はてなキーワード: 退職とは
元エンジニア。男社会で働くかっこいい女……なんてリベラルな追い風もなく、珍奇な奴として変人に混じって働いてた。入院した先で会った研修医の男の子に一目惚れして結婚、結婚後も2人目までは頑張って勤めてたけど、旦那方のお家に昔から勤めてらしたお手伝いさんが亡くなって、三人目の育児もきつくなったので辞めた。それから四人目を生んでずっと専業主婦として生きてきた。今はその末息子がやっと就職したおばあさんよりのおばさん。
子育ては、やり出したらのめり込む気質だったから、ともかくとことん付き合おうって決めて育てた。長男妊娠中に読んだ、エジソンの母親の話にすごく感銘を受けてたのと、その頃ちょっと流行ってた教育研究者の影響ね。
子供のためなら海でも山でもコンクールでも海外でも連れてって、付き添って、送り出して、一緒に勉強した。
まさに自慢の作品たち!って感じなのよ
仕事を辞めて心血注ぎ込んで大事に育てたものだから、子供の成長が自分のキャリアみたいなとこあるのよ
子供なんて勝手に育つものだから手柄にしちゃうのも図々しいけど
立派に育ってくれて
長男長女は生徒会長を務めるし、部活や習い事も結果を出して官僚、医者、大企業×2と親としては自慢したくなるようなところに勤めてくれて
いやーやりきりました!って感じなの
だが、なんだか何も残らなかったなーと虚しい
言っちゃ恥ずかしいが、子育てって頑張ったら子供はエジソンになるんだと思ってた
どっちも東大行って
みたいな
医者って、世の中に山ほどいるし
あっ普通じゃん、って
就活だって勉強だって並々ならぬ努力してたのも知ってるし、すごいんだなってのは自分もわかる
けど、なんだろう
子供らは普通に幸せそうにしてくれていて、母親としては嬉しい限りなんだけど
普通に優しくて、普通にいい仕事について、普通に生きてくれてるけど
元が良くて、頑張っても
普通の人(特上)になるだけだった
子供に習い事させたり学費を出したりしてると、家計は普通に庶民。毎年海外旅行に〜なんて無理だし、一生堅実にコツコツ生きてローンを返そう、みたいな。せいぜい学校が私立になるぐらい。
スーパー経営者になって毎年海外旅行に行って欲しいわけじゃない。そうなってもきっと今とおんなじ気持ちだろう。
子育てって、普通に育って御の字だということを育てきってから知った。問題ばかりの子供だったら、今の姿にすごく感激するのかもしれないが、幸い特に問題児という子はいなかった。
自分の夢に向かって努力するのは相応の夢が見れたんだけど、なんだかなあ。
わたしが期待しすぎなのだけど、ほんと、こんなもんかーって拍子抜け感が半端ない。
というか何を期待して育てたんだろう……。
何になってもきっとこんなものだったんだろうな。
子育て、楽しかったけど残るものはないな。「お盆は車で帰省します🚗」とか長男のお嫁さんからLINEきてるから、またフツーの若夫婦がフツーに孫連れてフツーにやってきて
魔法使い、革命家、とんでも発明家…とかだったら楽しそうなのに。
歳のせいなのかな。サラリーマンも退職後、人生が虚しくなるっていうし。子育てを通して自己実現、とかわたしには無理だったわ。子育てで実現するのは子供の人生であって、わたしの人生ではなかった。こんなことなら、花道の先生にでもなりゃよかった。
再就職目指せるぐらい若かったらなーと思いつつ、Pythonを勉強してるけど昔ほど楽しくない。
この先も大したことなさそう。人生見通したっちゃって飽き飽きする。若いうちに世界一周とか、もっと素敵なことしてればよかった。この歳で、アフターコロナじゃ無理だわ。
平凡を望む性質でもないのに、平凡に生きて、平凡なハイスコアで、でもやりたいゲームじゃなかったから全然満足できない。
時代的に子供産んだけど、そんなに望んでなかったのよね。旦那大好きだけど、医者じゃなかったらなあ。
人生普通なのってつまらないのね。子供がいるうちは何かとバタバタしてて気付かなかった。子供の成長だけがギャンブルだったわ。あとは犯罪でも犯さないことを祈りながら消化するだけ。
退職しないでどうする
マジでどこにでも行けるぞ どうする?
熱海、箱根、北海道、沖縄、田園調布なんかもいい 海外…はいまちょっとキツそうだなあ
とにかくどこにでも思い立ったらすぐ引っ越せるってのはすごい なんせ無限の金だから賃貸の契約期間なんかも実質無視できる 違約金もノーダメージだ
つうか各地に家が持てるんだよな まあご時世的に移動はしにくいけど… でもたとえば徒歩圏内に5個家があって気分によって好きなとこで寝られるみたいなのは憧れるなあ 掃除だって外注すればいいわけだし!
あんま高いもので欲しいものってないんだけど、とりあえずスマホとPC買い換えてでっかいテレビを買うかなあ あとはなんだろう シャワーヘッド…?低温調理機…?そういうQOL品を買う
成城石井とかに行ってムチャクチャ大量に色々買いたい!惣菜も値段無視して買えるからな すごいぞ チーズなんかもバカスカ買えてしまう レジ袋も「大2枚ください」なんてことが可能
ママチャリじゃないチャリ乗ってみたい!電動自転車でもいいな たっけえ電動自転車乗ってその辺走り回ったら楽しいだろうなあ
バブひと風呂に8個くらい入れて入りてえ〜ッ
中学時代ぶりにホルン吹いてみようかな!安いのでも20万くらいするけど、金が無限にあるので1日で飽きてもOK 防音室作って吹きまくってみたいな
買い物にも通じるけど、牛肉とか買って食いてえな いや牛肉なんてケチくさいのか?なんかもっとこう…この店で一番高いものを!みたいな いい素材をふんだんに使ってメシ作って食いたい 分厚いステーキなんか焼くのも楽しそう いろいろ入れた餃子作るなんてのもステキ
コンパウンドボウみたいなの買って自分ちの広大な庭で好きなだけ放ってみたい!当たんないだろうなあ
ペンタブと良い椅子と良いソフト買ってお絵かきしてみたい!すぐ飽きるだろうけど、好きな時に絵が描ける環境は楽しそう
バカでかい金塊買って手に持って「重え〜」とか言って笑いてえ!
キングサイズのベッドに寝てみてえなあ 彼女とシングルの布団に入るの狭すぎる 広さと同衾を両立したらどうなっちゃうの
鉢植えのサボテン買ってチマチマ育ててえ あっでも別荘持って転々とするのと相性悪いな 終の住処を定めたらサボテン飼いてえ
筋トレ器具なんかも買ってみたい トレーニングルームを自宅に設けてみたりして… まあすぐ飽きるだろうけど、ないよりは絶対運動する!
プライベートプール欲しすぎる!プールに入浴剤入れたら楽しそう
模造剣とか模造刀買ってブンブン振り回してえ!技名叫んだりしてさ…
中身が半端に入ったペットボトルをいい感じで投げてえ すげーよく飛ぶんじゃないかなといっつも思うんだけど、もったいないし人に当たりそうだしで投げられん 金があったら解決できる バカ広い庭があるから
モスバーガーとかに行ってこんなん誰が頼むねんって感じのメニューをバンバン頼みてえな そういうところに意外とうまいものがあるから
VR結局一回も試したことない!最高級HMDみたいなの買ってアレやりたい 高層ビルの上で綱渡りみたいなやつ
ああ! 無限の金
金ほしいなあ 金あったらすげえ豊かだぜ
人生のつらさ7割くらい金由来じゃねえか?
もしかして同じ?
犯罪率のデータがあればしていいのなら、黒人の犯罪率が高かったらそうなっちゃうよね。その犯罪率には背景があるけど、被害に合っていた店があったとしてそれは店には関係ないよね。
それで思うのは、だから表面的に黒人禁止とかやめろ!と言っても結局明確に理由があればミクロ的にはそこは(★勘違いしないでほしいのは、理由なき差別は表面的にもやめるべき。理由がないんだから。それをどう判別するかって話に持ってくなら明確に「こう言うと理由がある人間を切り捨てるけど」と必ず前置きしろ)しょうがないのでは?
だから今の差別問題(黒人に限らず)で思うのは、表面的な数字を変えようとする意味のない行為はやめようぜってこと。根本的な貧富の差であるとか雇用の均等性(1:1なら問題ないわけではない!望むものが公平に!)であるとか、そういう変えるのすごい大変だけどそこを変えないと意味ないよねってとこにアプローチしないと。数字は結果であって目標ではない。
「誰が◯◯と言った!叩けー!!退職させろー!!」っておかしいよ。「誰が◯◯と言った。なぜそういう言葉がでたのだろう?不意に出るものは仕方ない。その背景をキチンと考えよう」だろ。
某ブラック企業を退職後、あれよあれよとそこそこのホワイト企業に就職できてしまい、テレワークというものが始まってしまった。
自宅も仕事場になるというのは中々苦しいことかと思いきや、定例の会議さえこなせばほぼ自由であるという緩さで歓喜の極みだった。人は自由という餌で生きている、そう確信した。
そんな中、この空き時間を使って以前から触れてみたかった、ノータイムオーガズムを極めようと考えた。
やり方は簡単である。まずは前立腺で快感を得れるようにトレーニングしなければならない。全く面倒であるが、この先に待っている快楽を考えれば些細なことある。
俺は前立腺で快感を覚えたことはまだなかったので、様々なウェブサイトを参考にして普通の前立腺オナニーを極めた。
まず浣腸をする。その上でベッドに寝っ転がる。
初心者向けの前立腺開発道具を右手に持ち、モニターアームでノートパソコンを左手で操作できるようにする。
これで前立腺を開発しながらもテレワークを遂行できる。俺は前立腺開発とテレワークを並行作業することで、時間的効率を高めたのだ。
前の息子をいじりながら前立腺をいじめ、やがて前立腺から快楽が得れるようになると、徐々に弱い刺激に移行していく。
そしてやがては何も刺激を与えなくても、自ら前立腺を「しめる」だけで絶頂できるようになるのだ。
長く厳しい道のりだった。ときには、俺には前立腺オナニーの才能はないのではないかと思ったこともあった。ときには、仕事がうまくいかずに前立腺開発だけがうまくいったこともあった。
だが俺は成し遂げた。
これは、イケる。そう確信したのは立ちながら前立腺を指でいじってイけるようになったその瞬間だった。俺はこの瞬間から、もはや前立腺をいじらずともイけることを確信した。
もちろん、ノータイムオーガズムを習得してからもその質にはまだまだ先がある。
例えば上級者ができるという触らずに射精するという技術はまだできないし、触りながらイクのとも「深さ」的には劣る。
だが、俺は少なくとも仕事をしながらノータイムオーガズムできるのである。
先日精神科にいったところ、速攻でこの薬を処方された。
割と薬を出さないと評判に書かれていたのに、PCに速攻でこの薬の処方を書いていたようなのは、
そんなに私の症状が普通ではないのだろうか。
私の症状とは「相手の話が覚えられない」という症状だ。
https://togetter.com/li/1217687
この頭がゆるそうな子よりも何も考えていない。いや考えることができないのである。
上司が口頭で指示をだし、話を終えたとき、頭の中では「なんとなくこういう指示だった」ということしか残っていないのだ。
要点を捉えられないのでメモをまともに取れないのだ。
話の内容を理解できていないし、覚えられてもないからあとでメモを取ろうと思っても
何も書けないうえに、的外れなところしか覚えていないのである。
これにより、次のことが起きた。
・1週間かけてプログラムを作った → 依頼者が必要なのは別のものだったので作り直し
・話の内容を5%しか理解できない → 口からでる話はとんちんかんで的外れ
・上司はA、Bでやれといった(らしい) → 私が作業したのはZ,A
・支持を理解するように脳みそが全タスク割り振られているので前回注意されたことは一切思い出せない。
その他にもいろいろあるが要は、早合点の早忘れが多発している。
そんな私でも、今現在なんとか働いていることは働いている。
ただ速攻でクビになるという当然の結果はついてくるが。
早くて1か月、長くて2年半が最長である。
長く務めたところは口頭の指示がほとんどなく、後で文章で残してくれるという神上司のおかげとしか言いようがない。
文章ならばなんとなくわかるのだ。
そんなこんなで働いたが、今回あまりも指示を理解することが出来な過ぎて、いや疲れ果てて
精神科に行ってみた。ドモリを治す以来なので、10年ぶりぐらいである。
この薬を飲めば私は少しは生きやすくなるだろうか、少しは人間に近づけるのだろうか。
そんなことは今薬の山を見ながら考えている。
どこの会社とは言わないが、某IT系の上場企業で勤めていた。表向きはいい顔をしているが社内は本当にひどかった。
特定の部署にいた人たちの何割かはメンタルを病んでしまい、休職に追いやられていたり中には退職を余儀なくされていた人もいて、私もその一人だ。
上の人間からのパワハラ、上の上の人間の見て見ぬ振りなんて当たり前。私はシステム開発部に所属していたのだが、システム開発部の最高技術責任者やその側近がそもそもパワハラをしている。
私がパワハラを受け休職に追いやられたとき、システム開発部の部長から「なんで面接の時に気づかなかったんだ?お前のせいで責任が降りかかるだろ。」と言われ更に精神的に追い込まれて私は辞めることを決意した。
パワハラで何人もの社員を辞めさせても何のお咎めも謝罪もしなくていいなんていいご身分だよな。どんな育てられ方をしたら謝罪もせず人の精神を病ませられるんだろうか。
上場する際の条件に「過去に社員を精神病にさせたことがない」を加えてほしいくらいだ。
パワハラの証拠は残しているのでいつでも告発できるが、それよりもその会社の名前すら見たくない。
ツイッター見ていたら、この会社の社長や最高技術責任者のツイートが流れてきて不愉快になったのでここに書いた。早く潰れてくれ
一回依存症になるとヤク中と同じくらいタチが悪い廃人が出来上がるけど、依存しきって体壊すまでが割と長いから国にとっては働くだけ働かせてから退職する頃合いに死んでもらえる良いドラッグなんだよ。
私は一人っ子で両親ともに健在だが、父と絶縁した
父親は軽度の知恵遅れ的なところがあって、いろいろ問題があるのだが、
父は団塊世代で、就職してから退職するまでずっと同じ会社で働いてきた。
こんなバカな父を解雇することもなく、ずっと給料という名の民間生活保護を支払い続けてくれたT社に感謝しかない。
その代わりT社は潰れそうなまでに凋落しているが。
父は自民党支持者である。理由はおそらく、自民党くらいしか知らない。多くの人が支持するなら自分も支持しようくらいにしか思っていない。
絶縁を決めた理由はここにある。
父は頭は絶望的に悪いが、悪い人間ではない。倫理的にどうよ?ってことはバカゆえにあったのも事実だが、ピュアなのだ。
それゆえ、あの邪悪の限りを尽くす愛国心ゼロの自民党を未だに支持するということがどういうことなのかわかっていないのだ。
汚職三昧の果に人まで死んでいるし、国難の最中ですら利権にばかり税金を流して、何一つやってこなかった。
さらに、メディアや検察という機関から中立性を抹消してまで保身に走る集団だ。
もし父にまともな倫理観があれば疑問を呈するであろう。
こないだ、アベノマスクという虫の湧いたマスクが届いて、絶賛していたのを聞いて、ただただ呆れた。
そのウン百億の金、もっと有効に使うべきという発想はないのか?
上司と休憩してる時に嫌な業務について愚痴ったり、精神的負荷が掛かる業務が発生した時に嫌だ(ちゃんとやるんだけど)って言っていたら、ある時、積もり積もったなにかが合ったようで上司から、
お前の替えはいるって言われた。
そんなにやりたくないなら稼働下げるから。
やるかやらないかはっきりしてくれ。
だと。
正しいことを言われてるんだろうけど
特に回答求めないような愚痴を言うことはそんなに許されないんですか。
そのプロジェクト、去年から(半ば押し付けられた形で)私が中心でやってきてて、
しんどくてしんどくて日々愚痴りながらも去年ぶんは完遂した。
誰でもできる業務なのはやってきた私が一番分かってる。でも誰もやらないから私が虚しくなりながら去年分はやり遂げた。誰でもできるって他人から改めて言われるとめちゃめちゃメンタル抉られた。
私の仕事の意識が低いのは事実で上司は正論言ってるとは思うが、心がついていかない。
大したことは書いてないけど「へーこういう女もいるんだな」って思ってください。
休職中ずっと増田読み漁って色々な考えに触れたので、この記事も誰かの役に立てばいいな、と思います。
クソ長い自語り、家庭環境諸々から書いてみる。ちょっとフェイク入れてるし人名は全部仮名です。
私について
北海道から上京してきた20代前半、上京してきて多分4年。学歴は専門卒、高校は工業出身。今年始めて彼氏が出来た陰キャ。
きしょいオタク、文章書くのは割と好き。漫画とアニメとソシャゲ全部好き。乙女系コンテンツに入り浸る典型的な女ヲタ。
母(7人兄弟の次女:中卒)、弟2人の母子家庭。弟は今21(医療系の大学)、20(専門学校)。父親は小5の時に離婚した。
記憶にないけど死んだ妹がいる(私の1つ下だと思う、親に未だに聞けてない)
両親も親戚もみんなオタク。父親はラムちゃんとアイマス、プロレス。母親は最近イケメンシリーズ、ボイフレ、アンジェと遥か、アトラスゲー。
弟2人はFPSとかモンハン。兄弟二人ともゲーマーガチ。世界ランク上位に入るレベル。一番下は格ゲーとボドゲに目覚めた。
実家は村に近い山奥のドドドドド田舎。同級生に農家と酪農やってる子がいっぱいいる。
育ての親は母親の妹(3女:以下さっちゃん)。母親は働きに出てた。多分パートだったのかな?分からん。
保育園に入ったのが5歳くらいだったんでそれまでは母方の祖母の家に預けられて育った。
イマジナリーフレンドが4人いた(らしい)、よく見えないお友達と遊んで親戚をビビらせた。ごめん。
ちなみにお婆ちゃんは私の見えないお友達を存在しているもの扱いしてたらしい。とんでもねえばあちゃんだ……
物心ついたときには父方の祖母と両親、弟2人と一軒家に引っ越してた。
保育園に入った時にはもう住んでた。この頃から父方のおばあちゃんは長男の弟かわいいで私に対して興味なかった。つーか嫌いだったのかも。
母親は土日関係ないサービス業なので、土日の食事は祖母。弟たちの分はあっても私の分は無いとかザラだった。今思えば普通に虐待。
ただご飯が無くてもゲームと本があれば全然平気だったのでお母さんは私がご飯を食べてないのを知らなかった。
後に私がさっちゃんに「お母さん(これは父方の祖母を指す、実母はママ)がごはんくれない」と遊びに来た時に漏らしたらしい。
当然ながら怒り狂う母とさっちゃん。父方の祖母は「お腹へったって言わないからいらないと思った」としれっとした顔で言ったのを見て目眩がしたらしい。そらそう……。
あとはさっちゃんが当時、父方の祖母の作ったご飯を食べてあまりの味の薄さに「これを毎日食べてて、ごはんも用意してもらえない日がある、食べた気しないんじゃ……」って思ったら私が不憫すぎて車で泣いたと聞いた。
確かに味は薄かった。天ぷらだけはめちゃくちゃ美味しかったな。今狂ったように辛いものとしょっぱいものを食べてるのはその時も反動かもしれない。
全学年2クラス、2年ごとにクラス替えだった。2クラスしかないんで全員顔見知り状態。
入学してからは超絶人見知りを発揮。保育園の頃に仲良くしてくれた子たちとだけ交流してた。毎日連絡帳に口数が少ないとか書かれてた。
家が近所のゆみちゃんと一緒に登下校してた。お互い何も言わなくても一緒に帰る仲だった。今は看護師やってるらしい。
教室でずっと本読んでた。徐々に色んな子と喋れるようになる。ぼっちに話しかけてくれたみほちゃん、ありがとう……
あとは算数が出来なくて宿題解けない……って泣いた記憶がある。ちなみに時計が読めなかった。
3年生ぐらいから普通に社交的になったと思う。クラスの委員長とか誰もやらないなら…でやり始める。この時ちゃお読んでた。
この頃、休み時間は教室以外にも図書室で本を読む女になってた。
同時期ぐらいに父親が仕事をクビになってニートで引きこもりになった。今で言うFXかな?やってたらしい。けど、あんま才能無かったのかも。
ただ、父親なりに色々と私も含めてかわいがってくれてたと思う。漫画とか全部父親が買ってくれてた。
高学年に上がってからは弟2人も一緒に学校に行くようになってたので、周りの親からの評価がめっちゃ高かった。
勉強ができて、運動もできて(足が速いだけ)、面倒見もいい女の子。
実際、3年からは毎回クラスで委員長だったし、同じクラスになったことない子も下の兄弟が同級生同士で仲良し~とかあった。
ちなみにこの頃はちゃおと少年A、ジャンプ、母方の祖母の家でガンガンとGファンタジー読んでた。
ただ両親がしょっちゅう家で喧嘩してた。祖母の部屋は1階、私達の部屋は2階。
多分祖母は病んでたのか、深夜に父親の部屋の前で名前を呼んでいるのを見た。めちゃくちゃ怖くて夜中トイレ行けなくなった。
祖母の私と弟への差別は益々酷くなっていて、私の家で友達と遊んでる時に「ごはんの準備しろ」「洗濯干してこい」とか言うようになる。
弟がなにか手伝おうものなら「あんたは長男だからしなくていい」って言ったの聞いてなんで?と思ったけど、弟に手伝わせるのも可哀想だなと思って大丈夫って言ってた。
小5の夏、庭で土いじりしてる祖母に「倉庫からスコップ持ってきて(でかいやつ)」と言われてめんどくさいな~って思いながら取りに行った。
祖母に渡すために後ろに立った時、(あ、これ今殴れるな……殺してもいいんじゃない?)って思った。今思えばこの時には既に私ももう心を病んでいたのかもしれん。
その後、親が離婚して一軒家から団地に引っ越した。離婚後父親には一度も会ったことない。ただ、車で事故って半身不随になったのは聞いた。
これは高校に入ってから母親に聞いたけど、あの頃の祖母は枕の下に包丁を入れて寝てたらしい。こえーよ。病むっていうかキチだと思う。
母親はいつ祖母に殺されるか分からなくて毎日不眠の状態で仕事に行ってたらしい。それでも授業参観も運動会も学芸会も絶対全部来てくれた。
田舎あるある。小学校から生徒が全員持ち上がりなので知らない子はいない。お母さんがパソコン買ってくれたのもこの時じゃなかろうか。
半年間は平和だった。でも、中1の秋頃から毎日登下校をともにした仲良しのゆみちゃんがいじめを受け始める。
ゆみちゃんが堀北真希に似てる超絶美少女で、当時仲の良い男の子に数合わせでいいから、という理由で野球部に所属していた。私はゆみちゃんに「1人じゃ不安だから……」と頼まれて野球部に入った。
まあよくある、男の集団に女がいるの気に入らないムキーッみたいなのが原因だったんだと思う。いじめてたのは女バスと女バドの5、6人。
私はゆみちゃんがいじめを受けてるのも知ってた上で普通に仲良くしてた。ゆみちゃんの家も母子家庭で、当時は母親が家に彼氏を連れ込んで家に居にくいからってよく私の家で過ごしてた。
彼女の凄いところは毎日学校に行ってたところだと思う。私に泣きながら「リスカが止まらない」と相談してくれたこと、リスカ跡は今でも忘れない。
結局、ゆみちゃんは2年に上がるタイミングで転校した。その結果どうなったか。
私がいじめを受け始める。いやなんでだよ。私は当時160cm80kgのデブだぞ。何が気に食わねえんだよ。と思ったけどいじめる相手が居なくなったから仲良かった私になった。
ただ、いじめられてることに気付いたのがゆみちゃんが転校してから2ヶ月後くらいだった。私は超鈍かった。周りは気付いてるけど自分だけ気付いてなかった。
なんでか自分のノートがないとか、教科書がないとか、下駄箱の上靴がないとか。そういう事が起こってから気付いた。
当時から仲良かった子に「あの頃めっちゃ陰口言われてたし、あんたと話したら次お前をいじめるとか言われたことあるで」って言われた。
そういえば当時はいじめを題材にしたドラマ流行ってたし、あれはいじめのお手本になってたなと思う。本当によくない。
中2の夏ぐらいだったかな。衣替えするかしないか、とかだった気もするから9月ぐらいかも。半年くらい我慢して学校に通ってた。
私は学校に行くのやめた。というか、行けなくなった、のほうが正しいかもしれない。制服を見ると気持ち悪くなって泣きそうになった。
休みたかったけど、母親は私が生理痛で辛い、と言えば痛み止め飲んででも学校に行け、サボるなと言う人だった。休むことはサボりだと言う人だった。
それでも母親には迷惑かけたくない、という一心で吐きそうになりながら学校に行くフリをしながらおばあちゃんの家に行った。
おばあちゃんは何も言わなかったし、おばあちゃんちの犬と遊ぶのが好きだった。おばあちゃんの膝が悪いから代わりに散歩に行ったのも覚えてる。
ただ、学校の担任から「1週間ほど無断欠席が続いてるが大丈夫か」という連絡が家に入りバレてめちゃくちゃ怒られる。怒られた時に初めていじめられてると言えた。
母親はその日のうちに学校に電話をして、学校側もいじめを知ってたけど本人が言わないから、とかそういう理由で何もしてなかったらしい。
後日、私は学校に行っていじめてきた女たちから「形だけのごめんなさい」を受ける。クソ無意味。謝られたからと言って事実は消えないわけだし。
どのみち私は学校に行っても教室に入れなかったし、教室に入れないなら授業も受けられない。だったら行く意味が無いな、と思って家に引きこもるようになる。
家に引きこもってる間も勉強は出来た。そう、みんな大好きTwitterです。当時高校生だったり大学生だったフォロワーたちが勉強を教えてくれた。スカイプ使って。
ネットが私の居場所だった。勉強ってどこでも出来るんだ、って思った。
そのフォロワーたちもいじめを経験した人たちで、私の学校に行けない、けど勉強はしたい、という気持ちに寄り添ってくれて教えてくれた。本当に頭が上がらない。
なので、テストがある日だけ学校に行った。テストは出席番号順で座るし、いじめっ子たちと真逆の席なのでその時だけは制服着て教室に入った。
クラスメイトたちは「久しぶり!」とか「テスト範囲大丈夫?」とか声かけてくれる子も結構居た。あの子達の勇気は今思うと凄い。
修学旅行は行ってない。何されるかわからないし。代わりに学校で先生とマンツーマンで勉強した。凄い有意義な時間の使い方だったなと思う。
卒業までテスト期間だけ登校する生徒をやった。家の近い子がテスト範囲のプリントを持ってきてくれたし、フォロワーたちが勉強を教えてくれる日々が続いた。
高校は女で嫌な思いをしたので男子の比率が高いし、比較的家から近い方(といってもバスで1時間)の工業を選んだ。仮に落ちたら通信制の高校へ行く気でいた。
卒業式も出ていない。式が終わった次の日が高校の合格発表で、無事に工業に受かったという報告と卒業証書とアルバムをそこでもらった。アルバムはその日のうちに捨てたけどな。
ぶっちゃけ担任がクソゴミだった。生徒の机を蹴って見せしめみたいに怒鳴り散らすタイプ。体罰も普通にあったし、クラスメイトの男子は教室内でデカデカと万引を自慢するようなクラスだった。
担任はそれに対してもっとバレないようにやれとか、スリのほうが良いとか、教育者としてありえんことを言ってるのにドン引きして学校に行く気が失せた。
ラッキーなことに全日制の単位制だったので単位さえあれば進級できた。単位の計算をして、単位分だけ出席した。常にギリギリ単位の女で普通科の先生に「お前は出席点が足りない」と言われまくった。
後々、クラスの男子に教科の単位を聞かれた。私と同じように単位分しか出席しない人が増えたらしい。毎日の出席率は最悪だったと思う。まあ工業だしな。
担任は露骨にわたしを毛嫌いしてたし、私も嫌いだったのでお互い様だろと思ってた。高校でちゃんと授業に出たのは専門科目だけ。これだけは教科書読んでもどうにもならん。あとは実習。
他は中学の時と同じようにフォロワーを頼ったり、ネットで検索したら大体答えの出し方があったので家で勉強してた。親は私が家に居ても何も言わなくなった。
学祭とか体育祭は出たことがない。強いて言うなら修学旅行が東京だったので行った。お世話になったフォロワーたちに会いに行くという理由で。クラスの女子は私含め7人で、うち1人は中学が一緒。
その子と出席番号が前後だったジャニヲタのまなみちゃんと仲が良かった。ちなみにまなみちゃんは「まなみね、山田涼介くんのお嫁さんになるの!」と平然と教室でも言ってた強い女である。マジで強い。
ここまで書いてて思うけど本当に協調性のきの字もない女だな……。ちなみに進路相談も凄い適当で、適当にAOで専門行くわ、と一方的に言って終わり。AO入試なんて軽い面談と書類審査のみ。私は高3の夏休み中に進路が決まった。
この頃にハマってたのは黒子のバスケで私はほぼ毎日夢小説を書いて過ごしてた。あと支部でBLも書いてた。当時黄黒を読んでた人はもしかしたら私の黄黒も読んだかもしれない。読んでくれた人が居たらありがとう。
適当に単位取って適当に卒業した。これが私の高校時代の思い出である。
専門学校は今までと比べたら楽しかった。ここでいろんな資格も取ったし、クラスメイトも普通に接してくれてた。唯一毎日学校に行けた時期だったと思う。ただ行事だけはゴミ。
ここで就活頑張っとけばよかったんだよな~~~と思う。就活サボって適当に警備会社に入社した。そしてこの後、地獄を見る。
前置きすると私より辛い人もいるとかそういうのはどうでもいい。私は私の辛いを話してるので。
上京してから半年、横浜で警備員をやってた。この半年はまだ良かった。残りの1年半は川崎で地獄を見る。
警備は万年人手不足で月の休みは多くて4日、私が限界を迎える頃は3日だった。勤務時間は朝6時半~16時半の早番と13時半~23時半の遅番。あとは9時~22時までの中番。
入社時の条件は月8休みと言われてたのにマジで騙されたと思ってる。入社して半年は確かに8日間の休みがあった。でもその後から毎月3、4日の休み。
休みの前日は絶対に夜間警備が入るため、帰宅は朝5時。当然、遅番か中番が終わった後に続勤。休みは実質半日しかない。寝て起きたら仕事に行く。
休めるわけねーだろバーーーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そりゃあ毎日寝ても寝ても眠いし、突然気分が落ち込むし、情緒があまりにも不安定にもなる。思えばもうこの時にはうつだったんじゃなかろうか。
心がしんどい……となり始めた頃、母親に「しごとつらい」といえば「社会なんてそんなもんだよ笑」と返ってきた。そして根拠のない「大丈夫!」「なんとかなるよ!」という返事。
私もそうだよね、なんとかなるよね、頑張るね、って返してた。これは絶対に良くなかったと思う。
そしてある日、体のほうが出社を拒否した。会社に行こうと思うのに涙が止まらない。手が震える。こりゃ今日出勤出来ねーわ、と思って職場に電話を掛ければ「いや来てもらわなきゃ困る」。あっはい……。
無理に決まってんだろ、そう思いながら電話を切って母親に電話した。泣きながら電話した母は、「偉い人に電話しなさい」と教えてくれて、私は本社に連絡を入れた。
元々寮で暮らしてたこともあり、総務のとよく話をする事があったのでまずは総務に事情を説明、そのまま直で警務部長から「休んで下さい」と言われた。
その時に初めてメンタル系の医者に行ったけど、まるで私がメンタル系にかかるの常習みたいな態度を取られるしいかに自分が凄い医者なのかを言われた。あのクソジジイ一生許さねえ。
都会の粗製乱造園は経営側もスタッフもろくに経験ないから保育の質めっちゃ低いけど
それでも園不足で園児には困らないし保護者も他のまともな保育園を知らないから文句言わないので改善されない
ってのどっかで読んだのを思い出した
たまに経験豊かで意識も高いベテラン(出産退職後の再就職者とか)が中途で入ってきて質が低いのに気付いて改善しようとしても
既存スタッフは誰も問題に思ってないからベテラン側が追い出されてしまうと
それでもとりあえず死にはしない、って程度の保育は受けられるし
そういう園が今後はどんどん増えていくんだろうって話
でもってまともに教育されてない子を押し付けられる小学校教師なんかが困るんだろう
まあそれなら元増田も楽しく働けるかもね
大学で民間企業に就職した際に即戦力となるスキルを教育すべきみたいな議論見るたびに思う。
即戦力スキル持った学生が普通の民間企業入ってきたらレベルの低さや先輩たちの業務知識の古さに失望して退職率が上がるだけじゃないの?って思うんだが偉い人の中では1企業の常識が世間一般のスキルと一致すると思ってるんかなぁ
ほぼ同じ状況体験者。25年くらい前だけど。
就活で大失敗して大して望んでもない就職をして、ここは自分のいる場所じゃないと思いながら働いたが1年で退職してしばらくフリーターみたいな暮らししてた。
結局頭はそれなりだったが、精神が成長しきれてなかったのが原因だったと今は感じている。
フリーターみたいな時期にはバンドやったり役者やったりして好きな事し続けて、ある時やりたい事やったなと感じてから、それまでのバイト先に正社員として就職。それなりの規模の企業。
今では結婚して子供もいて、車も買って中古だが首都圏にマンションも買って、子供とあつ森したり、ポケモンGOしたり、料理したりして楽しく過ごしている。
増田はまだ人生始まったばかりなのに、既にゴール近くだと思ってるのだと思う。
社会に初めて出たんだ。
その場その場で出来る事精一杯やって、転職すべきと感じるなら転職して、自分が自分に納得出来るようにベストを尽くせば良い。
頑張って欲しい。
いや合ってる
元増田の設定ならメーカーで死んだ目でのらりくらりやった方が性にあっているのでは?
ただ、年齢と共にほぼ無条件で1000万くらい貰えて、定年まで安心して過ごせる時代はとっくに終わっているが
日々、子会社へ永久片道出向からのほぼ強制転籍とか、なんもない閑職事業所とかで死んだ目とかだし、
運良く定年まで残れたとしてもなかなか再雇用はないし、
グループの定年退職者が退職後所属するシルバー派遣会社だって自前であるのに
戻って来るのは元役職者や社内営業が得意そうな方々ばかりだけどな
そもそも論として事務系の仕事は今すぐに本気出せば無くせるAIとか関係無しに
それを整備するために事業の遅延があってはいけないのと雇用を守るために先延ばししているだけだけど
今後、保育士以外の仕事に就いても、同じような事を繰り返すかも。
まだ若いのだから、この際、少しゆっくりして、自分自身の事を深く知る時間を作ってもよいのでは?増田に書いたことで、すでに少しは今回の自分自身を振り返れてるし、気持ちを吐き出して少しは楽になっているとは
少し前の話になる。
老健から小さな某企業に転職した元介護士の前で介護・看護あたりの業種について貶されたのを思い出して、さほど長くもない堪忍袋の緒が切れた。ちなみに社長だ。こいつはやべぇ。
あえて言う。それを聞いた当時は"コイツいつの時代生きてんだよ"ぐらいで済んでいた感情だ。
それが社長の日ごろの言動、行動、どっか歯車の狂った考え方のせいで、以前は小さかった憤りを伴って爆発したのである。
少し前の朝礼でのことだ。
確かうちの会社もやべーがよそもやばいよな、今辞めたら(辞めさせられたら)皆転職先ないもんね、みたいな話だった。
「今募集してるのなんて病院とか施設だけっしょ?あんなとこねぇ、汚いし不潔だし薄給だしね。大変だし。なーんもいいことないよ」
以前は"何言ってんだコイツ""今はそれなりにお給金いいぞ""とりあえずお前の頭が悪いことはわかった"程度の感情だった。
しかし今は違う。
転職から数ヶ月、社内で行われるパワハラとモラハラとセクハラの数々(全て社長による)を目の当たりにした末に再度至った感情はここだ。
"ヤローテメーぶっ〇ーす"
いやもう、ほんとごめん。でもさすがに穏やかな心で激しい気持ちに目覚めた。
冷静に思い返すと、まず知りもしない介護現場への罵倒。余談だが、社長は若い頃から今の業種に従事しており介護現場での勤務経験はない。
よく言えたもんだ。
汚いし不潔、2回も言わんでええんやぞコラ。
まあしかし大変も合わせ事実でもあるので、そこは100万歩ぐらい譲って地団駄踏んで言い返さないとしよう。
しかしだ。
そんな偏見と固定概念にまみれた考えを、(こんな野郎であろうとも)仮にも社長が朝礼で、全職員の前で言葉にするのはいかがなものか。
思い返したら腹立ってきた。退職した暁にはうちのパワハラにまみれた内情をぶちまけたくなりそうなくらいには。
それからお給金についてだが、(当時働いていた現場が良かっただけかもしれないが)安いなんてことは全くない。
むしろ今の職場(週5~6正社員)と老健(完全週5日曜手当付きパート)を比較したら、後者の方が高い。真面目な話。ちなみにパート計算なので夜勤早出遅出残業は含まず、実稼働7.5h+休憩1hの日勤帯、さらに介護福祉士の資格は持っていない前提での計算である。(介護報酬手当など初めて介護に就く人でも貰えるものは加算。)
はっきり言って"お給金については資格持ってないパートの介護職より安いウチがナマ言ってんじゃねーぞ"状態である。給料上げてくれ。いやまあ、やりたくて転職した仕事なんで今のままでも文句は言わんが。
俺にお前の考えが間違ってるだの考え直せだの言う資格はない。思うのは自由だ。何より凝り固まった固定概念は早々変わらん。
だが言葉にしていいものなのか、場面なのか、ない頭でも限界まで絞って考えてくれ。
何年会社のトップやってんだよ。俺より何周り年上のおっさんだよ。社会で何十年生きてきたんだよ。
月夜ばかりと思うなよ。
こんな話の最後にすまん。
KinKi Kids、デビュー23周年おめでとう。
とあるニュースを見ていて、私がある漢字の読み間違えをしたら、
「それ○○って読むんだよ!読めないなんて恥ずかしい〜!!」とニヤニヤしながら言われた。
昔からずーっとそう。
私が読み間違えをするたびに、そういう態度を取られて辛い。
確かに、漢字の読み間違えは恥ずかしいことなのかもしれないけど、
「それ○○って言うんだよ」って訂正するくらい。
人間完全じゃないんだから、何もかも知ってるなんて思わないし、世の中知らないことばっかじゃん。
昔と義務教育の学習内容だって違ってると思うし、母が知らないことだってたくさんあると思うのに。
なんでこんなバカにされなきゃいけないの。
専業主婦バカにするわけじゃないし、否定するわけじゃないけど、
結婚して退職して専業主婦で子育てして社会との関わりを長く取ってない人にあれこれ言われたくない。
人からすれば、そんなことって思われるかもしれないけど
これがもう20年以上続いている。
もう嫌だ。
もちろんすべてが成功するとは限らないけれど、自分や周囲ではこういうことをして脱出したり状況が変わったって話を聞くよ。
「証拠集めて警察に」みたいなのは残念ながら自分の周囲にはいなかったかな。証拠集めしてる、みたいな話は聞いたことはあるけど、結局警察に提出する前に退職するか、そもそもそこまでしなきゃならんようなタイプの上司は勝手に自爆するケースも多い。
会議に呼ばないとかそういう増田が受けているようなタイプのパワハラに嫌気がさして相談窓口にメールを送ったら即座に調査チームが立ち上げられて、パワハラした上司が左遷された。
ただ、これは外資系勤務の友人のケースなので、日本企業では少ないかもしれん(少なくとも俺がいるようなド零細ではありえない気がする)。
なんだかんだコロナ禍の中でも求人活動はしているところがあって、そういうところってITに力を入れてるところが多いので、IT志す人にとっては逆に就職しやすい、みたいな環境だってのは聞いたことがある。
ただ、「パワハラ辛いんで転職します」みたいな、前の会社のネガティブ情報を転職活動で語っても良いことはないので、そうするとそれっぽい理由をでっちあげなきゃいけないので、精神状態が不安定な時に転職を考えるならちゃんとこの辺相談できる人を頼らないと辛いと思う。
なんだかんだパワハラって周囲の同僚がフォローするしかないわけじゃん。
例えば仕事に必要な指示をしない等のタイプだったら、代わりに情報を伝える人か、ソイツの仕事を代わりにこなすヤツが必要。
大声出すようなタイプのパワハラだって純粋に職場環境によって最悪だし。
そういうところから、実際にパワハラのターゲットになってない同僚も迷惑を被っているので、「こういう業務上の弊害があるので何とかしてほしい」ってのを同僚たちが相談窓口にメールを送ることで解決したケースもあった。
某中小企業では、専務だかなんだかの身内として縁故採用した人がパワハラしてたケースがある。
この場合、相談しても「専務の身内だから」って理由で取り合ってもらえないことも多くて、なかなか解決しない。
ところがある日、その上司の不倫が発覚して、専務から「もう守れないから」って言われてクビになったって言う事件があった。
ほかにも警察沙汰になるケースとかあるね、ニュースでたまに40代/50代のオッサンが痴漢等のわいせつ行為を働こうとして逮捕、みたいなニュースやってたりするあれ。
社内のパワハラを無視するような会社って、会社の外側で起きた問題には無駄に迅速に対応することが多い。
某中小企業ではある日中途で入ってきた部長がめちゃくちゃパワハラして、当該部署だけ離職率が他に比べて倍近いという時期があった。
ただ、そいつが部長になってからは年々売上が上がっていたため、会社としては見過ごされていたこともあって、部内には結構鬱屈した空気が漂ってた。
そんなころ、なんかの流れでうちの部署専属の営業として色々頑張ってた営業課のAさん(女性)をうちの部署の忘年会に呼ぼうって話になったんだけど、その忘年会で部長がぐでぐでに酔っぱらって、ここに書くのも憚られるようなセクハラを大声でそのAさんにやってAさんが泣き出してしまった。