はてなキーワード: 所以とは
お気持ちわかります、子供からみると親が喧嘩・言い合いをするのは秒でストレスマックスですごく困るんですよね
でもちょっと考えてみて下さい、あなたも親のことを体の良い自分専用の奴隷だとおもっていませんか?
ですが2人め不妊などと言った言葉もあるとおり、兄弟が欲しければすこし我慢を覚えないといけません。
お金のことも考えると2人目はもう無理といった雰囲気になっていないでしょうか?
収入額はもう少ないので仕方がありません。
おそらく子供が2人になると保育園代などを考えても奥さんの収入額を上回るので、ならばやめて奥さんが家で2人とも見るほうがマシとなるでしょう。
でも38歳で25万の収入で昇給なしとあります。このまま子供を大学にいかせることは無理でしょう。
今子供が1人しかいないうちに進路変更、キャリアアップを考えるべきです。
実際は35歳までの間のほうが転職は楽でしたが。1歳くらい鯖をよんで37歳で35歳までの募集に応募するか、おもいきって起業して2箇所以上から仕事を請けるようにするか。
あとは、普通この共働きでしたらおじいちゃんおばあちゃんに小さい間だけでも同居をお願いして母子とも子守で甘やかしてもらう時期なのに無理に3人で暮らしている状態といえるでしょう。32歳での妊娠というだけでも頑張っているのに奥さんがコロナやその他の病気でもしたら大変なことになりそうですね。入院保険かけておかないと人生が綱わたりですね。
まああなたがメルモちゃんの赤い飴玉を手に入れるしかなさそうです。がんばってください。
体重について付記いたしますと、子供は規格製品ではありませんので、動いて楽しそうにくらしていれば体重が数%標準からずれていても気にする必要はありません。ただビタミンやタンパク質や塩分など、なにかが足りなくて常にお腹が物足りないと思ってカロリーの過剰摂取になっている可能性がありますので、栄養の内容は自分でしっかりみなおし、本当に欲しいのはなんなのかをしっかり母親さんにつたえてあげてください。保育園で運動して汗をかいてノドがかわいたのなら塩こんぶとお茶なり、ナトリウム入りのイオン飲料だけでも満足できたりするものです。小さく小分けして傷みにくい食品は難しいですが、たとえば蜜柑の缶詰をあけて製氷皿で2~3粒ずつわけて凍らせるなどでおいしいひとくちアイスができるものです。こしあんを小さめの蓋付き製氷皿にいれて凍らせても凍らないねっちり状態で保存し、必要なだけスプーンでほじくってハイハインにのせてもらうとかもいいですね。子供はラムネのような血糖値がすぐにあがるものであれば1粒でも満足できたりします。
また医者に通っているということですが、そもそもお医者でもらうお薬の副作用で肥満が出ることもあるので、それは皮膚科の病気をしっかり直して薬が要らない状態を保つほうが先決です。
思春期になったら自然に痩せることもありますし、先祖代々低血糖をおこしやすいため少量で頻回食べている家系もあります。個性がでてくる、それが言語化できるのはまだまだ先ですが、今から研究してみて下さい。
この独裁の岐路というのは、「独裁か非独裁か」という選択肢ではなく、「右の独裁か左の独裁か」というものだ。
両者とも意図的な独裁を求めているわけではない。現状の戦いは経済の自由を強く押し出す右サイドと、それに反発して同じくらい社会的公正を強く押し出す左サイドの戦いであり、互いに問題があるというのが独裁たる所以だ。
右サイドが強く押し出す「経済の自由」の理想は、とにかく自由に経済活動をやらせることで圧倒的な利益を生み、自由にやらせることで高速で社会に循環させることで国を富ませるというものだ。
しかし、少なくとも現在の日本や韓国では万人に与えられるべき経済的自由が経済的勝者によって独占されているが、それも自由な競争下に起こったことであるために放置されて逆に自由というものが行き渡らずに経済進歩や技術進歩が停滞し、格差が拡大しているのが現状だ。
意図的な独裁と言うより、システムエラー、メンテナンス不足で独裁に突っ走っている感じである。
対する左サイドがはこの自由の再分配がうまく行っていない状況を打破すべく社会的公正を訴えている。資本主義であれ社会主義であれ、社会システムが公正でなければ停滞するためだ。
しかし、現在の左派は哲学的アプローチや定義の不足、イデオロギーの曖昧さ、メディアの質の低さなどの様々な複合要因により、「なんらかの正義の名のもとに敵対者の人権を奪う」という勢力が力をつけている。
これは世界的にこの傾向があり、大いに問題があり、対処すべき人物であるとは言え、トランプ氏をあらゆるサービスから締め出すなど、明らかに人権意識に欠ける安易な対処方法を選択しており、非常にヒステリックになっている。
正義感を原動力に活動する集団が権力を得るとほぼ間違いなく独裁者になる。「正義」とは絶対的なものであるため、事情を鑑みず、他者を認めない一方通行な部分があるためだ。
そして大変残念なことに、日本においてこの先の選択肢は今の所この2つの独裁しか無い。
一応現状に合っている選択は左派ではあるが、左派の政治家、活動家、思想家の質が右派に比べて著しく低くて品位に欠ける現状も暗澹たる気持ちになる。
ほんとどうしたらいいんだろうね~。
https://news.yahoo.co.jp/profile/comments/16099942697304.bbea.30631
tma*****
2時間前
毎日の感染数が発表されていますが、東京の人たちには、あまり届いていないかもしれません。でも今日は、多過ぎますね。
夜20時以降の外出制限はわかりますが、そんなことを思ってもいない人が大勢いることを忘れてはなりません。
この前、インタビューで自分たちの周りには家族も含めて誰も感染した人が居ないから、完全にダラケていると言っていました。
しかしその言葉の裏には、病院で必死に働く医療従事者の支えがあることを忘れてはいけないと思う。慌ただしく患者さんのために力を尽くしてくれていることを忘れてはならない。そんな能天気な人たちが感染したり、違う病気になって初めて医療のありがたみを感じると思う。でも医療が逼迫されてきた今だからそれでは遅いのである。
みんなの心に潜む、今まで自粛頑張ったから少しぐらいは大丈夫という慢心な心かもしれません。
moa*****さん|2分前
都民です。東京の人に届いてないんですね。はないですね。東京というところを分かってらっしゃらない方のご意見かなと思います。東京は他県から毎日莫大な人数の人達が通勤で往来してます。それだけでも感染の拡大理由になってます。
プラス地方からも出張や観光にものすごい人数が来てます。都民だけならこんなに感染は広がりませんよ。他人事のように言わないでね。他県からコロナが持ち込まれてることも知ってくださいな。
kon*****さん|3分前
都民です。3月からテレワーク、マスク、手洗いうがい消毒徹底、親や祖父母とも会わず、飲み会も旅行も何もなし。このように暮らしてる人も多いです。
もちろん気をつけていない人も一定数居ますが、田舎とは人口密度がそもそも違います。どんなに気をつけていても外に出たら近くに人もいます。
pez*****さん|35分前
sta*****さん|39分前
東京に届いてない?
田舎者の傲慢さと慢心ですね。そりゃ人もまばらでスッカスカの田舎じゃ感染も広がらないでしょうね。おまけに夜会食する店も開いてないですからね。
そもそもPCRすらまともにできてない中での感染者数なのに、何で上から目線なんだか。
aoe*****さん|41分前
渋谷で自営業をやってます。スクランブル交差点ばかりが映るからそう思われるかと思いますが、人が多いのは交差点から半径約100メートルの範囲内だけで、それ以外はそれほどでもないです。それに、多くの都民はマスクに頻繁な消毒で気をつけて生活しています。
m_p*****さん|45分前
都内ですが、4月以降ずっとリモートだし、人と会うことも少ないですよ。それこそ別に済んでいる兄妹の家族にも会っていません。切迫感は相当ありますよ。ニュースだけで安穏としていると惑わされないで欲しい
( ´͈ ᗨ `͈ )◞♡⃛さん|46分前
毎日の感染数が発表されていますが、東京の人たちには、あまり届いていないかもしれません。
は?何言ってるんですか?
どこ在住か知らないけど
qjd*****さん|46分前
fuw*****さん|46分前
買い出しは週1回空いてる平日の時間帯に。
これ以上、何をしろと言うのか?
szm*****さん|52分前
都民の一部を切り取った報道でまだ東京差別ですか。どちらにお住いか知りませんが都民じゃないならほっといてくださいよ。
車を1人1台持っているような田舎と比べるのはやめて欲しいし、テレワーク可能な業種ばかりではありません。持ち出し厳禁のお仕事や物を扱っているお仕事は絶対に不可能です。
どこどこに人が並んでたとか、仕事の合間にお昼をとることも都民は許されないのでしょうか。人口が多いんだからある程度は仕方の無いことです。
12月以降は決算の企業も多いでしょう。持ち帰りでできる仕事ばかりじゃないし、非常に効率も悪い。
地方の一部の人がひどすぎて、いっそのこと一都三県だけで独立したいくらいです。
二度とこちらに足を踏み入れて欲しくない気持ちにまでなってしまいます。
ara*****さん|56分前
偉そうに怒
のんびりいきましょさん|59分前
他の方と同じく都民(23区外の田舎)ですが、昨年2月から買い物は宅配、ネット通販を利用したり、3歳の子供いますがどこにも出掛けず(可哀想なので散歩はします)、マスクや手洗いの徹底、小さいスプレーボトルに入れたアルコール消毒をポケットに入れ、こまめに消毒しできる限りのことをやっています。
なので都民一括りにしないでほしい。つらい。
同じ都民でもテレビで出歩く人見ると不快に思うし、これだけの感染者数なので毎日危機感持って生活してます。
あんな都内での人混みの映像みたら都民全員が、と勘違いされて当然。
何で同じ東京でこんな気を付けているのに遊び歩くんだろう…って毎日複雑な気持ちになる。
こういうコメントとても傷つきますが今後も徹底した予防を続けていきたいと思います。
n*****さん|1時間前
都内在住。
黙れ!田舎者!
>>みんなの心に潜む、今まで自粛頑張ったから少しぐらいは大丈夫という慢心な心かもしれません。
すげー殿様コメントw
大体、知事どもが緊急事態宣言だ~とか水面下で乳繰りあっている間で、突然「陽性者数」爆上げ&検査数爆上げ。
毎日毎日、超満員の東京ドーム2個分以上の検査やってるって知らないでしょ?
で、緊急事態宣言出させたぜ、ドヤァ~~!って自慢げに会見開いちゃうんでしょ、この3バカ知事は。
で、密になるな、外に出るなと言ってるのに、記者集めてワッショ~イw
こんな連中の茶番に、いつまで付き合うの?
hiy*****さん|1時間前
都民です。
夏にPCR検査を受けて陰性でしたが、万が一を考えて他の人にうつさないように、仕事と最小限の生活用品だけの買物しか行っておらず、その際にもメモして短時間で済むように頑張っています。
感染者は多いかも知れませんが、思いやりを忘れずに自粛している人達もいる事に気付いて欲しいです…。
東京の人は〜って言うけど、東京生まれ東京育ちの人は気をつけてる人多いけどね。田舎から出てきてる人の方が、今はどこも空いてるから〜って出かけてるよ。なんでも一括にしないでほしい。
都民だけどこういう言われ方は正直悲しい…
yun*****さん|1時間前
ほとんどの都民は、地方の人よりも、マスクや手洗い、消毒は徹底してるし、長いこと飲みにも行ってませんよ。
nailcyuさん|1時間前
東京の感染者の非常に多い区に住んでいますが、家族含め近所の知人もまだ感染者いませんよ。それはなぜだと思いますか?ダラけずしっかり感染予防しているからです。もう少し心あるコメントを発して欲しいものですね。東京の人をひとくくりで悪者に聞こえる様な書き方をしてはいけません
現状感染した方がいません。
そもそも遊び歩いてる人しかマスコミはコメント取れないんでしょw
わざわざコロナ拡げてる人たちに寄って行かなきゃいけないマスコミって大変ねw
おじんさん|1時間前
響くも何も大半の人にとってはもうやれる事が無いんよ
手洗い、消毒は勿論
アルコールで拭き
これ以上の事は引き籠りしかないし
流石に腹立つわ
mmzさん|1時間前
マスコミもコロナを舐めて飲み歩いてる人ばかりテレビで流すから、都民がみんなこんなもんだと思われるんです。
こんな人達はほんの一部ですよ。
都民のほとんどは感染対策をしっかりしながら生活していると思います。
col*****さん|1時間前
それでもリスクを避けられない程、人が多いのが原因なだけであって、別に都民が極端に遊び歩いてる訳ではないと思いますよ。
東京よりもリスクが少ないのは当然だけど、0ではないのですから。
so8*****さん|1時間前
ふざけたことを言わないでください
少なくとも自分の身の周りでは
そんな緩んでいる人は1人もいません
相当に気を遣って生活しているし
それでも加速度的に増えているのに
恐怖を感じてますよ
まったく、勘弁してほしいわ
決めつけるな
hanochanさん|2時間前
地方から東京に出てきてる人は沢山います。東京都は全国から人が集まってるから都民のせいではないよね。
*********さん|2時間前
皇居は、龍脈を流れるエネルギーが吹き出す龍穴のある場所にして、祭祀王の住まうところである。
その周囲をランナーがぐるぐると回ることで、マニ車を回すがごとく、スピリチュアルエネルギーが生ずるのだ。
そうでもなければ、あんな排気ガスを吸うだけのランニングに人々が夢中になるはずもない。
駅伝(その名称は「易伝」に由来する)は、皇居ランで生じたエネルギーを更に高める行為である。
ランナーは、タスキにエネルギーを蓄積し、箱根まで行き、また戻る。
世俗的には一見無意味にも思えることこそが、宗教的意味合いが存する所以である。
時には、人々に混じって山の神や宇宙の帝王が参加していることもあるという。
誰が葬式にエンターテインメント性を求めるだろうか。
アイドルグループ「嵐」が2020年いっぱいで活動を休止する。最後のテレビ歌唱は12月31日の「紅白歌合戦」だろう。
おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソング」キャンペーンとタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。
本来ならば7月24日に東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間が一喜一憂しているはずであった。
嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。
また嵐自身の活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算、ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。
そして国家総力を挙げた一大イベントのアンセムと日本のトップアイドルの記念碑を兼ねたこの楽曲をトータルプロデュースし制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である。
まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。
米津は前年にもNHKのタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしとプロデュースを行っている。
結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。
バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンスを披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴的出来事であった。
おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会で使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。
ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱や伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。
(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)
また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙な塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井がラップ、二宮が上ハモ、松潤が下ハモ、相葉がファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数の素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルなパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。
なぜ米津玄師はカイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体をモチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。
同じくNHKのテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。
これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである。
「地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥を超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナーの冒険心を鼓舞する内容なのだ。
対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である。
さらに面白いのはこのカイトは最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界の一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情を吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。
つまりカイトとは未来に向かって邁進する人間そのものの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。
カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズでカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先からの視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。
人は絶えず不安や孤独に苛まれる瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分を形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイトの手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分がカイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以を垣間見た気がする。
「パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワードが散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調の関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調の同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。
これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。
そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉の意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。
パプリカとピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較的甘味があること等で区別されている。ピーマンが実像の象徴とすれば、パプリカは子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカの花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れない」である。僕の解釈では”パプリカ”もまた子どもや次世代を見守りかつて子どもだった自分に郷愁を寄せる歌である。
よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。
「カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。
「パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。
これに加えて5人組の子役集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。
「カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカ」から託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。
そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます。
様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂のアイドルが抱えるドラマテックな感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。
この物語は徳島の実家から独立しニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。
ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーがコンサートやテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズが存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。
オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループのメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的な人間の感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師が作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンスが米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。
禍福は糾える縄の如しとはよく言ったものだ。
現在28歳、男、独身サラリーマン。箸にも棒にもかからないような平凡な人生を送ってきたが、周囲を見回すと、つくづくと至言の至言たる所以に思いを馳せてしまうことがある。
大学を中退して行方不明になった高校の同級生は起業して成功した。東大に現役で合格した別の同級生は大学院で心を病んでしまった。早くして結婚して子供を作った女の子は2度の離婚を経てシングルマザーとして3人の子を育てている。米国留学を控えていた同僚はコロナで留学がなくなり、現職に見切りをつけて転職しようとしている。
人の噂話をしていると無意識にマウンティングのような目線が入ることがよくあるが、数年もしたら下に見ていた人が天の上に登り、逆に憧れていた人が意外と苦労していたりする。
大学進学で東京に出てきてからはそんな話をより多く聞くようになった。本当に人生というのは、この世というのは、何が起きるかわからないものだ。
アニメや旧劇場版における人類補完計画は、シンジが自らの殻に籠るのではなく他人と傷付き合いながらも人と関わっていくことを選んだことにより崩壊した。
これはシンジが親の庇護から離れて自立していくシンジの成長物語と呼ばれる所以でもある。
そして綾波レイはシンジの母親である碇ユイのクローン的存在である(正確にはクローンではないが便宜上クローン的な存在としておく)。
エヴァの最終話は「父に、ありがとう。母に、さようなら。そして、全ての子供達(チルドレン)に おめでとう」と出てきて終わった。
冬は余裕で積雪が2m越える所だとだけ。大体幼少時代が平成入ったばっかで、中学の時に引っ越した。ぶっちゃけ今もそうな所は結構あると思う。
山(集落)から下りないとスーパーが無い(車で約15分)。コンビニも無い。個人商店は一件ある。唯一の店でよく駄菓子を買ってもらっていた。電車の駅までは車で30分。なので電車に乗る=遠出!というイメージが今もある。ついでにスーパーよりコメリの方が近い。
小学校は複数の学年が一つの教室で授業を受けていた(近辺4つの集落が学区の小学校だったが、全校人数は普通の学校の1クラス分にも満たない)。そして自分の卒業と共に閉校した。中学校へはあまりに遠くてスクールバス通いだった。
また小学校では裏の畑で野菜を育てていたのだが、うまく育たない時は「野菜名人=家の祖父祖母に聞こう!」と言われた。駐在所の子以外の家は全て田んぼや畑を持っていた。習い事するにも町(中心部)の方へ車で行く必要があるため、親に送迎の余裕のなかった自分は良くも悪くも習い事とは無縁だった。
家は薪ストーブがあり、水は井戸水で、便所はくみ取り式だった。豪雪地特有の点として二階にも出入り口があった(自分が生まれて以降にこの出入り口が使われた記憶はないが)。あとほとんどの家に鍵が無い。
秋の稲刈り後、あちこちで籾殻を燻して肥料を作っている。すごく煙い。
冬の除雪車が走る所以外の小さな道は、集落の人でローテーションを組んでかんじきで踏み固めて作っていた。そうしないとまず家から出られない。親が言うには冬でも車で町へ行けるようになったのは昭和50年代らしい。
近所に同じ名字の人がかなりいるのもあってか、基本的に集落の人の事は屋号で言う。個人的に正直覚えるのがめんどい。しかし野菜のおすそ分けなどのために覚える必要はかなりある。特にタケノコは伸びまくると大変なのもあってかめっちゃおすそ分けされてて、未だにほぼタダで手に入るイメージがある。
ITプログラマー女だけど、新人から見ていると、「うまく人に頼れる女子」と「自分でなんとかする女子」に別れる
外見レベルの高い女性は、「わからない」といったら助けて貰えるのでそれが当たり前になっている
「わからない」と聞いても放置される増田タイプの女子は自分で切り抜けるしかない
私は「おまえなんて女扱いしなくていいなw」とか言われたレベルの女子力底辺女だったので、基本助けては貰えず、一人でこつこつと勉強してそこそこの給料と地位を得た
前者の頼れる女子は、みんな出産等で辞めていった。今は素敵な奥さんをしている
私は相変わらず独身で、PMとかしてる(けどプログラマに戻りたい)
彼女たちを可哀想だとは思わないが、こういう女子がイージーモードと言われる所以なんだろうなあ、と。
彼女たちは、小さい頃から「誰かが助けてくれるのが当たり前」なので、それが普通である。でもその代償に、一人でどこかに放置されたら、どうしていいか分からずサバイバル能力はなさそうではある
旦那が酷い奴でも生活能力がないから離婚できない、とか言う人はこのパターンになる。
みんな大嫌い世襲企業(従業員80人ぐらい)で次期社長として働く僕ですが、社長(父親)がじわじわ仕事しなくなって困ってんだよなぁ。
「義務と責任はあなた(僕)、権利とお金は私(社長)」って状況なんだよなぁ。
引退宣言はしないくせに、「まぁ俺はそろそろいなくなるから(笑)(だからそれについてはなにも考えないし判断もしないよ)」とか言いながら早2年。
正直さっさと出てってもらいたいが、株を全部持ってるのは父だし、仕事辞めて家に引きこもってあっさりボケられるのも困るなとか考えてしまう。
社内にいても従業員から見えるところでyahooニュースと新聞を一日中読んでるだけだし、
たまに取引先の営業が来れば「こんな仕事、先行きわからないからもう会社畳もうかな(笑)」とか従業員の前で言っちゃうし、(業績は順調です)
定時前でみんなが仕事してる中、一人でせんべいバリボリ食い出すし。