はてなキーワード: 体感とは
株をもってるだけの経営役員と違うのは会社の業務の長だってこと
なので実務はないのでだれでもこなすことができる
小学生でもできる
実務がないのでひまつぶしにしてることが社長の仕事だなんていわれて社長の仕事ってなんだという疑問がおきることもしばしば
出すことができる事とだしていい事とだすべきというのは全然別のものなのだけど
命令をだせるからえらいとかえらいから命令がだせるということで意味不明な儀式や業務を押し付けるやつもいます
業務ならば仕方ないので社員は業務規約範疇内でがんばりましょう
社長がいないと?
会社の税制配分や運営を税務署などがしてあげなくてはいけなくなります(責任者つまり自分が罰をうけるのでちゃんとしろという人がいなくなる)
業務も管理や評価をしてくれる人がいなくなります(一番上がいなくなることで下を評価する制度が瓦解するので個人評価つまり個人事業主団体になるけど社長は承認をしているだけで実際の業務はしてない)
社長がいると?
会社が社長を軸として一点からトップダウンで業務を透明化できます(知らないところでしらない利益や損失が発生しない)
職員の責務について責任性が軽減されます(下の役職から順番に職務における業務判断ということで個人と役職数で割った数だけの責任性になりますゼロなら責任制ゼロで管理監督者責任)
これらはあくまで仕組み上のものなので体感としてはひまなときに社長がなにをしているのかというのが実質的な評価だと思います
小学生が社長で大企業を運営しているのだとしたら評価の基準点が小学生かよとか責任を割る分母が小学生かよといったところで不満がでてくるかもしれません
某自由のゲーセンが閉店してしばらく経った。体感的にはもう結構経った。
寂しいのはそうだし、単純に自分が通える範囲内ではあそこの台が一番よかったから、他店でのプレイにまだ慣れない。が、なくなってしまったものは仕方ない。
通っていたゲーセンが閉店するのは二度目だ。高校生の時は凄く悲しんだ。ゲーセンのあった建物自体がなくなったし、今も多分更地だったはずだ。今回は悲しいというより、寂しかった。受け取る人間の情緒の発達か。
さて、自由のゲーセンが無くなって、多くの人は他のゲーセンに移民した。私がライバル登録している女性もその一人だ。いつか声をかけたい、かけたかった人だ。その人を先日他のゲーセンで見かけた。
結果から言えば、声をかけることはできなかった。これからも二度とそんなことはできないだろうと思った。
プレイが終わって隣の待ち椅子に座ってくる彼女に、何も話せなかった。前のゲーセンならまだ、気持ち悪がられても彼女はここに戻ってくるだろう、そんな気がしていた。でも今は違う。何かヘマをしたら二度と彼女に会えない気がした。だから声をかけられなかった。
テキスト代2万払って半年無駄にしながら嘘で作ったキャリアプランを圧迫面接を受けながら披露する練習をするところと感じた。
技能の実習はおまけというか、エラそうなおっさんが古い設備を古いやり方でやってるように見えて、ただ辛い儀式を与えて一体感だけ得る軍隊的なアレだ。
失業保険で行くかと言われるとだいぶ厳しい。
資料に書いてる主な就職先企業を検索したら休日少なくて退職金もないところばかり。
賃金情報の全年齢層が18万~25万も疑問。細かい賃金を開示したら入校者が減るから伏せてるのか、昔はもっともらえる就職先があったのだろうか。
なんにせよ早々に辞めてどこかの非正規に潜り込んだほうがマシだ。
入校2日目だが、もう辞めよう。
自分でも何が言いたいのかわからないんだが、自分の居場所がわからなくなる感覚がしてしまった。
自分は関東のとある県の田舎から、東京の大学に通うために上京した。
その後就職し、しばらく埼玉神奈川に住み、ここ2年都内に住み始めた。
自分は引っ越し魔で、上京してから15年間で9回引っ越ししている。
仕事の都合で引っ越したことは一度もなく、パートナーの都合もあるが、何となく環境を変えたくなったらすぐ移動してきた。
こんな感じだから、あまり地域の人と深い付き合いをしてくることがなかった。
だから「好きな街」や「第二の故郷」といったフレーズにまったくピンとこない。
田舎のやることの無さや会話レベルの低さは体感しているし、東京の素晴らしい利便性や23区民のマウントも体感している。
また郊外生活も長いため、23区に憧れを持つ人々の、「中間」な雰囲気にもどっぷり浸かってきた。
前置きはこのあたりにして、あの投稿を見たら自分の生い立ちというか人生に全く根が張っていない感覚を覚えてしまった。
医者を目指しているあの学生さんは、きっと自分の生い立ちに確固たる自信を持っていて、戻るべき場所のようなものを持っているように感じた。
かといって故郷に戻りたいとも思えない。こんな性格だから、人付き合いを強制されたり、常に見られているようなあの感覚がどうしても嫌なのだ。
何を言いたいのか自分もよくわからないのだが、根が張っていない、戻るべき場所がどこにもないことに猛烈に不安になってしまった。
わかる人いるかな。どうすればいい?
東京にも郊外にも地元にも海外にも、どこにも自分の居場所が無いみたいに感じてしまうんだ。
助けて欲しい。
小説家になろうに投稿される作品は体感9割は男性向けの作品なんですけど、
男性オタクは熱っぽく冷めやすいという、なんとなくそうなんじゃないかなーと思っていた事象を証明してもらったような気持ちになれます。
友達からとあるソシャゲをしないかと誘われて、私以外の友達グループ全員がそのソシャゲをしているんだけど、やっぱりソシャゲってお金と時間の無駄なのね。
無課金でソシャゲを遊ぼうと思うと時間がたくさん消費されるし、時間節約のためにお金をたくさん使うのもなんだか無駄な感じです。
お金持ちで、お金がはいて捨てるほどあり、そのお金を課金するのはきっと大丈夫なんだろうけど庶民が何万何十万とお金を消費するのは賢くねえ。
独身ならまだ、自分のためだけにお金を使えるけどこちら結婚してるから教育費や老後資金を貯めなくちゃいけない。独身でも自分の結婚資金、将来のために貯金するのが賢いけどな。
(追記)
ソシャゲのガチャはギャンブル性があるので、欲しいキャラ出すためにお金を無駄にするのもったいない→低俗な趣味だと思っている。
ソシャゲはスマホがあればどこでも遊べて退屈しのぎにはいいし、「○万円かけて欲しいキャラが出なかった~」とTwitterで呟けばすぐ同志に慰めてもらえるし(承認欲求が満たされるネ)、ソシャゲを通して赤の他人ともリアル友人とも繋がれるからユーザーの一体感があって楽しいのわかる。でも、ソシャゲは落としきり、買いきりのゲームに比べたら低俗で嫌な趣味だと思う。
私が多少お金をかけてでもやる価値があると思っているのはスポーツ。普段家でゴロゴロしてて、週1でも本気でスポーツをしている人と、ずーーっと家でゴロゴロしてて何にもスポーツしない人なら週1でもいいからスポーツをする人のほうが絶対に好き。
それから、旅行はお金の無駄にならない趣味だと思っている。特に海外旅行は若いうちから行くのが楽しいと思う。年寄りになってしまうとお金は貯まってても足腰が弱っていて、若い肉体のときほど長距離旅行が楽しめなかったりするから。海外旅行はやっぱり非日常な感覚が面白い。
私は
タバコを吸っているとき、自分が生きている人間であるかを繊細に感じられる。人は生まれてから
何も知ることなく、そして失うことなくぬくぬくと生きてきたならば、自分が生きている一人の人間
であることを痛感することはないように思える。私は少なくともそうであった気がする。確かに現時
点で生存していて、やがて死を迎えることに変わりはないのだが。
そのほかにも、人間の『死』を目撃したとき限りなくそれに近い感覚を覚えることがある。人間は当然
だが生きた状態で生まれてくる。無意識的に生きている。臓器を動かすことも全身に血を巡らせることも
そうである。当然、何かの病を患わない限りは心臓が止まった感覚や全身の血が止まった感覚を体感する
ことはない。生きていることも同様であるように思える。要するに、心臓発作で心臓が止まった人を目撃
すると自分の心臓が、一瞬苦しくなるように、誰かの死を目撃すると疑似的ではあるが死に限りなく近い
感覚を感じているように思える。ただ、このような感覚には重要な点が一つあり、その感覚をもたらす
ファクターが他人であるか自分であるかによって感じ方が変わってくる気がする。その中でも「死」という
のは不可逆的なものであるからして、それと同一の体験を経験の中に蓄積することはできない。
だが、もしも自分自身がファクターとなって「死」に類する感覚を体感できたとすれば、それは
この世で最も本当の自分自身の『死』に近い経験であると思う。私は、喫煙しているときこの感覚に
全身が支配されているような気がする。喫煙は一般に寿命を縮めるとされる行為であり、それを
習慣的に行うことは一種の長期的な自殺行為である。喫煙するたびに「死」が迫ってくる。
この事実が自分自身に一種の臨死体験的感覚をもたらしているのではないか。
当然この体験のファクターとなっているのは喫煙行為を行っている自分自身であるからして、
いい加減禁煙したいお。
すごいわかる。ネットでは叩かれまくっってた。主に2chや支部。
Pixivから腐女子を隔離しろという主張がまるで正論であるかのように議論され出した時は驚いた。あれ2010年あたり?
今でも「Pixiv 腐女子 隔離」で検索すると出てくるけどそれはごく一部。当時の腐女子叩きの嵐みたいなものは体感してないとわからないと思う。
イラスト晒されたり最低の評価点つけて回ったり、コミケのブースまで来て粘着されたり、あまり活動してなかった自分ですら体験している。
ところが反面、オフ会などリアルで会う美少女アニメ好きな男オタクの方々は腐女子だからと見下すようなことは絶対になかった。今でも「クソフェミ」などとはリアルではもちろんSNSであっても絶対言わないし、碧志摩メグの時も「あの乳袋で自治体公認キャラはちょっと」のうりんの時は「よりによってなぜあのポーズ、あの表情をポスターにしちゃったのか」と(規制への危機感は別にして)何が問題がきちんと理解してた。ネットやSNSで女性やフェミニストを叩いている層の言説って実は現実世界ではほとんどお目にかからない。
自分の周囲に限った話なので一般化はできないとわかっているんだけど、こういう経験してるとどうしても、今ネットでフェミや女性を叩いてる男オタクの方々と、昔腐女子叩きしていたネットでしか出会わない男オタとが重なってしまうんだよね。攻撃的な口調で、論破してマウント取りたがる特性も似ている気がしてしまう。
性自認と身体&戸籍の性別が異なり、かつ性自認と逆の性別を恋愛対象と認識するトランスジェンダーです。
しかし、必ずしもこのような説明がすべての人にとって腑に落ちるわけではないので、
相手の理解に応じて、非性別違和の同性愛者である、といった認識をしてもらうことを落としどころにすることも多々あります。
自分が何を好きだか、を誤解されるのは面倒ごとが増えるので、そのあたりは説明しますが、
自分という総合的な存在を、他の人がどう認識するかをあまり重視していないので、そのあたりは柔軟にケースバイケースに対応している感じです。
なので、時と場合によって自分は男性だったり女性だったりするので、個人的な経験則による体感としては、性別って割と適当にいったり来たりしてても案外問題は起きないんだなあ、という実感があります。
何で今の所これに落ち着いているかと言えば、これが自尊心を失わず、かつ、社会から異物扱いされて不利益を被らないギリギリのラインだからという感じですね。
ジェンダー規範がかっちりしているところにお邪魔する時は、それなりに(折り合いが付く範囲で)あわせつつ、
基本的には自分の認識するジェンダーで過ごしている感じになります。
まあいろいろな人がいるとは思いますが、そういう人間もいますということで、一例としまして。
追記として、個人的なライフハックとして、(バーチャルの世界ではなく、リアルの世界のほうで)一日ぐらい逆の性別や異なる性志向の人間という設定で生きてみるみたいなのをみんなやってみたら面白いかもしれませんね。案外誰も気にしてないのがわかるかと思います。
(ここでいうのは女装して女子トイレにはいるとかそういう話ではなく、性別違和の人間のロールプレイをしてみるということです。)
もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。
(することになった,というのは,したくてしたわけではないからである。)
人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。
どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。
そのとき,書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。
これは遠い昔の一受験生の出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。
時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。
大事な試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。
人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。
その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。
なお,前提として,私は小中高と地方の公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。
高校時代は部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。
それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生初のものだった。
第一志望しか受験していなかったので,選択の余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止めで合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。
それくらい,浪人するということについて,落胆していた。
同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくとももう一年,いろんなものを我慢して勉強に向かう生活を余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。
ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまったことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。
現役で大学生になる身近な同級生を想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまったことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。
今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。
またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。
そうだとすれば,まだコントロール可能な範疇に属している,未来を変えることで,過去の出来事の意味合いを変化させるしかないのではないか。
来年の合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。
期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか。
以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。
再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実に合格できなければ全く意味がない。
このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。
目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。
自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。
そうなるためにはどうしたらいいのか。
受験において,本番で出題される試験問題そのものはコントロールできない。
自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。
そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分の順位としては,一定の幅が生じると想定した。
自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置が自分の実力を示していることになる。
受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることである。そもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。
自分の実力を客観的に見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないかと分析した。
この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。
以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。
このようにイメージした。
次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。
ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。
それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。
先に述べたように,受験の本番では,試験問題はコントロールの範囲外である。受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験の現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである。
この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題で時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。
また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。
これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。
受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率で得点につなげられるようにしておかなければならない。
その観点から,模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。
知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである。
一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。
「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態は絶対に起こしてはならない。
そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。
その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。
以上は基本的に自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較の視点も生まれていた。
正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである。
自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから,試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。
このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単な問題でも意外と間違えてしまっているのである。
この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機を見出した思いがした。
とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。
難問というのは,どんな問題が出るかもわからないから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。
しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。
時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。
以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。
自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強(塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。
より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである。
知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである。
復習は徹底的に行うようにした。特に記憶が重要となる社会の科目などは,一日の勉強の最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。
具体的には,使っているノートを基準に最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間は一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。
ノートの最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。
これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。
そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。
当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。
以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。
これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要な試験だった。
「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学別模試で100位以内に入ることを目標としていた。
当時,志望学部の合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。
蓋を開けてみると,夏の大学別模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。
自分で定めた目標をクリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。
想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。
(それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)
しばらく経つと,もう一つの大学別模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分でもびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。
ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。
その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学別模試では13位と14位という結果だった。
受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。
予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。
合格を確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。
方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。
全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。
それを前提として,自分の浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。
まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。
何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。
「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験の優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。
それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。
「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である。
そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。
時間にしろ,エネルギーにしろ,資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態に自分を持っていくことが必要になる。
不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である。
自分の周りの環境は自分でコントロールすることはできないということをまざまざと体感した。
不合格を回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。
二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。
先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。
小中高と地方の公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。
自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベルの受験生を相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。
後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまりに想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。
当時,浪人時代は灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。
生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。
浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの
まず、直径1.5mくらいに膨らむ風船がしぼんだ状態で身体にぶつけてもほぼ無感なのに
1.5mまで膨らませてぶつけると結構な衝撃を感じた
もう一つはレジ袋の口をすぼめて口を当てて息を吹き込むと、完全に膨れるまでに20秒くらい掛かったのに
袋の口を開けた状態で「ふぅっ!」と息を吹き込むと一瞬で膨らんだ
どちらも当たり前のようで、改めて体感するとびっくりした
初心者から成長するにあたって、上級者が語るセオリーを守ってよかったときもあれば、
やぶってよかった、やぶらなければよかった、と色々感じたことや、
効率よく初心者を脱するために必要だと思ったことなどを書きます。
何すればいいのかわかんねえ!毎日コツコツとか無理!
また、そういったやる気のありあまっている方は、
一般的な上級者の書いている初心者指南にもあらかた目を通しているかと思いますので詳しいシステムや用語の解説はしません。
グラブルにある程度慣れやりたいことができるようになるランク120、マグナ3凸完成くらいまでを効率よく進めることを目的とします。
本題の前に
たかが3ヶ月しかやってないやつの考えなんて参考にならねえよ、
ランク170で十天衆は4人加入1人最終。
十天衆を4人加入が2人、1人最終が26人という情報が5周年生で発表されていたので、
同じ程度の期間のプレイヤーの中ではそれなりに頑張っている方かと思います。
(アカウントを作成したのは二年ほど前なので私は母数に入っていません)
と、この程度のやつがのたまってる戯言だという前提で読んでください。
・メカニックを取る
・強化は1属性に絞る
以上です。
5年続いたゲームを後発ではじめるのですからやればやるだけいいです。
武器の強化は自発制限と貢献度稼がないと大したものが出ないという仕様上1日で出来る量に限度はありますが、
メインストーリーを進める、サブストーリーを進める、その過程で石やガチャチケを集める、
イベントを進める、十天衆の加入に向けて各トレジャーを集める、などやることはいくらでもあります。
何に使うかわからない物を事前に集めると言われてもモチベーションが高まらないとは思います。
おそらく一度でも足りずに集めに行った素材は自然に残りの数を意識するようになるでしょう。
余った時間のオススメはある程度キャンペーンクエストとエンジェルヘイローを周回しておくことです。
最初の十天衆の素材は事前に調べてキープしておくと古戦場が楽しみになりますよ。
十天衆がいなければディメンションヘイローは行く価値ないので無視しましょう。
日課についてですが、もちろん毎日16時間プレイできる人は成長しますが現実的ではないので、
効率よくステップアップしたい人は日課にすることをオススメすることをまとめます。
マグナアニマは最初はかなり足りないと思いますが、マグナを3回自発はマストです。
場合によっては島ノーマルでアニマを集めてマグナアニマを交換してでもマグナは毎日3回必ずやってください。
確定流しが出来れば十分、時間がかかったり確定流しできない場合でも自発は必ずしましょう。
これも最低限の日課に近いです。
パスポートを余らせないことは当然ですが、何よりノーマルでもSSR武器はかなり落ちます。
セフィラ武器やマグナ武器を集めるチャンスなので、特に序盤は毎日やるといいでしょう。
・トレジャー交換で虹星晶、星晶の欠片の交換
どちらも星晶塊との交換ですが、星晶塊はヘイローで勝手に集まります。
どちらも数千個単位で必要になり、周回で短期間に集めるのは困難なので必ず交換してください。
十天衆の島トレジャーは100個〜300個要求されるので大変に見えますが、実は一回で5〜10個くらい落ちるものが多いので見た目よりだいぶ楽です。
が、古代布だけはフリクエで集めるのが大変なので消費APは多いですがやる価値が十分あります。
ちなみに古物商のプライド以外の1日制限のあるクエストは日課に取り入れてもいいですが、古代布ほど大変ではないのであくまで余裕があれば程度でいいでしょう。
これは難易度がそれなりに高い(マグナの確定流しくらい難しい)のでクリアできるなら必ず。
先日のアップデートで天司マルチの自発素材が緩和されたのでクリアできるのが一つの属性しかなくても必ずやりましょう。
天司のアニマは中盤に差し掛かってきたあたりでドカンと必要になりますが、自発素材の羽は1日2回しかいけない天司EXでしか手に入りません。
また、自発素材の数が限られていることもあり救援に流れることがレア+一瞬で30人埋まるので救援で集めるには時間とストレスがかかります。
必要になったとき30連に参加できるようにEXを倒せる戦力が整ったら必ず毎日通いましょう。
碧空が確定で手に入る数少ないチャンスです。
ミッションポイントでもガチャチケ等が少量手に入るのでできる限りやりましょう。
毎日やらないといけないのはこんなところでしょうか。
それ以外はやれることはなるべくこなしましょう。
ちなみにマグナ30連はHPが低すぎて最初の頃は殴る前に終わってることも多々あるので好みで。
自分の体感としてはそれでも行かざるをえないシュヴァリエとセレスト以外は殴れないのであれば時間とBPの無駄かなと思います。
・救援について
→見かけたら必ず入りましょう。野良で失敗することはほぼありませんが、迷惑にならない程度に殴りましょう。
それ以外のマルチは適宜。
初心者の戦力で真面目に殴ってもたかが知れてるので、基本報酬は渋いです。
また、プロバハHL、アルバハN,HLに関しては救援非推奨です。
初心者がたくさん集まってしまうとクエスト失敗の可能性があります。
そもそも野良に流れてることが天司以上に稀なのでもしかしたら見る機会もないかもですが。
■ガチャ関連
・グラブルは武器を集めないと強くならないからガチャばかり回しても強くならない
これは半分本当で半分嘘です。
マグナ集めんのめんどいからとガチャ回して神石編成を作るなら100万単位で課金しないと無理でしょう。
ただしキャラやサブ用の召喚石はガチャ入手が基本になりますので、少なくとも全属性SSR3〜5体集まるまでは天井とか無視でいいです。
これはマジです。
はっきり言って短期間でステップアップしたい場合はオススメとかじゃなくて必須です。
残念ながら水着ユエルは100万ダメージ出すキャラとしては劣化ヨダです。ヨダを取りましょう。
理由は島ハードなどの周回が楽になることもありますが、一番の恩恵はやる気と半汁さえあれば古戦場で箱開けできること。
後述しますが十天衆は戦力にもなりますし、廃人気質の人には大きなモチベーションになります。
マジです。スキル餌は常に足りませんが、スキル餌よりエレメントの方が足りなくなります。
最初はルピが足りないと思うのでSSRとSRの武器はプレボから出さずに取っておきましょう。
ルピが余ってきたらSRは全砕きでOK、SSRは緊急で必要なとき以外はプレボでOKです
それなりに課金できる人はスタレとサプチケは必ず買いましょう。
■古戦場関連
これは本当でした。
自分はキャラ優先で最初の古戦場で弓と斧を取りましたが、次の古戦場までにソーンしか加入できませんでした。
初心者にとってはヘイローやフリクエを回ればいくらでも手に入るトレジャーより、
虹星晶や碧空、覇者の証など、色々なクエストで落ちる代わりに集中して集めにくい系の素材はどうにもならないので。
虹星晶はキャンペーンクエスト、碧空は共闘デイリー、覇者の証は古戦場・月末イベのボックスガチャでなるべく集めましょう。
キャラを優先して加入できなかった場合のロスはかなり大きいので、四天刃と好きなキャラの2種類を最初の古戦場では取りましょう。
ちなみに周回重視の皆さんには当たり前ですがサラーサを強くオススメします。アーカルムが飛躍的に楽になります。
・十天衆はエンドコンテンツだから初心者のうちは意識しなくていい
・ヒヒ3個コースは非推奨
こんな長文をわざわざ読んでる廃人予備軍の人にはあまり当てはまりません。
まず十天衆がエンドコンテンツといわれているのは、古戦場の箱開け、入手機会の少ないヒヒイロカネ、大量のトレジャー
また最終上限の際は貴重なヒヒイロカネがまた必要だったり、必要素材のためにヘイローの周回、古戦場の箱開け、スキル素材、、
と要素はいくつもありますが、はっきり言って全部「時間がものすごくかかる」というだけの話です。
唯一ヒヒイロカネだけは自力で入手する数に限りがありますから例外ですが、まぁ最初の5,6人分は四象降臨で簡単に取れます。
また時間がものすごくかかるとは言っても丸一日か二日くらい周回に当てれば大概済みますので、気合いの見せ所です。
また最終については、各周回数をかなり増やす代わりにヒヒイロカネが2個で済む44箱コースと、周回数がガクッと減る代わりにヒヒイロカネを3個使う8箱コースがありますが、
最終的に十天衆を全員最終したいという高い志の方でヒヒイロカネでストップしたくない人は44箱コースをオススメします。
が、最終十天衆はどのキャラも非常に強力で、最終したら比喩ではなく格段に戦力が上がりますので、
古戦場などに合わせて3個でさくっと最終する恩恵は計り知れないので最初の1人2人くらいは3個でもいいかもしれません。
自分は光古戦場に合わせてソーンを最終しましたが、100HELLソロできたり、身内アルバハHLで麻痺役で役割持てたり大活躍でした。
また、古戦場あるあるの1550万に関しては集中して強化したら届くのであれば目指すべき、とは思いますがEX+のリニューアルがあるので環境変わる可能性大なので注意。
これについては考え方次第な面が大きいですが、最低でもその属性がマグナ3凸以上の段階に進んでいなければどの道大した戦力にはなりません
少しでも団の力になりたいという殊勝な心でいても可能なことと不可能なことがあります
その場合はVH周回で箱を掘りつつHELLを自発しまくってください、団への貢献は貢献度を稼ぐだけじゃないので
メイン武器として使うことがなく適当でいい武器はこれでいいです。
不利属性は避けるべきでしょうけど、等倍なら勝てないということはないです。
特に序盤においてメインで使う可能性がある天星器は四天刃くらいですが、同等以上に強いリミ武器やゼノ武器がなければ全属性必須なので気にせず。
この属性にしたいというよりは、トレジャーが余ってるからという理由で属性決めることもありでしょう。
くれぐれも不利属性にすることだけは注意。
キャンペーンのプレゼント、メイン・サブストーリーの報酬、天司武器で簡単に手に入る武器を並べるだけでマグナ3凸は7,8割完成します。
キャラに関しても最初は上限解放素材すら足りませんから、育てなくていいです。(ルリアを除く)
最初に育てるのは1,2属性、中でも奥義の強いキャラに絞りましょう。光か闇で作れると半減されないので楽です。
特に光は奥義特化キャラが多い、メカのメイン武器に困らないのでキャラさえ揃ってればオススメです。
光闇がオススメされてない理由はSR攻刃がないこと、必須武器のシュヴァ剣とセレ拳がなかなか落ちないこと。
この二つが主な理由ですが、前述のように今は報酬だけで最低限揃いますし、
理想編成に入らないだけでシュヴァ銃もセレ斧セレ槍も普通に使えます。
武器のスキル上げは光か闇に絞って、奥義の強いキャラを育ててれば1Tで四属性マグナの確定流しは割とすぐ出来ますし、
光闇を育ててる間に毎日四属性マグナを確定流しすれば四属性の武器はそこそこ揃います。
ある程度進むと有利属性以外に耐性を持つ敵がほとんどになりますが、そいつらに挑むまでに装備が揃えばいいのです。
おそらく最初はソロの天司の試練だと思いますが、SSR化は先になるのでまだやらなくていいですし、SSR化をできるランクの頃には倒せるようになります。
・ダークフェンサー最初に目指すべき
クラス3に関してはダークフェンサー以外使い所ありませんので最優先です。
結局はクラス4やEXアビのために全部取る必要がありますが、それまで使うのはダークフェンサーとメカニックだけです。
前提としてアーカルムのSSR攻刃武器は3凸しかできないのでいずれは必ず抜けるのでポイント交換までする価値はありません。
しかし攻刃武器が一種類しかない火や水は存外揃うのが遅れるので、自然に3凸できた場合はつなぎで使うのはありです。
火
コロ銃1本(守護ですがメカニックのメイン武器用に、火は銃が本当にないので、1人目の十天をエッセルにする、かつ最終を急がない人は火にしてもいいかも)
コロ杖5,6本(マグナ2に進むまでは杖しかありませんので必須になります)
セフィラ短剣、セフィラ槍(自然に3凸できれば繋ぎに、杖が揃ったら餌)
コロ刀、コロ拳→餌
水
リヴァ槍、リヴァ弓、リヴァ杖→餌
風
ティア銃5,6本(背水が強いので基本ティア銃を使います、マグナ2に移行しても3本は必ず使います)
ティア拳3〜本(メカニックなど短期戦では拳の方が強いので持っておいても◯、4凸は銃優先がいいでしょう)
セフィラ弓、セフィラ剣(略)
土
ユグ剣5,6本(マグナ2略、基本的には剣、集まるまでは杖を繋ぎに)
ユグ杖〜3本(剣のつなぎに)
セフィラ→略
ユグ弓、ユグ短剣→餌(弓は背水で、サラーサなど背水向きのキャラもいますが攻刃がなく、マグナ2が渾身なことも考えると使い道はほぼないです)
光
シュヴァ剣〜7本(この段階ではまず揃いません、4凸してないと銃の方が強いので4凸したら入れましょう、光マグナはシュヴァ剣が全てなので武勲優先)
シュヴァ銃1〜5本(1本はメカニック用に必須、シュヴァ剣までの繋ぎとしては十分、シュヴァ剣でき次第入れ替え、土守護持ちなのでサラーサのHPを盛りつつ義賊のメインやサブに入れるとグラゼロと火力を両立できるので周回で便利)
シュヴァ琴1〜本(銃剣が集まるまでの繋ぎに、エリュシオン用に1本はあってもいいかも、ドミニオンハープや九界琴もあるので必須ではない)
セフィラ(略)
闇
セレ拳〜6本(シュヴァ剣と同じくまず揃いません、武勲交換推奨)
セレ斧〜6本(ティア銃と拳の関係と同じですが、マグナ2が難しいので水ゾいなければメカニックは斧で、水ゾがある場合は3本くらいでいいでしょう)
セレ槍1〜3本(拳斧の繋ぎに、風背水付なので風で水ゾ背水の時とか何本か入るかも、正直ほとんどいらない)
セフィラ→略
セレ琴6〜8本(守護ですがセレ琴だけは例外的に必須です、ディスペアー剣聖用としてお手軽でいいです。先に8本確保してから1本ずつ3凸していく)
武勲交換はシュヴァ剣とセレ拳の二択です。
セレ拳は毎月4本在庫復活しますが、シュヴァ剣は10本で在庫復活しませんので、毎月セレ拳を4本取った余りでシュヴァ剣を取りましょう。
ある程度プレイをしてきて各アイテムの貴重さを理解した上で、使いたいと思ったタイミングでは使っていいです。
どのアイテムも時間さえかければ手に入る物ですので後々取り返しはつきます。
絶対にしてはいけないのはヒヒイロカネをダマスカス代わりに使うことくらいですかね。
マグナ石4凸への金剛は優先して強化すると決めた一属性目は使ってもいいかもしれませんね。
精神障害を持つ方が自助的に支え合うコミュニティである"べてるの家"で、症状が悪くなる要因だと体感的に言われている表題。
略して、"なつひさお"
たとえば、借金玉さんの知見とかマジ役立つ。
あ、もともと、僕が発達が歪な可能性もあるけど。
破産者マップの件に関するネチズンのリアクションが、ASD傾向のある人の炙り出しの様相を呈してた感あるよね。
普通の社会的感覚や想像力を持っている人であれば、あれはやっちゃマズいだろうと総合的に判断できる。
でも元が官報の公開情報だから、というロジックを機械的に素通りさせて「アリ」寄りの判断を表明している人がちらほら見かけられた。
それはやっぱり、想像力の質が普通と違うからそうなっていると思わざるを得ない。
おそらく重度のASDの人であっても、条文に照らして「取得」や「公表」の違いとかを熟知してロジックを詰めていけばNGだと理解できると思うんだけど、
普通はそんな細かいところまで精査しなくても、体感的に「実質NGだろう」と判断できるんだよね。
それはそれで時として厄介ではあるんだけど、ともかくその辺りの思考パターンについて異なる種類の人たちがいる、ということが露見されたように思う。
よく若手俳優好きな人たちはファンではなく、オタクと名乗る。その一方で俳優は、自分を応援してくれる人のことをオタクではなくファンと呼ぶ。
両者に違いはあるのだろうか?
舞台に行くのは1つの公演につき数回で、SNSで同じ俳優や同じミュージカルのファンと繋がって楽しく過ごしていた。
初めてのファンイベントに胸をときめかせて、普段は舞台と客席という距離感でしか見られない好きな俳優が目の前にいることに、彼と話が出来て写真が撮れることに感動した。この時は彼を見られることが、彼の話を聞けることがただ楽しかった。
私は彼のオタクと名乗っていたものの、極めて善良なファンだった。
彼のことは結局5年くらい応援していたのだが、段々と熱が冷めて降りてしまった。
何かにハマっている時の何とも言えない充実感というのは一度経験すると忘れられない。
次に好きになった俳優は、彼が出ている舞台に出演していた俳優だった。彼のことをBとする。
Bとの出会いが私を変えた。
Bを好きになった舞台はかなり大きな舞台だったのだが、彼はデビューしてすぐの俳優で、その後の舞台は小劇場と言って良いのかもわからないくらい規模の小さなものだった。そこでは舞台の後にお金を払えば写真が撮れて、話せて、手紙やプレゼントが渡せた。
「イベントにもきてましたよね?いつもありがとうございます。○○さんって言うんですね」
この舞台の前に事務所イベントがあり、そこではお見送りハイタッチがあったが、流れ作業で覚えられてる訳がないと思っていたから驚いた。しかも手紙を確認して名前まで読んでくれた。
毎回写真を撮ってるファンはいても、毎回手紙を渡すファンはいなかったらしい。
Bは必ず前日に渡した手紙の内容に触れてくれた。出演者全員との写真撮影の時も「○○さんは僕の隣ですよね?」と言ってくれた。
好きな俳優が自分のことを個として認識してくれることの嬉しさ。これは経験したことのある人にしか分からない嬉しさだと思う。
あまり詳しく言うと誰を応援していたのかバレそうなので控えるが、ある事情でBのことは応援することができなくなってしまった。(炎上で降りたとかではなく)
格好良いなと思える俳優、凄いなと思える俳優はいても、応援したい、推したいと思える俳優には出会えなかった。
しかし、ある人気舞台を観に行った時Cという俳優に一目惚れした。
彼のパフォーマンスと笑顔に釘付けになり、気づけば次の舞台のチケットを集めていた。
Cはこの舞台をきっかけにかなり人気が出たため、接触に来るファンの数は凄まじく、積んだところで対応が変わりはしなかった。
それでもCのパフォーマンスと笑顔が大好きだから出る舞台には行けるだけ行った。全通とまでは言わないが8割は行っている。その度に手紙を書いた。
SNSで手紙やプレゼントに対してお礼を言う俳優ではなかったので、何の意味があるのだろう?と思うこともあったが、とにかく彼の演技が好きだからその想いを手紙に書いた。
しかし、物足りなさも感じていた。
Bの時に好きな俳優に個として認識される嬉しさ、見られることの嬉しさを体感してしまっていたから、ただ見るだけでは満足できなくなっていたのだ。
メジャースポーツではあるが2部リーグの観客は少なく、最前列でプレーを見ることができた。
その中で1人目を惹かれる選手Dがいた。プレーも勿論素晴らしいのだが、俳優顔負けのルックスだった。
どうしても忘れられなくて次の週Dのチームが出る試合を観に行った。
やっぱり彼のプレーは素晴らしく、そして格好良かった。
その日はファンサービスの日だったらしく、会場の中にはファン対応を待つファンが多くいた。(といってもチーム全体で数十人)
彼はびっくりするくらい良い人で、沢山話をしてくれて、写真を撮ってくれた。
家に帰っても熱が収まらず彼の過去の試合やファンがあげた写真などを片っ端から調べた。
Cの舞台に通いながらもDのことが忘れられなかった。
しばらくCの舞台がない期間があり、そこがちょうどDのリーグ戦の時期と重なっていたので、行ける限りDの試合に行った。
試合を見に行くほどチームや競技のことも分かるようになり、試合を見ることもどんどん楽しくなっていった。
そして試合終わりには毎回出待ちをして差し入れと手紙を渡しDと話をした。
Dのファンで遠征をするほどの熱心なファンはおらず、Dはあっという間に私のことを個として認識するようになった。
前に話したことも覚えていてくれてそれについて向こうから話題を振ってくれたり、髪型を変えれば気付いてくれたり。
私はDのことをこんなに知ってるし、Dも私のことをこんなに知ってくれてる。チームメンバーにもDのファンの子だと認識されている。会場内で会うと(選手は結構うろうろしてる)向こうから挨拶をしてくれる。
追っかけやオタクと無縁な人にとっては、くだらないと思うかもしれないが、これがすごく嬉しいのだ。
舞台の上でのCはやっぱり輝いていたし、好きだ、応援したいと思った。でも、Cにとって私は何万人といるファンのうちの1人でしかないのだとも思った。
ある日CのCD発売イベントが発表された。どうしてもスケジュールが確保できず、必要最低限の枚数だけ買って、イベントにはいかなかった。
その内容をざっくり言うならファンの力は凄く助かっているが、オタクになられると困るといったものだった。いくら積まれてもそれによって対応を変えるつもりはないと。
Cの接触でいくら積んでも個として認識される事はない、あっても向こうはそれで態度を変えたりしないのでは意味がないと思ってしまったのだ。
私は接触イベントで、一方的に俳優を見るだけでは、一方的に想いを伝えるだけでは満足できなくなっていた。
今でもCの舞台には行っている。
ただ自分が面白いと思う舞台だけ、自分の見たい回数だけ、見るようになり、接触イベントにはきっぱり行かなくなった。
結局のところ、自分の好きな存在を見るだけでは満足できない、見られたいと思ってしまう限り私はファンではなくオタクなのだろう。
私はこれまでライブもライブビューイングも行ったことなかったんだが、画面越しでは何度か見たことがあった
メディアで話題になりがちな陽のヲタクとか、声優好きなヲタクとかではない、「それ以外」のヲタクはかなり多いと思う
理由は長くなるので省くが、ゾンビランドサガはそういう層のヲタクに結構刺さったらしい
これは5chやTwitterを1クール以上観察して感じたことだ
※もちろんアイドル好きオタクにも刺さったが、全体の割合は体感少なかったと思う
アイドルやアイドルアニメについて議論するシーンでも「他見てないから分からん」が多数派だった
だから今回が最高だって言っても、Twitterで5万ツイートされトレンド入りしたとしても、他のライブと比べてどうたったかという答えは出づらいと思う
でも、視点を変えれば今回は「アニメの一部として」最高だったんだと思う
普段ライブを見ないような人達が最高だったと言っていたら、その理由しか考えられない
そもそも、このアニメはライブ押しの方針がなかったのか知らないが、歌って踊れる声優は半分と言った所だった
その割に難度は高く、楽曲を収録する際にも音楽担当に何度もリテイクをうけながら作ったらしい
視聴者も「実際にライブやる用じゃないよね」という感想だったと思う
歌うだけでも何度もやり直しを食らう楽曲を、経験が乏しい人が激しいダンスありのライブで歌うのは相当厳しいだろう
だからファンも声優ライブはおまけとか記念程度に思っていたと思う、少なくとも私はそう思っていた
12月に行われたサイゲフェスは実際にそのくらいの出来だったし、ファンも内情を理解して「みんな頑張っていたな」という感じの感想だったと思う
それでもアニメがそもそも素晴らしかったのと、「頑張っていた」のがアニメ内のフランシュシュと被っていたので十分感動的で好評だったのだけれど
今回のライブはそんな初々しさまみれの状態で行われた、初単独ライブだった
ファンの間では「ライブには何を持っていけば良いのか」「何を着ていけば良いのか」「立つのか座るのか」「サイリウムは買えば良いのか」「どこで買えるのか」「いつ行けば良いのか」と言った初心者丸出しの質問が相次いだ
ほとんどがライブビューイング参加だったからというのもあると思う
明確に回答できる者も少なく「俺はこうする」「周りに合わせる」などという腹の探り合いに発展しているのは面白かった
当初BD購入者先行抽選で、1000人の箱で行われる予定だったこのライブは、アニメの人気によってライブビューイング69劇場の追加が決まり、
運営の柔軟な対応によりファンはこぞって応募し、ライブビューイングはほとんど満席だったらしい
※ちなみに私のBD抽選は落選、ほとんど皆落選してた(倍率10倍位?)
アニメを見ているのか、声優ライブを見ているのか一瞬わからなくなるくらい、というのは言いすぎではない
違うのはせいぜい髪の色と次元くらい
これは錯覚する
思えば伏線はあった
本作のキャスティングはキャラクターと中の人が似ているように作られている
演技も「できるだけ素に近く」のようなオーダーを受けるくらいで
そして3ヶ月前の、まだ慣れていないパフォーマンスも、思えばまるで本編第三話のようだった
普通は他の仕事がある中、3ヶ月そこらでそんな完璧にはならない
皆そう思っていたはずなのに、彼女たちはやってのけた
しかも作中の曲をほぼ全部やった、3ヶ月前より7曲増え計9曲ある状況で、「すげぇ本物だ!」というくらいまで仕上げてきた
その「行間」がモロにアニメと被ってしまって、1曲目から勝手に涙が出てきた
誰かが「こんなのアニメの続きじゃん」とか言ったが、よもやそんな、昨日までなら一笑に付したであろう世迷い言を首肯する日が来ると思わなかった
元々作中の楽曲はよく練られている
「泣けば良いのか笑ったら良いのかよくわからないアニメ」と評されるだけあって
アイドルっぽい曲というよりは、友情・努力・勝利・生き様・死生観・家族愛・応援のような感情を揺さぶる曲が多い
一定のパフォーマンスが出せたら、感情を激しくシェイクするようなポテンシャルを持っていたのだが、それが完全に発揮されていた
と、この時点で十分絶賛するレベルなんだが、あと何点か追加ポイントを挙げたい
これは流石に「マジか」と呟いてしまった
だって本編に少ししか出ていない、2期があれば確実に絡むだろう重要な存在ではあったが「まさか出さないだろう」と思われていた
そのBDにしか付いていない楽曲は評判がよく、「出たらいいのに」とはよく言われていたが、練習もかなり必要なわけで・・・
しかもそれに対してファンが「まるで本当にトップアイドルが来た」かのような反応でこれまたアニメと被る
何で君たちBDにしか付いていない曲で乗れるんだ、ああ全員BD購入者だった
まんま本編じゃないか
こういう、大体100点だなというラインにさらに乗せてくるのはゾンビランドサガらしい、多方面から出るアイディアを何故か上手く昇華できてしまっている
かなり歌詞をこだわってくるタイプだったので脳の処理が追いつかなかった
眼の前のライブと、歌詞と、本編とが脳内でグルグルグルグルしていた
「これからもっと飛躍していきたい」という声優フランシュシュの状況が
同じスピードで完全再現していったら絶対面白い(ちょっと追い越しちゃったけど)
今回のライブの成功が記事になったのだが、作中と同じような写真の構図で記事にしているところがいくつかあった
演者、ファンどころか、メディアまで一緒に再現に加担しているのがとても楽しい
私がいた新宿ではめちゃくちゃ盛り上がった
あとやっぱ音響がいい
夜の部は家で見たが、5割り増しで良かったと思う
まだ語りきれていないが一旦ここまで
とにかくここまでアニメそのものなライブは見たことがなく、ひょっとしたら今後もないかもしれない
(でも次は佐賀でやるらしいから、また一歩アニメに近づくかもしれない。最後に一つ足りないとしたらたえちゃんだね)
衣装も極力アニメに合わせるし、「どういうストーリーの中での歌か」という文脈を大事にしていた
セトリはストーリーそのものだし、ファンを巻き込んでストーリーの一部にしてしまうのは上手いなと思った
この求心力はやっぱり本編ありきなんだと思う
お前まじ伝説やん
昼の部最高だったから見て
参考
https://zombielandsaga.com/event/detail.php?id=1070824
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ところで田中美海はここ最近、プリパラとWUGとゾンサガで同時にアイドルしてたってマジ?
To my Dearest、指先まできれいだった、2番難しすぎワロタ