はてなキーワード: 「YES」とは
NON-EDIT TALK : MY LITTLE LOVER featuring AKKO*華原朋美
華原:
こんばんは、華原朋美です。今日は7月り2日です。うーん? そろそろ夏ですかね。7月って言えば……、そうですね、夏ですかね、やっぱり、これから先は。今日の私の格好を見ても夏っていう感じなんですけども、みなさんはいかがですか? 今日のゲストは、私、すっごいドキドキしてます。MY LITTLE LOVERのAKKOさんです。よろしくお願いします。
AKKO:
華原:
いやぁ。
AKKO:
華原:
AKKO:
いや、なんか夏にはぴったりかなって。
華原:
AKKO:
朋ちゃんも真似したんですか?
華原:
AKKO:
好きですか?
華原:
AKKO:
いい感じ?
華原:
いい感じです。
AKKO:
華原:
ああ、やっぱり女性ですね。なんか、女ですね。
AKKO:
そうですか? いやいや、朋ちゃんもね。
華原:
いちおう、女を装って。あの、今日は、いろいろ聞きたいことがたくさんあるんだけど、歌を歌うのにつながる今までの人生ってあるじゃないですか。
AKKO:
うんうん、うん。
華原:
でも、いろいろなスタッフの人から話を聞くと、情報を集めたんですよ。昔は音大に通ったり。
AKKO:
華原:
これは私もそう思ったんですけど、バレエを。
AKKO:
うん。ちょこっとね、バレエは。
華原:
そうですか。
AKKO:
朋ちゃんはやってたんですか?
華原:
やってたんですけどね。
AKKO:
私ね、新体操やってたんですよ。
華原:
新体操って、これ?
AKKO:
そうそう、リボンとかボールとかなんだけど。だから、新体操の基礎ってバレエだから、それでちょっとね、やってました。
華原:
リボンやりながら歌いました?
AKKO:
歌わないよ。
華原:
AKKO:
あ、本当に。
華原:
うん。あの、平均台、10cmぐらいしかないんですけど、そこの上で転回やったりとかしてたんですけど。
AKKO:
危ないですよね。
華原:
危ないですよ。
AKKO:
怖いですよね。
華原:
落ちちゃった時とか、もうどうしょうもないほど痛かったんですけど。
AKKO:
なんかね、歌ったり踊ったりがとにかく好きで、ずっと。ちっちゃい頃から。だから新体操、まあ踊り、とにかく一回ハマって。まあ、それを終えて、「今度は歌か」と思って。音楽大学行って、声楽とか勉強して今に至るんですけどね。
華原:
やっぱり、音楽っていうものに関しては、自分は生まれつきすごく「それしかない!」って思ってたところってありますか?
AKKO:
いや、「それしかない!」っつうよりも、本当にただただ好き。好きでたまらない、楽しくてたまらないものが、本当に踊りと音楽だったんですよ。でも、ちっちゃい頃からね、「みんなの歌」とかなかった? ああいうの片っ端から歌ってみたりとかね、一人で勝手に部屋で歌ったりとかね。本当、それだけでもすごい楽しくって。
華原:
あの、私も「みんなの歌」みて歌ってても、私は一人で歌ったりとか出来なかったんですよ。みんなで合唱とかやった時、一回だけ自分が一生懸命歌えるっていう感じで、あの、その本を見た時、いちばん初めの印象ですけど、本を見た時に、恥ずかしいなって思っちゃったんですよ。そういうのってないですか?
AKKO:
わかるわかる。
華原:
なんか、「これ、私が自分で歌うんだ」って思った瞬間、すごい恥ずかしくなって。
AKKO:
でも、だって、隠れて歌っちゃえばいいじゃん。そういうのは思わなかったの?
華原:
AKKO:
私、逆にね、合唱とかのほうが恥ずかしかったかな。なんか、となりの人の声と聞こえたりするじゃない。で、自分の声とかも聞こえちっゃたりするのが。それだっら、なんか一人で歌ってたほうが、なんか好きだったかもしれない。うん、そうだなうん。
華原:
それはすごいプロですよね。なんか、私はそう思うんですけど。あの、合唱コンールの時に………、ごめんなさい、私の話で。
AKKO:
ううん。
華原:
合唱コンクールの時に、あの、ソプラノのパートを歌ったんですよ、私。で、ソラノのパートを歌える人がそんなにいなくて、私ともう一人ぐらいしかいなかったんすよ。
AKKO:
あら。
華原:
それじゃあもう声が、今から考えるとね、声が届かなくてしょうがなかったのになんでソプラノとかを歌えたのかな? って。恥ずかしいと思いながら声を出すってうのは、すごく見てる人が楽しむところなのかなって、今は思うんですけど。
AKKO:
なんか、見てる人も歌ってるほうも楽しいよね、歌とかってね。
華原:
踊り踊るのと歌を歌うのって、とにかく好きだし。私も踊るのも好きだし、歌うも好きなんですけど、でも、それを一緒にするのはなかなか難しくて。で、いつもフンの人から手紙とかもらって、そこに書いてある文章を読んだりすると、「左手、右が、どうしてこんなに動くんですか?」って。私はあの、「それは振りですか?」ってかれるんですけども、「振りじゃなくて勝手に動いちゃう」っていうふうに言うんでけど。で、ビデオ見たんですよ。
AKKO:
何の?
華原:
全部。
AKKO:
華原:
はい、全部見ました。
AKKO:
華原:
AKKO:
いやぁ、私はもうぜんぜん。
華原:
いいなぁとか思ったんだけど。
AKKO:
いやいや、私もやっぱり、まだやってみたことはないけど、踊りと歌を合わせるって、まだ自信ないなぁ。やってみたいけど。ジャズダンスとかも、多少習ったりとしたことあるけど、難しいよね。
華原:
難しいですよね。あの、アルバムの中で、アルバムの中じゃないけど、♪いつかHEY! HEY! HEY! ~って、あるじゃないですか。
AKKO:
デビュー曲なの。
華原:
あれ、私、すっごい好きなんですよ。
AKKO:
あ、本当に。
華原:
私、あれ聴いて、「いつかはHEY! HEY! HEY! に出て上いってやろう」とかってました。
AKKO:
あれ? その頃ってまだデビューしてないんでしたっけ?
華原:
いや、いろいろしてる時期だったんですけど。
AKKO:
あ、そうか、そうか。でも、いい歌詞ですよね、なんか。意外と前向きだしね。HEY! HEY! HEY! ~とかいって投げやりな感じだけど、じつはね、かわしてる感じでもんね。
華原:
あの歌はすごいいいですね。あと、「Hellow again」もうメチャクチャ好きです。
AKKO:
あ、本当に。いやぁ、嬉しい。
華原:
プロモーションビデオ見たんですけど、半袖でマフラーをしてるじゃないですかAKKO うん。
華原:
それは、やっぱりあのマフラーには何かあるんですか?
AKKO:
いや、私が考えついたことじゃないんですけど、その時のアートディレクターの藤さんていう方がいて、その方がなんか発想して。そういうふうにTシャツにバーバーのマフラー。すごい可愛いですよね。
華原:
可愛いなって思いましたね。
AKKO:
私もびっくりしちゃったんですけど、でも、それはその人の。
華原:
なんかあれですよね、「Hellow again」っていうのは、昔からある場所。昔かにる場所っていうのは、AKKOさんの中でどういうところですか? 昔からある場所。
AKKO:
昔からある場所? どういうところなんだろうな? けっこう冒険が好きなんで、んまり留まってないんですよ、私。だからね、ちょっと。ごめん。
華原:
ううん。あの、私は自分であの曲を聴いて、自分が、朋ちゃんが昔からある場所ていうのはどこなんだろう? っていうふうに探しちゃったんですけど。
AKKO:
どこでした?
華原:
わかんないですけど。昔からある場所って実家かな? とか思ったんですけど。
AKKO:
それはでも、私も思った、一瞬。実家かな? って思ったけど。結局なんか、自ベースの気持ちだったりするのかな、とか思ったけどね。わりと私は、なんか楽しくきようっていうのがベースにあるんですよ。
華原:
いいですね。
AKKO:
笑って生きようとか。一度しかないし、人生。だからなんか、そういうのが私のレイスというか、場所なのかなって、今ちょっと思ったけど。
華原:
いいですよね、なんか。転調の部分とかも、すごい綺麗ですよね、「Hellow agan」とかね。
AKKO:
華原:
AKKO:
いきなり変わりますよね。
華原:
すいません、ごめんなさい。私、気性が荒い人だから。
AKKO:
大丈夫です。気性なんですか?
華原:
気性? あの、何を話すのか忘れちゃった。
AKKO:
ごめん。邪魔しちゃったね。
華原:
AKKO:
そうなの。
華原:
AKKO:
華原:
憧れですよね。
AKKO:
本当?
華原:
女の人として、憧れの場所ですよね。
AKKO:
本当?
華原:
私はそうなんですけど。AKKOさんってお呼びしても?
AKKO:
もう「AKKO」で。
華原:
「AKKO」で? 言えないっスよ、そんな。AKKOさんは、あの、あれですよ、歌をて、それで売れて。それから女の人として、私が勝手に言うことですけど、女の人とて結婚して、子供を産んで、それで生活をして。それでも歌を歌い続けるっていうの、すごくいいスタイルですか?
AKKO:
いや、もうメチャメチャいいですね。
華原:
AKKO:
いや、1mmも描いてないですよ。
華原:
1mmも?
AKKO:
そんなの想像できないでしょ? 普通。ちっちゃい頃なんてそんなこと。ある意ゃ、すごい派手なことだし。でも、まあ、普通の営みだと思っちゃうんですけど、私。たまたま。
華原:
お姉さんですね。
AKKO:
え? いやいや。将来、本当に愛する人と結婚して、その愛する人との子供が産いっていう夢はずっとあったけど、それがこういう状況で起こるとはぜんぜん思ってかった。
華原:
AKKO:
華原:
すいません、なんか。
AKKO:
華原:
今日、本当に忙しい中を来ていただいて、すごく嬉しいです。
AKKO:
いやいや。本当に私も今日は楽しみだったんで。
華原:
あの、あれですよね。子供を産んで歌を歌うじゃないですか。声、変わりました
AKKO:
声? 声っていうよりも、なんか表現の仕方がすごい変わったような気はする、の中で。もうちょっと振り幅が持てたような気はしてますけどね。産んだ後レコーデングしてみて。
華原:
私は、そういう経験はしたことないんですけど、初めての人ですよね? なんと。あの、曲を書いてくれる人と結婚して、それで子供を産んで、幸せな家庭を築きなら、温かい歌をみんなに伝えるっていうのは、すごく初めてな。
AKKO:
今までそういう人、いなかったんですかね? どうだろう?
華原:
私はそういう、こういうふうになった人を目の前にして話しをするのは初めてなですけど。
AKKO:
でもね、そんなすごく見えるけど、ぜんぜん本当にただ普通のことをやっているけで。まあ、そういうことの影響が全部歌に出たりとかね、普通するし。もちろんすい前向きに楽しく生きようっていうパワーは多分出てるんだと思うんだけど。でも、から本当、私は普通なんだよ。
華原:
AKKO:
そうかなぁ?
華原:
すごくその、こういうさっきのが、私から見ると温かいふうに見えて仕方がないす。
AKKO:
そっか。
華原:
それをそのまま、べつに隠す必要もないし、それを一番として先頭に立ってる人もないし。そこがなんか、AKKOさんのいいところで。
AKKO:
そうかな。でも、そう言われるとすごい嬉しいです。
華原:
すいません、自分で喋ってて、なに言ってるのかって思っちゃって。
AKKO:
いやいや、でも、すごい嬉しい。そっか。
華原:
そうですね。なんか「ANIMAL LIFE」っていうCD聴きました。
AKKO:
ありがとう。どうでした?
華原:
それを聴いてても、すごくいいですよね。
AKKO:
いいですか?
華原:
はい。私はあの、AKKOさんの声っていうの、すごく気持ちがいいんですよ。
AKKO:
あ、本当に? すごい嬉しい。
華原:
聴いててすごく気持ちがいいし。で、私が一番気持ちがいいなって思うところと緒です。あの、私がいちばん気持ちいいと思うところは、安心して休めて眠れるってうところが一番すごく気持ちがいいとこなんですけど。そういう時にAKKOさんの声をくと、さらに。
AKKO:
子守歌のように? いい感じ?
華原:
すごくそういう声を持ってるなって思ったんですけど。
AKKO:
ああ、嬉しいです、そんな。
華原:
どこから出てるんですか?
AKKO:
いやいや、そんな。こっちが聞きたいよ、朋ちゃんの高い声とか。すごいパワーる声とか。
華原:
パワーは、AKKOさんのほうがすごく優れてると思う。
AKKO:
いやぁ。でも、正反対な感じですよね、私たちの声ってね。今、思ったけど。
華原:
そうですよね。裏返したらとか、表にしたらとか。べつのところにあるし。
AKKO:
なんかね。
華原:
だから、私にはない声だし、私がすごく欲しいなって思っても、ぜったいに手のかないところにあるし。それは間違いないですよね。
AKKO:
いや、私もだって、ぜんぜん届かないところにいるのと同じだもんね。なんか武さんとかは、声、いろんな声質を持ってるっていつも言ってくれるんだけど。変化球投げれるとかね。でも、ノーコンだって言われちゃうんでけど。だけどまあ、それが分、私のいいところで。朋ちゃんはでも、やっぱりすごい高い音域とか、すごい音域出て。で、もう本当にすごいパワフルだと思うんですよ。
華原:
じゃあ、お互いそういうふうに思ってるところってあるのかな。
AKKO:
うん。やっぱりね、持ってないものとかね。
華原:
持ってないものって欲しいよね。
AKKO:
欲しくなりますよね。
華原:
何でもそうだよね。洋服で、すごく可愛い服が店頭に飾ってあって。で、それ欲いなって思っても、お金がなかったりして買えなくて。で、本当は届きそうなところのに届かなかったりとかって思いませんか? なんか。
AKKO:
え? 届きそうなところに届かないと言うのは?
華原:
AKKO:
最近ぜんぜん行ってないよね。
華原:
カラオケとかで、私、「Hellow again」とか歌うんですけど、あれもすごいですね。男の子、女の子がいても、絶対に自分はウマく聞かせなきゃいけないっていうとろに、気持ちが届くんですよ。だけど、AKKOさんの声には絶対届かない。届きそうでかないみたいな。
AKKO:
ああ、そういうことか。
華原:
だから、MY LITTLE LOVERのAKKOはいいっていうふうに思うんですよ。
AKKO:
やっぱでも、人にはその、全部万能な人なんていないからね。なんだろう? 自ね、出来る範囲を広げつつも、その中でベストを尽くすのがいちばん素敵だよね。なんつって。
華原:
素敵。
AKKO:
いつもそう思ってるんだけど。
華原:
素敵な人ですね。一番はじめにAKKOさんていう存在を知った時、私は「あ、絶対バレエとかやってる人だな」って思いました。
AKKO:
あ、本当に。
華原:
まだ、声とかは聞いたことがなかった時で、MY LITTLE LOVER。
AKKO:
今日ね、たまたまね、本当たまたまなんだけど、昔の取材の時の切り抜きとか事所とかに置いてあったりするじゃない。それをなんかちょっと必要があって調べてたね。そしたら、デビュー当時の写真とか載ってるわけじゃない、その雑誌の切り抜きから。それ見たら、もうすごいポッチャポチャで。私、びっくりしちゃったんだけど「うわぁ、やめて!! 捨てたい」とか思ったんだけど。いや、でも、あの頃はやっぱ、かなり丸くて。もう慌ててトレーニングとかして。
華原:
トレーニングをしたの!?
AKKO:
うん。ちょっとダイエットじゃないけど、スポーツクラブとか通ってね。だいぶの頃よりはスマートになったと思ってるんだけど。
華原:
カッコいい女性になりましたね。
AKKO:
そうですか? あら。
華原:
そういう感じがする。
AKKO:
ああ、そうか。前なんかキャピキャピっていう感じでしたもんね、けっこう。そいうんじゃなくて?
華原:
全体的に、なんか楽しい感じの人だなっていうふうには思った。で、今、会ってそれは本当だった。
AKKO:
面白く生きなきゃね。
華原:
AKKOさん、そういうふうに思ってるじゃないですか。で、私はそういうふうに思てるところもあるんですけど、時々くじける時がある。「こうじゃダメなのかな?」てなっちゃう時ってない?
AKKO:
いや、あるよ、もちろん。あるけど、うーん? あるけどなんかね、そういう時向きなことを考える。
華原:
前向きなこと。
AKKO:
うん。
華原:
AKKO:
そう。最近ね、ちょっとあんまり家を空けることとかやっぱり多いじゃないです。海外に撮影とか行ったりとか。だからね、あんまりしてないんだけど、前はよく育てた。
華原:
なんか、ロサンジェルスに住んでたり、日本に住んでたりっていうのがすごく多って聞いたんですけど。
AKKO:
華原:
多かった時期ありましたね。ロスにずっといた時期とかありましたけど。
AKKO:
そうか、そうか。ロス多いんだけど、寂しいんですよ。友達とかね、あんまりいいじゃないですか、やっぱり。
華原:
AKKO:
喋れないです。
華原:
私もぜんぜん喋れないです。
AKKO:
でも、日常いちおう困らない? 困らないよね、スーパーとか簡単だもんね。そうのは大丈夫なんですよね。そうですよね、ロスとかでね、一緒とかになれたらと、ふと思ったんだけど。
華原:
思うよね。私もすごい思う。
AKKO:
けっこうね、そうだね。アメリカ人の友達とか出来にくいもんね。
華原:
外人て、なに言ってるかわかんない。
AKKO:
私もさ、すごい愛想いいっていうかさ、やっぱりアメリカ人と喋って、自分で勉しようと思うじゃない。だから、アメリカ人の人と一生懸命喋るのよ。で、前にニュヨークにいたんだけどね、その時は。まあ、妊娠中だったにも関わらず、そこのドアーイいるじゃない、コンドミニアムとかだと。そのドアボーイが、しきりに「今日、事に行こう」とかね、すごいもういっぱい誘ってきて。私、妊婦なんだけど、「I'm regnant」とかって言ってるのに、ぜんぜん通じてなくって、すごい困ってたことかせった。困っちゃうよね。
華原:
困りますよね。
AKKO:
華原:
AKKO:
本当?
華原:
誰か一緒にいなきゃって思いますけど。
AKKO:
一人でわりとね、フラフラ遊んでたんじゅゃなくてね。
華原:
AKKO:
その時はね、武史さんがちょうどMr.ChildrenとYEN TOWN BANDのレコーディング行ってて。で、私は妻ですからついてって。その間、多少撮影があったりとかしててあとは英会話学校とかちょっと行ってたりしたんですよ。
華原:
AKKO:
うん、ちょっとね。そう。だから、わりと一人で雪道とか。冬だったんでね、吹の中あるいて。
華原:
吹雪?
AKKO:
いや、すごいんだって。ニューヨークのね、去年30年振りの大寒波とかいって、雪で。もうそんな中ね、歩いて行ってたよ、ダウン着て。防寒して。一回だけね、セトラルパークの横でね、氷に滑ってね、尻もちついて。妊婦ってね、尻もちついちゃけないのね、絶対ね。で、もう、すごいびっくりしてね、泣いちゃったことあったけね。
華原:
AKKO:
歌った。レコーディングした。
華原:
AKKO:
「Yes」とか。
華原:
♪Yes~ってやつですよね?
AKKO:
華原:
雑誌で、「子供にどんな音楽を聞かせましたか?」って、妊娠中に。それで「妊にアルバムの曲を聞かせるといいですよ」って書いてあったんですよ。
AKKO:
華原:
そうなんですか?
AKKO:
アルバムの曲っていうか、何でもいいんだけど。自分が気に入った曲を、胎教にさそうな曲を、たまたま私が聞かせたのが「Evergreen」っていう。「Evergreen」のの一番最後の曲で。それを毎日毎日聞かせてたら、産まれてからね、その子がどんな機嫌が悪くても、どんなに泣きじゃくっても、それを聞くと機嫌が直るんだよっていのをね、聞いてたんですよ。だから「Evergreen」聞かせてて。で、産まれてからもっぱり聞かせるとすごいご機嫌になる。びっくりしちゃったんですけど。
華原:
あの、「アリス」っていう曲あるじゃないですか。呪文かけてますよね。あれ、いですよね。
AKKO:
あれ、なんかコンピューターのね、「ディギディギディギ」とかってなるじゃな。私もよくわかんないんだけど。あれをとったものなんですけどね。
華原:
あ、そうなんですか。私はなんか。
AKKO:
呪文っぽく思った?
華原:
呪文かけてるのかなって。
AKKO:
華原:
ああいうのって、なんて歌えばいいのかなって。
AKKO:
わかんないよね、最初ね。けっこう質問された、最初。でも、なんか、コンピュターなんですって、もとは。私もね、機械弱いんでね。
華原:
私も弱いです。
AKKO:
難しいですよね。
華原:
AKKO:
華原:
あ、すごい。
AKKO:
一時期ちゃんと向かったことがあるんですけど、ちょっとプロモーション忙しくって、中断しちゃった。
華原:
私も今、中断してますね。
AKKO:
あ、でもやってたんだ。
華原:
あの、ファンの人からメールがきたりとかして、それを見て、返せる人には返しっていうふうにやってたんですけど。難しいですよね。
AKKO:
ね、難しいよね。でも、けっこう面白いんだよね、ああいうのを見ると、 Permalink | 記事への反応(2) | 03:08
悔しいなあと思うことがない。仕事で何かに失敗しても「失敗したなぁ、まぁそういう時もあるか」と思って悔しさを感じないし、会社の先輩に何か言われて空気を読んで「悔しいです(建前)」と嘘ついたら「増田さんでも悔しいと思うことあるんだ」と言われた。
みんななんでそんなに悔しさをバネにして〜とか悔しいって気持ちになるんだろうってとても不思議だった。
いろいろ調べて自分はそもそも自己肯定感が低くて諦めているから悪い結果が出ても「自分がやったらそりゃこうなるよね」って思ってるのではないだろうか、という結論に落ち着いた。
自己肯定感チェックのサイトによるある設問で「親に愛されて育って来たか」の問いがあるが答えは「yes」である。しかし勉強が壊滅的に出来なかった。高校生の時は毎回赤点で進級が危ぶまれていたし大学もF欄で結局よくわからない卒論を書いて卒業した。
その時の経験が「自分は出来ないから仕方ない」という思考になり、諦めが入っているので悔しさを感じないのではないだろうか。
どうやったら諦めから脱却出来るのだろうか。
世の中は意外とアホに寛容であり、嘘をつかないことは美徳というかガチで我が身を助ける。
嘘をつかない姿勢を貫いていると、世の中の人は意外とアホに親切に接してくれたり、味方してくれたりする。
これは、複雑な人間関係・腹の探り合いに疲れ果てて、単純な思考や予測可能な行動を好む人が一定数存在する為だ。また、発達がアレしている人が身内にいる人は、嘘をつかないアホに無条件に親切にしてくれることもある。
しかし、極端に単純なことには意外とプラスの側面もある一方で、致命的なデメリットもある。お手本のようなカモ思考で、あらゆることを単純に「おっ、ラッキー!」と考えてしまう傾向があるのだ。今のところ、経済的または肉体的に深刻なダメージを受けたことはないが、日常的に騙されたり、早とちりをする。また、人間関係の複雑さが読めないため、組織内の政治的な動きで無限に同じ失敗を繰り返す。
具体的には、ワイくんのことを脅威と思っている人に適当に対処することができず、毎回毎回対立関係になる。対立した相手を打ち負かすことはできるものの、組織から彼らを追い出す政治手腕などワイくんにあるわけが無いので、なんやかんや面倒な状況に陥ることになる。数字にコミットしてれば、多少のトラブルは大目に見られることが多いので、まぁそれは気にしないにしても(しなくていいの?)、上役に必要な嘘がつけない事は致命的である。
在宅勤務の場合は、テキストでのコミュニケーションのため、時間をかければ必要な嘘がつけるが、対面の場合は、どうにもならない。衝動的に「NO」とは言わないはなんとかできるが、顔や声の表情から明らかに「YES」ではないと分かってしまう。
自営業なら上司部下ではなく、関係者全員が顧客になるため、必要な嘘がつけるようになるかな?!!!!!と思ったが、結局どうにもなりませんでした。ありがとうございました。
しかし、必要な嘘がつけずに偉い人の顰蹙を買うことよりも問題なのは、突っかかってくる人を叩き潰していることと、どんな時も確実に自分のやり方で進められないことの方かもしれない。
あと、ADHDで一番なんとかしたい、異常に強い怒り(同じ温度で 10時間でも怒れる)の状況は今のところ変化なしのため、2023年上半期はちょっと体調が悪くなった。
それらを解消すべく、仕事や昔からの友人とは別に新たな人間関係を築くことを一瞬考えた。
自然と意識がそちらに切り替わり、思考が無駄にループすることなく済むかもしれないと思ったためだ。しかし、よくよく考えるまでもなく、家族と友人以外の他人に、ぶっちゃけ興味が湧かないんだよなぁ・・・。
ちなみに昔からの友人と遊ぶことはストレス解消やエネルギーの補充には良いが、基本的には平日に会う用事は無い。
人に興味がないなら趣味に没頭するのが良いんだろうなとも考えたが、思考がループしている状態だと、マンガや動画を見たりソシャゲのログインやご飯を食べる事さえも面倒で放り投げてしまう。一つのことにしか集中できないため、日常的なあらゆる習慣を維持することも難しい。
副業を通じて契約による強制力で新たな習慣が作ろうと過去に試してみたこともある。その結果は、単純な脳みそでは依頼者の無茶な要求に適当に対処することができず、新たなストレス源となっただけだった・・・。ひとつのことしか考えられないので、本業のストレスは無くなったが、何かの習慣の維持をしたり、思考のクセを変えることはできなかった。無理やり何かよかった点を見つけるならば、『小規模事業主の相手はしんどい』を理解することが出来たことだろうか。ありがとうございました。
とりあえず出来そうなことは、体力作りと自律神経を整えることだろうか?
ウォーキングをしたり、プールで泳いだり、トランポリンをしたりとか。
思考がループすることで起きるうつ熱を下げるには運動が非常に効果的だと言われているし、思考がクリアになるかもしれない。
ただ、一度始めると没頭して何時間でも歩いてしまうが、それを習慣化するのはなかなか難しい。
歩くのが嫌なのではなく、身支度をしてお外に出るというのが面倒なのである。ウェア買って吊るしてあるのにな・・・。
まぁソシャゲにログインやご飯を食べるすら面倒で毎日はできないのだから、それはそうだろう感はある。
またジムを契約する?というかパーソナルトレーナーでも検討してみる?思考を制御できない状態で習慣化することは現実的なのか、疑問だが、やってみる価値はあるかも知れない。
ちなみに、ChatGPTちゃんの提案は、他人に興味がないなら、家族や今いる友人を大事にしようだった。あと趣味に没頭しようだった。確かにそれはそう。
中学1年生レベルの英語も話せなかったが、3年目にしてようやくほんの少~~~~~~しだけ話せるようになった。
今日は欧米の人に「プリーズユアレコメンドフード」と聞かれた。
増田「can you see red sign borad?」
増田「That's avorite!」
欧米増田「oh nice(もっと色々言っていたけど聞き取れず)!What menu do you recommend?(多分こんな感じだったと思う)」
と会話が出来てとても嬉しかった反面。片言の英語は喋れても、向こうが何を言っているのかリスニングが全然できてないなーと思った。
思えば喋ることばかり勉強して、リスニングは一切していなかったので、これから地道に勉強していこうと思うけど、とにかく映画見まくればいいのかしら…。
「ただし、自殺は除いてください」と質問が来たので、回答してみる。
老いる前の人間、つまり若人というものは往々にして『出逢いは無限にある』と勘違いしている。
『出逢いは無限にある』ということの具体的な行動事例でいえば、たとえば渋谷のスクランブル交差点のまえで次々と女性に声をかける、という行為があげられよう。
声をかけたことがない?
簡単だ。知らない他人に声をかけるのだから、第一声はあいさつでOK。
小学生でもご存知のとおり、昼間なら「こんにちは」、夜なら「こんばんは」、朝なら、朝は私は寝ているし、渋谷の街も眠っているので声はかけない。
つまり、「こんにちは」と「こんばんは」だけが言えれば大丈夫。
実演してみよう。
「こんにちは」無視「こんにちは」無視「こんにちは」ガン無視「こんにちは」ガンスルー「こんにちは」一瞬だけチラッと頭部がこちらに向かって動く。チャンス!
「急に声かけてごめんね。あまりにも可愛いから思わず声かけちゃったんだけど、モデルとかやってるんですか?」
ポイントは、最初の質問は閉鎖的質問であることだ。YESかNOで答えられる質問。
「お仕事はなにされてるんですか?」だと開放型質問となり、選択肢があまりにも多くて、答える方はめちゃくちゃ面倒だから無視される。
「ネコ飼ってますか?」「夜の仕事とか興味ありますか?」「スタンダールの赤と黒は読んだことありますか?」
その後、ボディーランゲージもふくめて「YES」か「NO」の返答があれば、私と彼女の間には意識的にも無意識的にも精神の交流と呼ばれる回路ができあがったといえよう。
回路という単語は「回廊」でも「認知領域の拡大」でも「ライフストリーム」でも呼び方は何でもいい。
つまり、彼女は私の存在を彼女の世界に加算してくれたのだ。これはでかい。
さて、ここから先どう展開していくかは、有料版のAIで解説したい。
上記はあくまで私と彼女の間に微小な人間関係が生まれただけで、ここからどう発展していくかは、それこそ近所の散歩と東京マラソンで完走するぐらいの差がある。
高尾山にケーブルカーで行くのとエベレスト単独登頂でもいい。水たまりとマリアナ海溝でもいい。H2ロケット打ち上げ失敗と火星探査成功ぐらいの差があるといってもいい。
要するに。
出逢いは無限にあると勘違いできる性質と同様、老いずに死にたいとか夢のようなことを質問できるのが若人の性質というものである。
ここで私は『肉体は老いても精神は老いないから大丈夫』とかわかったようなことは言わない。
私が言いたいのは、出逢いは有限だから記憶に残るし、思い出にも残るし、大切にしたいと考えるのであって、
出会いも寿命も無限であれば、そもそも私はマッチングアプリなんぞに手は出さんぞ。
今年35歳の女です。
タイトルのセリフを友達に言われて、改めて考えたけど、やっぱり「結婚しなくても生きていけるから」っていうのが大きな理由だと思う。
私は大卒で、ずっと正社員だし、東京で一人暮らしして楽しい生活をしている。
おそらく、もし私が非正規労働とか、金銭的に不安を感じる生活をしていたら、とっくの昔に結婚していると思う。
それなりの縁談もあった。相手は決して悪い人たちではなかった。そこで結婚する選択肢もあったと思うし、そうやって結婚するのも正しい人間の在り方だと思う。
でも、自分は本当に「この人と」結婚したいのか?と自分に問いかけたら、「NO」だった。それだけ。
いつか「YES」の人と出会えたら結婚したい。まあ出会えなかったら独身でいいや。
世に言う高望みなのかもしれない。
まあ、本人(私)がそれでいいんだからいいんだ。
・「暗証番号押してください」という電卓みたいなやつがある場合は暗証番号を押す
・「この紙orタブレット画面に名前のサインをお願いします」という場合はクレカ裏面と同じように直筆でサインをする
・「この端末にピッてしてください」という場合はクレカをかざしてピッてする
「(店員が裏でこっそりor誰かの悪意がたまたま自分に合致して)不正利用される可能性があり得るのではないか」という疑問に対する回答は「YES」である
なのでたとえ自分が使ってなくても毎月クレカの利用明細は確認し、身に覚えのない請求があったらクレカ会社に連絡し一旦止めてもらうという手続きが必須となる
クレカ会社は請求確定前なら「これ自分のじゃないので適当に捜査して犯人ぶっ叩いてください」と申告すればそれでノーカンになる
Chrome/Firefoxのはてブ機能拡張は配布されているが、Mac版Safariの機能拡張は数年前から配布されていない。
Safariに乗り換える際の個人的な障壁であったが、Chrome版機能拡張をSafari向けに変換して利用する事ができたので、メモ代わりに記しておく。
1. Chromeのアドレスバーに「chrome://extensions/」と打ち込み、機能拡張の画面を表示する。
3. 同画面内の「はてなブックマーク」の欄に表示されている「ID:xxxxxx」を次手順で使用する。
4. FinderでChromeのはてブ機能拡張がインストールされているフォルダが存在する事を確認する。
/Users/(ユーザー名)/Library/Application Support/Google/Chrome/Default/Extensions/(手順3のID名)/(バージョン番号)
5. ターミナルを起動して、以下コマンドを入力後にReturnキーを押す。この際に「Is this correct?」と表示されたら「yes」と入力後にReturnキーを押す。
6. XCodeが起動されるので[▶]ボタンを押して、Safari向け機能拡張をビルドする。(ビルド後に起動されたアプリは終了して良い)
7. Safariを起動して、「開発」>「未署名の機能拡張を許可」を押す。(「開発」メニューは、「Safari」>「環境設定」>「詳細」>「メニューバーに“開発”メニューを表示」で表示される)
8.「Safari」>「環境設定」 > 「機能拡張」にてはてブ機能拡張のチェックを入れ有効化する。
9. Safariのアドレスバーの横にはてブのアイコンが表示されていればインストール完了。
1. はてブのアイコンに [▲] のアラートが表示されている場合、アイコンを押して「すべてのWebサイトで常に許可」を選択する。
2. はてブのアイコンを押すと表示される利用規約画面で「同意する」を押す。(なお「同意する」を押しても何もリアクションがないので、手動でタブを閉じる必要がある)
3. はてブのアイコンを押して見慣れたはてブコメント一覧が表示されていれば設定完了。
上記手順では基本的にSafariを再起動する度に「未署名の機能拡張を許可」を行ってはてブ機能拡張を有効化する必要がある。
メニューから選択するだけの手間であるが、頻繁にSafari/Macを再起動するので面倒という場合には以下手順にて機能拡張に署名を行っておく。
1. 上述したインストール手順の「手順6」にてXCodeが開いている状態で画面内サイドメニューから「はてなブックマーク」を選び、画面中央上部の「Signing & Capabilities 」タブを押す。
2.「Signing」>「Team」で自身のApple IDを選択する。(選択リスト内に存在しなければ「Add an Account…」でアカウント追加後に選択する)
3.「Signing」>「Signing Certificate」で「Developement」を選択する。
4. 手順2-3を「Target」の「はてなブックマーク」と「はてなブックマーク Extension」の両方で実施後、[▶]ボタンを押して、Safari向け機能拡張をビルドする。
5. Safariにて「開発」>「未署名の機能拡張を許可」を外した状態でもはてブ機能拡張が表示されていれば完了。
ネットを見ていると、もう勝負はついたのだから諦めるべき、海外から買ってくればいい、という意見を見ることが多くなった。
個人投資家が増えたこともあり、損切りすべきだという考えから来ていると思われる。
個人や企業単位ではおそらく正解だろうが、国家レベルではどうだろうか。
「基礎研究は大事なので国は投資すべきか?」という問には「YES」と答える人が多いだろう。
「半導体に国が投資すべきか?」という問には「No、もう勝負がついたのだから税金の無駄」と答える人が多いだろう。
「スパコンは事業仕分けの対象とすべきか」という問には「No」と答える人が多いだろう。
先の「半導体に国が投資すべきか?」と「スパコンは事業仕分けの対象とすべきか」で答えが違ってくるわけだが、どういう論理になっているのか。
という前提に立つと、「基礎研究とはなんぞや?」にぶつかる。
「CPU開発向けの先端プロセス開発(前処理)は基礎研究ではない」
両者をつなぐのは、ファブレス企業が成功しているというのが背景にあるのだろうが、本当にプロセスのことを知らずに設計できるのか?
機械の設計でも、図面を描いたはいいが作れない図面という記事があったが、半導体でも同じだろう。
ソフトというと組み込みソフトといった制御ソフト、WebなどのUI、サーバーといったものを思い浮かべるだろうが、
モノづくりをするとノウハウがたまり、デザインルールといった方法で誰でも展開できるようにするのが一般的だろうが、
ソフトウェア側に対応を依頼するのは、ノウハウの流出であり、簡単ではない。
社内独自ソフトで対応すると、設計ソフトのアップデートに追随できないなど次第に土台が歪になっていく。
Webのフレームワークのように丸っと置き換えというわけにもいかないだろう。
「自国で作ろうと思えば作れる」は捨て去って良いのかというのもある。
GPUは既に日本価格が高額になっているが、作れない場合は価格が吹っかけられる。
「作ろうと思えば作れる」は口でいうほど楽なわけはないし、年単位で時間がかかったりするわけだが、それでも必要ではないだろうか。
元増田の見立てと自分の見立ては、半分合ってて半分違う。「朝日や毎日を共通の敵にして叩く」というのは計画的なことではなくて、単に偶発的なイベントだと思う。セキュリティ関連法的にはこれで両メディアの法的責任を問うのは難しく、朝日/毎日叩きの界隈では(サンゴKYのように)長く言及されても、世間的には尻すぼみの話題になるだろう。
増田の書いてることで的を射ていると思うのは、「今後何とかワクチン接種が進む度に防衛省は称賛され」の部分だ。今回の自衛隊による大規模接種プロジェクトには、第一にこの効果を狙った政治戦略・メディア戦略という側面がある。そしてそれは、より大きな政権の目的と結びついている。
そもそもこのプロジェクトはどう始まったか。産経報道(5/17)によれば、1月下旬に「菅義偉首相の「特命」を受け、杉田和博官房副長官をトップに防衛省、厚生労働省、総務省などから集まった約10人のチームが編成された」が、その事実は外部には3ヵ月以上秘密にされていた。理由は「自治体の接種態勢が緩む懸念もあったことから計画には箝口(かんこう)令が敷かれた」からだ。そして「河野太郎ワクチン担当相とは、異なるラインで計画は進められた」。
常識的に言えば、相当めちゃくちゃなやり方だ。自治体側のラインと国側の特命チームラインがあって、それぞれが互いに情報交換せず、箝口令まで敷いて、完全に二重行政のまま進んでいた。しかも自衛隊自身が大規模接種のためのリソースを潤沢に持っているというわけではなく、医療従事者の一部とイベント運営全体はそれぞれ医療系派遣会社と旅行代理店に外注する形になっている。なんでこんな不自然なことをしたのか。
この問題はもっと大きな枠組で見る必要がある。自民党の中枢や国会議員達から見て、今年最大のイベントは何か。それは五輪開催でもないし、コロナ鎮圧でもない。衆議院選挙だ。このまま菅首相が解散を行わなければ、2021年10月21日に衆議院は任期満了となり、総選挙となる。そしてよく知られている通り、戦後に行われた25回の衆議院選挙で、任期満了による選挙は1回しかない(1976年のロッキード選挙。自民は結党後初めての過半数割れ)。支持率が上がる政策をぶち上げてから解散権を行使できるのは政権与党が持つ最大の武器で、逆に任期満了による選挙、あるいはその近くでの追い込まれ解散では与党が負ける、というジンクスが政界には根強くある。
だから自民党は何としても任期満了前に解散総選挙に挑みたい。といって、むやみに「大義なき解散」はできない。党内でも菅降ろしのマグマは燻っていて、スジを整えなければ解散の流れが(ロッキード選挙時の三木内閣のように)党内で押し止められる可能性もある。だから国民に好感されるネタをぶら下げて「国民に広く信を問う」体裁が必要になる。そして今年は、平時では難しいが、今だからこそ「国民に広く信を問う」ことが可能なテーマがある。そう、憲法改正だ。
どういう切り口でやるのか。自民党の憲法改正提案のページでは、4つの項目を「変えたい」と言っている。
このうち一番下の「家庭の経済的事情に左右されない教育環境の充実」については、大きな方向性としては反対する国民は少ないだろう。下から2番目の「参議院の合区解消」は、一種のゲリマンダリング(自党有利に選挙区を改編すること)だ。現在合区になっている「鳥取・島根」と「徳島・高知」(いずれも自民党地盤)を分割することで自民党の議席を増やせるという露骨な党利党略案件で、与党の公明党にも疑問視され、日経でも厳しい批判を受け、産経にすら叩かれるという相当ろくでもない代物だ。これはこれで厳しく批判されるべきだろうが、いま注目すべきはその上の2つのほうだ。
これは後期の安倍内閣が目指していた「自衛隊明記改憲」という奴そのまんまだ。統計の取り方で国民の賛否がかなりブレるこの案件だが、新型コロナのワクチン接種に自衛隊を担ぎ出した時点で、勝負はほぼ決まった。各自治体のワクチン接種が(主には国側のロジスティクスの問題で)遅々として進まない中、国と自衛隊が大規模接種をアレンジして、1日100万人の接種水準を達成する。計画通りに行けば、高齢者たちは国と自衛隊に大いに感謝し、国民全体に「やっぱり自衛隊を大切にしよう」という雰囲気が醸成されていくだろう。
おそらく内閣と岸信夫防衛大臣はこのゴールを見据えて、ワクチン特命チームPT以外にもさまざまな仕込みをしてきた。岸大臣が就任した去年末頃から今年5月にかけて、民放テレビ枠で自衛隊の露出が確実に増えている。防衛庁・自衛隊の全面協力による番組コーナーが、ゴールデン帯で何度も放映されている。これまでの自衛隊では情報公開を渋ったような基地構造や訓練・兵装なども惜しみなく紹介し、番組側は「初潜入」「初公開」を謳って大々的にアピールする。元旦放映の「鉄腕DASH!」、幾度となく自衛隊をフィーチャーし、岸大臣自らも出演した「沸騰ワード」。さらに今日(5/24)は「深イイ話」で護衛艦「やまぎり」トップ女性艦長の密着取材をやる。おそらくあと3ヵ月程度は、こういう防衛庁・自衛隊のメディア露出が続くだろう。
防衛省・自衛隊が機微な防衛関連情報をネタにして番組制作者を惹き付け、「選挙まで最長でもあと数ヶ月」という今のタイミングを狙って、国民と自衛隊との接触機会を高める。人間は接触回数が多い対象に親しみを感じるようになることが知られている(ザイアンス効果)。「親しみやすい自衛隊が、コロナの制圧でも頑張ってくれた」。「ワクチンを打ちに行ったおじいちゃんに、自衛隊の人が敬礼してくれた」。こういう風に感謝と感動と親近感をトリガーする建て付けさえ成立していれば、多少のアラはどうとでもなる。
新型コロナウイルス感染症の第4波拡大と変異株の急増に伴って叫ばれるようになった「私権制限」がここにつながる。「今の国や自治体の権限では効果的な営業抑制や人流抑制ができない。法的な根拠・正当性をもって、ロックダウンをはじめとする強力な感染症抑制政策を実施するには、こうした緊急時に一定の私権制限を可能にするような憲法改正が必要だ」---5月になって、そんな議論が盛んにされるようになった(たとえば、いま話題の高橋洋一もこんなことを言っている)。
私権制限論については橋下徹や吉村府知事など大阪維新筋が積極的に発信しているが(ちなみに高橋洋一も政策工房経由で大阪維新と繋がっている)、政府・与党も折に触れて「現在の政府権限では、これ以上の対策は無理」という言い方をしてきた。もちろん感染拡大は一面では政府の失策でもあるのだが、エクスキューズとして「私権制限ができないのが悪い」と言い張れば、国民の不満の矛先は、政府の失策ではなく法の不備、つまり「現憲法における強すぎる私権保護」に向かう。実際、変異株が急増して切迫感が高まるとともに、私権制限をめぐる国民感情は明らかに「NO」から「YES」に傾きつつある。
こう考えてみると「合区解消」以外の3テーマについては、過半数の国民が「YES」と考えるような情勢が整いつつある。国と自衛隊主導でのワクチン接種拡大が「自衛隊明記論」を後押しし、変異株感染の増加と医療逼迫により「私権制限導入」が現実的選択肢として受け入れられていく。平時には国民の賛同を得るのが難しい私権制限論だが、コロナ禍真っ直中の今だからこそ「アリ」なのだ。
残る課題はタイミングだ。高齢者へのワクチン接種が一巡し、パラリンピック(8/24-9/5)も終了した9月中旬頃。おそらく菅義偉首相は衆議院任期満了の1ヵ月前に「憲法改正について国民の信を問う」として衆議院解散に踏み切り、そこで大勝して、自民党改正案の上記4項目を盛り込んだ形で憲法改正の道筋をつける。第二次安倍政権が9年かけても実行できなかった憲法改正を、安倍元首相の実弟の岸信夫大臣、そして昵懇の仲である大阪維新の会をうまく使うことで達成するわけだ。
ただ、このシナリオが成立するにはいくつか条件がある。国と自衛隊による大規模接種プロジェクトが破綻なく進行し、8末までに(自民・公明の大票田である)高齢者層への接種を完了すること。オリンピック/パラリンピックを、形式はどうあれ予定通りの日程で開催すること。コロナのこれ以上の拡大を選挙時点までうまく抑制すること。このどれかが破綻すれば、選挙戦略も大幅に見直さざるを得ない。あとはお手並み拝見というところだが、コロナの推移を見るに、正直かなり暗雲が立ちこめてきた感はある。
ひろゆき氏の指摘(「一般的に読めない名前の子どもは遺伝により頭が悪い可能性が高いです」)にもあったように、親がバカな確率が高い、ということじゃないでしょうか。
一方で、統計的に親の教育レベルと子どもの教育レベル、家庭の経済レベルは相関性があるっていう結果は出てます。
ただし、犯罪者の割合は人口に比べてそう大きいわけではありません。
もしかすると「犯罪者におけるのキラキラネームの割合」は一般より高い可能性はありますが、「キラキラネームに犯罪者の割合が多い」と言うほど割合に目立った差は出ないのではないでしょうか。
令和3年から突然の増田デビューだけど、とりあえず他で書けなくてモヤモヤしていたことを文章にしていきたいと思う。
今まではツイッターに何でも書けていたのだけど、リアルの知り合いが増えてしまったので無茶苦茶なことが書けなくなってしまったのと、
離婚時の相手の不貞内容といったおおっぴらにするとこちらが訴えられる話とかも特定されないようフェイクを混ぜて書いていきたい。
書きたいこと一覧
・県内トップの高校に進学するも3年間をパチンカス生活で潰した話
・新人歓迎会で先輩に酒で潰され、仕方なく朝帰りしたら彼女に荷物全部玄関にぶちまけられてた話
・新婚旅行でドバイに行くも英語が何もわからず、ずっと「Yes」「No」「OK」でやり過ごした話
・結婚4年目にして嫁と上手くいかずに休日はパチンカス生活をしていた話
・ある日家に帰ったら玄関のチェーンが閉まってて家の中で男がカレーを食べていた話
・1回目の離婚をした話
・会社の後輩にもらったバレンタインのプレゼントで盛り上がってしまい気持ち悪い行動をした話
・結果その後輩と再婚した話
・新婚旅行の数日後に別れを切り出され、色々調査したら不倫されていやがった話
・探偵と弁護士のコンボにより、証拠を押さえられていない状況から自白を取り慰謝料請求できた話
・2回目の離婚をした話
・久しぶりに好きな人ができてしまい、ガチ恋モンスターになった話
へぇ、やっぱり三浦春馬氏ような芸能人だって30年生きてこれ以上は生きていたくないと思うのか。
今年7月、彼が自殺した報道を目にした最初の感想は、驚愕でも悲嘆でもなく「ああ、やっぱりそうなんだ」というある種の安堵だった。
三浦春馬氏が何を思い、何に悩み自殺したのかは彼本人にしか分からない。だが彼の苦悩は彼個人だけの物ではなく、もっと多くの人が抱えている普遍的な苦悩であるように思えてならなかった。
青年と中年の間、というより魂は干からびてもう中年になってしまった私だが、自殺した三浦春馬氏と同じ30歳の時には、人生がまだ折り返し地点さえ過ぎてない事にうんざりしていた。早く楽になりたい。早く楽になりたい。そんな思いばかりが日に日に強くなる。
人にとって最適で、幸福な人生の長さはどれくらいなのだろう? 30歳になるよりもっと以前、成人したての頃には既にそういう事を考えていた。
例えば10歳の小学生が中学に進学したくないから12歳で自殺する計画をしているとする。流石にこれは人生の結論を急ぎすぎている。小学生の身近にいる年長者の多くは彼の計画を止め、考えを改めさせようとするだろう。私だってそうする。
では、20歳の大学生が社会に出たくないから22歳までに自殺しようと計画した場合はどうだろうか?
社会人になっても人生の墓場に入るわけではない。それどころか自分の場合は社会に出てからの方が自由が増え、毎日が充実している。彼もしくは彼女だってそうなるかもしれない。命を終わらせるのはあまりに惜しい。そう考える人は大学生の自殺を止めようとするだろう。
違った考え方の人もいる。思春期が人生の絶頂期という考え方は正しい。自殺という能動的な人生の終了は選択しなかったが、別に自分は22歳までに死んでも良かった。そう考える人は自殺を積極的に手伝わないまでも、大学生の自殺の意志を知って何もせず放置するかもしれない。
というかお前もう成人してるんだから、生きるべきか死ぬべきかなんて重要な選択を他人に委ねるな。自分で判断しろよ。そう考える人も大学生が自殺するか自殺をやめるまで放置するだろう。もし本当に大学生が自ら命を絶ったら不愉快な気分にはなるだろうが。
三浦春馬氏が亡くなった30歳という年齢は、現代人にとって絶妙な人生の長さに思えてならない。
自分を含め、「自殺という選択肢が脳の片隅に少しでもある人」の場合、30歳になるとこんな事を考える。
思春期が人生の絶頂期という主張は極論だ。だが思春期が終わってからの数年間も、広い意味ではモラトリアムのような物。モラトリアムが人生の絶頂期という考えであれば、なるほどと腑に落ちる。20代の終わりという年齢が人生の一つの大きな節目である事は客観的に見ても事実であろう。
20代の終わり頃から頭が固くなり、新しい物を取り入れる柔軟さが衰えてきた。なので、自分が今抱えている希死念慮は5年・10年という短いスパンで解決する事はおそらくない。場合によっては一生付き合う覚悟が必要になる。希死念慮を抱えながら生きる今後数十年という長い人生、真綿でじわじわと首を締めるような緩やかだが確実に精神を蝕む苦痛に、自分はこれから耐えれるのだろうか。
中高年の中には日々を惰性で生きる者、生きる事が苦痛でたまらないのに、何らかの事情で自らの命を絶てない者や、命を絶つ覚悟も、そのための行動を実行する気力もない者が大勢いる。後悔のない人生を送る人間はいないかもしれない。きっと彼らだって自ら望んでゾンビのような生き方を選んだわけではないのだ。では自分はどうだろうか。彼らのような中高年になりたいか問われれば答えは「NO」である。だが自らの命を絶つための気力がまだ残っているか問われれば「YES」と答える。
もうここまで生きたのだから、これ以上生きられなくても別に構わないと考えるようになり、ある程度自分の人生の見通しが立ち、精神が未熟な頃から抱えていた漠然とした不安が実感となって襲ってくる。それが30代という年齢だ。
ここで断っておく。
私は当分の間は自ら命を絶つつもりはないし、誰かにここまで生きたのだからもう休んでいいのでは、と自殺を推奨するつもりだってない。2020年が終わる前に、自分の考えを記録しておきたかった。ただそれだけだ。
三浦春馬氏よりも若い20代か10代の若者がこの文章を読むと負の衝撃を受けるかもしれないが、匿名ダイアリー利用者の年齢層はもっと高いはずなので、若者の目に入る可能性は低いだろう。
まぁ、もし若者を憂鬱な気持ちにさせてしまっても、別に気の毒だとは思わないが。
人生に大した喜びもなく惰性で寿命を消費しているだけの中高年の怨嗟が渦巻いているこんな場所を覗いて、「ほら見ろやっぱり年長者だって、もっと早く死んでおけばよかったと考えてるじゃないか!」と、人の生が虚しい物である事をわざわざ確認している若者なんて、どうせ歳をとっても暗い人生しか送れないに決まってる。
医学の発展により人の寿命は伸びたが、人類の多くは伸びた寿命をいかに幸せに過ごすかという、幸福になるための努力を怠ってしまった。肉体を維持する技術の進歩に大抵の人間の精神はついて行けてないのだ。
もうこれ以上長生きしたくない。生きるのが苦痛だ。そんな悲鳴と虚しさがこの国を、この世界を覆うようになって、個々人の幸福を置き去りにして進んできた人類の長寿のための医学の歩みはやっと足を止めるのだろう。