はてなキーワード: 愛玩動物とは
大学の時の知人30代中盤の自称バリキャリ女性()が、20代前半のヒモ捕まえてたよ。30代女性もワンチャンありそう。
ヒモはちっとも格好良くは見えないが、SNSでダンナがカワイーとか盛んに言っててトロフィーハズバンド的なキモさを感じた。
自分が結婚して妻子居る立場だからマウンティングにすぎないのかもしれないけど、盛んに年下のパートナーを愛玩動物のように扱うの、
ちょっときちんと家族として大事にしてない感がしてとにかくキモい。
オッサンが**チャンカワイイネとか言うのもキモいなとか思っていたけど、オバサン(なりかけ)でも十分にキモいというのが分かったのは良かった。
単細胞生物の侵害に対する化学的反応と、複雑化した生物の疼痛は地続きで、どこからが疼痛という普遍的境界はない。知性も同様である。
ヒトは倫理・科学・社会的成長に応じて他者への権利を拡大する性質から免れないため、疼痛回避を含む権利範囲を倫理・科学・社会的成長に応じてその都度変更する必要がある(ヒトが科学的・社会的退行期に差し掛かれば逆の議論が必要になる)。一昔前はヒトでも含まれていない者たちが多数いたが現在は大多数のヒトは含まれるようになった。最近では愛玩動物や家畜、その他大型動物への権利拡大はだいぶ進んでいる。
科学的反応と疼痛や知性の境界がないため、権利者の拡大方法は徐々に広げる以外にない。その守られるべき権利者をどこまで広げるか、食肉用動物を含めるか、という議論をしているので、「植物も感じるだろ!」という主張をする人間は「植物も食べるべきではないだろ!」と言う主張であり、植物を権利者に含むためには、より疼痛の性質がヒトに近い食肉動物を先に権利者に含める必要があるため、「植物も感じるだろ!」という意義を唱える者は必ず食肉規制に同意する必要がある。当然、食植物もヒトの科学的レベルが一定に達すれば避けるべきだが2021年はその段階にないため食肉規制推進者が植物を食べることは許容される。
500年?1000年後?100000万年後?には無生物や鉱物、分子や、空間・光・重力にも権利を与えるべきか、の議論が行われているかも知れない。
母親は除く。
私は覚えている。18歳の時初めて付き合った彼女のおっぱいが初めてだ。
彼女の両親が旅行に出かけ、本当にこんなシチュエーションあるんだと思いながら「お邪魔します」と家に上がった。
彼女は中学時代のジャージ上下で、どうやらやる気満々だったようで(こちらも)、ジャージのファスナーをおろすとそこにもうおっぱいがあった(これがノーブラと唾を飲んだ)。
薄ピンクの乳首に張りがある攻撃的なおっぱいを見て、私は感動のあまり泣いてしまった。勃起しながら。
彼女は驚いていたが、「〇〇とこうやってエッチができるのが嬉しくて」と咄嗟に嘘を吐いた。
韓国映画パラサイトの金持ちが住んでるような1階はガラス張り、広い庭、愛玩動物ミニチュアダックスフンド付きで、若干雑然としていて生活感はあるもののアイテムの一つ一つが洗煉されオシャレな一軒家に暮らす幼い主人公。
彼は妹が生まれたことで両親の愛情や関心が妹にばかり向かってしまい嫉妬し泣いてしまう。
妻が職場復帰したことで在宅勤務の仕事(恐らく相当な高給取りであろう)とそんな2人の幼子の育児に忙殺される父親の苦悩。
両親の実家との関係も良好そうで、祖父母からは孫である主人公と妹に多大なる愛情が向けられていた。恐らく実家の方もそれなりには裕福であろうことが覗かせる。
冒頭ではそんな様子がいろいろと描写されていた。
こいつらに苦悩があるなら俺の人生はなんだ?
こいつらからすると俺の住処などうさぎ小屋にでも見えてるのだろうか?いや俺みたいな階層の底辺、視界にすら入ってないんだろうな。
そんなに辛いのだったら俺がお前の人生変わってやろうか?こいつらは明日俺と身分が変わってたら絶望し発狂して死ぬんだろうか?
そんなことばかりが頭に浮かんだ。本編など何も頭に入らなかった。いや正確にはあの辺りから先を見ることができなかった。
気づけば涙が止まらなかった。
俺の生きてきたすべてが侮辱された気がした。
俺にはわかる。