「Sf」を含む日記 RSS

はてなキーワード: Sfとは

2021-05-29

ワクチン陰謀論の母を説得する言葉を教えて

母が真剣な顔でワクチン危険性を不安がってきます

見せられたホームページ(というかpdf)を見て唖然しました。

http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/topix/topix2021/topix2021_04/8_indeep_blog.pdf

地球最期ときに In Deep ブログより転載

まほろばだより」

 

このくっさいフレーズだけで胡乱さに気付いてくれよと言いたくなります

ワクチン 危険性」でググってこういう変なページばっかり見ているようです。

 

 

ワクチン副反応による死者数なんて世界中で出てるでしょう、

世界中で打って死者がその程度なら交通事故の方がずっとリスクが高いでしょう、

交通事故リスク容認しているならワクチンリスクは騒ぐに当たらないでしょう、

コロナにかかって死ぬリスクの方が高いんじゃない?

 

などとは言ってみたのですが

そうするとこんどは

遺伝子を組み替える新しいワクチンからその後身体がどうなるかわかってない

10年単位で経過を観察しないと危険!なはず」

と来ました。

 

これはなんと回答するのが良いですか?

 

 

 

ちなみに陰謀論脳になった人間

忽那医師リスクを語った記事とか見せても無駄です。

自分が知りたいことが載っていない」って言い出すんです。

あんたが知りたいのは電波っぱなページに書いてあったSFじみた副反応のことだからそりゃそうだろなんだけど。

 

昨日山中教授ワクチン開発者の対談番組があったけど

やっぱり穏当な医療研究者の話に終始していて「知りたいことについて話してくれない」と言ってました。

 

 

母は愚かですがこういう愚かな人間結構いるのではないかと思います

忽那医師とか山中教授のような人達には

妥当な当たり前の話をするだけでなく

主要な陰謀論に触れて何故それがおかしいのかの解説もしてほしい。

でないと愚母のような人間は「知りたいことが書いてない」「この医師は誤魔化している」になるんですマジで

  

  

とりあえず

mRNAワクチン人間遺伝子を書き換えて10年後に大変なことになる(なんで10年?)!」

に対してなんと説明して落ち着かせたらよいか、どなたか助言ください。

2021-05-28

カタカナファンタジーが苦手である

 昔から個人的に、日本語カタカナ英語で「ファンタジー」という言葉を当てられてカテゴリ分類される作品(小説映画漫画など)の大半が苦手である。良い悪い、正しい正しくないではなく、あくま個人的な好みの話である。もしも、これらを好きな人が気を悪くされたら、先に謝りますすみません

 日本語で言う時に「ファンタジー」よりも「幻想」という硬めの言葉を当てられる作品は嫌いではない。国内作家で例を挙げれば、山尾悠子とか。

 海外SF周辺の作家作品だと、クリストファー・プリーストの『魔法』や『奇術師』は好きであるものすごく古いが、子供の頃に読んだH.G.ウエルズの短編魔法を売る店』も好きであるSF作家視点から魔法(のような技術体系)が存在する世界」を描いたような作品、例えばハインラインの『魔法株式会社』や、霊魂テクノロジーが実現した未来世界を描いたロバートシェクリー『不死販売株式会社』のような佳作も好きだ。ここまで読めばお分かりのように、どちらかと言えば私はSF寄りの人間である

 日本を含めて世界的に『ハリー・ポッターシリーズや『指輪物語(LoTR)』シリーズ劇場映画としてヒットした頃に「食わず嫌いも良くないな」と思い、これらの映画を観に行ったり原作に挑戦したりした。結果を言えば、結局だめだった。私は、これらを少しも楽しめなかった。『ナルニア国物語』も駄目だった。SF映画ジャンルに含められるが実質的には「剣と魔法世界」のようなものと言ってもよい『スター・ウォーズシリーズも、旧EP4以外のシリーズ作品は全く楽しめなかった。こんな感じだから当然ではあるが、家庭用ゲームの『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などにも手を出していない。

 「剣と魔法系統の娯楽作品の全てを無条件に嫌いかと言えば、そういう訳でもない。子供の頃にテレビビデオで観た『アルゴ探検隊冒険』や『タイタンの戦い(オリジナル版)』といったレイ・ハリーハウゼン作品は、昔も今も大好きである

 『ハリー・ポッター』などが苦手に感じるのには、別の理由も有る。たとえば、ドラえもんの「うつつマクラ」で、余りにも都合が良すぎる夢(文武両道の大天才モテモテで、教師にも親にも級友にもチヤホヤされる世界)に、のび太が興醒めしていたようなものだと言えば、理解してもらえるだろうか?学期末の成績を発表する場で、校長が「勝ったのは…スリリン!……じゃありません!大逆転でグリフィンドールの勝ち!」とか言って、バラエティ番組の「結果発表ー!」みたいな真似をしてスリリンの生徒たちを糠喜びさせたのは非道い。校長あんな依怙贔屓をするような人間からスリリンの生徒たちも性格が歪んでしまったのではないだろうか。あの校長は、教育者として失格だと思う。スリリンの生徒たちは、腐ったミカンなんかじゃない!こんなハリー・ポッターがヒットしたということは「なろう系作品」を好む人間が、日本と同様に海外でも少なくないということなのだろう。どうも私は「なろう系作品」が苦手だ。そういえば、上で挙げた『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』は、ハリウッド作品としてアレンジされているとはいえギリシア神話英雄譚がベースであり、依怙贔屓どころか、むしろ主人公理不尽な試練が課せられる物語なので、その点がツボなのかもしれない。

 LoTRが苦手なのは正義の側のキャラクター白人ベースの美しい造形または愛嬌の有る造形ばかりで、悪の側は醜悪な造形ばかりというのが、どうしても興醒めしダメだった。ルッキズム。それに、LoTRの悪の側の造形は、白人から見た有色人種イメージが入り込んでいる気がする。ルッキズム。それはそれとして、第一部で地下に消えたガンダルフが、続編で生きていたと判明し、杖一本を手に巨大な怪物相手にガキーン!ガキーン!と肉弾戦をしていたところは、正直に言うと大爆笑した。

 こんな感じでカタカナファンタジー作品の大半が私は苦手であるが、例外的に楽しめて大好きだった作品が、先ごろ惜しくも亡くなられた三浦建太郎の『ベルセルクである

 外形的には、人知を超越する異形の存在怪物魔法などが存在する世界舞台にした物語という意味で、同じカタカナ英語ファンタジーという単語が当てられていた作品ではある。しかし、私個人にとっては、ハリー・ポッターLoTRと天と地の違いが有るように思えた。もちろん、私にとっては『ベルセルク』の方が「天」であるハリー・ポッターLoTRファンの人には、重ね重ねすみません。繰り返しますが、個人の好みの話です。

 ゴットハンド名前(スラン、ユービックヴォークト)や、黄金時代篇の敵の武将名前(ボスコーン)からは、作者の原体験SF作品が有ったことは想像に難くない。だからベルセルク物語世界では「魔法のような人知を超えた事象存在する/起きるならば、その根源となるエネルギーは何処から齎されるのか」「その代償に払う犠牲は何か」といった理(ことわり、ロジック)を、作者は考えていたと思う。上でも書いたように、SF作家SF視点から魔法存在する世界舞台にした物語」を書くケースはしばしばあったので、SF好きの三浦建太郎もそれらの影響を受けていたことと推測される。ゴッドハンドの1人として転生する直前、深淵に降ったグリフィスが「ヒトの作りし神」に出会って対話を交わす場面(※単行本未収録)は、あれも「この物語世界がどのような理(ロジック)で動いているか」を読者に示すものだったと言える。

 少し脱線するが、理(ことわり、ロジック)と言えば、ハリー・ポッターのような作品を読んだり見たりしていると「あんな大きな学校が有って、そこから大勢卒業生たちが魔法使いになって世に送り出されて、就職先は確保できるのだろうか?」とか「石を投げれば魔法使いに当たるぐらい、たくさんの魔法使いがいる世界では、そもそも魔法使いの存在価値は有るのだろうか?」とか考えてしまう。モンティ・パイソンコントスーパーマンだらけの世界で大活躍するスーパーヒーロー!我らが『自転車修理マン』!」みたいになったりしないのだろうか?捻くれたSF好きである私は、おそらく「物語のような『不思議世界』が存在していて、それが自分のいる現実世界と地続きであって欲しい」という願望が強いのだろう。だから不思議世界を成り立たせるロジックを求めてしまうのだと思う。ちなみに、驚異の世界を成り立たせるような、もっともらしい理屈を付けてくれるハードSFは大好きである

 話を戻すと、『ベルセルク』の物語魔法や異形のモノが存在する世界で展開されるが、主人公ガッツ自身は、魔法による恩恵を受けていない時期の方が長かった(パックの翅の鱗粉で傷を治癒する描写とか有ったけれど)。ベヘリットによりゴッドハンド召喚され、鷹の団メンバーたちが使徒たちへの贄として捧げられた悲劇を考えれば、ベルセルク物語における魔法人知を超えた異形の怪物ほとんどは、主人公に困難を与える原因として存在したと言っても過言ではない。そんな中でガッツは、鍛錬で身につけた能力人間の業で作れる武器だけを頼りに、使徒という異形の怪物たちを相手に、文字通り満身創痍になって半死半生になりながら、ギリギリで死線を掻い潜る闘いを繰り広げていた。リッケルト、鍛冶のゴドー養女エリカの親子、パックなど少数の例外を除けば、長い間ガッツの闘いは孤立無援だった。これでは読者も、応援したくなるというものである

 それとは対照的に、地下牢で長期間に渡る拷問を受けたものの、ベヘリットを使ってゴッドハンド召喚し、彼らの1人フェムトとなり、受肉して自分王国ファルコニアも手に入れた新生グリフィスは、謂わば「うつつマクラドリーム状態を実現した、ハンサム野比のび太である。まさに、なろう系の究極形。しかも、ノスフェラトゥ・ゾッドを筆頭に使徒たちを配下に従えているのだから主人公との戦力差は圧倒的であり、まさに天と地の差である

 こういう丁寧な前フリがあればこそ、近年の主人公を取り巻く状況に変化(イシドロファルネーゼセルピコなどの新たな仲間の誕生、髑髏の騎士魔女による魔法サポート)を生じさせたことにも、説得力が生まれた。最初からガッツに心強い仲間がいて、魔法によるサポートも受けられるような状態物語が始まっていたとしたら、私のようなカタカナファンタジーの大半が苦手な人間は「ハイハイ、どうせ魔法でチョチョイのチョイと助かるんでしょ」と興醒めして終わっただろうし、多くの熱狂的なファンも生まれなかったことだろう。

 長い長い時を経てキャスカ正気を取り戻したことは、主人公ガッツにとっても読者にとっても喜ばしいことだった。しかし、それでグリフィスに対するガッツの闘いに終止符が打たれた訳ではなかった。新たな仲間や魔法的なサポートを得たとはいえ、これから先もガッツは、強大なグリフィスに対して、苦しく不利な闘いを挑むことになるのは確実だった。そういう骨太物語を、作者は描いてくれる。長期間休載は読者としては辛いけれど、長く待つだけの甲斐が有る作品を描いてくれる。これまでと同様に、これから先も、そうであろう。そう思っていた。鷹の団メンバーが、グリフィスの夢の実現を信じていたように。

 私を含めたファンの願望は、もう叶わない。三浦建太郎自身ペンによる物語の続きを、我々が読むことが出来る機会は、永遠に喪われてしまった。

 このまま未完で終わらせるのか。構想のメモなどを元に、誰か脚本家作画者を代筆に立てて遺志を継ぐのか。今後どうなるのかは、未定だという。どちらが良いのか、私には分からない。

 人は誰しも、別れを告げる時には詩人になるのだと、誰かが言った。しかし、ご覧のとおり私には詩才は無い。こんなに心乱れたままで、長々と駄文を書き連ねた挙げ句、偉大なる作家が彼の代表作の中に残した印象的なフレーズ引用するぐらいしか出来ない。

 「風が、旅の終わりを告げていた」と。

2021-05-27

anond:20210527115151

日本もすごいけど中国とかは更にすごくて、マジで〇〇工みたいなのがほぼいらないレベルまで機械化してるらしい

めちゃSF感ある

2021-05-26

anond:20210525184319

結局のところ二次創作ジャンルとしてはもっぱら「恋愛小説」なので、例えば冒険とかアクションとかミステリーとかそういうのはあまり求められていないかもしれない。

たとえばONE PIECE冒険バトルもの)とかるろうに剣心時代劇剣戟アクション)とかの二次創作でも原作主題抜きに、読み手恋愛が読みたいのね。なぜなら原作では恋愛こそオマケでそれを詳細に描写する暇がないのだから

二次創作では、原作行間を埋めるお話が求められる。原作アナザーストーリーを展開するのは、原作同様、話のテンポをよくするためにキャラ日常人間関係描写犠牲にしなくてはならないので、読者のニーズは満たせない。

それに、物語を展開させると、どうしてもストーリー面白さの為に原作から逸脱させないといけなくなるのだが、そうするともうそれは二次創作とは言えなくなるじゃん? そういうのが上手い字書きもいるけど、小説漫画と違って絵で二次創作であることを示せないから、読者はなんか違うもの読まされてるって思ってしまう。

また、キャラぶれが生じ易いのも問題登場人物人間性は、たった一言、たったひとつ動作で大きく変化する可能性がある。オリジナル小説だったら、キャラぶれをするに任せて後のストーリー展開まで方針変換をすることもできるけど、二次創作でそんなことをすると「飛影はそんなこと言わない」という大事故を起こして顰蹙を買う

文章が長くなればなるほど、物語が進めば進むほど、キャラぶれは起こり易くなるもの。むしろキャラの変化を楽しむのが小説醍醐味ひとつであると思えば、二次創作小説長編小説を書くのはかなり難しいと思う。できなくはないけど、かなりの技量が要る。

という訳で、読んでもらいたいなら諦めて恋愛小説として二次創作を書くのがおすすめだね。物語を書くのが諦められないなら、思いきって一次創作転向して、なろうやカクヨムで書こうか。

だがしかし! 世はキャラ萌え時代というかなんというか、ストーリー面白さだけを追求してもなかなか読者は食いついてくれないので、それなりユニークで愛されるキャラ作りをしなきゃいけないのだが、文章だけで愛されキャラを描くというのはなかなか至難の技である……。

ここで唐突おすすめ本。

『美しい彼シリーズ』(凪良ゆう)

商業BL小説大人タイトルBL少女漫画から派生したジャンルだと、凪良先生AbemaTVの何かの番組で仰っていたのだけど、その言葉通りに恋愛漫画定番ネタを次々とくり出してくるのだが、それがどれも「そう来たか」とクスリと笑ってしまうような斬新な描写のされかた。糞ベタネタでも書きようによってはこんなに面白いし萌えるという見本。登場人物心理描写も秀逸でキャラが立ってるので、またこ主人公達に会いたいと思い再読してしまうのである

榎本ナリコ+野火ノビタ (2)』(榎本ナリコ

幽遊白書』(冨樫義博)の二次創作漫画漫画榎本ナリコプロになる前に野火ノビタ名義で書いていた同人誌の再録。ちなみに第1巻は『新世紀エヴァンゲリオン』の二次創作で、第3巻には幽白二次漫画オリジナルに焼き直した作品が収録されているはず。私の小説が確かならば。

そもそも原作幽遊白書』は、ストーリーの為に人間関係描写を惜しげもなく切り捨てつつ、確かにそこにはキャラ同士の確かなリレーションシップ存在するというのを端的に描写した点が秀逸。二次創作のし甲斐のあるコンテンツなのである

本書はそんな幽白二次創作であるのだが、漫画という表現方法の強みを存分に活かして無茶苦茶をやっている(誉め言葉)。

特に飛影の人物描写がかなり思いきっていて「飛影はそんなこと言わない」の連発なのだが、絵が飛影なんだから飛影だよな(絵柄もだいぶ独創的なので、ツンツン頭やあの服装で飛影だとやっとわかるくらい。)……と思いつつ読んでみれば、思わぬ所ですごく飛影みのある描写差し込んでくるので、驚嘆させられる。

メインカップリングの蔵馬×飛影が振り切っているのに対して、蔵馬と海藤の会話は原作に非常に忠実で、再現力がすごすぎてすごい。

収録されている『宇宙士官候補生』は蔵馬と飛影のその後ifを描いたSF作品なのだが、そこまでやる!? って感じのオリジナリティの高い漫画であるオリジナルでやれったって、主人公達が蔵馬と飛影じゃないと何だかからない話になっている。ベタ恋愛コメディ同人食傷した上級者向け。蔵飛ラブラブやおい漫画大隆盛という背景事情あってこその、切ない物語

小説では中々できない、ストーリー重視の二次創作作品の見本。

左近の桜(シリーズ)』(長野まゆみ

KADOKAWAから出版されているので「商業BL」の括りには入らないのだが、中身は実質主人公総受けBL

主人公は、男性カップル専用一見さんお断り連れ込み宿の長男坊、という萌える設定だったのに、なんと、シリーズ第二作目にして、早くもその美味しい設定はカットされてしまう! 江戸情緒の残る怪しい宿屋での情事はどこへ。以降はそんな設定などなかったかのように、作者独特の世界に読者は引摺り込まれていく。これはこれで面白いけど、なんか違う所来ちゃった感。面白いけど。

設定にホイホイされて寄ってきた読者達にど派手な裏切りかましてマイワールドに引きずり込むなどという暴挙が許されるのはプロ小説家だけ、という見本。

2021-05-25

日本漫画アメリカグラフィックノベルがどうこうの話

日本スゴイでもスゴクナイでもいいんだけどさ、マンガファンとしては海外にもこういう凄いコミックがあってね・・・という話をして欲しいよな。

個人としては日本スゴクナイの方がむしろ嬉しい。知らないコミックが沢山あるってことだから海外に目を向けても、知ってる日本マンガが席巻してるなんて白けるよな。統計データの話でスゴクナイんだ、スゴイって言ってるのは袋小路なんだっていう自戒的な説得より、いやいやこういう凄いコミックがあるんだから読んでみてよ・・・って言われた方が、オタクとしては気になるじゃんか。椎名ゆかり訳の『モンストレス』スゲエ面白いんだぜ? 中国系アメリカ人原作(元マーベル作家)と日本作画(と言っても活躍の場は主にマーベル)のマッチアップで、アメコミ想像されるマッチョテイストを感じさせつつもクトゥルフ幻想SFを背景にイヌネコ人間達が築き上げた文明世界権力者の思惑に巻き込まれながら戦う、少女の話なんだ。日本語版は3巻で止まってるんだけどな。『ファンホーム』は……まあかなり人を選ぶっていうか、多分に衒学的すぎると思うからよく訳したなって正直凄いと思ったよ。あれを心底楽しめる人間は相当稀だろうな。作者名を取ったベクデルテストかい名前が独り歩きしてジェンダーバイアス測定の指標みたいな面してるの、正直英語圏のやつらは作品を鑑賞する時にいちいち杓子定規を持ち出して、ベクデルテスト、うーん…合格! とかやってると想像すると、あきれてしまう。そこまで数値的な規範に頼らないと何のバイアスがあるか無いか判断できないって、それはもう手前で作品を楽しむこと自体不安なんだろうな。

話が逸れたけど、そういう個別作品の話をもっとして欲しいんだよ。それを「北米の(グラフィックノベル市場全体ではなく)一般書店で売られている紙の単行本限定したベスト20でMANGAと呼ばれる商品が独占している」だけだから結論を導くことは出来ない、実際に北米で一番売れているのは「子供向けグラフィックノベル」のカテゴリーだ、って言われても、途端に何が真実という話なのかよく分からなくなるよ。その抗弁もするだけ苦しいっていうか「子供向けグラフィックノベル」って要は児童向け絵本のことでしょ? スマーフとか想像ちゃうけど、カートゥーンネットワーク放送してるアニメボリュームゾーン。そのジャンル比較して、いや日本漫画は売り上げで及ばないし……って言われても、なるほどそんな市場規模ならコミック読んでる奴は精神的に幼いみたいな受け止め方もされるかって思うし、それにMANGAが次いで更に小規模なスーパーヒーロー大人向けグラフィックノベルってマジでさな市場なんだなってなるよね。実はゼロカルカーレの『コバニコーリング』がシニカルなサトリ世代戦時ドキュメンタリーになってて新鮮だとか、ティリー・ウォルデンの『スピン』がヤングアダルトジャンルで出色なんだとか、いやいやMariko Tamakiの"Laura Dean Keeps Breaking Up With Me"が外せないとか、そういう話で盛り上がって欲しい。

こういう愚痴ユーロマンガ誠文堂新光社の『アイデア』も黙らせてくれるので、感謝してます。読みます海外マンガであるというだけで正直かなりの下駄履かせて面白がってるように感じちゃうけれど、知らない変なコミック出会えるというだけで高評価せざるを得ない。非凡な人は全世界にちらばってるので、そういうのを見つけて楽しむのによい。そう思います

2021-05-24

ワクチン注射したら5G対応するって陰謀論、たぶん星新一想像できなかったディストピアSFの傑作だろ

おすすめラノベ教えて下さい

主に国内/海外邦訳SFや、大衆小説ノンフィクションを月に4~5冊読んでいるのだけど、たまには変わったものも読みたいと思っている。そこで普段はあまり読まないラノベでも読んでみたいのだが、たくさんあってわからない。そこで諸氏のおすすめするラノベを教えてくれまいか

ちなみに今まで読んだラノベの例を上げると

ハルヒ

星界シリーズ

ビブリア古書堂の事件手帖

くらいでどれも面白かったし、続きも追っている。冲方丁西尾維新森博嗣田中芳樹などラノベ境界位置するような作品ではなく、ほんとにラノベラノベした本が読みたい。できればアニメ化されていなくて、あまり長くないもの希望

追記 -----

リプありがとう

星新一中学生くらいのときにハマって20冊くらいは読んだと思うからとりあえずいまはいいです。

ある日、爆弾がおちてきて」は読みました。面白かった。

https://anond.hatelabo.jp/20210512013126 読んだ。参考になる。「筺底のエルピス」と「帝都異世界レジスタンス」は読んでみる

えすえふな映画で見てへーって面白がって眠りにつきたい

ゴジラVSビオランテ見た」

「どうだSFだったろう?」

「これゴジラちっとも悪くなくね」

「そうだろう」

ビオランテ別に悪くなくね」

「そうだろうそうだろう」

「あと博士芸能人じゃなく声優の人使ったほうがよかったと思う」

科学など所詮政治の道具でしかないのだ」

「うっせぇよ」

2021-05-23

悲劇が起きないSFおかしい」という勝手思い込み押し付けてくるな

[B! 漫画] 宇宙の向こうの地球まで。/2021年4月期ブロンズルーキー賞 - こぐまあゆむ | 少年ジャンプ+

トップブコメ地獄すぎる。

はてなって今こんな奴らしかいねーの?

意識だけ高くなって頭は悪いままのアホの集団か?

「これを言っておけば通ぶれるよ」とネットで聞きかじった言葉自動的に吐き出すだけの装置になった人工無脳集団か?

なーにが「「こんなん絶対途中で何かあるやん。」っていう読み手先入観計算に入れてたら天才の所行」だよ。

作者がお前の方を向いて作ってくれてたら天才認定、もしそうじゃなかったらバカ認定ってか?

本当ふざけてんな。

定食屋卵焼きに「甘くてとっても美味しいです。オカズはしょっぱいべきという固定観念にこだわる味覚障害者への皮肉を込めているなら満点」って言い出すようなレベルだな。

ほんまアホやわ。

あのなあ「こういうジャンルはこういう文脈普通」とか考えだしたらそれは老害なんだよ。

SFからロケットは爆発しなきゃいけないとか、学生恋愛は不幸に終わらなきゃいけないとかそういうのいらねーから

その挙げ句に「これ講評がおかしいですよ」ってか?

マジ?

お前の頭がおかしいんだよ。

宇宙の向こうの地球まで。のブコメ

madogiwahirasyain SFである必要性が無いってコメントあるけどSFからこそ、宇宙船の爆発、移住先の星の滅亡、そもそも移住が嘘で実は人口抑制計画とか様々な事態が想定されて緊張感に繋がってるんだから必要ないわけ無いだろ

その緊張感ファクターが何にも生かされてないのは何なんだろう。これに赤スターつけるやつは金ドブってことを自覚したほうがいい。たとえはした金でも。

あと他のトップコメ? バカにされたくないからかもしれないけど、実は裏があってとか自分の恥をさらさないために必死にやつが多すぎて裸の王様を見てる気分だ。俺は言うよ、「あの王様裸ですよ!」と。チャルメラ吹き鳴らしてもいい。

sangping みんな言っているように、これは講評がおかしい。淡々一定リズム日常が続くことで、逆に読者の緊張感や不安感を高めるギミックこそがこの作品の魅力のキモだろう

こいつとか本の読み過ぎで阿呆なっちゃったのかなと思うレベル権威が関わってないときはやたら辛辣なくせに、権威が関わるととたんにこれだ。湧いてるんじゃねえのお前。上手にひっくり返してなんぼでしょ。それができなかったというだけで作者まじで何も考えてないと思うぞ。好きなものを描いただけ。

2021-05-22

anond:20210522073006

オタクとは、もちろん「自称オタク」。

なぜなら「オタク呼ばわり」は社会通念上においてスゴイ・シツレイにあたるため。

そして、SF界隈はファンダムなどと名乗ったりしてオタクを避けている印象がある。

オタサーの姫」を「サークルの姫」と言ったり。

anond:20210522072442

オタクというのが何オタクを指してるのかわからんけどSF知識って一昔前はオタク資質の一要素だったはず

それなりに科学リテラシーを持ってる人が多いイメージあるけど

オタクってこうじゃなきゃダメだろ

オウフwwwいわゆるストレート質問キタコレですねwww

おっとっとwww拙者『キタコレ』などとついネット用語がwww

まあ拙者の場合ハルヒ好きとは言っても、いわゆるラノベとしてのハルヒでなく

メタSF作品として見ているちょっと変わり者ですのでwwwダン・シモンズの影響がですねwwww

ドプフォwwwついマニアック知識が出てしまいましたwwwいや失敬失敬www

まあ萌えメタファーとしての長門純粋によく書けてるなと賞賛できますがwww

私みたいに一歩引いた見方をするとですねwwwポストエヴァメタファーと

商業主義キッチュさを引き継いだキャラとしてのですねwww

朝比奈みくる文学性はですねwwww

フォカヌポウwww拙者これではまるでオタクみたいwww

拙者はオタクではござらんのでwwwコポォ

2021-05-21

anond:20210521150348

みんながワッショイすると面倒なの沸きそうだな

良い意味で温いSFなのが味だと思ってる

anond:20210520160147

食事系…大島千春「いぶり暮らし燻製料理を題材にした日常漫画

科学系…魚豊「チ。」天動説地動説迫害の話。

SF系…田村由美「7 SEEDS」名作としか言えない。

警察系…泰三子「ハコヅメ」ギャグシリアス塩梅が最高。伏線回収すっきり系でもある。

anond:20210520160147

40代、好みがあいそうなおっさんです。

不思議の国のバードはいかがでしょう。

開国間もない日本を旅した実在イギリス人イザベラ・バード旅行を描いたものです。ここから少し読めますhttps://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_EB06000011010000_68/

蛇蔵つながりで - 「日本人の知らない日本語」、「天地創造デザイン部」もよいです。

イムリ」壮大なSFです。絵に抵抗を感じる方が多そうだけど、だんだん美しく思えてくると思います

あとはご趣味に合うかわからないですが「じこまん」、「バーナード嬢曰く」、「女騎士経理になる」、「山と食欲と私」、「サトコとナダ」、「僕らはみんな河合荘」が私は大好きです。

挙げられたうち以下は好みが被っているので、もしかするとお役に立てるかもしれないと思って書いてみました。科学数学じゃなくてごめんなさい。

高浜寛 - ニュクス角灯

冨樫義博 - HUNTERxHUNTER

岡本健太郎 - 山賊ダイアリー

蛇蔵 - 決してマネしないでください。

九井諒子 - ダンジョン飯

森薫 - 乙嫁語り

あずまきよひこ - よつばと!

元増田が挙げてくれた他のは知らないのも多かったので読んでみたいと思います。どうもありがとう

2021-05-20

anond:20201229161052

青年向けメインで読んでる印象を受けますが、シャンフロ・エグゾドライブ・第七王子(に生まれたけど~、ではない)辺りの有名どころは敢えて避けてるのか、単純に作品の見つけ方の問題なのか。

行進子犬に恋文を

恋獄の都市

この2作をなろう/異世界ジャンルカテゴライズするのはちょっと違和感ある。行進子犬百合だし、恋獄は異世界が出てくると言えなくもないけど、素直に読むならSFジャンル

魔法使い黎明期

タイトル誤記。「魔法使い黎明期」が正しいんだけど、もしかしてタイトル手打ちしてる? もしくは変なサイトで読んでないよね?

結局ブギーポップ2019年の再アニメ化は失敗なのか?

こんな記事開いている時点で多少はブギーポップという作品に興味がある人間だろうが、様式美のために簡単説明しよう。

ブギーポップは笑わない」とは、著者 上遠野浩平電撃文庫から1998年刊行されたライトノベルで、その後のラノベ界に大きな影響を与えたと言われている作品だ。

2000年にも一度アニメ化されており、2019年に再アニメ化された。

こんな感じでいいだろうか?

さて、私はブギーポップを書いている著者、上遠野浩平先生ファンである増田だ。

この記事ファンから見たブギーポップの再アニメを記したものである

さて、まず結論を書こう。

2019年ブギーポップアニメ商業的に失敗している。

これは残念ながら事実だろう。

ネットで調べれば円盤の売り上げが散々だったと言われているし、グッズもアニメイトなんかの店頭でもほとんど置かれなかったし、出ると宣伝されたfigmaは出ないし(受注生産でいいので売ってくださいお願いします)。

原因として様々な理由ネットでは挙げられているようだ。

アニメがつまらなかった。話が理解できなかった。監督絵師がもめた。再アニメ化にあたってのキャラデザが良くない。そもそも原作20年前で現代に合ってない。

さて、こういった評価について、またアニメのものについてブギーポップ、そして上遠野浩平という作家の本気のファンである私がどう思っているか

それを書き連ねるのが今回の目的である

1.アニメについて

まらない。という意見もわかるが、正確にはストーリーごとにわかやすさが変わってしまっているという印象を受けた。

2019年アニメ原作に沿ったストーリーで展開しており、原作では巻で分けられていた以下の内容でがらっとわかりやすさが違う。

ブギーポップは笑わない(アニメ1話~3話)

正直一番理解が難しいと思う。ここで脱落した人もかなりいると勝手に思っているし、原作の魅力が伝わっているのか不安になった。

笑わないは時系列がかなりシャッフルする作品なのだが、アニメでは「登場キャラの削減」されて登場時系列が整理されており、これが一番問題なのだが「心の声の描写がない」。

私は原作ファンなので、場面を見るだけでその場面の背景や心理描写を思い浮かべて普通に楽しめてしまうのだが、初めてブギーポップを見た人が理解できるか不安になった。

(ただ、一話がまるまる浪漫騎士として竹田くんとブギーポップの会話にあてられているのはファンとしてはマジでうれしかった。これで口笛吹いてくれたらさら完璧だったが、そこまでは望むまい)

②vsイマジネーター(4話~9話)

笑わないに比べればかなりわかりやすい。が、初めて見た人がどこまで理解できるかは原作既読から見ると少し不安になる。

スプーキーEのキャラデザ原作より本文に忠実。

夜明けのブギーポップ10話~13話)

めちゃくちゃよかったし、なんならブギーポップ初めての人にはこれから見せても許されるんじゃないかと思うぐらい。

少女霧間凪かわいいし、黒田さんの描写も、モ・マーダーもピジョンも最高なので、笑わないとvsイマジネーターの後にあるのがもはやもったいないと感じる。

④歪曲王(14話~18話)

普通に良かった。

音楽的な描写が多い作品なので、アニメBGMがいい仕事をしていたし、ゾーラギとの戦闘シーンの動きはアニメしか味わえないブギーポップだった。

なによりスタートである笑わない編がわかりにくい、というのが何よりも大きい。ファンとしても万人に勧められる作品ではないと思っている。

 なので、小説を読めばいいと思うよ。

2.再アニメ化にあたっての原作からキャラデザについて

 正直、監督原作キャラデザイラストレーターを務めている人がもめた話は語りたくないので、詳細はネットで調べてもらうとして、これがアニメ好きと呼ばれるアニメライト層(ここでは原作を知らないがアニメなら何でも見る層を指す)に悪影響を与えた可能性は否定できない。

 ただ、再アニメ化にあたっての原作からキャラデザの変更がよくなかったという話はファンとして否定したい。

 そういうことはだな、原作原作に忠実にキャラが描かれている「ブギーポップファントム」(2000年アニメ)でキャラ同士の判別完璧にできるようになってから言え!!!

失礼。

ファンにも様々な意見があるのは踏まえたうえで、私はキャラデザに関してはブギーポップ原作通りのマント帽子かぶってワイヤー使っているなら、割と後はなんでもいいとか思っている。

なので、再アニメ化キャラデザは末間博士とか、委員長とか原作に似た見た目で、いいキャラデザもあれば、スプーキーEとかゾーラギとか原作とは違うけどいいデザインもあるのでファンとしては全然ありでした。

(欲を言えばフォルテッシモや、十助をアニメ化するならどんなキャラデザになるのか気になるのでこっそりください)

3.原作について

原作が古いか現代の人には受け入れられないという意見について。

ブギーポップは笑わない」は1998年初版出版された作品だ。

その人気が高かった2000年に一度アニメ化し、2018年の末ごろアニメ化の発表が会った時我々ブギーポップが好きな増田は、驚きを持ってそのニュースを迎えたのだ。作者が10周年記念の時何も無かった電撃文庫がどうした!?アニメ化だと!?

 そこに「今さら!?」という感情が無かったと言えば噓になるだろう。

 だが、それは我々が何年、何十年も前に書店学校で「ブギーポップは笑わない」の小説を手に取り、そこに歴史を感じるから古く感じるんじゃないかと思うのだ。

 古い作品の再アニメ化成功した事例として「おそ松さん」や「ジョジョの奇妙な冒険」があるだろう。原作が古いから受け入れられないという意見には反対だ。

 だが、同時に確かにブギーポップには時代性がある。

 それは1998年代とかそういう話ではなくて、あなた学生時代に読んだブギーポップを知っているから古く感じるんじゃないかという話だ。

 ブギーポップの描く独特の閉塞感があの時代特有のものだと言うのは、あなた学生時代がその時代だったからじゃないのか。

 「現代通用しない」のは現代あなた通用しないだけではないか

 「ブギーポップは笑わない」は1998年作品だ。

 しかし、2021年になった今も通用する作品だと一ファンとして確信している。

 そしてもしも、この作品価値というものが本当に問われることがあるならば、それは例えば、今から20年後の2040年。1998年ブギーポップを知るものほとんどいなくなった時に問われるのだと思う。

4.まとめ

 というか、アニメが失敗したところで原作の良さは損なわれないのに、原作言及するヤツはマンティコア食糧として献上してもいいと思うんですがね。

ブギーポップの再アニメ化成功失敗については再アニメ化した時点で割と成功だと思っている(刊行20周年に二度目のアニメ化がされる作品の一つにブギーポップがあるという時点でファンとしてはとても嬉しい)のですが、アニメの完成度については話毎に差があると思っているし、誰にでも勧められる良アニメとは言えないでしょう。

しかし、2000年ブギーポップファントムが2000年ブギーポップだとするなら、2019年の再アニメ化2019年ブギーポップだった。

画面は明るくなり、BGMキャラデザも変わって、スマホを使う。

それが2019年ブギーポップだったのだ。

(これで2040年に奇跡的に再々アニメ化なんてされて、また今までと違う2040年のブギーポップが出たら奇跡的過ぎて、失敗だと言われていた話も成功になりそうですね。歴史というものが後から修正されるように)

ところで、ここまで読んだ人はかなりブギーポップが好きか、頭がおかしいのだと思うのだが、ブギーポップと同じ著者の書いた他の作品もとても面白いので是非勧めたい。

「ぼくらは虚空に夜を視る」

ブギーポップSFっぽさが好きな人オススメ

しずるさんと偏屈な死者たち」

ブギーポップに出てくる女の子が気に入った人にオススメ

殺竜事件」「ソウルドロップの幽体研究

ブギーポップミステリっぽさが好きな人オススメ

製造人間は頭が固い」

統和機構が気になる人にオススメ

さて、この駄文もそろそろ終わりである。もちろん締めの言葉ファンとしてこうするべきであろう。

(結局、再アニメ化って失敗だったのかよ?)

(まあ、いいじゃん)

BGM“Boogiepop And Others”by 牛尾憲輔

2021-05-18

科学リテラシーっていうか情報リテラシー

新しいワクチンぐらいだと、増田(これ書いてる人ね)みたいな、高卒ちょっとSFかに興味あるぐらいの文系人間でも仕組みっぽいのは理解できる。

実際のところは、わからない。

が、なんか効果ありそうで、副反応的なのもそこそこ大丈夫そうだよねーって思うのは、

やっぱり、偉い人や機関が認めてて、反論的なのが少ない、弱い、反論してる人が芳ばしい、ってのが判断基準になってる。

あとは一応ニュースとかでデータ出てるし。

普段からニュースとかツイートとかでも、ブコメとかリプとか見て判断する癖ついてる。

けど実際周りにいる人ってそれが出来てない人が多い。凄く不思議に思うけど、そうやって生きてきた人はそれが普通なんだろうなって思う。


身内に疑似科学スピリチュアルにハマってった人が居るけど、そういう人って大体信者化してる。

あるいはアンチ化か。

サンプル数は少ないけど、結構数字に弱い人達論理的思考もできなくて、精神論に偏りがち。

初めはそれこそ、健康のためにヨーグルトを食べよう! とか、自分性格を把握して人付き合いとか生き方を向上させよう!

みたいなマイルドなところから手を染め始めるんだけど、「ヨーグルト」や「自分性格を把握」有効で止まるんじゃなくって、それを教えてくれた人に依存していっちゃってる。

戒律? 守ったら人生上手くいきますよ~ っていうのは宗教のいいところでもあると思うんだけど、戒律重視じゃなくて教祖にぞっこんになるというか。


話がそれたけど、

・元記事読まずに引用リツイートブコメ

記事ツイートだけ読んでブコメリプライはみない

これだけなくせばみんな騙されないと思うんだけど、学校じゃ教えてくれなかった。今は教えてるんだろうか。

って考えたら、20年ちょい前とかって、受け取る情報を信じるしかなかった時代なんだよね。

google検索もできないし、Wikipediaも見れないし。

テレビラジオ新聞書籍しか情報得られない。

めっちゃ趣味読書してるとか、仕事研究とか勉強してるとかじゃない限り、わざわざ図書館行って本探して……って手間がかかる。

DNGが上手く育てば、なんか解消されて行きそうとも思ったけど、普通に生きてる周りの若人って、面倒くさがって調べないし、リプやコメント読んでから反応とかもしてないな。

なんかもう興味もないってことも多いような気がするし。増田を信じてくれてる人らとかわりと簡単に騙せそうな気もする。

2021-05-17

浦島太郎日本の縮図

みんなは浦島太郎歌詞を知ってるか?

 

「昔、昔、浦島は〜」

 

浦島!浦島太郎じゃない!

浦島と太郎で分割されるシステム

浦島と太郎が結合されて、浦島太郎

そういうシステムになっているんだ。

きっと日本人の多くは浦島太郎という塊で認識してるはずだ。

桃太郎金太郎、そして浦島太郎

これら「なんとか太郎」の集まりに、いけしゃあしゃあとと紛れ込んでるわけだ。

浦島太郎浦島太郎じゃない。

やつは、ただの太郎だ。

 

インターネット自称事情通たちは、我が物顔でインターネット闊歩している。

いや!インターネットだけじゃなくて、リアルでも間違いなくそうだろう。

「オレ様は情強大魔神だ!」くらいの勢いで街中を我が物顔で闊歩しているに違いない。

そして道行く人々を勝手情弱と断定し、見下し、悦に入っているのだろう。

自称事情通たちは常日頃から自慢の情弱センサー情弱度を邪推しながら道を歩いているんだ。

浦島太郎がただの太郎であることすら知らずに。

哀れなピエロだよ。まったく。

 

まぁ、それはいい。

それは本題ではない。

注目すべきは、ここだ。

 

「助けた亀に乗せられて〜」

 

乗せられて!

自ずから積極的交渉して見返りを要求するのでなく!

かといって、毅然とした態度でお礼を断るのでもなく!

「乗せられて」などと考える主体性放棄してるんだ!

 

ようするに「お礼をいただけるのであればやぶさかではない」みたくこの歌詞では言っているわけだ。

一見どうということない「乗せられて」だが、実は日本の縮図といって過言でない。

こうした振る舞いは日本という島国の津々浦々で見られることだ。

まり、津々浦々しまたろうは君たち自身であったということ。

 

勝ち組はなんら要求することな相手が察して勝手に「乗せて」くれる。

別に自発的にお礼など要求することはないし、それは恥知らずことなんだ。

負け組はいつか「乗せられる」であろうことを夢見て頑張るが、生涯「乗せられる」ことはない。

繰り返す。負け組は、生涯「乗せられる」ことはない。

これが日本という国家の現状だ。

 

浦島太郎は、言ってしまえばプロパガンダ一種だろう。

「いいことをすれば見返りがありますよ」という。

児童らは「乗せられて」「乗せられて」と数百〜数千回繰り返し聞くうちにその「仕組み」を理解するであろう。

負け組にとってそれは欺瞞である一方で、勝ち組にとっては真実なのだ

「いいことをすれば乗せられるはずだから、乗せれられていないということはいいことをしていないのだろう」

そうした逆説的な論法を耳にした例は一度や二度ではないはずだ。

それらは浦島太郎弊害であると言って過言でない。

 

なお余談だが、亀の立場で考えてみると浦島はお礼をいただける立場にない。

そもそもイジメて来たのは人間の子供であって、それを別の人間族が静止したまでのこと。

イジメオブラートに包んであるが立派な暴行傷害事件だ。

亀の立場から考えてみれば、これはマッチポンプ以外の何物でもない。

あるいは良い警官と悪い警官だろうか?まぁいい。

どうして浦島太郎がお礼をいただけるのか?

浦島太郎は「乗せられる」資格を持たない。

 

このようにして日本人浦島太郎反面教師にして様々な学びを得ることができるはずなのだ

それをインターネット自称事情通たちはどうだ?

浦島太郎から、何を学んできた?

時間の流れが違う「ネタ」を見るたびに「ウラシマ効果ウラシマ効果!」などと叫んで喜ぶのが関の山だろう。

「○○の起源は、日本浦島太郎」などとハナタカしてるわけだ。

作品本質ではなくSF的な小道具ガジェットにばかり目を向けたがる。

玉手箱ならぬ重箱の隅を突いて悦に入るのが日本人だ。

浦島太郎の、そうしたメタ的な構図すらも日本の縮図だということ。

まり浦島太郎日本の縮図なのだ

anond:20210517184816

ダリフラ子供から自分たちだけの大人になる」少年少女孤独な戸惑いと間違いと弱さ、そして自立がテーマで、SF観がどうだとかエロ下品だとかそういう話じゃないんだけどね。そもそも読めてないんだよ否定派は。十五少年漂流記との関連性も指摘されてるのに引用もないし。

子供の頃エルガイムほとんど観てなかったんだろう

というか、習い事してたからかもしれない

あのメカ造形だけは覚えてたり一話は覚えていたのだけど、

YouTubeサンライズ公式に公開しているのを観て、

思い出補正というか、

こんなにつまんなかったかなあと思ってしま自分がいる

足が開閉するというデザインは当時斬新だったが、

今になって初代ガンダムを観ても思ってしまうが、

作画関係もあってあれでホバーするというのは変に思える

そもそもガンダムホワイトベース本来宇宙船としてしか想定してなかったらしく、

それを地球大気圏内でも飛ばししまって、SF考証のスタッフからもアチャーだったらしく、

後づけ的にミノフスキー粒子で飛ぶだのに繋がったらしいが、結果オーライでもある

あるが、やはりホワイトベースが飛んでいる姿は今の自分にはかなり違和感があり、

YouTube自作飛行機RC界隈でホワイトベースを飛ばす実験とかは面白かった

やはり飛ぶわけがないのである

ドップみたいなのもどうだろうか、ガウは頑張れば飛びそうな気もするが、

アウドムラだのスードリだのは流石にデカすぎる

Zになっても縮尺がおかし作画はあったが、

冷静になって大人になって考えてみると大きすぎる、これも飛行機として問題に思える

話を戻すとエルガイムは論外としても、ドムがホバーするのも作画上の都合もあったのだろう、

しかし、子供の頃にすでに1/60ドムモータ駆動RCを実現していたものが、

模型誌に載っていた記憶があるが、ボトムズもどうかと思うがバランスが悪すぎる

クラタスみたいになるのは大正解であろう

まあ、日立オリンピック向けに開発したロボット自分バランスを取るのを作っていたが、

あれにボトムズぐらいの大きさでも乗るのはちょっと怖い

ボトムズよりももうひと回り小さくて、

といってもそこまで二足に拘る理由ちょっと思い付かない気もする

作画関係ザクホバリング普通になってしまっているが、やはり違和感がある

ただ、今英国海軍でも導入試験がされているジェットパックのようなものは、

あれは腕に取り付けていたと思うが、バランス制御含めて凄いなあと思う

思うものの、あれで撃ち落とされた場合どうなるのか、それはそれで不安なのである

なんの話だったっけ

あー、エルガイム話的にはまったく面白くないんだよなあ

メカ設定だけしかない系に思えるんだよなあ

2021-05-16

なんでThunderbolt Fantasy見ないの

話題にもなってないけど普通におもしろいぞこれ。

人形劇でここまでできるのかという矜持もすばらしいし、何より虚淵玄監督作品

話も武侠からソフトSFまで幅広い展開。キャラは魅力的で楽しい

anond:20210515233551

マジでいろんな作品のツギハギ

SF好きだと元ネタがわかりすぎてだるい

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん