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2022-04-18

ありがとう警察の人たちよ

4.16の土曜日深夜、ちょっとしたハプニングに出くわし、警察の人にお世話になる事態に発展した。

が、その際の警察官の対応により「これからはなんでも警察の人に協力しまっす」的な気持ちになった。

ので、かなり長くなるが共有したい。

東京ドーム初のキンプリライブが行われていたその日、私と夫は友人らとともに後楽園60周年還暦祭を観戦。

帰りは行きつけの飲み屋で楽しく飲み倒し、夜23時頃解散となった。

コロナ禍以降閑散としていた水道橋は賑わいを取り戻し、友人のトークも冴え渡っており、非常に楽しい時間満喫できた。

で、調子にのって夫と「水道橋から蔵前まで夜散歩しなから帰るかぁ」と水道橋を後にしたのが、事の始まりである

その日は満月。どうやら一年に一度の恋の願いが叶う「ピンクムーン」だったらしい。後から知った。

燦然と輝く月明りで夜道は明るく、順調に湯島あたりまでやってきたところで、夫が「せっかくだから湯島天神にお参りして帰ろう」という。

で、湯島天神の正門から入り、つつがなくお参りした後、裏手に抜けて御徒町ショートカットできる「学問の道」へ行こうとした。

その学問の道の入り口江戸時代からある急な石階段男坂」の前で事件は起きた。

街頭もないない闇の中、人もそう来ないはずの裏階段の降り口に、うつ伏せで人が倒れているではないか…。

最初は「浮浪者が寝てるのか」と思ったが、近づいてみると、割と小綺麗でいいものを身に着けている男性だとわかる。

近くには彼のものと思しきレザーのメッセンジャーバッグが転がり、さらになぜかパンツ用の革のベルトも落ちていた。

夫が近づき、大きな声をかけて軽く揺さぶるがまったく反応がない。

「全く反応がない」という夫の言葉に、私は固まってしまった。

「さ、殺人ベルトを使った自殺未遂?し、死んでたらどうしよう~!?」

私はふたりを遠巻きに見ていたものの、足がすくんで一歩も動けない。

夫が何度か大きな声をかけるが、男は微動だにしない…。

さすがにこのままにしておくわけにいかない。

とりあえず110番119番

考える間もなく、咄嗟110番を押してしまったが、ワンコールしたところで、突如男がかすかに呻いた。

慌てて電話を切る。すると、即折り返しで警察から電話がかかってきた。その間わずか1秒。

警察事情を話したところ「こちらで救急車を手配する。近くの交番から警察官をすぐ行かせるので、そこにいてほしい」と言われるので、おとなしくふたり警察官を待つことに。

その間約3~5分。

男は何度か呻いて、そのたびに夫が声をかけるが、返事もなく起き上がる気配はない。

万が一頭を打っているかもしれないので、簡単こちらも動かせない。

急な階段の頂上、しかも今にもずり落ちそうな場所に倒れているので、少しでも寝返りを打てば落ちてしまいそうで、はらはらしながら警察を待った。

私が「警察を呼びました。もうすぐ来てくれますよ」と声がけしたら、突然男がむくっと起き上がる。

ぴくりともしなかった屍状態からの動きに、私も夫も驚いた。が、男は一言も発しないまま、再び倒れ込んだ。

この時点でようやく「単なる酔っ払いか…」と結論付け、安堵したが、様子がいろいろとおかしいので、やはり放っておけない。

急に暴れだしたりしたらどうしよう・・・と、正直生きた心地がしなかった。

わずかな時間警察官が到着。交番からすごい勢いで走ってきてくれたのが、こちらは高台なので確認できた。

正直、全力で走ってくる姿がマジでヒーローに見え、「ここだよ~(半泣)」と負けじと全力で手を振ってしまった。

若い警察官に事情を話している間に、男が急に起き上がる。

しかしふらふらでなので、階段から転げ落ちそうになるのを夫と警察官が抱きとめる。

「お名前は?ここがどこか分かりますか?どこで飲んでたんですか?」

警察官が丁寧な口調で男に質問するが、頭が回っていないのか、個人情報をいいたくないのか

「誰だよお前は」「言いたくない」「わからない」「言いたくない」「仕事何してるかって?頑張ってますよ!」

と、田舎ヤンキー並みに反抗的

そのうち救急車階段下の大通りに到着するも「誰が呼んだんだ」「お前が呼んだのか」「絶対に乗らない」と次第に怒りがヒートアップ

警察官に食ってかかって掴みかかり、いまにもケンカになりそうな勢いに。

警察の人が絡まれている!ヤバい!と変な正義感から、私が自分から「私が呼びました。すいません」と申し出ると、男は急におとなしくなった。

女性からんだらいけいない」と理性が働いたのか…思ったよりもいい人かもしれない。

「とりあえず救急車には乗らなくていいですから救急隊に、もう大丈夫とご自身説明をしてください」

警察官に促され、男は「俺が呼んだんじゃねぇぞ」とブツブツうわごとのように呟きながら、救急車に向かっていった。

私たちは「そろそろもう帰っていいですかね…」と警察官に訴えると、簡単事情聴取をしたいので、その場に残ってくださいと言われ、さらに待つこと5分。

で、遠目でふたりを見守っていたのだが、救急隊に事情説明して帰ってくる頃には、なぜか男が警察官に打ち解け心を開いて戻ってきたのには心底驚いた。

酔いが醒めて正気を取り戻してきたのか、男は「そんなに若いのに、どうして僕にこんなに優しくしてくれるの」と警察官に話しているのが聞こえる。

男の年齢は私たちと同い年か、少し上ぐらいか…さみしさから泥酔してしまったのだろうか。

いろいろとしんみりくる。

戻ってきた警察官に簡単個人情報を聞かれたあと、警察官は男を途中まて送っていくとのことで、私たちはようやく解放された。その間約30分。

から丁寧に「ありがとうございました」と言われ、私たちも「お気をつけて」と気遣い最後には気持ちよく別れられた。

しかし、目覚めたばかりの時に「単なる酔っ払いじゃくなてヤク中では?」と思うぐらい恫喝的で完全にヤバい人だった男に対し、随時丁寧な口調で接し、あんなに荒れていた男の心をいつの間にか懐柔していた若い警察官には、本当に頭が下がる思いだ。

上野御徒町湯島の客層を考えれば、こんな通報日常茶飯なのだろう。

いや、だとしても、マジで大変っすよ。この仕事

警察官の皆さん、いつも私たち安全を守っていてくれてありがとう

私も及ばずながら、できるだけ協力させていただきたい…と心から思った夜でした。

anond:20220418084935

フェミニズム絡みの社会学者ってほぼ活動家だもんな

活動のための学問になってるあまり学問の体すらなさなくなって

内容が酷過ぎて社会学全体が評判落としてる

anond:20220418084935

どんどけ学問を怖がってんねんな(苦笑)

ポル・ポトの生まれ変わりかなんか?

2022-04-17

男は「変わろうとすること」すら許されていない気がする

ツイッタータイムラインに流れてきたんだけど、

映画ファンコミュニティuni cinemaの代表が、四年前に彼女に性加害をしていたらしい。

https://twitter.com/kaiheijp/status/1515009464427945984?s=20&t=Mt7Wa0_-Ik84CEPPkxdFFw

この代表最近映画界の性加害に反対!」とはっきり意思表示してるらしく、

「どの口が言っているんだ?」と元カノがキレた形になっている、と。

この元カノの友人も連帯して告発しているらしいけど、

色々憶測まじった状態告発されたっぽくて、

あー、これは相当恨みを買ってたんだろうなーってのが感想

で、問題はそっちじゃなくて。

「四年前にあんなことしておいて、どのつら下げて性加害反対とか言ってんの!?」って主張において、

私はこの「四年前」って時期がキーになっていると思うんです。

四年前って、今ほどネットフェミニズムが広まってない時代でしょ。

フェミニズムがドッと流れてきたのって、この3-4年だと思う。

(「フェミニズムという学問はずっと前から存在していて、フェミニストの人たちはそれより前からずっと頑張ってきたんです!」

って主張はもちろんわかってます。でも実際にネットでその言葉市民権を得たのは3-4年のはず。はあちゅうmetooとか四年前くらいじゃない?)

から、まだフェミニズムインストールされていない時代において、この代表の男は本当にクソだったのかも。

当たり前に男尊女卑するし、パワハラしてたから、もうそもそも加害意識がなく無自覚に加害してた可能性もある。

そいつが今になって聖人君主のように「映画から性加害を無くそう!」って言ってるのが巨大ブーメラン

って話だと思うけど、

でも、この四年間でさ、私たちフェミニズムを知ったじゃん。過渡期じゃん。

それでアップデートされたから、「性加害良くない!」って、この代表は言えるようになったんじゃないの。

「四年前はひどかった。でもいろんな知識を得て、今、アップデートされた。」

こういう男、これからたくさん出てくるんじゃないのかな。

アップデートされて、変わろうとする男たち。

でも、この代表みたいに「お前、四年前あんなことやってただろ」で出鼻くじかれたらさ、

もうこれ、男は詰んでるんじゃないすかね?

この代表が、「加害するのやめようー!」と言う前に被害者謝罪してたらOKになってたのかしら?

そうすると今度は、加害者謝罪すること、償うことは、加害者自身のためにやってることだから、救済の余地ナシ、みたいな話になりません?

聖人君主みたいに「これまで加害歴が一切ない男」だけが「加害するのやめようー!」って言える世の中であれ。ってことですかね。

やっぱり、男は「変わろうとすること」すら許されていない気がする。

僕の妻は感情がない(34話)の感想備忘録

https://www.pixiv.net/artworks/97652638

基本的には色んな作品ネタバレと、ただの連想の垂れ流し

ともかく、今回の話は凄かった

杉浦氏が「34話、うまく描けた気がする」「自分は34話みたいなお話が描きたいんだな」と言うのも良く分かる

ロボットの考えてた事を吐き出せてスッキリしたけど、もう自分の中に何にもないな…そろそろインプットしないとな〜」となるのも良く分かる

これを描いてしまうと、この先に何を表現すればいいのかが見えなくなってくるだろうな、と

とりあえず、私は私が感じたことを書いていくことにする

ネタバレ要素】

ちょびっツブルーピリオド物語シリーズライ麦畑で捕まえて、異世界迷宮の最深部を目指そう、風の谷のナウシカ、余は弁明ス


4コマ目】

「大切な友達自分を壊してくれって言ってるのよ」

真剣に聞かないでどうするの」

これ、本当にたまらないセリフですよね

最後コマセリフを聞いてから読むと、この時の気持ちが、もう伝わってくるようで

【5コマ目】

個人的に好きな所

ロボット」というのをある種の比喩である解釈した時

これは親による教育比喩でもあるなあ、と

【6コマ目】

「何か問題があるとしても家族で乗り越えてきたかったそうです」

ここは難しいところ

家族でやるのが正しいのか、アップデートという名の支援を受けるべきであったのか

答えはない

【7コマ目】

今回のメイン

表情も含めて、本当に苦しい

「ただ ロボットがすごく気持ち悪いの」

「不自然で何も生み出さないくせに 人間みたいな顔をしてる」

ひとつ残らずいなくなればいいのにって思う」

自分が何も生み出せないことを“気持ち悪い”と思い、自分自身の事を“不自然であると感じる

誰しも、同じような気持ちになったことがあるからこそ、このセリフは響く

ある種の特性・特徴を持ち、自分がその特性ネガティブに感じている時、“いなくなればいいのに”と感じるよなあ、と思った

「早く人間になりたい」と何度でも思うのだ

ひとにすがたを 見せられぬ

もののような このから

「早く人間になりたい!!」

――作詞第一動画文芸部 作曲田中正史「妖怪人間ベム



【8コマ目】

「私はずっとロボットを 町から追い出したいと 思っていました」

「追い出すということは その先で壊されることも あります

友達からって特別扱いするわけにはいきません」

後のコマを見てもわかるんですが、これもこれで本心なんですよね

久永先輩の誠実さ(フェアさ)はこういう形なんですよ

自分を偽らない、自分規律に従う

厳しく辛い道である

決して状のない人間ではないから故に

もう一つ言うなら、今回は一人の人間が持ち得る色々な思想・考え・立場をそれぞれの登場人物に振り分けているところが読み応えのある所だな、と

タチコマ会議を思い出す

【9コマ目】

「みんなのことが好きで ホイホイ入っちゃったところがあって…」

ロボットを追い出すって どういうことか 考えてなかったんです」

「あの子たち みんないい子で やさしくて 頑張り屋なんです」

人間と同じくらい… ううん! 人間よりずっと…」

自分(自分たち)と違う相手排除することについて、深く考えてこなかった”という自覚

これを吐露することがどれだけ難しいことなのか

杉浦先生の、本当にフェアな所はこういう台詞に出てきますよね

ロボット“をある種の比喩であるとも捉えている立場としては

この種の「良い子で優しくて頑張り屋で、純粋なんです」というセリフが刺さる

10コマ目】

「そのような社会で うまくいかないことだらけの 人間と深くかかわろうと するでしょうか」

ロボット人間から パートナーを 奪ってしまうんです」

ここが、この話の本質

自分にとって都合の良い存在”を希求する

頑張っていない人より、頑張っている人の方が好きだ

意地悪な人より、優しい人が好きだ

醜い人より、美しい人が好きだ

自分の事を理解してくれない人より、理解してくれる人の方が好きだ

自分を憎む人より、愛してくれる人の方が好きだ

至極当たり前の人だ

自分に害をなす人を、自分にとって“良いこと”がない相手をどうして大切にできるのだろうか

好き嫌いや損得は非常に大事観点

それをなしに、我々は我々を規定できない

その町には 誰もいなかったの

お家もあるし

から明かりも見える

でも 道には誰もいない

から中をのぞいてみた

ヒトがいた でもアレといっしょだった

ほかの家もみた

やっぱりアレといっしょだった

この町も ほかの町とおんなじだった

アレといっしょは楽しいから

ヒトといっしょより楽しいから

みんなはもう外には出てこない

この町には誰もいない

――CLAMPちょびっツ 第1巻」

最初は 好き好き言っててもさ」

パソコンみたく 自分に都合のいい相手が現れたら ぜーんぶ ひっくり返して なかったことにするんじゃないかって」

――CLAMPちょびっツ 第3巻」

これとか、これとか、これとか、これとか、これとかで考えていたことと近いな、と感じる

12コマ目】

自然だとどうして良いんですか

個人繁殖して 種を保存するために いるわけじゃありません

これは根本的な質問

「不自然で何も生み出さないくせに」への反論にもなっている

「裸も」

「裸を飾ろうとする 人間自由さも醜さも 全て愛しいじゃない?」

――山口つばさブルーピリオド 第5巻」

別に幸せになることが、人間の生きる目的じゃあないからな」

幸せになれなくとも、なりたいもんになれりゃいいんだし」

――西尾維新恋物語 第恋話 ひたぎエンド



【14~15コマ目】

いくら努力しても 振り向いて もらえない人は?」

死ぬほど頑張って 恋人友達も 出来ない人は どうするんですか?」

「一生孤独に 生きて行かないと いけないんですか」

「… 振り向いて もらえなくても 努力無駄に ならないはずです」

「久永さん 美人からそんな事 言えるんですよ!」

「頑張って 頑張って 頑張っても 誰ひとり 振り向いて 貰えない人に」

「それでも『成長できてよかったね』って言うんですか?」

「言います…」

「人でなし!」

ここはコミカルに描いているように見えて、凄く鋭い

物語主人公理想を語ることがあるが

皆がその理想に殉じられるわけではないということに通ずるものがある

そうはいっても腹は減るし、金は欲しい。人を憎むことも上昇を望むこともある。すべて人の業である

もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。

私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。

それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。

――坂口安吾「余は弁明ス」


【16コマ目】

文明が発達して それをしなくても済む人が 沢山増えました」

お腹を満たす事以外に リソースを割く事が できるようになった代わりに その過程で 無くなった仕事や大切な物が 沢山あったと思います

ロボットが居る事で 私たち必死に苦労しなくても 心を満たせるようになる」

「満たせない事で 苦しまなくて 済むようになる」

「代わりに失うものも たくさんあるでしょう」

「でも私は そうするべきだと 思います

「心が満たされた あとの社会

「その向こう側に 行けると 信じているからです」

ロボットと 一緒ならね」

ここがどうしてもこのエントリを書きたくなった所だ

以前に語ったように、人間は「自分でできることの増加」ではなく、「自分の周り(環境)」を変えることを志向して進化してきた

科学とは再現性学問から

究極的には、全てが自動で行われる「システム」となるかもしれない

その時、我々は、我々の意識は何を希求するのだろうか

その向こう側に行けるのだろうか

「信じているからです」と言いきる、その横顔が眩しい

機械も含めて、全ての存在(生命も含めて)に対する信頼が見える

「…………どの真実をだね?」

「あの時代 どれほどの憎悪絶望世界を満たしていたか想像したことあるかな?」

「数百億の人間が生き残るためにどんなことでもする世界だ」

「有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気 おびただしい死」

「ありとあらゆる宗教 ありとあらゆる正義 ありとあらゆる利害」

調停のために神まで造ってしまった」

「とるべき道はいくつもなかったのだよ」

――宮崎駿風の谷のナウシカ 第7巻」

自分の罪深さにおののきます

私たちのように凶暴ではなく おだやかで賢い人間となるはずの卵です」

――宮崎駿風の谷のナウシカ 第7巻」

私は私のために生きる。あなたあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えるためにこの世に生きているわけじゃない。

そしてあなたも、私の期待に応えるためにこの世にいるわけじゃない。

私は私。あなたあなた

でも、偶然が私たち出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

――フレデリック・S・パールズ「ゲシュタルトの祈り

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

旧約聖書「コヘレト言葉




17コマ目】

ロボットが 初めて 二足歩行した時 感動したと 思うんだよね」

「? そうですね」

「で 次は段差を どう乗り越えるか 観たくなるでしょ?」

「歩行コースブロックを 置くでしょ?」

「私 ブロックになりたいの」

全然文脈が違うが、「ライ麦畑で捕まえて」を思い出す言い回し

「ともかく僕は子供たちがみんなこの大きなライ麦畑の中で何かゲームをしているところを思い浮かべるんだ」

「何千という子供たちがいてね、辺りには誰もいないんだ」

大人は誰一人いないんだよ。その僕以外はね」

「そして僕はすごく急な崖の端に立っているんだ」

「僕がしなきゃならないことは、子供たちが崖から落ちそうになると捕まえてやることなんだ」

子供ってのは走っている時には前を見たりしないから、僕がどこからか出て行って捕まえてやらなきゃならないんだ」

「一日中僕はそれだけをしてる」

「僕はライ麦畑の捕らえ人になりたいんだ」

バカみたいだってことは分かってるけど」

――J・D・サリンジャーライ麦畑でつかまえて」



【18コマ目】

「私の意見は 変わりませんが 皆さんの意見も 変えられませんでした」

「今回の件は保留ということにします」

地味に好きポイント

やはりフェア


20コマ目】

「そうだ 『勇さんを壊すべき』と 結論が出たら当然 壊さなければいけない」

「『壊すべきでない』と 結論が出たら 勇さんの内面否定することになる」

「どちらにしても 勇さんは救われない」

「どうすれば…」

やはり誠実だ

そして、ここのテーゼアンチテーゼが次のコマからアウフヘーベン布石となる

24-25コマ目】

あなたが誰かを 傷つけても」

「人やロボットを 殺しちゃっても」

自分を 殺しちゃっても」

「私は そのとき 一緒にいたいの」

あなたの代わりは 世界のどこにもいないから」

「殺していいって言ってます?」

「久永先輩 いいんですか? こんなの」

いいわけ ないでしょ」

「でも その 良くないことで 勇さんは救われたの」

これがジンテーゼとなる

否定肯定も、自分が認めがたいことも含めて、それ自体を受け止めてくれる他者

これが正に尊厳であり愚行権であり、ハーム・リダクション的でもあり、アクセタンである

ただあるがままを受け止めて貰い、その衝動も含めて「(肯定でも否定でもなく)存在承認」してもらうこと

「正しくあれ正しくあれと教えられっ、教えられた通りに正しく生きて正しく生きてっ、最期には正しいまま死んでしまってっ! やっとそれに気づきました! 正しくあれなんてそんな言葉、教えた人の都合でしかありません! ええっ、薄々とわかっていました! 正しい人ほど不幸になるってことくらい!!」

「だから、わたくしは思うのです。ええ、いまこそ、正直に申します。

 ずっとずっとわたくしは――間違いを犯したかった」

――割内タリサ異世界迷宮の最深部を目指そう 5章.庭師名無しの物語 207.光の理を盗むものとの遭遇」

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、

そして、変えられないものと変えるべきもの区別する賢さを与えてください。

一日一日を生き、

この時をつねに喜びをもって受け入れ、

困難は平穏への道として受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、

イエス・キリストがされたように、

この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています

そして、この人生が小さくとも幸福ものとなり、天国あなたのもとで永遠幸福を得ると知っています

アーメン

――ラインホルド・ニーバー「ニーバー祈り

あなたの其の瞳が頷く瞬間に初めて生命の音を聴くのです

天鵞絨の海にも 仕方のないことしか無かったら

あたしはどう致しましょう

――椎名林檎依存症




【27-27コマ目】

「みんなが」

「勇さんが 要らないって 言うまで 無くしたりしない」

大丈夫ですか?」

大丈夫じゃないわ」

「もう少しで友達を 壊さなきゃ いけなかったの」

もう、なんというか

ズルいと思う、このセリフ

これをやられたらもう何も言えない

2022-04-16

日本ネット社会学者について

主にジェンダー関連でネット社会学者炎上しがちで、社会学のものは割と好きで個人的に読んでいる自分には残念だけど、炎上しがちな理由否定できない。それは、彼らの多くが文学部出身なことである


まり日本社会学者は、政治経済法律福祉などの社会科学勉強ほとんどしないまま、博士号をとって大学先生になっている。歴史学者文学者はそれでも問題ないが、社会学者の場合はその性質上、政治経済法律福祉問題言及しなければいけない機会が多い。社会学会の中にいる時は、素人勉強でもボロが出ずに済んだが、外に向かって情報発信すると必然的に他の専門家から雨あられツッコミを受けることになる。


一例として、コロナ禍の給付金の時に、「給付世帯単位になっているのは安倍自民党家族主義的な価値観のため」という説を大真面目に語っている社会学者がいてびっくりしたことがある。時の政権イデオロギーで一国単位制度が左右されるほど、政治行政は単純素朴にできていないことは、政治行政専門家なら常識だが、社会学の中にいるとこれが分からなくなるらしい。他にもコロナ禍で左派系の陰謀論(「検査数を意図的抑制して感染者数を少なく見せかけている」など)にはまっている社会学者が何人も見られたが、これも政治行政の複雑さが全く見えていないためである自分尊敬する社会学者はそうではないが、一般的な傾向としては確実にあると思う。


日見田宗介が亡くなり、学問文学架橋したと賞賛されていた。それは否定するつもりは全くないけど、政治法律をまともに勉強していない自覚のないまま社会評論を平然と行う社会学者を量産してしまった、という負の遺産も忘れてはならないだろう。

anond:20220415232730

学問言論としてのフェミニズム」側はそこはすでに分かっていて敢えてやってるんじゃないかな。

セラピーとしてのフェミニズム」側を鉄砲玉として仕立て上げて利用してるように見えるんだよ。

2022-04-15

フェミニズムが傷を抱えた人間セラピーになることについて

前書き

現代日本フェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピー看板のような機能を持っていると言える。

弱者が慰め合える駆け込み寺、いわばフェミニス堂があること自体は良いことだ。

エンパワメントシスターフッドという自己肯定を重視した精神的な言葉最近人気なのもその一環かもしれないし、そこまで前向きな気持ちになれないからとにかく苦しみや怒りを吐き出させてくれという層だって駆け込み寺には居場所がある。

だが、「セラピーとしてのフェミニズム」と「学問言論としてのフェミニズム」が分離されていないために、言論としてのフェミニズム信頼度が著しく弱まっている。

セラピー面も学問言論面もひと固まりからフェミニストはメンヘラだとか、他人幸せを許せないだとか、ミサンドリストセックスヘイタージェンダークレーマーだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。

私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていることを批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。

追記:↑ここで私の精神疾患に言及したのは、私も議論の場で当事者性を武器として使おうという態度でよくなかった。反省する。)


本稿で主張するのは、「冷静な研究者としての立場」と「傷つき怒れる当事者としての立場」は、兼任すると問題が生まれるのでどちらか片方だけの立場に立つべきだ、ということだ。

たとえ学位免許を持っていても、冷静になれない話題については傷が治っていない当事者から理論議論を使いこなせる研究者ではなくあくまで苦しむ当事者個人として発言した方が良い。

本論前に、何がOKで何がNGかおおざっぱに切り分けておこう。

冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係必要だよね」という学問理論を組み立てる。
冷静なフェミニズム研究者もしくは心理医療専門家が、セラピーの場の最低限の安全が保たれるように監督をする。
セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズム用語理論武装したり、怨恨を吐き出したり、過激むちゃくちゃな主張をする。(なぜなら、セラピー的な場では、ひどい発言原則許されるべきだから。ただし、それをそのまま社会への要求として広めるべきではない)

×
まだ傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間研究者としての発言力を得て、本来患者としてすべき主張を研究者立場でする。
×
傷の残っている研究者セラピー監督役をやり、セラピー患者同調してしま患者内面吐露検討・洗練せずそのまま社会にぶつける。
×
研究者同士でも肯定しあえないと傷が痛んで耐えられないので、アカデミックであるべき関係を仲良しグループにする。




本論

フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感あい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。

当事者自体は、様々な依存症障害事故被害者などについて行われており、有用セラピーと言っていい。

だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。

要するに、当事者として治療を受けるべき傷を抱えたままの人間が、セラピスト役と教師役もやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。

全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。

だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。


普通当事者会やセラピーは、福祉医療心理専門家によって研究理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。

傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復必要な心の解放だ。

それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。

客観的専門家当事者たちの感情吐露分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。

から普通健全当事者セラピーは、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者ヤバいことを主張していても研究者評価が下がることもない。研究者監督しているか当事者同士の会話が先鋭化するエコーチェンバーも防げる。当事者要求研究者が整理したうえで一般社会に伝えるので、外部の一般人当事者過激すぎる主張を直に聞かされて悪感情を持つこともない。

全てが完全に徹底されているわけではないが、それでも、当事者セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、ある程度は弊害抑制ができている。

しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者監督者、研究者区切り曖昧になりやすいので、普通当事者セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。

たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張したことに対し、「議論や説得において言い方ってのは大事だろ」と反論されているのをよく見るが、あれも、内輪の癒しセラピー的な感覚と対外交議論感覚がごちゃまぜになっているせいだ。

「私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシング(言い方警察)するな」、という話なら真っ当である

「私は冷静を保ち、言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ」、というのも真っ当である

だがそれを同時にやろうとする、「自分セラピー的に感情をぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれ」というのは無法な要求だ。

せめて、セラピー監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。

なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである


当事者研究者の分離は、簡単なことではないとは思う。

特に精神思想分野ではそうだ。

臨床心理士カウンセラー看護師助産師になりたがる人間はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はともかく実体験としてはよく聞く話である

博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物保護したがるだろう。

だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。

しろ愛護派の過激な主張の角を取って一般社会的に可能動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者自分のところで一度止めて丸め社会に伝える、当事者会に対する医療福祉関係者の立場と近い。

から臨床心理士動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。


ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた当事者と同一人物だったり肩入れしすぎたりするせいで、冷静な監督者のいないまま野良セラピー的な語りあいを続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるがそのまま社会要求するには妥当性に欠ける内容が研究者学問立場から主張されてしまっている。

フェミニストはメンヘラだとか他人幸せを許せないだとかミサンドリストセックスヘイターだとか言われてしまうのはこのせいだ。

それにもかかわらずフェミニズム大義名分世界中で力を持ち、フェミニストの要求の内容を精査して妥当性が十分な時だけ応じますという態度は悪だと指弾されるのが、本当に良くない。

ここで断言しておくが、メンヘラも、他人幸せを許せない人も、ミサンドリストミソジニストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。

過激思想トラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。

ただし、その好き勝手発言暴言あくまで傷つき冷静さを欠いた人の胡乱な言動として生暖かく聞き流されている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。

弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままで妥当性が低いので、客観的研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。

フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ当事者発言をそのまま重用したり、著名な研究者が「冷静さを保つために私の当事者としての感情一時的に抑えよう」という努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である

辛すぎて悲鳴を上げざるをえない当事者と、冷静で他者対話可能研究者弁別は、完璧でなくとも努力する価値がある。できたぶんだけ弊害が減るはずだ。




おまけの具体例 朝日新聞運営の『かがみよかがみ』について

一つ、わかりやすい事例を挙げる。

フェミニズムジェンダー学周辺で、セラピー機能学問言論機能が混在することの弊害を私がはっきり感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である

『かがみよかがみ』は読者投稿エッセイメインコンテンツとするWebサイトだ。

「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けている。

18~29歳の女性からエッセイ募集して、編集部がチェックして載せている。著名人契約コラムニストの連載もある。

そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストTwitter検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)

二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割にはてはで話題になる回数は少ない気がする。はてなとは読者層が違うのだろう。

上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008

フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941

これの上の記事に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、そこから辿れる記事類を読み、フェミニズムセラピー言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。

上野千鶴子座談会セックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティ雰囲気について(下)|滝薫

https://note.com/hannnahkuku0819/n/n6514127ed85a

私はこれを読んだ時、伊藤編集長があらゆる批判に応じないのもわかる、といっそ清々しささえ覚える形で納得してしまった。「セーファープレイス」を構築しようとして、内部を守っているのではないかと思った。

(略)

『かがみよかがみ』を必要としている利用者はいる。それはわかっている。私も、エッセイ投稿した後の”共感”と”褒め合い”によって自信がついた一人であることは変えようがない事実である。その価値を認めていても、『かがみよかがみ』の未来に不穏さを感じてしまう。

『かがみよかがみ』が目指すのは、あくま女性自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定である

それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。

若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のSlackか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である

フェミニズムジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくま自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。

エッセイ投稿年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイ愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者本音を慮って、微妙理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。

投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるかである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そのタイプの人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。

伊藤あかり編集長モットーらしい「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」とも合致する態度だ。

傷ついた若い女性のために、正しさではなく自己肯定感爆上げを目的とした当事者セラピーの場があること自体は、良いと思う。

だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネット広告され、上野千鶴子石川優実企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者ジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。

なのに、そこが曖昧に混ざった立場で『かがみよかがみ』の文章は発表され続けている。

から『かがみよかがみ』の記事批判されたのである

そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。



まとめ

最後にもう一度まとめる。

傷ついた当事者同士が慰め合うセラピー看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。

現在日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。

心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者が、ある程度重なってしまっている。

この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。



追記。本稿は3か月ほど前に増田に投げたが無反応だったものの再投稿である。)

トゥギャりました ジャズトランぺッター と 国際政治学

細谷 雄一(ほそや ゆういち1971年8月13日- )は、日本国際政治学者。慶應義塾大学法学部教授。(法学立教大学法学部卒 慶應義塾大学大学院法学研究科修士博士

伊勢崎 賢治(いせざき けんじ1957年7月6日 - )は、平和学研究者。東京外国語大学総合国際学研究院(国際社会部門・国際研究系)教授  早稲田大学理工学部建築学科卒  ボンベイ大学大学院社会科学研究科博士前期課程修了(後期中退早稲田大学大学院理工学研究科都市計画専攻修了

https://twitter.com/isezakikenji/status/1514555737267404801 

自分たちは戦うのは怖いから 武器だけあげてウクライナの人々に戦わせて これは代理戦争じゃない 国際秩序のための聖戦だって賞賛するの なんか自爆テロ犯を送り出す悪徳聖職者みたいだな そこの学者

https://twitter.com/Yuichi_Hosoya/status/1514567243836932098

”開戦前に、ブリンケン国務長官が直前までロシア政府に、戦争に突き進まぬよう交渉をして説得していたのにもかかわらず、アメリカの「代理戦争」という陰謀論固執する根拠を、大学教授という学識がある専門家である以上、きちんと一次資料を示してほしい。”

そもそも学部時代学位建築学で、大学院修士号が都市計画専攻と、学部でも大学院でも一切、学問的に国際政治学平和学を研究した経験がない方が、なぜそこまで断定的に「陰謀論」を流布しておられるのか、なかなか理解が難しいのですが。もう少し専門家の知見から謙虚に学ぶ姿勢を示すべきでは。”

”そして、やくざじゃないので、大学教授が、「なんか自爆テロ犯を送り出す悪徳聖職者みたいだな そこの学者」という相手を煽るような言葉を使うべきではないのでは。私が「そこの学者」に該当するかどうかは興味ないですが。”

”そして、「自爆テロ犯を送り出す悪徳聖職者」って、おそらくはイスラム教聖職者差していると思いますが、大変失礼な言葉ではないでしょうか。平和構築や和解職業とする仕事をしていた方の言葉として、とても残念です。”


https://twitter.com/isezakikenji/status/1514613172480577543

””代理戦争”がお気に召さぬなら「史上最も卑怯代理戦争」と言い直しましょう。既にNATOとは綻びが出始めております(↓)。まだ米国は頼られているようですから武器供与の停止を人参バイデンが「停戦」に向けて動けばいいのです。オデッサが奪われ内陸国化する前に。”

”お。なんか声届いているんだね。よかった。”

2022-04-13

anond:20220413174355

まあ文系勉強できない層の受け皿になってるところはあるよな

それがなぜかって勉強できなくてもなんとかなってしまう程度の学問だってこと

2022-04-12

趣味類型

休みの日にあなたは何をしているだろうか。 Youtube を見ている?アニメを見てる?競プロをしている?

お金をもらうわけでもなく自発的に行うそれらの活動趣味と呼んでも差し支えないだろう。 人生を豊かにするためには趣味の充実が不可欠だ。 私は趣味は以下のような4つ種類に類型化できると考える。

体験型体験することに価値を見出す。 登山釣り旅行スポーツなどこれに該当する。

求道型は能力の向上に意味を見出す。 数学競技プログラミングなどの学問的なもの将棋筋トレなどが該当する。

また、消費以外の全てのタイプ趣味は求道型の要素を含んでいる。 スポーツ釣り、絵を描く、どれも能力の向上も重要目的だろう。

しかし、それらは求道型とは異なる。 なぜなら多くの場合能力の向上自体目的ではないからだ。 (もちろん人によって例外はある)

創作型は自分で何かを創作することに価値を見出す。 絵を描く、音楽を作る、小説を書く、編み物をする、歌を歌うなどがこれに該当する。

消費型は消費したコンテンツ自体価値を見出す。 見た映画面白ければ嬉しいし、つまらなければがっかりする。

私はこの4つのうち全てをバランスよく行うのが最適だと考える。 少なくとも現状は消費型に偏りすぎている人が多いと感じる。 私の場合で言えば YouTube を見すぎている。

消費ばかりをしていては人生は豊かにならないのではないか最近私は考えている。 問題はそこじゃないとつっこみが入りそうだが。

(追記)

コメントを読んでいると同じ趣味でも異なるタイプとして受容されることがあるようだ。

前述した類型化は趣味のものというよりも趣味に対する向き合い方の類型化と捉えたほうが良いのだろう。

anond:20220412075336

現実と向き合うのをサボり理念とか理想矛盾無視した、文系学問人の陥りがちのやつやね。

  

レトリックを駆使して論文をつくって、全ての結論を「啓発の徹底を図る必要がある」とかいう万能ワードで片付け、実際にどうすればそれができるか……というか、出来ない現実をどう生きるかという話と向き合わず学問してる。

そういう風になると、相手の論の不備にぴったり対応したレトリックを出力するだけの装置であり、オブザーバーとして呼ばれた会議でやっていること実はレスバでしかない。

 

オブザーバーのうちは、実は一応役割をはたしているんだけど(オブザーバーときに揚げ足を取られないために実務者が助言を求めるているからだ)、やることが批判でなく提案になると途端にバグを起こす。より良い方法を考える訓練なんかやってないからだ。

ここに問題点がありますよと指摘したら成果になってしま社会文系学問において、一部問題があるけどこれがベスト、みたいな実務的答えはむしろ出してはならない。出したことが無い。出したことが無いからどういう反応が返ってくるか考えたことがないし、自分自身一貫性を求めたこともない。

 

そういう態度のことを、自分たちでは「理想主義」と呼んでいるが、実際は現実無視しているだけだ。

学問自体にそういう構造を産む土壌がある。シンクタンク的な現実大事就職先もないしね。

かなりどうかと思う。

2022-04-07

anond:20220407184933

数学出来るのが偉いのではなくて、数学出来ないのは学者として資質がないと言ったほうがいい(文学歴史神学といったルネサンス以前からあるごく一部の分野ーこっちのほうが学問としては正統だがーを除いて)

数式を使わないで、自然言語だけで厳密に論理を展開できるのであれば問題ないけど、そっちのほうがはるかに難しい、てか究極的には不可能

2022-04-06

anond:20220406210659

まー学問政治も娯楽も何もかもがバカだらけになった結果が今の世の中だから

公共のことはバカに任せて、バカお断り自分の国を作るしかないんだよね

2022-04-04

anond:20220403202350

学者であるより活動家である連中が跋扈しすぎ

活動家は、自分党派の手勢を増やして、反対党派を根絶やしにするのが本分

フェミ活動家は、学問価値なんかどうでもよくて、自分党派の味方か敵かしかみていない

活動家をやるなら学者をやめて、本当に学問能力のある人に席を明け渡してほしい

2022-04-03

ウィル・スミスの件を見ると失踪した兄を思い出す

もう10年近く前になるが兄は両親へ紹介したい人が居るとして婚約者を連れて来た。
いやそもそも連れて行こうとする段階で私も含め家族全員が会うことを拒否した。何故ならば兄の結婚へ対して反対していたからだ。

兄は唯一の男の子実家農業の跡取りだった。
兄は両親の期待へ応えるため高校大学農業を専攻していたが、実家現金収入の少ない貧乏農家であったため、父は息子へそのようなもの継承させるわけにはいかないと自分の代で我が家は離農することを決断した。
母もまたそれを了承したが兄はそれに関して怒った。
当然だ。兄からすると高校大学農業を専攻するという青春を費やしてきたのに突然の離農宣言は受け入れられるはずがない。

両親のやり方も悪手だった。
意気揚々農業学ぶ兄の学生時代に離農を決断していることを伝えず、卒業が見え始めると両親は一旦社会に出て学べと言って兄はそれを信じて大手農業関連企業就職した。
両親はその兄へ離農を言い出しにくかったようなのだ
まだまだ跡取りなんか中卒で十分と言う価値観が多くある当時の田舎で、兄はこの時点で近隣の集落では例がないしっかりと高度な学問として農業を修めた唯一の人で、俺が実家を守り立てるんだといつも言っていた。

私の実家にはお金がなかった。今でもない
そんな中で3兄妹の1人が離婚して子供を2人実家へ連れ帰り、さらに困窮する可能性が非常に高かった。
兄は心根が非常に優しい人で姪甥をことさら可愛がり、寂しい思いをさせまいとしている様子がよく見て取れ、姪甥もお兄ちゃんお兄ちゃんと後ろをついて回っていた。
兄は父による離農宣言へ非常に怒っていたが、それを半ば諦めることにしたのは姪甥の存在があったからというのは大きいと思う。
母は40歳50歳くらいで農業を始める人も居るし今は一旦外で働こうと怒れる兄を説得していたので、それも考慮していたのかも知れない。

しかし外へ出れば出会いもある。兄は恋人を作り結婚を考える関係性まで発展させてしまっていた。
兄の婚約者を紹介したいという言葉私たち家族の頭によぎったのは離婚した姉と姪甥、そして結婚に係るであろう様々な費用、つまりお金だった。

両親は兄の結婚はまだ早い。30歳程度になれば結婚しても良いかも知れないがと言い、私もその通りだなと思ってしまっていた。
歳を重ねれば外での収入も増えているだろうし実家金銭負担が減るだろうと思った。
この考えがどれほどおぞましいのか10年前の私は一切気が付いていなかったんだ。

兄はこの世に生まれた瞬間から実家の跡取りとして生を受け、期待に応えるため学生時代を過ごし、両親の決断でそれを無駄にされ、両親の言われるまま就職し、30歳になったら結婚して良い、40歳になったら農業をして良いと、兄の人生に兄の計画意思など無かったのだ。

兄は行動力の人だ。
誰かから指示されたこととは言え、頼まれたことをしっかりと実行実現できてしまう人なのだ
そして心根が優しく、身内にはことさら甘い。
当時の婚約者さんから実家への挨拶を頼まれれば兄は実行してしまうだろうし、実現されてしまった。

事前に何度も兄から婚約者を紹介したいと話があり、私たちはそれを拒否した。
繰り返されるそのやり取りに兄は埒が明かないと婚約者紹介について日時を一方的に決めて強行することにしてしまったのだ。
今考えると兄がこんな強行手段に出るなんて初めてであり、その本気度は相当なものであったはずなんだ。

その当日、私たちは兄とその婚約者罵倒した。
お金目的なんじゃないか生命保険がどうのこうの、水商売女か?と、当時を思い出せば何故こうも皆が悪態を付けたのかと思うくらいだ。
お金がないという実感は人間性を失わせてしまうのか。
兄は激怒し、婚約者さんは泣いていた。

そして兄は婚約者さんを駅まで送り、実家で夕飯を取り、次の日朝に衣服も何もかも置いて居なくなった。

私は兄へ対して夕飯の際にもっと可愛い子紹介しようか?なんて冗談のつもりで言ってしまっていた。
兄が今回の件で別れることになったと静かに言うものから冗談半分にフォローしたつもりだったのだけど、何てことを言ってしまったのだろう。思い出せば涙が出てくる。
時間を戻せれば私は婚約者さんの味方についてあげたい。なんて私は世間知らずで愚かだったのか。私の家族はなんて非道なのか。

ウィル・スミスの件を見ると当時の様子はアカデミーよりも酷いと言って良い。
兄が殴りかかって来なかったのが不思議なほどと言えるし、兄がどれほど私たちへ優しかったのか身に沁みる。

兄は電話番号を変え、職を変え、私たちから連絡を取れる手段を完全に断ってしまったが、集落に残る兄の友人たちの口伝てで兄が結婚したことを兄失踪の2年後に知った。
その数年後に子供が生まれたらしいことも知った。

しか私たち祖父葬式にも兄を呼ぶ手段が無かった。
兄の友人たちへ連絡先を教えて欲しいと頭を下げたが全員が知らないと言って教えてくれなかった。
おそらく知っているが兄に口止めされている。兄の友人たちは裏切ることをしないほど兄を慕ってくれているのが頭を下げる度に知ることができた。
1人だけ風の噂だがと前置きして「どうしても葬式に呼びたいとき新聞訃報欄へ載せれば動くかも」と教えてくれた友人が居たと祖父が亡くなって数年経ったとき両親が言っていたけど、両親はお金理由として訃報欄へ載せることをしていなかった。本当に馬鹿だ。

集落でもおそらく兄が突然失踪した理由を皆が知っている。
祖父母は学問精通する兄を自慢していたし、私としても自慢の兄だった。
10年経っても兄の連絡先を誰一人教えてくれないことから兄の評価はいまだ集落内で高いこともわかる。

謝りたい。謝っても許してはくれないだろうけど心の底から謝りたい。
ごめんね、お兄ちゃん

2022-03-30

anond:20220330215231

ない。ないけど、あることにされてるよな。

発達障害」も数通りの傾向で雑にまとめられてるけど、同じことが「定型発達」にはなんで行われないんだろうな。

かつてユダヤ人とか黒人とかハンセン病とか部落とか、一まとめにして凄い雑な差別をしてきた歴史を、いろいろな学問自覚してるのに、発達障害者は例外なんだよな。

有識者とかは多分「いやこれは精神・発達医学として、名前を付けることで発達障害自身の困り具合を解消するために~」とかいうんだろうけど、それをやればやるほど病院心理センターの外部の社会では「発達障害」というものが色々なレッテル張りにされるんだよな。

その外の社会の反応こそ、「定型発達症候群」として、発達障害よりもはるかに掘り下げて調べられるべきだろうな。今後の世界のためにも

anond:20220330162444

技術の追求はゴールがないしね

学問研究員ならともかく、一般技術者なら自分が思い描いた物を作るために道具として学んだと思う(少なくとも自分はそう)

結局今ある技術でも大抵のものは作れるのに、作品数を増やさず道具数を増やす事が正しいみたいな風潮がある気がする

デブサミ勉強会も、自分が作っている物をより向上させたいなら別に良い

今すぐ作りたいものが思いつかない人には、世間業界必要としている事のために知識を増やすのは果たして最善なのか?…と

しかしたら、そろそろ今ある技術棚卸しして原点に立ち返るようなキッカケを与える方がそう言う人には有意義なのかもね

もちろん知識本棚をいっぱいにする事に生き甲斐を感じてるならそれはそれでいいと思うよ

教育実習での介護体験介護施設での無力感

費用は一万円ほど。

社会福祉法人大学を通して支払わなければならない。

介護体験とはなにかについてはこちら。

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoin/mext_00110.html

抽選介護施設に行ったあの2日間は無力感無駄を感じた。介護福祉士になるわけでもない教職志望が行ったところで、お年寄りお話を聞くしかできないのである。それ以上でもそれ以下でもない。役に立ったことなんて何もない。

特別支援学校へ5日行った方が明らかに学びがあって今も生きている。職場だって何かしらの障害を持つ人がいるけども、具体的にどう支援したらいいか先生方に教わったことや、その後学問として学んだことが、障害を持つ人を職場に受け入れる時にも、障害がない人に対してもバリアフリーに近づけることができたからだ。

教職課程は障害者や社会福祉側に寄せてほしいと切に願う。学校には高齢者より障害者のほうが圧倒的に多いのだから

2022-03-29

anond:20220329183352

学問を修める者はその限界を知りスピる

スピるのは知のある種の終着点なんだ

anond:20220329122655

学問テクノロジーが高度化して進歩するほど、それを理解できる人は少なくなり、知識現実の間にギャップが生じるからじゃないの。

自分にとって理解不能な現実よりも、自分理解・納得できる理屈で、かつ他の人が知り得ない、知らないというものを知っていることで、自尊心が保たれるだろう。

anond:20220329122633

専門板のそれも学問板でもいまだに自分たちは書いてるのは便所の落書きだって謙虚認識持ってる人そんなにいるのかな

便所の落書きって言葉自体もう時代を感じるワードになりつつある

2022-03-28

anond:20220328162549

ファミ通でこのコメントをしたなら増田の言いたい事もわかるけど

週刊女性の読者層に最近ゲームとは説いた所で時間かかるだけやろしな…

しろ求めていない情報を延々と書かれると読む気も失せる


オンラインによるランキングやら通信対戦の要素何てゲーム歴史においては最近事で、基本学問というより専攻だ

ゲームは端末内で完結するっていう前提で話した方が、年齢とわず伝え安いからこれはこれでいいんじゃないの?

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