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はてなキーワード: 高校受験とは

2024-02-13

anond:20240212144016

なぜか中学受験したことない親って私立中学が荒れてなくていじめもない素晴らしい場所だってお金かけてるから!って盲目的に思いこんでることあるよね。

私立中学にもエグいいじめ学級崩壊もあるし教師やばい奴ばかりなところもあるよ、援助交際してる女子もいっぱいいたしね〜

なんなら公立中学みたく高校受験目標もないからみんな中だるみしてるし勉強サボっても進学できちゃうから勉強サボりがちになるし

遊びざかりの子供に無理やり勉強させて大金払ってそんな場所に行かせたいの?

金をドブに捨てるだけ、もっとよく考えろよ

あと地元同窓会にも参加できなくて子は地元に居場所作れないけど大丈夫?疎外感やばい

自分親の期待に答えるように私立中学行きたいって嘘ついたけど本当はみんなと公立中学行きたかった。

一生後悔してる。

大人になった今でもみんなと公立中学へ行けるようになる夢を見る。

死んでももう戻れない。

学歴だの将来だの安定だのの前に子供の声をちゃんと聞いてほしい本当に

聞いてるつもりでも子が合わせてくれてる場合なんていくらでもある

親が勝手暴走したらすべてが壊れるよ

もうこわれてるかもね^^

親の自己満無駄に金かけられたあげく今はメンタル病んだただのフリーターより

あと大金かけなきゃ有名大学入れないような子なんてどのみち地頭が悪いか会社出世は無理だよ〜^^

2024-02-12

anond:20240212144016

1個体ごとに環境や素質が異なりすぎることから高校受験大学受験の成果が中学受験経験の有無で左右されるのかという実証研究が出来ない。

なので、鍛えるだけ鍛えるという選択は一応の合理性を有しているのだよ。

いつからか私に語りかけてくれなくなったあの子

私には友人がいた。

といってもみんなが想像するようなものではなく、頭の中にいて、時々私に語りかけたりしてくれるような、そんな感じのものだ。俗に言うイマジナリーフレンドだろうか。そんな大層なものかは分からないのだが。

高校受験勉強に疲れ、塾をサボったりしだすようになった私の中にその子は現れた。

色々と相談に乗ってくれた。孤独じゃない瞬間がなくなって、私は少し気が楽になった。

受験当日も問題のチェックなんかをしてくれた。おかげで合格できた。1人じゃないという安心感があったからこそだろう。

買い物をしているときは何を買うべきかとか、今はお腹が減ってるだけだから欲しいだけだとかを判断してくれた

ゲームしてる時はどう立ち回るべきかとか、どうすれば倒せるかとかを考えてくれた

だが、いつからだろうか、その子の声は私には聞こえなくなった。私に話しかけてこなくなった。

つい最近まで一緒に話してた気もするのだが、同時にもう2,3年くらい前からはもう聞こえなかったような気もしてくる。

私はもう1人でも大丈夫なのか?そんなわけはない。最近は昔以上に精神面が不安定になってきている。こんなときにこそあの子がいてくれれば嬉しいのだが、もう語りかけても返事はしてくれない。

私1人でも生きられるようになるべきなのだろうな

2024-02-11

10年以上インデックスでシコってる

つの間にか俺はオッサンになった。

インデックスが今いくつなのかは分からない。

原作はもう読んでないから。

でも今でもシコってる。

俺のこの10年は何だったんだろう。

もっとちゃんと人部の人生に向き合っているべきだったんじゃないだろうか?

友人の結婚式に行くと「大学生の頃から付き合い始め」のお決まりフレーズ

俺の大学時代はなんの意味があったのか。

大学時代意味を信じるために、俺は大学受験もっと真剣にやるべきだったんだろうな。

社会人生活意味を信じたいなら就活ちゃんとやるべきだったんだろう。

俺の人生、俺が自分無意味にしたんだろうか。

おかしいな。

小学校の頃はクラスで一番頭がいいって言われて、高校受験とき偏差値は良かったのにな。

そもそも俺は何がしたかったんだろうな。

中学生の頃はIT企業に入ってバリバリに働いている自分を信じていた。

高校ぐらいになって、ITってブラックが多いらしいよと聞いてハンドルを大きく転換した。

ここで間違ったというよりも、この程度のことで方向性を変えないような道を見出しておくべきだったんだろうな。

13歳のハローワークちゃんとやらなかった俺の失敗だ。

虚しい。

その虚しさをオナニーで誤魔化して生きてきた。

俺は10年以上インデックスでシコってる。

未だに童貞だ。

anond:20240211082841

2024-02-07

俺も実家が太い

俺も実家が太い。

父は横浜の某聖なる病院に勤務している医者である

母は看護婦で、父方の親戚は弁護士だの会計士だのがずらずら並ぶエリート一族である

大体他の増田と同じで、卓球器械体操ピアノになんかよくわからん英語教室公文式に塾とサッカークラブをローテで回すという幼少時代だった。

習い事に関しては大体全部つまんねーなって感じだったので、隙を見てサボりまくっていた。

中学校公立校だったのだが、学校のやつらはマジで貧乏で頭悪いなって思っていたので、学校でもなんか本ばっかり読んでいた記憶がある。

親は俺に医者になってほしいようだったが、絶対に嫌だった。

人の役に立つ仕事絶対にしたくなかったのだ。

あと学校トイレキレイなところで、バカがあまりいないところ、

かつ俺があん勉強しなくても上位の成績にいけて、エスカレーター式で就職も強いところ、

という選定基準中学の時に設けて探し始めた。

結果として某マーチ法学部が強いところにした。

親にはレベルの低い高校受験を、「大学は別の学校受験するから」ということで納得してもらった。もちろんそんなことする気などさらさらなかったが。

まあ、マーチ付属高くらい、推薦ならば特に勉強必要などないのは皆さんご存じだと思う。

俺も無事入学し、頭の悪いゴミ共とぬるく、楽しい青春を送った。

大学にはエスカレーターでそのままマーチに入った。

文系卒論すらなしで卒業できる。これも中学時代調査した通りで、本当に365日ほぼ全て遊んでいた。

勿論、学費は全部親持ちである。ついでに一人暮らしがしたかったので、月額30万ほど仕送りをしてもらいつつ、

あと、なんかよくわからん奨学金?(多分返さなくていいやつ)を適当書類をそろえて受け取り、全部株にぶちこんだ。

株は面倒だからあんま見てないけど、多分10倍か20倍くらいになってると思う。

大学4年間は楽、かつ他人に自慢できる職場を探すのがテーマだった。1年くらいで見つかって、中小だけど多くの人が知る会社に入った。

採用枠は5個で、倍率は200倍くらいだったが、まあそこは持って生まれた運だな。無事に受かった。

そして今も楽しくやりたいことだけやって生きている。

客観的に見ればマジでカスみたいな性格してる俺だが、滅茶苦茶幸せに生きている。

やっぱ実家が太いと人生イージーモードだよ。

2024-02-01

人生への嘆き

中学時代、私は運動が全くできない運動音痴だったが、勉強は得意だった。レベルの低い田舎公立中学校だったので常に定期テストは学年1位。私のアイデンティティ勉強しかなかった。田舎男子中学生の社会の中で、運動音痴はヒエラルキーの最底辺。体育の時間苦痛で、運動音痴で鈍臭い動きしかできない自分馬鹿にされているように感じていた。だから私は勉強ができない人間を内心馬鹿にしていた。体育の時間に散々私を馬鹿にしたのだからお互い様だと思っていた。

高校県内トップ進学校を志望し、模試では常にA判定だった。フィジカルの強さが物を言う野蛮な田舎とはおさばらできると思っていた。

念願叶って高校受験第一志望に合格し、私は県内トップ進学校入学した。ようやく、運動音痴の呪縛から解放されると思った。だが、現実は違った。

県内トップの子たちは運動勉強も私より出来る子ばかりだった。基本的に皆優しかったが、中には粗暴な者もいて、露骨に私の運動音痴っぷりを見下す態度をとられたこともあった。私のアイデンティティ崩壊した。勉強でも運動でも周囲に勝てない私は、自分がとてつもなく無価値人間のように思えた。その結果、自分のような無価値人間クラスメイトに話しかけても迷惑なだけだろうと思い込むようになり、誰とも会話をしなかった。勿論、高校時代友達が出来なかった。

一応、自分なりに勉強は頑張った。でも、東大京大に行くようなレベルには到底なれなかった。高校の成績は受験直前期でも半分より少し上くらいだった。トップにはなれなかった。

とはいえ大学受験地元旧帝大法学部に何とか滑り込んだ。

大学入学後、運動呪縛から逃れたかった私は、音楽サークルに入った。音楽センスがあるわけでも、楽器が特段上手いわけでもなかったが、友達人生で初めての彼女サークル内で出来て、それなりに楽しいサークル活動だった。

勉強のほうも、それなりにやった。政治に関心があったので、政治ゼミに入り自分の興味関心の赴くままに、ゼミ論文作成した。学部生の書く拙いものだったが、満足感はあった。

旧帝大ということもあり、地元ではちやほやされた。私は高校時代に潰された勉強というアイデンティを取り戻そうと思った。県下トップ進学校から旧帝大に入った実績がある。中学時代は学年1位だった。勉強は得意なはずだ。そう思って、学部3年生の時、私は法科大学院に進学し文系最難関の司法試験を受けようと決断した。

前述のとおり、ゼミ政治ゼミだったため、周りに司法試験を目指す友人はいなかった。そのため、相談できる友人もおらず、孤独勉強だった。勉強は何から手を付けて良いかもわからなかったが、とりあえず勉強して法科大学院試験に臨んだ。今思えば、全く努力方向性を間違った勉強法だったと思う。論証パターンという言葉を知ったのは試験の2か月前だった。もちろん既修者試験は落ちた。私は未修者コース入学することになった。

 法科大学院での生活は大変だった。学部のころに法律勉強を一応していたとはいえ講義の内容は難しく、予習復習に追われた。ほぼすべての科目が必修科目で、一つでも単位を落としたりGPA一定値以下だと留年卒業延期になるため、期末試験が近づくと、精神的に不安定になった。法科大学院生活では楽しいこともあるにはあったが、トータルで見たら辛いことのほうが多かった。

 期末試験を何とか乗り切った私は、一年から二年生へ進級できた。二年生になり、既修者と合流して講義を受けた。周囲のレベルの高さに正直ついていけず司法試験に受かるとは思えなくなった。深夜に自習室勉強しながら涙を流す日が続いたことをきっかけに、中退を決めた。勉強というフィールドで戦うことに心が折れたのだった。

 未修者コースには東京の中堅レベル私大法学部卒や地元私立大学法学部卒の人間などもいた。私が心折れて中退した後、彼らは卒業までこぎつけ、ついには司法試験に受かり弁護士になった。私より勉強が不得意な人たちだと思っていたが、私が断念した試験に受かり、立派に弁護士をやっている。

 一方私は、法科大学院中退後になんとか就職新卒カードを失った私は民間を諦め、公務員試験を受けるしかなかった。新卒就活だったら切符が手に入ったはずの企業に足蹴にされるのが怖かったからだ。法科大学院法律勉強をしていたこともあり、公務員試験筆記試験特に苦も無く合格した。面接もそれなりに振舞えたようで、第二志望の自治体採用が決まった。入庁後は上司や他の自治体職員から執拗にきつい言葉をあびせられたことを機に、メンタル病み休職。今は完全に閑職に飛ばされ、精神的負荷の少ない仕事を任されている。出

世の見込みはないだろう。

 中学生以来の私の勉強というアイデンティティは完全に失われた。こんなことを言ったらドン引きだろうが、私より入学難易度の低い大学出身人間弁護士として働いていることや、中学時代に私より勉強のできなかった中学校の同級生東京大阪大企業新卒入社してギラギラと頑張っていることを知るたびに、猛烈に落ち込む。学生時代は私のほうが勝っていたのに、なぜ。。。と。

私が学生時代積み上げてきたものは何だったのか。ときたま人生意味を見出せなくなる。人生意味を見つけようと私なりにもがいた。音楽社会サークルに入ったり、大学公開講座に参加したり、大学院進学を検討したり(来年放送大学大学院を受験しようと考えている)。だが、何をしても私の心は満たされない。

32歳にもなってこんな内容の長文を書いて、我ながら心底みっともないが、ありのままの心情である

2024-01-21

ゆたぼん高校受験頑張るそうじゃん

偉くなったな 全部親父のせいだったのか

2024-01-18

anond:20240118013314

日本中学高校受験のための、高校大学受験のための機関になりすぎて視野を広げるどころか狭める状態になってるのが問題すぎ

商業高校工業高校みたいに大学入試高校って感じ

韓国とか中国も似た感じだから東アジア特有な気もするけど

欧米大学って日本からするとクソ簡単な内容の授業が高校まで続いて勉学以外に視野を広げるための時間を取りやすいし、入試に相当するもの共通テストの科目制限版みたいなやつだけであとは中高の成績と視野を広げた結果が重視される

日本人にとって海外大学難易度高いのは単純に英語のせいで結局のところ中高の英語教育が間違ってるって証明されてる状態だったり

2024-01-13

グノーシアやって人狼ゲーム少し分かった

これ高校受験でやった英文解釈と同じやね

2024-01-10

偏差値60弱のローカル県立進学校通ってたけど民度最悪だったぞ

9割の生徒が4年制大学目指すような感じだったけど皆、倫理感覚思考様式がどっちかっていうと獣に近かった。


友達に誘われたら「ウェ~イw」くらいの軽いノリでオレオレ詐欺宅飲みレイプの手伝いしかねないくらいの危うさと低能さがあった。


高卒ストレート就職公務員(消防)になった運動部の奴は1年目で飲酒運転やらかしパトカーと追っかけっこした挙句逮捕されてたし。

公立10人くらい受かるような高校なのにこんな同級生出るとかもう……。


中学校とき仲良かったから、

って理由特に疑問も持たずにタトゥー入りまくりのやつとかと未だに友達付き合いしてる奴とかいたし。


以前5chのなんかのスレ

地元じゃそこそこエリート扱いだろうけど高校受験で偏差値60はなかなか頭ヤバい

って指摘見たことあるけど、あれ多分正しい。

タイミングと運次第じゃ反社になっても全然おかしくない感あるもん、うちの高校の奴ら。特に高卒就職警察消防役所行った連中。

知性のせいで。

2023-12-26

40代から数学やりなおし方法ってあるかな

色々あって高校数学(数Ⅱレベル)はやはり理解しておく方が…いいのでは…という事態になったけど、こちとら高一で数学挫折した人間のため、参考書などでやり直すにも小学校高学年から算数からやり直すか、中学数学からでいいのか悩ましい。

かといって「大人になってからナントカ」みたいなやつは理解してるフリになってしまいそうかなと。

数学苦手勢で、仕事など諸事情でやらざるをえなくなってなんとかなった人に話を聞いてみたい。


追記

チャート式というか、正確にどこからからないのか把握するのは確かに良さそう。どうもありがとう

自分が信用ならないので、高校受験の数学テキストあたりをやってみようかな

2023-12-22

anond:20231221135445

日本でも15歳で上位進学校に入れないと、Fラン大学には進学できても、奨学金背負ってブラック企業しか就職できないという地獄が待っている

底辺普通科高校に行くよりも、職業高校に行って手に職をつけたほうがよほど幸福度は高いと思う

しかしながら東京私立高校無償化で推薦入試がはびこって、高校受験すら勉強したことないサルが大量に社会放出されるのが7年後の未来

2023-12-21

中国高校受験事情

中国人結婚し妻の弟の息子、つまり甥によく懐かれている。

私は結婚子供小学生にあがるタイミングで別の国に移住した。甥とはその後もWeChatで連絡を取り合う仲だ。ビデオチャット英語宿題を手伝っていた時期もあったが最近ではたまにビデオ通話で話す程度になってはいるが。

日本人よりも中国人社会の中にどっぷりつかって生活してきて痛感するのは中国受験は非常に過酷であるということだ。

甥は現在中学生で朝6時半には家を出て、近所の中学へ通い、夜の7時近くに帰宅する。別に補修とか部活があるのではなく、純粋義務教育カリキュラムをこなしているだけなのだ学校の授業時間が異常に長い。

放課後特に遊ぶ時間もなく、大量の宿題をかたずけなければならない。中国SNSでは、夜の1時になっても宿題が終わらないと嘆く親の動画精神崩壊して泣き叫ぶ子供動画などは普遍的再生数の伸びるコンテンツと化してしまっている。

優秀な子供はそれでも早めに宿題を終わらせ、さらに補習塾、オンライン塾などで勉強していたりする。中国政府は子供ストレス軽減と親の金銭的負担を少しでもなくそうと、その強権をふるい突然全国のあらゆる塾をなくしてしまったが、それでもその監視の目をかいくぐり今でも塾は平常運転していたりする。


中国は省や地域によって高校の進学事情が大きく異なり、全国平等に学ぶ機会が与えられている社会ではない。

例えば、甥の地域での高校に進学できるのは、中学卒業生のおよそ半数、50%よりも少し少ない人数である

中国高校と言うと日本とは少し概念が異なり基本的には日本進学校に相当する。高校へあがればほぼ自動的大学受験となる。

高校基本的には全寮制で早朝から深夜まで缶詰状態勉強に励むことになる。(高校さら受験地獄と化す)

では、高校へ進学できなった生徒はどのような道があるのかというと、「職業学校」と呼ばれる、日本で言うところの専門学校に相当する学校へ行くことになるのだが、そこは「高校」ではなく、卒業しても高校卒業という資格は得られない。

日本でも話題になっていて知っている人も多いかと思うが、中国では慢性的就職難であり、優秀な大学卒業生は山ほどいる。

職業学校卒業して就職できるところは非常に限られており、選択肢が大きく狭まってしまう。そういう事情もあり中国の親たちは教育に非常に熱心である

これが北京だとどうなるのかというと、首都だけあって教育機関は非常に充実しており、市の中心部の学区では高校進学率は70%を超えている。

しかし、北京郊外エリアとなると、地方都市と同レベルのおよそ50%にとどまる。

ある程度資金のある親たちは、早くから子供海外留学に出して、帰国子女枠で中国国内の有名大学に入学させるか、そのまま海外大学卒業し、現地就職あるいは帰国外資企業への就職などを目標にしていたりする。

そこまで資金が潤沢ではないが、ある程度の資金がある親たちは、子供とその母親海南島移住させるのが小さなブームのようだ。私の知人、友人でも2家庭すでに移住している。

海南島人口がそれほど多くはなく高校進学率も高いため、子供の進学のために移住する親たちが最近増えているとのこと。

15歳という中学三年生時に、人生のレールが大体決まってしまうという非常に過酷レースの中に、中国の子供たちはいる。

甥はというと、日本アニメにどっぷりはまって、ナルトが大好きだと話す。学校先生に親が呼び出されること多数。成績を見ても高校へ進学できる可能性は高くはない。

先週もビデオで話した。日本旅行に行くためにお年玉を貯めているらしい。

2023-12-16

弟が無能すぎてしんどい

私は当時の全国模試偏差値65〜70適度の学力だったが、両親が教育虐待系の親で、親から私は馬鹿だの無能だの知的障害だのなんだの言われてたり馬鹿人権は無いと、私の食卓は床だったりしたので弟は私を馬鹿人間で足蹴にしていいと思っている。

別に馬鹿だとも足蹴にしてもいいと思われてても良いが

自分はそんな姉よりいい学校に行けると思って、自分の力量に合わない中〜高を受験して全て失敗している。

まあ難しい学校から落ちても仕方ないよね挑戦だったね程度で済まされるなら無能とは思わないが、当時の実際の弟の偏差値は良くて45。挑戦ではなく記念受験の域。

高校受験に至っては滑り止めの私立に落ちて、公立も落ちて危うく高校浪人するところだった。

地方なので私立は滑り止めの学校という認識で、落ちたなんて話を聞いたことないくらい受かって当たり前の学校だったのでびっくりした。

結局学校側が頑張ってくれて枠の空いてる私立ねじ込んでもらったらしく高校浪人は免れた。

大学はこの教訓あってかAOだか推薦だかで入学した。

私立偏差値の高い大学じゃ無いことに文句を言っていたが、学校先生からお前の学力で行けるのはこの程度だと言われたそう。

大学は4留して8年大学に通った。卒業できるかヒヤヒヤひたが今年の夏に卒業できた。

4留もしたので奨学金制度は停止されて200万×7年分奨学金なして払うことになった。

当然実家だけではお金を出しきれず私が半分くらい出した。

4留したもの遊んでたりバイト戦士をしていたのならまだ救いがあったがそうでは無い。ずっと勉強していたのに4留した。

ご飯食べに行こう〜とか買い物行こう〜とか私や家族が誘っても勉強あるから、、と殆ど勉強していた。(頭に入ってないので勉強と言えるかどうかは怪しいが)

就職したら一人暮らし始めるのにお金かかるよ?バイトして貯めてお金貯めなくていいの?と聞いても、バイトすると勉強時間なくなるから……と一切バイトもしてこなかった。

今は国家資格のために100万出して予備校に通っている。

就職先は一応決まっていて留年を待ってくれているが、国家試験に落ちたらどうなるかは分からないらしい。

もし仮に就職できたとしても一人暮らしのための初期費用を弟は持ってない。

もも退職してしまったし出せないと考えると出すのは私になるが、学費半分と、予備校代、6年分の弟の年金を払っているのでこちらもそこまで余裕がない。

まあ出すしかいから出すのだけれど。

せめて仕事は本人に合ってて欲しい。

勉強できなくても仕事は上手くハマって仕事できるという人もいるしそうであって欲しい。

そうでなかったらこれ以上面倒みきれない

2023-12-14

気になったこ

毎日、「お前は無能だ」「お前のせいで家が貧乏になった」「成績が悪いから、俺たちの老後がなりたたない」と説教される

(略)

家は埼玉県

最後に「両親は死んでいる」と明かされるわけなんだが、毎日説教してる奴って誰なん? 親戚? 恋人? それともイマジナリー両親?

その「家」って何なの? 元々の持ち家に住んでんの? 親戚の家?

自立ができない。お金がない。塾の講師ができない。一度、首になったから。暗い、何を言ってるか分からない、自信がなさそう、それで生徒からの評判が悪すぎた。

かに滑舌も悪く、何を言ってるかわかりにくく、視線をまともに合わせることもできない。

生活費どうしてんの? 親の遺産

私の両親は、両方とも国家公務員だった。

母はまじめだが家事はしない。残業帰宅20時になる。父も定時で帰れることはない。

から子供の時、ずっと私は保育園で泣いていた。みんながお迎えで帰る中、私一人だけが夜遅くまで残っていた。

しかった。夜遅くの部屋で、一人、私はずっと泣いていた。それが子供の時の記憶だ。

そうですか。大変でしたね。

小学生の時の記憶はない。

なぜだろう。

しかったような、楽しくなかったような。

ただ、勉強ばかりしていたかな。

なんでここでいきなり具体性がぶっ飛ぶの?

そら「大した思い出が無い」ことはあるだろうけど「記憶が無い」って何なん?

保育園時代の延長であるなら学童保育かなんかに行ってたんだろうし家で親を待っていることもあっただろうが、それを全部ひっくるめて「勉強ばかりしていた」はちょっと雑すぎじゃね?

設定作りこむのがめんどくさくなった?

中学生の時は楽しかった。

彼氏がいたせいもある。

誰かと一緒にいる時間は楽しかった。

学校帰りに食べたカップラーメンがおいしかった。

でも、彼氏は転校していなくなった。

キスもしていない。当然、肉体関係もない。

この唐突な「セックスしてません」告白はなんなの? 本筋にまったく関係なくね?

高校受験の時、母が精神疾患んで入院した。

いつも私に罵声を浴びせかけていた。

しね、ころされろ、お前がいるから私が不幸なんだ、お前がいるから、お前がいるから。

地元のそう偏差値も高くない公立高校合格した後、母は死んだ。

退院後、すぐに自殺をした。

そのレベルだと恐らく「措置入院」してんだけど、何で退院できたの?

死に方が凄惨だったな。

自宅のリビングで、手首と首を切り、血しぶきが家中に飛び散っていた。

警察が来て、わたわたしていた。

血しぶきが飛び散るレベルは首をそうとうスッパリやらないといけないんですが、本当に飛び散っていたんでしょうか。

父は、それ以降、気が狂った。

父はうつ病になり、仕事休職したが、失踪した。

先週、失踪した父が亡くなったという連絡が警察から届いた。

川で溺れたらしい。は?

勝手に死にやがって。

知らんし。

生活費どうしてたん? お母さんの遺産? 遺族年金

私はどれだけ空虚時間を過ごしたと思ってるんだ。

誰か助けてよ。

私は、どうしたらいいんだよ。

何も分からないんだよ。

とりあえず増田釣り投稿するのをやめてみてはどうでしょうか。

anond:20231212233127

2023-12-06

干渉ヒスママの元で生まれたら学歴厨になった話

無職製造機と言われる過干渉ヒスママ学歴製造機でもあったという話を、去年の年収が400万超えた私が実体験を元に説明しようと思う。

去年の年収が400万を超えたを何故わざわざ書いたか、それは私が弱者からだ。

毒親育ちと言う弱者的な要素を抱えると、他人から説教されたりマウントされたりする機会が増える。

から、「過干渉ヒスママ無職製造機」という言葉に反応して「お前が無職なのは自己責任だろ。言い訳すんなゴミが」と言う言葉が返ってくるのを想定してしまう。

攻撃されることが前提にあるから「25歳の時に年収400万稼ぐ程度には社会に適合してたので説教しないでください。そう言う話をしたいわけではありません。」

と言う免罪符を先に用意して、自衛したくなる。

ただ、人生を順当に生きてきた人には攻撃されたり説教されることが前提にないため、

「なんでわざわざ年収書くの?自慢したいの?そんな中途半端金額で??うざ!」という反応になってしまう。

ーーここから本題ーー

私の父親中小企業役員で激務だった。対して母親専業主婦だった。

自分母親を見る限り、承認欲求が強く他人へ関心がある女性専業主婦に向かない。

専業主婦のような立場になっても問題が起こらないのは他人への関心が薄く適度に面倒くさがりな人間だ。

「人から褒められたい、頼られたい」という願望を持った人間専業主婦になると問題が起こる。

私の母親承認欲求が強いのに専業主婦になってしまった。

この手の女性子供赤ちゃん夜泣きしているうちは(大変だけど)問題が起こらない。

問題が起こるのは子供物心がついた後だ。

子供物心がつくと家族との関係よりも学校での友人関係を重視し始める。

すると母親視点では最悪なことが起きる。誰も母親必要としないのだ。

父親仕事で忙しくて滅多に家に居ない。子供学校での人間関係で満足してるからから愛情はそこまで求めていない。

子供が親に求めている役割なんて

父親なら働くこと。母親なら家事をすること。そして、子供が悪いことをした時に適切な熱量で叱ること。」

これぐらいのものだと思う。情緒面のつながりとか一緒にいて楽しいとかは家の外で作る友達に求めていることで、親には求めていない。

子供父親が働き、母親家事をする様子を見て「そう言う役割分担で結婚したんだな」と解釈するので、

「お母さん、家事をしてくれてありがとう」とはならない。「そう言う役割なんでしょ。」と思ってしまう。

父親はずっと仕事しているので専業主婦メンタルケアなどする暇がない。

「当たり前のことでお礼を言い合うのは格好悪いだろ」ハンターハンターキルアが言ったセリフだが、現実人間でも当たり前のことに感謝している人はいない。

すると母親視点では「情緒面でも役割面でも誰から必要とされていない」状況になる。

これが承認欲求の強い女性専業主婦に向かない理由で、誰から必要とされていない状況が続いた母親は狂い始める。

そしてトチ狂った母親は「子供から必要とされること」で自分存在意義を見つけようとする。

これが過干渉ヒスママが生まれる経緯で、地獄の始まりである

最初被害者長男だった。母親と兄はよく喧嘩していた。

当時の私には何で喧嘩しているのか分からなかった。兄に対して「短気でみっともない」ぐらいに思っていた。

ある日、兄が我慢限界に達して家のガラス破壊した。

この日を境に長男母親干渉されることがなくなり、代わりに私が干渉されるようになった。

子供から必要とされたいと思った母親は、子供ランドセル勝手に触って勝手時間割したりとか

子供自分でやるべきことを先回りして勝手にやり始める。

小学生の私「子供自分でやるべきことをお母さんがやったら、子供が何も出来なくなるでしょ。やめて」

母親「何?お母さんが悪いんか?何でもお母さんのせいなんか?」

私「責任押し付けをしてるわけじゃなくて、お母さんがやっていることは悪影響があるからやめて」

母親「でも、あなた放置しておくと時間割忘れるじゃない」

長男ガラスを破る前は寝る前に自分時間割をしていたのに、ある日急に母親が私のランドセル勝手に触るようになった。

今まで自分時間割してたのになと思ったが、自分時間割をできない人間として扱われると自信が無くなってくる。

小学生なりに頑張って筋道立てて「子供の成長を願うならば子供自分ですべきことを親がするべきではない」と説明したのを覚えている。

ただ、私の母親理屈で説得できるほど楽な相手ではなかった。

母親あなた時間割を忘れるとお母さんの評判が下がるのよ」

私「え、子供の成長なんかどうでもいいか自分評価が欲しいってこと?」

母親「違う」

私「何が違うの?説明して。」

母親「違う!!」

私「違うなら説明して」

母親「ええか、あんたは小学生から分からんかもしれんが、大人になれば親の言ってることが分かるようになるんや」

私「子供時間割を忘れるなら自分時間割をできるような人間にするのが本質的解決なのに、大人になると問題を水面下に押しやって解決したことにするってこと?」

母親「違う!!!あいえばこういう!!上司に向かっても言い返すつもり!そんなんじゃ社会通用しないよ!!」

母親感謝して!!!時間割してやってんだから感謝しなさい!!!

家を出る時間、朝起きる時間宿題をするタイミング、家を出る時の服装、予定の管理....etc

ありとあらゆることを母親干渉してきた。専業主婦で働いていないだけ体力が残っていて、その力で全力で私の自立を阻害しようとしてきた。

呼吸の仕方にまで干渉されるんじゃ無いかと思うレベル干渉された。

干渉を止めようとして筋道立てて説得しようとしたり、怒鳴って拒絶しようとしたり、罵倒したり色々と試したが母親言葉が通じることがなかった。

友達母親愚痴を言っても全く理解されなかった。

「そんなに不満なら言えばいいじゃん」と言われた。

健全社会生活を送れている人の大半は言葉が通じない人への解像度が低いせいでこういうことを平気でいう。

なぜ母親言葉が通じないのか私は考えた。

当時の私は「母親高卒から話が通じない」のだと考えだした。

本音をいうと母親ヒステリックなのは学歴問題であって欲しかった。努力解決する問題であって欲しかった。

良い大学に言って、言葉が通じる情緒の安定した女性を捕まえて幸せな家庭を築きたいと思っていた。

「過干渉ヒスママのもとに生まれたら学歴厨になった」というタイトルで多くの人が誤解してそうだが、母親から勉強しろと言われたことは一度もない。

自分意思で私は塾に入って東大を目指すことにした。

塾は生徒が受験成功する仕組みをしっかり整えている。

まず入塾テストがあり、最低限のラインをこえている人間だけを生徒として迎え入れる。

そして、生徒の成績を伸ばすために成績の悪い生徒を公開処刑に処すことで生徒の成績を伸ばしている。

まず成績で上級クラスと下級クラスに分ける。

私は下級クラス上級クラスも両方経験しているから分かるが、授業内容は上級と下級で全く変わらない。ただ、生徒の競争心を煽るためだけにクラスが分離している。

そして、クラス内でも成績で席順が決まる。成績の悪い人が前の席に配置され、成績が悪いという事実を席に座るだけで後ろから見られる仕組みになっている。

私は自己評価が低かったから、下級クラスの前の席に配置されても問題なかったし勉強すれば良いだけだと思ったが、プライドの高い人が下級クラスの前の席に配置されると捻くれ始める。

塾に入ったくせに「なんで勉強しなきゃいけないんだよ。高学歴でも無能な奴はいるって聞くぞ。」みたいなことを言い始める。

から思えば、多感な時期の中学生を成績順で配置して公開処刑すると捻くれ始めるのは普通のことかもしれない。

ただ、当時の私はそう考えなかった。

「成績の悪いバカ性格が悪く、無駄プライドが高いか文句を言い始める」というのが当時の解釈だった。

から必死勉強して上級クラスに行こうとしたが、下級クラスから抜け出せなかった。

ある日、自分勉強しても成績が伸びない理由に気づいた。無駄なことをしていたからだ。

勉強は良いことだと思ってたせいで、作業量の多いやり方で勉強していた。

無駄なことを増やしたせいで効果のある勉強時間を避けず成績が悪くなっていた。

から作業勉強区別するようにして、どうやれば成績が伸びるか必死に考えて、勉強方法改善改善を重ねた。

その結果として、上級クラスに移動することに成功し、なんとか上級クラスの平均より上の成績になった。

ただ、勉強したこと自分がかなり深刻な問題を抱えているという事実に直面した。

問題点1)勉強を質の高い労働者になるための訓練と考えたとき勉強のやり方を改善した」は「仕事のやり方を改善した」に該当する可能性がある

問題点2)仕事のやり方を改善できるのは職場で信頼されている人間である

問題点3)基本的なことが出来ない人間は信頼されない

問題点4)母親の過干渉悪化し、私が自分でやるべき基本的なことは全て母親がやっている。怒鳴ってもブチギレてもやめてくれない。

問題点5)母親頭が悪いが有能な秘書なのかと思うぐらい子供の予定を把握している。

問題点6)問題点5から察するに勉強しても頭が良くなっても「基本的なことを当たり前にこなす能力」は身につかない

以上の問題から母親干渉を全力で止めようとしたが、止まらなかった。むしろ悪化した。

私の母親は頭が悪く支離滅裂なのにしっかりと子供の予定を把握し、干渉してくる。

頭の悪いしっかり者という母親存在が、逆説的に高学歴社会不適合者の存在を暗示している。

そして自分でやるべきことを自分でやってない私は高学歴社会不適合者になりつつあるんだろうなという恐怖があった。

勉強して色々と分かるようになった分、恐怖が強くなっただけだった。

勉強ができても、頭が良くても、頭の良さが求めらる立場まで出世できる人間じゃないと意味がない。」

という可能性が頭をよぎったが、どうやって勉強するかが唯一私に許された意思決定だったか学歴固執するようになった。

この状態で、さらに悪いことが起きた。

塾の教育方針が変わったてから、今まで自由放任勉強できていたのに急に干渉されるようになった。

塾の先生がいう勉強方法会社でいうと現場にいない上司がいう仕事のやり方みたいなもので、的確なものには思えなかった。

自分にとって唯一許された意思決定だった勉強先生干渉されるのもが嫌だった。

上級クラスの平均より上の成績だったといえ、地元で一番レベルの高い高校を目指していたせいで先生のご機嫌をとるために

わざわざ先生指導のもと非効率勉強をする余裕などなかった。

から、塾の先生と揉めるようになった。

塾の先生もなかなか頭がおかしい人で「そんなに自分意思勉強したいなら、

私の意思あなた意思だと思え」とか「じゃああなたあなた勉強方法で100点取れるの?」とか言われた。

塾を辞めたいと言ったが親に反対された。必死に辞めたい理由説明したが日本語通用しなかった。

先生に親の許可はおりなかたが塾を辞めたいという話をすると「子供大人が稼いだ金で生活してるから反抗する権利はない」とか言われた。

大学に行けばまともな人間と一緒になれるという原動力に近い幻想が塾の先生という頭のおかしな人と遭遇したことで壊れた。

どこに言ってもヤバい人にヤバいことされる人生が続くと考えた瞬間、精神を病んでしまった。

精神を病んだ瞬間、上級クラスから下級クラスに戻り受験は無事失敗した。

心を病んでから母親干渉されることが無くなったので、母親子供が成長して自立するのが怖かったか干渉していたんじゃないかと思う。

メンタルを病んでから母親との関係改善された。

ただ、メンタルは治らなかった。

高校時代はずっと中学の嫌な思い出を思い出して、まるで現在進行形で嫌なことが起こってるかのように感じて苦しんでいた。

ずっと苦しい感情を抱えたまま苦しんでいた私には友達ができなかった。

そして、時間が流れGMARCHクラス大学に進学した。

メンタルを病んで卑屈になっていた私は友達ができなかった。

大学生のとき私はバイトを始めた。

お金が欲しかったわけではなく、友達のいないメンヘラで、基本的なことを親がやってきた人間社会に適合できわけがないと思っていたか自己改善のためにバイトを始めた。

バイトを始めると高校受験の時に頭のおかし大人に囲まれたいた弊害が出てきた。

例えば飲食店料理を作った後手が空いた場合「手が空いたから皿を洗おうかな?」と考えて皿を洗うのが普通だろう。

ただ、私はこうならなかった。

「手が空いたから皿を洗えるな。で、私は何をするべきなんだろう?」という状態になった。

から考えると本当に意味が分からない感覚だったと思う。

自分時間割自分でやろうとしたり、自分が下級クラスから上級クラスに上がった勉強方法を続けようとしたりすると母親や塾の先生に怒られることになっていた私は

自分が正しいと思っていることをすると怒られる」という意味不明な経験を積んでいた。

から「何が正しいか」の感覚と「どうするべきか」の感覚が全く別のものになっていた。

その結果「手が空いたから皿を洗えるな。で、私は何をするべきなんだろう?」みたいな支離滅裂思考回路になっていた。

大人の人=自分に対して理不尽に怒鳴ってくるモンスターみたいな認識だったから、職場コミュニケーションにも支障が出た。

そんなんだったから、バイトを何個か首になった。低学歴のしっかり者だった母親対義語として高学歴社会不適合者になってしまった。

偏差値60の私立大が高学歴に当たるかは謎だが。

自分の中の壊れてしまった感覚と向き合って、何とか自己改善してバイトが務まる程度の社会性を身につけたと思ったら大学時代が終わった。

失ったものは多いけど、なんとか自分人生を取り返していこうと思います

2023-11-29

終わらせたい家

父方の実家が嫌いだ。

最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。



父の実家田舎だ。

緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。

いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。

その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。


家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシ大量発生する。

敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。

畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。

その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。

祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないもの大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金のものだ。

ワープロパソコンピアノ


祖父は六人兄弟長男で下はみんな妹。

正月や盆にはその親族大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画サマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)



私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)

家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。

その頃にはすでに人口過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。

長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。


家業建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植え稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。

当然ヒマだったし、それなりに成長してから仕事が振られるがそれも嫌だった。

小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植え稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。

仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事ときには父母揃っている姿をよく見た。

羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。

一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。

運動会頑張ったか今日レストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族ドラマ世界のようだった。


田舎自然環境農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。

道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。

そして田舎特有距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。

私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。

姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。

しか田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供子供、と一括りにされている。


そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。

妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。

中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。


母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。

ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃん対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。

私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。

人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。

そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。

「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。

上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)

姉妹の中だけではなくそこでも比べられた。

更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。

親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。


高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。

父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)

なんで夫婦問題祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質気持ち悪かった。

元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。

それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。

そもそも両親の離婚の根っこにも祖父母の干渉があった。

幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚のものダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。

離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。

(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)

離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。

父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったとき最後だった。

もっと会えばよかった、みたいな後悔は別になかった。

私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。

その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台チケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。

流石にそれは、と二人になだめられて舞台は諦めて葬式に出た。

父の葬式ときにも父実家は最低だった。

誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。

私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初最後の私の怒声だっただろう。

嫌味おばさんが人生終了レベルトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。

父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。

姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。

数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。

姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。

最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。


姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。

自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしま可能性があるかと思うとボケときなんかが恐ろしくてたまらない。

なるべく迷惑をかけずに一人で生き、静かに死にたい

別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社かにお願いしておくから適当無縁仏かに放り込んでおいてほしい。

最近はそういうことを考える。

子供は欲しくない」「あの家の遺伝子はここで絶ったほうがいい」が三人の共通認識なので、家庭環境って大切だなと思う。

2023-11-27

anond:20231127192809

親切に教えてくれて本当にありがとう!!

中1〜3の復習→英検5級→4級→高校受験英語マスターTOEIC参考書って順番で改めてやってみるよ。

これでだめだったら昇格諦めるけど、もう一回頑張ってみる。

2023-11-18

anond:20231116212314

そういうのがないか自虐しとるんやろ

勉強では圧倒的でした。周りと比べてこれこれこうで明らかに図抜けてました。高校受験ときにこんなエピソードがあります~」

anond:20231118143352

俺はデータとしてどれくらいの人数がどれくらいの学歴なのか把握してるから実態乖離したただの感覚の話ではあるが

俺の中学同級生MARCH以下の大学に行った奴なんかクラスに2人。

ていうか大学に関しては世に言う有名国立大学に進んだクラスメートが人数的には1番多い。別に彼らは頭良いって感じでもなかったし、勉強ばっかりしてたわけでもない。皆普通中学生だった。

自身MARCHなんて誰が入るんだよという感じの学力で、現役で受かった京都大学に素直に行った。

こんなんでも俺は平均かちょっと上くらいの部類だったぞ。クラストップの優等生グループとかではなかった。

という感じ

知り合いでMARCH下の人なんて職場非正規の人くらいだわ

公立中学みたいな玉石混合のカオスでどんな馬鹿でもきちんと椅子に座れれば上に行けるぬるすぎる環境じゃないんだから

まともな知能を持った人間集団の中で

勉強では圧倒的でした。周りと比べてこれこれこうで明らかに図抜けてました。高校受験ときにこんなエピソードがあります~」

アピールできるのなんてそれこそ2chに貼られるみたいな、高1で東大模試A判定でしたとか、中学1年生で大学数学終わってましたみたいな奴だけだろ

2023-11-16

サブカル系文化人って高学歴多すぎだけど本人そのへん全く触れないよな

学歴的に同世代人口上位数%に君臨し、結構な人が親もエリートだったり裕福だったりするのに

「俺はなんの取り柄もなくて」、「俺はバカで」的な自虐を好んでするし、

持たざる者に生まれ落ちたがゆえの苦しみと鬱屈とした人生創作表現へのモチベーションになった」みたいなポーズ取るけど、

いやいやあんたらビックリするくらいの高確率MARCH以上の大学出とるやん。

日東駒専卒がいたとしても高校ちゃん普通の人じゃ逆立ちしても入れない高校だったり(愛光とか)してさ。

あとガチのクソ田舎出身でも首都圏私大や専門(日本映画学校とか文化学院とか)に「金の心配はすんな!」でぽーんと送り出されてるパターンも。クソ田舎にあって実家どんだけ金ある階層やねん。


これ結構重要なことだと思うぞ。

俺の中学同級生MARCH以上の大学国立行った奴なんかクラスでたった3人。

ていうか大学に関しては世に言うFランに進んだクラスメートが人数的には1番多い。別に彼らは不良でもないし、勉強をナメていたわけでもない。皆ちゃんとした中学生だった。

自身MARCH二浪しても受かる自信ない感じの学力で、現役で受かった東京経済大に素直に行った。

こんなんでも俺は優等生の部類だったぞ。

小学校中学校ではクラスで上から6~7番目くらいには勉強できたし、やはりそのくらいのランク都立進学校に行った。

順当に学力なりの大学に行けたと自分で思ってる(現役東京経済って中卒高卒含めた同世代人口の上位15%くらいの学力だろ?自分と照らし合わせても確かに体感そんなもんだわ)。


MARCH以上の大学受かるのって普通にすげえよ。

なんでそのへんの成功体験や才覚を徹底的に無視して創作者たる自分を語ったりするかなあ。

「いやあ、勉強普通に得意でした。実家も太かったです。じゃないとサブカル系文化人になんてなれないでしょ?

売れるまで時間はかかるしその間は実家に頼らないといけないし。

モノを調べて批評したり論を張ったりするのにはせめてMARCH以上の大学受かってたり、毎年のように東大や国医に合格者出す高校出てたりするくらいの知能ないとさすがに無理だって

石丸元章町山智浩糸井重里見ててもわかるでしょ。

まあ同世代の中では勝ち組遺伝子でしたね。

……それはそれとして、私青春時代はダサくてモテなくても苦しかったんですよね~。それで創作に~」


くらいの振り返り方したらマジで真実味がある。

でもサブカル系文化人って自分が知能と金に関して圧倒的な勝ち組として生まれてきたことには徹底的に触れようとしないんだよなあ……。


中の上の自分からするととにかくめちゃくちゃに違和感ある。




ていうか町山智浩早大学院から早稲田って普通に超絶異次元だな。

多分キャリア官僚とか四大法律事務所弁護士とか外資系戦コンのパートナーみたいな連中と知能的に遜色ないぞ。

そこ触れて欲しいんだよなあ。パイ投げがどうとか社長と大喧嘩とか、ズバ抜けて優れた知能で考え抜いた末の「インテリ様の愚行」はどうでもいいんだよなマジで


勉強では圧倒的でした。周りと比べてこれこれこうで明らかに図抜けてました。高校受験のときにこんなエピソードがあります~」

みたいな話を聞きたい。

2023-11-14

anond:20231114180638

高校受験のほうが厳しくないかね。

私立の小中学校の乱立する都会だと、小学お受験中学お受験もあるけど、

大半の田舎では、小中は義務教育で学区毎に指定された学校に行けるけど、

高校は初めての受験で、事前調整により、ほぼ受かる学校を上から下まで順位付けされるやん。

中学生ワイ「将来のため高校受験勉強するか」

高校生ワイ「将来のため大学受験勉強するか」

大学生ワイ「将来のため卒業資格試験勉強するか」

新人社員ワイ「将来のため一人前に仕事できるよう勉強するか」

中堅社員ワイ「将来のため上位資格勉強するか」

現在ワイ「いつまで将来のために我慢しながら生きなきゃあかんのや、いつ貯金を回収すりゃええんや…」

子供のため”にスライドできればよかったんやが…

2023-11-13

anond:20231113172316

適した進学が何を指すかによります

東京などの有名国立大を目指すのであれば、小学校中学校田舎高校受験県庁所在地一人暮らしなどを視野に入れればいいでしょう

ぶっちゃけネットの発達により、勉強格差は圧倒的に少なくなりました。参考書ネット塾などを視野に入れれば環境的な問題はありません

それでも県庁所在地高校視野に入れるのは、自分の周りのレベル自然自分レベルを上げるからです

自宅での勉強だけより、周りとの同調によるブーストも加味した方が学力が上がりやすい傾向にあるといえるでしょう

ただし、先に書いたように、周囲の環境あくまでもブースト程度であり、自身に意欲があるのであればネット環境だけで十分国立大は狙えます

高校受験の次は大学受験

大学受験の次は就活

就活の次は婚活

同じことの繰り返しなんだ

吐き気がする

なんでこんな時代に生まれたんだ

クソ面白くもない

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