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はてなキーワード: 考察とは

2016-05-16

(途中)ソフトSMにおけるお客様性格考察

最初にお店とコース説明

SMのできるホテルヘルス。なので挿入はなし。

おもちゃ・鞭・縛り・浣腸・放尿などある程度は

コース内料金のみで遊ぶ事ができる。

1.嬢が客を攻めるコース...客は受け身。嬢は下着、嬢へのおさわり禁止フェラなし。

よって嬢がリードせねばならず嬢のSとしての実力がもろに出る。

料金設定が安く一番利用人数の多いコース

2.客が嬢を攻めるコース...基本嬢が受け身で、嬢からお客様サービスするのは「ご奉仕」。

嬢への身体負担が大きいため値段設定は高い。

3.攻めたり攻められたりを楽しむコース...攻められたいし、嬢を脱がせて体も堪能したい人向け。

まず客層は圧倒的に1番の「嬢が客を攻めるコース」が多い。

純粋にM男性のほかに、料金が他の2つに比べ安いので、

安いコースで遊びたい人、あわよくば安い料金で嬢を攻めて楽しもうという人も来るため。

1番のコースをM男性としてTのしもうとする人の特徴

【見た目オス感の強いタイプ

単純に背が高かったり、筋肉隆々とした巨漢だったり、

大手企業のやり手の営業マンだったり、一見男らしく気を張るタイプ

最初はあまり喋らない人が多い。

だがSタイプのようにかたくなに心を閉ざす感じでもない。

こちらの質問に静かに答えながら、出方を伺っている。

こちらのSとしての実力を認めないと、なかにはS転する人もいる。

2016-05-15

同性愛者の多さ

先日、学生時代の友人と飲みに行ってきた。

彼女イギリス人で、初めて会ったのは日本にやってきた留学生として大学で会った時だった。

その日は旅行で、オレのほうが彼女の近所まで遊びに来たので、ついでにパブで会ったというわけだ。

その時驚いたのは、彼女の周りには同性愛者が多いということだ。

何気なくそんな話になった。

彼女の友人のうち、8人がそうだという。

彼女はもともと友人が多く、その割合は聞き漏らしたが、

だとしても、友人はおろか著名人以外の同性愛者を1人も知らないオレからすれば別の世界の話に聞こえた。

さてこれは国によっての違いはどの程度あるだろうか。

男女によっての違いもそうだ。

カミングアウトしない(できない)者も含めた数にも差はあるだろうか。

そういった統計には興味はある。

しかしそれらは結局、今のオレにとっては別世界おとぎ話であって現実味のある問題としての考察対象にはならないのかも知れない。

いわばレイシズムに対して無知な者が、自身差別的言動を「悪気はない」で片付け、反省どころか開き直ってしまうことに似ているようにも思う。

そう考えると、今後の交友関係が変わりそれが現実味のある問題となるまでに、オレが何をすべきかが見えてきたように思う。

2016-05-11

オタク同士感想を語り合う文化はもう終わったんだと思う

俺まだ大学2年のペーペーだけどサークルの連中とアニメ感想を話し合うのも2chTwitter映画感想を話し合うのも馬鹿らしくなってきた。

最初のうちはアレがいいコレがいいで話が進むけどいつの間にかドコがだめだココがだめだの話になっていく。

酷い時には話の切り口がやっぱあの漫画はもう駄目だなとかになっている。

とにかく皆とりあえず何かを批判したくてしょうがないという感じだ。

褒める時もココの伏線考察に気づいた俺を褒めてくれよってオーラがビンビン出てるのを感じる。

今のオタク自分が瞬間的に一段上に立つために創作物を利用してるだけのマウント中毒者の群れなんじゃないだろうか。

現実を忘れて創作に浸った余韻を楽しみたいだけなのにどうして現実の醜いなんちゃってカーストにまた引き戻されなければいけないんだろうか。

こんな気分になるぐらいなら感想なんて日記の隅にでも書くだけ書いてすっきりしたらそのまま人の意見なんて聞かないで終わりにした方がいいぐらいだ。

だけど自分が見つけられなかった考察ポイントの話には興味がある。

そういう建設的な話だけ出来る感想コミュニティはないものかね。

SNSで頑張ればそういうアカウントだけを集めるのは不可能じゃないけど、それだってつの間にかやれソシャゲレジェが出たぜウヒョーという話ばかりしてる状態になってしまう事をもう知っているので虚しくて何だかやる気が湧いてこない。

しかしたらオタク同士感想を語り会うなんてのはもっと昔のインターネットなんて無かった時代情報交換の手段に過ぎなくて、新しい映画の封が切られて10日もすれば詳しい考察がググってすぐ出る情報化社会には不要な物なのかも知れない。

2016-05-07

ネジの人々ってマンガ

マンガワンに「ネジの人々」という哲学を紹介するマンガがあって、ネット炎上哲学的考察する回があった。

それでネット炎上に参加する人を切ってたけど、ついでに炎上騒ぎにも参加できないような何もない人が猫で盛り上がるって、意味不明攻撃さらりとされてるのな。

よけいなお世話だろ。

2016-05-04

好きなゲームクソゲー扱いで辛い

毎日妄想考察したりそれをもとにした二次創作を作っていても

ふとした瞬間にもうこの作品の続編が作られたり新情報が明らかになることはないんだなと思ってしまう。

2016-05-03

ラカン議論を元に可能となるデカルト批判

ラカン議論を元に可能となるデカルト批判

ラカンに従う限り、私というもの形成の出発点は鏡に映し出された自分の身体像であるということに

従って私というもの形成においては身体が重要役割を演じている。

他方、デカルト議論においては身体が軽視。これはやはり問題では?

まとめ 精神分析における議論

つの重要事実示唆

↓私の形成には他者が深く関わっている

これは超自我の核として

他者が不在 あれはあきらかに大きな

また我々自身が時に陥りがちな誤り

そしてそのように他者の目意識して思い描かれる自分の姿を通して輪郭が定まる以上私の形成には他者が深く関わっている 他方、デカルト考察においては、他者が不在 これは明らかに大きな誤り

だし、我々自身が時に陥りがちな誤り

哲学テスト概要

出題 最初と2回目hz除外

三回目から今回までの授業が出題範囲

教室各自確認

出題内容Aからg デカルト最初、夢と現実区別・・・

A 記述問題

B デカルト最初、まず四つの根拠に基づいてすべてを疑っていくが

その根拠の一つが"夢と現実区別するしるしがない"というものであったでは残りの3つの根拠はどういうものか、全て記せ← 必ずでる

C空所補充 ここを確認しろ

コギトの原理て何か? どういういみ?

明証性の規則がどういうもの説明する

D 神はなぜ我々を欺くことがないとデカルトは考えたのか?

E

F

G 選択しき記述問題1題を選択。 1つだけ!

重要そうなところをヤマ貼っておく 何か書いておけば部分点があるらしい

2016-05-01

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい への回答です

http://anond.hatelabo.jp/20160413013038

言及いただいたkato19です。大変遅くなりましたが地震の影響はありませんでしたでしょうか?

意味不明一般の方へ:一連の流れは下記のブログ記載されています

ラブライブ!批判への回答:批判派の負のエネルギーを消し去りたい!

http://kato19.blogspot.jp/2016/04/lovelive-hihan.html

じっくり読ませてもらいました。批判文っていうのは読むのにもなかなかエネルギーを消費してしまますね。増田文章論点も多いのでなかなか大変です。自分の知らない分野についても検索しながらできるだけ理解できるように努めました。とはいアニメ化以前をリアルタイムで追っていない以上は本当の意味での理解は難しいなと思いました。増田が本当に細かい所まで気にしている所に驚かされますが、これがまさに増田の拠り所であるんだなと感じましたね。

今回増田の疑問に逐一回答する事はあまりに労力が大きのでご容赦ください。総論的な内容になります。それに以前も書いたように、そもそも回答した所で増田が納得するとは到底思えないのです。増田も同じような事を書いていますが、結局それぞれが重要だと思う所を重要だと思えないのです。

それを踏まえた上で今回のやり取りの感想を書かせてもらいます

批判派に対して思う事

私が、批判派に対して当初思っていたのは、あの作品を観て面白くなかったんだろうか?それとも面白かったんだけど細かい所が気になってしまってダメだったのか?もう全てがダメで良い所はほとんどないのか?という所でした。

増田文章通読してみて感じたのは、やっぱり原作原案問題がなければこんなにこじれる事はなったんだろうなぁという事。増田ですら『カップヌードル』程度には面白いと思ったわけで。『見たい作品が見られなかった』という点については批判派の方からもツイッタなどで一定の賛意をいただけた所です。

批判派のおりあそ氏が劇場版で泣いたってのも自分にとっては結構衝撃的な事実で驚いたんだけど『μ'sが解散するんだから涙くらい出るよ』という事なんでしょうね。もちろん自分にも当然そういう所はあるのだけど、今回はそれだけではない感動があったんですよね。

ラブライブ!ガルパン共通性

自分は『ガルパン劇場版でも大変感動して涙が止まらなかったんだけど、あれは決して大洗女子学園が存続してよかった!という事で感動したのではないのです。あの映像演出自体に感動させられたのです。心底すごいと思いましたしその凄さに当てられて感動しました。話の筋で感動したのではなかったのです。

参考 http://kato19.blogspot.jp/2015/11/girls-and-panzer-movie.html

劇場版ラブライブ!の感動はそれによく似ていると思いました。技術レベル前衛的な演出、それと当然ストーリー上の感動が合わさって強い感動を得られたんだと思います自分は少数派になる事が多いので自分意見が絶賛派の主流ではないでしょうけど。

増田はおそらく劇場版ラブライブ!ガルパンより論理的妥当性がないからダメと言うでしょうが自分にとっては十分に許容範囲であったという事です。しかしこの点については程度問題しか言いようがありません。

増田の本当の主張は原作改変問題ではないか

増田論点は大きく分けて次の2点に集約されます

1、論理的妥当性を欠くので作品が決定的にツマラナイ

2、原案からの改変が気に入らない

もっとも、絶賛派の多くは作品において即時的で表面的である所の彼らがいうところのアニメならではの表現内容への思い入れを拠り所にしていて、前後総合的なつながりや辻褄の考察を要する物語性やキャラクター性については考えたくないようなので難しいかもしれませんが…。』- 絶賛派の負のエネルギーを和らげたい より引用

『考えたくない』のではなく『気にならない』というべきですが、上記のように互いの主張は『糠に釘』状態なわけです。お互いを説得する事は出来ないよね。実際、増田はなぜ絶賛派が絶賛するのか?その理由理解できていない。その結果『ラブライバー自己愛』などという荒唐無稽理由で論じている。自分は前回から増田もっと前向きな方向にエネルギーを使うべきだと主張してるのだけど、それはこの問題については相手の考えを変える事は無理だからです。もしも増田が絶賛派に対して『本作が駄作だと改心』しなければ納得しない・・・とすれば残念な事です。

増田は初期作品の良さも述べているというが、アニメ版への恨みつらみが主となってしまっているのは間違いないですよね。増田が単に虚空に向かって文句叫びたいだけなら仕方ないですが、初期作品の良さを知ってほしいのならその方法があるはず。増田で絶賛派を無能呼ばわりしていてもしょうがないわけです。

公野櫻子さんについて

公野櫻子作品に見る『何を真実とするか』ということについて- マンガライフ 水音さん

http://ilya0320.blog14.fc2.com/blog-entry-1837.html

増田意見を読んで公野櫻子さん関係を少し勉強しました(増田から見ればまだまだでしょうけど)その中で上記ブログ公野櫻子論で印象的だったのは、公野さんの特徴として読者参加型作品を得意とする事でした。ラブライブ!の初期作品も読者参加型であった事を考えると増田もその影響を強く受けているのかなと。やはり自分達で作り上げた作品という感覚が他の作品よりもずっと強く、それがアニメ版に対する『歪められた』という感覚につながっていると推察しました。そこが単なる原作改変問題とは違う根深さなのかな。

自分は『参加型』とは真逆の鑑賞者。京極花田氏の作家性が強く出ていても何の問題もありません。ガルパンのように映像作品としての演出技術に感動し『物語』は当然必要だけれどもそれは作品の一部を構成しているにすぎない。それがつまり構成演出楽曲すべてが一体となって表現』の意味なのです。増田にとっては物語(や、それを含むキャラの設定)が重要テーマであってそれ以外は物語をよく見せるための添え物であるべきなんだろうと思う。そしてラブライブ!においては公野さん以外の作家性が見える事は不快感につながっているんでしょう。

ちなみに私だって物語重視の作品は大好きですよ。『ここさけ』なんて感動しすぎて3本も感想書きましたし・・・

参考 http://kato19.blogspot.jp/2015/10/kokosake.html

ラブライブ!については原案先入観なくアニメに入っているだけの違いです。増田先入観でまずハードルがあり、さらに細かな物語重視の点でさらハードルがあった。その二つに加えて大事にしていた公野作品が汚されたという感情的問題不快感を増幅させているのだと思います

初期作品からファンに対する怒り

本当の数はわかりませんが、初期作品からファンの全てがアニメ版否定しているわけではないですよね?おそらく増田が一番怒りを感じているのは、初期作品からファンのくせにアニメ版劇場版を礼賛している人間でないでしょうか。アニメ版以降の人間はただの無知蒙昧だから啓蒙する必要があるが、初期作品から人間はなぜ礼賛するのか理解できない。だからラブライバーとしてのアイデンティティを維持するためだけに礼賛している害悪だ。完膚なきまでに叩く必要がある・・・と。

絶賛派は宗教的

増田氏は絶賛派を宗教的などと揶揄するけれどそれはお互い様でないですか?というより、この議論ものもが神学論争である事を自覚していないのだろうか。私は自覚しています。この問題宗教論争やイデオロギー論争と全く同じです。

(初期作品群を)肯定をしている様子も殆ど見受けられません。ただ踏み台として蹴落とされるべき歴史としての存在を認めているだけに過ぎないでしょう。先述のメディアミックス理論の持ち出し方にもそれが現れているように思います。 - 絶賛派の負のエネルギーを和らげたい より引用 カッコ内筆者付加

原案作品群を否定していないだけでは飽き足らず積極的肯定しなければ満足しない・・・踏み絵でしょうか?折伏でしょうか?『目を覚ま』さねまばらないなど過激宗教団体と同じではないでしょうか。少なくとも私は初期作品群を『踏み台として蹴落とされるべき歴史』とは思っていません。そもそもよく知らないだけですから

批判は悪?

絶賛派ラブライバーは最終的にとりあえず批判する奴が悪なんだという方向に持っていきたがります

まあ、そういう人もいるでしょう、誰もが議論に慣れているわけではないでしょうから。もちろん私は『批判する奴が悪』なんて思っていません。しかし好きな作品をけなされる不快感原案派の人だって同じでしょう。貶して凹ませるのが目的なんでしょうか?そうであるなら品がない行為だなぁと思いますが、実際には増田にとって大切な『初期作品群』を不当に扱われている事を質したいという趣旨ではないですか?

それなら絶賛派に対して『自分の感動はまちがっていました。この作品はご指摘の通り駄作です』と言わせる事で目的は達せれれるのでしょうか?私には単なる当てつけのようにしか感じません。

増田のすべき事

増田とは確かに感じ方もキャリアも違いますが、同じラブライブ!というコンテンツを楽しんでいた者としては、互いを排除しあうのではなく包摂されるべきだと思う。

増田氏がアニメコンテンツの流れに大変造詣が深いだろう事は一連の文章を読む事で推察されますであるからこそ、ラブライブ!が『もはや好きとは言い難い作品』などと離れるのではなく、その想い・知識を残すべきだと思うんですよね。

それは、ネガティブ文章増田で埋もれさせるのではなく体系的に整理された作品案内を提示するべきでなないですか。増田の思う本当のラブライブ!の楽しみ方を、初期作品の良さを記録に残す方がずっと目的にかなうと思います。確かに旬は過ぎてますが、ワンテーマブログだとしても増田で埋もれるよりはずっと有益だと思う。注目されやすアニメ版にくらべて原案作品群は実際のところ目立たないし、新たなファンには見る事すら困難になっているわけです。サンシャインが出た今はなおさらμ'sの初期情報検索しにくい状況です。だから意味はあると思う。

個人的には、この一連の投稿はすごいと思うし、内容についての賛否別にしても、ただ増田で埋もれるのは残念だと思う。でも別の形で発表するにしても、ぜひ否定だけではない前向きな批判。つまり好きな作品を広めるために使ってほしいと思うんですよね。

初期作品群の整理を

増田原案作品が軽く扱われている事に不満を持っていますが、増田にとっては自明の事でもアニメ以降のファンにとってはその周辺知識は非常にわかりにくいのは事実です。サンシャインが始まるとはいえ、これから再放送配信オリジナルを見るファンも多いでしょう。実際私もちょっと調べただけでは意外と整理されていない事に気付きました。作品紹介、見る順番、その魅力など、いまからでも整理して発信する事は無駄ではないはずです。はっきり言って知識の乏しい自分には無理です。

それなら読んでみたいと思うし、こんなマイナスエネルギーで文才を消耗する事はないと思う。もしそんなページを作ってくれたら是非私のブログリンクしてお知らせください。こちらからも紹介させてもらいますから

最後

こんな事書くとまたね『上から目線』みたいな批判ツイッターでされそうですけどね。ツイッターで深い議論のやり取りはむずかしいですが、このように長文を書ける人の意見真意が分かりやすエネルギーを使う意味があると思います自分も今回の事で劇場版の良さを変更する気は全くないのですが、初期作品群の事を詳しく知るきっかけになりましたし、批判派の真意というのも(ある程度ですが)理解できてよかったと思っています

その他追伸

『先にも述べたように絶賛派は平和ボケしていて余裕なので脳天気なことを言うだけでいいでしょうけども』

いいじゃん平和で!と思ったけど、まさに批判派にとっては戦争状態なのだ・・・その心中がわかりますね。平和に絶賛を謳歌している絶賛派への怒りを感じます

海未はアニメ以降特に不遇だと囁かれるキャラの一人であったため制作陣の悪意や、または慢性的配慮の怠りの結果だと感じる人も多かったようです。

そうなんだ・・・でも海未ちゃん不遇かなぁ・・・アニメ版でもすごく人気あるじゃないですか、自分もかなり好きですよ。でも一番好きなのは花陽ちゃんですね。批判派の人はアニメ版の花陽ちゃんを『ただの米好き女』に貶められた怒っているみたいですけどね。あのキャラ設定良くないですか?アニメ版の花陽ちゃんすごく良いと思うんだけどなぁ。

※以前指摘されたメディアミックス論の『出自』部分については訂正しました。

ラブライブ!』は私達に何をもたらしたのか? http://kato19.blogspot.jp/2016/01/lovelive.html

追記:最後になって申し訳ないんですが、『絶賛派の負のエネルギーを和らげたい①』http://anond.hatelabo.jp/20160413011057 を見逃してたみたいです!ごめんなさい。読んで改めて追記で補足しますね。(2016/5/1)

2016-04-27

インスト曲が好きなやつは穿った見方をして現実逃避している

インスト好きで、ボーカルが入ったやつを聴かないって人。今まで三人に会ったことある

全員、人の悪口言うし、穿った見方して、現実逃避してる。勝負ごととかも避ける感じ。

タレントで言うところの有吉とかマツコとか。「はいはい、負けました負けました」って言ったり「プライドなんかないよ、俺はゴミクズから」とか言って、いつも逃げてる。

要は、ボーカルがあると、人の感情とか、必死感とかが伝わってきて、そういう現実感を嫌ってるんじゃないかという考察

どうだろう。俺は反例が聞きたい。俺が出会った三人がたまたま酷かったと信じたい。

2016-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20160424190411

観察じゃなくて考察

描いてる内容に気付くか気付かないかのレベル

考察じゃなくて観察だよ

そもそもサザエさんは初出が1946年なので、

その時に世田谷でヒラであっても会社員って相当裕福だと思うけどな

マジレスかよ!?

http://anond.hatelabo.jp/20160424185429

観察じゃなくて考察

そもそもサザエさんは初出が1946年なので、

その時に世田谷でヒラであっても会社員って相当裕福だと思うけどな

http://anond.hatelabo.jp/20160424180734

誰のどの記事を指摘しているのか分からないけれど、id:sisyaさんが4月16日ホットエントリーと互助会を巡るあれこれへの1はてブ民の個人的見解を書かれたのを見て、私も明らかに違うカテゴリに振り分けられた記事を、手動で変更してます

そこで気になって見てみたのだけれど、自分の前に既にカテゴリを変更している人とか、いるんですよね。

しかしそれが、「ブログ主やその関係者」なのか、それとも自分同類の「適切なエントリカテゴリに分類しようとしている勢」か、「はてな運営関係者」かは分からないです。

いちおう自分は既に他人カテゴリ変更をした痕跡がある記事は、変更しないでおいてます

 

だいたいエントリごとのカテゴリって、ブログ管理人任意で決められるわけじゃなくて、はてな側で判断してるんだよな?

YES. おそらく仕組みはブログの中身を全文なめて、それを辞書キーワードと当てはめ、最適と思われるカテゴリに分類しているのでしょう。

そのため、時折微妙カテゴリに分類されてしまうし、精度は高くない。

例えば「写真展に行ってきたよ〜」って感想エントリが「写真カメラ」を認識し、テクノロジーに分類されたり。

例えば「保育園で起きた笑える話」ってネタエントリが「保育園落ちた」と同類の、社会に分類されたり。

あるいは、「食事と家庭環境についての考察エントリ」なんだけれど、ちゃんと論文から数字を持ってきていたり、その統計手法(R言語など)にも触れている場合、「社会」なのか「暮らし」なのか「学び」なのか「テクノロジー」なのか、迷う。まあ、そういう場合カテゴリ変更に手を付けないのだけれども。

 

ただでさえ、お礼ブクマ互助会ブログが多いところに、そんなスパムされたらたまらんのだが。

冒頭にも書いた通り、誰が何の目的カテゴリを変更しているのか分からないので、この増田だけではなんとも言えないです。

もし私のような「適切なカテゴリに分類する勢」が、誤ったカテゴリに分類した結果、顰蹙を買っているのならば、申し訳ない。それは悪意がないけれど、ミスです。

まり変更勢が「この記事は『おもしろ』だな」と思ったのに対し、他の誰かが「いや、この記事は『暮らし』でしょう」と考えているという事を意味します。

そうじゃない場合は、よく状況を見る必要があるし、恣意的アクセスアップの為の目的があるならば、注視すべきじゃないかと思います

http://anond.hatelabo.jp/20160423184004

面接テクニックとかじゃないけど、趣味を尋ねられたときにそれが余暇の過ごし方とかいうどうでもいいことを訊いてるんじゃなくて、

時間を割いてどんなものを得ようとしているか、実際に得ているものは何かを訊いているのではないかという思考に至るくらいの想像力必要なんじゃないのかと思った。

本を読んだら内容を考察したり書評を書いたりして残してる?

自分思考価値観はどう変化したか具体的な本を挙げて言える?

それとも文学的とまではいわなくても、書や表現に関して何か体系的なところに興味があるの?

本を読んで得た知識で何か作り出したりアウトプット出してるの?

実は本を読んで終わりなんじゃないの?

上のエントリみても全然そういうことに対する言及ないよね。

読書はたくさんしているのかもしれないけど、その割に言いたいことをまとめて、ちゃんと伝える方法を得られていないのでは?

本当に「趣味読書であることが鼻で笑われる原因なの?

2016-04-23

趣味読書社会に出ても役に立つ…と思いたい

http://anond.hatelabo.jp/touch/20160423184004

めっちゃ読んでて素直に凄いと思った。自分もこの方程では全然ないが読書趣味だ。だから履歴書趣味読書と書き辛くてもやもやする気持ちは凄い分かる。「趣味読書無趣味な人がとりあえず空欄を埋めるために書くもの」ってイメージがついちゃってるのがなぁ。

履歴書趣味欄って「その趣味から何を得たか」とか知るためのものなんだろう。だから沢山読んでる人なら読んだ冊数言って、本の内容から「何を学んだか、そしてそれが社会においてどう役に立つか」とか言えれば立派な自己アッピルになるのかもしれない?

ゼミ教授が「文学研究で得た分析力とか物事を様々な角度から考察する力は社会に出ても役に立つ」って言ってた。つまり読書は、ちゃんと本を読んで何かを得ている人なら立派な趣味として成立するのだ。だからそんなマイナスイメージで見ないでくれなんだぜ

2016-04-18

もう話題になってだいぶ日が経つとは思うけれど、某声優AV騒動

アニメっていうジャンル内で人気を博したところで終わっておけばよかったのに、ただ歴史があるだけでゴシップネタになる要素が主である紅白歌合戦に出たかアニメなんぞ興味もない人間ネガキャンを含めて記事にされた」

って視点で書いた考察記事とかありませんかね

2016-04-15

NARUTOうちはフガクの万華鏡写輪眼能力は何だったんだろう?

先週の放送から色々調べてみたけど結局万華鏡の模様かっこいいねしかなかった。

実際に使用した訳じゃないからか、atwikiを始めナルト考察サイトですらその話について言及してる所はなかった。

まあ、もう原作が終了して何か月か経つのでもし原作継続中に放映されていたらまた違ったかもしれないが、

それにしてもうちは一族万華鏡写輪眼は模様がいちいちかっこいいな。

から色々調べたくもなるんだけどね。

岸影なんか言ってないかなって気になった。

これ絶対調べる価値あると思うよ。

イタチしか知らないからか、ダンゾウにも回収されてないっぽいし。

されてたら少なくともサスケ戦で使ってたはずだからね。

まあ後付けと言ってしまえばそこまでなんだけど。

2016-04-13

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい③

http://anond.hatelabo.jp/20160413011603

映像だけ見て萌えているのか?』と思うのは誤解です。省略されているとはいえ引きつける構成演出楽曲すべてが一体となって表現されているところに感動があるのです。(補足3参照)


 京極監督は初めから劇場版を狙ってたわけではないだろうけど方向性TV1期から存在する事は明らかです。漫画小説では表現できないアニメならではの作品とする方向性

どのように構成演出楽曲が一体となって表現されているか説明して頂けないと解釈が難しいです。また、一体となっていないことを表すもつれが構成存在することについては、おりあそ氏の記事やそれに対する自分考察記事などでも言及されています。それを全部放り捨てて「一体となってます」と無理矢理言い張られても困惑します。

しかするとアニメならではの作品として表現したいという方向性が一環していてそのために構成演出楽曲すべてが一体となっているという意味でしょうか…。だとしたらその姿勢や結果に致命的な怠りが存在しているので問題があるという話を何度もしています。そしてそれは言い換えると全てを雑にやろうという意図がしっかりしているみたいな状態です。

劇場版でSDSのライブシーンで海未がいるはずの所に存在せず作画ミスだと物議を醸したことがありました。海未はアニメ以降特に不遇だと囁かれるキャラの一人であったため制作陣の悪意や、または慢性的配慮の怠りの結果だと感じる人も多かったようです。

絶賛派はそれについても全体的な表現として問題ないからどうでもいいというつもりでしょうか。呆れるしかありません。


自分価値観絶対ではない


 それを理解しない増田は絶賛派を以下のように認識しているようです。

ラブライバーである自分が好きだからラブライブが好き』なので、失敗作である現実から目をそらして『盲目的に賛美すること』しかできない人間 (かぎ括弧内引用/ 他筆者補足)


 まあひどい言われ方ですね(笑)

海外ドラマにのっぺりとした無個性二次元美少女絵を貼り付けて動かしてたまにライブシーンで踊らせておけば萌えて尊い』


 ため息がでます・・・私がどうして感動したのかはこのブログで5本も長文投稿をしたのでここで繰り返しません。でも読んだとしても理解はしてもらえないでしょうね。

自分価値観相手価値観絶対ではないのです。そんなことは発言する時の広く大きな前提です。その自己嫌悪の苦しみと戦いながら内へ外へと開いていくものです。

このように結局は絶賛派が批判派に対して主として持ち出すのはファンとしての立場の在り方的な話です。作品の内容を論じる場でそれを用いても、今まで論じてきておいて今さら何を言っているんだろう…?と思ってしまます

一時期流行ったように「それはあなた感想ですよね?」と返せば全てが解決するわけではありません。それは元も子もない大前提ですし、お互い様になってしまます

自分感想他者感想として言っていたなら問題あるでしょうけれど、互いに自分感想を真っ向から述べているはずの場です。

また、絶賛派の考えがその作品としての在り方を照らし合わせて見た時に論理的妥当性を欠いていて即時的で表面的な感想じみていることは、この記事でもずっと指摘してきていますし、そこを検討してみてほしいところです。

もっとも、絶賛派の多くは作品において即時的で表面的である所の彼らがいうところのアニメならではの表現内容への思い入れを拠り所にしていて、前後総合的なつながりや辻褄の考察を要する物語性やキャラクター性については考えたくないようなので難しいかもしれませんが…。


 増田の言うように駄作という現実から目をそらして感動したフリをしているのでしょうか?さすがに増田自分論理に無理があると薄々気づいているはずです。


 多くの人の感動させた作品であるという事実。それを受け入れられないとすれば『現実から目をそらしているのは増田の方である』というしかないでしょう。

洗脳だろうと幻覚だろうと感動したらしい人達が沢山いたことは確かでしょうから、そのことには一定価値があると思います

しかし、主に内容自体の在り方を主題として論じていたところで「お前が何を言っても感動した奴は沢山いるんだぞ」という内容自体考察から距離が離れた根拠を持ち出されても、たまたま都合がいい形で現れた現実に縋りながら、内容そのものという真実から目をそらしているように映ります。内容に対する真実の好きを手に入れたいと思わないのでしょうか。好きという状態さえあればいい、そんないまが最高だからいいのでしょうか…。


君、原理主義に陥る事なかれ


 自分価値観を大切にするのは良いと思います。でもその価値観を唯一絶対のものとする事は『原理主義』ではありませんか?増田の論は批評を超えて否定となっているように思います


 『アニメ化以前の作品が好きだ。劇場版はまったく理解できない』それはそれで結構じゃないですか。しか現実にこれほど絶賛している人がいる以上『自分には理解できないが別の価値観があるようだ』と受け入れるべきです。


 正直な話、私も増田の言っている事の多くは理解できません。だから『なぜこの人は本作の良さを理解できないのだろう・・・かわいそうに』となるのです。


 増田自分の好きなものポジティブに論じるべきでしょう。②の方はいくらかポジティブさを感じたし同意できる所も多いです。(あそこまで合っててなぜ結論が違うのか・・・補足7参照)


 私にとっても『駄作・理解不可能』な作品世間で絶賛されている事が多くあります。その度に自分認識不足自覚し考えを改めます


 増田本来は同じだと思いますしかし今回は不幸にもメディアミックス作品と言う事で感情的行き違いがあるように思います。初期派はおそらく強い矜持を持っているのでしょう。でもそれが原理主義に陥らないで欲しいのです。

確かに理解不能作品が売れたり評価されたりしている状態不愉快ものですが、人気がなくても好みなのでしかたがない。一方で人気があっても嫌いなのは好みなのでしかたがない。芸術はそういうものだと思います

どの現実真実により近いのかは分かりません。だからより感じて考えて主張して反応を見て…などという行為意味も生まれるのでしょう。

 『アニメ版の良さは理解できないけど初期作品はこんなに素晴らしい!』と言ってくれればアニメ版以降のファンも目を向けてくれるかもれません。一つがダメから全部潰れてしまえ!では悲しいではありませんか。


.

 私はラブライブ!とμ'sがいつまでも輝いていて欲しい。だからファン同士の対立否定ではなく肯定で終わらせて欲しいと思うのです。

投稿においては確かにアニメ以降の批判が多いかもしれませんが、それでも初期の良さも述べていますし、また、先にも述べたように絶賛派は平和ボケしていて余裕なので脳天気なことを言うだけでいいでしょうけども、肯定で終わらせられるわけがいくらいにラブライブというプロジェクトは致命的な問題が山積みなのです。

それを好きな人擁護する人が多いから問題ないとするのは思考停止です。犯罪はバレなきゃいい理論に似ています

自分現実的に考えて、作品是正されることや、社会的糾弾されることにはもはや期待していません。作品が終わる折に思い出を語るように純粋意見を発信する目的で述べています

純粋さと不純さどちらがいいとも悪いとも時によりけりではありますが、作品批判されたくないために内容の状態にかかわらず擁護するというのは不純です。内容自体に対して、また自分自身に対しても純粋でないために説得力が不足しています

今回は意見交換になってますが、元はただ作品内容の問題点感想としてただ述べているだけでした。

そのように純粋意見独り言のように発しただけの投稿を態々発見して頂き、読むだけでなく反応を返してくださったことはとても貴重なことで有り難く思います。そのような純粋な喜びは励みになります


補足など

以下は補足説明に対して述べます自分の補足説明にもなりますね。

*補足1*

はいメディアミックスなのだから、すべての作品がμ'sが出演する創作作品と考えるのが自然だと思う。それは原案者への冒涜になならないはずです。

名前とか見た目や声だけ同じμ’sでもキャラ作品内容が根本的な所から違いすぎるのでそれを乱暴に同一人物が出演してるかのようにまとめてしまうのは逆に問題があります

*補足2*

パクリである事と『つまらない』かどうかは関係がないので、その辺をあえて混同するのは論理として如何なものかと思っています

せっかく自分パクリじゃなくても滅茶苦茶つまらないからクソだみたいな身も蓋もない独断偏見を避けて説明したのに対して、まるでどこにでもあるようなパクライブ批判に対して反応するかのようにざっくりいかれてしまって残念です。

とりあえず配慮の足りてない意図から内容を歪め、配慮の足らない結果になってしまったことが問題なのですと繰り返し強調しておきます

*補足6*

「今が最高!」と騒げば『飛べるよ』」というようなパッパラパーな意味

ひどい皮肉ですね(笑)しろ私は『今が最高』の本来意味『時を巻き戻してみるかい?no no no 今が最高!』※(過去には戻らないの意)を、増田は『過去=初期作品』と捉えて『初期作品ではなく劇場版が最高!』と言われて怒っているのかと思いました。

もちろんその点にも怒っているというか呆れていましたが、その点は言うまでもないほどのことですので…。過去のことや積み重ねてきたものをしっかりと大事にしながら、今を成し遂げたなら今が最高もいい言葉になるんでしょうが、そうではないので残念でしたね。結局、大事原案とか過去とのつながりを普段どうでもいいと思っているくせに困った時だけメディアミックスを持ち出してみたり、黎明期声優のことに思いを馳せて声優を思いやれるファンを気取る程度のファッション的なファンにとって都合良く理由はないが今が何より良い気分だということと、積み重ねを感じているふりをできるということを表せる都合のいいフレーズになりましたね。


*補足7*

ラブライブ!PVは内容的にアニメキャラというよりアイドルPV二次元化であり』- ②より引用


私も近い考えですが、私は架空アイドルの『コミック化』『ノベル化』『アニメ化』『ゲーム化』『ライブ化』であると思います結論が違うのはやはり増田原案重視だからではないでしょうか。

架空アイドルコミック化~化…という作品なら特に珍しくなく、今に始まったことじゃないですから当時に期待するものとしては価値見出しませんでしたね。

実際公式がどうしようとしていたのかは分かりませんが、自分が当時の状態を見て想定し、期待した魅力ある展開の仕方はそれだったということです。

そこについては原案重視とかそういう問題ではありませんし、また、アニメ以降の在り方を評するならともかく、アニメ以降の立場から物言いでその点を論じるとかなり捏造に近いと思います

また、ここで原理主義的だとか原案厨や原作厨というものについても言及しておきますが、それらはよく批判されますけど、それが重視されるのは時により人により残念かもしれませんが当然だと思います

そこについては逆に原作を好きじゃない作品の展開について考えていた時に至った考えです。結局は原作が一番偉いから仕方ないと思わなきゃいけないんだと自分を納得させました。その作品をその作品たらしめるのは原作であって、原作者であるべきなんだろうと考えたのです。

まり原案原作こそ作品にとって最も重要アイデンティティとなり、軸となる要素ですから、その要素が消えて倒れてしまったら、もはや元とは無関係作品です。

実際アニメ以降のラブライブラブライブ無関係学生が歌って踊る作品としてならば積極的評価できる部分も増えてくると思いますが(それでも色々盗作などの問題点はありますが)、『ラブライブ!』として見たら間違ってもとても快い気持ちで見られる作品ではないということです。

カップヌードルカップヌードルで美味しいと思いますけどステーキ屋で高級ステーキを食べられると思いそれを期待して頼んだ時にカップヌードルが出てきたら快い気持ちになるでしょうか。

それをカップヌードルステーキと違ってただ肉を焼いただけではなく素晴らしい発明で最低限肉も入っていてステーキよりむしろ素晴らしいんだとかなんとか言われても一理なくはないですが困りませんか?

それぞれをそれぞれに例えたわけじゃないですが、自分が感じる納得できなさはそのような感じなのです。

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい②

http://anond.hatelabo.jp/20160413011057

正負のエネルギー

負のエネルギー対義語は正のエネルギーなのでしょうか。

正のエネルギーとは必ず正しいエネルギーたりえるでしょうか。仮にそうだとしても絶賛派の持つエネルギーはそれにふさわしいものでしょうか。

恐らくそ根拠としては何事も賛美することや推進することこそが正のエネルギーだという思想なのでしょうけれど、悪事や間違いを推進することは正のエネルギーと呼べるのでしょうか。悪事や間違いを批判することも負のエネルギーなのでしょうか。

そしていきなりそのような立場に立ってしまうと、議論する物事善悪や正誤の考察をする前提をすっ飛ばししまっているように思われてしまます。そしてそのような所に絶賛派ラブライバー宗教的だとか、盲目的で妄信的だと呼ばれる所以があります


また、そもそも私的体験の話をすれば、アニメ1期の時点では自分アニメの内容の嫌な部分に目をつぶりながら作品全体の動向をポジティブ応援しようとしていたのです。しかし2期以降、先述のように作品展開の裏切り汚染が加速拡大していくのを目の当たりにし、目を覚まして絶望するしか無かったのです。


絶賛派の大多数は初期作品群を否定していません

とありますが、肯定をしている様子も殆ど見受けられません。ただ踏み台として蹴落とされるべき歴史としての存在を認めているだけに過ぎないでしょう。先述のメディアミックス理論の持ち出し方にもそれが現れているように思います

アニメ版を叩くだけの負のエネルギーを注ぐのでなく、自分の好きな初期作品の素晴らしさをポジティブに語るべきでしょう。


自分の好きな作品を褒めるために他の作品を叩く行為は忌み嫌われることを増田もご存知のはず。増田が良いと思うものポジティブに語る事で初期作品への注目も上がるのではないですか?


アニメ版を叩き貶める事で初期作品が注目されるのでしょうか?むしろその行為ラブライブ!作品群の全体を貶める行為となっている事実に気づいてほしいのです。

と、絶賛派ラブライバーは最終的にとりあえず批判する奴が悪なんだという方向に持っていきたがります。そこがアイドルヲタクというよりジャニーズヲタク的で、女々しく感じます

また、批判への批判ですら批判であることや、何かを肯定する時には別の何かの否定を孕んでいることが多いことも留意しなければならないように思います

恐らく全てを好みの問題で済ませられると考えているか脳天気に、表立って批判する奴が悪いと言えるのでしょうが盗作問題などをはじめとした不可解な部分、問題があると指摘した部分を深く検討していただけないと原案派への本当の理解や同情は難しいと思います

悪い所があったり、悪いことをしていたりしてもそれを批判することは悪いことだという考え方にはぞっとするものがあります。まるで盲目的な自分達を認めてほしいから目を覚ますようなことを言わないでくれと言っているかのようです。

ただ単につまらない、嫌いというだけで批判しないで済む状態であれば態々大きく批判しなくていいかもしれませんが、そのような甘く生温い状況ではないことを2期以降に強く痛感したのです。その内容の説明は既に先の記事でも今回の記事でもしていますが…。

それと、乱雑な感情論理から導かれる暴力的な賛美や批判と、真摯感情論理から導かれる賛美&批判を一まとめにして考えることはナンセンスだと思います

そのような指摘をみても、やはりアニメ劇場版ラブライブ2013年以降の作品プロジェクト全体は、積み重ねや面倒臭い決め事を破棄して、表面的で浅いつながりで結ばれた妥協馴れ合いの間に合わせで叶えた物語好きな人に支持された作品だったんだなと思えてきます

好きだからこそより高みを目指したい、好きだからこそ勿体ない部分を指摘する、批判するという発想がないのでしょうか。ラブライブはもはや好きとはいいがたい作品に成り果てましたが、自分は好きな作品でも問題のある部分については批判します。好きだからこそ正直で誠実に向き合いたいからです。その点の行動をするかしないかについては好みで問題ないとは思いますが。


 あえて単純化して例えれば、ピカソキュビズム絵画に対して『もう少し現実に合わせてもいいんじゃないか』と主張するくらいナンセンス議論なのです。

この点は先述のレストランの例えで説明しましたが前提のズレがありますラブライブ場合、写実画というには写実的から程遠く、キュビズムの方向に傾かせたというには写実的すぎるという半端な状態です。それがいいといえばそれまでですが、それが悪いといえばそれもそれまでです。

そしてそれらが地味で不規則な所を見ると、ただのミスなのではないかという気がしてなりません。また、ラブライブ芸術作品という意味ではキュビズム絵画と同じでも一枚の絵でも一つの彫刻でもありません。ストーリー作品キャラクター作品物語なのです。さらにあのアニメ内でも『みんなで叶える「物語」』などと言ってしまっています

まりラブライブという作品キャラクター性や物語性の描写の在り方について審議されるのは当然ですし、ましてやそれを無視してしまうだけでなく、無視して見る方が正しいかのように主張する態度は、作品評価をする上で致命的な怠りがあるように思います


 増田の観たかったものは、キャラクター内面リアルに掘り下げたドラマ。誤解を恐れずに言えば、スクールアイドル版のアイマスじゃないのでしょうか?

アイマスといっても色々ありますが、本家アイマスシンデレラガールズ(一応双方アニメのとしておきます)などはアニメラブライブよりはともかく、物語性などについても、キャラクターが多すぎることや、原作主人公であるプロデューサー存在が軸となりすぎていることもあって内面の掘り下げについて理想には少し遠い面があります。またアイマス原作ギャルゲー風の育成ゲーム芸能界作品ですし、そのような物語性やキャラクター性などの部分への描写を前提する要素がラブライブより少ないことがその部分において許されやすい部分はあるかもしれません。

ただ、アイマス声優などの外部のネタキャラ作品に持ち込む二次創作的な風潮がラブライブより強く、そこが支持されてもいますがそこは自分にあまり馴染まない部分ですし、そこはラブライブには真似してほしくなかったのですが結果的追従するように似たような道を歩んでいってしまった印象があります

それでも、アイマス原作ゲームであるという絶対的な軸があり、キャラクター的にもその区分け比較大事にしているので、ラブライブよりはファン棲み分けがしやすくなっているように思います

自分ラブライブ応援する以前にアイマスが好きだったのですが、アイマス2騒動距離をとるようになりました。あれも作品公式運営への不信感を感じる騒動でしたけれど、その後アイマスは先述の区分けのおかげでなんとか致命的に沈み込むことはなく持ち直していったように感じています。また、当時のファンの多くが大きく問題視して糾弾したのも現状に対して盲目的で内容に興味があるのか疑問を抱いてしまラブライバーの多くとは違う点でしたね。あまり高く評価するつもりはないのですが、結果的にはアイマス場合ファン意思がある程度「プロデューサー」として作用し反映されたおかげかもしれません。

対して、ラブライブに期待していた広い意味でのコンテンツの在り方は前回の記事http://anond.hatelabo.jp/20160330020728言及した通りですが、そこでも述べた通り、ラブライブというプロジェクトファン意思存在を「みんな」の中から排除したものだったという気がしてなりません。


京極監督花田さんは物語性の軛からラブライブ!を解き放った。漫画小説では表現できないアニメならではの特徴を最大限利用してアイドル表現したのです。

アニメならではの特徴を利用したとしても、アニメでも表現できることを怠りすぎていたので批判されていることも考えていただきたいように思います

物語性を「軛」と表現していますが、それは致命的な配慮の怠りで思い上がりですね。絶賛派は似たようなことを言うのである意味信頼できますが苦笑します。

別のとある絶賛派の人はキャラクター描写について批判する人をキャラクター至上主義ダメ批判したりしていますが、裏を返すと絶賛派は表現至上主義なわけです。

また、キャラクター性や物語性の描写の拙さを批判する人達別にアニメ表現演出のあり方を否定していません。

対して絶賛派はあの表現演出さえあれば物語性やキャラクター性の描写不要だ、ない方がいいくら否定的に捉えているわけです。表現演出をそれらの免罪符のように扱っているのですから

しかし、先述の例えのようにシリーズアニメにおいて表現演出というのはキャラクター物語性の拙さを打ち消す免罪符に足るものではありません。

まあメタ的に、「アイドルアイドルファンというのは実はこんなに狂気的で下らないものだ」というのを、アニメ全体を使って表現したというのであれば、それはある種のテロリズム芸術として評価できるかもしれません。

そういうものオリジナル作品勝手にやったのであればそういう作品性面白い有意義だと手放しでいえた可能性があったと思いますしかし、元々の作品の指針としてコンセプトが違う原案存在する作品を預かりながらそれを行い、それらを生かしたとは到底言い難い状態にある作品となったので好き嫌いを超えた善悪問題批判しているのです。

現実的であったり表現主義的であったりする要素を作品にあってはならない要素だとは思っていませんし、何度もいうようにそこを特別批判しているわけではありません。

せっかくのシリーズアニメ作品で、物語形式だったのですからそのような最重要の部分を十分生かして欲しかったのです。

そして批判派の多くは勝手ミュージカルをするなとか急に踊り出すなとかいうのを言っているのではなく、そのような表現主義的な意図があるとは思えない単純な所でもただのミスではないかというような違和感を抱く描写があり、その点への指摘や批判すら絶賛派が、全ては芸術的表現からそれでいいんだというように無理矢理擁護してしまうためにうんざりしているのです。

仰っているような表現方法などに特化しただけのものでいいのならオリジナル作品や、またはそれこそ、PVだけ作っていてくれればよかったと思います

それに対して「いやあの形のアニメからいいんだ」と主張する場合理由は、おそらく知名度が上がりやすく人気が出やすからでしょう。

確かにラブライブというコンテンツは人気が出て欲しかったですし、知名度さえ上がれば元のままで高く評価されることが可能なポテンシャルは十二分にあったと感じていましたが、絶賛派が表現主義的に評価するアニメを、あの形でアニメ化しなければならなかったとする根拠を考えると、人気が出た作品ファンを名乗りたいという表面的な所に帰結していくように思います

今となってはアニメ化せずに人気が出なくてもアニメPV付きシングルがもう何曲も出ていた方がただのファンとしてなら幸せだったなと感じます

表現方法などが優れているとしても、前の記事でも言ったようにかつての作品の在り方とそれらの表現手法などは両立できたでしょうに、最初からしない道を選んだことを批判しているのです。

また、それがオリジナリティに溢れていたならまだしも、元々の原案に沿うことを拒絶しながら他の無関係作品は平気で参考にして適当になぞらせるようにストーリーキャラクター設定を(前回の記事説明したような)稚拙配慮の下に歪ませてしまったことが甚だしく受け入れがたい問題点なのです。

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい①

はじめに

返信有難うございます

また長くなってしまい、面倒臭い人間申し訳ありません。

レイアウト問題もありますけど長すぎると区切らなければならなくなるので長文は増田に向かないかもしれませんね。

多少機械的になりますが、考察反論を兼ねた返信をさせて頂きたいと思います


まず「楽しめなくてかわいそう」という感想の持ち方については、先の記事でも既に見解を述べていたので、それに対する反応らしい反応がなく内容として変わらないことを繰り返されてしまうと、改めて反論を頂いた意味がなく、勿体なく感じました。

一応、どうしても楽しめない境遇可哀想だと同情して頂けるのであればそれは有り難いのですが、本当にそのような同情したいという気概があるのであれば、さら相手感情思考の深い所まで歩み寄り、踏み込んで頂いた上で検討するのがよいかと思います

また、「かわいそう」といえば、自分アニメ前のキャラクター達がかわいそうでなりません。光を浴びれば必ず輝ける素質があったのに、アニメ以降ないがしろにされ、隠蔽されるように扱われてしまったのがどうしようもなく可哀想です。

そして自分の思いの最も大きな原動力はそこにあるかもしれません。特に自分が思うのは矢澤にこです…。


ところで、

一部の批判派が熱心に批判を続ける事に対しては不思議に思っていました。

とありますが、自分記事投稿したのも最近の間に留まる話ですし、そんなに熱心な批判派が存在するような心当たりがないのですが…。どこかには一定存在するのでしょうか。ファンの大半と同様にろくに考えもせずとりあえず批判というアンチなら確かに沢山いるのは分かりますが…。


また、互いの意見は『交わる事がない平行線』と仰っていますが、交わらないというより、そちら側は交わろうとする気がないという印象を強く持ちました。

勝ち負けとかはどうでもいいのですが、せっかく会話や意見交換をした上で中枢部分の内容を読み飛ばされると寂しい気持ちになります

おりあそ氏やkato19氏は自分考察批判を読んで、「自分記事を読み込んだ上で書いている」と畏れ多くも評価して頂けたようですが、自分としては読み通してはくれたようですが、内容をしっかり考えながら読んでくれただろうか…?という疑問を抱いてしまいました。

個人的には反論されて論破されても構わないので、一度は自分が書いた作品内容批判論理を受け止めてほしかったと思います特に盗作問題についての考察は、何故か他の方の評論などを読んでみてもパクリかどうかの比較はあっても、その行為の中身と影響に突っ込んだ考察がなかなか見付からないので、最も伝えたいことというわけではないですがもう少し考えながら読んで頂きたかったと思いました。

様々な紆余曲折の後に結局議論はどこまでいっても平行線のまま続く…となるのであれば分かるのですが、前提から交える気がない態度で、主に作品内容や作品の展開内容に踏み込んだ議論をしようという場において、その話題になるとこちらの意見にはあまり踏み込もうとしてこない状態に受け取れるので、そのような中途半端な態度で反論をする意味にも疑問を抱いてしまいました。

例えると、本来議論平行線という場合はどこまでも平行な線が二本伸び続けているという状態のように思います。対して、今回の場合はある長い線に対して平行ではあるが短く途切れている一本の線が寂しく添えられている、という状態のように思います

結局の所、絶賛派は作品内容の是非がどうであれ布教をしたい、ファンである状態を共有したいというのが強く、作品批判する人を減らしたいというのが最前面にきているのではという疑念が深まったような感があります


批判派と絶賛派の勢力状態、それぞれのエネルギー根拠

次に、細かい内容について見ていきたいと思います

(批判派は)呪詛のように『失敗作だ』と唱え続ける事で感動した人たちの気持ちを削り未見の人に予断を植え付けています

とありますが、そもそも最近はいろいろなことがありましたが、未だ以て絶賛派の(根拠も中身もない)ブログ書き込みの方が圧倒的多数であり、未見の人への影響力は強いですから、その辺りの説明がなくこのように書くと違和感を抱きます

おりあそ氏の劇場版批判記事に寄せられた反論記事でも、氏の記事を見て作品に対して安易判断を下す未見の人が大勢現れかねないことを危惧しておりあそ氏に反論するという記述がありましたが、既に多少批判派が増えてもうんざりするほど思考停止の絶賛派のファンであふれかえっている状態で何故絶賛派は未見の人がアニメラブライブ批判派になることについてそこまで敏感になり、怖がる態度を見せるのかという部分が気になりました。

悔しいくらいにファンが多いのに何故そこまで余裕がないのかが不思議です。

また、普通は相反する立場相手意見を交わす際には自分意見相手意見比較を先に考える人が多いはずですし、そのように互いの意見の内容自体に向き合うべきだとも思いますが、アニメラブライブの絶賛派は自分意見説得力の有無などよりも、相手意見による批判派の増加を怖がりながら意見交換に臨んでいるように映ります

そしてその点に、彼らが作品のどこがどう好きかというより、自分自分たちファンであるということのつながりや広がりを最重要と感じており、作品内容自体を捉えて論じる個々の姿勢としては多少の問題があるように思います。もちろんそのような楽しみ方は自由ですし悪ではないのですが、作品内容自体評価を行う上ではズレが生じていると思われます

また、そのような態度を見ていると自分自身が切実に内容に感動したから賛美したい擁護したいというよりも、宗教団体スポークスマンのように便宜上賛美、擁護立場をとっているかのような胡散臭い軽薄さを感じます


一方で、自分やその他の原案アニメ前の状態を持ち出してアニメ以降の展開を批判する人達(一体何人存在してくれているのだろう…?)の意見根拠概要としては、kato19氏の推察は大ざっぱに捉えた形としては大体正しいと思います

その上で、

コミック版・小説版があるとはいえ、メディアミックスとは単なるアニメ化決定ではないはずです。μ'sという架空アイドルアニメに出演している、そういうものですよね?

と氏の記事にも言及があるように、ラブライブメディアミックス作品であることを理解しているならば、そのあるべき在り方についても考察して頂きたかった気がします。

原案の良かった部分を根こそぎ取り除いてしまったアニメ以降の内容を批判すると、アニメ絶賛派はメディアミックス理論を持ち出してきますが、普段はそんなことは関係無いアニメ声優ライブこそラブライブで他は二次創作の延長線だくらいの勢いで見ているくせに、都合のいい時だけメディアミックス作品だと持ち出してきているように感じます

それはつまるところ、「アニメメディアミックスの一部だからそれぞれと違っていてもいいでしょう?だから原案を蔑み破壊しているアニメを許してくれ」という論理なわけです。

実際にそのような形で、それぞれのメディアミックスの各種媒体独立性が保たれていたならば、原案厨(とアニメ絶賛派は呼ぶのでしょう)がアニメ版がどうおかしくなってようと酷いけど仕方がない、作品の下らない一部に過ぎないからスルーしつつ、基本的ポジティブなままプロジェクト全体を捉えて各種展開を見守っていきたいという姿勢になることも容易だったでしょう。

しかし、PVCDドラマなどもアニメ以降、設定が侵食されるようにアニメ版の設定で統一されていきました。

メディアミックス作品だったのにもう好きだったかつての姿には出会えなくなるという危機感を抱かずにはいられません。作品の、キャラクター性の内容、中身が好きなので当然の態度だと思います

しかスクフェススクパラ、ドラマCDPVライブで流れるアニメなど声優が付いている媒体は全てアニメ系設定に統一侵食されているのです。(スクフェスにはSIDコラボもありましたが、残念ながらおまけのようなものです)

いきなり横入りをして住処を奪い、穢した側が、自分も同じファンの一人だから尊重してください、十人十色から許してくださいと言い出しても説得力を感じられません。

まり、そのような棲み分けが十分であれば別物として積極的評価できる可能性も大きくなっていましたが、そのような状態にないためにメディアミックスから許しなさいという理論説得力が弱いのです。公式運営が抱える大きな問題点の一つですね。

また、アニメにおいて原案方向性から改変改悪された内容の根拠が、例のglee盗作によるものであったり、人気があり改変する必要のないキャラを粗雑な配慮見解の下に設定改変していたり(説明は先の考察記事など)と、正当性を感じがたいものであるため、ただ単に変わっているとかただ違っているというレベルの浅い問題ではないことは先の記事でも指摘しています

glee盗作騒動自分絶望アニメ制作陣への憎悪を深める決定的な出来事でした。ただでさえ2期のにこのキャラクター描写凄惨状態に打ちひしがれていた所にそのことが発覚して、制作陣や作品内容という結果だけでなくそれに携わる動機姿勢の時点で重大な問題を抱えていたのだと分かり、どうしようもなくやるせない気持ちになりました。

また、その点がアニメラブライブの内容や展開の是非がただ好みというだけの問題では片付けられず、作品キャラクターを扱う上での倫理的善悪について重大な問題があることを検討するべき根拠となる部分でもあります

絶賛派の方は盗作問題にはまともに向き合わずに軽く済ませようとする人が多い感がありますが、そのような根深問題から目をそらしながらの朦朧とした感情論理から批判派の体験感情は全て妄想から目を覚まそうと訴えかけても特に響くものがありませんし、ポジティブになれる気もしません。

仮に全てが好き嫌いで済む問題だとしても、絶賛派からパッケージへの思いは伝わってきても内容自体に対する好きという気持ちはあまり伝わってきません。好きな作品批判されたくないとか、好きな作品パッケージとして表面的に認められている状態が保たれて欲しいという気持ちは伝わってきますが…。


内容に対する好きの根拠価値

kato19氏や自分思い当たる絶賛派の何人かもアニメ作品表現演出評価していることが多いように思います。そのような部分を評価する場合表現曖昧にならざるをえない部分に対する「好き」なので言い表すのが難しい部分もあるかもしれません。しかし、結局その作品ラブライブでなければいけないほどの理由というのが見えて来ません。

先の記事でも書いているように絶賛派が評価している表現法や演出などそれ自体については殆ど否定していません。それが物語性だとか本来キャラクターの持つ魅力の描写と両立されていたら良かったのにと思っています

ただ、絶賛派が作品物語性とキャラクター描写の酷さの免罪符にしたがるくらいに賛美する作品演出などが安易パクリだという可能性と、その場合に失われる効果がどれほどかというものは多少審議する価値があるでしょうけれども…


たとえば、人間的にでも性的にでも構いませんが、自分が大好きな人を指して、この人は「顔が美人から好きだ」、「身長が高いから好きだ」「優しいから好きだ」というように好きな根拠アピールする場合、じゃあ顔が美人なら、身長が高いなら、優しいなら他の誰でもいいのでは?という指摘ができます

kato19氏やラブライブ絶賛派の好きだとする根拠評価する根拠を読んでいると、その作品ラブライブという作品であることの意味価値殆ど考慮されていないように思います。簡単にいえばそれが原案原作物語性やキャラクターの軽視や蔑視につながっているのでしょうが…。

おりあそ氏の批判や先の自分考察反論にもあったように当初のコンセプトを否定して廃棄しまっているのがアニメ以降のラブライブという作品でした。

絶賛派はそれらの問題があってもアニメラブライブは素晴らしい表現が魅力だからいいんだと主張しますが、ラブライブラブライブである所以を廃棄してもアニメでくっつけた魅力があれば全く問題がないと思えることが狂気的に思います

そのような評価の仕方は、どんな作品を見ても表現演出その部分だけを見て論じる第三者的評論家のすることのように部分的には真っ直ぐでも冷たく短絡的です。

その評価の仕方を否定するわけではないですが、その評価は他の評価を全て飲み込めるほどの影響力や説得力には著しく欠けていると言わざるをえません。

高級レストランに行って、「ここは、料理は高いくせに不味いが、内装や外装、食器が素晴らしいから料理が美味い他のレストランよりあらゆる意味で最高だ」と言うようなものです。デザイナー建築家などであればそう評価をするのも分かりますが、レストラン料理包括的意味でのファン評論家としては問題があるのではないでしょうか。いわゆるナンセンスというやつですね。高級レストランが高級レストランであることの価値は高品質料理提供することだと思います。ただ内装外装が素晴らしいことを売りにして全てのマイナス面を打ち消したいなら宗教的建築物にして料理を出さずに見物料をとればいいでしょう。

レストランにける内装外装などの美しさはどんなに素晴らしくても評価する場合には料理の不味さを打ち消せるほどの価値はありません。独断偏見の好きでいいならば、他が全てどうしようもなくても格好いい、可愛い店員いるから一番好きなレストランだと言い張るのは自由ですが、その場合その店員ファンというだけであって、レストランに対する大きな好きの評価として直結させるには弱いと思います

この例えにおいては料理の種類や味というのが作品物語性やキャラクターにあたる部分で、内装外装食器店員などの外的な部分が表現演出声優スタッフなどにあたるでしょうか。

2016-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20160412230520

東京だったかどっかの区だったか保育園不足解消の為に子供の声は騒音とはみなさないよう条例作ったとか何とか

環境確保条例における子供の声等に関する規制の見直し」のことかな?

東京都において、子供の声等は「日常生活等に係る騒音規制基準」のなかで「規制基準を定めていないもの」に該当し、環境確保条例第136条に違反しているかどうかの判断は、受忍限度を超える障害を及ぼすおそれがあるかどうかによって判断されると。

客観的指標受忍限度」ということか。

見直し後の環境確保条例において、子供の声等は、第136条のかっこ書きに規定する「規制基準を定めていないもの」に該当することとなる。

したがって、子供の声等が環境確保条例第136条の規定違反しているか否かは、数値規制適用するのではなく、人の健康生活環境に障害を及ぼすおそれのある程度を超えているか否かによって判断されることとなる。

ここで、生活環境に障害を及ぼすとは、人の生活を取り巻く、周囲の環境に、一般社会生活上受忍すべき程度(受忍限度)を超える障害を及ぼすことをいう。

受忍限度を超えているか否かの判断に当たっては、単に音の大きさだけによるのではなく、音の種類や発生頻度、影響の程度、音を発生させる行為公益上の必要性所在地地域環境関係者同士でなされた話し合いやコミュニケーションの程度や内容、原因者が講じた防止措置の有無や内容等を十分に調査した上で、総合的に考察する。

上記のような関係者同士の話し合い等がなされることによって、施設管理者側においては近隣へ配慮する意識が、苦情者側においては子供の声等に対する理解がそれぞれ深まり、こうしたことを通じた問題の解決が期待される。

なお、第136条の規定違反し、さらに、周辺の生活環境に支障を及ぼしているとき、すなわち、受忍限度を超えて現に実態的な被害が生じていると認めるときは、これを解消するために必要な限度において、必要措置をとることを、施設管理者等に勧告することができ(第138条)、勧告に従わないときは命ずることができる(第139条)。

俺は市川まれ市川育ち

10年前ぐらいには市川を離れた身ではあるけど。

なのでこんなニュースは気になります

私立保育園:「子供の声うるさい」開園断念 千葉・市川 - 毎日新聞

特に気になるのが市内のどの辺なんだろうかということですね。

ブコメには「(仮称)ししの子保育園」という情報あり。確かに市川市HPに整備中止のお知らせが載っている。

※下記の施設については、整備を中止しました。

  (仮称)ししの子保育園市川平成283月31日更新)。

http://www.city.ichikawa.lg.jp/chi04/1111000019.html

平成28年4月開園を予定しておりました「ししの子保育園市川」につきまして、諸般の事情により開園が中止となりました。

(PDF注意)

で、この保育園建設予定地はどこだったのか、というと、どうも菅野だったらしい。

仮称)ししの子保育園市川 市川市菅野4-1(以下未定)

市川市|広報いちかわ|暮らし・支え合い・コラム(平成27年11月7日号)

市川まれ市川育ちの俺はこれ見て「あーね」と思ったね。菅野ならしょうがねえわ。そりゃ反対されるわ。

菅野は市内で1、2を争う高級住宅街。道も細くてゴチャゴチャしてる。ちょっと行ったところにある幹線道路は恒常的に混んでバスも遅れまくる。

俺が住んでた頃だって外環菅野に通そうとして地下にするだのルート変更だのモメにモメてたもんな。(その後どうなっただろう?)

菅野ならしゃーないしゃーない。切り替えていこう。

まあ俺が言いたいのは「市川死ねと思っても、市川の梨は嫌いにならないでください!」ってことだけです。美味しいよ。



(追)

キャーーン俺の増田より前にもっとちゃんとした考察エントリ出てたーーー

はずかしいーーー

2016-04-11

http://nuryouguda.hatenablog.com/entry/2015/09/19/220619

今更アニメシンデレラガールズ考察サイトとか見て回ってたら、はてなでもちょくちょくエントリあがる人の経歴が自分に近くてちょっとびっくりした。

優秀でもなければいい子でもなかったと思うし、医者にかかったりとかもしてないのでそこまでひどいものではないのだけれども。

その後もずっとそのこと引きずったまま進んで、幸か不幸かほんのちょっぴり普通の人よりは絵がかけて、運良くそ方面仕事を貰えたばっかりに細々とそれで過ごして。

それでもちょくちょくそ回避性の性格が発動して、大きな新しい種類の仕事もらえた時、ネタが浮かばなかったらどうしよう、迷惑かけたらと思ってしまって断ってしまった事があるし自分でもチャンスをドブに投げているとはわかっているけど、断った後は後悔よりもホッとしてしまう。

なんだかシンデレラガールズ二期の挑戦や冒険というテーマや、終盤の島村さんの話にもいまいち乗り切れなかったのはその辺りもある気がしてきた。

2016-04-07

フリースタイル教皇庁名勝負数え歌:「ニーチェ vs 神」

◆ビーフに至るまでの経緯

神だけどお前らから著作権料を徴収しにきました。

rna ニーチェが神を殺したのが1883年頃だからとっくに著作権切れてるだろ。

mckassyi あれ、神様は死んだって昔、ニーチェさんが。

KariumNitrate ニーチェが亡くなる1900年までに死亡が確認されてるので色々時効ですね。


ワックはてなーdisに神さんマジ激おこ「まだ死んでねえっつの!!」

ニーチェにバトルをふっかける



◆バトル前コメント

ニーチェ「いやー負ける気? がしないっスね。もう終わりでしょ正直神とか。前世紀が全盛期だったでしょ。今日調子いいですわ。全身が口になったみたいな、断崖の高みから落ちる渓流の轟みたいな感じ。はやく俺のフロウを谷へ向かって流し落としてえ気分でーす」

a.k.a. Shit する God人類? 最近頑張ってじゃないんですか(笑)。でも、まだちょっとちょっとまだねえ。譲れないでしょ。チャンピオンの座は」


◆バトル(会場:バイロイト祝祭劇場

M.C. Leo PP. XIII「さあ、Big. G.G ことガリレオ・ガリレイマルティン・”シスマ”・ルター以来のビッグマッチアップがやってきたぜ! ニーチェ vs 神! 果たして神は死んだのか!? それとも死なないのか!? さっそくはじめるぜ、DJ Shit-ダールダ!  ギミアビーーーーッ!」


(チェケチェケチェケバウ♪)



ニーチェ

Yo ツァラトゥストラならこう言うね

 Tell you I’m da superstar,

 Tell you I’m da Supermensch!

 Yes オレはスーパーマン

 どうみてもおまえ Wimp なバットマン

 勝てるわけねえじゃん おれはクリプトン

 負けるわけねえじゃん おれのスクプリト

 食らっちまいな オレ=アンチクライスト

 かつて神をdisった俺たち

 いまやdisる価値もないおまえだし

 死んでくれて良かったな思うし

 だったら 至高の軽蔑 ’n 思考の聖別

 くれてやるぜよ 代わりに Gi’mme 地上の権力

 全力つくして行くぜ善悪の彼岸!」


「そう僻むなよ スーパー メーン!

 見下げたやつだぜ ルサンチ メーン!

 面妖ガイ(コンプラ) 永劫回帰

 複雑怪奇新刊なんかに

 殺されるわけない オレの神学

 見学 してみる? 瞬殺しちゃうかもだが

 哲学道徳煉獄アフォリズム

 反時代的なおまえの考察

 降伏するならいまのうちだぜ

 Cuz You're just a human!

 勝手に使うなヨソのザラシュトラ

 ゾロアスター に頼ったところで

 いまさら来ないぜその明日は AMEN!」


ニーチェ

エイメン唱えたところでこの世はB面

 救いなんかないサーセン だから俺たちB-Boy

 やってんだろ 忘れたか? 無邪気そのもの忘却

 返却なんかしないぜ今夜かぎりで負債

 シナイ山登ってもいらねえぜ十戒

 聴く耳もたねえ キルミーベイベー

 そんな明日ならやすなかソーニャ

 あれかこれかで悩むならよしな

 身過ぎ世過ぎで死屍累々のこの世で

 いつか掴むぜ獅子の声を Mein に

 カインの末裔なら上等なんだ だったら

 おまえの御徴(サイン)に否(ナイン)!」


サインが見えねえ お前はシックスセンス

 欠けたブルース・ウィリスだな

 それに引き換えオレはダイ・ハード

 ぜったい死なねえマジハートフル

 祝うんだ毎年のクリスマス of my child

 with ジーザスクライスト ye shall find

 俺たちいつでも Homie 三位一体

 おまえはいつでも Zombie 惨殺死体

 だけど おまえ次第だ 忘れんな

 俺とおまえらで 結んだ契約

 俺はおまえらを いつまでも啓発

 してやってんだ Say So Still God’s not Dead!」



M.C. Leo PP. XIII「Hoooooo! 終了ー! それでは審査員の皆様、ジャッジをどうぞ!」

2016-04-05

ブログはつらい

7時間くらいかけて図とかもはりきって作って書いたエントリーが1日7アクセス

時事ネタ適当に乗っかって雑な考察したら1日2000アクセス

つらい

2016-04-04

多ステ

ジャニーズJr.が好きだ。

ジャニーズJr.は先輩グループコンサートのバックについたり、先輩が主演の舞台に出演したり、少年倶楽部に出演したり、時にはJr.のみでの公演をしている。

私は「この人のパフォーマンスを見たい」と思ったらその人が居る現場に行く。ジャニヲタの基本である担当と言えるような人は居ない。地方公演にまでホイホイ遠征することは出来ないけど、東京で行われるもの基本的には必ず行く。もちろんJr.から基本的にはコンサート舞台初日の幕が開くまではどこに居るか分からない。(Jr.がメインで行うコンサート舞台に限ってならJr.でも事前に出演者として名前が発表される。)でも歌番組を見て予想したり掲示板Jr.予想スレッドを読んだり過去の傾向から考察したりして行く公演を決める。余談だけどバックのJr.予想は意外と楽しいスポーツスタメン予想と似たようなものなんじゃないかって思う。

1回だけじゃ足りないな、何回も見たいな、と思っていたら気付いたら1つのコンサート舞台に何回も通うようになっていた。つまり、いわゆる多ステ(何回も同じ公演を見に行くこと)するオタクになっていた。チケットは安くない。自分でもチケット代にこんなにお金かけて勿体無いなと思う。誰かと回数を競争してる訳でも無いし自分何やってるんだろう馬鹿だなって良く思う。でもきっとこれからも多ステするんだろうな。そして毎回Twitterにレポを落として、半券を眺めてはニヤニヤする。

いつかジャニーズJr.に冷めたら、費やしたお金無駄だったと後悔する日が来るのだろうか。いや、未来ことなんて誰にも分からないか。

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