2021-05-17

浦島太郎日本の縮図

みんなは浦島太郎歌詞を知ってるか?

 

「昔、昔、浦島は〜」

 

浦島!浦島太郎じゃない!

浦島と太郎で分割されるシステム

浦島と太郎が結合されて、浦島太郎

そういうシステムになっているんだ。

きっと日本人の多くは浦島太郎という塊で認識してるはずだ。

桃太郎金太郎、そして浦島太郎

これら「なんとか太郎」の集まりに、いけしゃあしゃあとと紛れ込んでるわけだ。

浦島太郎浦島太郎じゃない。

やつは、ただの太郎だ。

 

インターネット自称事情通たちは、我が物顔でインターネット闊歩している。

いや!インターネットだけじゃなくて、リアルでも間違いなくそうだろう。

「オレ様は情強大魔神だ!」くらいの勢いで街中を我が物顔で闊歩しているに違いない。

そして道行く人々を勝手情弱と断定し、見下し、悦に入っているのだろう。

自称事情通たちは常日頃から自慢の情弱センサー情弱度を邪推しながら道を歩いているんだ。

浦島太郎がただの太郎であることすら知らずに。

哀れなピエロだよ。まったく。

 

まぁ、それはいい。

それは本題ではない。

注目すべきは、ここだ。

 

「助けた亀に乗せられて〜」

 

乗せられて!

自ずから積極的交渉して見返りを要求するのでなく!

かといって、毅然とした態度でお礼を断るのでもなく!

「乗せられて」などと考える主体性放棄してるんだ!

 

ようするに「お礼をいただけるのであればやぶさかではない」みたくこの歌詞では言っているわけだ。

一見どうということない「乗せられて」だが、実は日本の縮図といって過言でない。

こうした振る舞いは日本という島国の津々浦々で見られることだ。

まり、津々浦々しまたろうは君たち自身であったということ。

 

勝ち組はなんら要求することな相手が察して勝手に「乗せて」くれる。

別に自発的にお礼など要求することはないし、それは恥知らずことなんだ。

負け組はいつか「乗せられる」であろうことを夢見て頑張るが、生涯「乗せられる」ことはない。

繰り返す。負け組は、生涯「乗せられる」ことはない。

これが日本という国家の現状だ。

 

浦島太郎は、言ってしまえばプロパガンダ一種だろう。

「いいことをすれば見返りがありますよ」という。

児童らは「乗せられて」「乗せられて」と数百〜数千回繰り返し聞くうちにその「仕組み」を理解するであろう。

負け組にとってそれは欺瞞である一方で、勝ち組にとっては真実なのだ

「いいことをすれば乗せられるはずだから、乗せれられていないということはいいことをしていないのだろう」

そうした逆説的な論法を耳にした例は一度や二度ではないはずだ。

それらは浦島太郎弊害であると言って過言でない。

 

なお余談だが、亀の立場で考えてみると浦島はお礼をいただける立場にない。

そもそもイジメて来たのは人間の子供であって、それを別の人間族が静止したまでのこと。

イジメオブラートに包んであるが立派な暴行傷害事件だ。

亀の立場から考えてみれば、これはマッチポンプ以外の何物でもない。

あるいは良い警官と悪い警官だろうか?まぁいい。

どうして浦島太郎がお礼をいただけるのか?

浦島太郎は「乗せられる」資格を持たない。

 

このようにして日本人浦島太郎反面教師にして様々な学びを得ることができるはずなのだ

それをインターネット自称事情通たちはどうだ?

浦島太郎から、何を学んできた?

時間の流れが違う「ネタ」を見るたびに「ウラシマ効果ウラシマ効果!」などと叫んで喜ぶのが関の山だろう。

「○○の起源は、日本浦島太郎」などとハナタカしてるわけだ。

作品本質ではなくSF的な小道具ガジェットにばかり目を向けたがる。

玉手箱ならぬ重箱の隅を突いて悦に入るのが日本人だ。

浦島太郎の、そうしたメタ的な構図すらも日本の縮図だということ。

まり浦島太郎日本の縮図なのだ

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん