はてなキーワード: 陶芸とは
かつて親の金でニューヨークに旅行した時、みんなのうたの「メトロポリタン美術館」の聖地巡礼としてメトロポリタン美術館に行った
お目当てはあの「大好きな絵の中に閉じ込められた」の絵(エドガー・ドガ『踊りのレッスン』)だったけど、他にもいろいろすごくてそこは霞んでしまった
まず入館料のシステムが面白かった 最近普通になったというニュースを見た気がするが、俺が行った段階では払いたい額を払うってシステムだった とはいえ目安の金額は書いてあるし、俺もさすがに1ドルだけ払って入る勇気はなかったからちゃんと学生料金の12ドルくらいを払って入った
館内はマジでメチャクチャデカくて、一つの展示品に5秒とかしかかけなくても全部見て回ったら2時間くらいはかかるんじゃなかろうか
特筆すべきは美術館って名前の割に展示品の幅が広いこと 絵、彫刻、陶芸品に加えて鎧兜、剣、民芸品、家具、食器、はては神殿の再現なんかもあって本当になんでもある
なかでも感動したのは巨大なベッドがある部屋の展示 近代くらいの雰囲気の家具が並べられたひと部屋があって、そこに梯子がないと登れない大きさのベッドが鎮座している いったいあれがなんだったのかはよくわかっていないが、とにかくインパクトがあった
武具の類も充実していて、ゲームで見るようなフルプレートアーマーとかヴァイキングの剣とか馬鎧とか日本刀とか、中二心をくすぐるものが大量 いかにもアメリカ人ぽいオッさんが刀の写真をとるのを妻っぽい人が見守ってて良かった
もちろん絵画もすごくて、ゴッホとかの絵がその辺にゴロゴロしてる 俺は美術の素養がないけど、さすがにあれだけ物量があるといいなと思う絵もそれなりにあって楽しめた 知識があれば本当に楽しいだろう
メトロポリタン美術館は最高 また行きたい
今日は給料日だったので引き続き催促のメールを送ったあと、一度抜けて銀行ATMまでおろしにいってきた。現金は大事。ついでにちょっくら買い物。
ナントカの一つ覚え的にかき玉ばっかり作っている。私の腕前でもすぐにできるし、野菜と卵が一度に摂れるのでちょうどいいのだ。
家では割とテレビつけながら仕事しているので、フルタイムの仕事というよりは内職感があるなあ。
夜は昼の残りのかき玉に、ツナじゃが。
今使っている茶碗は就職直前に陶芸教室へ通って突貫工事で作ったものだけど、さすがに15年近く同じものを使うのに飽きてきた。
でも、壊れてもいないのに茶碗買うなんてまさに不要不急。
平常時でも、いろんな皿や茶碗がほしくなるけど意外とよく使うものは決まってきている。断捨離すべきか。だいたいときめいているモノなので手放しづらい。
岐阜県現代陶芸美術館のニーノ・カルーソ展に行ってまいりましたわ
2017年に亡くなっていて死後初の展示会になるとか
モジュール自体もひとつの美術品で、組み合わせも美術品になるという
二重の門という作品がちょうど通路の突き当りの壁に展示されていて
まるで通路がその奥まで続いているような空間効果を出していたました
いつもは仕切られている部分も壁状の作品で区切っていらっしゃいますわ
撮影可能な最後の展示室は、博物館建物の柱も魅せたいのかしらと思ってしまいましたわ
スーパーマーケットの手すりをデザインした時にもらった端材からはじめた
鉄の作品も展示されていて、ガス溶断・ガス溶接の跡が生々しかったですわ
作品構想のスケッチをみるとニーノ・カルーソ様は脳内3DCADの人でしたのね
若い頃の精油場(自動車関連工場?)勤務の経験が活きているようでした
ギャラリーヴォイスの茶碗に挑んだ麒麟児たち展も拝見してまいりました
多様な茶碗が展示されていて、大半はお願いすれば手に取ることもできるそうです
わたくしは怖くてやめておきましたけれど
ひとつひとつの作品に込められた時間を想像すると気が遠くなりますわね
あと多治見市図書館の1階では、東日本大震災の写真が展示されていました
車、家、ルンバ、食洗器、洗濯乾燥機あたりを揃えたら、そこからお金の使って何か欲しい!って思えるものないんじゃないだろうか。
余ってるんだったら投資しろというが、投資で稼いでも投資に戻すだけになる。
趣味に生きろというが、例えばDIYなんて電動工具使うだけで近所迷惑になる。
釣りも年間パスポート制で釣っていい時期が決まってるし、時期になると業者で溢れる。
プラモデルは家に置いておくと怒られるし、スプレーなんて使おうなんてできない。ジオラマも同じ。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 118 | 12451 | 105.5 | 33 |
01 | 66 | 6995 | 106.0 | 34 |
02 | 26 | 4882 | 187.8 | 44.5 |
03 | 15 | 1145 | 76.3 | 53 |
04 | 17 | 1913 | 112.5 | 62 |
05 | 30 | 2629 | 87.6 | 61.5 |
06 | 42 | 4180 | 99.5 | 64 |
07 | 26 | 2857 | 109.9 | 33 |
08 | 87 | 6891 | 79.2 | 44 |
09 | 93 | 8116 | 87.3 | 41 |
10 | 117 | 11609 | 99.2 | 58 |
11 | 153 | 13116 | 85.7 | 46 |
12 | 170 | 15672 | 92.2 | 45 |
13 | 148 | 8547 | 57.8 | 33 |
14 | 113 | 9348 | 82.7 | 46 |
15 | 112 | 7702 | 68.8 | 45 |
16 | 95 | 9194 | 96.8 | 47 |
17 | 92 | 8658 | 94.1 | 36 |
18 | 158 | 17353 | 109.8 | 30.5 |
19 | 92 | 7931 | 86.2 | 36.5 |
20 | 111 | 11666 | 105.1 | 33 |
21 | 101 | 7165 | 70.9 | 34 |
22 | 151 | 14647 | 97.0 | 40 |
23 | 101 | 7561 | 74.9 | 36 |
1日 | 2234 | 202228 | 90.5 | 40 |
ZIPPO(3), 1月14日(3), 立てこもり(3), イボ痔(3), イニエスタ(3), チャンネル桜(3), 大澤(6), 懲戒解雇(4), 電気毛布(4), 陶芸(3), ミラノ(3), 姓(20), 小泉(15), 理念(11), エスカレーター(8), アル中(6), 進出(6), 子連れ(6), 依存症(6), 麻生(5), 戸籍(5), 育休(12), アパート(11), 若手(9), 自社(8), 少年漫画(8), 少女漫画(9), ID(10), 台湾(7), サヨク(8), Windows(6), ないか(10), 恋愛(33), おもう(20), 議員(12), 思い出す(10), 東大(19), 覚悟(13), 買わ(12), おすすめ(17), 障害(16)
■突然嫌な思い出がよみがえって叫んでしまい悩んでいる(追記) /20200115003659(38), ■もう親に無償の愛を要求するのはやめて /20200115110911(23), ■安アパートで寒すぎる、どうしたらええんだろ /20200114220825(22), ■会社で粗品を作ることになった /20200114212955(20), ■こういうタイプの映画 /20200110132752(14), ■他人の姓を変えて良い人間は自分の姓を変える覚悟のある人間だけだ /20200111140425(13), ■好きなことだけして嫌なことを全て避けて生きてみた結果 /20200114132919(12), ■妹の結婚式会場がクソだった /20200108122002(9), ■新宿乗り換えで通勤するとソウルジェムが濁る /20200115121354(9), ■40代の恋愛(しんどいやつ) /20200115185254(9), ■エロ漫画とフェミニズムは相性いいよ /20200115104415(9), ■anond:20200115104415 /20200115105418(7), ■めぐみんって、このすばのキャラクターだろ? /20200115185532(6), ■母さん「中に出して!」 父さん「イク!」パンパンッ 未来から来た俺「やめろ!」 /20200115174211(6), ■ゲーム機別向き不向きジャンル /20200115173547(6), ■2020年のフロントエンドJSフレームワークを考える /20200114233556(6), ■おっぱいの描写が上手な作家 /20200114175822(6), ■鬱で非正規の友人に正社員の仕事を紹介したら鬱がマシになった /20200115231121(5), ■ゴジラ映画でゴジラに性器が付いてないのは差別では /20200113132810(5), ■一人暮らしの新生活準備 /20200115004530(5), ■居合いって一生使う事ない技術じゃね? /20200115005540(5), ■恋愛ってしなきゃいけないもんなのか? /20200115010536(5), ■ファッションに悩んでる清潔感皆無なブサ男だけ来い。脱出するコツを伝える。 /20200115091651(5), ■醤油のパックを舐める癖 /20200115121439(5), ■左派野党を選ぶメリットって何? /20200115124325(5), ■ /20200115125605(5), ■anond:20200115110911 /20200115134521(5), ■Steamのおすすめゲーム /20200115184610(5), ■なぜ日本の学力順位が落ち続けているか? 金使ってないからに決まってんだろバーカ。 /20200115214152(5), ■好きになられた人を好きになれずに好きになった人に好きになられない人いる? /20200115215813(5), ■性犯罪の難しさ /20190922141235(5)
6954177(4614)
・「靴の踵がすり減った女」「服装のだらしない女」を狙えと本質的には同じ
・男女問わず、興味も無いのに出会いを目的として趣味の場に踏み込んでくる人間は嫌われる。
・男女逆で「理系男子は女慣れしてないから狙い目!」は叩かれない?チョロいから狙い目ですよって言われりゃ男女問わず不愉快。でも何故こちらは許されがちなのか。
→草食系男女ブーム、優しい男、線が細くて眼鏡の似合う知的な男が好き、一定の需要がある。塩顔、しょうゆ顔や、体育会系、文化系のような好みの問題として許容されてる?でも男のおとなしい女子が好き、は昨今叩かれがち。
→言葉選びがマズい。
→属性の規模によっては忌避感がある?ハンドメイドは今の時代ややマイナー趣味、でもこれが編み物女子、陶芸女子だとピンポイント過ぎて「そっか」って感じでは?釣り女子アウトドア女子だったらどうだろう、やっぱりモヤっとするだろうか。理系男子…は実質メガネ男子ぐらいに相当するので、メガネ女子を狙え、ぐらいのものか。
自分は決してリア充だったことなんてないし、大学なんて究極ボッチだった。
でも30過ぎてから色んな社会人サークルに参加するようになって、こんな自分でもこんなに人間関係作れるんだって感動したんだ。
でもさこういうのって都心に住んでるから参加できるのかなって思うわけ。
自分も20代の頃、仕事で地方都市に住んだんだけど、やっぱ車社会って侘しいよね。
ためしに「地方都市、読書会」で検索したけど、ホントヒットが少ない。
それで地方の若者がイオンがないと生きていけない。遊ぶ所がないっていうの?
それはさ、地方が貧しいんじゃなくて、地方の発想とかコミュニティがないなら自分で型を破って作ろうって行動力に乏しいだけじゃん。
今でも地方はそうなのかな?
皇室御用達の洋食器などを製造する大倉陶園の製品が出展されていましたわ
昭和天皇に上皇たちが献上したヒドロ虫類の絵が描かれたお皿が強烈でしたわ
その10年後20年後のお皿は貝と植物になって大人しくなって残念でした
陶器の像も製作していて、ぬらりとした光沢のあるお魚が生き生きとしていて見事でした
岡染めという技法を得意としているそうですが、
イングレースと聞けば瑞浪市陶磁資料館で説明されているので分かりましたわ
通常の下絵付けは呉須を水で溶くのに対して、岡染めは油で溶いて、
非常に高い技術を縦横無尽に活かして、作りたいものを作った印象を受けました
実際の経営は大変でしたでしょうけど、うらやましいですわ
今話題になっているあいちトリエンナーレについて個人的に思うことが色々あったので書こうと思う。細かいことを話して特定されると普通に死ぬのでぼかすが、一応運営ボランティアとして展示に参加している。
クソ長い。
====
最初に断っておくと、今話題になっている「表現の不自由展・その後」についてだが、私はぶっちゃけ見ていない。今となっては炎上が勃発した時点で見に行っておくべきだったと後悔しているのだが、いやだってまさか3日で終わるとは思わねえもん。
と、いうのも事前のボランティア研修とかで「表現の不自由展・その後」に注目している人は私の知る限りほぼ皆無だったからだ。一応警備対応とかの事情で説明は受けたがそれについて「楽しみだ」とか「心配だ」とか言っている人は居なかった。別に目を逸らしていたとか重大性を認識していなかったとかではなく、ちゃんと理由もある。
他の人は知らないが、個人的には「表現の不自由展・その後」については「色んな理由で各地の展示会から撤去された作品を集めてみました」くらいの認識だった。面白そうな企画だ、地獄のデスマッチ感がある。しかし確かに面白そうだが、言ってしまえばそれだけなのだ。
話が変わるが我々ボランティアが研修で何をやっているかと言うと、作品の知識を蓄えるのではなく、自身の感性に従って自由に鑑賞する、所謂対話型鑑賞とかVTS(定義は微妙に違うのだが)と呼ばれているものを実践している。具体的にどんな感じかというと、背景知識はほぼなしで作品を見て
「画面は綺麗だけど、人物の顔が悲しそう、破局を予兆しているのでは?」
などとそれぞれの感性や経験に基づいて解釈を語りあうのだ。これが結構楽しい。例えるなら深夜のファミレスでオタクが集まってエヴァ最終回について語り合っている状態に近い。割と何分でもやっていられる。
だがそういった観点から見ると、「表現の不自由展・その後」があまり魅力的でないことは分かってもらえると思う。「近代化」、「ジェンダー」、「作家自身の半生」、トリエンナーレには複雑なテーマを持った鑑賞しがいのある作品が沢山出品されている。「表現の不自由展・その後」は企画としては面白いがある意味「企画落ち」なのだ。事前に具体的な作品内容が分からなかったというのもあるが、それ以上掘り下げようがない。寧ろ中止になった今の方が色々語れる。
そんなわけで「表現の不自由展・その後」がここまでの話題になったのはかなり意外だったし、多くの人にとってあいちトリエンナーレの第一印象がそれになってしまったのは少し残念でもある。
さて「表現の不自由展・その後」の中でも特によく燃えていたのが慰安婦と昭和天皇絡みの展示だと思う。政治的にインパクト抜群だからだ。だがここまで千字くらい駄文を読まされて大分心と頭が冷え切っているところだと思うので、少し冷静に展示のコンテクストについても考えて欲しい。
「表現の不自由展・その後」は「あちこちの展示会で撤去されたやつを集めて展示する」というコンセプトで行われている。よってこの企画で展示されているのは慰安婦像それ自体ではなく、あくまで「どっかから撤去された慰安婦像」なのだ。
ソウルの日本大使館前に慰安婦像が設置されたとき、メディアはこぞって大使館と慰安婦像が一緒に映った映像を放送したと思うが、あの報道に対して「不快だから映すな」と怒った人は居ただろうか。まあ居なくはなかったかもしれないが、多分映さない方がもっと怒られるだろう。怒らないのはそれが「大使館の前に慰安婦像が設置されたという報道」だとコンテクストも含めて理解しているからだ(勿論どちらの場合も制作サイドの意図は別にあるのだが)。
今回の展示ではそこのコンテクストがおざなりにされたまま、日本に実物の慰安婦像が展示されているというインパクトと、SNS上の断片的な情報で事態が拡大してしまった感がある。
また若干話が大きくなるが、余裕があったら歴史的なコンテクストについても一度考えてみて欲しい。慰安婦像というと直ぐに反日というイメージに結びつけがちだが、何故そう思うのか。
そもそも慰安婦なんて居なかったと考えている人からすれば一応理屈は通っている、悪意のある捏造ということになるからだ。
しかし、詳細については諸説あるが、そういうものが存在したということだけについては歴史的資料も揃っているし、両国の見解も一致している。つまるところ歴史に認められているのだ。
負の歴史を展示し続けることは未来に生きるだれかにとっての悪意になるのか、日本を始め第二次世界大戦に関わった各国には慰霊碑やモニュメントがある、ドイツやカンボジアには国内の虐殺を記憶するモニュメントがある、それを見て不快になる人はいるだろうし、寧ろ不快になるべきなのかもしれないが、ならそれらは排除されるべき悪意なのか、そもそも悪意は無条件に「悪」なのか。
場所によって反応も変わる、オバマは広島の原爆資料館に行ったが、アメリカでスミソニアンがエノラ・ゲイ展示をやろうとしたときは退役軍人たちから大バッシングが来た。そういった反応の違いは展示の意味、ひいては歴史の意味に影響を与え得るのか、得ないのか。
そして誰の、誰に対する悪意なのか、人の属性は一つでないし必ずしもはっきり分類出来る訳でもない、あなたが引いた「味方」と「敵」の線など気にも留めず他人は好き勝手踏み越えて生きる。例えば、韓国人男性と日本人女性が慰安婦について議論しているとして、彼らは一体どの立場にいるのか、そこに存在する先入観は何か。
話が大分概念的になってしまったが、何が言いたかったかというと、コンテクストというのはそれだけ膨大で複雑なのだ。
勿論コンテクストには政治性だって含まれる。慰安婦像が純粋に歴史的なモニュメントというより政治的に使われているのは明らかだし、恐らくそれは大半の日本人のせいではないので、あんな一触即発なもの見たくも聞きたくもない、というのは分かるし別に普段はそれで構わないと思う。
ただ死ぬほど暇なときにでも少し考えてみて欲しい。メディアの報道を見ていると日韓で政治的な同意が得られれば慰安婦像は撤去されていると考えている人もいるようだが、その必然性はない、だって歴史に認められているから。というかそれで撤去されたらマジで純粋なプロパガンダだったって言っているようなものだからやめろ。
像はコンテクストの中で存在し続けるし、今回の展示もそのコンテクストの一部である。
批判するにせよ擁護するにせよそこに対する考察がなければそれはインパクトに押された感情任せでしかないだろう。
それでも慰安婦像許せないし完全に撤去したいんだけどっていう人はどうすればいいかって?そこも歴史に学ぼう。
アメリカでコロンブスとかリー将軍の像が次々撤去されているのはニュースで聞いた人もいるだろう。時代の変化とともに歴史観は書き換わる。虐殺や奴隷制擁護者としての側面が評価され、彼らは英雄ではなくなった。もはや歴史に認められていないから像だって撤去される。
個人的には英雄として評価されていた歴史も含め展示するのも面白いんじゃないかとも思うが、少なくとも公共の場のモニュメントとしてはふさわしくないと判断されているのだ。
つまり慰安婦像を撤去したいのなら何らかの方法で歴史観を書き換えれば良い。そして歴史学の徒は全力で戦って阻止すれば良い。
トリエンナーレ運営が「表現の不自由展・その後」の公開を取りやめたことについて、ネット上では様々な意見が飛び交っている。これについては「脅迫に屈した」とか「作家に許可をとっていなかった」とか確かに色々と問題がある気はするのだが、津田総監督や大村知事が会見で言っていた「安全管理上の問題」という観点からは正直仕方がないと思っている。
第一に展示施設自体の問題だ。あいちトリエンナーレには複数の会場があり、「表現の不自由展・その後」が展示されていたのは愛知県文化センターの8階、所謂「県美」だ。関係者の名誉のために言っておくが、日本は災害が多いだけあって美術館や博物館といった文化施設の安全管理にはそれなりに注意が払われている。耐震設備に水害対策、防火設備、さらには盗難や破壊防止のための監視員や監視カメラが多くの施設で導入されている。
しかしテロや大人数による襲撃までは対応出来ないというのが現実だろう。海外の博物館ではそういった事態も想定して手荷物検査などを実施しているところもあるが、日本でそれをやるのは割に合わないと言わざるを得ない。
第二に運営側の問題。最初に言っておくがあいちトリエンナーレのような文化事業というのは基本的にクソクソ&クソ金がない。
確かに税金から拠出の予算10億は大金だ、これだけあれば50回くらい安心して老後を過ごせる。しかしそれでアーティストを100人くらい呼んで75日間展示会をやれと言われたら難易度はルナティックだ(他に寄付金とかもあるので実際の予算規模はもっと大きいはずだが)。
よって私も含めた運営スタッフの多くはクオカード1枚で半日働くボランティアである。加えて事前に結構勉強もしないといけないし、当然交通費とかも出ない。
これだけ聞くと何が悲しくてそんな苦行をとか思われるかも知れないが、最初に言った通り美術館とか博物館とかも含めて文化事業は取り敢えず金がないので、もうそういう人たちがいないとほぼ成り立たないのだ。そこで講習会とかバックヤード体験を餌にこじらせ教養オタクたちをボランティアとして釣っている、というか釣られている(※個人の感想です)。言っていて悲しくなるし話が逸れるのでそこら辺は省くが、つまるところ何が言いたいかというと、テロとか起きると我々はタダ働きの挙句何も出来ずやられる。勘弁して欲しい。
最後に若干抽象的な話になるのだが、良くも悪くもあいちトリエンナーレは寄せ集めというのがある。
運営側の細かい事情は知らないが、直前までどんな作品が出るか分からなかったりしたので、少なくとも運営と作家が一体となって特定のテーマに沿った展示を作るという感じではないと思う。恐らく「情の時代」とかいうぼんやりしたコンセプトに基づいて作家を招待して展示スペースを用意している感じだ。
「表現の不自由展・その後」だって別に運営が企画した訳ではなく、かつて行われた「表現の不自由展」を招待しただけだ。
展示施設の職員に至ってはそれを公務員の業務として受け入れているだけである。
よって、運営の中心スタッフ、末端のボランティアスタッフ、施設や関連団体のスタッフ、さらに作家間で一人一人が一つ一つの作品に全て賛同しているとかそんなことはあり得ない。まあそれはある程度の規模の組織では当然のことだと思うし、そうでなければ大規模で多様性のある展示会なんて開けないだろう。なので断っておきたいが、会場とかSNSで関係者に絡んで「トリエンナーレの見解」とやらを聞き出そうとしてもそんなものはない、せめて総監督に聞いてくれ。
そんな緩い結束でつながっている人々を「脅迫に屈しない覚悟」に巻き込むのは正直言って無理がある。
それらを踏まえてトリエンナーレ運営の対応はある程度仕方なかったとは思うのだが、しかしそうせざるを得ない状況には大きな問題がある。
先述の通り、施設や組織の問題でテロや脅迫に対応することは出来ないし、安全上の問題を考えると「表現の不自由展・その後」の展示中止は仕方ない側面もあると思う。
しかし考えてもみて欲しい、そもそも武器とかガソリン持った奴相手に対抗できる団体・個人がこの国にどれだけいるのだ、極真空手の総本山とかか?結構な大企業だって本気で襲撃されたら対応出来ないことの方が多いだろう、必然的にそれを仄めかす脅迫の時点で相手側の要求を飲まざるを得なくなる。
暴力による権利への挑戦に対しては個人レベルでなく、社会全体として対抗しなければならないし、行政側には憲法に基づいてその義務がある。
最初に特定されたら困るから匿名で意見すると書いたが、そもそも身の危険を感じて発現を躊躇しなければならない状況自体がおかしいのだ(勿論それとは別に自衛はするが)。
また、津田総監督が会見によると脅迫と並んでまずかったのが「電話」らしい。
抗議の電話でまず事務局の回線がパンク、結果つながらなかった人たちが県美や文化センターに掛け、何の対策もしていない職員が罵声を浴びせられる、しかも公共施設なので切らずに対応しないといけないという事態になったらしい。所謂「電突」と呼ばれるものだ。
ネット炎上とともに話題になることの多い電突は、市民による集団的抗議の形態とも見做せるが、一方でインターネットという新興メディアによるメディアスクラムともとれる、特にやられる方からすればそうだろう。
確かに組織には説明責任がある、取材と報道の自由もある。けどそれが対象となる人々の生活を過度に制限するようになればそれは権利が守られている状態とは言えないし、何かしらの法にも触れそうなのだが、恐らく相手が不特定多数ということで対策が難しいのだろう。スクラムを仕掛けた側を罰しろとかではなく、対象となった側を守る為の社会整備は必要だと思う(と、ずっと前から言われている気はするのだが…)。
誤解しないで欲しいが、ここでいいたいのは抗議をするなということではない。
表現の自由というのは反論されない権利などではない、ただやり方の問題だ。
話がまた大きくなるが、個人的にはどれだけ平和主義を語っても「戦い」なんてものはなくならないと思っている。政治も、経済も、受験も、スポーツも、婚活も、創作も、結局は「戦い」なのだ、ただそれをいかに物理的な暴力を伴わず決められたルールの範囲内でやるかが、人類が積み上げてきた理性とか法治とか文明の指標なのだと思う。
抗議は存分にやればいい、カウンターとなるアートを作成しても良いし、ネットに長文を書き込んでも良い、署名やデモでも良い。そして表現の自由と言っても万能ではない、脅迫罪、威力業務妨害罪、侮辱罪、名誉毀損罪、プライバシー権、著作権…憲法に定められた公共の福祉の概念に基づいてそれを規制する法律なんてごまんとある。そのうちの何かに抵触してそうなら訴訟という手もある。ただやるからには全て合法的にやれというだけの話だ。
pixivで気に食わねえ解釈を見つけたら自分の解釈を倍の質と量で投稿して相手の筆を折るのが仁義というものだろう。すまない今のは完全に個人の意見だから忘れてくれ。
じゃあこの場合どうしたらいいのか。
少し話が飛ぶが比較のため「コンビニエロ本問題」について話させて欲しい。「コンビニエロ本問題」とは女性客などからの抗議を受けてコンビニから18禁の本が撤去されている事態のことだ。あれを表現の自由と結び付けて語る人もいるが、私はそうではないと思っている。
何故ならあくまでコンビニは民間の営利団体だからだ。コンビニ業界に詳しい訳ではないので話半分に聞いて欲しいのだが、もしコンビニ側が「エロ本を撤去しないとタピオカを積んだトラックで突っ込む」とか脅迫を受けているならば、それは許すべからざる犯罪だ、しかし多分そうではないだろう。
抗議が原因と言われているが、恐らくより正確には「エロ本絡みの抗議や客足減退に対してエロ本の売り上げが割に合わない」が原因なのだと思う。
コンビニで18禁本を最後に買ったのはいつだろう、正直質はともかく量と利便性はネットの方が格段に上だと思う。正確な売り上げは知らないが、エロ本だけで月々1兆円くらい純利益が出ているなら、あの容赦のないコンビニ業界が Permalink | 記事への反応(15) | 22:16
お気に入りだった底浅幅広の器の端が欠けたのもあったし、妹から久しぶりにあう親へのプレゼントは?みたいなことをせっつかれて。
藤野陶芸市は、藤野に在住する陶芸家が中心となった市だ。なので市場のようにぎゅっとしたのと違って、各工房がそのまま出店になっている。
地図を見るといい感じに散らばっていてディズニーランドのアトラクションを回るようで楽しそう。そう思っていた。駅から降りるまでは。
昼に藤野駅に降りたがバスがない。次は13時といきなりサドンデス落とされた形で、案内所でもらった地図から見た目1番近い場所をグーグルで検索すると30分。歩いているうちに抜かされる感じはないし、いくか。歩き始めて、橋を超えていきなり坂にぶつかった。
ここ登るのか。諦めの境地で突き進むとなぜか坂が終わらない。グーグルマップでみると道が蛇行しているではないか。もしや…
かくして最初のお店につくときは息も絶え絶えでしばらく魂が抜けていた。
広場みたいなとこで楽曲団による演奏をやっていて、それを遠耳に藤野の地ビールであるクラフトビールを飲んだ。六百円といい値段したけど2杯もつい飲んで。いい風が吹いていてとても美味しかった。
ちょうどいいお皿を見つけて即決すると陶芸家のひとに夏みかんもいただくなんて嬉しいこともあって。
さあ2拠点目に行こうか。そう思ったら4キロ先だった。バスもやっぱり一時間は後。歩くしかなかった。
山の中に目が浮いていたり、全宇宙の遺伝子を表現したモニュメントがあったり芸術の道を延々と進んで。
やっとついた先で、まず休憩所を探した。ハーブティーをおばあさんが百円で売っていたのでお願いするとティーポットと一緒にでてきた。青空喫茶に風がよく合う。ごちそうさまでした。
次の拠点までまた歩いた。
途中でベトナムのかき氷売ってる路地のひとに誘われてまた休憩。杏美味しかった。
神社の露店では強く吹いた風に浮きかけたテントをがしっと掴むなんてハプニングもあって。
まだこの先に山荘があるんです〜と親切そうなお店の人に地図を渡されたらいくしかなかった。
また歩いた。
蔵を借りてLPを流しているオジサマに出会った。ドイツのアンプは世界一ーと延々と語ってくれた話は楽しかったが確かに音は良かった。
そんなこんなで。
徒歩16000と全然大したとこないはずなんだけどやっぱり皿が重いんだと思う。
すごく眠たい。満足感ある疲れが残った。
最近、デパ地下(洋菓子や和菓子)やデパートでの芸術品催し展などを観て回ると時間を忘れる。世の中ってこんなに綺麗な食べ物や文化に溢れてたんだ…と視野が広がるというという次元ではなくて、世間を知った感じ。
今まで受験勉強や大学受験、限られた進路を歩むばかりで、友人達と流行を追う事もせず。嫌な言い方をすると、「小市民がハマるモノ」を生み出す広告業界や商売人が作り出した文化を小馬鹿にしていた。
時間が空いてしまい、時間つぶしにデパ地下に行ったら綺麗な洋菓子や上品な和菓子に、とても目の保養になった。高い文化資本を求めて購入する客層も、今までの私とは絶対に接点の無い、時間を持て余した小金持ちなマダムと御老人で溢れかえっていた。ゆったりと、ウィンドウショッピングする時間が、私にとって心地よかった。
競争から離脱した負け組な私は、小金持ちのマダムやご老人達に埋没して、時間を見つけてはデパ地下散歩をしている。何を買う訳でもない。
時には、芸術品催し展をブラブラしたり、食器のフロアでは各界の名だたる陶芸品を眺めては恍惚とした眼差しをしながら「徘徊」している。やはり、何を買う訳でもない。
私、何のために脇目も振らずに頑張って来たんだっけ?世の中にはこういう世界もあったんだ、と感じた。でもそれは、あくまで私が「チヤホヤ」接客してくれる対象に過ぎないだけで、食品・陶芸品・デパート業界に興味を持っている訳では無いんだよね。そう。上品なデパート店員に、非日常な空間でチヤホヤされたりする事が快感なだけなんだ。
多分アレ。ビジネスマンが経費でビジネスシートやラウンジを使い始めて、調子に乗っちゃうアレ。優越感というか自分が偉い人だと勘違いしてしまう選民意識。
私の場合、世間の文化が新鮮で、それらがあふれかえっているデパートが、聖地なんだ。
因みに、御洒落に疎かったので、駅ビルの中に入っているファッションフロアや雑貨フロアも好きだ。「綺麗なお姉さんは、こういう生地の質を好んでいるのか…」とか「この配色素敵だな、体のラインが綺麗に見えるなあ」とか。QOLの高い女性・人々の生活モデルをザっと観れる感じが、今更ながら世間での流行を吸収している様が、満たされていく感じだ。
病んでいるのかな。
私の適職って、何だろう。
自分は毒親育ちの左翼だった。子供の頃から、毒親の影響からか、友達ができない、もしくはできても健全は友達関係ではない
(要するに共依存関係)ので長続きしない、友達付き合いに必要な小遣いとかをくれないとか・・で友達のいない子だった。
20過ぎてから、毒親を自覚してカウンセリング等、受けまくって今では人並みに人付き合いができるようになったが、昔は本当にだめだった。
そんな自分が左翼?になったのは大学から・・最初にサブカル(洋楽)にはまって、友達がいないからカラオケで歌う曲を覚える必要もない。
流行とは真逆の音楽やら映画やらばかり追求し、だんだん政治にも興味を持ち出すと、チョムスキーの本とか読み出した。
大学を出てからも派遣で働きながら、田舎で自給自足しようとかNPO法人で働きたいとか内田樹とか安富歩さんの本とか読みあさり、
そんな自分が35過ぎてから、社会人サークルに参加しまくりだす。
職が変わって週休2日になったのが大きいのだけど、茶道教室、陶芸教室、英語カフェ、読書サークル、等。
思うに私はずっと自分の中学~大学まで友達がいないこと(特に大学では究極ボッチ)を正当化しようとしていた。
ショーペンハウアー曰くに「孤独を知らないものは自由を知ることが出来ない」
でもやっぱりずっと心に欠けてるものがあったのも事実で、それが社会人サークルに参加させてのだと思う。
以前もmixiとか流行った頃とかそういうサブカルや左翼の集まりに参加したけどそれはもともとそっち系の人の集まりだった。
今は、全く思想もなにも関係のないいわゆる普通の方々ばかりだ。
でも参加すれば受け入れてくれるいい人ばかりだった。
そういうアットホームな所に継続して通うようにしてたからなんだけど。
そしてとうとう掴んだのだ、共同体感覚・・と言うものを。そしてアドラー曰く
「共同体感覚を掴んでこそ、人は承認欲求を捨てれるのだ」ということを身を持って体験できたのだ。
毒親に対するカウンセリングを受けてたころ、幼少期のトラウマ(専門用語で言えばインナーチャイルド)は克服できた、
それは街中で見る子供と親の様子を見ることで、ああ自分もああやって受け入れられてれば愛情にも飢えないし、
人を怖いと思う必要もないのだと思えたから。・・としかし青春期のトラウマはずっと克服できていなかった。
どういう学生時代が理想なのかずっと掴めていなかった。それを30後半にして掴んだのだ。
それを掴むと、もう「世の中を変革するために何かをしなくてはいけない」とか
「みんなが右を向いてるとき自分は左を向かなくてはいけない」「自分は何か人より頭1つ出てなくてはいけない」
どれだけ世のため人のためと思っても結局承認欲求だったのだ。