最近の回転寿司チェーンに若干の不満がある。味についてではない。
私が不満に思っているのは「もはや回転していない」回転寿司店のシステムである(いささかレトロニム的だ)。客席の間を回転する寿司。野良の寿司…または市井の寿司とでも言うのか、その部分を完全に廃し、タッチパネルで注文したものだけがオンデマンドにベルトコンベアで流れてくるシステム、あれはなんとかならないのだろうか。
私が回転寿司屋に求めているもの、それは食事における主体性の放棄に対する受容である。
私はこのところ非常に疲れていて、何かを選び取る作業というのが苦痛で仕方がない。給与や役職、年次に見合わない過大な責任を預かる業務が続いており、そしてそれは自分の選択を誤ると最悪の場合他人を殺める可能性のある業務でもある。そのためか、最近は私生活でも自分から何かを選ぶこと、それを人や物に指示することが非常に億劫なのだ。あるいは一種の鬱状態と言えるのかもしれない。
それに較べて、かつての回転寿司屋というのはなんとも魅力的であった。お品書きや食券機に書かれた無数のメニューを選ぶために、考える時間や精神の負担を一切与えない世界!目の前に流れてきた食品を、興味があれば取りそうでなければ取らない。ルールがこれしかないのである。頼んだものと違うものが来ることもなければ、待てど暮らせど自分の注文した料理だけ来ないといったこともない。また、明快な従量課金制でサービスやお得なプランなどの介在する余地もない。私は、「回転寿司屋に行こう」という選択さえしてしまえば後は寿司屋の思うまま。あとは全てが寿司屋の主体性が支配する王国に暮らす歯車Aであり、なんの責任も問われない…!私が回転寿司屋を愛する所以はそこにあったのである。
それがこの頃どうだろう。回転寿司屋の絶対王政には幾分翳りが増したように思える。歯車Aではなく、主体的に選択しなければならない事項のなんと増えたことだろうか。私は食べたい寿司なんか選びたくないんですよ、この前まではそっちが提案してくれたじゃないですか。なんですか毎回、お取り忘れの無いようにだとか、寿司を取ったらボタンを押せだとか!座ってるだけで食べ物がアピールしてゆく、デブの走馬燈方式の何がいけなかったのですか。こんな江戸っ子の考えたサイバーパンクみたいになっちゃって、昔のあなたはどこへ行ったんです。
感染症対策やフードロス対策の意味合いとしても回転寿司の正常進化であることは自明のようではあるが、思考停止飯に魂の救済を求める哀れな限界社会人のために、ベルトコンベア方式を何とか存続してはもらえないだろうか。
45分で20皿ぐらい食う?それなら回っている方がいいけど そうじゃないなら、回っている必要がない