言葉としては、知識としては、知っているのだが、実際に、どういうことなのかが、良く分からない。
去年の秋、半年ぐらい前に、
「あなたにとってのコミュニケーションとは、どんなものですか?」
と、聞かれた。
何を答えたか、忘れたが、何かを答えたはずだ。
普段から、コミュ障だと感じて、悩んでいるが、これが、コミュニケーションだということについては、40年も生きてきて、未だに良く分かっていない。
コミュニケーションって本当になんだろうか。
自分は、20歳の頃から、心理学者の人のエッセイを読んで、同情とか寂しいとか、感じてしまうのは、良くない、って感じていた。
本来は、愛とは、与えるものだと、いうことで、寂しさを紛らわすためにレベルの低いことで、時間を費やすな、ということだろう。
それ以来、自分は、自分に同情されたい気持ちや、寂しい気持ちを封じ込めてきたように思う。
(実際は、本当の幼児性を残した自分を受け容れて貰えなかったら、更に、傷ついてしまうので、自分を表現するのを止めたのかも知れないと今更ながらに、思う)
さすがに、「死にたい」とか「会社辞めたい」とか「働きたくない」とか「憎いアイツを殺したい」なんて、生々しい感情は、自覚できる。
くだんの臨床心理士の人に、3ヶ月ほど前に「死にたいです」「死にたい気分になりました」と話した。
すると、死にたいと言うことは、同情されたいということでしょう。
それならば、
「同情されたいって気持ちがあるならば、同情されるにふさわしいような表現を(他人に)して下さい」というようなことを、その後、言われた。
自分の欲求を素直に認めて、相手に受け容れられやすい言葉や表情で、気持ちを表現するということなんだろう。
理屈としては、なんとなく、分かる。
でも、なんか、そんなに、自分は器用ではなくて、
微妙な、気分の変化だとか、なんか、まだ、良く自分でも自分をつかみきれていない。
自分に対する知識や自分の気持ちを尊重する姿勢が薄いから、未だに、良く分からないのかも。。
そんな臨床心理士はありえないので空想で自分に都合の良い存在を生み出すことしかできない低能