2013-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20130919132325

増田は先輩から受けた暴力を(あえて暴力と断言する)主観的エール、祝福、激励、叱咤と捉えてポジティブな影響を受けたかもしれない。

けれど、万民がそういうとらえ方を出来るとは限らないわけだ。それは増田の個人的な体験であって外部へ敷衍できない。

そもそも真実増田脳内に発生した幻想であって、先輩がどんな気持ちで暴力を振るったかなんてのは計りようがない。ただ単に「増田がそう感じた」という体験があるだけだ。

ポジティブ暴力行使を容認した増田は、自分の後輩にどんどん暴力を振るってゆくとする。そして、それは後輩にはそれがポジティブに受け取られる保証はない。

「だから体罰暴力として規制せざるを得ないんだよ。

増田有益効能をそこから引き出せたかもしれないけれど、それは再現性がない。たまたま有益だったひとりの意見で、数百倍の被害者を出すわけにはいかない。

前者と後者の違いは、手数の違い、平手か拳の違い等あるものの、現代的に解釈されてしまえば「暴力である

すっごい乱暴な理論だよね。僕は頭が悪いので、その乱暴さが容認される意味が理解できない。

体罰暴力を混同することを増田は「乱暴な理論だ」とのたまうわけだけど、自分ひとりの体験で社会制度しかセーフティーを切り飛ばそうという増田は「乱暴の化身」だよ。

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