はてなキーワード: 愛玩動物とは
最近では当たり前の概念になってしまった異世界転生とかもそうなんだけど、今の環境をリセットして新しい自分になって無双したり悠々自適な生活をする、みたいなのってのはまぁ人生のゴールとしては良いかもなぁと思うわけ。
で、自分の周りを見渡すと、小学校低学年以下位の幼子や犬猫みたいな愛玩動物ってのは、庇護される対象であり、何か失敗しても許されるというかハナから期待されておらず、むしろちゃんとできるだけで褒められるし、なんなら何もしてなくてもかわいいかわいいともてはやされる対象なわけよな。つまりそれって無双したり悠々自適な生活ができてるって事に近いじゃないですか。(まぁ赤ん坊を育児するとなると全然そんなかわいいかわいいというような事ばかりではないのはそうなんだが赤ん坊の側から見たらそうだよなという意味で理解しておくれ)
それで、都合の良い世界に異世界転生はできないだろうし、若返りをして幼子になるってのも難しいとすると、自分のような既に歳を取ってしまった人間を庇護してかわいいかわいいともてはやしてくれる存在が居れば良いって事で、シンギュラリティを突破したAIが人間を庇護してくれるようになんねぇかなぁと思ったって話。
ということで、これからシンギュラリティを突破するようなAIを開発する時は「AIから見た人間」を「人間から見た猫」のように愛おしく感じるような要素を入れて開発しておくれおねがいします。
端的に申し上げるのならば私は狩人である。
北海道の片田舎の漁業と狩猟を生業とする家に生まれた。
突然だがご存知だろうか。鹿は、強い。
北海道に生息する鹿はエゾシカと呼ばれ、本州へ生息する鹿よりも体躯は大きく力がある。
通常であれば猟銃で仕留めるところを仕留め損ね、猟銃禁止区へエゾシカが逃げてしまった場合はアイヌの伝統に習って槍での戦闘が始まるのだ。
筆者は奈良公園の鹿と対面したときには唖然としたものだ。
眼にまるで生き汚さはなく、体躯はたるみ、あまつさえ我々人間に媚を売る始末。
更に仔鹿などは創作物の影響からか愛玩動物のような印象を持っている人だって少なくない様子であった。
私の眼の前には鹿なぞ居らず、私が見たものはどこぞのお貴族様だったのだ。
エゾシカに向かって槍を構える。
穂先を決して上げてはならず地面すれすれを維持する。エゾシカはそれに呼応するように頭を下げて立派な角を向けてくる。
創作物などでは槍を高々と掲げる描写がよくある。映える場面にはなるのだろうが実際の戦闘では悪手だ。
槍を掲げ、そして振り下ろすという動作が遅れた場合を想定して欲しい。
エゾシカの突進は非常に強力で、もしも振り下ろしが遅れたのならば突進をモロに受けてしまい狩人の腹には風穴が開くであろう。
だからこそ地面すれすれに穂先を構え、そして突く。
先手を取る筆者の突きへエゾシカは素早く反応し突進を繰り出す、かに見えた。フェイントだ。
一撃必殺を狙った突きは重い。であるからこそ空を突いた場合の隙きは筆者へ重くのしかかる。
危機を感じた筆者は直ぐさま穂先を下げ、その瞬間にエゾシカは突進を繰り出した。
エゾシカの突進は槍が受ける。高く掲げればこうはいかない。
エゾシカは槍に触れた瞬間に頭を振り回し槍を絡め取ろうとするが、筆者は身体を回して突進を受け流し距離を取る。
穂先を下げて牽制の再開だ。
エゾシカはこちらの様子を伺う。エゾシカの眼が生き汚く睨みつけてくる。
悪いが死んでやるつもりはない。お前が死ね。
見解の一致を交差する視線から悟り、槍と角が交差する。
若鹿にあるような突進一辺倒でない。
一度の突進で押しきれないと理解するや角を振り回して小突く、小突く、小突く。
太い首に支えられつつ、いくつにも分岐した角は捌ききるには厄介だ。
こちらの嫌な表情を見逃さず、小突き、一歩、小突き、一歩と前へ出て圧力を加えてくる。
強い、鹿は強い。
体重差2倍以上、筋力差膨大、スタミナ差途方もない。
突いて、捌いて、下げてを繰り返す筆者の腕は痺れ、悲鳴を上げ、じりじりと追い詰められていく。
鹿は強い、そんなことは知っている。
堪えて、堪えて、堪えて、それでも堪えた終わりは突然やってくる。エゾシカのスタミナが切れたのだ。
銃弾を受けた足の出血が想定よりも早くエゾシカのスタミナを奪い続けていた。
エゾシカの猛攻は止まり、二歩三歩と下がったのちエゾシカはその場に座り込んだ。
エゾシカと筆者の視線が交差する。そして筆者は槍の構えを解く。
元増田はさ、
たまーにファンザ開いて企画ものAVのサンプル映像でオナニーするけど、終わった後の賢者モードがすごい
「男って所詮女を股から水が出る性欲満たせるふしぎな愛玩動物ぐらいにしか思ってないんだな」と思ってしまう
自分は器量が良く無いのでAVの女のような役割では無いが、女という生き物であるのはこの人たちと同じだな、と思うほどAVの女は「女」でしかない
男向けポルノ=「女を股から水が出る性欲満たせるふしぎな愛玩動物として書く作品」
になってるわけじゃん。この間のギャップが広すぎじゃね?って思っちゃうんだよね。
もちろんそういうジャンルが好きな人がいるのは否定しないが、それがでかい産業規模になるほど一般的かどうかのほうがむしろ問いとしては適切じゃないかと思うんだ。
友達も少ないし数少ない友達ともそんな話するようなあけっぴろげな仲じゃないから他の女のことは(男もだけど)知らないけど
私は女でわりと性欲が強い
週4〜5ぐらいはオナニーする
題材は色々だけど、昔は男性向けエロ漫画とかAVだったのに今はもう無理になった
基本は洋ものゲイビデオのハードなSMもの 腐女子だって自覚はないけど1番罪悪感が少なくてみててワクワクするものを追求したらこうなった
たまーにファンザ開いて企画ものAVのサンプル映像でオナニーするけど、終わった後の賢者モードがすごい
「男って所詮女を股から水が出る性欲満たせるふしぎな愛玩動物ぐらいにしか思ってないんだな」と思ってしまう
自分は器量が良く無いのでAVの女のような役割では無いが、女という生き物であるのはこの人たちと同じだな、と思うほどAVの女は「女」でしかない
異性愛者の男向けのポルノは所詮異性愛者の男向けなのかもしれない
本当は女向けポルノとして男をいたぶる動画や漫画がたくさん描かれてほしい
BLも多分その理想から遠くはないのだろうけど、もっと直球のポルノで良い
コンビニのトイレの前に置けとはいわないから、産業規模として同じくらいになってほしい
ただ罪悪感なしにすっきりしたいんだ私は
男ってAVみて抜くのに罪悪感とか感じるの?
理解ある彼くん現象とは、精神疾患や引きこもり等の女性が『女性の生きづらさ』『困窮した状況から立ち直った方法』をテーマに描いたコラムや漫画の中で『理解ある彼氏』が最終ページ辺りに唐突に登場し、男性パートナーの経済的・精神的な支えによっていきなりすべての問題がなんとかなってしまうというある意味デウス・エクス・マキナ的な超展開パターンがあまりにも多いため、皮肉や嫉妬を込めて『理解ある彼くん現象』とか『そ理彼(そんな私にも理解ある彼くんがいますの略)』などと言われるようになったネットスラングである。
逆に障害者や引きこもり男性の人生にこのような『理解ある彼女』が登場し経済的・精神的に支えられ人生におけるセーフティネットとして機能するケースはそ理彼に比べると極めて稀で(健常男性だったパートナーが結婚後に鬱病を発症したケースや数十年前の国民皆婚時代の話であれば例外的にないこともないが)、自由恋愛化した現代日本においての生まれながらの性的価値の差による男女の非対称性の象徴としてよく扱われている。
また、男性の自殺率などを持ち出し『男性と女性どちらが本当の弱者であるか』というテーマの議論でもよく議題に上がる内容だ。
ちなみにこれは『無能の世界』の男女の対比の話であって、例えばそこそこ良い大学を卒業していたりコミュニケーション能力が高かったりと男だろうと女だろうと現代社会で就業や恋愛や結婚に特に困ることのないような五体満足の男女とは全く別次元の社会問題であることは予め頭に入れておいてほしい。
解説するが、理解ある彼くんの正体とは『一応定職にはついているが健常者の女性に相手にされなかった冴えない非モテ男性』のことである。
恋愛競争に敗北したチー牛顔の彼らは『無職や障害者のメンヘラ女性を養う』という戦略を取ることでギリギリの境界で恋愛競争に振り落とされないように必死にしがみついているのだ。
男としての性的魅力は低いが『優しい』『メンヘラ相手でも面倒を見れる』『嫁を養えるレベルにはまともな経済力』という属性がたまたま彼女らのセーフティネットとしてマッチングし、双方の妥協と打算の歪な結果生まれたのがあの物語なのだ。
しかし、この構図は同時に、後世の男性に対する重大な加害行為ではないだろうか?
この漫画で描かれる多くの『性を売ることでしか生きていけない無能な女性』というのは、言い換えるともし彼女がたまたま男であれば生きていけない人間だったということだ。
この『性を売る』というのは売春行為だけでなく当然恋愛での優位性を利用して婚姻等の社会制度の中で『理解ある彼くんに面倒を見てもらう』ことも含まれる。
男性パートナーに依存して生きていくということは、大人として成熟していけば結婚、出産などのイベントからは多くの場合逃れられないだろう。
そして、精神疾患や発達障害などは高確率で子供に遺伝してしまう。
私が『理解ある彼くんに支えてもらいか弱い女性が幸せになったお話』を見たときに一番違和感を感じるのは、彼女らの間に生まれるかもしれない男の子、つまりは不幸の再生産による後世の男性に対する加害行為があまりにも見て見ぬ振りされすぎではないだろうか?という点だ。
生活や承認のために様々なものに目をつぶって『ただ女だから生きていけた無能な女性』が『男だというだけでは生きていけない無能な男性』をこの世界に生み出すことはあまりにも残酷ではないか?
生き方が多様化した現代社会、中には「私は理解ある彼くんと無能な女性の間に生まれた性的弱者の無能な男性であるが、それでも趣味や宗教に打ち込むことによって幸せな人生を送ることができた。」というような男性も、ミクロレベルにはいるのかもしれない、だがそんなレアケースが生まれることを期待して恋愛や生殖のような生物としての根源とも言える選択肢を生まれながらにして当人の意思とは関係なく奪われた弱者を生み出すことは果たして人道的であろうか?
Twitterなどで男女論で議論しているフェミニストやこのような論説に異を唱えているアカウントを追っていると、(勿論漫画化などされていない)暗数も含め『無能な女性が理解ある彼くんと結ばれることで不幸な人生を歩むであろう男の子を生産する』パターンはかなり多いように見える。
現代の発達障害者の男女の生涯未婚率などを比較すると、統計としてもより顕著になるだろう。
もしかすると、この歪な関係の男女の間に生まれてくるのが運良く女児である可能性もある、その場合、その娘は母親と同じように将来『理解ある彼くん』を生やすことで幸福や承認を掴むことは可能なのかもしれない。
しかし、結局は彼女らの子孫から男の子が生まれてしまうまで問題を先送りするだけのことだ。
弱い男性が恋愛や人間関係の中で淘汰され苦しまざるを得ない現代の構造は誰が悪いという話ではない。
それが自然の摂理、といえばそれまでだし、ほぼ全国民が見合い結婚をしていた数十年前の方が生物としてはおかしかったのかもしれない。
これは黒人の奴隷制や昭和時代の女性蔑視な法体制のように国家による責任でも、ましてや『彼らを選ばなかった女性』の責任でもないだろう。
国民に自由を与えた結果、たまたま彼らは選ばれなかっただけだ。
LGBTや黒人のように歴史的な道徳的優位性もなければ、彼らは被害者ですらないだろう。
しかし、そんな歴史の都合は本人達の苦しみとは何一つ関係ない。
100年前であれば、現代では考えられないような碌でなしの男ですら皆何も考えず結婚できていたのだろう。 労働者階級が農民中心の時代では、現代では無能扱いされる彼らも無能ではなかったのかもしれない。
もっと昔の狩猟時代であれば、生きることに必死でこんなことは考えすらしなかったのだろう。
たまたま時代と自己の存在がミスマッチしてしまった不幸な存在が現代の無能な男性なのである。
社会は自動化が進み労働環境は複雑化し続け、教育費は高騰。経済格差は今後も広がり続ける。
無能な社員を雇い続け海外からは『日本式経営』と揶揄される現代の終身雇用形態も合理性のもといつ終焉を迎えるのか誰にもわからない。
きっと無能男性に対して厳しい社会は今後も長い間続いていくのだろう。
社会が形を変え、自殺率や幸福度が更に悲惨な状態になり、無能な世界の男女格差がどれだけ広がっても、きっと彼らは被差別階級にすらなれないのだろう。
情報化によって無能な男がどんな惨めな末路を辿るのか、現代はこんなにもはっきりと知ることができてしまう。
今の世界は、無能な男が笑って胸を張って生きていけるほどまだ優しいものではない。
政治的な正しさなんて概念も、そこまで万能ではない。 『多様性』なんて甘い言葉にきっと苦しむ彼らの存在は含まれていない。
現代における政治的な正しさにおいては「どんな人間であれ恋愛や生殖の権利はあるし、か弱い彼女らがパートナーに救済され子供を持つことは何一つ間違っていない」という主張の方が圧倒的に正しいのだろう。
しかし、どんなに取り繕っても現代の自由経済・自由恋愛社会というものは性淘汰と優生思想の理のもとに機能していて、結局は彼女らの救済の物語とは性淘汰の苦しみを後世の男性にすべて押し付けているだけではないだろうか?
実の子供というのは親にとっては可愛いものだ。 それは多分、種としては出来損ないの息子であったとしてもだ。
理解ある彼くんと無能な女子との間に生まれてきた子供の存在意義を無理やりこじつけるとすれば、それはきっと弱い女性と冴えない男の人生に多少の彩りを与える愛玩動物なのであろう。
彼らの存在は、さしずめカップルが寂しさを紛らわすためにペットショップから貰ってきた去勢済みのポメラニアンと何も変わらないのだ。
悲しいことに、愛玩動物として生を全うするには人類は幾分賢すぎる。
もし今後このような物語を見たとき、少しでも思い出してほしい。
か弱い女性が『理解彼くん』に救われた明るい物語の陰には、その皺寄せにより生涯苦しみ抜かねばならない後世の男性がいるかもしれないことを。
愛玩動物でもしつけはしとかないとだぞ
そろそろ、どのギルド職員のねーちゃんがどの作品だか分からなくなってきた。
織田信長という謎の職業が魔法剣士よりチートだったので、王国を作ることにしました
呪いの魔剣で高負荷トレーニング!? ~知られちゃいけない仮面の冒険者~
神スキル【呼吸】するだけでレベルアップする僕は、神々のダンジョンへ挑む。
転生貴族、鑑定スキルで成り上がる~弱小領地を受け継いだので、優秀な人材を増やしていたら、最強領地になってた~
二度転生した少年はSランク冒険者として平穏に過ごす ~前世が賢者で英雄だったボクは来世では地味に生きる~
成長チートでなんでもできるようになったが、無職だけは辞められないようです
最強タンクの迷宮攻略~体力9999のレアスキル持ちタンク、勇者パーティーを追放される~
実は俺、最強でした?
地味な剣聖はそれでも最強です
新米オッサン冒険者、最強パーティに死ぬほど鍛えられて無敵になる。
装備枠ゼロの最強剣士 でも、呪いの装備(可愛い)なら9999個つけ放題
六姫は神護衛に恋をする ~最強の守護騎士、転生して魔法学園に行く~
魔王と俺の叛逆記
行進子犬に恋文を
出来損ないと呼ばれた元英雄は、実家から追放されたので好き勝手に生きることにした
冒険に、ついてこないでお母さん! ~ 超過保護な最強ドラゴンに育てられた息子、母親同伴で冒険者になる
二の打ち要らずの神滅聖女 〜五千年後に目覚めた聖女は、最強の続きをすることにした〜
ニトの怠惰な異世界症候群 ~最弱職<ヒーラー>なのに最強はチートですか?
戦鬼と呼ばれた男、王家に暗殺されたら娘を拾い、一緒にスローライフをはじめる
クラス転移で俺だけハブられたので、同級生ハーレム作ることにした
聖なる騎士の暗黒道
勇者伝説の裏側で俺は英雄伝説を作ります 〜王道殺しの英雄譚〜
白魔法師は支援職ではありません※支援もできて、本(ぶつり)で殴る攻撃職です
悪役令嬢庶民に堕ちる
魔王学園の反逆者 ~人類初の魔王候補、眷属少女と王座を目指して成り上がる~
結界師への転生
若者の黒魔法離れが深刻ですが、就職してみたら待遇いいし、社長も使い魔もかわいくて最高です!
嘆きの亡霊は引退したい 最弱ハンターによる最強パーティ育成術
魔王を倒した俺に待っていたのは、世話好きなヨメとのイチャイチャ錬金生活だった。
一億年ボタンを連打した俺は、気付いたら最強になっていた ~落第剣士の学院無双~
悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました
昔勇者で今は骨
極振り拒否して手探りスタート! 特化しないヒーラー、仲間と別れて旅に出る 1
令嬢はまったりをご所望。
転生! 竹中半兵衛 マイナー武将に転生した仲間たちと戦国乱世を生き抜く 1−2
転生したら乙女ゲーの世界?いえ、魔術を極めるのに忙しいのでそういうのは結構です。
勇者に敗北した魔王様は返り咲くために魔物ギルドを作ることにしました。
LV999の村人
劣等眼の転生魔術師
回復術師のやり直し
妹に婚約者を譲れと言われました 最強の竜に気に入られてまさかの王国乗っ取り?
ワンワン物語 ~金持ちの犬にしてとは言ったが、フェンリルにしろとは言ってねえ!~
おきらく女魔導士の開拓記
裏切られたSランク冒険者の俺は、愛する奴隷の彼女らと共に奴隷だけのハーレムギルドを作る
THE NEW GATE
ホームレス転生
異世界の貧乏農家に転生したので、レンガを作って城を建てることにしました
人間だけど魔王軍四天王に育てられた俺は、魔王の娘に愛され支配属性の権能を与えられました。
英雄王、武を極めるため転生す
異世界帰りのおっさんは父性スキルでファザコン娘達をトロトロに
神スキル【呼吸】するだけでレベルアップする僕は、神々のダンジョンへ挑む。
異世界からの企業進出 元社畜が異世界転職して成り上がる 勇者が攻略できない迷宮を作り上げろ
双子の姉が神子として引き取られて、私は捨てられたけど多分私が神子である。
おかしな転生
転生魔女は滅びを告げる
強くてニューサーガ
失格紋の最強賢者
どうやら私の身体は完全無敵のようですね
ダィテス領攻防記
クラスごと集団転移しましたが、一番強い俺は最弱の商人に偽装中です 1ー2
恋獄の都市
100万の命の上に俺は立っている
冒険者ライセンスを剥奪されたおっさんだけど、愛娘ができたのでのんびり人生を謳歌する
転生王子はダラけたい
転生したらスライムだった件 異聞 ~魔国暮らしのトリニティ~
転生したらスライムだった件~魔物の国の歩き方~
転生したらドラゴンの卵だった
ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さん
魔王の始め方
アルバート家の令嬢は没落をご所望です
転生したら悪い国の娘でした
万葬不踏の欺神迷宮
村人ですが何か?
公爵令嬢の嗜み
駆除人
神眼の勇者
賢者の孫
えっ?平凡ですよ??
続く
一緒にいる相手がいい気分でいられるように自分を改善する、っていうのは言うほどカンタンじゃない。
普通はそういう心の動きにはならない。人は私利私欲のために努力をするものだし、そのこと自体は別に何も間違ってないんだけど、増田はそんな普通のラインから先へ、抜きん出ている。
セックスできる愛玩動物、ってワードチョイスに人の良さは表れてる。
イケメンの境遇を明かすことで読む人を畏怖させないように、あえて卑屈っぽい言い方をしているんでしょう。
本当にミソジニー…女性さげすみマンだったなら女性を鬱憤を晴らすモノとして、あるいはトロフィーやバッヂのような道具とみなすはず。
でも邪悪を装うときにさえ、「愛玩動物」——“愛すること”が前提として入ってきてる。根っこの善良さは漏れ出てしまうものだ。
ともあれ、贅沢な悩みだろうと悩みは悩み。増田の心境は切なそうだ。
考えたんだけど、女性たちが増田のどういう面を好きなのか、愛しているのか、を聞いてみたらどうかな。文章を通して俺が読み取ったより多くを、きっと女性たちは知ってる。
彼女たちが予想に反してミサンドリー… 男性さげすみウーマンで、内面なんて無視して単に性的な道具かあるいは救済を提供する装置として増田を都合よく使っていたならば、それは、良くないこと。
ひどい扱いを許容していると、だんだん自分自身が削られていく。性的に充足していても心を犠牲にしてるなら幸せは遠くなってしまう。
プライドを取り戻して、自分を大切にして欲しい。たとえ一時的につらい別れを伴ったとしても。でもいつかのある日に、増田を大切にしてくれる誰かをみつけられたなら、きっとその子を好きになれると思う。そのとき恋愛はまた動き出すんだ。
もしいま付き合ってる女の子たちが道具としてじゃなく、人間として増田にちゃんと向き合っているのなら、気持ちを言語化できるはずだし、それは増田の幸福の実感にも繋がる。
謙虚さが高じて過小評価してしまっている増田の人間性を、女性たちの目を通して見ることで、再評価できる。自分の気持ちの重みを感じることが再びできるようになる。増田はその権利を持っていると思う。
セックスと愛のリンクを取り戻して。セックスについて何か言うことはイコール人生の立場からは釈迦に説法だからできないけど、愛なら言えることがある。人を愛するとは目の前の相手に全面的に・真剣に向き合うこと。私見だけどそう思っている。この視点が使えそうなら幸いだ。差し出がましかったらゴメン。幸運を祈る。
https://twitter.com/neko_alex_nk/status/1301991601460277248?s=21
ネコは基本的に好きだしその辺で見かけるとちょっと声をかけたりしてしまうくらいなんだが、一方で安楽に暮らして全肯定されている姿を見るとかなり強い怒りが腹の中をかけめぐることがある。
時間になったら自動給餌器の前に行って、ゴロゴロしながらエサが出てくるのを待つ。出てきたら食う。食ったらまた寝る。そんなことをやってるのを見て飼い主は「かわいい」「かしこい」「えらい」。
俺だってそのくらいできらあ!
なんだったらもっと遥かに高度なことができるぞ。時計を見て時間の概念を理解できるから時間ピッタリに給餌器の前に行ける。一切こぼさずに食える。食い終わった後皿を洗うこともできる。なんなら機械なんて用意してくれなくても、食材さえあれば勝手になんか作って食うことすら可能だ。
どうして俺はペットじゃないんだ?
ネコとかイヌとかトカゲとかなんでもいいけど、やつらはとにかくずるいよ。何もやってないのにまったく責められず、むしろ責任感すら覚えられながら世話をされる。俺だって人間の勝手な都合でこの世に生み出されたかわいそうな動物なのに、当の生産者は「いい大人なんだから自分で稼げ」の一点張りで、責任を最後まで果たそうって気概がまったくない。小学生じゃねえんだから、マトモに世話できない動物を飼い始めるなよな。
つか、金持ちがペット飼ってるのムカつくなあ〜。イヌとかネコのほうが貧困国の子供より大事です!って宣言だよなアレ。たけえ金出して動物を家の中で飼育することのほうが、その金を途上国に寄付して貧しい子供を救うより良いです!っていうことだよな。
まあそりゃそうだし、俺も金持ちならそうするだろうと思うんだが、ならせめてそういう顔をして欲しいよな。動物にも優しいんです〜じゃなくてさあ!貧民はどうでもいい、俺の余剰な金は愛玩動物を手元に置くのに使う、貧乏人の醜いガキは死ね!ワハハ!って姿勢を貫いてくれよ。
ペットって最悪だよ〜
正直、ひとつの作品として評価するとそこまでじゃないけれども、琴線には触れたね。少なくとも、久々に長文で感想書きたくなる程度には。
私は子供の頃、ハムスターを飼っていて失敗した覚えがある。二匹飼ってたけれども、一匹は脱走して、もう一匹はケージを日なたに長時間置いていたせいで死んでしまった。いや、殺してしまったというべきだろう。あの時、私はペットを飼うべき人間じゃないって思ったよ。
ただ、それから大人になって色々と考えを巡らせるようになると「愛玩動物」という概念、文化そのものに疑問を持つようになった。だって「動物を飼う」という行為自体、必要のないことだから。もし、それに必要性があるというならば、それは飼う側(人間側)の都合でしかない。
ペットを飼っている人たちが、他種に対する思いやりやら命の尊さを語ることがあるけれども、あれって本気で言ってたら怖いよね。だって読んで字の如く「愛」する「玩」具として手元に置いている立場なのに、その状態で動物の死生観を客観的に語ると空々しくなってしまう。ペットに服を着せて「飼い主側の都合でそういうことをするのは如何か」みたいな意見は昔からあるけれども、そもそもペットとして飼ってる時点で人間側の都合を押し付けてるから。
もちろん、それは動物を飼うということだけではない。食べるため、服の素材にしたり、或いは政治的パフォーマンスのためにお立ち台にあげられる。害獣、害虫、益のあるなしなんて人間社会の決めたこと。自分たちの生活を豊かにするため、時に排除し、時に利用する。グラデーションに違いはあれど本質は同じで、せいぜい細かな差異を人間という第三者たちで語るだけ。結局のところ利己的な対応をとっているに過ぎない。私たちは「命の選り好み」を各々で強いられて、「倫理的バグ」を抱えて現代社会を生きている。
といったことを踏まえると、『マナー・アプリオリ』という作品はえげつない。本作のテーマが何かって言うと明白で、それは「愛玩動物」。それを人間に置き換え、宇宙人の立場から、人間社会が抱えた「命の選り好み」と「倫理的バグ」を風刺的に描いている。『鬼滅の刃』で「生殺与奪の権を他人に握らせるな」ってセリフがあるけれども、もし握らせて相手の倫理に委ねたらこうなるともいえる。言葉で意思疎通を図れるヒト対ヒトでそれなのに、動物相手だったら尚さら。
『ミノタウルスの皿』と比較している人もいたけれども、本作は“愛玩動物”という視点から他種の命に対して問題提起を行っていて、食べるかどうかっていうのは一要素、側面的な話だと思う。『ブタがいた教室』っていう、学生たちが育てた豚を食べるかどうかで議論させた話があったけれども、本作がやっていることはそっち路線。「命を学ぶ」という“学ぶ側の唱えたお題目”によって、ブタの「命を弄ぶ」という側面。
テーマについては解釈の余地はほとんどないと思う。あと、本筋に対しても解釈の余地は少ない。大体のことは作中で語られてるし。最初の1ページで飼い犬が捨てられて、飼い主側の都合やらが語られる。旦那さんの「一日中ケージに閉じ込めてるのはかわいそうだ」だっていうのも、人間のフィルターを通して語られる一方的な倫理。それが人間の身に降りかかるという分かりやすい構図。
例えば「命の選り好み」と「倫理的バグ」については分かりやすい。主役の宇宙人たちの世界でも共食いは犯罪。自分たちと見た目が似ている人間を食うのはゲテモノ扱いで、忌避する者もいるが一応はOK。まあ、これは哺乳類を食べるかどうかとか、クジラを食べるかどうかみたいな感じかな。
人間の子供に情を抱いたサッピは「殺すなんてかわいそうだ」といって、クンダは「それはエゴだ」という。なるほど一理ある。でも後にクンダは「そいつの幸せはとっとと食われて余計なストレスとおさらばすることだ」なんて言う。いや、それもエゴでしょ、ってツッコミは読者がするしかない。けれども、そのツッコミを本気でできるほど私たちは上等じゃない。
個人的に目を引いたのは痛覚のあるなしで是非を決めようとするシーンだね。痛覚がなかったら刻んだり好きなように弄んでもいいのかっていう疑問はあるけれども、これは現代のヴィーガンにも通ずる。痛覚がないから植物で、生物ではない。殺して問題ない命。その判断自体が人間の決めたカテゴライズでしかなく、それは「命の選り好み」の延長線上でしかない。あまり思慮深くないクンダは時々の感情で判断し、サッピの方は独自の基準が多少なりともあるが本質は同じ。無差別ではないが公平でもない。
ここまで語っておいてなんだけれども、私は本作を高く評価してはいない。テーマに対して淡々としすぎてて、ストーリーラインに起承転結の盛り上がりがあまりない。そうすることで残酷さを如実に浮かび上がらせるって意図なのは分かるけれども、それが一作品としてのエンターテイメントから見たとき、やや面白みに欠けるのは確か。
プロットに対しメッセージ性も露骨で、説教臭さが抜け切れてない。宇宙人の文化や倫理観、言葉選びが人間社会とほぼ同じで、語られることも作品内で馴染んでない。ひいては宇宙人の二人も本作のテーマを風刺的に描くための舞台装置、配役でしかないことを意味する。なんというか、『寄生獣』の終盤で環境問題について語りだす件があるけれども、あれだけ抜き出した感じ。有り体に言えば浮いてる。
ただ、私からいわせれば物足りないってだけで、現代社会は「命の選り好み」と「倫理的バグ」について、大衆は割り切るかどうか以前の段階。大半は無自覚的に享受し、狭い範囲内で限定的な倫理を振りかざすのが精一杯。踏み込んで論じる段階にすらいけてない。それで描いても読者の大半はついていけないだろうし、少年ジャンプ+というサイト掲載のマンガとしては丁度いい按配といえなくもないかな。