ハーゲンダッツを知っているだろうか?そう、あの、全国のコンビニに売っている高級アイスクリームだ。濃厚なミルク。豊富なフレーバー。単純に美味い。ハーゲンダッツがオランダの会社だという事を知っている人も多いだろう。が、実は、日本で全国のハーゲンダッツはオランダで作ったものではない。日本のハーゲンダッツは、「タカナシ乳業」という会社が契約して一手に製造を引き受け、群馬県の専用工場で作っている。
「タカナシ乳業」という名前を聞いたことのある人は少ないだろう。横浜市に本社のある、横浜の地元企業だ。タカナシ乳業のテトラパック牛乳は、約25年前、横浜市立の小学生だった自分の給食に、パンの日もご飯の日も、毎日配られていた。
当時の小学校の給食は、「給食は全部食べなければならない」という厳格なルールがあった。特に、自分の小学校は給食の調理室が併設されていたためか、ルールが徹底されていた。12:25から12:45までの20分の間に給食を完食しないと、その後の片付け・掃除の時間や昼休みの時間も残って食べさせられた。片付けの時間は皆が机を後ろに下げて掃除するので、残って食べている生徒の周りの机は取り払われ、周りが皆掃除をしている中、1つだけ浮かぶ机の上で給食を食べさせられる。掃除中の教室でホコリが舞い、食べ物に降りかかる中、一人だけ給食を食べさせられる。「お前は何で掃除を手伝わないんだ」、「お前が食べるのが遅いせいで皆が迷惑するんだ」という周りの生徒の視線の中、一人だけ給食を食べさせられる。ひどい場合には、まだ給食が残っているお皿1つだけ残して、立って食べたり、教室の角で食べたりした。
しかも、給食を全部食べなければいけない理由付けとして「給食を全部食べないことは、給食を作ってくれる給食のおばさんたちを悲しませる行為だ」という理屈が使われていた。つまり、給食を完食しないことは、大人を悲しませる反社会的行為なのだ、と教育されていた。食の細い自分は、小学2年生までは1週間に1回ぐらいの頻度で、居残りで食べさせられた。正直、地獄だった。給食のおばさんは、自分が苦しむ事で喜ぶらしい、では、自分が死んだら給食のおばさんはどんなに喜ぶのだろう、と毎日思っていた。「給食を完食できないボクは、社会に迷惑をかける犯罪者だ、早く死んで社会に迷惑かけないようになりたい。お父さんお母さん生まれてきてごめんなさい…給食を完食して社会に貢献できる人間になりたい」と思っていた。
小3になって、ようやく、転機が訪れた。いつも、早く処理するため最初に一気飲みしていたタカナシ乳業のテトラパック牛乳をとっておいて、残っている食べ物を牛乳で流しこむことを覚えたのだ!これは、本当に画期的な発明だった。教室の時計を見て、約半分、12:38ぐらいから、計画的に流しこみを始める。正直、マズイけど、給食を残って食べさせられる地獄に比べれば、味なんかどうでもいい。食べきることが大事だ。割り切りと優先順位を覚えて、何でも牛乳で流し込んだ。ご飯の日は嫌だった。牛乳にご飯は合わない。マズイけど、流し込む。焼き魚も合わなかった。醤油に牛乳は本当にマズイ。コッペパンの日は、幸せだった。パンと牛乳は合う。揚げパンが出る日は天国。最後に牛乳で流し込んでも美味しい。
タカナシ乳業のテトラパック牛乳は、小食な小学生だった自分にとって救世主だった。タカナシ乳業のテトラパック牛乳のおかげで、給食を完食できるようになった。給食を完食できない、反社会的な犯罪者という自意識から解放され、クラスの給食完食という目標に貢献できるようになった。社会に貢献できる自分になれた事が本当に嬉しかった。
タカナシ乳業のおかげで救われた自分は、その後、普通に東大に入ってエンジニアになった。そんなタカナシ乳業には、この4月14日から横浜駅東口にあるそごうの地下2階で、初の直営ミルクパーラーを開業した。行って来た。普通に美味かった。
http://www.takanashi-milk.co.jp/wp-content/uploads/2017/04/20170405_04.pdf
タカナシ乳業の社員も横浜市立の小学校教員も、苦笑いすることを承知の上で書いた。どれだけ自分が「給食完食ルール」で苦しんだかを知ってもらうために。小学校のPTAでは、「来年から楽になるなんてずるい」という意見で、楽にすることが許されないようだ。私の通っていた小学校にも、PTAがあり、不毛なベルマークも集めていた。
自分は、ちゃんと苦しんで給食を食べ、社会に貢献した。あなた達世代だけ、楽をして逃げ切るなんてずるい。私は苦しむのが仕事だと思って小学校を生き延び、今、社会に貢献している。あなた達世代も、私のように苦しんで、社会に貢献して欲しい。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/04/23/pta-reform_n_16199536.html