はてなキーワード: 苦笑いとは
しかし、50歳の春、私は更年期障害になった。正直、更年期障害なんて大したものではないと思っていた。
更年期障害は私の人生を大きく変えてしまった。 家族、友人、多くの人を傷つけ、大切なものも多く失った。
でも周囲の粘り強い支え、幸運な出会いもあって、何とか克服ができた。今では元の幸福を取り戻すことができたと言える。
更年期障害は心身共に症状が現れる。それゆえに知識がないと混乱をしてしまい、治りが遅くなるばかりか、周囲の人を傷つけ更に自分自身を追い込むことになる。
そう思うことが沢山ある。
それを今更年期障害に悩んでいる人に伝えたくなった。
興味があれば読んでみてください。
私は昔から特に見た目、賢さに恵まれたわけではなかったが、健康だけには自信があった。風邪らしい風邪は引いたことがないし、入院したことも出産のときぐらいだ。
子供を産んだときもあまりにあっさりと産んでしまったので、主治医が若干苦笑いをしていたほどだ。
そんな私は、当然、華やかな人生を歩んできたわけではない。しかし女性としての普通の幸せは手に入れることができているという満足感はあった。
私にはもったいないくらいの優しい夫、26歳の長女は嫁ぎ、23歳の長男は社会人に。子供が自立したのと、夫の定年退職もあと数年に迫っていたので、「老後ものんびり楽しく過ごしていこうね。」と仲良く話し合っていた頃だった。
その変化は突然やってきた。
最初に異変を感じたのは3月、事務のパートに行く電車の中だった。
暖かくなってきたとはいえ、その日はさほど暑い日ではなかった。
午前10時、電車の中は通勤ラッシュも終わって混雑はしていなかった。それなのに顔がほてり、汗が止まらなかった。私はそんなに汗っかきではないはずなのに。
「なんだろう・・・」
不思議に思いながらもその場は特に深刻に考えることもなかった。
だが、職場に着いても汗は止まらない。クーラーの効いた室内でみんなが涼しそうにしているのに私だけは暑くて汗がでてしまう
一瞬そう思ったのだが、仕事が忙しかったため、その心の声をなんとなく流してしまった。
この判断が私を長い苦しみの追いやったのかなーと今でも後悔している。
汗の症状はその後も続いた。
特に夜に暑くて目が覚めてしまうことは辛かった。パジャマやシーツが汗で濡れて冷たくて目が覚めたこともあった。
汗だけであれば慣れてしまえばどうってことはなかったのだが、1ヶ月経つ頃から別の症状も出るようになった。
朝起きるのが辛く感じるようになった。起き抜けから身体がだるく、軽いめまいもあった。なにより気分が重い。仕事に行きたくないな-と思い休んでしまうことも増えてきた。
家事に関しても大好きだった料理もする気がおきず、惣菜を買って帰ってしまうことが増えた。 掃除も洗濯も苦痛になり週末まで溜め込んでしまう日が続いた。
これまで主婦としてしっかり家事をこなしてきたことには自負があったので、そんな自分が許せず、罪悪感でいっぱいだった。
そんな心身ともに不安定な時期が続く中、 あの事件が起きてしまった。
さすがの夫も家事が以前のように行われていないことに気がついたのだろう。
「最近家事があんまりできてないみたいだけど、何かあった??」
心優しい夫は気遣いながらもそう聞いた。
夫は優しく聞いているだけだっただろう、ただ罪悪感に追い込まれていた私は夫に対して怒りを露わにして
「何にもわかってないくせに!私を追い詰めるの!!」
と大きな声をあげてしまった。
私が感情的になることなんて結婚してから一度もなかった。昔から気が長い方で怒ることなんて滅多にない。ただこのときの私は感情までコントロールできなくなっていた。
夫の驚いた顔が今でも忘れられない。
ケンカ一つしない、互いを尊重し、問題は優しさで解決するそんな関係を長年続けてきた。でも、その大切に育んだものに大きなヒビが入ってしまった。そう思った瞬間だった。
すぐにフォローをしなくては。そう思うけど心が追いつかない。 一体わたしはどうなってしまったのか。
夫はそう言ってくれるけど、私は認めたくない気持ちがあった。
夫は最も信頼できる人ではあるけれど、異性ゆえに相談しにくいこともある。特に心や身体のことは打ち明けるのに抵抗があった。
とはいえ、私にも明らかにおかしいという自覚はあった。けどどうしたらいいかわからない。追い詰められていた私は遂に親友に相談をした。
大学の同期の加奈子だ。大学を卒業してからも定期的に会い、今でも家族ぐるみの付き合いをしている。私の全てを話すことができる唯一の人。それが加奈子だ。
私は加奈子にこれまで起こった全てのことを打ち明けた。
「それって更年期障害じゃないの??」
今まで、病気一つしたことが無い私は、正直更年期障害と言われてもピンと来なかったが、加奈子の言う典型的な症状と私のそれを照らしてみると、確かに当てはまることが多い。
実は加奈子も昨年に経験をしたという、加奈子とは3ヶ月に一回は会っているのに全然気が付かなかった。
「私は軽かったというのもあるけど、職場の友人が更年期障害を疑ってくれて、早めに対処できたのが良かったかもね。まさみも早いうちに病院に行ったほうがいいよ。更年期外来ってのがあるから。」
友人の話というものはすんなり入ってくるもので、すぐに病院を探し、近くの婦人科に足を運んだ。
その医師によると、更年期障害は一般的に2から3年続き症状が収まることが多いとのこと。
「これが2,3年も続くのか」
この医師はHRTという療法があると提案をくれた。しかし、あまり病院に慣れていない私は、なんだか大掛かりな治療のように感じ少し抵抗感があると伝えた。
それであれば漢方という方法もあるとのことなので、まずは漢方治療から行うことにした。しばらく加味逍遥散喉、半夏厚朴湯、大防風湯、抑肝酸、を服用し様子をみた。
しかしながら、3ヶ月経過しても、だるさ、めまい、気分の重さに関しては改善がほぼなかった。これでは辛い生活は続くばかり、夫に対しても感情的になってしまうことが多くなったため会話も減ってしまった。
娘、息子への連絡も減ってしまったし、たまにする電話でも以前より感情的で口うるさくなってしまったのか、前ほど家に寄り付かなくなってしまった。
私の世界がどんどん狭くなり、壊れていくような感覚に包まれていった。居てもたってもいられなくなった私はまたも加奈子に相談した。
「加奈子は何で治したの?」
以前はなんとなくプライドが邪魔して具体的な治療までは聞けなかったが、今度は率直に聞いた。
「私はHRTをやったんだけど、あんまり改善しなかったんだ。軽度だったというのもあって大豆製品を中心に食べる食事療法をやってた。途中からちょっとエクオールのサプリメントも飲んだよ」
漢方にも改善はみられなかった。HRTはやはり抵抗があったので加奈子と同じ治療を選択した。
私は加奈子より症状が重いように感じたので、食事療法を中心に最初からエクオールのサプリメントも服用した。
友人同士体質が似ているというのはないだろうが、この選択は私にとって正しかった。
効果はわりとすぐに現れた。約2週間程度でずっと持っていたイライラ感が少しずつ減ってきた。それに伴い感情のコントロールができるようになり、夫との会話の回数が増えてきた。
1ヶ月経った頃には身体のだるさが改善してきて、家事に対して前向きになれた。
掃除は軽くではあるが毎日、洗濯は週2程度、料理は週に1度くらいしか作れなかったが、簡単なものなら毎日作ろうという気分になってきた。
一度改善の兆しが見えると気分は晴れやかになってきた。治療に対してどんどん前向きになって大豆食品を多く取り入れた食事を調べたり、エクオールに関する知識も積極的に仕入れ、よりよいものを探すようになった。
そして、3ヶ月目には、ほぼ以前の私を取り戻すことができた。
休みがちだった職場の方々も理解をしてくれて、職場にも以前のスケジュールで復帰することができた。
家事も以前のようにしっかりとこなせるようになった。夫も私を気遣って家事を身に着けてくれたので、以前より2人で一緒に家事をやるようになった。
夫との会話も以前のように弾むようになり、信頼関係も戻ってきたように感じた。夫も私が更年期障害であることは理解してくれていたようで、
「症状が収まろうが収まるまいが、ずっと寄り添っていくつもりだったよ」
と言ってくれた時には思わず大泣きをしてしまった。この感情の動きは更年期障害によるものではないと今では確信できる。
結果的に私は友人の進めた食事療法+エクオールサプリメントの民間療法で幸い比較的短い期間で更年期障害を乗り越えることができた。
自分の心と身体が思い通りにならない約半年間は本当に苦しかった。
周囲も理解はしてくれるけど、気持ちが離れていっていることはわかる。その孤独感が特に辛かった。どうにもできない自分も本当に歯がゆかった。
私が今も後悔していて、あなたに伝えたいのは、一つだ。
ほてりを感じる日が続く、気だるさ、気分の重さがなかなか抜けないといった症状を感じたら、すぐに更年期障害かな?と疑い病院に行くべきだということだ。まずは更年期障害であるということを理解してほしい。
もちろん私に効果のあった治療があなたにとってベストだとは思わない。HRTを受診したほうがいい場合もあると思うし、漢方が効くこともあると思う。また他にも治療法があると思う。
なので、どんな治療でも良いと思う。開始することで前向きになれるし、意外と周囲の理解も得られる。更年期障害は早い人は30代後半から、誰もが抱えうる問題であって、決して恥ずかしいものではない。
一人で抱え込んで、症状が悪化し、周りに迷惑をかけることが、孤立を招き更年期障害を非常に辛い病に変えてしまう。
病院が嫌だということであれば、気軽にカウンセリングを行ってくれるNPO法人もある。まずは更年期障害であることを疑い一歩を踏み出してみて欲しい。
私はいちばん大事な家族という存在を失ってしまう寸前まで精神的に追い詰められてしまい、本当に苦しい体験となってしまった。
この体験談が役に立ってくれることを願っている。
私はド変態。
ありがちですが被虐心が凄い。
端的にいうとドM。
普通の性交渉も好きなのだけど、やはり痛みや苦しみがあってやっと気持ちいと感じられる。
少し絞めてくれて、私が気持ちいいというと、「こういうのは無理だ」と苦笑いされてしまう。
どうしたらいいの?彼のことはすごく好きだし、結婚も考えている。
でも浮気はしたくない。でもこのままずっと性的な欲望を満たされず終わっていくのか。
性欲抜きに、彼のことが好きで、一緒になりたいと思ってるのに。
家の可愛い棚、褒めてくれたね。
あの鍵付きの引き出しには、そりゃもうたくさんのグッズが入ってるよ。
むしろ見つけて欲しいじゃないかと思う。私のサイトの履歴を、グッズを、変態な私を、見つけて。お願い。
ノーマルで人の事傷付けたりできない優しいあなたのことは本当に愛してる、一緒にいたい。
辛い。
いま生後約1年の子供を育てているところだ。かわいい。圧倒的にかわいい。まるで玉のような子だ。
我が家は共働きで、妻がちょうど育休明けたところで時短勤務してくれている。私は仕事柄かなり勤務時間が不規則だが、職住近接のおかげで産休育休中からそれなりに育児と家事に貢献してきたと自分では思ってる。妻からの育児へのコミットに対する不満は特に聞いたこともなく(言わないだけかもしれないが)、いたって円満だ。それは私の稼ぎがそこそこ良いこともそれなりに影響しているだろう。
最近感じるのが、タイトルに書いたようなことだ。もうとにかく、私より上の世代の男は父親による育児への貢献にほとんど理解がないのである。私の上司は55歳くらいだが、育児を理由に早く帰ろうとすると、「(育児は)母親に任せられないの?」くらいのものである。さらにその下の、40代の男もそんな感じだ。
そして、自分より下の世代は、晩婚化の影響か子育ての経験がない人が多いので、子育ての大変さに想像がついていない(でもこれは仕方がない)。
一方女性からは、私の育児への貢献を、ものすごく軽んじられる。初対面の妻の友人に、「男の人はいいよね〜。育児は妻任せだもの」って言われた時はさすがにはらわたが煮えくり返ったぞ(妻、苦笑い)。
いまどきのイクメン(あえてこう書く)は、上からも下からも、異性からも理解されない、受難の時代を生きてると思う。Facebookでのイクメンアピールが非難されがちだが、それぐらい良いではないか。
オナニーだったら一日8回ぐらいはできるし彼女できたら死ぬほどセックスしてやると思ってたけど
実際は真面目に前戯とかしてセックスすると一回一回すごい疲れるし、めっちゃ出るのですぐ空になってしまう。
彼女も3回ぐらいやると痛くなってきてしまうのでローションなどを使う。
結局平均2.5回ぐらい。AV男優は大変だ。
男性もちんちんに支配されがちだが、女性は女性器に性格を支配されすぎていると思った。
だいたい彼女の機嫌が悪くなってくるのは生理直前だし、ただ生理1週間前ぐらいはすごく積極的だし私のこと好き好きモードになる。
ホルモンバランスで本当に性格や考え方が変わってしまっていると感じるので、嫌なことを言われてもどこまで怒って良いのかわからない。
男性はオナニーすればスッキリするが、女性はそうもいかないので本当に大変そうだなと思う。
こちらから付き合いを申し出て、1年ぐらいまではずっと好きでいられると思ったが、衝突する回数も増えるとだんだん相手の細かい性格がわかってくる。
折り合いがつかない部分も喧嘩した時の話し合いなどで明確になってきて、それでいて彼女は絶対に折れてくれない。
譲り合える仲じゃないならこの先二人で何かを解決しようという時も不安だし、そう考えてくるとだんだん愛情も薄れてくる。
でも会うと嬉しいし、一緒にいたいと思うから、また話し合って解決できればと思う。
彼女の職場の話を聞いていると、清潔で女性に優して頼れる男性じゃないと「人」として見てもらえない。
もちろん、意図的にセクハラ発言をするような人たちは救えないのだが、話を聞いてる限り本人たちは絶対セクハラだと思ってなさそうで闇が深い。
こうなってはいけないと思うと同時に、意図してそうなったわけではないだろうにキモいおっさん扱いされる人も度々登場し可哀想で、話を聞いていても苦笑い。
彼女が選んできているのか、家事にコミットしまくる男性だとか、美容に興味がある男性だとか、学歴が高い人々だとか、ハイスペな人たちの話を沢山される。
家事はともかく美容には全く興味がないけどそうは言えないのが辛い。
彼女のある知人の彼氏はそういうプレッシャーを微塵もプレッシャーと感じないような人らしく、楽しそうにプレッシャーに応えていく様を聞かされる。
そいつはそいつなので、もっと目の前の僕を見てものを言って欲しい。私でダメならさっさと別れてもっといい人を見つければいいのに。
とりあえずこれくらい。思いついたら足すかも。
極楽まで届かないらしい。
念仏が。
最近は人工知能の発達でその辺のフィルタリングを大分しっかりされるようになったっておっしゃってたけど、
それでも煩悩に苦しんでる人間たちは後で良いから、その分動植物の救済しなきゃって思って動かれてるんだって。
だからね、やっぱり私達非サンスクリット語圏の外国人は私達の言葉で帰依を求めなければ、救って頂けないわけよ。
そこで私は、
を唱えることを提唱する。
南無阿弥陀仏ではなく、ね。
「〜っス」という語尾も使いながら後輩感をアピールし、仏と大先生という二重敬称で更に気をよくさせる。
これ阿弥陀に提案したのよ。どっすかって。そしたら、「恥ずかしさと無力さでいっぱいになった」って苦笑いしてた。
「南無阿弥陀仏みたいな呪文も全部拾って救うのが本来の阿弥陀仏としての存在ってとこあるじゃん?俺」
だって。
さすが阿弥陀仏ともなると言うことが違うと関心したね。
やっぱり私も死んでも付いてきたいと思ったね。
ひたすら3D、MMDでエロ動画を検索してかたっぱしから見ていた休日だった
そんで思った・思い出したことがある
高校のときに、オタク友達からアリスソフトのダークロウズを借りてやってたんだけど、
「自分は基本的にはそういうの(二次元)には興味ないんだけど、増田がそんなに面白がってやるようなものなら自分もやってみたい」
(カーストが下の俺らにも気を使って話しかけてくれるようなほんとにいいやつだった)
でも後日感想きいたら、やっぱり自分にはレベルが高かったと困ったような苦笑いしながら報告された
あのずっと止まった絵と文章だけで抜くの?って聞かれもした
やっぱり最初にやるエロゲーとしてダークロウズはミスチョイスだよなあと思った
好みの顔ではなかったけどかわいい顔ではあったし、俺は3次元でも抜けるので、返すときには、よかったよと報告をして返した
前置きが長くなったけど、最近のMMD動画的な2.5次元のものなら、あのリア充も抜けたのかなあ、そして新しい性癖に開花して今そっち系の話ができたのかなあと思ったよ、というオチ
どっかのお店でごはん食べてた
隣のテーブルで若かりし頃の酒井法子とそのマネージャーがごはん食べながら談笑してた
ヤクチュウになったことしってる俺はココロの中で、つらくなっても絶対クスリになんか手出したらダメだよって声かけたくてしょうがなかったけど、なぜか話しかけることができなかった
マネージャーが酒井法子にそんなんじゃケッコンできないぞーっ→こないだケッコンしましたよーって酒井法子が返してて、
その直後酒井法子が、
でも夫はドラマに出ても切られ役ばっかりでぜんぜん出世しないんですよねーってちょっと困った感じで苦笑いしながらしゃべってて、
はっもしやそれが原因でくすりに手を出したのか!?とか考えた
大学では工学部ではない理系だったので右も左も分からないなりにがんばってみようと思っていた。
悪く言えば自分の能力に絶望して夢を諦めることになり都落ちした気分での就職だったのでやぶれかぶれだったというほうが近いかもしれない。
相性というか、背景の差とか常識の差みたいなものがあって、自分から見ると無駄の多い職場だなあと感じて研修期間が終わり本配属された。
本来の業務はいわゆる故障解析で、歩留まりを上げていくのが使命だった。
せっかくだから色んな所に首を突っ込み改善できそうなところは提案をしたり、自動化したり、それらのドキュメンテーションを書いてみたりした。
プログラミングの経験は皆無だったが、理論系卒が工学部に負けられんという謎のプライドでVBAから、Rやら自社製品の解析用環境の割と珍しいタイプのスクリプト言語など(特定されそうだからぼかすけど。)
とりあえず手が出せそうなものは何でも調べてみてありものを改造してみたり勝手に作ってみたりして提案していた。
物怖じしない新人がぎゃーぎゃー騒いでいるぐらいのものだったと思うが、何にせよいくつかの改善が上手く実務にハマって成果として認められたりしだしたのが1年目。
この辺で気付いたことだが、製造業のITリテラシーは驚くほど低い。製造業と一般化するのはフェアじゃないかもしれないから厳密に言えば弊社の、という意味だが。
なんせまともにプログラムを書いたことが無い新人が半年で身に着けた程度のスキルで書いたプログラムで、1日かかってた仕事が1時間で終わったりするのだ。
ようするにMS officeの達人みたいなのがいっぱいいて、Ctrl+CとCtrl+Vが機能のすべてだと思っているということだ。
(そして彼らの口癖は「忙しい」だ、会議中も左手はCtrl+CとCtrl+Vを叩き続けている。)
2年目に気付いたのは、弊社エンジニアのITリテラシーが低くとどまっている要員のひとつに、実はITインフラチームがことのほかマトモだということがある、ということだ。
製造中のセンサーデータやらテストデータやらETL的にはおそらくえげつない部分で、かなり優秀な人間が居て上手くぶん回し切っている様子だった。
無骨だが使いやすいイントラ上のwebページが用意されて、グロテスクな部分を気にせずクリックだけで上述のデータを整ったものとして引っ張ることができた。
だから逆に言えば下々の人間はコピペでなんとか恰好を整えられるのだった。
彼らはモダンな発想があって、あるいはお偉いさんが「ビッグデータ」とか言い出したのかもしれないが、ともかく、HadoopやらAWSやらそういったものを導入しようと試みているらしかった。
私はそれに感動した。なんせWebスクレイピングみたいな方法で他人が社内プラットフォームや社内WIKIに上げた報告をまとめたり、製造時データと紐づけたり、それからグラフ描いたりみたいな業務が増えていたからだ。
それっぽく表現すればデータ分析屋さんということになるのだろうが、どぶをさらっているという表現のほうが近かったかもしれない。
何にせよそういったものを一気通貫、自動化できるポテンシャルがあると感じられた。
SQLもjavaも書いたことなんて無かったが、1年前やっていたことを考えれば同じことだ。何にせよ歓迎だった。しかも管理はIT持ちだ。餅は餅屋に頼むべきだ。それもできれば美味い餅屋に。
ところがその「ビッグデータ」プロジェクトは人手不足か、資金不足か、あるいは生みの苦しみか、ことのほか時間がかかっていた。(あとで聞いた話、外部コンサルで外れを引いたらしい)
自分もドメインの知識からの助言とか想定される使い方についての意見を伝えていったし(有難迷惑だった可能性は否定できないが)、もう少し待てばモノになると信じていたし、実際そうなった。
具体的な話ができないのだが、客先で起こった不良の原因をつきとめ、その改善効果の確認の為に数十億行のデータが活用された。彼らの力が無ければ常識的な時間では終わらなかった仕事だった。
残念だったのは彼らの優秀さの割に一般のエンジニアのスキルがあまりに低かったということだ。つまりそのプラットフォームを使いこなせる人間が著しく少なかったのだ。
そして上述の足踏みをしていた期間に心象を悪くしていたという問題もあった。とっかかりが難しい割に不安定だというレッテルを張られてしまっていた。
もうすこし悪いことに、同時期に企業買収が起こった。我々は黒字を出していたが同業他社(厳密にはその親会社に)に買われることになった。
そういう時に起ることは不要な冗長性の削減だ。子会社として存続する場合は知らないが、競合他社に吸収合併ということは、多くの部署にとってそのカウンターとなる部署が相手側にも存在するということだ。
つまりどちらにもある部署は統合するか一方を無くすかという戦争が始まるのだ。ITも例外ではない。(ITインフラ部署の無い会社はさすがに無いはずだ)
一方で製造業の本懐である「製品を作り、売る」という部分は比較的守られる。それこそが根源的な資源であり、利益を生む仕組みであり、既存の顧客への説明が必要だからだ。
そして私の仕事は歩留まり改善であり、故障解析であり、データ分析だ。何が起こったか。
(ここで簡単のために旧弊社を(旧)A社、買収した側の競合他社を(旧)B社と呼ぶことにする。)
今の旧A社から引き続いている業務をB社のプラットフォームで行えるように転換せよという下命である。
旧B社の製造データに対するアプローチはA社とまったく異なっていた。Web UIは美しく整っており、それっぽいグラフが簡単に表示され、A社側のお偉いさんからも好評を得ていた。
だがそのバックエンドは控えめに言って酷いモノだった。いくつもの情報を正常に保存できておらず、「それっぽい何か」を素早く返答することを第一義としているように見えた。
そして上述のように器用貧乏街道を歩んできた私に投げられたのは次の言葉だ
「増田くん、B社のプラットフォーム使うことは決定事項だから、君が自動化してたやつ全部そっちで動くようにしといて。よくわかんないけどプログラムとかてきとうにできるでしょ?」
もちろんhtmlもjavascriptもphpもRoRも一行も書いたことが無いのが当時の私である。
果たして旧A社のプラットフォームはB社のプラットフォームのデータソースのような扱いを受ける羽目になり、私はjavascript本格入門を片手にB社の事業所に出向くことになった。
そこで散々「旧A社のプラットフォームは遅い・使いづらい・不安定」と貶されながらチマチマとグラフを表示するページを書いている。
クオリティの低いバックエンドを作る集団が書いているサーバーサイドphpの酷さは素人目にも分かるレベルで筆舌に尽くしがたいものがあるが、
反面教師だと思って耐える日々だ。
最近分かったことは旧B社のバックエンドスクリプトがデータを引っ張るついでに意図的に旧A社のプラットフォームを攻撃しているということだ。DDoSとまでは言わないが、悪意100%である。
いわく旧A社のプラットフォームを畳むためには旧B社のプラットフォームが優秀であることを示す必要があるとのことである。(つまり旧A社プラットフォームが不安定かつ重くなることを意図しているらしい)
旧A社から継続されてる業務はまだそこ使ってるんですけど・・・
それはもちろん旧A社の上司に報告したが「見て見ぬふりをしろ」とのことだった。旧A社のITで何度もお世話になったひとに伝えると「知ってるけどね・・・」と悲しい目をして苦笑いしていた。
旧A社ITはその優秀さでそれらの攻撃をいなしつつあるようにも見える(私も素人に毛が生えたレベルだが、ソフトウェアエンジニアリングのレベルが二回りぐらい違うように見える)
「夫のちんぽが入らない」のこだまさんは夫のちんぽだけが入らないが、私は高校生のときにできた彼氏のちんぽも、大学生の時にできた彼氏のちんぽも、付き合っている彼氏のちんぽも入ったことがない。
ちんぽどころか自分の指も入らない。
痛いとかではなく怖くてガタガタ震えてしまい、どんなに濡れていてもスーッと乾き、申し訳なさと恐怖でギャンギャン泣いてしまうため、行為どころではなくなってしまう。私が男だったらちんぽがしぼむレベル。おかげで口淫の達人である。
本当に入り口があるのかと鏡で覗いてみるも、グロすぎて直視できない。AVも挿入シーンになると早送りしてしまう。
まんこがこわい。
こだまさんの著書が出る以前は、こうした悩みをネットで調べてもエッチなサイトやよくわからないセックス伝道師の「私が手取り足取り教えます」みたいなサイトしか出てこなかった。こちとら必死なんだ。お前らのちんぽと関わっている暇はないんだ。
最近はちんぽのプレッシャーにより性行為自体が苦痛となってしまったし、性欲も沸かず悩みを相談できる相手もいない。
そもそも話したくないしアドバイスをもらっても苦笑いしかできない。
処女の中学生でも入れられるというタンポンを購入し膣にあてがってみたら、3センチほど入った(正しくはマン肉に挟まった)ところでガタガタ震えてそれどころじゃなくなった。
ローションがどうとか深呼吸がどうとか、インターネットや知人から聞くようなアドバイスは一通り試したけど、まずもって痛いとか以前の問題だから全く参考にならない。
病院に行くことも検討したけど、なにをされるんだろう。股を覗かれて「穴ありますね〜大丈夫ですよ」とか言われるのだろうか。それってもしかして死んだほうがマシではなかろうか。
本音を言うと私のまんこのことは放っておいてほしい。はやくちんぽのない世界線に行きたい。そしてできれば好きな人の子供は欲しい。もう嫌だ
酒の席で言われる「〇〇ちゃん大好き~」「〇〇ちゃんみたいな子と付き合いたいわ~」みたいな場を盛り上げるために言われる台詞。
今まで同類としかつるんでこなかったから、そういう言葉にどんな反応をすればいいかわからない。苦笑いで「へぇ…」としか言えない。
言われ慣れてる子達は「ありがと~」って軽く受け流してるけど、自分はそんな受け流せるキャラでもないから真似出来ない。
ていうかその気も無いのに色のある言葉使う人の思考がわからない。発しても発さなくても関係が変わらない言葉なら発する必要無くない??むしろ私がうまく返せなくて空気悪くなるから発さない方が良くない???誰にも益をもたらさない情報に価値はないよ??
ハーゲンダッツを知っているだろうか?そう、あの、全国のコンビニに売っている高級アイスクリームだ。濃厚なミルク。豊富なフレーバー。単純に美味い。ハーゲンダッツがオランダの会社だという事を知っている人も多いだろう。が、実は、日本で全国のハーゲンダッツはオランダで作ったものではない。日本のハーゲンダッツは、「タカナシ乳業」という会社が契約して一手に製造を引き受け、群馬県の専用工場で作っている。
「タカナシ乳業」という名前を聞いたことのある人は少ないだろう。横浜市に本社のある、横浜の地元企業だ。タカナシ乳業のテトラパック牛乳は、約25年前、横浜市立の小学生だった自分の給食に、パンの日もご飯の日も、毎日配られていた。
当時の小学校の給食は、「給食は全部食べなければならない」という厳格なルールがあった。特に、自分の小学校は給食の調理室が併設されていたためか、ルールが徹底されていた。12:25から12:45までの20分の間に給食を完食しないと、その後の片付け・掃除の時間や昼休みの時間も残って食べさせられた。片付けの時間は皆が机を後ろに下げて掃除するので、残って食べている生徒の周りの机は取り払われ、周りが皆掃除をしている中、1つだけ浮かぶ机の上で給食を食べさせられる。掃除中の教室でホコリが舞い、食べ物に降りかかる中、一人だけ給食を食べさせられる。「お前は何で掃除を手伝わないんだ」、「お前が食べるのが遅いせいで皆が迷惑するんだ」という周りの生徒の視線の中、一人だけ給食を食べさせられる。ひどい場合には、まだ給食が残っているお皿1つだけ残して、立って食べたり、教室の角で食べたりした。
しかも、給食を全部食べなければいけない理由付けとして「給食を全部食べないことは、給食を作ってくれる給食のおばさんたちを悲しませる行為だ」という理屈が使われていた。つまり、給食を完食しないことは、大人を悲しませる反社会的行為なのだ、と教育されていた。食の細い自分は、小学2年生までは1週間に1回ぐらいの頻度で、居残りで食べさせられた。正直、地獄だった。給食のおばさんは、自分が苦しむ事で喜ぶらしい、では、自分が死んだら給食のおばさんはどんなに喜ぶのだろう、と毎日思っていた。「給食を完食できないボクは、社会に迷惑をかける犯罪者だ、早く死んで社会に迷惑かけないようになりたい。お父さんお母さん生まれてきてごめんなさい…給食を完食して社会に貢献できる人間になりたい」と思っていた。
小3になって、ようやく、転機が訪れた。いつも、早く処理するため最初に一気飲みしていたタカナシ乳業のテトラパック牛乳をとっておいて、残っている食べ物を牛乳で流しこむことを覚えたのだ!これは、本当に画期的な発明だった。教室の時計を見て、約半分、12:38ぐらいから、計画的に流しこみを始める。正直、マズイけど、給食を残って食べさせられる地獄に比べれば、味なんかどうでもいい。食べきることが大事だ。割り切りと優先順位を覚えて、何でも牛乳で流し込んだ。ご飯の日は嫌だった。牛乳にご飯は合わない。マズイけど、流し込む。焼き魚も合わなかった。醤油に牛乳は本当にマズイ。コッペパンの日は、幸せだった。パンと牛乳は合う。揚げパンが出る日は天国。最後に牛乳で流し込んでも美味しい。
タカナシ乳業のテトラパック牛乳は、小食な小学生だった自分にとって救世主だった。タカナシ乳業のテトラパック牛乳のおかげで、給食を完食できるようになった。給食を完食できない、反社会的な犯罪者という自意識から解放され、クラスの給食完食という目標に貢献できるようになった。社会に貢献できる自分になれた事が本当に嬉しかった。
タカナシ乳業のおかげで救われた自分は、その後、普通に東大に入ってエンジニアになった。そんなタカナシ乳業には、この4月14日から横浜駅東口にあるそごうの地下2階で、初の直営ミルクパーラーを開業した。行って来た。普通に美味かった。
http://www.takanashi-milk.co.jp/wp-content/uploads/2017/04/20170405_04.pdf
タカナシ乳業の社員も横浜市立の小学校教員も、苦笑いすることを承知の上で書いた。どれだけ自分が「給食完食ルール」で苦しんだかを知ってもらうために。小学校のPTAでは、「来年から楽になるなんてずるい」という意見で、楽にすることが許されないようだ。私の通っていた小学校にも、PTAがあり、不毛なベルマークも集めていた。
自分は、ちゃんと苦しんで給食を食べ、社会に貢献した。あなた達世代だけ、楽をして逃げ切るなんてずるい。私は苦しむのが仕事だと思って小学校を生き延び、今、社会に貢献している。あなた達世代も、私のように苦しんで、社会に貢献して欲しい。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/04/23/pta-reform_n_16199536.html
追記:
とりあえず直接の疑問について。
そもそもそんなすぐバレる事確実な犯罪を何故犯すのか、って事になるんだけど。
ん。だから前文で「ある程度は衝動的な犯行ではあっただろうが」と書いている。合理的に判断すればリスクに見合わない行動であっても、時として人はそこまで完全に自分自身を理性下に置くことはできない。だからこそ間違いが起きる。
殺せばバレないと思ってた?でもそれにしては証拠残しすぎ
口封じや事件の隠匿を狙った殺人は効果的だ、という話はしていない。ただ、罪を犯してしまった人の心理として、明日捕まるのと1週間後に捕まるのでは、そこには越えられない壁があるという話に過ぎない。そのまま被害者(目撃者)を放っておけば、短時間で捕まってしまうだろうと考えた加害者が、事件発覚を遅らせるためさらに重大な犯罪に手を染める、という心の動きはそこまでおかしいものではなかろう。…それが頭の悪いものであっても。
証拠を残しすぎなところを見ても、計画性の薄いかなり衝動的な犯行であったが故の悪あがき(殺人、死体遺棄)であったように思う。
あと、なんというか、ロリコンを得体のしれない理解不能なものとして犯行の動機を探るよりは、鉄道車両で痴漢が発生するプロセスから紐解いた方が理解しやすいんじゃなかろうか。
痴漢というのは、狭い車内に沢山の人が乗り込む満員状態によって引き起こされる。これは多数の人間同士が密着することによって、誰の身体が誰の身体に触れているか判断がつかない状況が生じているせいだ。こういった状況下で気が大きくなる心理というのは、容易に理解できるかと思う。匿名のブログサービスだからついつい余計なことを書き込んじゃう心理は、自分が今味わってるそれだ。
幼児を狙った性犯罪で誘拐がセットになるのは、成人女性に比べて単独でいる時間が少ないせいというのが主な理由だろう。あと運びやすさ。性犯罪は殺人や強盗に比べて犯行にかかる時間が長い。故にターゲットを人目につかない場所まで誘導・誘拐する必要が出てくる。人気のない夜道を歩く女性や、一人暮らしの女性宅が狙われやすいのは、犯罪者からすれば自明の理だ。
だからこそ幼児を狙った性犯罪の多くが、身内や近しい人間の犯行となりやすい。妻の連れ子や、学校や塾の教え子などは長時間密室でふたりきりになる機会が生じやすく、また社会的な立場により口封じがし易い(自分が我慢すれば母親が悲しまない等)環境も整っており、多くの悲劇を生んでいる。
今回の件も、たまたま相手が誘導のしやすい子で、かつ目撃者のいない空間が整っていたからこそ魔が差してしまった、という単純な話ではなかろうか。
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なんというか、こんな的外れなロリコン分析を真に受けちゃうのかと驚かされる。
性犯罪にかかわらず、殺人が副次的なものである場合、加害者の心の動きというのは、だいたいが口封じのためだ。
今回の事件でいえば、ある程度は衝動的な犯行ではあっただろうが、徹頭徹尾パトスに駆られた人物という犯人像は、いくらなんでも現実的ではない。逮捕された容疑者の男性が実際に犯人であるなら、亡きロバートKレスラーも苦笑いしそうな心理分析は必要なく、「顔見知りに近い人物による犯行がための目撃者(被害者)の殺害」で説明は事足りる。というか地理的な要素をまず検討するってのは、殺人事件の捜査では基本じゃなかろうか。
無論、増田友人が想像するような犯罪者がいないわけでもないだろうし、上記の分析も仮定に仮定を重ねたものだが。
いずれにしても、ロリコンがすべて同じような理想を抱いているという増田友人の言は、暴論にすぎる。あまりにもモヤモヤするので、ロリ系エロマンガについての個人的な分類を語りたくなってきた。
それぞれの特徴を説明する前に、身体的にも精神的にも経済的にも未熟な幼児を性の対象とするということがどういったことか、改めてざっくりと説明しておきたい。
当然ではあるが、だからこそ幼い子供は法によって保護されている。
ロリエロというジャンルを捉えるなら、まずここが出発点といえるだろう。
・リアル系の特徴
これは現実的なシミュレーションを含んだもののことだ(リアルだとは言っていない)。上記の点により肉体的・精神的な苦痛を伴ったり、救いのない展開や、レイプ、児童売春や性的搾取といった犯罪的な要素がついてまわる。
また、リアル系の傾向はストーリーだけではなく、絵柄にもその傾向が見て取れる。
それらの特徴を内蔵的と仮称する。
内臓的絵柄とは、人体デッサンにおいて、皮下の骨格や内臓といったものをしっかりと踏まえた、解剖学的な正しさを感じさせる絵柄のことだ。かなりざっくりと説明するなら、ごつごつとしていたり、あばらを描いていたり、目の大きさが現実的なサイズの絵柄のことだ。
こういった身体的なデッサンの人体は、苦痛を表現するのに適しているのだろう。猟奇的な作風の作家にも多い傾向だ。
LOはたかみち氏の爽やかな表紙に反して、こっち系の作家が多い。というか、町田ひらく氏といったこっち系のドきつい人がいたりするので、リアル系が苦手な人には正直、キツイ。
キツイ。
・ファンタジー系の特徴
ファンタジーといってもRPGの世界といった意味ではない(お約束)。現実(リアル)の対義としての非現実(ファンタジー)だ。どうしても犯罪臭はあるものの苦痛や鬱展開はほとんどなく、概念としてのロリを具現化させた存在と戯れる傾向にある。
そのため絵柄の特徴もリアル系の内臓的なものとは対照的なスキン的絵柄となっている。具体的には、きめの細かい肌触りや柔らかさといった表層の部分を重視する人体デッサンのことである。つるぺたという表現は死語化してひさしいが、要はあんな感じだ。
LOでこっち系といって思い浮かべるのは阿骨打先生だ。個人的にトップに入る好きな作家だが、死亡説が囁かれるくらいには寡作な方である(そうなる事情も分かるので複雑だ)。
ロリエロマンガは出発点が出発点だけに、分類がはっきりしているジャンルだと感じる。
が、近年はスキン的絵柄のリアル系鬱ストーリーみたいなハイブリッド型の作品もじわじわと広がってきている。クジラックス氏の例の作品あたりが起点だろうか。
ともあれ、人の性的指向なんて十人十色だから惹かれ合ったりするわけで、一口にロリといっても、それのどこに着目するかは人それぞれなのだ。と書いたら急に口調がアライさんみたいになってしまったのだ。
フェネック、もう終わるのだ。
こんな答弁起きないかな、……なんて、辻本議員に質疑させてしまいました。(ニヤニヤしてもらえると嬉しいです!!)
あー、それにしても、のらりくらりの答弁、腹立つわ。ちゃんと質問に答えぃ!
安倍:もちろんです。誰がそんなこと、言ったんです? 妻もですねぇ、私もですねぇ、森友学園の認可にも払い下げにも関係がありませんよ。あったら、私は議員を辞めますよ。
安倍:これはですね、求められて写真を撮ったものでして……いわば、後援者への挨拶のようなものでですね、これが森友学園の設立(*筆者注:国有地の払い下げ・認可について)に関わりがあった、ということの証拠にはならないんですよ。
逆にですね、関わりがなかった、ということはですね、悪魔の証明というものでしてね、「ない」ということを証明するのは、非常に難しい。(筆者注:出ました、お得意の「悪魔の証明」。使い方間違っとるわい。さすがデンデン首相)
辻本:確かに、この写真を見て「関わりがない」ということを証明するのは難しそうですね。(苦笑い野党の席からおきる)
もちろん、総理がおっしゃっているのですから(森友学園の)設立に夫人は関係はないですけれども、昭恵夫人は籠池氏と親交があった、ということでよろしいですか?
安倍:あなたね、私は一々妻の交友関係に口出しをしたりはしませんよ。これはですね、たまたま妻が頼まれて写真を撮っただけでしょうから。
辻本:さすが、総理夫人。全く親しくない方ともにこやかに握手をして写真を撮る。そして、お互いの携帯番号を交換する。広く国民からの声を吸い上げようとする努力、まさに政治家の妻の鑑でありますね。ただ、総理、私ね、一つ疑問に思っていることがあるんですよ、それほど親しくない方まで電話番号を交換するとなると、夫人の携帯にはひっきりなしに電話がかかってくるんじゃないか、と。そういうことをすると、塚本幼稚園を始めとして、各地で講演する時間など取れないんじゃないかと思うんですよね。
安倍:いえ、ですから、それは、妻の方でその時々でお答えしている、ということです。
辻本:というと、忙しい時には、後援者の方からの電話を受け取らない、と?
安倍:まあ、そういうことになります。(何、バカな質問をしてるんだ? という空気)
辻本:でしょうね。全ての電話に答えることは到底無理ですからね。では、どのような相手には電話に出て、どのような相手には出ないのでしょう? やはり大事な相手には出られる、と? ……でも、おかしいですね、総理夫人は籠池氏とは親しくない、あまり面識がない、にも関わらず電話に出られた、と。何か特別なご事情があったんですかね?
安倍:な、何をおっしゃるんですか。あなたねぇ、そういう印象操作をするような質問はするべきではない! 特別な事情なんてあるわけないじゃないですか!!(筆者注:普通の人だったら、不倫してるのかと思うよね(笑))
辻本:特別な事情もない、親しくもない、のに電話でお話されている、と……公私ともにお忙しいであろうはずの総理夫人が、親しくもない、特別な事情もない人と電話でお話されている。なるほど、なかなか興味深いですね。さらに、電話だけでなく、内閣総理大臣夫人付きの国家公務員にファックスを通じて籠池氏の質問に回答されている、と。
安倍:いや! このファックスはゼロ回答だから問題ありませんよ。籠池氏の要望には答えられない、とはっきり申し上げてるじゃないですか!
辻本:私が質問しているのは、どのような回答をしたか、ということではなく、昭恵夫人がほとんど親しくもない籠池氏に回答するように指示していたのか、ということを聞いているんです。
安倍:それは……質問されたら回答を返しただけでしょう、何が問題なんですか。
辻本:回答した、ということは、このような、言葉は悪いかもしれませんが、「特別なおねだりをされる」ような間柄だった、ということなんでしょうか? これ、このファックスの内容は、明らかに籠池氏が「特別な便宜」を依頼し、昭恵夫人が回答された、ということですよね。
安倍:違いますよ! それは、谷職員が勝手にやったんです。(筆者注:バカか!一公務員が総理夫人の名を使って勝手にやるわけねーだろ)
辻本:このファックスには昭恵ふじんにもすでに報告させていただいて、とありますが、谷職員が、勝手にやったのに昭恵夫人に報告したんですか? 普通、勝手にやる、というのは黙ってやる、という意味だと思うのですが、この谷職員の行動はかなり辻褄のあわない行動ですよね?
安倍:経緯はどうであれ、ゼロ回答だから問題ないでしょう。(筆者注:バカか!民主主義の決定というのはプロセスが全てなんだよ。そして、これはゼロ回答じゃなーい! 満額回答だよ!!)
*筆者注ーー筆者が勝手に妄想したもので、事実とは一切関係がありません。妄想の中でも、首相は「ゼロ回答だから問題ない」と質問と全く関係ないことを答えて終わらせてしまいました。 辻本議員が頭から湯気を吹き出すのが見えるようです!!
たまに変な客が来る。
「なんで?なんで足りないとか決めつけるの?」
手続きを結ぶにあたって、本人の確認を取りたいから免許証など住所や名前などが確認できるものが必要と説明するが
「なんでそんなもの必要なの?おかしいじゃん、俺が本人なのに」
私はアナタがご本人様かご友人やご家族ではありませんので、本人であるかわかりません。ですので、手続きに必要な書類を提出していただくよう願います。
「そんな決められたルールおかしくない?本人が来ているのに名前の分かるもんとか要らんでしょ!!」
と帰ってしまったんだけど、周りの他のお客さんは苦笑い。うちの仲間も苦笑い。
こういう人ってあんまり居ないよな…と思ったんだけど、今年入って3回目なんだよなぁ・・・。
性格とか、態度とか趣味とか話し方、それを総合してその人自身の魅力だと思っていた。ううん、今でもその考え方は健在だ。
付き合っている人がいる。
その人ははっきり言ってブサイクである。でも友人の時は、全然そのことを気に留めることもなかったし、むしろ一緒にいて心地よかった。
性格は良く、話も合う。趣味も似通っている。食事も美味しく食べられる。でも違和感がある。
楽しい、楽しいんだけど、友達として楽しい。恋人としてじゃない、別れたい。
別れたい、自由になりたい、この人に縛られたくない、言ってしまいたい。
そんな気持ちが先立つようになった。
幸せにできない、と思う。
酷いことだが顔を見る度、萎えてしまう。街行く人がみんな、彼女より可愛く見える。
いつも笑顔で、楽しませてくれる彼女に別れ話を切り出すのが辛い。
胃がキリキリする。
やっぱり女は顔だ、というつもりは毛頭ない。だけど付き合い続けるモチベーションを維持するための要素にはなるんだなあ。もし、彼女がブスではなかったらデートの約束を取り付けることに僕自身が躍起になっていたと思う。
デートしなくても、会わなくても問題ない。セックスもしたいと思わない。
破綻だ、こんなの。
好きって言われて苦笑いしてしまったし、即答できないし、色々終わってるな
友人として大切にしたいけど、恋人として付き合うのはめちゃくちゃ辛い、むしろ苦行である。
結局僕も顔ありきで相手を見てたんだな
私はみんな大好きだったし、卒業してからずっと遊んでくれてるのがすごくありがたい。
しかしながら、友達の一人が離脱した…というか、3人中一人だけブロックした。
私と、もう一人だけは普通にツイッターもLINEもつながってる。
一人だけ完全にブロック。
理由を聞いたら何となく、あの子だけ顔見たくなくなっちゃった。何だかねーとかわされる。
ブロックされた子の前で離脱した子の話を出さないようにはしていたけど、
私はどっちとも仲良くしたいけど、どっちとも「あの子元気かな?」っていう話とか、思い出話ができなくなっちゃった。
別に、どっちとも私は仲良くしてればいいとわかってるのに、ブロックした子の話を出さないように気を遣うのも
ツイッターとかでブロックしてきた子と話すのも、あの子が見てるかもって気を遣う…。
何で今まで通り4人仲良くできなかったんだろ。あの頃に戻りたい。
社会に適正があると思い込んで育ってきた。
今にして思うと、小学生のころから、周りに馴染めていなかった。呼ばれもしない誕生日会に行っては、嫌な顔をされてきた。周りが気を遣って出迎えてくれたことにも気付かず、与えられるがままに、その優しさを享受してきた。
はじめて社会性に疑問を持ったのは、高校の頃だった。中学の頃まで与えられるばかりであった私は、与えること、持ち寄ることを知らなかった。ただただ与えられることを待っている私には、当然さしたる友達もできず、ただ毎日を一人で過ごした。
中学の頃の友達とはまだ仲がいいつもりで居たが、高校生活を自虐しては苦笑いされる、そんな関係でしかなかった。その頃は、そんな会話が仲の良さの証であると、思い込んでいた。
大学では、変わろうと思った。社会性を獲得しようと、社会に馴染もうと思った。しかし、得られたものは社会性ではなかった。
餌を与えられて育ってきた珍獣は、狩りの方法を知らなかった。餌が欲しいと思う珍獣にできることは、できる限り自分の様を人の目にとめてもらうことだけだった。社会性の変わりに得られたものは、奇異性だった。
幸か不幸か、インターネット動物園にはありとあらゆる珍獣がいた。ある珍獣は、ある珍獣を見て、自分はまだまともだと、魅力的な人間であると、勘違いをした。
ただただ与えられるままに、みずから変化を与えることなく暮らしてきた私には、現状に不満があってもそれを受け入れることしかできない。
不満をため込み続け、周りには迷惑をかけ続け、いつか破滅する未来を待つことしかできないのだ。希望をつかむための努力も怠る私には、希望なんて与えられることはないのだろう。
親戚の手前、はっきりと口に出せずにいるが、信者との接触のたびに腹わたが煮えくり返り、その日、一日中気分が悪い。
うちは祖母が熱心な信者で、他宗教には排他的、他者にも信教を強制しようとする、ネットで語られる新興宗教信者を体現したような存在だった。独善的で独裁的で他者に反論を許さない祖母が私は大嫌いだった。
娘の母は二世で、家庭環境から価値観としての信仰はあるものの、他者に布教はしない消極的な(熱烈信者からはよく思われないタイプの)信者だった。祖母とは真逆のやさしい人で、私は母が好きだった。
私自身は記憶もないうちに入信させられた三世で、新年に謎の会館で数珠で遊んでいたり、自宅で行われる謎のイベントに参加した記憶はあるものの、物心つくと次第にその慣習が疎ましくなっていた。
思春期を過ぎた頃には、内心では完全にアンチと化しており、会合の誘いはのらくらと断り続けたし、選挙活動もその場は適当に応じながら、絶対に票は投じなかった。
近所で信者に挨拶されるたびに苦笑いと胃のムカムカが止まらず、挙句の果ては、当てつけのようにこれまた新興宗教の某証人の話に耳を傾ける始末だった。
この憎しみにも近い激しい感情がどこから来ているのか、ずっとわからなかった。
母は数十年、うつ病に苦しんできた。
うつで寝込んでいる母を、祖母は信心が足りないとなじり、私に母のために信心するよう強制した。
祖母への反発が強かった私は、祖母の前では頷きながらも、絶対に祈らなかった。
私が祈らないから、母は治らないのかもしれない。
母のために祈れない私は冷たい人間なのかもしれない。
私が母を不幸にしているのかもしれない。
「母を不幸にしている」自分を憎む代わりに。
私は「宗教」というフィルターを通して、「自分」を憎んでいた。
宗教を憎めば憎むほど苦しくなるのは当たり前だった。
私が某宗教を嫌いながら、表面上それを表に出せなかったのは、私の行動の責任が母にまで及ぶことを恐れていたからだ。
私が脱会することで母が信者内で悪く言われるかと思うと絶対に脱会できなかった。
玄関先に挨拶に来た議員候補を追い返したかったができなかった。
宗教を捨てることは、母を捨てることだった。
幼い子供は親が怒っていたり悲しんでいたりすると、自分のせいだと思い込む性質がある。
両親が不機嫌だったり、落ち込んでいたりする家庭で育った子供の自己肯定感が低くなるのはそのせいらしい。
親を幸せにできなかった挫折感は、「自分は人を不幸にしている」という呪いになる。
殆どの人は、その呪いに気づけないまま、一生、謎の生きづらさを抱え込む。
私は母の幸福を諦めることにした。
結局、私は母を捨てたのかもしれない。
「ぺぺローションです」
左端の学生が答えた。
「人と人との摩擦を減らし、皆を気持ちよくする。そういう人間であるよう心がけてきました」
「コンドームです」
「重大な局面を防ぎつつも、自分の存在を主張しない。そういう人間であるように心がけてきました」
「オナホ―ルです」
ついにぼくの番だ。
「恵まれない人にも、喜びを与える。そういう人間であるように心がけてきました」
「わかりました」
面接官が口を開いた。
「弊社の使命は人と人を繋ぐことです。だから、ぺぺローションやコンドームのような人材を求めているのです」
ぼくは息をのんだ。
「しかし、オナホ―ルではいけません。オナホ―ルは使用者に仕えるだけで、用済みになれば捨てられるのみでしょう」
……外へ出てみると、さっきまで降っていた雨は嘘だったかのように、太陽がぼくを照らした。
ああ、今日もダメだった。そう思いながら空を仰ぐぼくに、呼びかける二つの声があった。
「おーい。オナホー!」
「いやあ、きみたちには負けたよ」
ぼくは苦笑いしながら応じる。
「そんなことはないさ。むしろあの面接官のほうがヤリチン至上主義の変態野郎だったよ」
「そうそう、それよりもオナホ―ルの献身的な生きかた。それにぼくは感動したね」
「そんなことよりさ、今からコレ、行こうぜ」
ぺぺローションはクイッとハンドサインを示す。ぼくに断る理由はなかった。
かくして、ぺぺローション・コンドーム・オナホ―ルの三名は、ストライプのネクタイを緩めながら夜の街へと消えていったのである。