2015-05-26

精神科医のあまりに雑な論法を笑う

精神科医といっても、香山某ではない。マンガ家のほうである

まずはこのツイートをご覧いただきたい。
https://twitter.com/sinrinet/status/602960511290904576

で、全体はこちら。
http://yusb.net/man/785.html
2013/5/3ということで二年前に描いたもののようだ。

まず健康的な習慣云々については、
成功しているからこそ健康的な習慣を持てる」
というパターンではないか問う必要本来あるところだが、
まあ論文のほうで検討されてないとも限らないので、
原典に当たっていない以上はあまりやいのやいの言うのは避ける。

問題は、ツイート引用されたあたりのあれこれである
彼のツイートの主張はこうだ:

天才と凡人の差は「やる時間」だけ」

これを述べるために、ドイツ心理学者調査を引いている。
紹介された限りでの調査内容はこうだ:

音楽アカデミー所属プロピアニスト』と『アマチュアピアニスト』を対象とし、
『普段の生活にどのような差があるか』を比較した。
結果、大きな差は『練習時間プロのほうが10倍長い』ことのみであった。
プロは週33時間アマは週3時間

さて、これから上述の主張を導くことは正しいだろうか。
まあ、全く正しくない、というのが私の意見なのはタイトル見ても分かるだろうが。

アマチュアとはどういう存在
プロではない。プロではないということは、ピアノ生計を立てていない。
週30時間アマチュアは何をしているのか。他の仕事かなにかではないのか?
この調査は、「プロを目指していた時は毎週33時間練習していたが断念して他をメインにしている」
かいうのを排除できる調査なのだろうか。
今でもプロ目指してて週3時間ということはさすがにないと思うのだが。

・『天才』とプロを同じものとして扱うのは適切か
プロは一般のアマチュアより演奏技術が一段優れている、ぐらいまではまあ前提としてよいだろう。
だが、プロの全員が全員天才だという認識を一般に持たれているか、というとそうではあるまい。
いわゆる天才はみんな努力産物なんだ、ということを示す際に、プロ努力量が多い、とか言い出すのは不適当だ。

・普段の生活の差は才能の有無にかかわらない
普段の生活で示せるのは普段の生活がどうかであって、
普段の生活に大きな差があったとして、
それはその差が影響しているかもしれないことを示唆しても、
才能というもの存在否定しない。

プロは多く練習する、は練習時間が多いからうまい、を特に意味しない
かもしれない、という可能性を示唆するものではあるが、
プロであるから練習時間を長く取るべきだったり、単純に取れるから練習しているが、
それが技術の上達につながっているかどうかはこの調査からは明らかでない。

ざっと上げてもこんなものである

天才というもの存在するとして、天才から努力しなくていいか、というともちろんそうではあるまい。
天才でなくとも、努力を積み重ねることによってそれを生業とできる、ということもあろう。
だが、こんな雑な論理で才能なんてない、ひゃー、とか言ってしまうのは問題だ。非常に。
プロとしての書き物として認知され、このシリーズ教科書にもなっているわけで、ますます

//

とか書いてたらTLに何か流れてきた。

https://twitter.com/msugaya/status/602997088226549760

リンク先を見ても、
「最低10年間は集中した日々の練習が必要」という趣旨はあっても、
才能は時間の差にすぎない、ということを言うような例は挙げられていないのだが。

才能は時間の差にすぎない、ならば、同じ時間を積めば同じようにできるということになる。
そういう趣旨のことは何も書いてないよね?
まあ、精神科医がはまるなら他の人が同じ罠に落ちても仕方ないが。
この人の影響力も大きそうだしついでなので書いておく。

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