2016-02-16

初めて増田で書いてみる。

ここ何日かずっと考えている。

婆ちゃんと、私と、最近自殺した叔母のこと。

踏みにじられた気持ち殺意のこと。

うちは貧しかった。母親はいない。

父親ほとんど家にはおらず、婆ちゃんが私の面倒を見た。

婆ちゃんはたびたび、躾として私の一番大切なものを選んで、捨てたり壊したりした。

ある時 婆ちゃんは、私が小学校に行っている間に、私の猫を捨てた。

前の晩、私は猫と遊んでいて風呂になかなか入らなかった。婆ちゃんは猫にばかりかまけて、やるべきことをしない私に怒っていた。

言うことを聞かないならば明日 猫を捨てると、婆ちゃんが言った。

猫は、学校にも家にも居場所がなかった私にとって唯一の、かけがえのない心の拠り所だった。

どれだけ大事に思っているか婆ちゃんにだって分かるはずだ。

ましてや命ある生き物を、婆ちゃんだって捨てられるわけない。

無神経な脅しにとても腹が立った。

その日、私は意地になって言うことを聞かなかった。


猫は捨てられた。正確には、殺された。

婆ちゃんは、私が言うことを聞かなかったかなのだから、お前が悪いのだと言った。

私には、理解できなかった。

大切なものを捨てられると、言うことを聞くようになるなんて絶対に、あり得なかった。

猫の後を追って死にたかった。

心はとっくに死んでいた。

ただただ感じていたのは、婆ちゃんへの激しい怨み、憎しみ、殺意


思春期になると私は、頭の中で婆ちゃんを殴るようになった。殺すことも、考えた。

大きくなった私には、実行できないことでもなかった。

暴力的想像は、やめたくても、どうしても頭から離れなかった。

そんなことを考えてしま自分がとても怖かった。

婆ちゃんの言う通り、私はいつか犯罪者になって、牢屋に入るのかもしれない。

いつか犯罪を犯して、死んだら地獄に堕ちるのだと思った。


早く田舎を出たかった。

高校卒業後、半年ちょっとバイトして、貯めたお金を持って19歳の冬に上京した。

攻撃的な想像は、二十代前半まで続いた。

相手が誰でも、なにか不快に感じると殴る、蹴るの想像をしてしまう。

「お前は犯罪者になるぞ」と言った婆ちゃんの言葉は、呪いのトゲように、私に刺さっていた。

東京はいろんな人がいた。

知らない土地、知らない人たち。

怒る人はいたけど、婆ちゃんほど恐ろしい人や、婆ちゃんほど理不尽な人は一人もいなかった。

冷たい人もいれば暖かい人もいた。

もがいたり苦しんだりしながら、気づいたことが たくさんあった。

だんだん私は、暴力的想像をしなくなった。


年月が経ち、私は結婚して子供が産まれた。

すっかりまともな人間になったと思った。

から、娘が生後5ヶ月の時に、娘と田舎へ行くことにした。

まともな人間らしく、婆ちゃんに娘を見せに行ったのだった。

婆ちゃんはひ孫にあたる娘を、可愛いと言った。

そのあと、「お前、子供を殺すなよ。こんなに可愛いのに。」と私に言った。

実家滞在した一週間の間に、何度も何度も繰り返し、子供を殺すなと言われた。

田舎から家に帰った後、酷いフラッシュバックが起こった。

私はもう二度と婆ちゃんに会わないと決めた。



ここからは、叔母の話。

私が上京したあと、入れ替わるように叔母が関西から引き上げて、実家で婆ちゃんと暮らすようになった。

何年か前まで実家には、叔母が飼っていた犬がいた。犬は、実家の庭の桜の木の下の、犬小屋で天寿を全うした。

婆ちゃんから、吠えてうるさいから捨てろと言われながら、叔母が守り抜いた犬だった。

婆ちゃんは家族に致命的なことを平気で言う人だったが、叔母もなかなか気性の激しい人で、負けじといつも婆ちゃんとぶつかっていた。

叔母が亡くなる少し前、婆ちゃんと叔母はいつにも増して激しい口喧嘩をしたという。

飼っていた犬が死んだ桜の木の下で、叔母は最期に何を思ったのだろう。

叔母は、婆ちゃんを殺すかわりに、自分を殺してしまったのだろうか。

それとも、踏みにじられるのに疲れてしまって、大事にしていた飼い犬に会いたくなったのだろうか。

最期の時の叔母は、怒っていたのか。泣いていたのか。無表情だったのか。

叔母の死は、他人事に思えない。

もしも、婆ちゃんと暮らしていたのが私だったら。

私も叔母のように自ら死を選ぶか、殺意のまま婆ちゃんを殺してしまたかもしれない。

大げさでも、何でもなく、そう思う。




先日、有名人子供への罰としてゲーム機を壊したことが、Twitter話題になっていた。

その方はその後、同じもの子供に買い与えられたという。

壊してゲームを一切禁止、二度と与えないということではなかった。

取り返しのつかないことにはならずに、良かった、と私は思った。

きっとその人にだって、少しは後悔があったか子供気持ちを考えたか、したのだろう。

からまた買い与えたのだろうと、思いたい。


自分が親になって実感している。

親は結構 間違える。

私は、それに自覚的でいたい。

自分の行いをいつも振り返ることができるように。

間違いを正当化しないように。

親が過ちに無自覚で、自分正当化し続けたなら、たとえほんの軽いものでも子供への心理的虐待になりうると私は思う。


もしも婆ちゃんが、自分のやったこと、言ったことを後悔して、一言でも詫びてくれる人だったなら、私は殺意を感じるほどの強い怨みを抱かなかったのではないだろうか。

私は婆ちゃんを殺さずにすんだ。

正直、まだ怨んでいるが、いまはただ、婆ちゃんの訃報を待っている。

  • いや、それは分かったから何かオチを用意したりしないのかね。 「ばばあは隣に住む名前もろくに知らんおっさんに刺し殺された」とかそういうの。

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