって、結局店の隅でひたすらおつまみ食べて帰ってきたわ。

10: 名無し 2023/11/02(木) ID:stu901

ハプバーでただのおつまみタイムww

2024-09-22

自分探し

自分探しのために田舎を飛び出した

それからいくつかの街を渡り歩いたけど、どこにも探してる自分なんてなかった

その代わり、自分より遥かに大事な生涯の伴侶を見つけた

そして、彼女を連れて大嫌いな田舎に戻った

今もそのつまらない田舎で、彼女彼女が産んでくれた自分の命より遥かに大切な子どもたちと暮らしている

自分なんてのは今でも結局よくわからない

でも、、自分なんかどうでもいいと思えるほど大切な人たちに囲まれて過ごす退屈な日々は最高に幸せ

2024-09-20

自分探しがしたいのならば知能検査、発達検査性格検査を受けておくことをおすすめする。

まず、自分探しとか言うので怪しい本や自己啓発本を読む前に。

単純に科学的知見のある検査を受けると良い。

これで自分は「どの程度のどの能力があるのか」ということがわかる。

逆に「なにが得意でなにが苦手なのかを客観的指標専門家が調べてくれる」

のだ。

能力の判定は、どうしたって他者から評価判定が必須である

なので受けておけばいいと思う。

自己啓発本や、内心でどうこう考えるよりも、検査を受けたことが一番役に立った。

2024-08-19

ブーストモードはいいのか問題増田スマのイ段も課のいい派ドーモとスー部(回文

おはようございます

突然だけどファイナルファンタジー始めました!って

もはや夏の終わりだというのにこの冷やし中華始めました!の勢いで言っちゃう私!

ちなみにピクセルリマスター版ね。

サイコロの出た目でどのナンバリングファイナルファンタジーファンタジーしようかと思っていてサイコロを振りーの4が出たので、

FFIVを始めました!

FFIV始めるに至って初めてなので

まるでその世界に産まれたてのバンビで挑む感じで右も左もお箸は左お茶碗が右と私は左利きなのでそういった右も左も分からないって言い方がよく分からないままその産まれたままのバンビ飛び込み挑むFFIVはどうなるのかしら?って思ったの。

でもお箸の国の人だものって言いそうなぐらいな感じよ。

ちゃんゲームクリアできるのかしらとか。

私が一番罪悪感を覚えてしまう設定が

ブースト機能

経験値と獲得ゴールド数を2倍4倍に設定できる項目なの。

2倍2倍!って言っていいのは高見山大五郎さんだけなので、

私は遠慮して経験値は2倍獲得ゴールドは4倍でサクサク進めるかなーって。

まあおまえは温いな!っていうのは分かっているけれど

熱燗は温めな方がいいっていうじゃない!勘弁して。

4コマ漫画のよりぬきサザエさんで見た、

波平さんとマスオさんが帰り道に寄った居酒屋で燗は人肌がイイですなって2人がそう言っていたタイミングゴリゴリ居酒屋の親父が懐から親父の体温で温まった徳利が出てくるのよね。

まさによりぬきサザエさんか!って思うぐらいなそんなプレイの仕方はおまえ温いよ!って言われそうだけれど、

私はサクサク進めてみたいの。

あと、

サザエさん世界観で、

波平さんとかマスオさん会社帰り居酒屋で1杯やって飲んで帰ってきても家の晩ごはん時間に間に合っているってその世界観なに?って思うの。

時空が乱れてない?

なんで居酒屋でいっぱいやってきてご機嫌で帰宅して家の晩ごはんに間に合うの!?って

ファンタジーわ!

そんな私のファイナルファンタジー

でも最初良心の呵責か

獲得経験値1倍獲得ゴールド1倍モードで進めていたんだけれど、

ユー!サクサク進めちゃいなよ!って、

天使の私と悪魔の私が私の頭の上に出てきてそう言うの

良い天使の方は経験値ゴールドも倍増しちゃえよストーリーサクサク進んで楽しいぜ!ってそそのかすの。

悪い悪魔の方は獲得経験値1倍獲得ゴールド1倍で苦労して得たゴールドで買う新しい武器の切れ味は感動ものだぜ!それにレベルも思うように上がらないままでボス戦をギリギリで苦戦して勝つ喜びってものもあるぜ!ってそそのかすの。

うーん、

私は迷ったわ

そこでまた頭の上に浮かび上がってきてそそのかしてきそうな勢いのイメージ高見山大五郎さんが2倍2倍!っていうので、

私は獲得経験値は遠慮して2倍獲得ゴールドは遠慮なく4倍!

その設定でブースト

おかげでサクサクバトルもストーリーも進むわ!

これが苦労して進められてるかっていうのはわからないけど、

戦闘パーティーが全滅することもなかったし、

道具屋ももちろん武器防具屋でも躊躇なく贅の沢ができて常にハイポーションが99の状態を保って冒険を進められるリッチさ!

そしてテントじゃなくコテージ!

結構もう1時間ぐらいのプレイで月の世界まで行けちゃうから

物語を楽しむっていう意味ではバランス崩しているすでにそんな世界かもしれないけど物語ストーリー追体験で楽しめているという意味ではこういうのもありなのかな?って思って楽しく進めているわ。

ただ不思議の思ったのは、

獲得経験値0倍獲得ゴールドが0倍!

え?こんな設定なんの意味あんの?って2倍!2倍!でお馴染みの高見山大五郎さんもビックリなのよ!

0倍ってなに?0倍。

世の中にはよくわからないことが多いわ。

まあ私は早くもゲーム開始1時間でもう月へ行く魔導船をゲットして、

逆に次どこに行ったらいいのか進路を早速に見失ってしまったところよ。

え?次どこ行くの?

ある意味自分探しFFIVかも知れないわ。

分かんないけど。

えーん、

次どこへ行ってストーリー進めたらいいのか分からなくなってしまったわ。

映画時短で観てタイパだー!って言っている人と私一緒よね。

あともうフィールド雑魚敵とも戦わなくていいエンカウントOFF機能とかもあって、

ファイナルファンタジーとは?って思ってしまうけど、

宝箱を逃してダンジョンの先に見えていて引き返して拾いに行きたい時とかはその機能重宝してるかも。

エンカウントOFFはさすがにしないけれど、

こういう時に向こうの壁の向こうに見える宝箱、

気になるじゃない!

だいたいは察しがついてポーションとかだけど

分かっていても全宝箱を見えるものは取り尽くしたじゃない?

とはいえ私はあんまり全宝箱コンプにはあんまり興味なくって

どちらかといえば今回についてはストーリー早く進めてみたい派なのよ。

でもなんか雑魚い敵とかはオートバトルとかで何にも考えてないような気がして、

逆にこれでいいのかしら?って思っちゃうわ。

昔の苦労して経験値を稼いだりゴールドを稼いだりするのって幻想なのかも。

あとあまりにも展開がサクサク進みすぎて次どこに行ったらいいのか、

かに次どこに行くんだ!って言ってるけど

その言葉二度ともう聞けなかったりするから

ボーッとしていたらついつい聞き逃しちゃうのよね。

今どこの段階まで攻略したのかももはや分からないぐらい。

これで本当に楽しめているといえるのかしら?と急に思ってしまうわ。

早送り物語を見ているようよ。

1~2回の戦闘でみんなそれぞれレヴェルが上がるのよ。

そこに面白味はあるのかしら?と疑問にも思ってしまうけれど、

早く物語を進めてみたい欲の方が勝って強まってしまうのよね。

冒険を薦める上でパーティー全体に漂うなんか何かが足りない苦しみながら進んでいる!っていう「ひもじい」感じがないの。

常にリッチ冒険を進めて行っているような気がして。

からクリアしてもクリアしたよ!って霧ヶ峰高原で高らかに公言できない後ろめたいところもあるわ。

とはいえ

このブースト機能があるからやってみようか!って思ってきっかけにもなってるし

ドットファイナルファンタジー体験世代には

まあ触れてもらうと言う意味では大成功なのかも知れないわ。

これこれに盛ったシージー演出過度な部分がないのが私あっさりして好きかも。

あれは感動の押しつけみたいで、

うーん、

どっちが好きだかは結局個人の好みによるわよね。

まあ私に関しては

ブースト機能に関しては

最初使っていいものか躊躇してたけど

使ったらまあ苦労せずに進められるのは確かね。

かにって手をダブルピースして蟹歩きしそうな勢いよ。

またでもクリアしたら言うわね。

今次どこ行っていいのか見失っているけれど

私のファイナルファンタジーは始まったばかりよ!

うふふ。


今日朝ご飯

ヒーコーだけにしました。

休み間中とは言え結構あんまり運動活動することが少なかったような気がするので、

控えめに朝はヒーコーのみってことね。

そんで今日デトックスウォーラーは、

ともったいぶっていても、

いつもの水出しルイボスティーウォーラー

パッケージの通りのレシピで作っているけど私に取ってはちょっと薄い気がするから

ちょっと次は濃い目に作ってみようかしらと思ったわ。

朝の冷たいのが美味しいわ。

水分補給はしっかりとね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-08-17

自分探しは作る物

見付けるんじゃない。作る物 あとここに20代は居ない。嘘松確定 anond:20240817071855

2024-07-27

私は長らく結婚できなかった側の人間なので、独身である側にこそ思い入れがあるというか、分かる、という気持ち

マキヒロチマンガなんかは今読んでも分かる、ってなる

大人女子自分探しマンガというか

2024-07-24

自分探しの旅の最大の効果って

そんなことをしても意味が無いと悟れるところだよな

2024-06-22

anond:20240621170217

ファン」という言葉制度疲労を起こしているから「推し」という言葉が出てきた、と整理すると良い。

というあたりの事情があって、「推し」の方が使いやすい、という事になってきた。

ファンだとコミットが求められがち

最近スポーツでもアイドルでも、「ファン」となるとコミットメント凄い人がいるから、ファンを名乗るならいつも情報チェックして、現場にもどんどん行って。。。が求められがち。

ちょっと好感持ってるぐらいだと、ファンだと人に言うのが難しい時代になってきてる。

コミットメント不要好意の表明が出来たら良い。

ファンは「コミュニティの一員」というイメージがある

乃木坂46ファンFF14ファン阪神タイガースファン羽生結弦ファン・・・

いろいろあげてみた。どれも大きなコミュニティがあるよね(1つとは限らないけど)。直接所属するかどうかはともかくあらゆるコミュニティと隔絶した状態ファンを名乗る時代でもなくなってきてる。

コミュニティ関係なく、個人として応援したい。

③あるチームのファン、という時に、各メンバー応援する上で「ファン」は収まりが悪い。

例えば、千葉ロッテマリーンズファンが、佐々木朗希を特にごひいきにする場合、そのひいき感情を「ファン」と呼ぶのは若干微妙

→ごひいき的な感情表現する言葉が欲しい。

要は「推し」の方が使いやす

そういう諸々の事情があって、「ファン」と言うより「推し」が、より個人的で穏当で好意表現やすいって事になったのだと思う。

ファン推しもよく分からん」という気持ちはよくわかる。自分は今は完全にあるスポーツチームのファンだし、推しも明確だけど、初めの頃はわざわざ応援に行って「あれ?俺この選手好きなんだっけ?」と我に帰ったこともある。

一方で、自分が好きなもの、というのは往々にして自分価値観に連動するものから、「推し」を持つことは悪いことでも無いと思ってる。「推し」を通じて自分探しをするのも良い。

からないまま応援してたら、対象のいろんな側面が分かってきて、より推せるようになることもある。

2024-04-24

anond:20240424133346

自分探しは…、スタート地点こそが本当に求めるものだった、という話だと思うんだよなあ…

2024-03-20

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動、最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをアジアアフリカ中南米でしばしばみてきた。

かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

アウェイといえば、ドラマおしん」(1983年)。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じる女性エネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

一方で、男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。逆に成功を収めれば、故郷側が自分をほめてくれる。【故郷に錦を飾る】というのは男性的な価値観だ。

女性はというと、嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

山崎ハコの「望郷」で歌われる故郷は、帰る家もない、戻るに戻れない場所としてうたわれた。これは失敗すれば帰って慰めてくれ、成功すれば褒めてくれる男性故郷観とは対照的だ。これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。フーテン寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、さら時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公少女時代1970年代)は、都会の夏休みラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと田舎そもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

補記

上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。

旅行好きの女性の特徴と男女差

旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。

歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。

一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。

故郷と都会の関係性の変化

現代日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。

この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域価値見出し生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性旅行を通じて自己実現自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。

旅行は、日常から一時的な脱却を提供し、新しい環境文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。

2024-02-19

anond:20240219215936

突っ込みたくなるような内容でかつ誰もが持っているワナビー的な自分探しエッセンスも入れて

いかにもブクマ狙いな感じの上手さと小賢しさを感じる

ちょっとからさま過ぎるように見えるけど

最近はてブの傾向だと、これぐらい分かりやすくあからさまの方がブクマ数伸びてるみたいだから時代にアダプトさせてるんだろう

正直ブクマキッズ的というか分かりやすい刺激に反応する低知能的な集団にゆっくりと変化してきている気がする

これが伸びるのかどうかを今後の参考にしたい

2024-02-02

高畑勲の恐るべき原作改変

宮崎駿原作からかけ離れたアニメを作ることで有名だが、高畑勲もっと恐ろしい。

高畑勲原作と別の存在としてアニメを作るのではなく、原作を再解釈し、異なる意味を与えるアニメを作る。だから高畑勲アニメを視聴してから原作を読むと、「アニメとは別モノだね」ではなく、「アニメはおおむね原作通りだったね」という感想を抱きつつ、知らず知らずのうちにアニメ解釈原作を読んでしまう。

高畑アニメは、原作のものを改変してしまアニメ

火垂るの墓

火垂るの墓』の原作野坂昭如という作家自伝的な小説で、それ故にこのアニメは3層構造原作になっている。

野坂昭如実体験→野坂昭如小説アニメ

実はこの「実体験→小説」の時点で大きな改変が入っている。

それは主人公の清太が死ぬ、という設定変更。

清太=作者なのに、死んだはずの清太が戦後小説を書いて直木賞を受賞し、歌手デビューしたり、国会議員になったり、テレビレギュラー番組を多数抱えているのは明らかに矛盾している。

野坂昭如の妹は小説の通り亡くなったが、兄は小説と違い生きている。

高畑勲アニメでは、そのあたりの冷ややかな視線をさり気なく盛り込まれている。

高畑勲原作のメインプロットを尊重しながら、原作者に対しこれでもかと悪意をぶつけている。

おもひでぽろぽろ

これについては原作からだいぶ変えてる。

アニメでは子供時代大人時代が交互に描かれていたが、原作には大人時代存在しない。

アニメの子時代の描き方は高畑作品としては珍しく、キャラクターがとても『かわいく』描かれている。このかわいさはジブリアニメとしては異質で、悪く言えば観客に媚びた絵柄とも言える。

一方で大人時代の絵はだいぶ様相が異なる。27歳のタエ子は令和の基準で見ると40代から50代のように見える。成人した子供がいてもおかしくない顔をしている。

この大人時代という追加トッピング高畑勲の悪意がある。

自分探しの旅に出て田舎体験する夢見がちなアラサー女と、幻想世界の可愛らしい少女漫画キャラクター残酷に対比させ、「お前らの自己認識はこんな感じの少女漫画キャラだろうけど、現実はコレだよ」と突きつけ、夢から覚めない都会の女が最後は『農家の嫁』になるというハッピーエンドともバッドエンドとも分からない結末で物語は終わる。トトロ田舎を知った気になる人たちへの痛烈な皮肉とも言える。

かぐや姫の物語

高畑勲の技工が最高潮に達した作品

ジブリ経営を傾かせるほど金と時間と才能を注ぎ込んだにも関わらず、作られたのは昔話そのままのかぐや姫で、公開当時の観客は拍子抜けした。

それくらい原作通りのアニメだが、ひとつ大きな改変がある。

それは『かぐや姫の物語』というタイトル教科書にも載ってる原作は『竹取の翁の物語』という題名だ。

竹取の翁の物語タイトルの通り、竹取の翁が竹藪でかぐや姫を拾った、という形でお爺さん視点物語が語られる。

一方かぐや姫の物語ストーリーの骨格こそ原作に忠実だが、感情移入する対象かぐや姫になるように作られている。

ドラえもん』をのび太視点で描くかドラえもん視点で描くかでぜんぜん違う話になるように、かぐや姫の物語はさり気なく視点をずらして「かぐや姫という異質な存在が周りのみんなを翻弄する話」からかぐや姫社会翻弄される話」にすり替えている。

まりに見事なテーマすり替えで、多くの観客が昔話とは別物の作品を見せられているとは気付かなかった。それ故に映画評価イマイチで、「作画は凄かったよね」としか語られない映画となった。

しか水木しげる妖怪イメージを上書きしたように、ウォルト・ディズニーヨーロッパ民話アニメ化してイメージを上書きしたように、今後数百年のかぐや姫解釈高畑解釈で上書きされるだろう。

2024-01-30

anond:20240129220449

その漫画家は何かに抗議してダムに飛び込んだのか(報酬額も争わず自分探しかいう古臭い変身願望物語が嫌になったか

2024-01-12

日本人が思い浮かべる「天才」が大谷翔平藤井聡太井上尚弥しかいないってヤバいよね

なんでスポーツ興行分野でしか発想することできないんだよ

アメリカ人なら「ゲイツジョブズザッカーバーグ!」ってなるのに

メディア反省してほしいわ

 

斎藤環さんがみた「狂気なき天才」の時代 自分探し終焉承認欲求朝日新聞デジタル

https://digital.asahi.com/articles/ASRDW5JV0RDGUCVL050.html?ptoken=01HKVF9KTKBDZ7NBGHBT5FBVT6

 それに、現実社会を見ると、ダークサイドらしいものが感じられない日本の「現代天才」たちがいませんか?

 ――誰でしょうか。

 野球大谷翔平選手や、将棋藤井聡太八冠、ボクシング井上尚弥選手たちです。フィクションでもありえないぐらいの天才たちが生きている時代私たちは生きています

2023-12-27

仕事納め前の増田の一日日医の出す間の絵豆竿と越し(回文

おはようございます

さすがに仕事納め前日というか実質今日みたいな感じで明日大掃除みたいよ!

私もなんか手伝わさせられたりするのかもーとか思いながら

今日今日でそう言う意味では忙しいかも知れないわ!

もう気付いたらあっと言う間にこんな時間だし!

気が付いたらもうまたお昼になってるわよ。

そしてまた夕方になって

森山良子さんなの、

って違う違う

今日の日はさようならって意味の1日の速さを驚きの速さで実感!って

かの驚き屋も驚くほどの早さなのよねー。

1日が早いわ!

なので、

休み中はマジ1日1日をしっかり噛みしめて噛みしめまくりまくりすてぃー山脈に向かってヤッホー!って叫ぶぐらい

超慎重に時間大事に!って過ごしたいと思っていることを

ここに表明するわ!

あー現実逃避をしたい実現!

どっか遠ーくに超行きたいなーってマジ思っているのよね。

とにかく遠くに行きたい欲!

ひっさしぶりにそんな遠出もしてないじゃない。

なので気が向いたら

いつもとは違う過ごし方をしてみたいわー。

となりの会社の様子が忙しそうなのでこの辺にしておきたいと思うけれど

たくさん書きたい欲も何かしたい欲も

とにかくなにかお休みの日にしたい欲あんのよねー

何をしたいかはまだ発見出来てないけれど

自分探しでのお休みでもあるのかしら?ってそんなレヴェルにまでは

自分を見失ってはいないけれど

とても時間大事なので、

それを噛みしめまくりまくりすてぃーで充実した年末年始を過ごしたいことをここにまた2回目として表明したいと思うわ!

うふふ。


今日朝ご飯

野菜サンドイッチしました。

タマゴと赤い真っ赤なトマトが鮮烈な美味しいイメージと共に、

レタスの緑とポテトサラダの美味しさを挟まったイメージと、

これも2種類の味が楽しめて美味しい

野菜サンドイッチよ!

その前にちょっと作り置いているお馴染みのタマネギスープの味見もしてみたけれど、

もう少し水分少なくなって凝縮した味の濃さが欲しいところね。

塩入れてないので味は全然素材の味しかしないけれど。

デトックスウォーター

今日はホッツ緑茶ウォーラー

急須を出動させるのが面倒だったので

ガラスのグラスに直接お茶っ葉を入れてお湯をいれて

沈んだらいただくってノー急須スタイルでのホッツ緑茶ウォーラーね。

身体の中から温めて温活よ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-12-16

10年かけて自分探ししたけれど金にならない才能しかなかった

2023-11-16

anond:20231115233657

自分探しと称してインドに遊びに行くけどインド事業を起こそうとかは考えないからなあいつら。

蝦夷満州ブラジルに行く日本人とは根本的にマインドが違う。

2023-11-11

長旅バックパッカーやったらもう今後の人生でこれ以上充実した日々はないだろうなって満足して目標なくなった

自分探しどころか自分を見失っちゃった

2023-07-12

anond:20230712011303

いや別にその時豚を選んだ理由説明するだけだよ。豚が暴れていて人間危害を加えるようなリスキー状態なら命の重さは容易に逆転するし。

そして自分の子だろうが見知らぬ他人だろうがその説明を受け入れるかどうかは本人の自由だし、縁切られたところで子どもが元気に過ごしてくれたらそれで良くない?

嫌われないために何でもするみたいな考え方してると悪意ある大人にいいように使われるよ?

というか、全体的に他人基準で話をしてる危うさを感じる。知り合いに自称倫理的なご立派なヴィーガンさんがいて、その人の言うことを鵜呑みにしてるのかな?

このトラバ論破したところで自分が勝ったというイメージより『尊敬するその人』の意見が勝ったって感じなんじゃないだろうか。で「やっぱり正しいんだ」と思い込みたいだけと言うか。その代わり負けそうになるとその人の意見が悪かっただけで自分は悪くないっていう、他人の尻馬に乗るノーリスク戦法。責任転嫁とも言う。「あなたが○○って言ったのに」って負けた責めだけ負わされるその人は可哀想だよね。

とりあえず、お前が未来にその尊敬する人と意見のすれ違いを感じた時、何も意見できない『自分のなさ』を自覚して絶望するのが楽しみになってきたよ。自分探しの旅とか出そう。

元気で成長しろよ!

2023-06-22

これが就職氷河期

大卒就職内定率の母数は、就職希望者のみなので、進路票の未提出、自主的留年家事手伝い大学院進学、アジア放浪アメリカ自分探しフリーター掛け持ち、大学時代アルバイト継続などの人は、母数から外れるのだ。この数え方をしてさえ、就職率58%をたたき出し、日経新聞の一面を飾ったぜ。比較対象東大だった(98%)。戦略的数字を出したい大学は、卒論とか卒研単位教員裁量にして、就職できなかった学生留年にするんよ。翌年5回生が50人くらいいたから定員が100人の半分くらいは、就職内定の母数に含まれず、残りの人の42%が、仕事が決まらずに卒業。実質30%くらいしか仕事につけなかったのであった。リクルート電話帳のような冊子を見ても若干名の募集しかなく、コネ枠で決まっているが、儀式的に採用活動をしていたのであろう。若干名に5桁に近い4桁の応募がくる。当時採用担当の人に後日談を聞くと、面接できる人数まで絞り込むのが大変だったらしい。試験会場で列の整理をしていたおっちゃんが「しょうちゃん、しょうちゃん」と若手に呼び掛けていて、その若手の名札を見ると「正力」と書かれていた。庶民にはないコネだ。

中谷彰宏就職本が流行っていた。この本のノウハウには助けられた。リクルートはがきを使わず官製はがきで応募とか、履歴書フォーマット自分に有利に変えるとか、証明写真デパート写真館で撮るとかいろいろやった。最終面接までいく確率は著しく高まったが、コネが足りなかったと思う。この本は就職できなかった仲間に貸して回って、内定をもらえるようになったので、再現性があることに感動を覚えた。中谷さんありがとう

新卒募集をしていた会社社員が逃げ出していた会社が多かったので、せっかく入った銀行テーマパーク事業への融資に失敗して破綻とかCMしまくっていた繊維業が突如倒産とかで、翌年の就職戦線に再び参加していた仲間もいた。第二新卒なんて言葉はなく、中途扱いだった。

そんな苦労して入った会社残業代を誤魔化すならず者会社が多く、上場企業でさえコンプラが甘く深夜まで続くサービス残業とかが常態化していた。氷河期世代は人が余っていたせいで24時間営業業態が増えた。悪い条件のバイトでも人がきたんだ。新聞配っているときに退勤とよくやってた。

二次ベビーブーム世代の人数感を伝えると中学野球部では、学年ごとにリーグ戦ができる人数がいた。が、グラウンドは一つなので、1、2年生はランニングと基礎トレと球拾いとグラウンド整備に明け暮れる日々。兎に角人数が多かった。運動部に入らないと内申点が下がるとか意味不明ルールがあったなぁ。

そんな人数のライバル競争しつつ、採用は凍結みたいなクソゲーだった。

とりあえず3回転職してまだ生きていますおやすみ

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