はてなキーワード: 関西とは
元日本マイクロソフトの古川享さんブログより。このブログかなり前から消えてるんだけど、復活の目処は無いのだろうか
http://furukawablog.spaces.live.com/blog/cns!156823E649BD3714!4256.entry
https://web.archive.org/web/20061105065656/http://furukawablog.spaces.live.com/blog/cns!156823E649BD3714!4256.entry
さて、この話をいつかはちゃんと記述しておかねばと常々思っていたのですが、それに取り掛かろうと思うと胸の古傷が疼くというか、平常心を保って書こうと思ってもキーボードを叩く手に自然と汗が滲んでくるのです。しっかり深呼吸をして、書きます。(またまた長文にて、失礼)
まず、1999年5月24日発表の郵政省資料「地上デジタルTV放送方式について電気通信技術審議会から答申」に記述のある以下の文章をご査読ください;
「また、昨年9月の暫定方式や既に答申がなされているBSデジタル放送方式、CSデジタル放送方式の技術的条件において、実証実験を必要とする映像の表示方法とされていた720p(有効走査線数720本の順次走査による映像表示方法)について実験を行った結果、その性能が確認されたこと等が併せて報告されました。 この中で、720pは技術的にHDTV放送と位置付けることが可能である、と結論付けられています。」(同上答申より引用)
関連記事は、日経産業新聞(1999年5月25日PP.3)、日本経済新聞(1999年5月25日PP.11)、電波新聞(1999年5月26日PP.2)などにも掲載されています。
今となっては、720pや1080pのプログレッシブ方式はプラズマや液晶テレビとの親和性、映画やCGなどの映像制作に有利なバリアブル・ピッチによる撮影、パソコンによる編集や再生環境においてその優位性を疑う人は居ないと思うのですが...1998年からこの1999年5月24日までの間、この720pを日本の放送業界から抹殺しようとする「ありとあらゆる活動を展開した集団」がおり、その軋轢の中で多くの人が傷付き市場から去ることになったのでした。
私個人の主張、そしてマイクロソフトの立場は、1080iと720pどちらが良いか、どちらかひとつを採択するかではなく、仕様の中に1080iと720pを併記して頂きたいというものでした。 米国の放送方式はATSCによるHD放送に向けた放送の標準フォーマットとして早くから1080i、720p、480p、480iが規定されていました。50年以上前に発明されたテレビ放送が米国に合わせてNTSC方式を日本は採用し、ヨーロッパ・中国・ロシアなどがPAL方式を採用してきた背景からすれば、日米のテレビ方式がデジタル・ハイビジョン(HD放送)の時代になっても米国と同様の1080i及び720pを両方サポートするということは自然なことと思われました。日米間の互換性だけではなく、当時よりブラウン管チューブを使った重たいテレビ受像機は、急激な勢いでプラズマTVや液晶テレビに取って変わることは明らかであり、走査線が走り一本ずつの光るスダレを交互に表示して人間の眼の残像を利用してひとつの映像に重ね合わせるという飛び越し走査よりは、一つ一つのセルが自ら発光する、もしくは遮光をオン・オフして光源を反射もしくは直視し映像を表現するフラットパネルの時代には、プログレッシブ(順次)方式が有利と思われました。さらに、映像圧縮に採用されたMPEG2方式においては、1080iは22Mbpsでは最高品質の映像を表示するも、その転送レートを15Mbps以下まで落としてくると映像が破綻するという現象も既知のことでした。720pはMPEG2による映像圧縮でも15Mbpsでほぼ最高品質を達成し,12Mbpsでもほぼ実用の域を保ち、さらにMPEG2以外の圧縮方式MPEG4、H.264、WMV(現在のVC1)などを使えば8Mbpsから12MbpsでHD放送を伝送できるというのが、私たちの主張でした。
当時の私の主張をまとめると、「HD放送は1080iもしくは720pいずれでも撮影、記録、編集、伝送、受信、視聴できることとする。映像圧縮に関してはMPEG2に限らず、将来の斬新な圧縮技術を随時採択できることにする。コンテンツ保護技術や、個人の認証、課金技術は特定技術一つに限らず、複数の技術をそれぞれもしくは組み合わせて提供可能とする。放送と通信の融合(連携)サービスを記述するメタ言語はHTMLをベースに各種プラグインそしてXMLに対応する。XHTMLをベースにしたBMLはそのサブセットとして組み込む。」
それに対して、1080i擁護派は、「1080iが優れた方式で、議論の余地は無い、プログレッシブの話をするなら帰れ!!」(実際に砧の某研究所で当時の所長に言われた言葉ですが...今の所長さん(E並氏)はとても紳士ですので、私は尊敬しております。決して誤解のないように)郵政省の会合でも何度となく放送のプロ達に諭(さと)されたものです。「君はPC業界に都合の良い方向へ持っていこうとしてるんでしょ」「崇高な放送の世界を邪悪な世界に引き込もうとしている」と..多くの人が同席する会議の場で私は名指しで糾弾されたものです。
将来のデジタル放送の規格に720pは絶対入れないという強い意思とあらゆる活動は「1080iと720pを併記したらどうか」と主張する陣営を徹底的に痛めつけました。
当時、松下電器産業殿は720pの優位性を説きながらDVC Proをレリースされ、1080iと720pの両用機能を持った松下電器産業のHD D5という放送局用ビデオデッキは、AJ-HD2700やAJ-HD3700という型番で欧米の放送局でも沢山採用され、放送業界の権威あるエミー賞をDVC ProもHD D5も受賞されています。このD5というビデオデッキはNHK殿に納入する時、720pの機能が付いているなんてことがバレると殺されるので、本体に点在するボタンを11個以上押さないと、(つまり二人の人間の指を駆使してボタンを押さないと720pの機能はアクティブにならないように細工がしてあったそうです。)..まるで隠れキリシタンが隠し絵にキリスト像を描いていたような話でありますが..この類(たぐい)のプレッシャは日々激しいものになってきて、魔女狩りに駆り出された狂信的な信者が、誰彼となく次々と火あぶりに挙げるような行為が続いたのです。
480pと720pの実験放送をやっていた日本テレビのSさんとKさんの受けた仕打ちは、某放送局のEB沢さんから直接日テレ社長のUJ家氏に電話をかけてこられて、「お宅の技術のトップの人間は、ウチに対抗して何かやっているようだけど、けしからん話だ。そんなことではデジタル・ハイビジョンの映像をウチから供給できなくなるけれど、それでも良いのかねぇ」と迫ったそうです。その結果Sさん、Kさんは当然将来取締役が約束されてもおかしくない何十年にも渡る業界に対する貢献がありながらいつのまにか表街道を去ってしまうことになりました。
テレビ朝日殿が新しいスタジオを作るにあたり、1080i/720pの両用ビデオ・スイッチャーを東芝から導入された時、某放送局のキツイお達しがテレ朝と東芝に飛び、720pの機能は殺して納入するようにとの指示が飛んだそうです。そして、BS-iのスタジオ導入で,1080iのカメラと720pのカメラを性能評価したという話を聞きつけて、「まさか720pのカメラを導入するなんてことはありませんね?」という問い合わせが某局から入ったそうです。
TBS殿も全く同様にメインスタジオへのHD機材導入にあたって1080iと720pの両用システムの導入計画は純粋な技術的観点の選択肢だけではなく、それ以外の見えない力に奔走されておられました。「魂の報道」を標榜するTBS殿の報道部門が、DVC Pro 720pを採択されたことが、唯一の救いと感じられました。
NAB98の会場にて明日から開場というまさに前日のこと、某放送局のY氏、会場を事前に巡回されJVC殿の会場にて1080iと720pの両用カメラを発見、JVC殿に対して「好ましくない表示は控えるようにと一括」結果としてNAB98の初日には無残にも綺麗にできた展示パネルの1080i/720pの文字列の720pの部分にはガムテープが張ってありました。
毎週のようにこのような話を耳にするにつけ、これは魔女狩りでも特高警察の検閲でもあるまいに…現代の話なのに本当にそんなことが起っているのだろうかと自分の耳を疑っていました。そしてそれが、とうとう我が身にも降りかかったのでした。
1998年のNABショウでマイクロソフトは初めて放送関連のコンベンションで技術展示をすることになりました(関連記事)。松下殿より当時500万円程したHD D5デッキをマイクロソフトは購入し、1080iと720pの映像を左右1対で比較デモ表示し、どのように優位性が表示されるか比較デモを予定していました。1080iの標準的な撮影は1440x1150の1080i標準ビデオカメラによる撮影結果を1920x1080の映像に計算しなおし(アップスケール)、それをスダレのような偶数・奇数のフィールドに振り分け送出するという方式を取っていました(現在のデジタル・ハイビジョン放送の標準撮影方法です。)。そして同じ映像を1280x720の720p標準カメラで撮影しD5デッキに録画した映像をそのまま720pで再生するというデモ内容でした。映像の再生には当時の最高品質のCRTスタジオ・モニター(8000ドルクラスのSONY製品を2台)をマイクロソフトの展示会場に用意しておりました。比較展示用デモ映像は同じスタジオ環境で撮影した1080iと720pのそれぞれの映像データをお持ちの松下電器産業殿からD5の録画テープをお借りして、初日のデモへ向けて全ての設営と映像チェックが終わった時のことです。某放送局の方が、マイクロソフトのブースを垣間見るや、とても渋い顔をしておられます。
私は夕方の6時過ぎに会場の設営も終わり、ホテルに戻ろうとしていたところ、松下殿から緊急の連絡が入り、展示に使っていたビデオテープを持って松下殿の技術担当役員のホテルの部屋まで来て欲しいとのこと..部屋に入るとその役員さんは、ベッドの上にあぐらをかいて、その両脇には15人を超そうという松下の方々が壁沿いに2列にずらりと並んで座っているではないですか..その姿はまるで、新入りの囚人(私)が牢名主の親分に「今日からお世話になります」と仁義を切るのかい、というような雰囲気でありました。
そしてその親分さんが言うには、「そのテープ黙って置いて、帰ってくれ」とのこと..「冗談じゃない、そんなことしたら明日の展示は何も映像が表示できないではないですか?何故そんな唐突な話をこの期に及んでされるのですか」と問いただしたところ、松下がマイクロソフトに協力して720pを推進するのはけしからんと、某放送局からお叱りを受けたと..それだけでも絶句の出来事なのに…「とにかく松下から映像を貸し出すなどとんでもない..即効撤収してくるように」との具体的な命令を受け私は必至に食い下がり、「その映像作品は全て松下殿の著作物であり、某放送局に文句を言われる筋のモノでは無いはずです。それを何故ゆえに引き上げなければならないのですか?」と伺えば..「その中のヨーロッパのお城のシーンはARIB加盟各社がテスト映像として皆で利用するために松下が供出したもので、そのテスト映像をARIBの会員でもないマイクロソフトが勝手に使うのは如何なものか?」とのこと..私はさらに一歩も引かず交渉を続け…もしそれが現実になるのなら「明日の朝は急遽説明のパネルを書いて、某放送局の名前を実名で明らかにした上で、この名前の会社の不当な介入でマイクロソフトでは展示ができなくなりました」と張り出しますよとまで迫りましたが担当役員は首を立てに振りません。最期に私は「判りましたこのテープはここに置いて行きますが、夜中に誰かに盗まれたということにして私が犯人になりますから..盗難届けを出してください!!それでは如何でしょうか?」と交渉は3時間を越える押し問答となりました。
その結果最後に明らかにされた背景は、某放送局の方から松下の役員に語られた厳しい言葉でした。それは、「君、僕らは今年50億円くらい君の会社からモノ買う予定だよねぇ、そんな態度でいると、50億円のビジネス失うことになるよ、君ぃ!! それでも良いのだね!!!」というもので、担当役員は縮み上がってしまったのだそうです。技術担当の役員がマイクロソフトの展示に協力をした結果、50億円のビジネスを失うことになったら営業担当の役員との軋轢を生むことは必至であり、そこまでのリスクを負ってまでビデオテープをマイクロソフトに貸し出すわけにはいかないとの判断、私はビジネスの交渉でこんなに困り果てたことは一生に何度も無いというぐらい意気消沈しきっておりました。
夜10時にならんとするタイミングで、日本からシアトル経由でラスベガスに到着後、時差から回復する間も無く会場の設営を手伝っていた私はもうダウン寸前…そこで思いついた解決策は「判りました、このテープはお返ししましょう。その代わり今から新規に撮影を開始しますから、必要な機材と人を朝まで貸してください」と何とも無謀な提案を申し出たのでした。 NABのメイン会場からマイクロソフトの借りていたヒルトンホテルの部屋まで、HDカメラ(当時は100kg以上あったと思います)とD5のデッキを担いで深夜に部屋へ持ち込みスイッチャーや編集機もないままイッパツ撮りでデモ映像を仕上げなければなりません。私はそれまでにいくつかの放送スタジオに見学に行ったことはあるものの、映像プロデュースも撮影も全くのシロウトですので、カメラのライティング、撮影のオペレーションに付き合ってくれる人たち3人ほどに朝まで付き合ってもらいました。
途方に暮れて困ったことは、深夜の12時にラスベガスのホテルで撮影できる生素材など有りはしないのです。それも著作権、肖像権を侵害せず、HD映像の違いが際立って表現できる素材、なおかつ1080iより720pの方が綺麗に見えるという素材(多くは、風にそよぐ木々とか波打つ水面、キックされたサッカーボールなんてものが使われるのですが..残された時間に日中でロケハンに出かけることもできず、全てはラスベガス・ヒルトンの部屋で深夜、朝までの6時間以内に解決しなければなりません。
まず、深夜のルームサービスで果物の盛り込みを頼みました。そしてその果物の表面に霧を吹いて光るリンゴの表面に張り付く水滴なんてものを撮影しました。本格的なスタジオと違って光の回り方も映像のモニタを視ても、思ったような映像にはなりません。
夜も更けて3時を廻り4時にならんとした頃でしょうか、雑誌のカラーグラビアをメクりながら、この際著作権の許諾を無視して雑誌に写っている写真を撮影してしまおうか?こんな深夜にマトモに著作権の許諾などできる素材など有りはしないし、と途方に暮れていたところ、あるアイディアが湧き出てきました。「そうだ、ドル紙幣を撮影すれば手彫りのエッチングで表現された人間の顔やお札の文様はHD撮影すればビックリするほど細かい映像として撮影対象になるに違いない、誰でもそのパターンが何か理解できるはずだし、何よりもお札の縦横無尽に走っているストライプが際立って720pと1080iの違いを引き立ててくれるに違いない」と確信するに至ったのです。ドル紙幣をビデオ撮影しても肖像権や著作権を主張する人もあるまい、という点が一番大事なポイントだったのです。
壁に貼り付けた50ドル札(私の持っていたピン札はそれしかなかったので)にバッチリとライティングを施し、撮影した結果は「キタ、キタ、キターッ」という感じ!!カメラをパンして右へ左へ振りながらお札の表面を舐めるように撮影した720pの映像は細かい線の1本1本を明確に表示して、1080iの映像は実に見事にモアレ縞が出まくり画面にチリチリと汚い映像が糸を引きます。これでこの映像をそれぞれディスプレィに表示した上で、 Permalink | 記事への反応(0) | 11:32
どうも増田です。
なんか先日のミヤネ屋でゲス川谷の写真が古くて本人から新しいの出すから言ってくれって話になったとか
そんで、事務所に言ったら一旦は出すことになったけど番組でお金が出せないからやめた。
それを受けてミヤネが「NHKならええけど、うちはお金がないから・・・」とのたまったそうな。
NHKって金が有ると思われてるけどそれは一部の全国ネットだけ。
ほんといいかげんなことばかり言って困る。
ちなみにミヤネのことだが関西のまともなテレビマンで好きな奴はまあいない。
アナ時代は上には媚びへつらうが、下にはゴミを扱うような言動で有名でした。
フリーになってすぐはヘコヘコするようになったらしいが
ABCはしらんけど
こちらからは以上です。
特殊な事例かどうかわからないが、ちょっと弱ったことが起きているので書く。
特定されそうだが、いいのかコレ?
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昨日朝その息子という方が突然現れた。会うのはこれで2回目だ。
私から見ると、祖母の甥の息子。曽祖父のひ孫にあたる方らしい。
以下、息子と表記する。
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明後日の火曜日に裁判所から家賃の滞納で出廷しろと言われているので、助けて欲しいという。
これが息子との初めての出会い。何の面倒を持ち込んできたんだ?という恐怖感を感じた。
息子の話によると2年程度の滞納らしい。百数万円。仕事はしているようだった。
息子は家賃は銀行から振り込まれるように手続きをしているはずだと言っていた。
裁判所行って正直に話したらいいのではないですか?払えないなら払えないで、
公的な機関を頼ったらいいと思いますよ。と伝え、帰ってもらった。
息子の住まいは隣の県ではあるが、車で高速使っても4時間近くかかる。
そんな暇あるなら、役場いけ、という話だ。
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で、今回の訪問はなんなのか。
裁判所へは結局行かなかったらしい。裁判所からの撤去命令の書類にはメモがあり、
市区町村の福祉課を頼るように、と電話番号と担当者の名前が一緒にあった。
このメモは読んだのですか?と尋ねると、読んでいない、わからない、と言う。
その担当の方に電話をしてみると、過去に何度か息子にあったことが有り、
話をしているという。支払いが出来ないのなら生活保護などの支援も可能であるというような
助け舟をだされたそうだ。しかし、息子には追い返されてしまったという。
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現在、以前の住まいの福祉課と、私の最寄りの福祉課の両方へどうすればいいか相談をしているところだ。
昨夜は仕方がなく家に泊めた。近くにホテルがあるような街ではないど田舎なのだ。
そんな遠縁の親戚の世話をする義理はないと思うのだが、追い返せずにいる。
息子の以前の住まいの福祉課の方からは、昨日は生活保護を受けるにも現状住所不定の状態であるため仮住まいを用意しなくてはいけない、
2~3日待ってくれと言っていたが、今日になって来週まで待って欲しいと言ってきた。
一刻も早く出て行ってもらいたいのが正直なところだ。10人中10人がそう思うだろう。
私の住まいの最寄りの役場福祉課は、明日息子と相談をしに来てくれると言っている。
近くに住んでもらっては、やれ入院だやれ葬式だと世話をしなくてはいけなくなるので、
できれば、元いた自治体に帰ってもらって、そっちで生活保護を受けてもらいたい。
中国残留孤児への給付金制度というものもあり、厚生省へ電話してみたが、
対象はその配偶者までで、その子は対象外となり、通常の日本人と同じ対応になるという。
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息子とは会話をしていて、辻褄があわないことが多々ある。
日本語は理解しているようだが100%こちらの言うことを理解していないようだ。
日本語に問題はないが、なにかしらの精神病を患っているのかもしれない。
10歳くらいから日本にいるということなので、中国語もあやしい。
高校は出ているそうだが、生活をする上で起こる問題を解決していく能力がないように思う。
職場の同僚と仲良くすることもなければ、友達付き合いをしている人もいないようだ。
溶接などの工業系の資格を持っているので、気長にコミュニケーションを取って、
親身になってくれる方がいれば、働くことは出来なくもないかもしれないが、
職歴を聞いてみたが、いままで何度も仕事を変わっているようなので、恐らく難しいだろう。
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大変なことに関わってしまっているが、
この状況がどうなっていくのかわからず、恐ろしく感じている。
寄る辺ない身の上は同情もするし、可哀想だとは思うが、
見ず知らずの他人に近い人間を家の中に置くことは非常に不安があるし、
他人から見たら私達家族も厄介事に巻き込まれてかわいそうな状況にある。
なんとかまともに生活できる状況を作ってもらって、
二度とこちらを頼ってくることのないようにしてもらいたい。
しかし、月日の経過ともに、対象者も亡くなって来ているという。
できれば、仲間を見付けて、助けあって生きていくすべを身につけてもらいたい。
彼には親身になってくれる誰かが必要だと思う。私たちではそれはやれそうにない。
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私としては出来る限りのことをしているつもりであるが、
この行動は間違っていないだろうか。
たとえ給料が良くて国際関係部署でも公務員を選んだ兄を凄いと思った。
地方公務員っても関西で唯一給与を低く抑えられ、かつ首長のせいで公務員が
最も敵視される所の業務に就いてるのだから、その覚悟のほどは計り知れない。
毎日23時過ぎに帰って来て、今日もサービス残業だったと嘆いて電気点けっぱなしのコタツで
スーツ姿でダウンする姿を見てたら、地方公務員で本当に良かったのかと傍から見て特に思ったが、
兄曰く、東大出て中小企業に行くのは親に申し訳ない。といってどこか行く宛てもないから
地方公務員でも我慢しないといけないってのは分からなくもない。
行く宛てがないから公務員に行く東大生も最近は少なくないんだと。
ゴミ回収する人が京大院だったという話もある位、今や地方公務員に東大京大が就く事は決して珍しくなくなった。
だけど、それでも中小企業に行くよりは自分の矜持を守れるある程度の余裕や優越感を味わえるのは公務員以外何もないというのも
時代背景の為せる事だろう。
悲しいかな、たとえ中小企業に受かっても東大京大である以上そこに行くのはプライドが許さない。
中小の人事には逆に頼みたい。
http://dorararpg.hatenablog.com/entry/2016/03/06/110000
ここで書かれている通り、4桁台はほんと庶民。
俺自身は年収1000ちょい、嫁が400万ちょいで世帯年収1400万くらいということになる。
年齢は二人とも30歳で子無し。
車は買えない。買えないというか、駐車場台が払えない。月4万円台なんて無理。
駐車場でそれだから、家賃もそこそこの値段払っても1DKの46平米。
叙々苑とかホテルディナーとか行けなくもないが、まぁ記念日ディナーくらい。
とはいえ、安い店ならしょっちゅう飲みに行っても大丈夫、スーパーだったら値段気にせずかごに入れられるかなぁというところ。
しかし、子供ができると日本死ねでおなじみの通り保育園がないらしい。
しかも世帯年収があるから入りにくいし、会社の同僚達も月3万くらいのところに入れている。
そんなだから、ランチとか忙しい時の飯は吉野家、マック、天下一品全然ありえる。
居酒屋だって一人3000円のとこに行ったり8000円のとこに行くことも。
1100円のラーメン、餃子、ライス定食に躊躇しなかったり、コンビニでエビスビールやプレモルを臆せず買えるくらいの裕福度。
聞くところによると、東京都内だったら世帯年収2000万あればやっと金持ちであると認識できるらしい。
どっちがいいかは人それぞれだが、生活レベルってほんとまちまちだよなぁ。
自分自身は世帯年収2000弱くらいの関西ベッドタウン暮らしの家庭で生まれ育ったので、子供の頃より生活レベルが下がってる気はしている。
かつて中央の大型私学にいて、現在は地方国立にいる大学関係者です。偏差値の議論がどこぞで上がっていますが。何処にとも書かずに心のなかにあった2つのお話を。
特に地方の大学にいると、それなりにかなり優秀な学生がいる。それこそ2つくらい上のランクを狙えるような。で、なぜ現在の大学にかよっているかを問いただしたところ、親が一人暮らしを許さなかったからという理由が多い。第一志望に落ちたからという理由はあまり聞かない。親が一人暮らしを許さないってのは、少し前までは女子学生に多かったのですが、最近は親にカネがないからか、男女問わず聞くセリフです。
偏差値はその学校に合格する最低ラインです。状況によっては偏差値以上の学生がゴロゴロいる大学も存在します、ってことは受験生らに伝えたい。
多くの予備校が公表する偏差値は、一般入試合格者数です。とくに大型私学を発端として、現在では国立を含む、多くの大学で、推薦、AOなどの複数回入試がとり行われています。
推薦、AO入学生の学力はその大学の偏差値には反映されません。結果どうなるかというと、推薦、あるいはそれに類似した名前の一般入試もどきを乱発させることで、一般入試の枠を狭くすることにより、一般入試の倍率を高めて一般入試合格者の学力を高める、ひいては偏差値を高めることができます。関西のR大学が率先して行ったこの方法は、いまや全国区になっております。
ちなみに推薦、AOで予め合格者を囲うのは、文科省の締め付けによるところも大きいです。文科省は定員より入学者が1.2倍(この数値は今後変更)を超えたら予算を減らしにかかります。なので、推薦、AOで予め入学者数を確定したいという意図が大学にもあります。
私学の場合は国公立の結果次第でかなりの数が逃げられます。そのことを考えると、一般入試合格者数はかなり年度による振れ幅が大きいので、そんな面倒なリスクを取って文科に睨まれるのはヤダという発想です。
で、ぶっちゃけ推薦、AOで入ってきた学生ってのは大学に入ってからがアレなので、内部者としてはできれば減らしたいのです。ただ上の理由があるから一筋縄ではいかない模様。
で、まぁ何を言いたいかというと、偏差値にはかなりの誤差があり、また実際の学生の幅は大学により大きく異なるということです。あまり教条的に見ないほうがよろしいかもしれません。
これを書いた人です。
お前のほうが税金使ってるだの、お前が政治家になれば日本国が潰れるだのお前みたいなのは死ねみたいに叩かれてびっくりした。
確かに税金は人より使っているかもだし、政治家になれば国が三日ともたずに潰れるでしょう。
でも、そういう方々はソースに頼らずどこまで考えたのでしょうか?
そもそも、日本の人口ってどれぐらいが適正で少子化対策は必要なのか?
中学校の教科書を思い返せば、子どもより高齢者が多い少子化状態になっている。
これまた、中学校の授業を思い出すと、日本とドイツはよく似た土地面積ですっていうのを覚えている。
あと、ヨーロッパで1億人を超えている国っていうのは少ないというのも記憶がある。
ドイツも同様に1億人満たないはず。 それを考えると日本は人国が多い。
(関西在住の俺からすると今の人口の半分ぐらいでもいい感覚。6000万~7000万人くらいかな。
全くの感覚です。頭がいい方、適正人口があれば教えてください。)
「お前何言ってんの?」みたいになって勢いで書いてしまったのですが....
ここまで書いて、やっと理解した。
保育園にお子さんを入園させられず、日本のGDPが下がったことについて怒りをぶつけていたに違いない。
五年後も残ってると思ってるの?
東京オリンピック終わったら消えるんだよ。
東京集中のこと怒る前に地方がもっと頑張って働いてカネを生み出せよ。
一極集中のことを地方は言いたがるけど、地方の奴らがもっと頭使って働けばいいだけだろ。
都道府県別GDPに相当する県内総生産って指標があって、東京・神奈川・千葉・埼玉のたった一都三県だけで全体の40%占めてるんだよ。
関西ですら、大阪・京都・奈良・兵庫・和歌山足したって東京に届かないんだよ。
より多くカネを生んで回す東京中心の行政サービスになるのは当たり前だろう。
http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/pdf/gaiyou.pdf
調べてみたよ、確かに間違った用法みたいだが最近は関西でよく用いられるようになってるのか、平安時代は男の配偶者に嫁と使うのもありみたいだし結構広く使えてたのかね
奥さん、奥様
元々は、他人の妻に対する尊敬語として使われてきた。その後、昭和以降には、自らの妻をさして「うちの奥さん」などと使用する用法が生まれ、日本全国へ広まっている。「従来妻への尊敬語がなかったためこれにあたる語として奥さんを使用するようになってきている」[1]。
嫁
元々は「自分の子供の妻」、「男性の結婚相手(用法:大きくなったら○○さんのお嫁さんになる!)」、「他人の妻」を指す言葉。現代では、西日本を中心に自分の妻を指す言葉として用いられる[1]。という考えがある一方、「男性の配偶者」や「結婚したばかりの女」を指す用法としても平安時代の更級日記以来使われており、広辞苑をはじめ、辞書的にも認められた用法である。
↓
歩いてミッドタウン
http://matome.naver.jp/odai/2136633203426851601
http://matome.naver.jp/odai/2141182094298256701
この中だとワイン食堂 〜がヒルズ・ミッドタウン間にあって使いやすい。
香妃園もいいけど少し外れにあるから時間がありそうならオススメ。
駅〜駅を移動するとそれだけでかなり歩く。
途中、休憩できるカフェをプランに入れたほうがいいけど、池袋・渋谷_新宿・銀座は土地勘ないと空いているカフェを見つけるのはキツイ。
プラン立てるのが苦手なら、谷中あたりで目的なくぶらっとしてもいいと思う。
昼・夕の店だけ調べておくといい。
旧朝香宮邸を見て、ガレ展を見て、館内のレストランでランチと。
恵比寿あたりでディナーのお店を探すこと。
たぶん関西人だと思う。
ぐぐれば語源、出現年代やソース出てくるのかもしれないが、めんどくさいのでワシはしない。
ただ、神奈川生まれの大阪育ち、おうちではじゃんじゃん言いながら、お外ではうっすーい大阪弁をしゃべる俺からすると、
「そんなん草はえるわwwwwまじでwww」
よくわからないが、関西弁のトーンやリズムとすごく相性がいい気がする。
そんなことはどうでもいいが、俺は船場言葉をしゃべりたいのに、2016年の大阪市ではだっれも「だす」「へえ」「ダンさん」なんて言わない。
まず「ダンさん」「若ダンさん」にめったにお目にかかれない。
「まんねん」も聞かない。
ここ何日かずっと考えている。
婆ちゃんはたびたび、躾として私の一番大切なものを選んで、捨てたり壊したりした。
ある時 婆ちゃんは、私が小学校に行っている間に、私の猫を捨てた。
前の晩、私は猫と遊んでいて風呂になかなか入らなかった。婆ちゃんは猫にばかりかまけて、やるべきことをしない私に怒っていた。
言うことを聞かないならば明日 猫を捨てると、婆ちゃんが言った。
猫は、学校にも家にも居場所がなかった私にとって唯一の、かけがえのない心の拠り所だった。
ましてや命ある生き物を、婆ちゃんだって捨てられるわけない。
無神経な脅しにとても腹が立った。
その日、私は意地になって言うことを聞かなかった。
猫は捨てられた。正確には、殺された。
婆ちゃんは、私が言うことを聞かなかったからなのだから、お前が悪いのだと言った。
私には、理解できなかった。
大切なものを捨てられると、言うことを聞くようになるなんて絶対に、あり得なかった。
猫の後を追って死にたかった。
心はとっくに死んでいた。
ただただ感じていたのは、婆ちゃんへの激しい怨み、憎しみ、殺意。
思春期になると私は、頭の中で婆ちゃんを殴るようになった。殺すことも、考えた。
大きくなった私には、実行できないことでもなかった。
暴力的な想像は、やめたくても、どうしても頭から離れなかった。
婆ちゃんの言う通り、私はいつか犯罪者になって、牢屋に入るのかもしれない。
高校卒業後、半年ちょっとバイトして、貯めたお金を持って19歳の冬に上京した。
相手が誰でも、なにか不快に感じると殴る、蹴るの想像をしてしまう。
「お前は犯罪者になるぞ」と言った婆ちゃんの言葉は、呪いのトゲように、私に刺さっていた。
知らない土地、知らない人たち。
怒る人はいたけど、婆ちゃんほど恐ろしい人や、婆ちゃんほど理不尽な人は一人もいなかった。
冷たい人もいれば暖かい人もいた。
もがいたり苦しんだりしながら、気づいたことが たくさんあった。
すっかりまともな人間になったと思った。
まともな人間らしく、婆ちゃんに娘を見せに行ったのだった。
婆ちゃんはひ孫にあたる娘を、可愛いと言った。
そのあと、「お前、子供を殺すなよ。こんなに可愛いのに。」と私に言った。
実家に滞在した一週間の間に、何度も何度も繰り返し、子供を殺すなと言われた。
私はもう二度と婆ちゃんに会わないと決めた。
ここからは、叔母の話。
私が上京したあと、入れ替わるように叔母が関西から引き上げて、実家で婆ちゃんと暮らすようになった。
何年か前まで実家には、叔母が飼っていた犬がいた。犬は、実家の庭の桜の木の下の、犬小屋で天寿を全うした。
婆ちゃんから、吠えてうるさいから捨てろと言われながら、叔母が守り抜いた犬だった。
婆ちゃんは家族に致命的なことを平気で言う人だったが、叔母もなかなか気性の激しい人で、負けじといつも婆ちゃんとぶつかっていた。
叔母が亡くなる少し前、婆ちゃんと叔母はいつにも増して激しい口喧嘩をしたという。
飼っていた犬が死んだ桜の木の下で、叔母は最期に何を思ったのだろう。
叔母は、婆ちゃんを殺すかわりに、自分を殺してしまったのだろうか。
それとも、踏みにじられるのに疲れてしまって、大事にしていた飼い犬に会いたくなったのだろうか。
最期の時の叔母は、怒っていたのか。泣いていたのか。無表情だったのか。
叔母の死は、他人事に思えない。
もしも、婆ちゃんと暮らしていたのが私だったら。
私も叔母のように自ら死を選ぶか、殺意のまま婆ちゃんを殺してしまったかもしれない。
大げさでも、何でもなく、そう思う。
先日、有名人が子供への罰としてゲーム機を壊したことが、Twitterで話題になっていた。
壊してゲームを一切禁止、二度と与えないということではなかった。
取り返しのつかないことにはならずに、良かった、と私は思った。
きっとその人にだって、少しは後悔があったか、子供の気持ちを考えたか、したのだろう。
だからまた買い与えたのだろうと、思いたい。
自分が親になって実感している。
親は結構 間違える。
私は、それに自覚的でいたい。
自分の行いをいつも振り返ることができるように。
間違いを正当化しないように。
親が過ちに無自覚で、自分を正当化し続けたなら、たとえほんの軽いものでも子供への心理的な虐待になりうると私は思う。
もしも婆ちゃんが、自分のやったこと、言ったことを後悔して、一言でも詫びてくれる人だったなら、私は殺意を感じるほどの強い怨みを抱かなかったのではないだろうか。
私は婆ちゃんを殺さずにすんだ。
正直、まだ怨んでいるが、いまはただ、婆ちゃんの訃報を待っている。
というかWikipediaの播州弁 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%92%AD%E5%B7%9E%E5%BC%81 がかなり詳細に書き込んである印象。
小学校高学年時に京都から播州弁が使われてる地域に引っ越した俺が感じたところを。
とりあえず印象としては播州弁は怖い。というか強い。
なんか大阪の親戚が話す言葉が機関銃で畳み掛けるような喋り方だとすると、
播州弁はもう少し重くて、大砲をそこそこの速度で連射してくるようなイメージ。全然うまく言えてないけど。
俺の引っ越し先は兵庫県の中央地域のマジで山と田んぼしかないような田舎で、当時はまだ割と方言がしっかり残っている地域だった。
京都から、というのも影響あったのかもしれないけど、普段はおしとやか?に関西標準語風に喋る女子が、
ちょっとテンションがあがると語尾に「どいや!」とかつけてきたり、「なんぞ!」とか言ってくるのはショックが強かった。
あと、関西圏からの移住でもじい様ばあ様およびガハハ系のおっさんは慣れるまで意思疎通が困難だった。
方言特有の言い回しで何言ってるかわかんないのに加えて、全体的に京都に比べるとかなり速く喋るのと、
言い始めや語尾が強くなる喋り方が多いので、怒られてるのかと思ってビビってしまう。
播州弁で男性同士の会話が盛り上がってると、ナチュラルに喧嘩に聞こえるというのはガチ。
慣れてくると汚いというより割と愛嬌のある言葉なんだけれど、やはり外の地域の人には威圧感を与えがちなので、
他地域の人と話すときはちょっと丁寧語で話すような感覚で関西標準語的なものを駆使する人が多い気がする。
関西圏で就職後、一度だけトンチキな指示を言い出した上司に「なにゆうとんどいや」とこぼしてしまって盛大にビビられた。
実際に周囲から言われて「これが播州弁ってやつか」と感じたフレーズをいくつか
「なにしてんの?」→「なんしょん?」「なんしょんどいや?」「なんしょんこ?」
「なんやねん」→「なんどい」「なんどいや」「なんぞ」「なんぞいや」
「あんたどこの子や?」→「あんたどこん子え!」(怒られてるのかと思った)
「壊してしもたんか、まあ大丈夫やで」→「めんでもーたんこ、まあべっちょあれへんがい」
ちなみに、田舎に帰って上の文章を口で言ったら多分こんな感じになる。
とりあえず印象としちゃー播州弁は怖い。っちゅーか、強い。
なんや大阪ん親戚がはなっしょーやつが機関銃で畳み掛っきょるよーな喋り方やとすっと、
播州弁はもーちょいおもおて、大砲がそこそこな速さで連射してっきょるイメージや。全然うまいこと言えとらへんけど。
俺の引っこったさっきゃ兵庫県の真ん中ら辺のマジで山と田んぼしかあれへんよーな田舎やったさけ、あんころァまだ割かし方言がよー残っとおちいっきゃったねん。
京都から、っちゅーんも影響あったんやもしれへんけど、普段はおとなしゅー?に関西弁でしゃべっりょる女子が、
ちょいテンションあがっりょったら語尾に「どいや!」とかつけてきょーったり、「なんぞ!」とかゆーてきょんなショックでかかったわー。
http://b.hatena.ne.jp/entry/toyokeizai.net/articles/-/103434
都市部において両親が高学歴の富裕層か教育熱心な家庭に生まれ、中高一貫の名門私立学校出身者にとっては最底辺の進学先であろう。
それでも私にとってそこに入学できたのは強運と努力と才能の結実した成果であった。
私は中学校では50人中だいたい2番だった。
高校は地元の相対的にはいちばんいい進学校にいき、成績は控えめに言っても360人中だいたい5番以内だった。
その進学校は地域全体で約2000人のうち上位360人が集まるので、合わせると5番/2000人で上位0.25%ということになる。
地方出身者は、首都圏や関西の金持ちなら鼻で笑うようなFランク大学に上位0.25%しか入れないのだ。
日本の大学入試制度は一見すると平等な試験選抜であるが、それに特化した訓練を受けられるかどうかという点で大きな不平等があることを、エリート達は知らない。
塾で真ん中より上なら開成とか灘に合格できて、高校で真ん中より上なら東大法学部なんか楽勝だった奴らが国を仕切っている。
私も上述のように田舎の出身ではあるが、それでも普通科の選択枝が複数ある時点でだいぶ恵まれていたし、両親もいちおう大卒で教育意欲は高かった。
ちなみに中学までの同級生のうちで両親が大卒なのは私だけだった。
ちなみに私が通った大学では、入学後の成績順位が試験のたびに開示されるが、成績上位者はのきなみ地元ローカルトップ高出身で、
成績下位者は一流進学校出身者が占める、みごとなまでの「高校偏差値との逆相関」が見られる。
極限までお受験マシーンとしての能力をブーストされた者と、田舎で競争相手にも欠くような者たちが、
大学入試で結果的に同じ成績を残したのであるから、伸びしろは言わずもがなというわけだ。
しかし田舎の貧乏人に進学のチャンスを与えることは、ポテンシャルの高い人材を上に引きあげるある種の効率を改善することに繋がり、その余地はまだ残されている。
日本の学校教育では「不平等に見えること」が何よりも嫌われ、成績の開示や成績優秀者の表彰などを大々的にすることはないし(運動会で運動音痴の公開処刑はするくせに)、
公立校では進学校ですら進学実績を売りにして生徒を募集することがタブーである雰囲気すらある。
しかしそうした消極的な姿勢によって、塾や私立学校などの有料コンテンツでブーストした層が大学受験を勝ち抜きやすくなり、
格差と階級の固定という、より好ましくない事態が生まれている。
よりチャンスの公平な社会と効率的な人材育成のために、初等教育から徹底した到達度別のクラス分けや飛び級・留年を採用するなど、学力と家庭環境の相関度を下げる改革が望まれる。
詳細は他にゆずるが、階級流動性の高い社会では教育予算が多く、人口に対する教師の割合が多く、公立校でも能力に応じた授業が提供されるなど柔軟性が高い。
(出典がすぐ出せない、たしかシノドスか何かで読んだ、あと森巣博の本とか)
ちなみに私の出身大学は失楽園の著者と同じで、出身高校は極楽とんぼの太ってない方と同じだ。
あと学歴社会の是非は問わないでください。高学歴を是として、高学歴が高収入を得られるのを前提にしないと話がややこしくなるんで。
http://hakaiya.hateblo.jp/entry/2016/02/06/144755
これはある意味事実であり、そして勘違いしています。ここで県別の覚せい剤検挙数を見てみると
教えて!全国ランキング 都道府県別 覚せい剤取締送致件数ランキング
大阪は東京に次いで2位。人口10万人あたりでは大阪がワーストです。また山口組の膝元兵庫でも中間くらいであり特別少なくもありません
では山口組は麻薬撲滅運動を掲げているだけで実は裏で麻薬を売りまくっているのか。あるいは本職に隠れてコソコソと麻薬を売る素人がいるのか。はたまたイラン人グループが跋扈しているのか。
何わけのわからないことをと思われるかもしれませんがヤクザの理屈で麻薬(クスリ)とは何か。答えは「麻薬取締法」で麻薬とされているもの、というだけのことです。つまり麻薬とはヘロインとコカインの事なのです
勘違いしがちですが覚せい剤は麻薬取締法ではなく覚せい剤取締法に分類されます。つまり麻薬じゃない。だからヤクザのしのぎとして覚せい剤の売買はアリということになる
山口組はそれこそ西どころか全国レベルで麻薬撲滅を頑張った(麻薬を扱った連中は遠征してでも潰すと脅した)お陰で、日本ではヘロインコカインの入手ルートが殆どありません。コカインで捕まった田代まさしなどは「どんな入手ルートで」と驚かれました
ちなみに大麻も麻薬ではなく大麻取締法の分類なのでクスリじゃないです。でもヤクザはあまり扱いません。子供のオモチャという認識があるからでしょうかね
では本題の関西のお笑い芸人で薬物に手をだす人はほとんどいない
はなぜなのか。
…なんででしょうね?