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はてなキーワード: 所以とは

2021-04-18

努力しろとか現実に向き合えなんて、どうの弱者男性だってわかってる

でもマトモに努力したところでもう取り返しがつかないしそもそも競争にならないし、競争になる程度には能力あったなら弱者男性になんてなってないということも、弱者男性はわかってる

そして、妄想劣等感現実逃避で、ありえないハードルの高い願望以外で充足しない、餓鬼地獄のようになっているのだって弱者男性はわかっている

でもそこで「だからルールを破った戦法や方法しかないと断腸の思い踏み込むしかない」と思えないのが弱者男性たる所以

だってリスクを負うのは嫌だし、苦しくてキツい思いはほんの少し味わうのさえ嫌だとか理由をつけて逃げる、何よりも、勇気をもってやってみたら意外とうまくいって、普通になれることがこんな簡単なのに、今までの俺は何だったんだと、低能のくせにプライドだけは高いから、その挫折感と後悔すら味わうのが嫌っていうのが弱者男性

から強者男性社会エリートツーブロック精力絶倫陽キャゴリラなどのエリートが突然バカや気狂いみたいなことし始めて勝手に自滅したり、コロナで死んで棚ぼたで美少女ホワイト職の地位などが手に入らねえかな」なんて情けないことこの上ない妄想や展開に縋るようになる、ここの弱者男性増田なんか一番わかりやすい例だな

ぶっちゃけいうとQアノン信じてる連中と心理状態が一緒、統合失調症です

しか尊大ASD拗らせてるから医者に連れて行っても逆切れして治療になりません

一言で言えば馬鹿は死んでも治らねえから相手にすんなよ、で終わりだぜ

2021-04-11

大麻を吸うと幼少の気分が蘇る

思い出じゃなく、気分だ。

あの頃のワクワクしたような、ジーンとしたような、そんな気分。

ただ、その気分も一瞬だ。

大麻を吸ってやっと一瞬、忘れていた子供の頃の気分を一部体感できる。

多分他の薬物も大なり小なり似たような作用があるんだろうね。

そうやって好奇心に駆られて色々やり始めるのがゲートウェイドラッグと呼ばれる所以かも知れん。

大麻合法から投稿しています

2021-04-10

anond:20210410021602

まあどうせこれを読んだところで、弱者男性99.99%はクズを続行する

まじでこれしかない。

何を何度言われても自分の何かを変えなきゃいけないという自覚が1ミリも湧いてこないのがクズクズたる所以

他人を助ける前に自分を助けろよ、アフリカ飢餓を救う前に半径5mの人を救ってみせろよ

これはこれで正しいとも自分は思うのです

天は自らを助ける者を助ける、というのも事実でしょう

しかし、助ける余裕がなければ、なかなか人が他人を助けるという行為は困難なはずです

ビル・ゲイツ現在慈善事業がメインであり、貧困層などへ広く学習の機会を与える課題にも取り組んでいますが、

彼はその理由として、資本主義原理では実現できないから、といったことを語っています

といっても、これは彼がお金持ちになれたからであり、お金持ちになっても自分が欲しいコンピュータを作ることに情熱を注ぐだけの人もいるわけです

もちろん、色々な人が世の中にいて構わないわけですが、いずれにせよ、他人を救う余裕がなければ慈善事業は難しいはずです

もしくは他人を救うことに「狂信的」である必要があるでしょう

狂信というとテロのような悪い面もあるわけですが、良い面で狂信的である人は考え方がブレないのです

良い意味ドンキホーテとでもいいますか、理想を追い求めて金がなくなっても他人がついてこなくても損得勘定が欠如しているから折れないのです

現実的には、本当にそこまでの人がいるかは疑わしいですが、

まず、信念があるとか、自分の打ち立てたモットーに執着する、固執しているならば、周囲からノイズトラブルで折れにくくなるはずです

それが人として良いのか悪いのかは、周囲の人それぞれによって大きく分かれると思いますが、

慈善事業だろうが偽善だろうが、自分が死んでも他人を助けたい、と考える人も少ないと思います存在すると思います

しかし、現実的に考えるならば、基本は他人を助ける余裕がなければ他人を助けることは困難でしょう

10kgまで支えられる何かがあったとして、5kgは乗っけれる、20kgは余裕がないので無理、

でも耐荷重10kgに対して10kgの荷物だったらどうでしょうか?

しかしたら望んだところまでなら耐えて運べるかもしれません、でも、もしかしたら振動も加わって折れてしまうかもしれない

だったら10kgの荷物を分割できないか、5kgに分割して二回運べないか

もしくは10kgのところを8kgにして、2kgは諦めてください、というのも策かも知れません

これが私が他人を助けるという行為ベストエフォートであるという所以です

アフリカ飢餓を救うというのも、まあ募金とか寄付行為はありだとは思います(どうしても胡散臭い団体が多いと思うのが否めませんが

しかし、直接的に助けるとなるとアフリカまでの飛行機代だけでかなりの出費になります

そのお金で半径5mの人を救えるのに、なんでそれをしないでアフリカの人を救うの?という問いに対し、

色々な考え方の人が色々な答えを持っているかもしれません

例えば、私が毎日収入や食うにも困っている人だとしま

しかし、目の前に今にも死にそうな人が倒れていたとしま

それに対し、自分救急車を呼ぶ余裕はある、救急車が来るまでその人のそばにいる余裕はある、

自分には難しいと思いますが、医学素養がある人ならば応急処置をする能力がある人もいるかもしれません

まり最近話題になっている弱者男性だかのカテゴリー自分も十分含まれるとは思うのですが、

目の前に死にそうな人が倒れており、救急車を呼ぶ余裕があると思っている自分がいる、

にも関わらず、

自分弱者から他人を助けない、他人を助けるより自分を助けろよ、

みたいな極端な考え方に至るのも変な話であって、

それはあくま相対的ものにすぎないはずです

まり、端的に言うなら、なんだかんだ社会とはカーストではないが階層があるものであり、

強者弱者を救う余裕があるが、それはある弱者より上の階層がその弱者を救えるという話であり、

数学アルゴリズムの話ではないが、

そういうツリー構造があるならば、一つ上の層が一つ下の層をちょっと救う、

その連鎖で全体が救えるはずだとも言えるわけですが、

ここで問題になるのは、確実に全体を救うには一番トップ強者無限に余裕がなければいけなくなってしまうことであり、

現実無限はありえないし、もし、その一番トップの余裕が減少していけば、ツリー全体を救うことは困難になってしま

しかしながら、全体最適化とでもいうか、全体をある程度いい感じに救うためには、やはり一つ上のノードが一つ下のノードを救う、

その連鎖重要であるように思うわけです

こういった他人ちょっと助ける連鎖再帰的な連鎖があればちょっとは世の中も捨てた感じではないように思えるわけですが、

それがまた難しいのが人の世というものでもあるわけです

2021-04-09

anond:20210409174203

お気持ちお察ししま

ただ健常者の迷惑行為意図して行っているもので、対して知的障害者意図せずして行っているんですね

からといって許せという話ではなく、その知的障害者制御する人が近くにいるべきなのは間違いないと思います

近くにいても制御出来ていない場面も多々ありますが、迷惑行為をしていれば無理矢理にも止めなきゃいけないので、それが出来ないとなると制御すべき人の問題です

当事者にはどうする事も出来ない、それが障害たる所以です

なのでどうか怒りの矛先はその制御する人でお願いしま

2021-04-08

anond:20210408204820

本当にごめんね

何回聞いても上手くいかいから何回も聞いちゃうんだ

その頻度が減らないのが発達障害の影響なんだ

多分ご自身が聞かなくても出来るから想像出来ないのは仕方ないんだけど、回数を重ねて成長出来ないのも発達障害たる所以なんだよ

謝るしか出来なくて申し訳なく思います

2021-04-07

ASD(旧称アスペルガー症候群)の気づき

相手(健常者)より多くの事を考えてしま

それが結果的必要な事だとしても、相手にとっては"余計"な事の場合が多い

相手はすぐに理解出来ないし、不快に感じてしまう事もある

その積み重ねにより、人間関係軋轢が生じる

理屈では分かっていても、制御が出来ないのが障がいたる所以

2021-03-28

回転寿司屋に主体性を求められて困っている

 最近回転寿司チェーンに若干の不満がある。味についてではない。

 私が不満に思っているのは「もはや回転していない」回転寿司店のシステムである(いささかレトロニム的だ)。客席の間を回転する寿司野良寿司…または市井寿司とでも言うのか、その部分を完全に廃し、タッチパネルで注文したものけがオンデマンドベルトコンベアで流れてくるシステム、あれはなんとかならないのだろうか。

 私が回転寿司屋に求めているもの、それは食事における主体性放棄に対する受容である

 私はこのところ非常に疲れていて、何かを選び取る作業というのが苦痛で仕方がない。給与役職、年次に見合わない過大な責任を預かる業務が続いており、そしてそれは自分選択を誤ると最悪の場合他人を殺める可能性のある業務でもある。そのためか、最近私生活でも自分から何かを選ぶこと、それを人や物に指示することが非常に億劫なのだ。あるいは一種鬱状態と言えるのかもしれない。

 それに較べて、かつての回転寿司屋というのはなんとも魅力的であった。お品書きや食券機に書かれた無数のメニューを選ぶために、考える時間精神負担を一切与えない世界!目の前に流れてきた食品を、興味があれば取りそうでなければ取らない。ルールがこれしかないのである。頼んだものと違うものが来ることもなければ、待てど暮らせど自分の注文した料理だけ来ないといったこともない。また、明快な従量課金制でサービスやお得なプランなどの介在する余地もない。私は、「回転寿司屋に行こう」という選択さえしてしまえば後は寿司屋の思うまま。あとは全てが寿司屋の主体性支配する王国に暮らす歯車Aであり、なんの責任も問われない…!私が回転寿司屋を愛する所以はそこにあったのである

 それがこの頃どうだろう。回転寿司屋の絶対王政には幾分翳りが増したように思える。歯車Aではなく、主体的選択しなければならない事項のなんと増えたことだろうか。私は食べたい寿司なんか選びたくないんですよ、この前まではそっちが提案してくれたじゃないですか。なんですか毎回、お取り忘れの無いようにだとか、寿司を取ったらボタンを押せだとか!座ってるだけで食べ物アピールしてゆく、デブ走馬燈方式の何がいけなかったのですか。こんな江戸っ子の考えたサイバーパンクみたいになっちゃって、昔のあなたはどこへ行ったんです。

 感染症対策やフードロス対策意味合いとしても回転寿司の正常進化であることは自明のようではあるが、思考停止飯に魂の救済を求める哀れな限界社会人のために、ベルトコンベア方式を何とか存続してはもらえないだろうか。

 (余談ですが、今日はま寿司に行ったら自動音声が全部葛城ミサトでびっくりしました)

2021-03-26

スーマリ3Dシリーズポチる増田須丸地歩D3ズー利子吏マース(回文

おはようございます

あのさ、

有名な映画大林監督作品尾道三部作と言えばターミネーター三部作と肩を並べて超有名なビッグタイトルだけど、

スーパーマリオ3D三部作といえば、

また話は別よね、

最近ゲームの話しばかり多いような気がするけど

販売が今月末までだと言うことで、

例のスーパーマリオ35が面白かったので、

これを機に3Dシリーズも挑戦してみようか!ってやる気満々の満身創痍暖簾に腕押しでポチったワケなのよ。

買ってから気が付いたんだけど、

この三部作クリアするまでの時間ボリューム私にはあるのかしら?って

もうスイッチにはたくさんゲームが入りすぎて、

重さが重くならないのはどうなってるのよ?って思ってしまうわ。

とりあえず

スーパーマリオ64から挑戦よ!

早速思ったのが

もしかして3Dゲーム苦手なのかも説。

そしたらよ、

そしたらスーパーマリオ64最初ステージからもういきなりどこに行っていいかからない状態

1ステージからもういきなり攻略本を開いてみてしまったわ。

どうやら一番上の所まで言って、

バクダン兵の王様を投げ飛ばせばいいらしいことは分かったのよね。

で、なんとか頂上まで行ってバクダン兵の王様を投げ飛ばせることまでは成功したの。

でも何回かやっぱり投げ飛ばさなくちゃいけないみたいで、

私もだんだん操作方法マスターしてきたか調子に乗って

バクダン兵の王様の周りをうろちょろして

ヘイヘイヘイ!って挑発したら、

まんまとむんずと掴まれて放り投げられて一番下の地上まで投げ飛ばされちゃったわ。

えーまたあの頂上まで登るの?と思ったら絶句だけど、

なんとかバクダン兵の王様を倒すことができて、

もうスーパーマリオ64ですら前途多難感ありありな出だしで、

でもちょっとサンシャインギャラクシーも冒頭のちょっとだけ遊んでみようかなって、

もう早速5分やって他のゲームに移っちゃったの。

そしたらサンシャインギャラクシー

なんか凄いゲームでとにかく、

3Dの中を歩き回って

鉄砲撃ったり夜空を飛び回ったりと

なんかこれもあと2作あると思うと、

クリアまでのボリューム大変だなってゾッとする次第よ。

私この3D三部作全クリできるのかしら?って

いったいスーパーマリオシリーズ何作あるんだよ!ってもう遊び尽くせない感じがして、

マリオ恐るべしって思ったのよ。

調子に乗ってまたギャラクシーの方を遊んでいたら、

なんか小さな惑星を逆さまに歩いたり走ったりするので気持ち悪くなっちゃいそうな雰囲気

これも慣れ、いや修行必要なんだな!って思ったのよ。

面白すぎて前途多難すぎるわ。

ボタンもいっぱいあるから

それにともなって色々な技を繰り出せるみたいなんだけど、

電子マニュアルをみたら、

こんなのフラッシュ暗記暗算大会の上位入賞者の人じゃないと一画面を見て一度に暗記できないわ!ってゾッとする操作方法の種類にまた驚愕よ。

楽しいけどさ、

これをまたクリアしていくと思うと辛いわ。

でも毎回毎作ごとに連れ去られるピーチ姫のことを思うと

彼女不憫さと比べると私の三部作へのクリアの重荷と比べるとたいしたことないのよね。

ピーチ姫は毎作大変な思いをさせられて大変だなーって。

でね、

ちょっと前にスマホ携帯ゲームで出てるスーパーマリオランもやってみたんだけど、

あれはただただタイミング良くボタンを押していくだけでクリア出来ちゃうから

マリオ感を味わうにはいまいちだったか

あんまりマリオに接したこと無い私だったからこんなモノなのねって楽しさがよく分かってなかったのよ。

だけど、

ちゃんマリオコントローラー操作する感じを体感しないと

あのマリオマリオたる所以のよく上手く言い表せないけど

マリオ感がやっぱり堪能できないのよね。

きっとそう思うわ。

そうなると対峙するソニックシリーズもまた私研究対象として研究しなくてはいけないソニックシリーズコンプしてクリアするという苦行を行わなくてはならないと思うと今からゾッとするわ。

ソニックで遊ぶと言う話しはまた遊びだしたらするとして、

やっぱり超巨大コンテンツとしてのマリオって楽しくてスゴいわね!って思うしかないのよね。

時間いくらあっても足りないぐらいだし、

これを機にまたユニバーサルスタジオジャパンマリオアトラクションも私遊びたくなっちゃうのかしら?と今から思うと、

関西に行く口実にもなるわよね。

何度ここへ来たって大阪弁上手くなれへんのよ。

そんな思いも裏腹に、

まずは

尾道三部作いや、

スーパーマリオ3D三部作を私クリアしなくては!って

ゼルダもまだハートが3つのままで

序盤の4つの祠が見つからないまま、

あーこれもどうしたものかと思っちゃうのよ。

時間いくらあっても足りないし、

心に決めた攻略本を見ないって誓いも

スーパーマリオ64の一番最初ステージでどこに行っていいかからいからすぐ見ちゃったという、

私の意志の弱さ。

ため息が出るわ。

でもまあ一歩一歩頑張るのみよ。

前途多難長い道のりだなーって

道のり×速さ÷2で到着する時間が分かる公式をもって解けば

クリアまでのボリューム時間も分かるってモノじゃない。

からちゃんと真面目に向き合うことにして行きたいと思うわ。

クリアまで長きに渡る私のアドベンチャー

応援してね!

うふふ。


今日朝ご飯

プリプリ海老サンドしました。

ちと朝からは重たかたかもと思いつつこれってもしかしてチンして温める前提なのかしら?って思うほどの出来栄えで美味しかったわ。

デトックスウォーター

ホッツほうじ茶ウォーラーしました。

朝たくさん沸かしておいておいたので

たくさん飲めるわよ!

ごくごくごく!

水分補給はこまめにまめにしてね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-03-25

残念だが、それはないだろう

メンズTBC広告は、個人であり広告目的ではない場合免責特権

どちらがつよいか

引用のほうが通常強いが

増田はすべて1つの日記

そして検索避けというのがあるように

機械学習よけというのもある

人力検索人力検索たる所以

理解せよバグだと

みとめろバグで加害を行ったと

2021-02-20

くぅ~疲れましたwこれにて敗戦です!

朕深ク世界大勢帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々惜カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国自存東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局スシ好転セス世界大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾使用シテ頻ニ無辜殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ心霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝国ト共ニ終始東亜解放ニ協力セル盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負イ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

2021-02-19

大学入試共通テスト古典問題が凄かったので解説させてほしい

タイトルの通り。筆者は高校教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テスト方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやす解説していきたい。


わかりやすとはいえ大学入試古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。

問題解説予備校分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。


予備校

https://www.toshin.com/kyotsutest/

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/


ちなみに大学入試センター問題作成方針はこっち。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf


以下は教員仲間とのディスカッションメモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。


まず、第三問の古文

センター試験から変わると事前に予想された、複数文章や会話形式選択問題はなかった。

本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。


・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。

・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの

これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ文学的文章の鑑賞」つまり作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。

・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。

・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常ことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)

・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。


・また、過去試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である


これだけでも十分すごいが、続いて漢文

こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通テーマ文章ふたつの出題である


・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題

とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。

・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。

漢詩押韻知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。

・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。

文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。

・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。

しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのであるしかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。

受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり受験生心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。

・よって受験生文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程要求される(というよりも問題から誘導されてゆく)という問題構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である


このように、古文漢文ともに「受験生思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生思考多角的ものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。

また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題誘導する深い思考対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路設計されている。学力を測る目的大学入試問題としても適切である

センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報多面的多角的視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育現場から、惜しみない賛辞を送りたい。



2月22日追記

・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう自分にとっても、いろいろ考える機会になった。

・別記事で「古典義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。

https://anond.hatelabo.jp/20210222160532

この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……

古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています

古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります

・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすしました。

文学的感じ方を入試に出さないでほしい

文系の連中だって微分積分の深みとか行列演算の感動とか最初から拒絶してるだろ

わかるやつはすんなり理解するけど、わからないものはわからないんだよ

こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくま論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。

よくある誤解だけど、国語入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情センス」ではなく「論理」になっています

しかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。

入試問題批評だと「大学受験のための小説講義」「教養としての大学受験国語」が面白かった

石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分現代指導根本にある本です。

解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。

解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います

これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数問題でも非常に数学エッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。

共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問エッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。

今回の共通テストセンター試験名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃん多角的思考力を問う内容になってる!

そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさら進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすものになっています

文系研究醍醐味を先取りできるテストってわけか。

それもあるし、これを見た高校先生は「知識だけでなく、学問的な思考方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります

大学入試改革は、高校入試改革嚆矢としての役割を持っているので、この方向性国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います

古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来人達に私達の心情とか踏まえて歴史理解して欲しいって思うもん。

こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います

今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンター共通テストが良問であるとされる所以ですね。

2021-02-15

スーパーマリオクリアした増田酢ま他紙有り苦織りまーパース回文

おはようございます

私ついにやったわよ!

そう!

ゼルダクリアしたって言いたいところだけど、

まだぜんぜん4つの祠が見つからないし、

防寒着だってどこにあるか分からないし、

食材探しに翻弄しているんだけど。

あんまり上手く進まないか気分転換に別のゲームやるのよね。

そう今ならスーパーマリオ35。

だけど私正直気付いてしまったの。

一度たりとも1-1から8-4まで通しでクリアしたことがないというか、

今まであまりレトロゲーなのでまともにプレイしたことなかったのよね。

これを機に

普通スーパーマリオやってみたの。

結論から言うと1-1から8-4までワープなしでしかも実質ノーミス

ファイヤーマリオクッパを素焼きにして倒したのよね!

私にもできんじゃん!って。

まあズルしちゃってるけど、

ペコパさんばりに言うなら、

時を戻そう!ってやつ、

マリオがやられちゃう何秒か前に巻き戻せるので、

これを使わない手の技は大技林なのよ。

穴に落ちてもクリボーにぶつかっても

時を戻せばいいので、

私は実質ノーミスクリアできたってわけ。

あいアスレチック的な足もとが滑ったり

ジャンプ中空中制御がしにくいゲームって私苦手だったんだけど、

根気よく時を戻せばクリアできて嬉しかったわ。

意外と簡単なのね!ってイキって言っちゃうけど、

これも時を戻しの技のなせる技よね。

スーパーマリオ35で遊んでいて、

はいつまでも1-1と1-2を延々とやり続けてていいのかしら?

たまに1-3、1-4のステージになるけど、

1-1と1-2を延々とやり続けるのがスーパーマリオたる所以なのかなーって。

そんな日々の生活に疑問を

私は気付いてしまって、

いつまでも文化祭の前の前日をループするところを脱出するかのように、

そうだ!私はスーパーマリオワープゾーンなしでクリアしなくては!ってゼルダが詰まったところで急に思ったの。

これでいつまでも文化祭の前日をずっとループする日々から抜け出せたかのように、

私はふと肩の荷が何か下りたような気がしたわ。

今まで苦手だったことが出来なかったことの克服的な。

ニンジンピーマンを食べられるようになった子どものように。

私は偏食ないから、

その気持ち全然分かんないんだけど、

とりあえず、

実質ノーミスクリアしたことには変わりないか

ここで大声で言いたいから言うわ!

スーパーマリオワープゾーンなしでクリアできたよー!って

その一塩の達成感とともに、

私はまたゼルダ世界に戻るんだけど、

こないだイノシシを仕留めたのよ!

イノシシって弓矢で仕留めるんだけど、

弓が当たる前はリアルイノシシフォルムで弓が当たった仕留めた瞬間ドーンと肉の塊になってその場で落ちてるので

ちょっと笑っちゃったわ。

まりにもお肉の美味しそうな加減で、

そんで私また気付いちゃったの。

リンクがお料理するとき5つまでの材料を一緒に調理できることを!!!

これスゴくない?

いままでキノコ1つとかリンゴ1つとか雪国マイタケ1つとかでしか料理できなかったから、

もうキノコリンゴ雪国マイタケの素焼きばかりがアイテムで増えるばかりで、

それをリンクが両手で押し込むようにして美味しそうに食べるもんだから

リンクごめんね!私今度もっと美味しいものもっと作れるように頑張るね!って。

ゲームの中で私が一番大嫌いな調合系のあれ、

あれも克服したいと思うし、

これ全部レシィピ帳つけようかしら?ってぐらい組み合わせ無限になるんじゃない?って

逆に恐ろしくもあるし、

コウモリ羽根とか目玉とかを焼いてモザイクの掛かるような料理ばっかり作ってないで、

本当に真面目に料理しないとこの世界は救えないのかなって思うのよ。

スーパーマリオが克服できたんだもの

きっとゼルダのお料理も克服できるはずよ!

ほんとでもあの何種類かのアイテムを混ぜて新アイテムを作る調合は私苦手だわー。

とにかくまだ祠のこり3つ探せてないし、

もうゼルダ何やっていいのかひたすら「キノコ狩りとリンゴ狩りとときどきイノシシ」みたいに

リリーフランキーさんのなんかそう言う作品なかったかしら?

はいつまでお料理し続けたらいいのか分からないし、

いい加減高いところから落ちるのもリンクが可愛そうになって切なくなるから

大木を切って谷に橋を架けて渡るときは横着しないで

そろりそろりって

チョコプラ長田さんが和泉元彌さんのモノマネをするときの呼吸の全集中で丸太の上を歩いてみるわ。

高所恐怖症にとってもゼルダは辛いわ。

もう落ちたくないものね。

でも絶対ネット攻略は見たくないし、

自分ゼルダは頑張ってやってみるわ。

いつクリアできるか分からないけど、

ドラゴンクエストVもほったらかしだし、

今年はそれらがクリア出来ることを

旧正月年が明けたからまた改めて今年の目標にしたい所存よ。

うふふ。


今日朝ご飯

よもぎ餅頂いたのでそれ平らげて朝ご飯にしたわ。

このよもぎ餅って、

どんな具材から出来るのかしらってすっかりゼルダ料理脳だわ。

まあヨモギだけで出来てるんだろうけど。

デトックスウォーター

珍しくいろいろオレンジ買ったので、

ネーブルピンクグレープフルーツとの

オレンジ系ウォーラーよ。

こっちはあんまり調合と言うより、

イキフンの問題から

お手軽に作れるけど、

あんまり混ぜすぎるのもよくないし見栄えもよくないし喉ごしもよくないわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-02-14

皮肉とわからないリテラシーの低いやつは相手にしない」が許されてたのっていつまでなんだろう?

少なくとも、物語という概念がこの世界に生まれて以降は、「この物語フィクションです」と最初に語られていた(聖書のような嘘っぱちを本気で本当だと思ってる連中が読んでた神話の類は除くが)。

とはいえ今でも京都のような民度ゴミクズ地域では「こんな皮肉もわからないの?お前が馬鹿なんだぞ?」はまかり通ってる。

じゃあインターネットはどうなのかというと、御存知の通り既にそんなものツイッターのような狂人大通りレース会場ですらアウトになってる。

要するに、京都みたいな時代遅れ間抜けが100年単位加齢臭がキツい言動を振りまいてるような所以外ではとっくに「皮肉がわからないやつが悪い」は通用しなくなってるわけだ。

でも今なおそういった態度を取る奴らが大勢いるってことは、どこかの時代までは皮肉が通じない方が悪いことにしてよかった時代があるはずなんだよ。

どこの時代までそうだったんだろうか?

ちょっと検索してみたんだが全く正解にたどり着けん。

男の戦闘性をめぐって

 男というのは女性と比べれば明らかに戦闘である

 戦闘性、あるいは戦闘という行動を説明するのは案外難しいのだけれど、簡単に言えば「格付けチェック」だ。他者自分の「格付け」を再定義する行為のことをここでは戦闘と呼ばせてもらう。そのような戦闘においては、二人以上の人間が実力を競い合い、お互いの「格付け」を行う。勝利した者は、本来そうであると見られていた格付けより上方修正され、また、負けた者は本来の格付けよりも下方修正される。そんな具合に行われる連綿たる「格付けチェック」に男性は巻き込まれている。あるいは自分自身を「格付けチェック」の中に巻き込んでいる。それが、男が「戦闘的」であると言われる所以なのである


 このように書くと、男性が知性において欠陥を抱えた存在であるという印象を抱かせるかもしれないが、そうではない。この男性が巻き込まれ、かつ自身を巻き込んでいる「戦闘性」というものは、人間を問わず生命全般にセットされた、合理的ポジティブな側面を備えたシステムと言っても良い。

 例えば、この「格付け」は適材適所発見プロセスという一面を持っている。ある分野において能力的に劣ると「格付け」された人はそのレースから外れ、また、別の分野において能力的に優れていると「格付け」された場合はその分野に参入し、実力を振るう。そのような適材適所発見は「格付け」が行われることによって初めて可能になる。これは明らかに「格付け」の良い点である。このようなプロセスにおいては、上手くいけば実力を発揮できる分野の発見可能になる。

 また、この戦闘性――「格付けチェック」に積極的自身を巻き込んでいく性質――によって男性はお互いの「実力」に敏感になる。つまり相手がある分野において自分より優れているか、それとも劣っているか、といった点に敏感になるのであり、これは男性がある種の観察力に優れていることを意味している。これもまた戦闘性のポジティブな一側面と言って良いだろう。本当の意味相手が実力を持っているのか? 一定の実現力を備えた存在なのか? ある種の判断能力が鋭敏なのか? その判断に従うことは有益なのか? そのような損得を含んだ様々な要素について男性本能的に、あるいは理性的推し量ることができる。そして、それはあくまで「格付けチェック」、つまり戦闘性に基づく適材適所能力発見といったプロセスにおいて導かれるものなのだ。そのような意味で、やはり、この「格付けチェック」は複数ポジティブな側面を含んでいるだろう。


 とは言え、このシステムには良い点ばかりが含まれているわけではなく、男性弱者排斥し、その排斥するという行為に基づいて「格付け」を行う場合がある。いわゆるイジメ行為がこれに当たる。そのような意味での実力の誇示や、あるいは弱者排斥という営みは決して健全な代物ではない。あるいは、「格付けチェック」においては必ずしも実力のある人間コミュニティの中でイニシアチブを握るということを意味しておらず、メタに「『格付けチェック』において生き残れる能力」というナンセンス特性を持った人間のみが、権勢を振るうこともある。そういう意味で、この「戦闘性」、あるいは「格付けチェック」は優れた点のみを備えたシステムではないし、決して万能というわけでもない。それも確かなことではある。

 とは言え、我々においてこの「格付けチェック」が必要なのは、先に述べたポジティブな側面を鑑みても明らかである。また、そのような「格付けチェック」に比較的傾倒しやす性質、つまりは「戦闘性」というものも、同様の理由で、この社会からオミットされては不都合ものですらある。


 戦闘殆ど男性において人生の終局近くまで続いていく。その連綿たる流れから逃れることはまずできないし、仮にできたところでその時には「敗残者」のレッテルを男女双方から貼られることになる。だから男は努力するのである。連綿たる格付けチェックの中で、男性は自らの戦闘性を磨き上げ、また、戦闘におけるある種の「持続可能性」を養っていく。すなわち「戦い続けること」、さらには「よりよく戦い続けること」を男は選択するのである。そこに憐れみを覚え、理性の欠如を覚える人も多くいるだろうが、繰り返すようにそこにはポジティブな側面もまた存在している。

 戦い続けることは基本的に難しいことである。頑張り過ぎてもいけないし、頑張らなさ過ぎても脱落する。その八方塞がりを打開する為に男性は多かれ少なかれ自己研鑽を行う。力を出しすぎないこと、最小限の力で期待以上の成果を上げること。それを持続的に可能にしていくこと。それらを男性は目指し、自己研鑽を続ける。そのような自己研鑽においては、自己疲弊させ過ぎないことが目指され、あるいは、逆説的に戦闘回避が目指される。つまり男性は優しくなりうるのである

 男性女性と比べて明らかに戦闘的ではあるものの、それは、自分以外の弱者を尽く打倒し、排斥することを意味しない。そんなことをすれば先に自分が疲れ果ててしまうからである。単純に戦い過ぎれば、人は疲れるからである。だから、時に男は戦闘回避するという選択肢を取り、より持続的に戦い続け、利益を得るための最適化不断に行い続ける。そのような営みにおいては、男性は時に自分以外の他者支援する。時に敵さえも生かし、味方を利するように働きかけもする。全ては持続的に、よりよく戦い続けるためである


 男性基本的女性よりも戦闘である。そこにはネガティブな側面が多く存在するものの、決してそればかりに終始するわけではない。

anond:20210213182808

男が男たる所以ちんこの有無なんだろうか

サイボーグちんこ手術流行るのかな

俺もちんこ切って女の子になるわ

2021-02-13

anond:20210213191159

「よく見ると汚い痣がある」

「ひどい……さっきまでのムードがぶち壊しだ」

「お前も聞いていたのかサトル……」

「まぁいいじゃないですかお客さんこの世には」

「何も無いんだ何も無いが故に何もかも消えてしまう」

「境地をさ迷うのは物質足る所以ですのよ」

「出たな悪魔憑き……」

2021-02-11

あの髪型イメージって増田酢魔てっじー姪の田上ノア回文

おはようございます

今日もの凄く事務所静かです。

本当に誰も居ない感じがしていいわね。

こうやって増田全集中できるわ。

本当に集中するとき言うけど、

なんか流行に乗った言い方してるみたいで逆にそういうつもりじゃないんだよって言うのもまた逆に恥ずかしいわ。

それはともかくとして今日は何の日だか知らないけどラッキー祝日なので

とりあえず建国を祝ってみるわ。

あんまり意識したことなかったけど、

建国記念日の由来ってなんだか邪馬台国イメージがつきまとうだけど、

それであってるのかしら?

邪馬台国の人のイメージ髪型瓢箪が両サイドに付いたあのスタイルあるじゃない。

よくよく考えてみたら、

あのイメージを植え付けた人って誰なの?とも思うの。

しかちょっと昔なら絵とかは残っていたか

なんとなくそう言う風貌だったのね、って分かるけど、

さすがに邪馬台国の人のイメージ

あの両サイドに瓢箪を付け加えた感じの髪型って

なに発祥なのかしら?

あの由来を知りたいし、

いい加減に

元祖邪馬台国髪型本家元祖邪馬台国髪型との争いもいつまでやってるの?とも思うの。

だいたいどちらも似た感じの髪型だし、

それぞれのなんか事務所的なところに行くと、

そういった瓢箪両サイドに付けた髪型肖像画が飾っていて、

そもそもそいつ誰よ?って思わざる山のごとしで、

どちらがその髪型発祥でもいいじゃない!って世間はそんなに熱量高くないんだけどねぇ。

根拠ないじゃんと言うと共にだから今日建国を祝う儀式なのかーとも思うのよ。

まあ調べたら結局は諸説あり戦法で責任所在をぼやかすのよ。

それはさておき、

最近さ本当に飲食店が閉店閉まるのが秒で早まってるから

今日こそは今日こそはなにかどっかに寄って焼き鳥でも食べたいところだけど、

牛すじ大根玉子の埼京おでんも仕込んで作りたいし、

ああどうしようって思うわ。

確定申告の準備をやんわりして、

早々に事務所から離脱したいものね。

今日絶対早く帰る全集中よ!

うふふ。


今日朝ご飯

喫茶店トーストいただいたわ。

トースティンググッドモーニングサウンドと共にご機嫌な朝よ。

喫茶店の本気の美味しい本域のコーヒーはやっぱり喫茶店で飲むべきである理由たる所以ね。

どうしても、

あの技が出せないのよあの技が。

マスターの下の名前が匠って名前だったらなおさらでしょ?

マスターの下の名前知らないけど、

デトックスウォーター

南アフリカスタールビーグレープフルーツが手に入ったので、

手に入っただけじゃつまらいから、

まりデトックスウォーラーをそれでこしらえたってわけなの。

スタールビーグレープフルーツウォーラーね。

そのままだけど。

よく見るピンクグレープフルーツとよく似た感じがまたより一層拍車をかけてくれるわ。

何の?って感じよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-02-10

ハーフクォーターに対する反応

日本だと、ハーフクォーター欧米人ぽさが出てると、ちやほやされるじゃない?

これは日本人の欧米コンプレックスたる所以だと思うけど。

 

逆に欧米人から見ると、ハーフクォーターってどう見えるんだろ?

中途半端なんだろうか?

WiFiって

壁越しでも電波伝わるけど、体内を通り抜けてたりしないんだろうか

最近体中がピリピリとして痛いんだ

さっきスマホ見たら近所に10所以WiFiポイントあったし、相当な電波が体を通り抜けて細胞破壊してるんじゃないか心配になる

2021-02-09

anond:20210209140840

ちゃんとしてない知識は、偏りから生まれる。

 

ネトウヨネトウヨたる所以は、自分のいつもみているネット掲示板だけで知識仕入れいるからだ。

 

そうならないように、自分が納得した理屈批判している本を積極的に読むべき。

結果として、知識ちゃんとする。

2021-02-03

バカの居場所が何処にもない理由

現実世界バカに厳しい。そりゃそうだ。

自分の低知能を自覚して恥じることすらできないバカなんだから、知能やプライド必要とされない場所しか場所は無い。一般的バカ相手をするのは疲れるし、関わり合いになればかならず損をするから現実世界では当然除け者にされている。

だが奴らも人並みの感情情緒というのは存在するので、現実逃避してインターネットに逃げ込んでくる。もちろんSNSも使いたがる。

だが一般人と明らかに違う点が一つ。そう、頭が悪すぎることだ。

バカ同士がエコーチェンバーして発狂して他のコミュニティで暴れ始めたり、同じようなバカネットを介して触れ合うことによって自分はまともだと錯覚してしまったりする。

インターネット上では基本的に顔も名前も年齢も性別もない。見た目は全て文字構成によって並列化された匿名個人達だ。

まりインターネット上では、バカから許されるとか、ガキだから、老人だからしょうがない、といったことは全く起こらない。全員が並列化されているということは平等であり、そうあるべきであるからだ。個人特定されないということは、一定以上の個人の群れに溶け込むべき、つまりネット上においても場に馴染めないバカ必要無いということになる。

では何故、バカ現実世界でも、インターネットでも必要とされないのか。

インターネットフィクション別世界のものではない。サーバー上に構築されたもう一つの現実だ。現実世界の延長、拡張現実からだ。もちろんその拡張された領域バカのためのものではなく、その機能によって自分他人利益をもたらすことのできる人間のためにあるものだ。だからバカに居場所は無い。

残念ながらバカ死ぬしか無い。が、たしか存在する。たしか存在するから厄介なのだしかバカであることに負い目を感じることはあったのか、半端に鬱屈しているので、無意味にひねくれた主張を激しく行なってくる。現実同様縮こまっていれば良いものを、ネット匿名から何言っても許されると思っているところが、またバカたる所以であり滑稽でもある。現実世界にはもちろん、ネットにもはみ出したバカの居場所は無い。

今すぐ死んで、その存在を消すことのみが、他人への配慮であり、バカができる唯一の良い行いである。

から早く死ね

何回言ってもわからないのがバカなので、全員が早く死ぬまで言い続けることにする。

早く死ねバカ

2021-01-26

第4の障害

知的障害を伴わない発達障害存在世間に広く認知されるようになって10年以上になるだろうか。

アスペルガー症候群自閉症スペクトラム)やADHDなどの、コミュニケーション不全の障害は、現在の高度情報化社会に適合することが困難な人々を障害者として認定したもので、そのような意味で「新しい障害」「時代によって創られた障害」とも言われている。

歴史的経緯から俯瞰すれば、社会構成員の多くが第一次産業従事していた時代には、軽度な発達障害障害としては認識されていなかった。社会にとっては身体的な機能障害の有無が、何より重要視された。

機械を使わない農作業では人間身体が頑強であるか否かが生きていく上で重要である。逆にこのような時代において、体格さえ頑丈でよく働くことが出来ればよく、発達障害の有無が社会構成員にふさわしいか否かの判断基準とされることはほとんどなく、それどころか知的レベルで多少劣っていても問題とはされなかった。

ところが産業革命が起こり、人々が工業生産すなわち第二次産業従事する者が多くなってくると、知的レベルが低い者は労働生産性において不利となり、工場などで働くことがままならず、障害者としてみなされるようになる。どれだけ体格が頑丈であっても、軽度知的障害者は障害者として扱われる。

そして現在の高度情報化社会では、第三次産業従事する者が多くなっている。情報通信業を含むサービス産業においては、他人との間の情報の伝達に問題を生じる者、すなわちコミュニケーション能力が低い者が障害者と認定されてしまう。認定を受けた者やその予備軍は、生きづらさを抱えて生きていかなければならなくなったのである

こうして、今日社会では他者とのコミュニケーションが困難な者は軽度であっても、総称して「発達障害者」と呼ばれ、障害者として取り扱われ、治療対象となり、障害者枠で働くことが可能になってしまった。

生きづらさを抱える人々が社会から援助されるようになったのだから、それは社会進歩である、ととらえる人もいるが、高度情報化社会発達障害であることが生きづらくしてしまったのだから発達障害者にとっては社会悪化であろう。

ところが社会進歩(あるいは対象者にとっての悪化)はとどまることを知らない。高度情報化社会から次の社会へとステップアップする中で、今後クローズアップされるであろう障害が、掲題の第四の障害である「嫌感障害(けんかんしょうがい)」(英訳するとharassmental disability)ではないか、というのが私の予想である

「嫌感(けんかん)」とは私の造語で、嫌感障害者は、他人嫌悪感を感じ取れずに、あるいは知りながらも敢えて、ハラスメントを行う人々のことを指している。

(同様に"harassmental disability"も、発達障害=disappointmental abilityに寄せて作った造語

「それは一般発達障害とどこが違うのか?」と問われるかもしれないが、知的障害身体の脳の障害という意味で広義の身体障害者であり、発達障害が広義の知的障害であるのと同様に、嫌感障害もまた、広義の発達障害ととらえて差し支えない。

しかしこれまでの発達障害という概念の中には、共感性が低いために他人感情が分からずに意図せず他人嫌悪感を与えることをその中に含みつつも、「他人が嫌がることがわかっていながら他人の嫌がることをすること」、いわゆるセクハラパワハラをすることまでを障害一種だと認定することはなかった。

今回私が提唱する「嫌感障害」は、一歩踏み込み発達障害者の中で他人嫌悪感を与え続けてやまない行動発言をする人々と、攻撃的であったり、あるいは人が嫌がることをすることをやめられない人々を、まとめて新たな障害者として認定するものだ。

第1の障害身体障害、第2の障害知的障害、第3の障害発達障害ととらえたことが、嫌感障害を第4の障害ととらえる所以である

昨今の脳科学では、人間自由意志存在否定され、すべてが所与の条件、すなわち、遺伝子環境構造などによって思考自動的に決定されているという。

自分意思によって他人の嫌がることを行う人もまた、ある意味自分ではどうしようもない衝動によって突き動かされ、社会に不適合な行動を取らざるを得ない障害者と言えるのではないか

彼らが適合できない社会とはなんであるか。それは女性障害者が多く進出した社会であり、多様な社会であり、弱者が認められ、生きやすく、守られる社会である

この社会では、強者多数派が、その力でもって弱者や少数派の人権を踏みにじることは、もはや許容されない。

強者が所有していた権力多数派が所有していた圧力でもって、他人自由を拘束し、口をふさぎ、多様性を蹂躪することは社会がもはや許さないのである

他人への嫌がらせを許さな社会は、高度情報化社会が発達し、様々なサービスが生まれる中で、人々が夢中になるサービスに人々の興味が集約していく中で育まれていった。人々が夢中になるサービスとは、SNSである

高度情報化社会が理性の支配する知識の共有を成し遂げたものであるならば、その中で育てられてきたSNS内では、感情の共有が重要ものとして形作られてきた。

それは「高度感情社会」と言えるものである。私達は高度感情社会という新しいセクターに生きており、産業革命情報革命の次に生じた、感情革命の只中にいるのである

GAFA情報化社会の雄ならば、そこに入っていないTwitter感情社会の雄であり、今後は感情産業と言われるような感情の共有化をビジネスの柱とする産業第四次産業?)に、多くの人々が従事するようになるだろう。

その産業の中で障害となるのが、他人感情を傷つけて平然とする人々である。その問題が今、ジワジワと、次々にクローズアップされているのを私達は知っている。

昨今のニュース報道に触れて、

「こんなことまでハラスメントなのか?」

という疑問を抱いた人は、多いのではないだろうか。なぜ新しいハラスメントが次々に問題視されているのか、わからない人も多いはずだ。戸惑っている人々も多いだろう。新しいハラスメント提唱する人々に「お気持ちギャング」というレッテルを貼る人々も少なくない。

しかし、これが時代の趨勢である、ととらえると、納得できるのではないだろうか。他人嫌悪感を抱かせるのは障害である、という新しい常識が広まりつつある過程なのだ

嫌感障害という概念確立されるメリットとしてまず考えつくのが、嫌感障害障害であるのだから治療対象となり、医療解決する分野となることだ。

発達障害コンサータなどの投薬で治療されてきたように、いずれ嫌感障害解決する薬が見つかることになるだろう。

次に挙げられるメリットとしては、パワハラセクハラをしてきた人々が、ひとくくりの集団として可視化され、社会活動における「障害」の持ち主と認識されることだ。

発達障害という概念が、コミュニケーション重要性を浮き彫りにしたように、嫌感障害という概念は、他人への攻撃性を抑止できる能力重要性を明らかにする。

パワハラセクハラモラハラを、無意識であれ意図的であれ、行ってはいけないし、それは教育によって徹底されていき、矯正できないものは「障害」がある者として取り扱われることになるだろう。

このような潮流が社会に表出しようとしていることを、私達はこれから目の当たりにすることになるだろう。


なお、以上のようなことがふと頭に浮かび、自分オリジナルアイデアかもしれないと思い、一気呵成に書き上げたが、研究者でも専門家でもない私の思いつくようなことは、すでにどこかで誰かが考えついているかもしれない。

「高度感情社会」「嫌感障害」といった概念に似たことが書かれている本などがもしあれば、ぜひブックマーク増田返信で教えていただきたい。

逆にアイデアが私のオリジナルだった場合用語アイデアに関して、皆さんのご自由にお使いいただきたい。この記事から引用である、などと断る必要もありません。

by tnkm

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