はてなキーワード: 障壁とは
自分は個人でゲームを作ってて、スマートフォンとPC向けにリリースもしてる。
売り上げも全くないなんてことはない。
ただ、プラットフォーム内での評価は★0だ。つまり、1件の評価だってもらえていない。
なんの反応もないのは、プロダクトの質が悪い証左だというのはそれはそうだと思うし、反省もする。
それを承知の上で、個人開発界隈で声の大きい奴らが言う「★5レビューを寄越せ」というような内容について愚痴をこぼさせてほしい。
具体例もあげたいんだけど、万が一特定されても面倒だし、適当にggってほしい。これを言ってるやつはいくらでもいる。うんざりする。我慢するのももう限界だ。
ユーザー目線に立って考えてほしい。声の大きい開発者が言う「★5レビューを寄越せ」という言葉を毎日のように目にしていたら、
正直★3くらいかなぁ……というようなゲームを遊んだ時にどうするか? ★5はつけがたいし放置するか……と、そうならないか? 俺はそうなると思う。
これで得するのは、既に「声が大きくなっている」開発者だけだ。自分の評価を高止まりさせつつ、俺が作ってるやつみたいな「本心なら★1~4かなくらいのゲーム」には★が一切つかないことになる。実際なってる。
新人の成り上がる道を一つ潰して蹴落としつつ、既得権を守るために発しつつユーザーのメリットをないがしろにすることでバカにする言動、
ライターであったりユーザーであったり立場が異なればわからんが、
少なくとも開発者の言う「★5レビューをしろ」という発言は概ねそういう性質を持っていると心得てほしい。
せめて好感度を下げるリスクがある、ってことを1人にでも多く知ってほしいし、そういう目でユーザーは冷ややかに見てやってほしい。
少なくとも俺はそう見てるし、俺がそう見てるってことは他にもそう思ってるやつはいるだろう。
匿名じゃない状態で声の大きいやつらに噛み付くリスクは高すぎて、誰も表立って同調しないとは思うが……。
実際のところは、★1だろうが★2だろうが3だろうが4だろうが5だろうが、評価ボタンを押すこと、コメントも残すこと、それはユーザー目線でひどく面倒なことのはずだ。
そうじゃないなら「★5レビューください」って言ってる人はさぞたくさんのアプリに★5とコメントを残していることだろうが、そういう開発者のレビュー記事みたいなのを見ることもあんまりない。
それをしたら相対的な自分の位置が下がるわけだからやるわけもないよな。
ひどく面倒なのにユーザーはなぜやるのか? と言えば、基本的にはユーザー同士の指標を共有するというのがメリットのはず。
だから「★5をつけろ」とアプリ内で言うのはリジェクトされる。(売り上げランキングもユーザーにとっての指針として有意だからこそ、最果てにバベったりすることは禁止もされてる)
つまり、本来ユーザーに「こういうレビューをつけてほしい」なんて言うことはダメなことなのだ。
なぜそれをSNSやブログだと大声で言ってしまうのか? 法人比であまりの遵法(規約的な意味や倫理的な意味も含めて)意識の低さ、ユーザーの人格や労力を軽く見すぎていることに吐き気がする。
実際、有力なゲーム会社で「★5をつけろ」なんて言ってる広報見たことがあるか? ないよな?
同じプラットフォームに上がっておいて、自分たちは個人なんでインディーなんでって逃げて恥ずかしくないのか?
てめーのメンタルなんてユーザー的には知ったこっちゃないのよ。
それが大事ならそういうマーケ部分をアウトソーシングすりゃいいし、それができないなら黙って受け入れるのが筋で、ユーザー側に責任転嫁するのはちゃんちゃらおかしい。
ケータイ会社とかだって「5以外は査定に関係ないからとにかく5をつけろ」と販売員は言ってきたりするが、追々本社からくるメールで「こういう催促はなかったよね?」と確認されるし、そこであったと伝えてやれば相応の報いもあるのだろう。
ケータイ会社の販売員レベルのリスクすらなく、表だってそんなことを言ってしまうのはどうかと思うわけだ。
★1だろうが2だろうが「クソゲー」的な簡易な表現だろうが関係なく、ユーザー心象であったりといったことはマーケ的には本来お金払ってでも得たい貴重な情報なわけ。
俺は喉から手が出るほど欲しい。あるまとめサイトに載った時に「クソゲー」ってコメント欄にあって心底安心したもんだよ。遊んだやつがいるんだ、やっぱりクソゲーなんだ、がんばろう、わざわざコメントしてくれてありがたいな、って。
匿名のまとめサイトにはそういうコメントを書けるのにストアの評価欄には書くことが許されないような風潮、それが本当に腹立つし迷惑なんだ。八つ当たりだけど。
自分がユーザー心象を探しに行くのにメチャクチャ手間かけさせられてるのと同じことが、ユーザーからも言えるわけよ。
実際★1とか★5なんてのはだいたいが信者かアンチか社員かマーケ費用から出てると相場は決まっていてアテにならん。
最果てにバベった前例があるような業界がそのくらいの工作しない、ということも当然ないだろう? 表立って言わないだけ筋は通ってると思うが……。
だからユーザーとしての俺は★2~4のレビューしか見ないわけだけど、これのボリュームが少なすぎる。もっと書こうぜ、★2~4のレビュー。
結局ユーザーブログとか見てどんなゲームかな~って考えてから買って……って2度手間じゃん。本来その手間を省略してくれるのがストアのレビュー欄なんじゃねーの?
実際問題、例えばgooglePlayストアだとアカウント名が名前になるからコメントする心理的な障壁はすごい高いわけだよな。
googleアカウント複垢してアプリ管理してるやつのほうが稀だろうし。
そういう人たちが残してくれた評価やコメントは、それがたとえ開発側にとって理不尽内容であったとしても、
ありがとうございます! 感謝! のスタンスでいてやってくれよ。
もっと気軽にレビューしやすい風潮こそ、個人開発勢も含めたゲーム業界全体が作っていくべき空気感なんじゃないか?
結果的にユーザー的に不利益も被ってるわけだから、これはユーザーとしても噛み付いてほしいし、弱小個人開発勢としては何度も言うけどやっぱり腹立つのさ。
「クソゲー」の一言でも、★1であっても0よりはいい。救われる。
それを見て、そこまででもなかったんじゃないか? って感じたやつが4とか3とかつけていって最終的に2.5くらいで落ち着く……みたいな、そういう健全な空間であってほしいものだよ。
「★5以外はいらない」って声高にいってるやつらを見て、これまで正直に★1~4をつけてたやつも安心してほしい。お前は悪くない。声の大きい開発者全員がお前を責めたとしても、俺は味方だ。
本当、アカウントの信頼感というリスクを背負ってストアレビューしてくれる奴らは神なんだ。
ユーザー間でも積極的にやってくれてるやつは褒めてやってほしいし、開発側も「最高評価だから」褒める、嬉しいじゃなくて、
かまってくれただけで嬉しい、って対応してやろうぜ。誰もいなくなったらマジで最果てにバベる感じになっちまうぜ? 全部業者のレビュー欄なんて嫌じゃん。
いつか俺のやつも★0から1以上になってたらコレ以上嬉しいことはないよ。
「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の改正に向けた
http://www.okayama-u.ac.jp/user/jsgid/210521_seimei.pdf
”手術を受けたくない性同一性障害当事者にとっては、戸籍上の性別変更への大きな障壁” →ちんぽこあり女が戸籍変更OKにしていきたい
公式サイトからダウンロードして、インストール用USBメモリを作成(ここが障壁になるかもしれない)して挿入、起動すればそのままマシンにインストールして利用できる。この辺はWindows10とほとんど変わらない。
インストーラはWindows10よりも簡単でスムーズ。Cortanaも起動しないので静か
UbuntuはCanonicalという企業が開発・保守している
6か月に1回の新バージョンと2年に1回の長期版バージョン(5年間サポート)の公開が保証されている。大きな変更の更新頻度としてはWindows10と大して変わらない。更新内容もWindows10より穏やかでアップグレードして何か不具合が起きるということもあまりない。
Webブラウザはもちろんあって、既定のFirefoxをはじめ、ChromeやEdgeなど、Windowsでも見知ったものばかりである。そしてWebブラウザの中に限って言えばブラウザ内はWindowsと同じである。
つまり日本語入力さえあれば(Ubuntuではもちろん標準装備)Web上のアプリ・サービスの使用になんの障壁もない。
Webブラウザ以外のアプリケーションについても、ほぼWindows10での代替品は揃っていて、そのほとんどが無償で手に入るが、これからはどんどんWebアプリに移行していくと思われる。
私は第4世代のCore i3の自作PCにUbuntu20.04LTSをインストールして使っているが、体感上何も問題なく使えている。
入試は嫌だが就活のために学士はほしいとAO入試で遠方の大学に転がり込んだ。
自堕落な生活で18まで守り抜いた勉強童貞のツケが回ってきた。
まず90分の講義を集中して聞き続けることができない。
寝過ごすことはなくとも、話が右から入っては左から抜けていく。
さらに私は字が異様に汚い。ノートを取っても読み返す気はさらさら起きない。
機能をメモ帳のみに制限したPCを持ち込んだこともあったが、プレーンテキストで構成されたメモは参考書の劣化版としかならなかった。
そして根本的な問題が、勉強の仕方がまるで分からないということだ。
正確には勉強の仕方が分からないという言い訳に逃避し決して勉強を行わない姿勢に問題がある。
何せこの言い訳は人生の半分以上付き合ってきた腐れ縁である。1年と100万円を無駄にしてもなお離れることのできない強固な絆でつながった存在なのだ。
その結果過去問を解ける状態にすら辿り着けない。そりゃそうである。
これを徹底的な先延ばし癖と早期の諦め癖がアシストすることで、課題提出による救済をも無に帰す。
1年の時間と学費生活費100万円という勉強代を払ってもなお、以上の問題の解決には至っていない。
その結果講義終了時の小テストを提出できなくなった。1年次はかろうじてできていたことができなくなってしまった。
私の通う大学では、学生の理解度と出席の確認を兼ねた小テストがほとんどの講義で課される。
授業終了時、その日中、1週間後と提出と期日は様々であるが、難易度は低い。
しかしながら私はこれを出せずに出席日数を確保できず、2年生としてリスタートを切った今も3つ以上の講義で落単が確定している。
諸悪の根源は先述の先延ばし癖と諦め癖である。特に後者の存在が大きい。
分からないなりに課題に向き合いあがくことは時間と手間がかかり心苦しい。だが諦めればその場の苦しみが一瞬で終わる。
何もせず教室を出る、タスク表に書かれた課題を無心で消し去る際のコンマ数秒の開放感こそ私が新たに発見した蜜であった。
こんなんじゃまた留年しちゃうよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ヤダヤダヤダヤダしんどいうぇ~んぴえん
ちょっとプログラミングできる、っていうレベルの人が一番うざい
長い月日をかけて誰にも使われないソフトウェアが完成する
完成する頃にはもう居ない
自分はサーバサイドだから、フロントエンドだから、AIだから、とか言ってその分野ばっかりやる人
ぶっちゃけその分野もこっちでやった方が早いしできるんだけど
まぁそれはみんな一緒かもしれんけど同じことばっかやってて成長しない
最近のQiitaにも多いけど「こうしたら動きました」って言って内容理解してない人
これってどういう意味?って効いたら「コピペしてきました」って言う(意味を聞いてるんだが)
大抵は冗長かつ不十分な実装になっててしばらくして動かなくなる
まぁ誰しも通る道だとは思うので丁寧に指導はするけれど
その日の予定はその日に決まるのが、一番ストレスないと思っているので、なるべく予約せずに済むよう生活したい。
一方でワクチン接種や一日○組限定の飲食店などは、提供者の都合上、予約必須であるため、そこに対するこだわりはない。むしろ進んで予約する。
コンサートや映画なども、予約した方が良い席で見られるのであれば、予約する。でも本当は当日ふらっと見に行きたい。これは「仕方なく予約する」部類。
初めて行く土地であればなおさら、到着の時間が読めなかったり、寄り道して時間を潰してしまう恐れがある。また道に迷う事もある。そして予約時間が決まってると、間に合わせることがストレスになる。
「女性が活躍できる社会」と言われた時、大体「産休、育休が取れる」という事が挙げられる。
女性が活躍するにあたって障壁となる「生む・育てる」をデメリットにしない作戦だ。
でもよく考えて欲しい。現代になって、「生む・育てる」を男女で分担しようという気風が高まった。生む、育てるは女性だけが責任を負う事では無いからだ。
これも女性が活躍できる社会にする為だが、その結果「産休、育休をとれる」のは男女にならなければいけない。
この時点で矛盾が生じる。会社も家庭、どちらも女性の為に動いているのに、結果的に「女性が活躍する社会」ではなく
一つの例を考えてみよう。女上司が子供が出来たので、産休、育休をとった。
その穴埋めの為に独身女性が女上司の代わりに残業し一生懸命働き、ほぼ上司と同じスキルを身に着けた。
一年後、女上司が帰ってくる。その女上司は残業もせず、仕事量も少ない。以前よりスキルも落ちた。しかし給料も地位も変わらない。
この際、この独身女性が損をしない一番の選択肢は何だろうか。正解は「育休、産休をとる」である。つまり結婚して子供を持つ事だ。
独身女性は「自分の選択」により結婚したが子供には恵まれなかった。無能な上司の元で女性は働き続ける。
人はやめていき、会社の業績は当然下がる。
極端な例ではあるが、中小企業や下請けには似たような事例がいくらでもある。
会社・家庭、どちらも女性の為に動いた結果、結果として女性の総体には結婚し子供を産むことが強制され、
1970年代のアメリカ合衆国の経済が、インフレーションと景気後退に苦しむ傍ら、日本は世界第2位のGDPを誇るまで経済成長を続け、対米貿易は10年間以上も黒字を続けていた。一般的にこの時期の円は実力以上に安かったと考えられており、ここから米国内の対日感情は悪化する。
世界への輸出を伸ばし続ける日本に対し、米側では貿易関係者が通商産業省を「ノトーリアス・ミティ(Notorious MITI、悪名高き通産省)」と表現したり『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という書籍がベストセラーになるなど「驚嘆すべき成功を続ける日本経済」への関心が一般市民の間でも好悪両面で高まる。
1980年に、アメリカ合衆国大統領がカーターからレーガンに交代しても、前半は米大手自動車メーカーのゼネラルモーターズが生産規模を大幅に減らしリストラを行うなど[1]米国経済の迅速な改善はなく、失業率は一時10%に迫った。
対米貿易で莫大な黒字を拡大し続ける日本は好況に湧き、1960年台から対日赤字を続けるアメリカは不況に沈み、米国の自動車メーカーは、1970年代終わりから1980年代にかけて壊滅的な打撃を受ける。この対比は米国人の対日感情を悪化させ、米国では日本の市場の特殊性を閉鎖性とみなし、極端な円安を問題視して「ずるい日本」とみなす議論に支持が集まるようになる。反日感情が高まるなか、1982年には中国系アメリカ人技術者のビンセント・チンが日本人と誤解されて、3人の白人に撲殺される事件も起きた[2]。
不況と反日世論の高まり、各業界からの突き上げを背景に、アメリカ合衆国連邦政府は日本国政府に市場開放、輸入拡大を強く迫り、米国の輸出を妨害するものとして日本側の為替レートや業界慣行、関税を次々と遡上にあげることになる。日本側はこれに対して、1970年代に続いて輸出の自主規制を約束したり、農産品の輸入拡大を約束したり、関税の引き下げを約束するなど、繰り返し協力的な姿勢を示そうとするが、市場シェアを日本製品に奪われている米業界団体は、相次いで日本をダンピング等の法令違反で提訴し、対日感情は改善しなかった。
米国の経常収支が赤字になると、日本が不公正な貿易障壁を築いているとの批判が、1984年にも再び強力になり、日本はアメリカの対日感情の悪化を緩和しつつ、自国産業も保護したいなか、円安の是正や輸入の拡大を約束し、市場開放のための規制緩和を約束するが、大きな効果はなかった。1985年には先進国首脳会議の蔵相・中央銀行総裁会合で、為替をドル安に誘導するプラザ合意が実施され、ドル円の為替レートは大幅なドル安に転じたものの、これによっても米側の対日輸出は期待したように伸びなかった。
アメリカの対日赤字は拡大を続け、米国内ではますます日本の貿易障壁への批判が強まった。米国は日本を金融・関税など税制・ソフトウェアなど多くの分野で数多くの障壁を築いているとして強硬に迫り、日本側はそのたびに米側に妥協案を示すが米側は形だけの不十分な譲歩と見て日米の認識の溝は埋まらなかった。
この時期の米国からの「日本は自由貿易を掲げる経済大国であるにも関わらず実際には保護主義的に振るまい自国市場へのアクセスを制限している」という二枚舌批判、本音と建前を使い分けるという批判について、日本側も納得していたわけではなく、メイドインUSAが選ばれないのは日本側の発展によって日本製品がアメリカ製品の質を全体として上回るようになり、消費者にとって粗悪なアメリカ製を選ぶ理由がないためだとする見方が強かった。日本側では米側の要求については、生産性の低い米国産業の問題を棚に上げて国力の差を背景に日本にねじこみをかけていると理解しており、理不尽な押し売りであると見ていたが、内需拡大を繰り返し約束した。
1985年になると米国の景気も目に見えて改善していたが、日本の好景気はそれ以上に目覚ましく(バブル経済)米国では20年間にわたって莫大な対日赤字が続く上にGDP比の経常収支の赤字が過去最高を記録し、対日本の心理に目立って和らぐ部分はなかった。この時期はハリウッド映画でも日本側が日本叩きと受け取る描写が珍しくはなく、1985年から製作が始まったワーナー映画でも登場人物が日本製の電子機器を悪く言うセリフが見られる。1987年4月には、アメリカ政府は日本のダンピングを理由に日本製のパーソナルコンピュータとカラーテレビなどに異例の100%の制裁関税を賦課した[3][4]。
ここ数日、エロ動画共有サイトが俄に話題だ(本当はかなり以前から)。
皆いろいろと憤っている。当然だ。完全なる著作権侵害、知財の無断利用で金を儲けている奴など断じて許してはならぬ。別に違法サイトを擁護しようというつもりはさらさら無い。
が、それを前提にちょっと皆に聞いて欲しいことがある。どうしても言いたい事がある。
あそこのエロ動画共有配信サイトもこの動画視聴アプリも、お前ら全員もっとTokyomotionを見習えクソが!!
いやもう正直言って今更サイト名伏せる意味もそこまで無いやろと思うので特に伏せずに発言する。
Tokyomotionは確かに違法サイトであり、「タダでエロ動画が視聴できる」というのが一番大きなセールスポイントだ。しかし、だ。ハッキリ言うがTokyomotion.netは「タダでエロ動画が視聴できる」という点を差っ引いても、下手な正規ルートよりよっぽどユーザーに優しい作りになっている。その事については強く主張したい。
私がTokyomotionという名前を知ったのは半年ほど前だ。確か「Xvideos」や「xHamster」や「Pornhub」辺りに飽きが来ていた時だったように記憶している。この頃から多少マイナーなエロワードを(Goodle Videoで)検索すると検索結果の1ページ目に頻繁に出力されるようになったように思う。
いい加減よく見かけるので違法サイトのくせによっぽど人気あるのか、と興味本位で実際にサイトを覗いてみたのが2ヶ月ほど前のことだ。
ここでまず誓って言うが、私はあくまで「どんなサイトか」を知るためだけに見たのであって、決して「タダでエロ動画を視聴する」ためにサイトを見た訳ではない。その時に試しに視聴したエロ動画はいずれもその時手元にあったエロ動画だけだ。
勿論、動機がどうあれサイトの閲覧数に貢献し、運営者の懐に入る広告料に寄与してしまったのは事実である。そういう意味では一度でもTokyomotionにアクセスしてそこでエロ動画を視聴してしまった読んでしまった時点で罪になっているとも言える。が、そのへんは一旦棚に上げて頂きたい。
で、だ。Tokyomotionで違法にアップロードされたエロ動画を視聴した私の感想は
「ああ、こりゃ抜けるわ」
だった。
まず誤解している人も多いみたいなのだが、Tokyomotionは違法ダウンロードサイトでは実は無い。あくまでTokyomotionのエロ動画はブラウザ上で視聴することが出来るようになっている。(ひょっとしたらDLも出来たかも知れないがそこは置いとく)
ハッキリ言ってこれはデカい。ダウンロードとブラウザ上で視聴するのとでは圧倒的に後者の方が「視聴」に至るまでの心理障壁が低い。違法サイトと知りながら読む場合の「罪悪感」的な面でもそうであるし、単純に「暇つぶしにエロ動画でも視聴するか」と思った人にエロ動画を視聴させる場合、下手すると金銭以上の差がそこには生まれる。
で、実はこの点をちゃんと分かっていない人がエロコンテンツを売る側でも未だにかなり多いように思う。
(略)
重ねて繰り返すが、違法サイトは違法である時点で擁護の余地は一欠片も無い。
しかし、だ。アダルト業界関係者が「違法サイトのせいでエロコンテンツが売れない。アダルト業界の危機なんだー」と騒いでるのを見ると、勢い
「お前らそんな事の前に他にもっとやれる事がいくらでもあんだろうが。ちっとはTokyomotionを見習ってみろクソがあ!」
と喚きたくもなるのだ。
(あいつは違法サイト擁護してる、みたいなこと言われるのが嫌で増田で書いたけど、私を知ってる人は私が誰か即分かると思う。まあ分かっても黙ってスルーしてくれると助かる)
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コメント:この種の主張をできる事自体が嗤えるし、Tokyomotionの運営は反社。漫画村の運営も反社であり犯罪者。漫画であれエロ動画であれ、違法コンテンツを視聴することにより自動的に「反社・犯罪者の協力者になる」ということに気づかないと駄目だね。そこに気づけないのは恥ずかしい。
給料は悪くないが、今いる会社ではキャリアもスキルも天井が見えてきたので転職を考えている、そんな感じのよくいるITエンジニアだと思う。
増田のいる会社は特別大きいわけではないけれど、毎年ちゃんと新入社員が入ってきてくれる。
それも見境なく採用しているわけではなく、しっかり採用計画を立てた上で当人のスキルや志向を見て合否を判断、予定の人数に着地させている。
学生からすれば大手に落ちたらなんとなく面白そうだしで入ってくれるような会社、という立ち位置に落ち着いているようにも思うし、実際増田もそのクチである。
さて、繰り返しになるが増田のいる会社は特別大きくはないため、新人研修も大規模なものではなく、多くは社員に時間と担当科目を割り当てて行っている。
その内容は組織や事業の紹介をはじめとして、開発ツールや技術の軽い演習を交えた研修など多岐に渡り、それなりに立場のある者から2-3年目の若手まで、自身で資料を用意して新人研修に臨む。
スケジュールや大筋の内容は事前に決められるものの、細かいコンテンツについては割り当てられた社員に一任されている。
増田も例に漏れず毎年新人研修を担当しているのだが、他の研修を覗くと年々ブラッシュアップされていて、改めて一式受けてみたいと思えるほどだ。
2-3年目の若手が技術的な背景までしっかり理解した、それでいてかみ砕いた分かりやすい研修を行う姿、また入ってきたばかりの新人が理解して使いこなせるようになっていく姿は毎年増田を驚かせてくれる。
個人差は大いにあるものの、平均的には毎年新入社員の質が高まっているように感じる。
もちろん大学で学ぶ内容も増田の頃からすれば進化していて、注入される知識や技術が現代的なものに入れ替わっているのもあるだろう。
しかし技術の学習コストは過去の類似技術と地続きで学ぶよりも新規参入して学ぶ方が高くつくもので、優秀さは疑いようのないものだと思う。
このように若手が優秀に映ることで、若手よりも高い給料をもらっている増田には、若手の評価面での天井となってしまわないようにしなければというプレッシャーが生じている。
増田がしっかり評価されないことには子弟関係にあたる若手たちも増田ほどでないということで評価されないし、増田の上司も増田をうまく使えていないということで評価されなくなってしまう。
彼らの障壁となってしまわないよう増田自身も優秀でありたいと思う一方、増田視点での増田の評価の天井、ひいては給料の上限も見えてきているので転職もありかなと思う次第である。
今の給料が十分であるかとは別の話で、高く評価されたとしても給料の伸びしろがないことが分かってしまうと、その後の就業意欲に影を落とす。
成果を出せば出した分だけ、成長すれば成長した分だけ評価され、評価の結果として報酬を得たいのが人間の性であろう。
ありきたりな結論になってしまったが、今の若者は優秀であり、優秀な若者が優秀なまま活躍し続けるためにも、はたらきに見合うだけの報酬を、十分な伸びしろをもって提示すべきだろうと増田は思う。
そうかな?
おれも2000年代から中国の継続的な発展を確信していたが、米中貿易戦争で雲行きが怪しくなり、香港制圧バイデン就任台湾ウイグルで黄信号と思っている
一人当たりGDPも10000ドルに到達してもはや工賃が安い国ではない中で、国内市場を継続的に発展するしかないわけだが、その市場はこれまでの障壁をとっぱらうように外圧がかかっている
これが出来ないと諸外国の対中国の関税は引き上げられるだろし、TPPみたいな貿易広域連合には入らない
自前で貿易広域連合を作れればいいのだが、シルクロード〜アフリカも、いまや中国より1人あたりGDPが低い国だらけで市場は無い国ばかり
私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿。
http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html
バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性に異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的を批判している人はほとんどいない。
でもこの記事を最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。
私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。
ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。
だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視がはいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないかは全然違う。
もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。
不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。
逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。
私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。
私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。
通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。
なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから、会社の入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、①道路、通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。
見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。
そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。
自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。
電車の時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的の電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車が普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。
そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。
本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすくホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。
少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき、普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする。
私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。
集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。
もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖や身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。
私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。
広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命の問題に直結する。((ホームと線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))
その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。
一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。
https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html
ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。
ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。
でも、生命にかかわることだから、優先順位は一番高くていいのではないかと思う。
日本視覚障害者団体連合もホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣に要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治や企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。
働きかけを行うべき先は、政治も企業もしかるべき権限をもつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。
http://nichimou.org/notice/200923-jimu/
歩道や施設などの通路、ホーム上にある点字ブロックは日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。
また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。
https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html
でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。
ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅で視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロックが問題と指摘された。
https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6
ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目からの情報が少ないため、点字ブロックを認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。
点字ブロックはとても有効な設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html
点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色のブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?
そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロックを歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。
でも弱視者には、これがわかりづらい。
視覚障碍者は全盲の人ばかりではないという認知がもっと広まってほしい。
「視覚障碍者は見えないのだから、点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。
少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。
視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)
また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)
さきほども書いたが、視覚障碍者は全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。
ところで、視覚障碍者が白杖を持つ理由は次の3つとされている。
https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/
障害物もなく、路面が確かな場合、ロービジョンの視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分の存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。
それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。
点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?
いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?
視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。
伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。
私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー」問題だ。
伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。
確かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。
でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦や精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。
それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー」議論はほとんどなかった。
いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。
案の定、伊是名夏子さんの投稿は炎上した。あの投稿を批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブルの作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。
現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブルの作為性を巡って反感を買いやすい。
伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ちも理解できる。
しかし、何かバリアフリーの課題を改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。
そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。
分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。
伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。
一方、こういったネットの炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗に非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。
確かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。
しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。
話は変わるが、視覚障碍者の投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。
他の障碍者やハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。
そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア(障壁)を持っていると思う。
心の中のバリア(障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。
インフラは整っているが、人の心の中はバリア(障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?
今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア(障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。
私はまだもやもやしている。
実現不可能なものを根拠なしにできると主張するのは無知無能だからである
もっと基礎研究寄りなら問題ないかもしれないが、研究費も金であって限度があるので、実現不可能なことにはお金を出せない
だから、まず人間の目のここの仕組みを解明したいとか、ここの仕組みだけを実現したいとか、
問題を分割し、細分化した中からチョイスして、お金があればできるんだけどね、と言わないとまず確実にお金は降ってこない
昔のメガネのない時代は、どれだけ多くの人が近視や乱視、老後の遠視で苦労されただろうか
まず、メガネを実現するためにはレンズの発明が不可欠であったはずだ
そして、人間の目も動的に変形するレンズと言っても過言ではないだろう
自然界にあるレンズのようなもので小さいものが大きく見えたとき、
直感的にこの方向でルーペが作れる、メガネが作れると思ったのかも知れないが、
社会的問題も同じで、根本的解決ばかりを考える人は端的に言えば、考えていないのである
そして、その根本的問題に自分より遥かに優れた人が大量にいるであろうこの世界で、みんながノータッチということは、
その根本的問題を解決するために現在の技術では不可能にする何らかの障壁があるとか、そういうことであろう
自分が世界一頭がいいと断言できるならまだしも、そもそもそんな人がいるかも疑わしい
そして、その問題の枠からはみ出た問題については一旦考えないということが大事である
逆に言えば、問題を適切に設定していないから、問題が解決できないのである
その中から解決できそうなものをチョイスするとか、それを組み合わせてみたりする
そうすると、共通の解決方法で複数の小さい問題を解決できるかも知れない
メガネはフレームは共通であっても、近視、遠視、乱視に対応できている
これは共通のプラットフォームであり、フレーム自体も研究開発するに十分な題材なのである
目の前の問題に、まずは適切な問題の設定とハックで取り組むべきである
もちろん、それでも解決できないというのは相当な難題ではある
残念ですが手遅れです。
F欄に入学することで彼女は「自分たちは努力で名門に受かった。この子は頭が悪かったんだね。」と認定されます。
精神障害の家族の面倒はヤングケアラーと認定されるかどうか微妙。「毒親のせいにするな」と被害妄想グループに入れられてしまい、黙ってた方がマシだったりします。
すぐにでも家族を捨てて、将来を考え勉強するための時間を少なくとも数年間は確保して、まともな大学でまともに勉強すれば階級を上げられるかな?
学費と生活費を捻出すること、今まで教えられてきたハマータウンの倫理観を捨てること、彼女自身も困難な治療が必要になる可能性の高いこと、低スペ自業自得という偏見に晒され続けること、さまざまな障壁があり
努力するための目標設定のためにまずは希望やモチベーションを持つ、ということができない可能性が高い。
すぐにでもあなたと学生結婚して二人でバイトでもしながら、彼女が経済的に自立するまで子どもをつくらずに頑張る?
ダメな家庭で育った人はまともな関係の築き方がわからないので若い間は特に不幸な結婚生活になる可能性が高い。