はてなキーワード: 心理学者とは
今の日本に求められているのって「諦め」だよね
「諦めろ」って言ってくれる人を待ってる作業ように思える
それが正しいことに違いないと思うから、物事の諦め方がわからない
正確に言えば、正しい諦め方がわかりにくい
何かを諦めたからといって、他の全てを諦めなければいけないわけじゃない
でも、多くの人が何か一つを諦めると、自分自身に対する諦めが芽生えるせいか
そこで達観してしまって、色んなことを「非現実的」といって切り捨ててしまう気がするんだ
もしかすると、仏教は正しい諦め方を勧める宗教なのかもしれない
でも、俺たちに必要なのは宗教ではなくて、もっと実践的に諦めるやり方なんじゃないだろうか
経営者やアスリートの本なんかを読むと、意外に彼らが多くを諦めて前に進んでいたことがわかる。
例えば、為末さんは本当は100m走でキャリアを積みたかったけど
五輪でメダル獲得を夢見て(決して花形とはいえない)400mハードルに転向したそうだ。
俺たちは子どもの頃に教わった通りに「諦めずに頑張る」ことを信奉してきたけど
「だぞ」「だろ」「だな」「しろよ」「しとけ」「だろうがよ」「かよ」「すっぞ」「だよな(無意識に仲間の同意を求める)」「じゃね?」「~?(実際には聞いてない。煽る)」「!」「www」など。
「こいつ」「そいつ」「お前」「てめえ」「こいつら」「きさまが」「野郎」「○○なんとか(うろ覚えを装う)」など。
悪ノリやイジリ、煽りに使われる事が多い。「www」「お前ら」「そっ閉じ」「あっ・・・(察し)」「ファッ!?」「モニョる」「火病る」「本当に○○でした。ありがとうございました」などで何か言った気になる。
「マスゴミ」「ネトウヨ」「サヨク」「ブサヨ」「○○厨」「○○信者」「DQN」「キモオタ」「キチガイ」「アスペ」「在日」「反日」「朝鮮人」「ジャップ」「売国」「クソ」「ブサイク」「死ね」「暇人」「ガイジ」「ニワカ」「オワコン」「生理的に無理」「お花畑」「○○ガー」「○○が大量に湧いてるな」など。
「男は~」「女は~」「老害が~」「団塊が」「バブル世代が~」「ゆとりは~」「さとり世代~」「理系は〜」「文系は〜」「左翼は~」「田舎は~」「都会は〜」「東京は〜」「地方出身者は〜」「低学歴が」「コミュ障」「底辺」「低学歴」「 ニワカ」など。またコメントに個別に反論するのではなく、あたかも敵集団の代弁者からのコメントであるかのように大雑把にすりかえて攻撃し始める。「これだから○○は(勝手な○○認定)」「○○信者乙」など。
「○○なやつにかぎって××するんだよな」「どうせ~するんだろ」「裏で○○してそう」「こんどはいつ○○してもおかしくない」「こういう人って○○が××しなかったら△△したって言い出しそう」「すぐに○○するだろ」「○○まったなし!」「こういう○○するやつがいるんだよなあ(実際には○○まではしていない)」「やましいことがあるから反対するんだろ?」「火のないところに煙は立たない」「○○って思ってそうなとこが苦手」「○○は将来的には××するんだろ」「○○才過ぎても××な△△は□□する」「○○『××して何が悪い?』」など。
「はい論破」「○○が××を喝破」「顔真っ赤だな」「涙目」「長文乙」「連投乙」「逃亡」「必死だな」「くやしいのう」「ざまあ」「メシウマ」「笑える」「こういう○○するやつにはなりたくないよな」「ブーメラン」「図星だろ」「頑張って書いた反論がそれかよw」「まだ悪あがき?」「寝言かよ」「くやしけりゃ○○してみろよ」「今頃あわてふためいてるw」「予想通りw」など。
あと付けでネタや冗談やジョークだったと弁解する。「釣りだろ」「今日も大漁」「コピペにマジレスかよ」「ただのジョークだろ」「なにマジレスしちゃってんの?」「マジレスかっこ悪い」「つまんないやつが増えたな」など。
主にメタ視点でけなす。「でもこいつ目立ちたいだけだろ」「売名ウゼー」「かまってちゃんウゼえ」「自己顕示欲」「ここに書き込んでる時点でお察しだな」「ネットに長文書き込むのは馬鹿」「自分のこと賢いって思ってそう…」「ヒマだな」「こんな時間に書き込みしてるって…」「○○が一生懸命考えましたって感じ」「○○代かな?××臭がする」「○○言いたいだけだろ」「最近覚えた○○使ってみたかったのかな?」「コンプレックスの裏返し」「ルサンチマン」「拗らせてるなあ」「同族嫌悪なんだよなあ」「へえ、○○の結果がこれなんだw」「寒い」「うざい」「壮大にすべってる」「粘着きもい」「この人怖い」「コピペかな?」「 コメが絶賛ばっかで気持ち悪い」「こんなのありがたがってんの?」「リアルでは相手にされなさそう」「こういう○○って生きるのがつらそう」など。
明らかにツッコミどころ満載のおかしな発言のため、背景知識がなくても批判できてしまう。そのため質の低い、右ならえのコメントが増えやすい。まとめサイトにとりあげられたり、注目エントリーに入る率が高い。「○○とか、やっぱ頭おかしいな」「こんなのがいるなんてやっぱり○○はクズだな」「まだ○○信者はまだこんなこと言ってるんだなw」「私の知ってる○○は××といってゆずらない。本人は本気でこれを言ってるらしい」「○○な私は普通に生きていく資格もないってことですか?だとしたら悲しすぎます(と言って義憤を煽る)」「一部では○○と主張するやつもいて腹が痛い」など。
「○○は××と発言」「○○は××のとき△△していた」などの直接的なデマのほか、「○○は××ではもう相手にされてないよ」「○○は××ってことで片がついてる」「○○ではもう××はバレてきてるみたい」「○○が通用するのは××だけ」「いまだに○○なんて言ってる人がいて呆れる」など間接的かつ誘導的なデマや印象操作もある。
「やっぱり○○は××にそっくりだわ」「○○と××はつながっている」「○○も××も似たようなものなのにね」「○○は××出身か、どうりで」「○○は××と組んでから凋落の一途」「○○は××の巣窟」「○○の裏には××がいるから」「○○は××に乗っ取られてんじゃないの?」「さすが○○が支持するだけの事はある」など。
「○○のこと?」「○○かな?」「これ何て○○?」「○○定期」「安心しろ○○はもっと××だから」「だからといって○○の評価が上がる事はないけどな」など。
「○○の平常運転」「またこいつらか」「○○撲滅」「○○消毒」「○○は出て行け」「○○の洗脳」「○○に気を許すな」「これですむと思うなよ」「○○くらいで被害者ぶるな」「エセ○○」「○○様はいいご身分ですね」「○○は優遇されている」「震えてろ」「電凸した」「あいつらのやり口」「日本はいつから○○になったんだ?」「○○が反対ってことは××はいいってことだな」など。また反対する集団に関する不幸なニュースを継続的に喜んで取り上げる。
「○○は差別されているからなあ」「○○差別なんてネットじゃいたるところで見るわ」「でも○○は不利益になることは知っておいたほうがいい」「でもやっぱり自分の○○には××させないと思う」「自分は違うけど周りの○○には××に偏見持ってる人はけっこういるな」「本人はよくてもまわりは気にするだろうな」「せめて○○くらいさせてあげないと周りから変に思われる」「○○にもまともな人はいるんだな」「○○人にもいい人はいますね」「○○は××さえなければなあ」「○○みたいなタイプは年長者から可愛がられない」など。
「○○の前に行ったらビビってだまるくせに」「こいつ○○に行ったら速攻フルボッコにされるわ」「じゃあおまえが○○にいってこいよ」「こいつら本物の○○をしらないからいきがってんだろ」「○○つええ」「○○無双w」「本職のおでまし」「やっぱ本物の○○は迫力が違うわ」「ついでに○○もボコボコにしてほしいわ」など。
自分が反対する集団がやったことは口汚く罵るが、同様のことを自分の支持する集団が行った場合には反応せず無視する。または「○○(反対する集団)がすげえ喜んでるな」「○○がよろこんで××ってコメントしそう」「(コメント欄に)○○がおしよせてくるぞ!」などとコメントする。
何が常識かは本人次第で、伝統・文化などの線引きも恣意的。「○○するのが常識」「普通は~」「○○することになっている」「○○も知らないの?」「常識があれば~」「通常なら~」「普通の感覚なら~」「きわめてまっとう」「正論」「○○は伝統」「○○は文化だ」「○○するのが自然」「昔からやってる」「○○はもう古い」「○○は時代の流れにあわなくなった」「日本固有の○○の美風」「○○するのが国際常識」「まだ○○でないのは日本だけ」など。
「○○は諸悪の根源」「○○衰退の犯人××」「○○は無責任」「○○は××なんてどうでもいいと思ってる」「○○は弱いものいじめ」「○○は反対ばかりする」など。発言者の頭の中には該当事例の積み重ねがあるのかもしれないが、判断できる文脈を離れて突然評価が始まる。「○○は××(例1)や△△(例2)をしたから□□だ」などのように例示しない。また具体例をあげていても、飛躍しすぎて誘導的な場合も多数見かける。「××(例1)」をした場合はその「××(例1)」の問題点だけを具体的に指摘したほうが建設的である。
こういう芸風だから、ずっと前からこうだった、この場所ではこうだ、などですませようとする。業界人・事情通風コメント。「○○さんはずっとこういう人でしょ」「前からこうなのしらないの?」「○○界隈じゃこれが普通」「○○じゃみんなこうしてるけど?」「○○はもっと××なんだけどね」「なんで今さら話題になってんの?」「じゃあ○○は当然知ってますよねw」など。
「ほんこれ」「まさにこれ」「それな」「正論」「真理」「これはひどい」「激しく同意」「知ってた」「なにをいまさら」「当たり前のことしか言ってないな」「大したこと言ってなかった」「知ってた速報」など。
「じゃあ一切○○しないんだな」「××っていっても○○ほどひどいわけじゃねーだろ」「××っていっても○○とくらべたらまし」「昔の○○はもっとひどかっただろ、今はまだマシ」「○○は聖人じゃないといけないわけ?」「○○したことない者だけが石を投げなさい」「いちいち○○してたらきりがない」「○○も一枚岩ではない」「純粋な○○なんてない」「○○は××しちゃいけないの?」「じゃあ○○は無駄死にしたっていうのかよ」「ずっと同じ意見のやつなんていない」「とにかく何でも変えればいいというものではない」など。
「ただの揚げ足取り」「失礼な言い方」「めんどくさい奴だな」「頭悪いな」「その言い方は反感買うだけだよ」「そんなこと言ったら何も言えなくなる」「ただ~しただけだろ」「そんなの屁理屈だろ」「理屈ばっかり」「理屈じゃ人は動かない」「いやなら見るな」「議論する気あるの?」「ケンカ売ってんの?」など。
「正義の反対はまた別の正義である」「絶対的なものはない」「十人十色」「どう思おうが個人の自由だろ」「こっちはそう思っただけ」など。相手や対象をくわしく知るための相対主義ではなく、自分だけに都合の良い議論の切り上げに使われる。自分の言い分は聞かせようとするが、自分とは異なる意見を聞こうとはしない。もちろん一方的な議論を第三者が仲裁のために使う場合はこの限りではない。
「○○してはじめて理解できる」「○○になってはじめて××のことが理解できる」「○○するまで××のことは分からない」「本人にしかこの痛みは分からない」「理解者ぶって」「あんたにはわかんないだろう」「わかった気になりやがって」「○○から見える景色は全然違う」など。
「すべからく」「的を得る」「改行が」「漢字ばっかりで固い」「全角数字が」「為に」「する事」「○○が気になって内容が頭に入ってこない」「○○も書けないの?」「日本語でおk」など。
「するつもりはなかった」「(表現が)誤解をまねいた」「真意とはことなる」「○○という認識がなかった」「実際は○○はしたくなかった(が押し切られた)」「○○は××には(心情的には)反対だった」「純粋な気持ち」「こころを入れかえて」など。
善悪の基準を自分では示さないで正当化しようとする。または意図的に議論の焦点をずらして、別の基準に合致しているから問題ないとごまかす。「それのどこが悪いの?」「何が間違ってるのかわからない」「文句があるならわざわざ見るなよ」「こういうの気にしてたらストレスたまりそう」「本人が楽しけりゃそれでいいだろ」「個人の自由だろ」「盛り上がればそれでいいだろ」「外野からはなんとでも言える」「言うだけならは簡単だ」「○○しただけだろ」。
「○○しただけ」「○○を必要としている人がいる」「○○も信じている人がいる」「○○も生きていかなくちゃならない」「生活がかかってる」「○○だってがんばってるんだよ」「○○も一生懸命なんだから」「こっちは本気なんだよ」など。別の立場からも「××しただけ」と言えたり、「××も必要とする人はいる」と言えてしまう。
「違和感がある」「うーん」「むずかしいな」「どうなんだろう」「なんともいえない」「何かモニョる」「ムズムズする」「ほんとあれだな」「スッキリしない」など。
「どっちもどっち」「喧嘩両成敗」「どうでもいいわ」「くだらん」「平和だな」「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!」「選択肢がない」「まともな対立候補がいない」「右も左も同じようなものだな」など。
「これって私だけですか?」「○○は××ってうわさがあるけど本当ですか?」「○○が××な理由を教えてください」「○○は××しかしないなんてズルくないですか?」「○○だってことわかってます?」「(悪口を言ったあとに)これであってる?」など。
主張に理由を書かず字面で自分流に判断してお互いに反発し合う。抽象的な命題に具体例をあげず各自が拡大解釈して収拾がつかなくなる。「なぜ日本人は○○なのか」「なぜ最近の○○はつまらなくなったのか」「○○はもう終わったのか」「○○は日本人に本当に必要なの?」など。
「○○しないと××は崩壊する」「終わりの始まり」「もう○○は終わった」「○○崩壊へのカウントダウン」「○○が××したらヤバくね?」「○○はオワコン」など。
「○○力」「○○脳」「○○化する日本」「○○すぎる××」「マイルドヤンキー」「ダサピンク」など多数。
話し手が勝手にビックリしているニセの新情報。実際は凡庸なものや、つまらないものまで誇張して面白そうに見せる話術。とっさの責任回避にも使われる。「実は…」「びっくりしたんだけど」「あまり知られてないけど」「意外に知られてないのが」「いままで誤解してたんだけど…」「今知ったんだけど」「今気づいたんだけど」「とんでもないことに気づいた」「なんと!」「うわー!」「えーっ!?」「げっ」「~ってマジかよ」「○○マジやばいんだけどマジうける」「えっ、○○って××なの?」「従来の○○にはなかった」「学校では教えていない○○」「○○の隠された真実」「○○の正体とは」。など多数で応用例も広い。この変種に、実力のないエッセイ系マンガでウンザリするほど多用される白目を剥いてビックリした顔がある。
「○○が××した結果wwwwww」「○○に世界から賞賛の嵐」「○○が××した驚きの結果とは?」「○○だった俺が××してたら△△できた」「○○したら人生変わったwww」「こういう○○してるやつwww」「××、○○過ぎワロタwww」「偏差値○○から××合格、驚異の△△とは?」など。
サンプルが適当なランキング。「百年の恋も冷める恋人のひとことベスト10」など。
具体的なアドバイスや、そのつどの感謝ではなく、あいまいな心情主義的フレーズで自分を美化し、これに合致しない相手の言動を牽制しようする。我にはあり、彼にはないという形をとる。これを身につけていないと恥ずかしいと思わせる。「大人になれ」「ガキじゃないんだから」「社会人の一般常識」「まごころ」「日本のこころ」「おもいやりが足りない」「感謝のこころを忘れずに」「おかげさまの気持ちを忘れずに」「にごりのないこころ」「純粋なきもち」「気が利かないやつだ」「おもてなし」「マナー」など。
目的を検討せず、それ自体が目的となってしまっている集団主義の賛美。「力をあわせて」「一致団結」「一体感」「こころを一つに」「みんなでひとつのものを作り上げるよろこび」「声をひとつに」「協力するのはいいことだ」など具体的でない標語で必要のない集団行動まで強要し美化する。
空疎なスローガンやイメージなどで政治を語る。「安心して暮らせる」「人に優しい」「希望の持てる」「安定した社会」「着実な成長」など。
そのほとんどが相手の発言を封じる「だまれ」や、責任回避の「 自分は悪くない」に言い換え可能。議論の切り上げに使われる場合が多い。「自由には責任が伴う」「権利には義務がともなう」「多数決は民主主義の原則」などは抑圧的な「だまれ」に、「日本人はトップは無能で現場は優秀」「自分にも表現の自由はある」「差別と区別はちがう」「戦争は政治の延長だ」などは「 自分は悪くない」に言い換え可能。
例え話のディテールの整合性などに議論の焦点がうつってしまう。インフォグラフィックスにもトピックの理解をかえって妨げるものが多数あるように思われる。
「○○代、既婚子なし。このあいだ同僚が~」「○○生まれ。学生の頃は××で△△していて結構□□していた~」など。「友人が~」「知り合いの~」「マックの女子高生」「戦争帰りの祖父」「姉の描いた絵が見つかった」などの前置きは、伝聞話法でそれらしく聞こえるようにする作り話率高し。または「女だけど~」「男だけど~」「おっさんだけど」「十代だけど」など予防線を張ったり、特別に注目してもらうための意味のない前置き。「○○の俺が○○した結果www」「ちょっと聞いてくれ」「すこし話は長くなるが~」「~で、それが今の嫁なんだ」などもほぼ創作。
周囲との会話やエピソードを使ってネットで注目されるために、本人が見たら嫌であろう事も、評価も含めてくわしく書き込む。「出来ない○○を相手にしている。××だがやる気はなく、何度言っても変わる気はないようだ。結局○○することになるだろう」「○○で××を見かけた」など。注目してもらうために話を盛ったり、創作にはしる場合もある。
いつの時代、どの場所で、どのような発言主の、どんな文脈から得た知見なのかが不明。「外国では~」「アメリカじゃ」「ネイティブは~」「アフリカ人は」「江戸時代の日本人は」「戦前の国民は」「○○人に日本の××を見せたら『△△』だって。日本ってやっぱり□□みたい」など。
「○○くらいは常識で、××がないとこれからはやっていけない」「○○ぐらいで自慢できる時代は終わった」「まだ○○を使ってる人はかわいそう」「まだ○○で消耗しているの?」「○○が大したことないという人は、せめて○○してから文句を言ってほしい」など。
排泄、生殖器、残酷な行為、変態行為などの話題を場所をわきまえないで書き込む。
勝手な病気診断。精神科医(もどき)が個人・社会を印象で語る。俗流心理学者。「なぜ未熟な○○が増えたのか」「大人になれない○○」「○○は狂ってる」「現代社会の病理」「○○を蝕む××」「○○先生案件」「お薬出しときますね」「プリントアウト案件」「人の印象は見た目が○○割」「声が印象の○○割」。「何気ないしぐさでその人の心理がわかっちゃう」など。
具体的な問題解決や実践的なアドバイスではなく、精神主義的な心構えに終始。
「○○ユーザーって××ばっかり」「○○利用者の特徴」などに反応して内輪向けのコメントを残す。
本題とは外れたところでうまい事を言って注目を浴びたいコメントのこと。
本題とは外れたところでうまい事を言って注目を浴びたいコメントのこと。
研究レベルでなくとも、好きレベルであっても自分の感覚を頼りに自分のテーマを探求している人の話のほうが概して面白い。
自分の場合はこういうのが非表示・ブロック・スルー・読まない基準になっている。項目によってはあまり重視しないものもあるが、上記コメントが多い場所には近づかないよう心がけている。たまたま好奇心に負けて引っかかっても、「ああ、またやってる」と素通りすることにしている。雑コメントに時間をとられず、義憤を無駄遣いせず、時間を有効に使いたい。
1890年代、デンマークに数学や音楽の問題に正解の数だけ床を脚で叩いて答える
ハンスという名の馬がいた。当時、高度な知性を持つ馬として一躍有名になり、
クレバー/賢いハンスと呼ばれていた。
ところがその後、これにはトリックがあり、馬自身が問題を解いていた訳ではなかった
ことがわかり、超常的な力を持つ馬という伝説は覆された。
心理学者が調査した結果、ハンスは、質問と答えを知っている現場の人間の動きを見て
答えを出していたことがわかった。ハンスは質問者が問題を出すと、とりあえず
床を叩き始める。そして、正解の数に差し掛かると、答えを知っている質問者は「ここで
終わりだ」とか「終わってほしい」といった期待(予期意向=予め期待した意向)のあまり
無意識のうちに体のどこかをわずかに動かしてしまう(不覚筋動という現象)のだそうだ。
ハンスはその微細な筋肉の動きを捉えて正解を得ていたのだという。
たとえば、世間的に「まあ可哀そうに」といった話題でも、自分は「ぷぷ、ざまぁ」と思うことだって、世の中の殆どの連中が感じていることだろう(サンプル母集団は私の周りと匿名ネット)。そう感じたいきさつを探れば、実はその話題に矛盾やうさんくささを感じていたり(2○時間テレビの類とか)、もしくは自分自身を理不尽に攻撃してきた奴と顔や声がそっくりだったりね。
感情って、それにじっくり浸って味わってみることだけで、解消されるんだよね。と、心理学者から聞いたことがある。
あと、とある性格テスト(職業テスト)で、「君はそもそも仕事に人格が向いていない」とかいった趣旨の結果が返ってきたことがあるのだけど、別のところのテストを受けてみたら絶賛された。ぺらぺらおしゃべりな奴は敬遠される社風の会社や職業だってたくさんあるし、世界にはデブのほうがモテモテの社会もあるし、適材適所だよ。
関連事項として、コミュ力どうの、とうるさい求人を出している会社は、避けたほうがいいね。その会社自身の現在のコミュ力が低いからコミュ力高い人を求人しているのよ。会話以前に社会的スキルの低い(=常識がないという意味)連中ばっかりで面倒くさいぜ。
「ファスト&スロー」という本に出てきた、著者自ら指揮をとった失敗プロジェクトの事例が大変面白かったのでまとめてみた。
著者はイスラエル出身のユダヤ人であるダニエル・カーネマンという心理学者・行動経済学者。
本の執筆はソフトウェア開発プロジェクトに似ていると思っていたが、改めてそう感じた。
(以下本文)
著者はイスラエル教育省の役人に、判断と意思決定に関する高校生向けの授業を行う必要性を認めさせ、カリキュラム作成・教科書執筆プロジェクトのチームを結成した。チームは信頼できるメンバーで結成し、当時ヘブライ大学教育職大学院の院長をしていたカリキュラム作成の専門家セイモア氏にも加わってもらった。
プロジェクトは毎週金曜日の午後に集まって進められ、1年間順調に進んだ。
ある時著者は「このプロジェクトがいつ終わるかを皆で予想する」という試みを思いつき、実行してみることにした。
予想の精度を高めるため、各自は他のメンバーの意見を見ずに予想してもらうようにした。
結果は、短いものは1年半、長いものは2年半後に終わるという予想であった。
その時著者はまた思いつき、専門家であるセイモア氏に「今までに似たようなチームが似たようなプロジェクトに取り組むのを見たことがあるか」と尋ねてみた。
セイモア氏はいくつも見てきており、よく知っているとのことだった。
そこで著者はさらに質問した。「今までの事例だと、今の私達のプロジェクトと同程度の段階から完成まで何年ぐらいかかりましたか」
セイモア氏はしばらく黙ってから答えたが、頬は紅潮しており、自分の答えに困惑しているようだった。
「このことには全く気づいていなかったのだが、正直に言うと、すべてのプロジェクトが完了したわけではなく、かなりのチームは完成に至らなかった」
著者は失敗する可能性など考えてもいなかったので不安が募った。
どれぐらいの割合が失敗に終わったのかと尋ねると、およそ40%という返事だった。部屋中に重苦しい雰囲気が立ち込めた。
次に、完成したチームは何年ぐらいかかったかと尋ねたところ、「7年以下で終わったチームは無かったが、10年以上かかったチームもなかった」との答えだった。
著者は藁をも掴む思いで「このチームのスキルやリソースは今まで見てきたチームと比べてどうか」と尋ねたところ、セイモア氏は「我々は平均以下だ。だが、大幅に下回っているわけでもない」と答えた。
全員にとって驚天動地の出来事だった。全員というのはセイモアも含めてである。彼自身の予想も2年半以内の範囲に収まっていたからだ。
著者はその日でプロジェクトを打ち切りにすべきだった(40%の確率で失敗するプロジェクトにさらに6年も費やす気はどのメンバーもさらさら無かった)が、数分間議論したのち、我々はこの事実を見なかったことにして進めることにした。
最終的に教科書は8年後に完成したが、著者はその時にはすでにチームを離れていた。教育省の役人の熱もすっかり冷めており、教科書は一度も使われずにお蔵入りとなった。
言葉としては、知識としては、知っているのだが、実際に、どういうことなのかが、良く分からない。
去年の秋、半年ぐらい前に、
「あなたにとってのコミュニケーションとは、どんなものですか?」
と、聞かれた。
何を答えたか、忘れたが、何かを答えたはずだ。
普段から、コミュ障だと感じて、悩んでいるが、これが、コミュニケーションだということについては、40年も生きてきて、未だに良く分かっていない。
コミュニケーションって本当になんだろうか。
自分は、20歳の頃から、心理学者の人のエッセイを読んで、同情とか寂しいとか、感じてしまうのは、良くない、って感じていた。
本来は、愛とは、与えるものだと、いうことで、寂しさを紛らわすためにレベルの低いことで、時間を費やすな、ということだろう。
それ以来、自分は、自分に同情されたい気持ちや、寂しい気持ちを封じ込めてきたように思う。
(実際は、本当の幼児性を残した自分を受け容れて貰えなかったら、更に、傷ついてしまうので、自分を表現するのを止めたのかも知れないと今更ながらに、思う)
さすがに、「死にたい」とか「会社辞めたい」とか「働きたくない」とか「憎いアイツを殺したい」なんて、生々しい感情は、自覚できる。
くだんの臨床心理士の人に、3ヶ月ほど前に「死にたいです」「死にたい気分になりました」と話した。
すると、死にたいと言うことは、同情されたいということでしょう。
それならば、
「同情されたいって気持ちがあるならば、同情されるにふさわしいような表現を(他人に)して下さい」というようなことを、その後、言われた。
自分の欲求を素直に認めて、相手に受け容れられやすい言葉や表情で、気持ちを表現するということなんだろう。
理屈としては、なんとなく、分かる。
でも、なんか、そんなに、自分は器用ではなくて、
微妙な、気分の変化だとか、なんか、まだ、良く自分でも自分をつかみきれていない。
自分に対する知識や自分の気持ちを尊重する姿勢が薄いから、未だに、良く分からないのかも。。
精神科医といっても、香山某ではない。マンガ家のほうである。
まずはこのツイートをご覧いただきたい。
https://twitter.com/sinrinet/status/602960511290904576
で、全体はこちら。
http://yusb.net/man/785.html
2013/5/3ということで二年前に描いたもののようだ。
まず健康的な習慣云々については、
「成功しているからこそ健康的な習慣を持てる」
というパターンではないか問う必要が本来あるところだが、
まあ論文のほうで検討されてないとも限らないので、
原典に当たっていない以上はあまりやいのやいの言うのは避ける。
問題は、ツイートで引用されたあたりのあれこれである。
彼のツイートの主張はこうだ:
「天才と凡人の差は「やる時間」だけ」
これを述べるために、ドイツの心理学者の調査を引いている。
紹介された限りでの調査内容はこうだ:
『音楽アカデミー所属のプロのピアニスト』と『アマチュアのピアニスト』を対象とし、
『普段の生活にどのような差があるか』を比較した。
結果、大きな差は『練習時間がプロのほうが10倍長い』ことのみであった。
(プロは週33時間、アマは週3時間)
さて、これから上述の主張を導くことは正しいだろうか。
まあ、全く正しくない、というのが私の意見なのはタイトル見ても分かるだろうが。
・アマチュアとはどういう存在か
プロではない。プロではないということは、ピアノで生計を立てていない。
週30時間、アマチュアは何をしているのか。他の仕事かなにかではないのか?
この調査は、「プロを目指していた時は毎週33時間練習していたが断念して他をメインにしている」
とかいうのを排除できる調査なのだろうか。
今でもプロ目指してて週3時間ということはさすがにないと思うのだが。
・『天才』とプロを同じものとして扱うのは適切か
プロは一般のアマチュアより演奏技術が一段優れている、ぐらいまではまあ前提としてよいだろう。
だが、プロの全員が全員天才だという認識を一般に持たれているか、というとそうではあるまい。
いわゆる天才はみんな努力の産物なんだ、ということを示す際に、プロは努力量が多い、とか言い出すのは不適当だ。
・普段の生活の差は才能の有無にかかわらない
普段の生活で示せるのは普段の生活がどうかであって、
普段の生活に大きな差があったとして、
それはその差が影響しているかもしれないことを示唆しても、
才能というものの存在を否定しない。
・プロは多く練習する、は練習時間が多いからうまい、を特に意味しない
かもしれない、という可能性を示唆するものではあるが、
プロであるから練習時間を長く取るべきだったり、単純に取れるから練習しているが、
それが技術の上達につながっているかどうかはこの調査からは明らかでない。
ざっと上げてもこんなものである。
天才というものが存在するとして、天才だから努力しなくていいか、というともちろんそうではあるまい。
天才でなくとも、努力を積み重ねることによってそれを生業とできる、ということもあろう。
だが、こんな雑な論理で才能なんてない、ひゃー、とか言ってしまうのは問題だ。非常に。
プロとしての書き物として認知され、このシリーズは教科書にもなっているわけで、ますます。
//
とか書いてたらTLに何か流れてきた。
https://twitter.com/msugaya/status/602997088226549760
リンク先を見ても、
「最低10年間は集中した日々の練習が必要」という趣旨はあっても、
才能は時間の差にすぎない、ということを言うような例は挙げられていないのだが。
才能は時間の差にすぎない、ならば、同じ時間を積めば同じようにできるということになる。
そういう趣旨のことは何も書いてないよね?
まあ、精神科医がはまるなら他の人が同じ罠に落ちても仕方ないが。
この人の影響力も大きそうだしついでなので書いておく。
☆モラトリアムとは
・学生など社会に出て一人前の人間となる事を猶予されている状態を指す。心理学者エリク・H・エリクソンによって心理学に導入された概念で、本来は、大人になるために必要で、社会的にも認められた猶予期間を指す。
・日本では、小此木啓吾の『モラトリアム人間の時代』(1978年(昭和53年))等の影響で、社会的に認められた期間を徒過したにもかかわらず猶予を求める状態を指して否定的意味で用いられることが多い。
・"moratorium"の語源は、ラテン語の "mora"-遅延,"morari"-遅延する である。
(Wikipediaより)
後れることなく大学まで進学し卒業した同年齢の人々は、明日から新社会人となるそうだ。
私は、彼らに対して大きな隔たりを感じる。
私は進学を自分で決めたにもかかわらず、新社会人となる彼らに数年の後れをとってしまっている。
それも、特に理由があったわけではない。同じような人間に囲まれて、ただ時間を過ごしただけだ。
高校を卒業して暫くの間、なんとなく自分が大学でやっていけるかどうか、漠然とした不安は抱えていた。
ところが、大学に入ってみて今に至るまで、ほとんど不自由していない。
孤立が根深い日本社会の一部とはおよそ考えられぬ程度には交友が広がり、特に不満もない。
―私の過ごした「モラトリアム」は、一体何だったんだろう
無為に過ごした時間は返ってこないが、せめて人並みになれるよう努力せねばならない。
卒業、おめでとう。
自分の夢には色がついてるって人は、自分が色彩感覚あるって思いたいだけで実際は色なんてついてない。
色どころか夢では映像もない。
↑ネットでこういうことを度々言ってるけど、まったく同意されないし、それどころか感情的に煽ってくるような人ばっかりなんだな。
↓こういうの見ると、やっぱ自分のほうが正しいとしか思えないわ。こんな曖昧な映像の記憶でそんな鮮明な映像を脳内で再生できるわけないし。夢はモヤモヤした概念的なもので、テレビを見るみたいに映像がついてるってのは夢から覚めたあとに自分で補完してるだけだわ。
Appleロゴ、正しく描ける? 心理学者がテスト 85人中、正解はたった1人
http://image.itmedia.co.jp/news/articles/1503/31/l_sk_applelogo_01.jpg
心理学者や社会学者のオバサンには向かわない。あくまで若い女に救ってほしい。
しかし若い女も若い男と同様に苦しんでいて、誰かに救ってほしいと思っている。
だから「無償で救ってくれ~セックスもさせろ~」とゾンビのように寄ってくる若い男の手を振り払い、オッサンに向かう。
全てのオッサンがモテるわけではない。貧乏で精神病のオッサンは気持ち悪いだけである。
あくまでオッサンの見た目はマイナスだ。人を救えるだけの金銭的・精神的ゆとりがモテているのだ。
ゆとりのあるオッサンと、救ってほしい若い女とでは、お互いにとって利がある。
「若い身体」と「カウンセリング」を交換しているのだ。両方、金で買おうと思えば高額だ。
ゆとりのあるオッサン側が、若い女の身体や、いつも同じパターンになる会話に飽きたり、
救ってほしい若い女側の目が覚めて「この人、神様じゃなくただのオッサンだった」と気づけば、
お互いにとって利がある状態はなくなり、関係も解消される。
呆れるのは、自分のことでいっぱいいっぱいの苦しみの最中にいる若い女に対して、
「救ってくれ」とすがりつき、手を振り払われて若い女を憎悪する若い男である。
彼らは若い女に「若い身体」と「カウンセリング」をセットで無償提供することを強要する。
なぜかそれが得られることを当然の権利と思っており、得られないと女を憎悪し始める。
若い男は本当に意味不明な存在で、してもらえることが当然と思っている。
「返報性の原理」という、人から何かしてもらったときに何かお返しをしたくなる心理があるが、
これを持ち合わせている若い女は多いのに、若い男だとまるで居ない。
友達が一人も居ない人間も、女より男に多い。これは「返報性の原理」が働かない人間が男に多いからだと思う。
親に用意された最適な環境しか知らないから、他人の労力があってのその環境だということに気付かず、
「お返しをしないと」という心持にもならない。だから同性の友人からも「なんだアイツ…」と思われ、
「アイツとは共同作業をしたくない」となり、距離を置かれていく。
そして孤独と貧困に苛まれるようになり、全てをリア充・女・韓国人・団塊などの責任にして憎む。
若い男にも若い女にも言いたいのは、他人に恋愛とカウンセリングをセットで無償提供してもらえることを期待するのをやめろということだ。
「セットで無償提供」を期待している若い女は、身体目当てでカウンセリングしてくるオッサンやナンパ師にハマるし、
「セットで無償提供」を期待している若い男は、若い女に気持ち悪がられて蛇蝎のごとく扱われ、精神病がどんどん悪化する。
カウンセリングに金を払え。恋愛は、精神の問題が解決してからにしろ。
精神の問題を無料で解決してくれる素敵な異性が、自分だけにプッシュで来るなどとは思うな。
待つ女にはろくでなしがやってくる。待つ男には誰もやってこない。
追記:
kash06 だが思うに、与えられた事のない人が、与えるだけの余力を捻出するのはどうあっても難しい。…敢えて言えば、神は先に与えて下さった「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう」(使徒行伝3:6)
「与えられた事のない人」は存在しない。
人は魚類などとは違って、自力で育つことは出来ない。人の手助けが無いと、たちまち死体になってしまう。
ではなぜ「与えられた事がないと感じている人」が数多く存在するのか。
その理由は、人に与える経験をしないと、人に与えられていることに気づかないからである。
飲食業のバイトを経験した者が、客として飲食店を利用したときスタッフに丁寧に接するように。
飲み会の幹事を経験した者が、もてなされる側になったときに幹事に感謝の気持ちを持てるように。
旅行のセッティングを経験した者が、もてなされる側になったときに感謝の気持ちを持てるように。
子育てを経験した者が、親がどれだけの労力をかけて乳児だった頃の自分を育てたか知るように。
人に何かを与えた経験が、与えられた環境への具体的な気付きをもたらす。気付けるから感謝が可能になるのだ。
感謝をしないのは、与えられたことが無いからではなく、与えたことが無いからだ。
与えたことが無い人間は、開発に無茶振りをする無知な営業のようだ。
開発にかかる具体的な労力を知らないから、労力を極度に低く見積もるし、出来にケチをつけるばかりで感謝が無い。
「与えられた事がない」と感じるのは、与える能力が無いからなのかもしれない。
以前、医師免許も持っていない、医学部も卒業していない、更に心理学を勉強した事も無いバブル世代の男に障害者「認定()」を受けた事がある。(勿論、一方的に。認定と言うより勝手な「断定」、或いは「決めつけ」だが。)
ソイツが言う(「診断」?)には俺は「学習障害」だか「ADHD」らしい。
何やら子供が障害児らしく、更に宅配八百屋の一人社長をやっている。
その会社(?)のやっている店に一応「バイト」として「店番がいないので手伝ってくれ。」と言う事で仕事を始めた。つまり「依頼」の形。
「バイト」として「週に三日程度、8時間か或いは暇な時はそれより短く働く。」と言う事で入った。
まぁ、俺も勉強しながらできるバイトは探していたから、「丁度いいかな。」とは思って話を聞きに行った。
(その時気付いていればよかったが、雇用契約を結んでいない。「書面」にて「明示」もされていない。今考えれば明らかな労働基準法違反。)
俺が来る前から人が一人(年にして50~60代ぐらい?)の男が働いていた。(その人も雇われていたのかどうか解らない。どうやら知り合いらしい。)
暫くして二・三週間経つと、前から入っているその人が社長は気に入らなかったらしく、追い出す為に色々工作し、暫くして結局途中で追い出した。
勿論、その人がやっていた仕事は俺に降りかかってきたし、更にそれ以上の仕事を押し付けられた。
余りにも業務量が増え始め、自分のこなせる量を超える事を見込んでいたので俺の友人を呼んだ。(その友人は当時時間が空いていたので俺が呼んだ。)
途中経過長くなるから端折ると、元々そいつが始めた仕事なのに時間経過と共に俺が肩代わりして、更に余計な仕事まで被せて来る始末。
結果、半年後は12時間以上働いて睡眠時間も5時間を切っていた。
(更に更に、給料は月3万円と言う状況。笑うしかない。経費も出し渋って俺に負担させる事もあった。)
元々その社長一人だけでやっている仕事なので、ソイツが仕事をしなくなるとソイツが元々やっていた仕事と更に途中から無理矢理作り出した仕事が数人分の仕事が俺だけに集中する。と言うか押し付けられていた。(本人もそう自慢していた。「俺の仕事はコイツにドンドン押し付けちゃってるからw」と薄ら笑いを浮かべながら。)
「有限」を名乗っていたが、形態は個人事業主とまったく同じ。そいつ以外に従業員がいない。特に、俺が来る前は。
そして、滅茶苦茶忙しかった時に偶々ミスが重なった。(しかもそれは俺のミスではなく、業者のミス。)
特に仕事のやり方が雑で余りにも酷い状況だったのを、俺が丁寧に進めようとしても後から後からねじ込んでくる為に追いつかない。更にその後からねじ込んでくる仕事さえも雑で、常に俺がケツを拭っている状況。
やる事が増えるのでそもそも処理が遅くなる。
更に俺一人しか仕事をしていないのでミスも以前よりは増える。更に一日3時間近く社長が密室で一方的に誹謗中傷の「ぱわーはらすめんと」を始めるのでストレスも溜まる一方。
とにかくやらなきゃいけない事が多く、しかも自分は何もしないくせに常に「早くしろ早くしろ」「結果が全てだ。結果を出せ。」と要求してくるのでストレスがかなり溜まっていた。(勿論、本人は何の結果も出していない時にだ。そして言い方が本当に傲慢で、それ以上に人を怒らせるような事を平気で言う。)
更には途中でそいつが独断で勝手に作ったダンス教室なるものを「無償で」、「ボランティア」として手伝わされ、講師との折り合いが上手く行かない為に俺に責任を擦り付けられ、更にそのケツ拭いもしなければならなかった。
「折り合いが上手く行かない。」と言うかソイツの独善で始めたものだし、状況からして効果が即時的に現われるわけがない様な事について一人で勝手に焦って結果が出ていない事に癇癪を起こしていた。精神構造が幼稚園児並み。 自分でやり始めた事なのに、上手く行かないから癇癪を起こし、八つ当たりすると言う正に子供の考え方。
ダンス教室参加者の保護者から文句も出ていたようだが当たり前だ。あんな計画性のない衝動的に始めたイベントが長続きする筈も無いし、望む結果が得られるわけが無い。更に必要な時間さえ投資していない。
(「時間を投資する。」と言っても恐らく本人は理解できないだろうが。)
保護者からの不満は本人に行く。本人が始めた事なのだらから当たり前の話ではあるのだが、しかし最悪な事にソイツは終始責任転嫁をするので責任だけを俺一人に横流ししてくる。
因みに俺の事を「管理者」と言いながら指示だけはソイツが出す。俺が独断で決定すれば頭ごなしに全部否定し、覆す。
単なる名ばかり管理者と言うやつ。ブラック企業に多い対応の仕方だ。
勿論、八つ当たりもこっちに来る。
そしてある日突然、「お前は障害だ!ADHDだ!俺は知り合いに心理学の医者がいる!お前は障害の特徴を持っているから障害者だ!お前は異常だ!医者に診てもらえ!」と言われた事がある。(「お前の知り合いが心理学者でもお前は心理学者じゃないだろ。大体、学んだ事もないだろ。何故他人の権威を利用しようとするのだ。」と言う話なのだが、当人は頭が悪すぎて理解していない。)
勿論、怒りを通り越して呆れた。
本当に「閉口」。
呆れすぎて言葉が出てこなかった。
普通の人がそんな事見ず知らずの人に言われたら、「何言ってんだこいつ?」であしらわれて終わり。
「よく資格も知識も無い人間がそんな事を判断できるな。」とある意味感心した。
この人は誰も相手にされない可哀想な人なんだと悟り始めていたから受け流しておいたが、今考えれば単なる誹謗中傷に過ぎなかった。
ただ、その時は本当に呆れて言い返す気力も無かった。
まぁ、仮に俺が学習障害だかADHDだとしよう。(医者から診断下された事など一度も無いけどな。勿論、職場の人間にそれを疑われた事もない。)
ならば証拠を出してくれ。
例えば、定義的に俺はとっくに成人した「大人」であるから、「大人のADHDの主な症状」を調べてみようか?
https://www.adhd.co.jp/about/symptom_adult/default.aspx
ここのウェブサイトで調べてみると、
場面ごとのADHDの症状
・会議中あるいは仕事中(授業中あるいは勉強中)に落ち着かず、そわそわしてしまう
・貧乏ゆすりや机を指先で叩くなどのくせがやめられない
:どんな場でも「そわそわ」した事はないし、以前働いていた職場では「何でそんなに落ち着いてるの?」とむしろ疑問に思われたぐらいだ。当てはまらないだろう。また、それは違う職場でも同じ事を指摘されたので、恐らく客観的基準になるだろう。
その仕事では余りにも社長が傲慢だったので怒りを我慢していた事は沢山ある。怒りを我慢して仕事を進める事が精一杯だった事はある。その所為でイライラしてはいた。多分、それをソワソワしている事と勘違いしたのだろう。
更にマニュアルもない上に記録もない、下手糞で不十分な情報の口頭説明だけで仕事を進めていた上にソイツが思った通りに仕事を進めないと気に入らないからそう勘違いしたのかもしれない。
「貧乏ゆすり」については俺がむしろ気になるし、個人的に貧乏揺すりをしている人間が嫌いなので自らやる事は無い。
貧乏揺すりをしてたのはソイツだったし、常に落ち着きが無い。
話をしていてもチック症状のような顔を拭くような仕草や体をユラユラ揺らす行為、或いは偉そうに腕を組んでみたり解いてみたりまた組んでみたりと、とにかく落ち着きが無かった。
:まぁ、会議中必要な事以外あまり喋らないので当てはまらない。
と言うよりむしろこれもソイツの方が当てはまる。
不用意と言うか人の気持ちを汲まないで失礼な発言をする事は多いし、独断で全て決めている。
まぁ、本人はあくまでも「相談してるじゃねえか!」と怒鳴り散らしているが。
とにかく礼を弁えない事は目に付いた。誰に対しても無礼。
仲間に対してアンポンタンだのガイコツだの貧困者だの色々罵ってたなぁ、、、しかも時には本人の目の前で。俺もそれについて閉口した事は多かったが極力受け流していた。
尚且つ世間一般とはかけ離れた「俺様ルール」があるらしく、それを他人に強要する事も多かった。
:これは会議中に平気で携帯電話を出ているソイツの方が当てはまる。
物を無くす事も多かったように記憶しているが、当の本人は気付いて無い。
「無くすから持たない。」とも本人は豪語していたし。(でも実際は色々な物を無くしていた。俺は気付いていたがイチイチ言わなかった。本人が気付いていないだけ。)
ソイツは締め切りを自分で作るが、「その仕事」を実際にさせるのは他人。つまり押し付ける。そして間に合わなくなりそうになるとその人間に対して癇癪を起こす。勿論、関係ない人間まで怒鳴ったり脅したりして使っていた。
(まぁ、使わされていた人間達も金銭関係に疎い奴らだったから、脅されるがままに色々やっていたが。)
ソイツの方が仕事を最後まで終える事があまり無い。むしろ俺が処理している。俺に関係ない事は妻や知り合いや取引先。そして何度も言うが本人は仕事を終えた気になっているだけで終わっていない。
ソイツは「ケアレスミスはしない。」と言うが、他人が何度もカバーしているから本人が気付いていないだけ。そして言った事を忘れている。何故なら記録を残さないから。自ら記録を残さない事を自慢していた。
更に見ていくと、
家庭では、
俺がそうなった事は殆ど無い。むしろ二つ以上の事を常に同時進行している時が多い。勿論、同時に終らせる。と言うか一般的な人間なら当たり前の話だが?
アスペルガー症候群やらの発達障害はマルチタスクできないようだがな。
それを言って「別の事に気を取られやすい。」と言った症状を指摘しているんだろう。
ソイツの家の中での行動は見ていないので知らないが、運転中に携帯電話に答えながら運転が疎かになっていた事はある。事故寸前の事は隣に乗っていると良く解る。
とにかく喋る事に夢中になって周りが見えなくなる事はあった。俺ではなくソイツ自身が。
途中から気付くだろうが、特徴からすればソイツがADHDである事が解る。
面倒だから残りは全部纏めて見てみると、
言いたいことを我慢してイライラする
部屋が片付けられない
外出の準備がいつも間に合わない
金銭の管理が苦手
おしゃべりを始めると止まらない
ささいなことでもつい叱責してしまう
人の話を集中して聞けない
俺に当てはまると言うよりも、むしろソイツに全部当てはまる。
衝動買いは多いと本人が言っていた。俺は絶対に衝動買いをしない。計画的に買う。(つーか、衝動買いとかカネ勿体無いし、馬鹿っぽいから嫌だ。むしろ俺の場合、買い渋る事は多い。)
言いたい事を我慢してイライラしている事は多かった。暫くして癇癪を起こしていた。で、結局暫くしたらどんなに失礼な事でも相手にそのまま言っていた。ソイツの非礼は多数目にした。
部屋は見た事がないので知らない。が、店舗や車の中は自分で弄くって汚しているくせに俺に整理や掃除を強要してきた事は多かった。とにかく整理が出来ない人間だった。車の中などソイツの車内はゴミだらけ。整理もされていない。(俺に対して「お前は整理が出来ない人間だ。」と言っていたが、傍から見れば本人が一番整理能力がない。そしてそれに気付いていないと言う酷さ。)
外出の準備云々は知らない。そんな他人の事知りたくも無い。
家事はどうか知らんが業務は本当に非効率的だった。俺が効率的に出来るよう直そうとすると極端に嫌がってまた癇癪を起こしていた。(正直、途中から手に負えないとは気付いていたので無視していたが。)
金銭の管理は苦手だったようだ。ミスがあっても全部俺に擦り付けていた。とにかく計算事が苦手なようだ。(まぁ、学校をマトモに行った事が無いのだからしょうがない。別に誹謗ではなく、本人が学校行かない事を自慢していたのだから事実であろう。)
経理を一番嫌っていた。自分の会社の経理なのに俺に押し付けていたぐらいだからな。始めそんな約束はしなかった。書面に残っていないので水掛け論になってしまうが経理の仕事をやると言う約束はしなかった。
「おしゃべりを始めると止まらない。」は本当にそう。話に夢中になって周りが見えていない事がかなりの場面で見受けられた。特に運転中の携帯電話は見てて危ないと思った。
こっちは何も聞いていないのに、仕事中一方的に自分の事ばかり喋っていた。しかも一日中。
途中から辟易して聞流していたが、それでも止まらなかったな。今考えると異常だ。
略したけど全部ソイツに当てはまる。
なんとまぁ皮肉な事か。
http://adhd.nerim.info/check-2013021501.html
ADHD診断
あてはまる症状が多い場合、ADHDである可能性があるといえます。
多動性・衝動性の症状
じっとしていられない。手足をよく動かす。座っていてもモジモジする。
落ち着きがなく、動き回る。
集団行動している時など声が大きい、うるさい。
順番を待ったり、行列に並ぶのが苦手。
計画をいくつも立てるが、なにも完成しない。
人の話をさえぎって話す。
思ったことをパッと発言する。
せっかちである。
退屈に耐えられない。
目先の誘惑にすぐ負ける。
不注意の症状
集中力がない。
話をしてもぼーっとして聞いてないように見える。
よく物をなくす。
用事を先送りし、やり残しの仕事が増える。
本当に殆どソイツの特徴と当てはまる。
よく、「アイツは我慢が出来ない。」と他人の事をいつも悪く言っていたが、本人が一番我慢できていないと言う皮肉。
根気の要る作業は本当に嫌がって逃げてたなぁ。で、結局俺が全部我慢してやってた。或いは知り合いに押し付けていた。
★先日大分県で小学生+幼稚園児が犬に噛まれた事故があったが。
この事件について、
「あんな大人そうで尻尾を振っている犬が小学生を襲う訳がない、小学生が犬にちょっかい出したからに違いない」
というバカツイートしたり、2ちゃんでコメントしている人がいる。
・・・どうして、犬を飼っている人は、「犬は100%正しい」という犬原理主義に陥るのか?
★断片的な報道内容を突き合わせると、
「幼稚園児と犬が、たまたま曲がり角で鉢合わせになり、互いにビックリした。
子供は逃げ、それを見て興奮した犬が幼稚園児を襲い、曲がり角に来た他の子供たちも襲った」という状況と推察される。
「子供が犬にちょっかいを出した」という事実は、全く確認されていないのに、
「犬が100%正しい」な人は、「子供が悪いに違いない」と事実を捻じ曲げる。
★実は、「集団登校児童が犬に襲われる」な事故は散発していて、春にも香川県で発生してる。
動物心理学的に「犬は複数児童を襲う習性がある」んじゃないか、とも思う。
小学校では「ヒトの不審者対策教育」をやってるが、それと同様に「犬に襲われた場合の対処法教育」を小学校で行う必要があるんじゃないか?
犬という動物は、児童が逃げると、逆に本能的に追いかけてくる。
犬による児童咬傷事故が不定期に発生するのだから、動物心理学者は「なぜ、犬は児童を咬もうとするのか」、もっと犬心理を本格的に研究すべきじゃないか?
★大分の咬傷事故犬を見て、「なぜあんなにかわいい中型犬が!!」「殺処分しないで!!!」的なツイートが多数だが、
大人の目から「中型犬」に見える犬は、それはつまり「子供の目から見たら大型犬・猛獣」ということ。
逆に犬から見れば、ヒトの大人は「敵わない相手」だが、ヒトの子供は「獲物として手頃なサイズ」と捉えられるから、
獲物狩猟の本能が呼び覚まされ、そのままオオカミのように子供を襲う。
子供が「犬に怯える行動を取ればとるほど」、犬側の本能が掻き立てられてしまう悪循環。
犬による咬傷事故って、対大人事故より、対子供事故の方が多かったりしないか?
・・・犬に年当たり10万円の犬税を課税したら、税収1兆円が見込めるな。
元々犬を飼うような「生活に余裕がある世帯」だから、税金を課すのに支障なし。
因みに、犬には狂犬病ワクチンが義務づけられてるが、ワクチン接種してない「ヤミ飼育犬」は割といるらしい。
ドッグフードの売上高から逆算すると、ワクチン接種犬の数以上の犬がいる筈とのこと
★自分は犬の飼い主は喫煙者と同類と思っている。いずれも社会に迷惑掛けている。
いや、喫煙者の方が、「自分は社会に迷惑掛けている」の自意識があり、節度ある行動してるだけマシ。
タバコのポイ捨ては街であまり見かけなくなったが、犬のフンは相変わらず見かける。喫煙者の方がマシ
「子供を咬んだ犬は悪くない!むやみに近づいた子供が悪い!」って、
喫煙者で言えば「タバコの火に近づいた子供が悪い!」と言ってるようなもの。今時そんな暴言吐く喫煙者はいない。
犬のワクチン接種率を見ても、「犬好きな人に、悪い人がいない」と犬好きが力説するのは犬嘘、いや大嘘とわかる。
なんか「ラガーマンに悪い人はいない」と言われるのと一緒。旺盛なラガーマンは女性を襲う
★究極の犬原理主義者で、「狂犬病ワクチン接種は不要!狂犬病は怖くない」とトンデモ暴言吐いてるアホがいたなあ。
http://www.cyzo.com/mixifeed/2010/04/15050.html
の佐上某とか。
昨日から増田を始めてみたが、17もブクマがついて驚いている。
ただの日記だが、心理学者の河合隼雄氏が言うように「抽象的な研究成果より、個別の事例報告の方が面白いし役立つ。」のかもしれない。
しかしあくまでも自分のために書いているので、読みにくい点については申し訳ないです。
昨日よりも1時間早い。
しかし今日は温めたご飯の塊が大きかったため、お茶漬けを食べるのに1時間以上かかった。
我ながら、この食の遅さにはガッカリする。
その後、外を散歩。
今日は曇っていたが、さすがに正午になるので少し汗ばむ。
20分も歩くと、随分と頭がハッキリしてくる。
20代の頃は、よく「今日のテーマ」なるものを設定して生きていた。
最近は忘れていたが、試しに復活させてみようかと思った。
「昨日を踏まえて生きる。」
つまり、昨日の生き方をさらにブラッシュアップして生きてみるということだ。
なるほど、今日はそんな感じのことを思いながら生きてみようか。
そのままコンビニに寄り、アップロードしておいたWiMAXのお試し申込書を印刷する。
帰ってからそれを記入し、再度コンビニに行きポストへ投函した。
そして昨日と同じくアイスコーヒーを飲みながら電子書籍を読む。
iPhoneアプリのKindleは、手軽なのは良いがちょっと目がつかれる。
ちょうどKindleペーパーホワイトのお試しキャンペーンがやっているので、アマゾンさんから借りてみようか。
雑事をこなしているうちに夕方となり、天気も崩れてきた。
15分位で、急に土砂降りになった。
なんとか糞だけさせて、全身びしょ濡れになって帰ってくる。
日本の夏だな、と感じた。
不安感が和らいだのは良いが、マッタリしたまま時間が過ぎてしまった。
夕食のあと、真っ暗になった外を歩きながら友人と電話をする。
自分の話を聞いてくれる人がいるのはありがたい、と思った。
そのために近所でWi-Fiが使えるところを探してみよう。
シャーレの中に、細胞が見つかった。
これはね、すべてOさん1人の責任だ。
もちろん、チェック体制が機能していなかったという部分では、私らにも責任はあるので、
その点については反省しなければならないと思っている。
だけど捏造そのものについてはOさん個人の独断でやったもので、
悪意のある捏造だと断言できるね。
真夜中、ピカピカって緑色に光って、あぁ私夢でも見てるのかしらって、
ピカピカって、ピカピカって、ね。
いや、Oさんみたいな、ああいう女いるんだよね。
俺もね、昔そういう女に振り回されたんだよ。
本当に酷い女だったね。だから女は嫌いなんだよ、まったく。
社交性は人並み以上にあるので、普通に接しているぶんにはまず気づかない。
なんというのか自然すぎて、「ナチュラルサイコパス」と私は呼んでますがね。
特に、そういう人は不利になると必ず悪魔の証明に持ち込んでくるんですよ。
たとえばね、
「S細胞が見つかった」って言われて、証拠を見せてと聞くと、
「でも証拠はないよ」って言われると、普通は嘘だと思うでしょ?
そこで「うそでしょ!」って攻めると、泣きながらこう反論してくるわけ。
「あなたはS細胞が100%無いって、言い切れるの?!」ってね。
それは悪魔の証明だ。UFOが絶対に無いことを証明できないのと一緒だ。
「もしかしてS細胞はあったのかもしれないし、責めている自分は悪者なんじゃないか」
信じない自分が悪く、疑って人を傷つけた自分が悪人であるという考えになった時点で、
あなたはナチュラルサイコパスのコントロール下におかれてしまう。
え、本当にそんな人いるのかって?
やだなぁ、疑ってくるなんてなんてヒドイ人だ!
ナチュラルサイコパスが居ないって、あなた証明できるんですか?!
あたしが何細胞ですかって?
そんなのあたしが知る由もないわ。
前の記憶なんか持っていないので当然でしょう。
ただ、光ったのは認めますわ。
あたし、光りましたわ。
あたしはぴか、ぴかと光ったのは真実ですの。
思い出しても、ちょっと、はずかしいくらい光っておりました。
あたしの意志に反して、激しく光り続けて、んもう、誰か止めて欲しいっ、
ああ、思い出すだけでも、恥ずかしい・・・!
とにかく尖ったナイフみたいなオンナでしたよ。
我々みたいな研究者の大体はね、社会において「羊」なんですよ。
そんな中、そのオンナがやってきたんです。
我々みたいな「羊」の群れに突入してきたんです。
そのオンナはしもべの女子を数人引き連れ、
ユニットリーダーにまで登り詰めた。
私も最初は反対だったんですがね、実績もない奴がこんな地位にいるのがね。
でもとある日、なんといいますか、いわゆる、お、おっぱい、を、
私の腕にくっつけたりする事件があったりしてですね、
なんというか、研究所へ行くのが楽しくなってしまったのは事実でして。
それはもう完全に「中毒」でしたね。
怒られたい。縛り上げられたい。踏みつけられてボコボコにされたい。
毎日そんなことばかり考えておりましたよ。
そんなわけで、正直私に非がないとも言えないのですよ。
割烹着?あれを普段着ているのは私ですよ。
■結末
なんというか、あたりは酷く混沌としていた。
どうまとめようにもまとめられないカオスな状況で、全てが腐敗しかかっていた。
この中で誰が嘘をついているのかー・・・
いや、嘘など誰もついていないのだろう。
嘘というのは各々の頭の中で正義となり、事実と化するものであるから。
暗く濁った神戸の闇が、だんだん、だんだんと街全体を覆い尽くしていくー。。
完
http://anond.hatelabo.jp/20140306104852
『自分で自分が認められる』ようになれ、そのために頑張って努力する。
かなり核心をついた意見だと思うのですが『自分で自分が認められる』ようになるには、
実は『他人に自分が認められる』ことが必要になると思っています。
エリクソンという有名な心理学者が提唱した「青年期の課題」でも同じことが述べられています。
社会との関係のなかで自分がどう言う人間か定義できなければ、心理的に不安定な状態になってしまう。
新しい自我同一性(ego identity) ―― 自分がどんな人間かということ ―― を確立することが課題となり、
これに失敗すると役割混乱が起こって同一性拡散(identity diffusion)という病理が生ずる。
ごちゃ、ごちゃ書いてしまいましたが、
自分にしかできない仕事をして周りの人から感謝されると、とっても人生充実している様な感じがするのではないか、ということです。
文章を見る限り、十分努力もした。
じゃあ、どうすればいいの?というのがここでの問題。
(そこで元増田の次の増田は、神様が欲しい!と言った訳です。神様僕のことを認めてください!とね。)
二人の元増田がどういう状況にいるかわからないから、何とも言えないのですが、基本的な方針としては、
「元増田のことを求めている人たちを探すことじゃないかな」と思う訳です。
十分頑張ったって言ったのにできなかったんだってば!と言いたくなるかと思いますが、
努力の仕方を変えてみるのも一策ではないかということです。
それはどんな些細なことでも、ボランティア活動などでも構わないと思うのです。
もちろんそれをするゆとりが無いんじゃないかと言うのは気になるのですが。
(余談)
他のやり方としては、
①増田の取ったキリスト教的なアプローチ、つまり神様を定義するやり方、
③右翼的な活動に参加して、社会との結びつきを得て、一時的な安息間を得るやり方、
があるかと思います。
ネットや現実の男性で「ドSです☆」とか「Sっぽいと女子によく言われます!」みたいな自己紹介が結構ある。だいたい年齢は30-40オーバーくらい。仕事できるぞ的なオーラをプンプンさせてる人が多い。
Sってわざわざ言うってことはそれを売りにしてるんだと思うんですよ。”こう言うときっと女子が喜ぶぞ!あわよくば「抱いて!」ってなるぞ!→俺はSだからろうそくを探すぞ!→どこにあったっけろうそく” となると思うんです。←こういう文章書いてる時が一番楽しいんだけど僕大丈夫か。
でもさ、正直、Sですねって褒め言葉じゃないよね?女子は優しいから短所もできるだけ良い言い方するじゃん 。そばかすなんて気にしないアン・シャーリー効果(※)じゃん。
※アン・シャーリー効果 ドイツの心理学者Lügnerによって提唱された女性特有の共感型心的影響を指さない。そんな効果ない。
”Sっぽいって言われる”って「ありきたりな意見を偉そうに上から言ってくる」とか「予定を確認せずに勝手にデート決める」 とか「突き放した言い方しかできない」とか「店員に無駄に偉そう」そういうことの婉曲表現ではないのかと。(なんとなく一部のおっさんに多そうな気がしてしまうにゃー)
そんな背景を考慮せずに、僕Sなんでってドヤ顔で言うのって、言い換えると「俺=男らしい」っていう精一杯のアピールなんですよね。たぶん。(若干古くね?好きな女子をついいじめちゃう小学生的思考を、男らしいとみなしてくれた時代はもう戻ってこないと個人的に思う。)
こういう男をかわいいと思ってくれる優しい女子もいるとは思うんですけどね。男子の末席にいる僕なんかは生暖かく見てしまうんですよ。それ言っても今の女子にプラスにはならないんじゃないかなあと。
エロ目的ならいいだろと言われるかもしれないですけど、俺ドSだぜ☆って言う男より、爪ちゃんと切ってるぜ☆っていう男のほうがエロ上手いよなきっと。←