増田は先輩から受けた暴力を(あえて暴力と断言する)主観的にエール、祝福、激励、叱咤と捉えてポジティブな影響を受けたかもしれない。
けれど、万民がそういうとらえ方を出来るとは限らないわけだ。それは増田の個人的な体験であって外部へ敷衍できない。
そもそも真実は増田の脳内に発生した幻想であって、先輩がどんな気持ちで暴力を振るったかなんてのは計りようがない。ただ単に「増田がそう感じた」という体験があるだけだ。
ポジティブな暴力行使を容認した増田は、自分の後輩にどんどん暴力を振るってゆくとする。そして、それは後輩にはそれがポジティブに受け取られる保証はない。
増田は有益な効能をそこから引き出せたかもしれないけれど、それは再現性がない。たまたま有益だったひとりの意見で、数百倍の被害者を出すわけにはいかない。
体罰と暴力を混同することを増田は「乱暴な理論だ」とのたまうわけだけど、自分ひとりの体験で社会の制度、しかもセーフティーを切り飛ばそうという増田は「乱暴の化身」だよ。