はてなキーワード: Rtとは
私は創作や同人誌も出したことのある腐女子の一人なのだが、今とある腐女子と揉めている状態にある。
タイトルに記載しているように地雷持ち腐女子ともめているのだが、地雷持ち腐女子が悪いとかそういうことを言いたいわけではない。なんせ私も地雷持ち腐女子の一人だからである。
私は固定になると逆CP名のミュートはもちろん、わざわざ逆CP検索して出てきたユーザーを片っ端からミュートしている。仮にそのCPをABとするとA受け、B攻めも見ることができない。
そして、そんな私がとあるジャンルのABにはまり、Twitterを始めた。そこで出会ったのがMである。
元々はまったジャンルの腐女子の数が少なく創作している腐女子が中々いない。Mはその数少ない創作する側の腐女子だった。Mは私と同じく地雷持ちで、同じCPが好きな腐女子だった。実際にイベントでも会ったことがあり、私にとっては親しい部類と思っていた。
しかし、あるとき別のジャンルに嵌まったことで関係が一変する。
私は確かにジャンル持ち腐女子なのだが、それはジャンルによって異なるのである。とあるジャンルではリバは見れる、とあるジャンルでは特に地雷がない、など。私が次にはまったジャンルは特に地雷がなかったのだ。別垢を作り隔離をしていたが特に明記することはなかった。同じく別垢を作っていたMと相互フォローになった。Mは特にCP名を表記しておらず、私も特に気にせず逆CPの絵をRTしていた。暫くそのままだったのだが、元ジャンルで繋がっていたMのツイートが荒れだした。
「許せない」や「殴りたい」等の言葉を連ねており何となく察した私がMの別ジャンルの垢を見たらリムられていたのである。
その時は仕方がないと感じていた。地雷を見てしまった時の辛さはわかるし、配慮のなかった私も悪い。私は特に反応せずそのまま見ているだけに留めた。あまり反応するとかえって関係が悪化すると思ったからである。しかし、それが逆効果だったのかMはTL上で愚痴を綴り続けた。「好感度が…」
数日続くと流石に見るのが嫌になったため、ミュートしてMのツイートを見ないことにした。そのまま放置していたのだが、Mとの関係を相談していたSから「またTLでM荒れてるよ」と話を受け覗いてみると、すごかった。
「こいつのツイートみて無理だと思った」とか地雷云々の話を越え私自身に対するヘイトに変わっていた。しかも同じようなツイを何回も繰り返しフォロワーに同意を求めているような姿で正直、可哀想だとすら感じた。過去には「話しかけられないと嫌いになる。話しかけられれば好きになる」等、アピールなのかわからないツイートもあった。
うわっ、面倒な女だ。関わりたくない。と感じ結局、私はそのままMを放置してる。エスカレートする恐れもあるが、それ以上にMが地雷になった。
別ジャンルで元フォロワーと地雷で揉めるというのはよくあることなのだろうか。私自身、腐女子歴は長いものの、ネットでの交流はここ数年のためよくわからない。
私の知るもう一人のフォロワーN(固定で地雷持ち)とはCPが被らなくても揉めることは無かった。N聞いてみると「そんなことで一々揉めていたらキリがない」とのこと。
まさにその通りである。
Mは「好感度が下がって……」云々呟いているので、元々は私のことが好きだったけど嫌いになったのだろう。別にそれは構わないのだが、そんなに嫌だったらブロックでもしてほしい。一々私のツイートを確認しないでほしい。そして、私より年上なんだから少しは自分のツイートに配慮したらどうなのだろうか。
元ツイートしていた人は元々フォロワー300人くらいで普段はネット影響力皆無の人。他のツイートだってそんなにRTされてたわけではない。インフルエンサーでも何でもない。それを数万RT、数万いいね!まで拡散させたのは、元ツイート主よりもフォロワー数が多いインフルエンサーたちであって、ユニセフや他のNPO団体に深刻な風説被害を与えた責任というなら、彼・彼女らインフルエンサーたちの責任の方が大きい。しかし意識の高いネットメディアの連中は、このインフルエンサーたちのほうに関しては、調査して断罪しようとはしない。なぜなら自分たちも彼らインフルエンサーを利用して記事をバズらせて収入を得ているからだ。
彼らインフルエンサー(昔だったらネットウォッチャーとも言うのかな)は「デマだと感じていても拡散したらどっちに転んでも面白いことが起きるから」拡散させている。ちまたの「炎上」というのはだいたいがこれが元凶となる。しかしBuzzFeedでもJキャストでもこの拡散元を批判することはないのだろう。商売元であるからだな。
Twitterのフォロワーに2.5舞台に通っている人が複数いて今回の件はそこから知りました。
(ただ、俳優の名前を誰もツイートしていなかったので、私が炎上元の俳優に辿り着けたのは俳優を特に推していない別のフォロワーが謝罪ツイートをRTしてからでした)
最初は不思議に思っていました。俳優といえど人間だし、成人男性だし、彼女くらいいて寧ろ普通なのでは?と。
それを理解できないほどファンも子供ではないはず(舞台俳優のファンなんて遠方にも行ける自由と自分のために使えるお金がないとできませんよね)
だからそもそも恋人が発覚したくらいで騒ぐような、いわゆる「ガチ恋」のファンを産んでしまうような売り方そのものに問題があるのでは?と思いました。
もう少し突っ込んで調べてみると写真そのものと、今回の炎上が2回目であることと、次の週末にバスツアーがあることを知りました。
ガチ恋のファンを生み出すような売り方をしているのに自分(もしくは彼女)が自主的に問題の画像を公開していたということを知りました。
各ブログや元ファンの方のツイートを見て、やっと彼女たちが何に怒っているのかも理解できました。
そんなにお金をつぎ込むほど大好きだったのに、一転して煽り口調でツイートしたり他の「それでも応援しています」とツイートしている方に噛みつきに行くのはなぜなのだろうと。
こういうことはプロとしてするべきではなかった、そう叱責するのもわかります。
でも「簀巻にして包丁突き立てたい」だの「生卵ぶつけたい」だの、最悪脅迫や威力業務妨害と見なされてもおかしくないツイートをする元ファンの方。これがわかりません。
「やられた」「騙された」から「やり返して」いるのでしょうか。
「最悪な男」のために逮捕されるリスクを負うのはあまりにも不毛ではないでしょうか。
これだけお金を注いできたのだからアンチじゃないといくら主張したところで、直近で並んでいる罵声のツイートはどう贔屓目に見ても(元)ファンのものではないように見えます。
静かに去ることを選んだ人にも、このままファンを続けると決めた人にも迷惑をかけているように見えます。
そのような発言をされる方、私が見つけたごく少数ではありますが、その中のほとんどの方が例のバスツアーへの参加を表明しています。
行くのやめればいいのにと思ったのですが、キャンセル料が取られる時期であったというのも調べるうちにわかりました。
こんにちは、初めまして。
早速なのですが、私は承認欲求の化け物なので、
自分のツイートを好き好んで読もうとしてフォローをしてくれている人が大好きです。
いつもありがとう。
本題なのですが、私はFF比が1:2くらいなので、
自分がフォローしてなくてフォローしてくれてるひとがある程度いるのですが、
私は特にその人たちが大好きです。
頻繁にふぁぼやリプをくれる人はしっかり認知しているし、だいたいプロフ欄を見に行ってパーソナリティを把握しているし、名札を下げてイベントで会いに来てくれたなら顔もばっちり覚えています。
ふぁぼするツイートで●●さん今期はこれ見てるのかくらいのことも考えます。
なんとなく平日が休みか休日が休みかくらいもわかるしよくツイッターに現れる時間帯もわかります。
気持ち悪いですよね……
で、じゃあ何でフォローを返さないのかみたいな話になるかと思うんですよ
なんだかんだみんなフォロバされたいじゃないですか。
でもダメなんですよ。
冒頭に書いた通り、私は承認欲求の化け物なんです。
私が好きなのは私がフォローもしてないのに、何の見返りもないのに私に好意を持ってくれる人なんですよ。
相互だとほら、フォロワー多めの人にRTしてもらえる云々、打算?みたいなのでてくるじゃないですか。アレがやなんですよ。
だからわたしはあなた方のことが大好きだけどフォローを返しません、ごめんなさい。
ツイートも見に行くし、気が向いたらあなたの喜ぶ絵も描くから許してください。
よろしくお願いいたします。
投稿のしかたまでは分かるんだけど、どう情報整理したらいいのか良く分からない。RT されたかの確認もちょっと良く分かってない。こんなのが分からないので池沼気味なんだと思う。なんとなく新しい世界が広がってそうな気がしていて、興味は持っている。
書きたいネタはあるんだけど、すぐにネタ切れになりそう。レイアウトとかプロフィールとか考えたり準備するのが面倒で、とにかく色々面倒でやれていない。でもちょっとやってみたい。人の意見を聞きたいのだと思う。
メール返答はすぐに面倒に感じてしまう。メールにはちょっとしたお作法があるのが面倒なのかもしれない。Line なんかはまだマシだが、それでもしばしばコミュ障に陥ってしまう。
基本自宅と職場の往復しかしていないのでボロい服でも何とかなってしまうのが良くない。たまには新調しないとと思うんだけど、ネットではサイズ選びが面倒でなかなか買えない。ガジェット系なら躊躇せず買えるのに。実店舗に行くのはもっと面倒。
正確に言えば、そこに集う人たちが好きだ。
最近、twitterで、神漫画をupして単行本になる人とか、素敵動画をupして、テレビに紹介されたりニュース記事になるような話をよく見聞きする。
秀逸なコメントには大量のfavがつきRTされ、テレビなどで紹介、一発ネタはLINEスタンプになったり、など。
素敵なpixivの漫画を紹介して、それが単行本になったり、などtwitterの宣伝で、有名になった物も多い。
そこには、才能を「無駄使い」している人は正確にはいないのではないかと思う。
twitterにあげられた才能は、かなりの確率で、単行本、スタンプ、などのお金を稼げる光の世界にあがっていくからだ。
光の世界に上がっていく人はいる。supercell、ぐるたみん、などオリジナル曲が評価されている人たち。
曲をupするのは動画サイトのニコニコが得意だから当然ともいえる。
自分が好きなのは著作権違反すれすれの動画のことだ。今流行の新ポプテ島や、桃邪気PとかのMADなど。
twitterであげれば、著作権違反ですというリプが大量につくと思われる動画達。
ニコニコではそんなことを言う奴は客層的にほぼいない。
アップした当人も、ヤバイ物とわかっているために、名前を晒すこともなく、光の世界に上がっていくことはほとんどない
とんでもない動画をニコニコで見る度に、こんな才能の持ち主が、表に出ることもなくこの世界のどこかで普通にバイトとかして生活してるのか、と思うと不思議な物がある。
ニコニコと2chというのは、一種の文化のようなもので、失われたら代替品はもう現れない気がしている。
あのアングラの時代だったからこそ、立ち上がったサービスだと思う。
仕事やプライベートで疲れることや泣きたくなることがあったら、ニコニコの動画を見に行く。
面白い動画で笑うのもいいけど、普通の動画見てても、流れるコメントだけで面白い。
どれだけ救われてきたことか。
ツイッターで結構腐女子の多いジャンルに2年ほど身を置いているんだが
大手ジャンルなのに少数派CPだったこともあってフォロワさん少なかったので
魔が差してつながりたいタグに反応してしまったらそれがよりにもよって超メンヘラの大学生だった
プロフに18才以上って書いてたから何となく社会人だと思いこんでしまった
元々少ない仲間同士でふぁぼ飛ばし合ったりしてただけだったところに
嵐のような構ってアピール数秒おきに一言ずつ投下してそれまで平穏だったTLがとんでもねえ勢いで流れてくんだぜ
肝心の長い付き合いのフォロワさんのツイートは瞬時に埋もれるし
さらにTLに現れるたび描いた絵何回もRTして(あとリプつけて再浮上させる手法で)イイネ乞食してくるし
かといってミュートしたりとか一部の人だけリスト入りしてスルーしたら火に油注ぎそうだし
やっぱ学生って社会人とは価値観も時間の概念も根本から違うな…
つい昨日、こんなDMが届きました。
この垢はサブ垢なんですが、本垢で◯◯さんにブロックされていました。
何故ですか?絵が好きでフォローしようと思ってブロックされていたのですごく悲しかったです。」
私はもう4〜5年越しくらい、とあるジャンルのキャラAとA×CのCPが大好きで
そのジャンルやAやACの絵を描いたり漫画を描いてツイッターにアップしてます。
Aは、公式でBというキャラとセットにされることが多く、その成り立ちも含め
「Aが好きならBも…ABも好きなんでしょ?」と言われるくらい王手のCPが存在しています。
が、私はこのABというCPが、CP名の文字並びを見るのも虫酸が走るほど大嫌いで。
ミュート未実装時…その頃はまだ学生で今より思考が過激だったのもあり、
CP名を含んだツイート・CP画像が流れてきたら元アカウントを黙って即時ブロックしていました。
今はそれが全部ミュートです。便利な機能を付けてくれましたね。
先に述べたように、グッズ等含め公式でなにかとセットにされるため、公式もミュートしています。
で、今回その当時ブロックしたであろうABファンのサブ垢からDMが来たわけです。
その人はどうやら所謂「地雷なしです」の人で、ABもACも好きな絵描きさんでした。
ここで私は迷いました。なんて返事したらいいのか。
そもそもマイナーCP描きというのもあり、好きなものを否定される辛さをわかっているつもりの私には、
少なくとも私の絵を好き、ACも好きと言ってくれている方に「あなたの好きなものが私は嫌いなので」と伝えるのがすごく嫌だなぁと思ったわけです。
同じ理由で、居るかもしれない自分のフォロワー中のABファンの存在を考え、今まで自分のアカウントで「ABが地雷だ」と明言したこともありません。
また、自分で言うのもなんですが、
同ジャンルで長く続けていたおかげでジャンルでそこそこ名の知れた絵描きになれたのもあり、
ここにきて些細な「◯◯さんは公式でも推されてるABが地雷らしい」というマイナスイメージを持たれるのが嫌で。
ABは本当に嫌いなものの、Bを単体のキャラクターとして見ると普通に好きなキャラで描きますし、
ABが地雷ということが知られ、自分の気持ち的にBを描きづらくなるのも嫌。わがままですが。
昨今のツイッター炎上案件を見ているとこの1人にそのまま気持ちを伝えたことにより、どんなことになるかもわかりません。
恥ずかしい話、自分の好きなジャンルで得たそこそこの地位で楽しめてる今の状況を崩したくないなという、保身の気持ちです。
で、結局。以下のように返信しました。
「申し訳ございません!ブロックしたつもりはなかったのですが、勝手にブロック状態になっていたようで…!」
ブロック解除とミュートするために踏んだ、相手のホームのヘッダー+アイコン+プロフ欄全てでABを見せられ、
どうしようもなく泣きたくなった気持ちをここで吐露しているに至ります。
言いたいことがまとまってませんが、いや〜地雷持ちってキツイですね。
地雷なしという人が羨ましい。
推しのことは大好きなんだけど「結局ファンの贔屓目なんじゃ……」と思ってしまい何も語ることが出来なくなってしまう。
推しのSNSに写りが良い自撮りがアップされるとすっごく嬉しくなってTwitterを開くけど、「推しよりかっこいい人は世界には沢山いるし……」「不細工って思ってる人も多いだろうな」とぐるぐるどうでもいいことを気にしてしまい結局RTも出来ずスルー
新曲が解禁されたときも歌上手くなったなーと思っても「歌手としてはせいぜい並レベル」「他メンにもっと上手い子が居るしその子のファンに見られたら笑われちゃうかも」という言葉がよぎってしまい、他メンを褒めて終わりにしてしまう
こういうことを繰り返してるから自分のオタ垢を見返すと他メンへの賛辞と推しの告知ツイートのRTだけで埋まってて、自分は誰を推してるんだかわかんなくなってきた
最近は同じメンバーを推してる人が推しを讃えても「推しフィルターかかってるからな〜」と信頼出来ず、他メン推しの人が私の推しを褒めてくれてるツイートのみ「いいね!」を押せる
「顔がいい!」「歌が上手い!」と素直にきゃっきゃ楽しそうにそれぞれの推しを語ってる他メン推し見てると胸が痛くなってくる
結局自分の審美眼とかセンスを信じられないのが原因なんだろうなと思う
同メン推し界隈には自分と同じようなタイプが多いのか、一部の他メン推しから「〇〇(推し)を褒めるとやたらフォロー外からふぁぼが飛んでくる」と気持ち悪がられているの見てヤバいな〜と焦りを感じた
強いて言うならグラフィックデザイナーだ。
世間一般にはデザイナーもアーティストも似たようなもんだと思われているかもしれない(私自身もまあ近い存在だとは思っている)が、私は自分の立場としてアーティストは名乗らない。
私は仕事で様々なものを作る傍ら、時々SNSに自主制作として作品を投稿したりしている。
この作品というのも普段の案件でデザインするものと同等の物を目指して作っている。つまりは、その作品が仕事の成果物としても通用するレベルの物だということだ。
あくまで自主制作なのでクライアントは自分(笑)だが私はネット上の不特定多数をクライアントとして見ることにしている。
ではそれらの人々が満足してくれるには何が必要だろうか。
私は、「理解し納得できること」だと思っている。
例えば「牛乳」をテーマにあるロゴマークを作ったとする。そのロゴには商品名に加え牛乳を感じさせる要素(牛、牧場、牛乳瓶、みずみずしさなど)を含めたい。
それらをすべて網羅してまぜこぜにして図案化すれば確かにいろんな要素を含んでいてリッチそうではある。この段階においては入れたい要素を盛り込んだただのアートである。
まず何を一番伝えたいのか。商品名か、おいしさか、それとも牛か?それを決定する。次に付随する要素を厳選し、先の要素を打ち消さないように追加する。
といった感じで取捨選択しながら図案に落とし込んでいく作業が必要だ。
これが難しい。要素を入れすぎれば複雑怪奇になるし、逆に減らしすぎれば伝えたい事が伝わらない。なおかつそれを一つの図案に集約し、見た目が破綻しないように形を整える必要がある。ただ形を整えるだけではダメで、インパクトを与えるためにある種特徴的な意匠が必要だし、何より不特定多数が見て説明を受けたときに理解できるものでなければならない。
こういった「人に理解してもらえる意匠を設計する」プロセスがデザインである(と私は考えている)。
まあ簡単に言えばデザインは制約付きのアートといったところだろうか。
ここまで作業の流れをざっと説明してきたが、私のデザイン自主制作はまだ終わりではない。
作品をネット上に投稿し反響を見る。(←これ大事、テストに出る)
おもにTwitter, Tumblr, Behanceなどに載せるが、いいねやRTやその他のアクティビティを数字として見る事ができる。時には見た人から感想(賛否両論)をもらえることもある。「数字なんて関係ない」と反論されるかもしれないが、数字は正直である。そもそも最終目的に「見た人の満足」を挙げているので私にとってここまで含めてデザインである。
私のやたら細かいデザイン観についてご理解いただけたところで先日起こったある事件のお話をしよう。
先日Twitterにてこんなメッセージをもらった。送り主をA氏とでも呼んでおこう。(ちなみにFF外から失礼された)
「あなたの作品をよく拝見しております。いろんな作品を作っていらっしゃいますが、結構〇〇(とある技法、素材やジャンルではない)を使ったものを投稿しておられますよね。△△△(私の作品名)や▲▲▲(私の作品名)は良かったのですが、最近のXX(私の作品名)はちょっと〇〇としては面白くないというか正直〇〇の作品には相応しくないのでこういった使い方は遠慮してほしい」といった次第である。
はぁ〜そうきたか
少し想定外であった。私は〇〇をデザインの一部(前述した特徴的な意匠の一つ)として利用していただけなのであるが、どうやらA氏は〇〇のそういった使い方が気に入らないようであった。A氏とは面識も交流もなかったので、いろいろ調べてみたのだが、どうやら〇〇界隈では有名というか第一人者で積極的に〇〇の研究や界隈のつながりに寄与されているらしい。
〇〇界隈について調べてみた。〇〇を使った作品を制作している方々が多数いたが皆一様にこの作品は〇〇です、と言っているのである。
〇〇と明記することで界隈のつながりは広がるかもしれないが、ただの技法に固執するのにはすこし疑問をいだいた。
(念のために書いておくが、〇〇は技法であって、素材やジャンルではない)
絵に置き換えてみればわかるが、要は遠近法使ったよ。遠近法すごいでしょ。俺らの遠近法を見てくれ。と言っているようなものである。ちょっと違和感を感じた。
試しに〇〇界隈の作品を眺めるとどうも洗練度がたりない。なぜだろうか。デザイナー目線になってしまうのだが手法に固執するあまり他の要素がなおざりになっているようである。
これは面白くない。〇〇は表現上の単なるテクニックに過ぎない。界隈の人には悪いが、手段を目的化してはいないだろうか。
大事なのは何を作るかである。アートだろうとデザインだろうと、どこに出しても通用する作品としてきちんと完結していることが大切だし、未熟だとしても目指すべきところである。別に最初のうちは技法にこだわっても良いかもしれない、そうしているに作品自体の質が大事だと気付けることだってある。しかしどうも〇〇界隈を注視して見た限りではそういう発展が見られない。むしろ私にメッセを送ってくるあたりからしてだんだん閉鎖的になっているのではないかと心配になってきた。
私は別に〇〇が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。だから積極的にデザインの中に取り込んだり応用して独自の表現方法を考えたりしている。
そしてそういった技法を適材適所に使ってもっと広めていきたいと思っている。そのためには前述したような「誰もが理解し納得できる」形のものをデザインする必要がある。
美を追求する点においてアーティストもデザイナーも違いはない。だがデザイナーには確実に人に理解させ納得してもらえるものを作るという使命がある。
オタク歴も同人誌読者歴も20年くらいだし、ツイッター歴も長い私は、最近ようやく自分でも小説同人誌を出した。
といっても、これまでもweb日記を書いていたり、前ジャンルでは1年くらいだけど偽名でpixivに小説をポツポツあげてた。
でも今回は、イベントに出る時にちょっとくらい知り合いとか欲しかったので、小説書き用の名前でツイッターのアカウントを取った。
同ジャンルの人と交流したり、好きな書き手さん・描き手さんに感想を伝えて(これは読み専時代からやってるけど)認識されたり、読み専さんの突然の連投妄想に激しく同意したり、オフ会に出たり…と楽しくやっている。
作家さんに感想を伝えるのは緊張するけど、萌えの創造神達が迷いや不安に惑う時、少しでも負担を排除する要因になれればと思うから送る。もちろん、仕事のメールよりも100倍は気を使って、けれど興奮した気持ちだけは伝わるよう、最新の注意を払ってる。(結果、好きです…とかで終わる事もあるけど)
オフ会だって楽しい。好きなカプの話やプレイの話を、同じようにソレが好きな人とできるのだ。最高に楽しい。
…と思ってるんだけど。
pixivさえチェックしていれば、作品や同人誌情報は入ってきたから、ツイッターはリアル友達としか使ってなかったのだ。いや、中にはサークルしてる子もいるけど、二次創作界隈の話は流れて来なかったのだ。
だから今、すごくびっくりしている。
…あまりにも「二次創作小説が無価値なんて言うヤツは理解できない!小説はエロくていいぞ!あたしは大好き!」みたいなバズったツイートが複数流れてきすぎる。
もちろん私のTLに小説を否定する人はいない。とはいえ、同カプの絵描きさんで、字書きをひとりもフォローしていない人は何人もいる。でもまぁ、一般書籍を含め「小説を読まない人」なんて珍しくもないから、その方の神作品に心を込めてふぁぼを送る程度だ。神との距離は、本来これが適切だと思っているので特に気にしてない。ブロックさえされなければいい、見れればいい。
字書きdisったRTを見た字書きさん達が落ち込んで、過去の闇を吐き出したり、そんな事言う人ムカつく!と怒ったり。それを慰めて怒る絵描きや読み専の、一連のわちゃわちゃが、なんかすごく嫌だ。
大前提として、本人に聞こえる悪口はアウトだ。それは社会で生きる人間として当たり前のマナーだ。
それを踏まえた上で、
②擁護ツイートのいくつかは、小説の価値はエロだけだと暗に断言している事
③字書きのすり寄りが嫌い説が雑い事
コレが気になりすぎてヤバい。思わず語彙力も消し飛ぶくらいやばい。
①
街の人々が直近1年で、娯楽のために読んだ小説が平均何冊かご存知だろうか。
プロ作家ですら読まれない「小説」というものの、それも素人が書いたものを読まない事に、何故腹をたてるのだろうか?
世の中には様々な人が存在する。クラシックを聴かない人、運動しない人、オリンピックを見ない人、声優に興味がない人、オタクじゃない人。二次創作小説を読まない人も、普通にいるだろう。私だって、男女カプの同人誌や少女漫画は読まない。…なんだか気恥ずかしいんだ…もちろんdisったりはしないよ!
そういう娯楽についての嗜好は、誰かにただされる必要はないのでは?
漫画だって、下手なら読まれないし、変態レベルの高いエロだと嫌いな人もいるし、片想い止まりは読まない人はいる。読む人が何を読みたいかは、読む人の自由なのだ。
②
小説同人のエロ最高説で反論されても、エロの無い小説は??と思ってしまう。
感動する話やカップリング要素のない話に価値はないのだろうか。
私自身、二次創作小説はエロとギャグと、渾身のガチ考察ifルート感動系など、何でもかんでも読むし買う。エロのある本だとニッコリ笑顔になるので、エロはあるほうが嬉しい。けれど、小説にはその価値しかないと暗に言われてしまうのは、とても残念だ。
バズった擁護ツイートへの感想なので、前後にはなんらかのフォローがあったのかもしれないけど。重要なのは、バズってる(=皆が同意・注目した)のはソコだけ、という物理的な事実なのだ。
まぁこのあたりも、「世の中にはエロ必須な人もいる」という前述の現実で解決するんだけど。小説擁護の旗としては、あまりにも悲しい物だったなと思った。
③
字書きが他人と交流すると、それはすり寄りになるのか?このあたりの同人界隈作法は、初心者の私にはよくわからないので、誰か解説してほしい。
絵描きさん同士ですり寄りは存在しないのだろうか?というより、すり寄りって何?仲良くなったらダメなの??
コスプレ界隈のすり寄りなら、その人と並ぶと注目されるとかROMがどうとかあるのは想像できる。けれど、個人で作品を作る二次創作界隈において、他人と仲良くなる事に「楽しい」以外のメリットがあるのだろうか…?
合同誌や表紙挿絵など??嫌なら断ればいいのでは…?依頼もウザいってこと??
私にはよくわからない。少なくとも今、字書きさんとも絵描きさんとも読み専さんとも交流してるけど、仲良くなりたいのは性癖かノリが同じ人だけだ。共に推しカプをチュッチュペロペロして男ふたりの未来に乾杯したい人だけだ。皆それが目的で交流してるんじゃないの??
これについては、自分が何らかのタブーを犯してしまう前に、界隈のマナーみたいな物は学びたいと思っている。
バズった罵倒を参考にしようとしたけど、ゼロ距離タメ語がどうとかリクエストがどうとか、字書きに限らずオタクとして犯してはならない常識ばかりだったので参考にならない。『字書き=すり寄り』って何なの??
交流なんか、個人同士のやりとりなんだ。外野がとやかく言うべきではない。
そして、小説書きにそういう奴しかいない!と嘆くなら、絵描きにそういう奴はいないのか、そもそも小説書き何人と絵描き何人の割合で判断したのか、その年齢分布数などもあわせて出してほしい。それも無く「字書きに多いすり寄り系、嫌いだわ」だけ言われても、そこに自分が含まれているのか、含まれる含まれないの明確な境界は何かわからず、ただただ落ち込むだけである。
他人に牙を剥くなら、それ相応の準備をすべきだ。殺すならしっかり殺してくれ。貴様が気楽に握ったその曖昧なナイフは、すでに他人に向けられているのだ。それ相応の覚悟で突き立ててほしい。
けれど、これと似た台詞は、たくさん投げつけられてきた。
最近の若者はなっとらん。
私の人生でいくつも見かけてきた、なんだか乱暴なdisの数々だ。
狭い世界で生きている人間が、1人や2人から与えられた数少ない体験を、さも世の理かのように語る。井の中の蛙じゃないか。愚か者め、恥を知れ。
一連のRTでモヤモヤした事を書き出してみたので、だから何とかは無い。けれど、140文字で呟くには、あまりにとモヤモヤが大きすぎたので、この場を借りた。
「長い」
それは…まぁ、…すいません。
長いよね…うん。
でも短いと伝えきれない事がある、だから今回は、長い事は必要な事だったんだ…。
でもまぁ、とにかく。
二次創作界隈の「字書きdisと、それに対する怒りと擁護」には、なんだかちょっぴりうんざりしている、この気持ちだけは無かった事に出来なかった。
それに触れてツイートする事で、それを知らない人がどんどん嫌な気持ちをおすそ分けされているんだ。今の私のように。どうせ腹の立つ思想と戦うなら、もっと本気で戦おうよ。
悪い感情を否定するのに、悪い感情を返すだけだと意味がないんだよ。
もしそうやって戦うのが難しいのなら、せめて落ち込んだTLの空気を一新すべく、何か楽しい話題を連投しよう。無理ならちんちんの話でもしよう。
腹の立つ思想のやつもいるだろう。けど、そいつに引き摺られて、怒りを撒き散らしても何のメリットもないんだわ。
私はTLでは、絶対にこの話題には触れない。匂わせもしたくない。何度もやりかけたけど、あれ以上空気を濁したくないからやめた。
そういう話題が流れて空気が重くなった時こそ、楽しい話をするのだ。腹立つ奴をぶん殴るには、それが一番手っ取り早い。相手にしない事だ。
私は、嫌な思想を引き摺って撒き散らすだけの人間には体験できない愉快なTLで、同じ性癖の人たちと、おもしろおかしく暮らしていくつもりだ。
二次創作の話を含みます。そのことに理解がない方は読まないことをお勧めします。
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褒められて伸びる人がいるように、けなされて伸びる人もいる。
私だ。
いや、褒められることは好きだし、励みになるのだが、少々天狗になってしまうのだ。
でもそれだけを求めてしまう。
ちがうの。
本当は、自分が描きたい雰囲気やポーズがあって、それを描きたくて、上手くなりたいの。
それが一般受けしない者でも。
でもやっぱり目に見えて見える評価を追いたがってしまう自分がいる。
難しい。
私には、けなしてくれる人がいる。助言を言ってくれる人、と言った方が正しい。
見えなかったものが見えるし冷静になれるし性壁も合うからありがたみしかない。
でも、そうすると自分がだめだめの人間に思えてきて、創作意欲が消えてしまう。
はあ。
どうしたらいいんですかね。
私、相当な特殊性壁持ちなんですよ。
想像妊娠、拷問、去勢、お薬、首絞め、白痴、幼児退行、死ネタ、自傷行為、発狂、虐待、嘔吐、血反吐…
本当はキラキラした絵じゃなくて、鬱みたいなのが描きたいのに。
褒めて、もらえているんだろうけど。
とっても嬉しいんだけど、ちゃんと喜べないのです。
描きたいものはそうじゃないんだ。
でも褒めてもらわないと生きていけない。
生きづれえーーーーーーーーー!
生きづれえーーーーーーーーー!
はあ。何言いたいのかわかんなくなってきちゃた。
どうしたらええんじゃ
女性向けジャンルの話だし全ジャンルに当てはまる訳じゃないのは分かって読んで欲しい。
はてなブログ初めて使うからミスとかあるかもしれないけど多めに見て欲しい。
ここ二日間で「神がカップリング乗り換えて大手になった話」だとか「小説書きとは仲良くなりたくない絵描きの話」とかを読んでたら自分も吐き出したくなって書くことにした。
字書き辞めて以降文章書いてないから支離滅裂になってるかもしれない。ごめん。
もう2年位前の話になるけど、私はある女性向けジャンルで小説を書いていた。その頃は楽しかったし、それなりに絵描きや小説書きの人たちとも繋がってキャッキャしていた。
イベントでもそこそこ本を出していたし「ああ楽しいな」って思いながら細々と小説を書いていたら一人のフォロワーが徐々に大手になっていった。
彼女の書く物はPixivにアップすれば大体一日で100ブクマはつくし、フォロワー限定のリスト公開のprivatterでは閲覧数が数時間で三桁以上になるというレベル。
多分、そのカプ好きな人は最低一回は読んでてもおかしくない認知度の人だ。
最初の頃は「〇さん凄いなあ!私も頑張りたい!」なんて気持ちで彼女の書く作品を読んでいたし応援もしていた。彼女の言葉が紡ぐ世界が好きだった。
彼女のツイートにどんどんいいねが付いて、そのいいねの数も数分で私が一度も貰った事のない位の大きな数値になっていくのを見て悔しいと思い始めたのだ。
彼女がイベントで本を出した後、仲の良い小説書きや絵描きと一緒に楽しそうにアフターをしたツイートと写真を見て羨ましくなったのだ。
「彼女のツイートは私がいいねしなくても他の誰かがいいねするから」
と言う気持ちで、彼女のツイートを見ないようにミュートをしたら気が楽になったのは覚えている。
でも、「〇のツイート、続き楽しみ」「〇の話、世界観綺麗だから引き込まれる」
なんていう共通フォロワーの空リプで彼女を褒めるツイートを見てしまい心が苦しくなった。
ワードミュートすれば良い話なんだろうけど、彼女のハンドルネームは一般名詞だったせいでその単語をミュートしてしまうと普通のツイートまで見られなくなる。
それに空リプだけが理由で大好きなフォロワーをミュートしたくなかった。
最後に、私の心を完全に折ったのは大手絵描きが彼女の書いた作品を読んだファンアートを投稿した事だった。
大手絵描きはフォローしていなかったが、そのカプを好んでいる腐女子なら絶対RTで見かけたことのある人だった。
それから大手絵描きと彼女はどんどん仲良くなっていき、最終的には大手絵描きに同人誌の表紙を描いてもらっていた。
大手絵描きが感想イラストを投稿した事をきっかけに、他の有名絵描きたちがこぞって彼女の小説の感想という名目のファンアートを投稿し始めた。
それを見た私の感想はただ一つだった。
「妬ましい」
私がどれだけ頑張っても一度も貰った事のない感想イラストを浴びるように貰う彼女が妬ましかった。
というツイートには
「は?私はそんなの一度も貰った事がない。自慢か」
そして極めつけには、私の方が数ヵ月も先にPixivにアップしていた話に類似したネタを堂々とツイートし始めたのだ。
まるで彼女の方が先に考案していたネタのように扱われているではないか。
私は彼女のツイートにいいねが100ついた頃、自分がアップしていた作品を非公開にした。
ネタをパクったなんて言いがかりを彼女の信者に言われたくなかったからだ。
寝ても覚めても大手字書きの彼女に対する嫉妬心は募る一方だった。
だからある日
「私生活が忙しくなったのでアカウントを消します。今までありがとうございました」
と理由を付けて創作アカウントを消した。当然pixivも削除した。今あるのはプロの漫画家や声優などしかフォローしていないロム専のアカウントのみだ。
そりゃあ私の書いていたカプは人気があったから私自身も10ブクマ位してもらっていたが、どうせ大手になった彼女と比べたら底辺字書き。
惜しむ人なんて居ないだろう。という気持ちで諸々を削除した。
その時の爽快感は今でも覚えている。それから「ああ、これでやっと楽になれる」
もう字書きを辞めてだいぶ経ったがやはり今でも「感想欲しかった」「好きです」の一言位ロム専の人に一言だけでも良いから貰ってみたかった。
私の書く物の感想が一言でも良いから、義理じゃなくて本物の感想が欲しかった。
同人誌に感想がフォームをつけたんだから一度で良いから感想を投げて欲しかった。
という「して欲しかった事への羨ましさ」の気持ちが多く残っている。
今回この話を書くことに決めたはてなブログを見て、大手になった彼女のアカウントを見に行ったら「最近あったイベントでもスペースに列が出来て大変だった。でも今回も書ききって満足!」的なツイートをしていてウヘァという気分になった。
Twitterで「あ、この人フォローしなきゃよかったな」と思う瞬間。それは「RTする内容がネガティブな話題が多い」人だったパターンだ。個人的には好きなもののRTなら知らないジャンルでも楽しくなる。楽しそうに墓に入ったりする別ジャンルのフォロワーを観て「あ、また極楽浄土にいこうとしてる」と思うのは楽しい。
しかし政治の内容、スキャンダルなど……確かに大切なことだし向き合うべき問題だとは思う。
でも私は現実逃避のためにTwitterに来ているのだ。Twitterは電子的リゾート地なのだ。それなのに、なんで現実のネガティブな内容とわざわざ向き合わなきゃならんのだ。短気なのでネガティブなツイートを見るたび怒りに震えストレスが溜まる。ぶっちゃけ胃に悪い!胃腸弱い人間には精神的死活問題だ!
よくわかる。
3の字書きは人次第だとは思うが。面白い人がいたり、面倒で壁打ちにしているだけや、自ら「空気が読めない」と呟くサイコパス的な人がいたりもして色々だから。
けれど、2。テメーはダメだ。
絵描きに擦り寄るだけではなく、1に嫉妬して追い落とそうとする奴もいる。
そんな2のような字書きとよしよししあうのが大好きな、2のような絵描きや読み専もいるのが地獄。
私はかれこれ15年ほど同人とか二次創作という界隈に身を置いている、しがない字書きだ。
ここ数日、ツイッターのタイムラインでやたらと「同人誌の作者に感想を送るべき」だの「感想を送ったところで引き止める理由にはならない」だのと議論されているのを眺めていた。
これは、特に目新しい議題ではないだろう。
学級会と称されて、既に何度となく同人活動に関わっている人たちのツイッターでは話題になっている。
作者視点でも読者視点でも各々数パターンの意見傾向があり、いつも泥沼化しており、結論が出ないまま風化し、またふとしたきっかけで議論が行き交っているのだ。
私も二次創作をしている立場であるから、色々と思うところはある。
まず、私が何よりも強く感じているのは、議題テーマを「感想」にするからややこしくなっているのではないか、という点だ。
作者の目線に立てば、感想が欲しい!という意見が大多数だ。当然である。
読者の目線に立てば、感想を送るのは難しい!と躊躇する人も多い。理解出来る。
だが、ここで意見が噛み合わない原因は、各々が抱いている「感想」がどのようなものであるのかが食い違っているからのように思えてならない。
読者が想定している「感想」は随分とハードルが高いような気がするのだ。
どの場面のどのキャラクターがどうであったのがどう良かったのか…と読書感想文さながらの「感想」を送らなければ、と身構えている読み手が多いのではないだろうか。
もちろん、そういった感想をいただけるのは嬉しいことであるだろうし、幸せなことだろう。(私は長文の感想はいただいた経験が無いから想像に過ぎないけれども。)
ツイッターで「あー!最高の同人誌読んだー!マジ尊すぎてしんどい!しんどい以外言えねぇ…」などと呟いたりしているが、その本の感想を作者本人に伝えたことが無いという読み手は割と多いだろう。
要は、その「最高」「しんどい」を一言でもいいし匿名でも全然構わないから作者本人にぶつけてくれると嬉しいな、という話なのだ。
文章になっている必要など無いし、「あなたの○○大好きです!今回も最高でした!」で十分であり、その一言が生きる糧となる作者は多い、という話だ。
同人活動をしている描き手(書き手)が作品を公開しているのは、人によって程度に差はあれどレスポンスを期待してのものだ。
何の反応もいらないのであれば、自分のノートなりスケッチブックなりPCなりで創作欲を発散出来ればいい。
そうではなく、見てほしい!読んでほしい!そして私のこの萌えに共感してほしい!という気持ちがあるからこそ、作品を公開している。
ポイントは、見て!読んで!だけではなく、何か反応して!という期待を抱いている創作者が大半だという点だ。
これは、同人誌即売会でもピクシブでもツイッターでも個人サイトでも共通している、創作者の欲であり目的なのだ。
気持ちを込めて創作した作品を見てもらって、それに対してのポジティブなレスポンスが貰えると喜びに繋がり、もっと頑張りたい上手くなりたい更に共感を得たいというやる気に発展するわけである。
ピクシブであればいいねやブクマ、ツイッターであればRTやいいね、個人サイトであればWeb拍手など、必ずしも言葉を必要としない手段だってある。
「感想」ではなく、この作品を創り出してよかった、描いてよかった、書いてよかった、と作者が感じられるような「手応えのある反応」が欲しいのだ。
イベント会場で自分のスペース前で立ち止まってくれる人がいない寂しさと、ネットで公開している作品の閲覧数だけがただただ増えていく切なさは、とてもよく似ていると思う。
このジャンルにいてもいいんだ、このCP界隈で自分を必要としてくれる人がいるんだ、という安心感が欲しい。
その安心感が、居心地の良さが、創作欲へと繋がっていき、ジャンルやCPへの愛着にもなる。逆もまた然り。
個人的な話ついでに。
私はいくつものジャンルを渡り歩いてきており、前回までのジャンルではいつも寂しさと孤独を抱えていた。
作品はそれなりに閲覧されているのに反応が全く無かったり、普段は何も反応が無いのに何かちょっとした不備があれば鬼の首を取ったかのように文句だけは長々と叩きつけられたり、SNSやイベントで仲良くしてもらっていると思っていた人たちから突然無視をされるという苛めに近いことがあったり。
最終的には心が折れて早々にジャンルから立ち去っても、気にしてくれる人など誰もいなかった。
ジャンルにはまる時の気持ちの大きさや熱量は同程度で、現在いるのは今までの中で一番マイナーである界隈なのに、なぜ現ジャンルが一番長いのか。
前ジャンルでSNSに疲れ切った私は、ピクシブもツイッターも退会して個人サイトにひきこもった。
(※創作者としてはアカウントを持っていないが、ROM専用の別名アカウントは持っている)
サイトサーチの運営者様には感謝しているが、正直なところあまり機能はしておらず、ピクシブを利用していた頃と比べれば閲覧数は格段に下がった。
しかし、サイトを訪れてくれる数少ない人たちは、皆さん懸命に「頑張れ!」「頑張れ!」と背中を押してくれる。
しかし、定期的にWeb拍手を押してくれたり、何か更新すれば一言掲示板に「新作読みました、面白かったです」と本当に一言だけだけれど書き込んでくれたり、イベントに出れば本を手に取ってくださる時に「いつも読んでます、これからも頑張って」と一言声を掛けてもらえたり。
そのひとつひとつに心から「ありがとう」と思っているし、その感謝が新たな作品を創りたい欲へとなっているし、口下手ではあるがなるべく御礼を伝えている。
頻度は多くなくとも、あたたかく手応えのある反応があるからこそ、私の同人活動は続いているのだ。
だからどうか、読み手の方は好きな作者の方へ「手応えのある反応」を贈ってほしい。
それは次の作品を催促しているとかジャンルへ留めておくための手段などではなく、作者の創作魂を殺さないための支えのひとつだ。
同人活動は趣味であるから、作者も読者もジャンルから離れることはあるだろうし、それを止めることなど出来ない。
だが、同じものを好きだという気持ちを共有している間は、「作品」と「手応えのある反応」を贈り合うレスポンスループが幸せなのではないかと、私はそう思う。
友情・コンビ萌えな方のCPに対するツイ見てわかりみしかなかった……
これ。これなんですよ、女オタクやっててずっとある違和感…!!
こっちは単純に男同士の熱い友情とか家族愛とか主従関係とかにくそ萌えたり憧れたりしてるわけですよ。
CPではない作品を求めてキャラ2人の名前で検索しても8,9割はCPかな…(稀に友情ものが見つかると五体投地する)
自分は腐も見れる人種なので飢えが極まるとジェネリック的にCP作品を摂取しているためCP作者の方々には常々申し訳なく思っている。
あと「AとBの関係が好きで…」とか言っちゃうと「ABいいですよねー!(CP的な意味)」みたいに返ってくる確率が高くてうかつに口に出せないという。
そうじゃなくて…!恋愛関係じゃなくても人は助け合ったり互いを思い合ったりぶつかったりするでしょ?!それがいいんですよ!!
恋愛になるとちょっと意味合い変わるじゃん!今回はそれじゃないんですよ!!
それもいいけど信頼とか尊敬とか忠誠とかいった別な感情もまた尊くて…拝みたい…!!
ということをなかなか咄嗟に上手く説明できなくて「アッ…ウ…そ、そうですね…」みたいな反応になってしまう。
しかしコレを表で言ってしまうと、CP民のみなさんから距離を置かれそうでなかなか言えない。
ファン同士の交流はそういうの関係なくしたい。それとこれとは別なんや。自分が誤解されてなければそれでいい。
なので今は絵とか語りとかでそれとな〜くコンビ萌え派の空気を演出してる。
今いるジャンルはそのへん汲み取ってくださる方が多いのが救いではある。
行く所によってはマジで理解得られなくて苦しいときもあったりしたな〜
というか最近はSNSとかで自分の意見を細かく発信できるようになっただけ良くなったのかも。
自分が正しく発信してれば理解してくれる人が見つけてくれる確率上がるからね。いい時代だ。
私の好きなジャンルは女性向けソシャゲで、人気はそこそこ。知名度はある程度あるし、DL数はそれなりに行ってるけど、現役ユーザーはそんなに多くなくて、ざっくりわけてガチ勢と一般ユーザーに3:7くらいでわけられるようなそんな小さな界隈だ。
ゲームはソシャゲの中でもかなり乙女ゲーム的な要素が強く、ファンもそういう傾向の人が多い。
同担拒否も当たり前にいるし、推しが複数キャラいるだけで同担にブロックされるような世界だ。
好きなキャラが最推し以外に複数いるってことを先に断り入れないといけないような世界。
私は基本的に魅力的なキャラであれば何人でも好きだというし、それぞれの魅力をそれぞれ愛したいと思う。
そもそも夢女子じゃないから、もちろんキャラに告白されれば自分に言っているように想像はするけれど、かといって彼らに人生を託すと言うわけでもない。
普通にキャラが好きなだけなのに、キャラを好きだと言うことが悪いことのようになってしまう今の界隈は、正直息苦しい。
夢女子が多くて、一番困るのが交換だ。
この界隈は、同担拒否も過激派が多くて、RTやいいねで他の同担のツイートを見ることすら許せない人がいるらしい。それも、かなり頻繁に。
だから、交換でツイフィールを読むと「最推しが○○の方はフォロワーさんが嫌がられるのでお断りします」っていうのがよくある。
そこそこの年数乙女ゲーム界隈にはいたけれど、こんな注意書き、このジャンルにきて初めて見た。
初めて見て、ドン引きした。
名前も知らないどこの誰かもわからない交換相手のフォロワーと推し被りだから、当人は同担拒否でも推し被りでもなんでもないけれど、該当者はご遠慮されるのだ。
その交換相手とフォロワーがどれだけ仲がいいかはしらないが、ぞっとした。
交換が出来ない怒りとかを通り越して、それがクラスタ内で『異常』でもなんでもなくありふれてることに、再びドン引きした。
まるで村だな、と思った。
よそものは受け付けない。外部の人間は入れない、身内が嫌だと言うならその人の良い悪いに関わらず排除する、そんな雰囲気。
同担拒否で他人にまで拒否を強制する夢女子も、それを受け入れて悪意のない第三者をカットする人間も一体なんなんだろうかとか。
色々、考えてしまう。
作品が好きで、もっともっと作品が人気になって欲しいからこそ、こういう夢女子の存在がその障害になりそうで怖い。
作品を知ってキャラを好きになっただけでブロックされたり、気になる人との交流を制限されたり、そんな閉じきったジャンルになりかけているのが怖い。
人気が出たら、圧倒的に新規が増えたら、空気も変わるかもしれないけど、今はとにかく、澱んだ空気がジャンルに蔓延ってる。
ついでに、夢女子が、とは言ったけど、別に夢女子だけがこうだとは限らない。多分女性が多い界隈にありがちな話だと思う。形は違えど似たようなことはあるんじゃないかなぁと思う。
けど、交換にまでそういうのが入ってくるのは……なんとかならないのか。
実はアニメ化が決まっているのだけど、このままでは始めたばかりの新規ユーザーが私のようにドン引きして、そのまま作品から離れてしまいそうで、老婆心ながらも心配だ。
最後にこれはきちんと言っておかなくてはならないけれど、夢女子でも過激派ではない人もたくさんいるし、私のように多数キャラを愛でる人もいる。
これでも、今のジャンルは私が今まで辿ってきたジャンルでは1、2を争う良いファンに恵まれたジャンルだ。
だけど……優しすぎるファンが多いせいで、先の同担拒否過激派の言い分をそのまま受け入れてしまうという、皮肉な状況になっている。
再販ありますか?は嬉しいけど散々告知したのにって思ってごめんね。ピコだから再販そんなにできないんだわ。
すごくいいABに出会って嬉しいと呟いたらおすすめのAB教えてってきたけど少し落ち込む。
交流と好きな作品は分けたいから感想は匿名で送ってるしあんまり名前出したくないからわざと名前伏せたんだけどな。
そもそも私もAB書いてるんだけど。
嫌ではないけど感想もらう回数は少ないから、通知きてドキドキしながら開いて落ち込む。そんなんリプライでくれよ。交流避ける意味かもしれないけど。
ツイッターは愚痴を吐き出す場所として使おうと思っていたが、気付くと中途半端にフォロワーも増えて、大体はアクティビティ少な目なんだけど時折どーでもいい呟きが数百人の目に触れていて焦る事が増えた。
そしてしばしば「ネガティブな呟きを見せられるほうは迷惑」「ポジティブな呟きを心がけなければダメ」といった文意のツイートがRTで流れてくる。
では愚痴を控えて普通のつぶやきだけにしようとしてみると、なんとも自分の言葉が空々しく空しい呟きにしか思えない。
では他に良い場所はないものかとTumberだったかを使ってみたが、明るくも空虚な妙な雰囲気がどうにも肌に合わない。
ではでは匿名で日記が書けるアノニ増田イアリーをと思って登録してみたが、ココはココで妙な感じですね。まとめサイトのコメ欄のような馬事雑言で普通の増田日記が流れていく。
ネット黎明期だと個人HPなんてのが普通で誰もが気兼ねなく自分のHPで日記とか愚痴とか書いていて、その後にもっと簡単に日記が書けるブログというものが流行して、その後にはお膳立てが整ってるSNSというものが流行して、そのあたりまでは結構みんな好き勝手に好きな事を書けていたと思うんだよね。通りすがりの見知らぬ人に文句を言われる事も殆どなかったし。
気付けば主流のネットサービスは軒並み外国の会社の提供する日本語版だったりするし、規制や検閲も当たり前で、非難するほうが偉いという風潮さえあったりなかったりするので、棘のない言葉しかネットに書き込めないようになったような不自由さというか堅苦しさが付きまとう。
こういった事を書いていると「ネットをやめろ」と言われそうだが、実は半年ほど止めてみた。
止めてビックリしたのが、世の殆どの人がネット依存症状態だという事。スマホのおかげで猫も杓子もネットやってる。
なのでネットやめると連絡も取れず、共通言語も激減し、人との関わり合いが結構減ってしまう。スマホがないと何もできないという人も多いようだ。いまやネットが社会のコミュニティスペースと化しているのかもしれない。
しかしどうにも、僕がネットで自由に呟ける場所というものがみつからない。
でもそれが出来る場所って、案外と無いみたいだ。
ツイートちゃんとしてる?
いいか?人はリツイートやフォローされたら、まずそいつのタイムラインを見るんだ。
最新が1ヶ月以上前なんて論外。
3日に一回くらいの頻度でも厳しい。
ソシャゲの通知やらラーメンの記録写真、バズってるネタ画像のリツイートの連続。
フォロワー2000超えたあたりからこういうツイートもご愛嬌と捉えてもらえることもあるけど、
アイマスオタとかラズパイオーディオマニアとかイチャラブ四コマ漫画職人とかビッチ系自称おとこの娘とか、
始めの自己紹介でそいつの全てが説明できるくらいにインパクト強い個性があったほうがいい。
ツイッターなんて結局な、表になかなか出てこれんオタク共が同士とつるんで村作るアポカリプスなんじゃ。
地獄の黙示録みたく頭つるっぱげにして人骨の盃で酒飲みながら密林の奥に進んで行け。
あと当然だけどフォローは何人かしてるよな?
平均的増田のくそつまらないであろうツイートが、オタ充よろしくやってるツイッタラーの琴線に触れることは到底ありえないわけで、まあサーチからフォローしてもらえることなんざありえないよな。
テレビに出ていない、本は出したことない、インタビューしにくる奴もいない、ネットでバズらせたこともないし、インスタはやってすらいない、ハッカソンとは何者だ?最終学歴どこそこそれ?何かの大会で優勝したことありますか?資格なんて運転免許証しかないわ、しかも不細工、服はしまむら…etc
おまけに歌も下手、楽器できない、メロディ浮かばない、そんで絵も描けなきゃ集中力ないから長文を書くことすらできない。
だからボカロもpixivもなろうもハナからやる気すらなかった。そのくせにいっちょまえに馬鹿にはしてたんだけどなw
話脱線したけどそんな実力も人気もない奴向こうからフォローしてくることありえないでしょ?
こっちからフォローしてお返しにフォローしてもらうというやり方。
別に俺は何千何万とフォローしていけって言ってるんじゃないぞ。フォロワー2000人に対しフォロー2500みたいな垢とかほんと引くから。
フォロワー一桁の状態なら50垢くらい自分からフォローするんだよ。
この50垢も誰でもいいわけではなくて、ちゃんと自分のコンセプトにあったある程度仲良く出来そうな奴を選ぶ。
フォロー前後の挨拶DMとかはいらんけどたまにRTとかファボはしてやれ。
で50垢くらいフォローすると、相手がお前のプロフィールとかタイムラインを見るわけだな。
そのタイムラインとかが相手に気に入られればめでたく相互フォロー状態に持ち込める。
後はひたすら投稿とRTを繰り返して、フォロワーに自分のツイートを拡散してもらいやすい環境作りに徹する。
運良くお前のツイートが受けてRT数3桁クラスの小バズが続けばフォロワー5000超えくらいはもう余裕よ。
今だと例えば「#ポプテピピック」ってつけたツイートをポプテピピック放送中に投げるとか。
でも基本はやっぱり中身(タイムライン)がしっかりしてることだよね。
自ジャンルに疑問を持ち始めたら一旦距離を置いた方がいいと思う。(結論)
これはただ私が思ってることを書いただけの乱文長文だ。
あとコンテンツ名が分かっても言わないでほしい。私はこのコンテンツが潰れてほしい訳じゃない。そっとしておいてくれ。
私はとある女性向けコンテンツのオタクをしている。そのコンテンツは流行り廃れの激しい女性向けコンテンツとしては(浮き沈みは確かにあったが)割と長いこと続いていて、私はそのコンテンツのファンをして4、5年になる。
まぁ4、5年といっても学生時代を含めてなので年数に見合った貢献(グッズを買うやらライブに行くやら)はド田舎という環境も相まってほとんど出来ていなかった。
無論自由にお金を使える今は「全てのグッズを箱回収!」とまではいかなくても、推しのキーホルダーやらぬいぐるみやらアニメ円盤やらライブ円盤やら(ライブは全て抽選で落ちた)を少しずつ集めては自分にできる範囲で公式へお金を払いながらも、そのコンテンツのオタクとして、ファンとして自分なりにエンジョイしていた。
……のだが、最近、いや多分最近じゃない、ずっと昔からあったのかもしれない。
このコンテンツのファンが気持ち悪いと感じるようになってしまった。
かくいう私もこのコンテンツのファンなので気持ち悪いオタクになっているのかもしれないがそれは今回棚にあげさせてほしい。
・このコンテンツに全てを注ぐ!
・ジャンル掛け持ちなんて信じられない!
という信者がまぁ多い。
別にコンテンツに全てを注ぐのは悪くない。寧ろそこまで出来る運命的なコンテンツに出会えているのは凄いことだし頑張れと思う。
でもそれを全てのファンに強要させようとするのはどうなんだろうか。このコンテンツに関わっている全ての人がみんなそうなのだろうか。答えは否だ。
「このコンテンツがメインジャンルじゃないけどキャラが好きだからキャラソンは買うしライブも観に行くよ!」
「アニメをみて好きになった。メイトに行ってグッズ買ってみようかな。でも原作ゲームはまだやる気しないかも……」
「ほかのソシャゲをメインでしてるからこのコンテンツのソシャゲには微課金程度しかできないがちゃんと好きだ」
コンテンツのなにかしらが好きだったらもうファンだろう。しかも上記の人たちはこのコンテンツがメインではないのに金を落としてくれてるのだ。もうファン以外の何者でもないだろう。
なのにこのコンテンツの信者たちはこの人たちをファンと認めないのだ。こうなるともう宗教だ。このコンテンツが唯一神なのかなんなのか知らないが、「御朱印集め」といって色んな神社にスタンプラリー感覚で行ってる人が多いこの国で、大多数の人が八百万の神をなんとなく信じているこの国で、なぜ他ジャンルと掛け持ちしてる人たちを認めることができないのだろう。別に神様何人いてもいいじゃん。
信者ファンがやたら多いせいで新規ファンが入りにくくなり、新規が入らないので既存ファンを大事にする方向で公式が動き、さらに信者ファンが増え、さらに新規ファンが入らない。
まさに負のスパイラルだ。
取り残された信者でもない普通に楽しんでいるファンはどうなる?純粋なファンは遅かれ早かれこのコンテンツが息苦しくなって他に住みやすいコンテンツに流れてしまう。
驚いた。
何かしらのコンテンツと掛け持ちしていることをみんなが理解した上で、
新しいソシャゲのイベントやカードイラストなどでわいわいと盛り上がっているのだ。
あと、ファンが信者なので、教典に書いてないことや、教典から逸れたことを公式や、まだ入りたての新規さんがするとすぐに炎上する。
炎上の速度は女性向けコンテンツでは一二を争うのではないだろうか。もう炎上しすぎて思い出せない。
ここで怖いのは教典を書いてるのは公式ではなくファン自身なのだ。ファンが教典という名の自分にとって理想の公式像を創り出す。
そうするとどうなるかわかりますね。
私の教典が一番だと争い合うのだ。悲しいことに。公式が教典を書けとも、信者になれとも言っていないのに。勝手に信者になって理想像を創り上げ、信者同士で自分の分厚い教典の角で殴り合いだ。たまに公式に向かって自分の教典を投げつける人もいる。こわい。
そうだ、思い出した。最近炎上と言うほどでもないが荒れていたのは、公式のRTキャンペーンで当たった人にグッズをプレゼント!というやつで、当たった人がみんな絵師さんやら、フォロワーが多い人やらで「抽選じゃねーだろ!」となっていた気がする。あまり詳しく書くのもアレなので言わないが。
とにかくここまで書いて私が言いたかったのはタイトル通り、自ジャンルのファンが気持ち悪い、だ。他にもコンテンツ運営している会社の株を買っている人や株価、社員の方などを研究しているファンもいるがまぁそこは今回は話さないでおこうと思う。
こんな盲目過激な信者ばかり抱えていて新規ファンへの入り口もほとんど閉ざされているこのコンテンツは、いくら原作者がずっと続けたいと言っても何か革新的なことが起こらない限りもうすぐ終わるんだろうな。と思っている。
ここまで文句ばかり書いてきたが、私はこのコンテンツが好きだ。オタクになるきっかけがこのコンテンツだっただけに他のコンテンツにはない感情がある。
これからCD発売や様々なことが待ち構えているこのコンテンツに私はいつまでついていくことが出来るのだろうか。もうだいぶ疲れている気がする。
でも私は結局最推しのグッズしか買わないしCDも1枚ずつしか買わないから、信者さんのようにCDを何枚も積んだり、グッズを箱買いしたり、そんな風に公式にお金をたくさん払っていないので、やっぱりお金を湯水の様に使ってくれる信者さんに対して優しい展開になっていくのは仕方ないのだろう。
どうしよう。
信者ほど盲目になれない自分をファンと名乗って良いのかも不安になってきた。
結局私は4、5年もコンテンツを応援し続けたなんだったのだろう。
最初に書いた通り一旦このコンテンツと距離を置くか、それかいっそ引退して他ジャンルに入ろうか。
最近そればかり考えている。