へぇ、やっぱり三浦春馬氏ような芸能人だって30年生きてこれ以上は生きていたくないと思うのか。
今年7月、彼が自殺した報道を目にした最初の感想は、驚愕でも悲嘆でもなく「ああ、やっぱりそうなんだ」というある種の安堵だった。
三浦春馬氏が何を思い、何に悩み自殺したのかは彼本人にしか分からない。だが彼の苦悩は彼個人だけの物ではなく、もっと多くの人が抱えている普遍的な苦悩であるように思えてならなかった。
青年と中年の間、というより魂は干からびてもう中年になってしまった私だが、自殺した三浦春馬氏と同じ30歳の時には、人生がまだ折り返し地点さえ過ぎてない事にうんざりしていた。早く楽になりたい。早く楽になりたい。そんな思いばかりが日に日に強くなる。
人にとって最適で、幸福な人生の長さはどれくらいなのだろう? 30歳になるよりもっと以前、成人したての頃には既にそういう事を考えていた。
例えば10歳の小学生が中学に進学したくないから12歳で自殺する計画をしているとする。流石にこれは人生の結論を急ぎすぎている。小学生の身近にいる年長者の多くは彼の計画を止め、考えを改めさせようとするだろう。私だってそうする。
では、20歳の大学生が社会に出たくないから22歳までに自殺しようと計画した場合はどうだろうか?
社会人になっても人生の墓場に入るわけではない。それどころか自分の場合は社会に出てからの方が自由が増え、毎日が充実している。彼もしくは彼女だってそうなるかもしれない。命を終わらせるのはあまりに惜しい。そう考える人は大学生の自殺を止めようとするだろう。
違った考え方の人もいる。思春期が人生の絶頂期という考え方は正しい。自殺という能動的な人生の終了は選択しなかったが、別に自分は22歳までに死んでも良かった。そう考える人は自殺を積極的に手伝わないまでも、大学生の自殺の意志を知って何もせず放置するかもしれない。
というかお前もう成人してるんだから、生きるべきか死ぬべきかなんて重要な選択を他人に委ねるな。自分で判断しろよ。そう考える人も大学生が自殺するか自殺をやめるまで放置するだろう。もし本当に大学生が自ら命を絶ったら不愉快な気分にはなるだろうが。
三浦春馬氏が亡くなった30歳という年齢は、現代人にとって絶妙な人生の長さに思えてならない。
自分を含め、「自殺という選択肢が脳の片隅に少しでもある人」の場合、30歳になるとこんな事を考える。
思春期が人生の絶頂期という主張は極論だ。だが思春期が終わってからの数年間も、広い意味ではモラトリアムのような物。モラトリアムが人生の絶頂期という考えであれば、なるほどと腑に落ちる。20代の終わりという年齢が人生の一つの大きな節目である事は客観的に見ても事実であろう。
20代の終わり頃から頭が固くなり、新しい物を取り入れる柔軟さが衰えてきた。なので、自分が今抱えている希死念慮は5年・10年という短いスパンで解決する事はおそらくない。場合によっては一生付き合う覚悟が必要になる。希死念慮を抱えながら生きる今後数十年という長い人生、真綿でじわじわと首を締めるような緩やかだが確実に精神を蝕む苦痛に、自分はこれから耐えれるのだろうか。
中高年の中には日々を惰性で生きる者、生きる事が苦痛でたまらないのに、何らかの事情で自らの命を絶てない者や、命を絶つ覚悟も、そのための行動を実行する気力もない者が大勢いる。後悔のない人生を送る人間はいないかもしれない。きっと彼らだって自ら望んでゾンビのような生き方を選んだわけではないのだ。では自分はどうだろうか。彼らのような中高年になりたいか問われれば答えは「NO」である。だが自らの命を絶つための気力がまだ残っているか問われれば「YES」と答える。
もうここまで生きたのだから、これ以上生きられなくても別に構わないと考えるようになり、ある程度自分の人生の見通しが立ち、精神が未熟な頃から抱えていた漠然とした不安が実感となって襲ってくる。それが30代という年齢だ。
ここで断っておく。
私は当分の間は自ら命を絶つつもりはないし、誰かにここまで生きたのだからもう休んでいいのでは、と自殺を推奨するつもりだってない。2020年が終わる前に、自分の考えを記録しておきたかった。ただそれだけだ。
三浦春馬氏よりも若い20代か10代の若者がこの文章を読むと負の衝撃を受けるかもしれないが、匿名ダイアリー利用者の年齢層はもっと高いはずなので、若者の目に入る可能性は低いだろう。
まぁ、もし若者を憂鬱な気持ちにさせてしまっても、別に気の毒だとは思わないが。
人生に大した喜びもなく惰性で寿命を消費しているだけの中高年の怨嗟が渦巻いているこんな場所を覗いて、「ほら見ろやっぱり年長者だって、もっと早く死んでおけばよかったと考えてるじゃないか!」と、人の生が虚しい物である事をわざわざ確認している若者なんて、どうせ歳をとっても暗い人生しか送れないに決まってる。
医学の発展により人の寿命は伸びたが、人類の多くは伸びた寿命をいかに幸せに過ごすかという、幸福になるための努力を怠ってしまった。肉体を維持する技術の進歩に大抵の人間の精神はついて行けてないのだ。
もうこれ以上長生きしたくない。生きるのが苦痛だ。そんな悲鳴と虚しさがこの国を、この世界を覆うようになって、個々人の幸福を置き去りにして進んできた人類の長寿のための医学の歩みはやっと足を止めるのだろう。
しゃぶれよ
共感した。死は常に最後の救い。