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2021-04-19

anond:20200605165725

自分かと思った。まだ就活していないのに鬱になりそう。

安楽死考えるのわかるし、苦痛経験してまで延長したい人生か?って思う。これ以上赤字になるのが確定なら、さっさと損切りしてあがっちゃいたい。わざわざ苦しい思いしてから死にたくないんだよな。

多分増田より「生きてること=苦痛」の傾向があるから、今でさえ快楽苦痛を打ち消し切れてないのに、もっと辛くなるなら単純に耐えられない。そんな思いして死ぬのと、元気な内に見切りつけるなら後者の方がいい。

こっちはガチFランなので、将来の展望なんてものが明るいはずもないし、コミュニケーション能力ぼっちなのでお察し。ホワイトなんて夢のまた夢だし、そもそもバイトに落ちただけで心が折れる人間就活をまともにやり遂げられるとも思ってない。 もし働けても、仕事人間関係も上手くいかないのが目に見えるようだ。想像だけで胃が痛い

自分は色々考えた結果、死ぬのが一番良いという結論になりました。だけど、今のところは勇気や気力が足りないので準備期間として先延ばし中。自発的ならやりたいこと全部やりきって未練をなくしたいので、ゴールを決めてみたら楽になった。そんな感じで仮の地点を決めると、少しは気が楽になるかもしれない。

こちらも痛いのは嫌だから結構悩んでる。でも試してみる勇気すらないか方法を調べてばかりだ。最近麻酔薬を見ては「医者薬剤師になればよかった」と考えている。本当、寝てる間に死ねたらいいんだけどね。

僕がずっとできなかったことと、それでも片足を上げられた日の日記

何でもできそうになった日じゃなくて、少しは何かできたかもしれない日の話。

母方の祖父母はどちらも素晴らしい人だ。いつも穏やかにしていて、人格者で、思慮深く優しい。みんなからも当たり前のように愛されていて、毎年昔の教え子(夫婦である芸事教室をしている)から年賀状誕生日プレゼントが大量に届いてお酒が飲み切れないと笑っている。

そういう人が僕のおじいちゃんとおばあちゃんだった。そんな彼らから僕はまた当たり前のように愛されていた。会う頻度は少ないけれど、わかる。会うたびに見せてくれる笑顔や、優しかったり厳しかったりする言葉、とにかく彼らがくれるものすべての細部に愛が籠っていた。

当たり前のように愛してくれて、だから僕も彼らのことが大好きだった。

でも僕は傍目ではいつも彼らによそよそしくしていた。わざとしていたわけではなく、、つまり、話し方もちゃんとした甘え方もよくわからない、親の背中に隠れる子供のまま礼儀正しさだけ身に着けてしまったんだと思う。彼らはそういう僕を分かってくれているのかそうじゃないのかよくわからないけれど、とにかく驚くべきことにそれでも優しかった。当たり前だけど申し訳なかった。僕は受け取った分の 1mm でも返せているのかな? といつも疑問で、だからいつからか二人が笑いかけてくれるのもなんとなく気まずかった。

祖父母のことだけじゃない。何もかも勇気がなくて。先延ばしにして。僕はそういう人だって分かってたからもうなんでもいいかなと思うことも多かったけど、それでも祖父母のことだけはずっと僕を非難していた。多分、僕に本当に大事に思える他人は少ないから。大事になんてできてないけど。

何でもできそうだ思った夜が何度もあり、同じ数だけ何もかも無理だと感じた朝があった。

そういう日のうちに、あるキャスを聞いた。

「親みたいにずっとお世話になっていた人に会いに行って、ご飯を作ってくれたときに、お皿を洗えて(ほんの少しでも恩返しできたみたいで)良かった」という話だった(わたしの語彙...)。

こう書くとよくある話かもしれないけど、僕は彼女(キャス主)が僕のように何にもしてこなかったような人ではないことを知っていた。つまり恐らく彼女が会いに行ったのも、連絡を取ったのも普段の積み重ねの延長上にあって、、

でも普段からそうしていたとしてもまだ「お皿を洗う姿を見せられて良かった」なんて思うんだと、そう思った。それからたまたまそのとき彼女を少しだけ身近に感じていたのもあった。普段から尊敬する彼女の中に素朴なものを感じて、うまく言えてないけど、とにかく僕にも何かできるし、躊躇ってることがあるなら前に進みなよって言われてる気さえした(なにかこちらに語りかけてくれたわけではない。多分周囲にいい影響を与える人ってこういう人のことを言うんだと思う)。それでその日は遅かったので明日とりあえず祖父母の家に電話してみることを決めて寝た。

翌日よくわからない時間に起きて、頭が回りだしたのは午後。その日は休日だったけど夜にちょっとしたプレゼンをしなければならず、その資料作成をしていた。

正直めちゃめちゃ忙しくて、明日でいいかなーと思ってた。ぼんやり考えていたけど電話をして何を話したらいいかいまいちからなかったし、ちゃんと話すことを考えてまとめる時間が欲しかった。

ただ、キャスの彼女がまたお世話になっていた人に連絡を取ったっていうツイートを見たとき(確かにまた連絡を取りたいと言っていた)、見て、作業に戻ろうとしたけど、うまくできなくて、スマホを手に取ってたまたま充電がなかったことに気づいて逡巡した挙句財布を持って公衆電話に向かった。

一度、電話番号を覚えてないことに気づいて戻った。話すべきことは歩き出せば意外にもすぐ決まった。国道沿いのコンビニで車のうるささに辟易したけど一度深呼吸して、右耳を袖で塞いで左耳に受話器を当ててダイヤルした。僕から祖父母彼らに掛けること自体は初めてはなかったけど、自発的ものは初めてだった。

正直すぐには意味があったのかどうかもわからなかった。言いたかたことは1割も伝わったかどうかわからないし、そもそも僕が電話を掛けた意味相手はすこし取り違えて理解したようだった(大学を辞めたことの謝罪をしたかったのだと思われたみたいだった。もちろんそんなことが一番言いたかたことではない)。

こんなんで僕は少しでも彼らを大切にできたんだろうか? その片足でも上げられたのかな。そういうことをぐるぐると考えていた。

でも最終的に、少なくとも僕がこのきっかけを後悔することを彼らは望まないよな、と思った。僕は間違いなく愛されていて、それには自信があったから。

https://i.imgur.com/z6iG1R3.png

2021-04-15

ネガ発言しないほうがいい、ってのはあくま自発的に行うことであって

「私に愛されたければネガ発言をするな」ってなると途端にとんでもなく傲慢で不遜な話になるんだが

無自覚要求する人本当に多くてビビる

こういう奴がコンビニで怒鳴り散らす老人になるんだろうな。

2021-04-13

追記(2021.4.13)→間違ってはいないがミスリーディングanond:20210412194236

何かソースを出せという人が多かったから出す。あと本旨があまり理解されてないっぽいのでそれも再確認する。

前の文の下に繋げようとしたらできなかった(長すぎたのかな?)ので、トラバの方にぶら下げることにする。

フィンランド場合

フィンランド鉄道については、元増田引用したソースの下の方で

"Most stations are accessible." (ほとんどの駅はアクセシブルです)と書いてある通り。

accessibleとは直訳すれば"アクセスできる"という意味で、バリアフリー文脈では障害等に関わらず利用可能状態であることを指す。

ノルウェー場合

ノルウェー鉄道場合、ありがたいことにノルウェー国鉄の全駅の情報が見れる。→https://www.banenor.no/en/startpage1/Search-for-stations/

ここにリストアップされている全336駅中、"Wheelchair access to platform"が無いのは34駅(有っても不完全な駅も含む。完全に無い駅に限ると23駅)。

Vakås駅のページにはアクセスできなかったので、23~34/335=約7~10%の駅が車椅子利用者にとって"not accessible"と言える。

これはド田舎まで含めたノルウェー全土の数値なので、ほとんどの駅でアクセシブルと言ってもいいだろう。「90%程度では"ほとんど"なんて言えない」と言う人は、まあ私と感覚が合わなかったということで一つ。

スウェーデン場合

スウェーデンのほぼ全ての駅に関する情報https://www.dinstation.com提供されている。

掲載されている124駅のうち、アクセシビリティの情報が書いてあるのは97駅、そのうち車椅子アクセスできないエントランスがあるのは12駅。

12%の駅(情報なしは除外して12/97)が車椅子ユーザーにとって"not accessible"である。ただし仮に情報が無い駅を全部"not accessible"とカウントした場合、それは約31%(="accessible"な駅は69%だけ)になるため"ほとんどの駅でaccessible"という私の見解が揺らぐことを、公平のために記しておく。

デンマーク場合

地下鉄エレベーター完備。列車の乗降口はプラットフォームと無段差。追加の支援必要場合列車プラットフォームにある呼び出しボタンが使える。→https://dinoffentligetransport.dk/en/customer-service/rules-and-guidelines/disability-access-conditions/

Lokaltog(地方鉄道の総括,123駅)についてはhttps://www.lokaltog.dk/kunde/handicaphjaelp/に書いてある。これは追記前にも言及済み。

曰く"Du kan som kørestolsbruger, spontant rejse med toget på alle Lokaltogs strækninger uden at aftale nærmere med Lokaltog på forhånd. På de stationer, hvor tog og perron ikke er i niveau, vil togets lokomotivfører lægge en rampe ud./車椅子利用者は、すべてのLokaltog自由事前連絡なしで旅行出来ます。もしプラットフォーム電車の乗降口に段差がある場合車掌スロープを設置します。"

ただし、Østbanen(デンマーク地方鉄道)のLille Syd線ではGadstrup、Havdrup、Lille Skensved、Ølbyの4駅についてはlevel-freeではないため、ここを利用したいなら事前(利用12時間前)にハンディキャップサービスに連絡が必要。そうした場合、最寄りのlevel-freeな駅まで送ってもらえる。

DSB(デンマーク国鉄)の駅に関する情報https://www.dsb.dk/kundeservice/stationer/でみられる。

ここではアクセシビリティとして階段エレベーターの有無が見られる。

リストされている317駅で"階段はあるがエレベーターが無い"駅は30である。またどちらもある駅が129、どちらもない駅(=平屋建て)が156

ノルウェーと同様、9割以上の駅が"accessible"である

「どちらもない駅がバリアフリーとは限らないじゃないか階段がないだけで段差だらけかもしれないだろう」という意見もあるかもしれない。

このリストにはLokaltogの利用駅も含まれており、それらがlevel-freeと見做されている以上、他の駅もそうだろうと考えるのが自然と私は考えた。

ただGadstrup、Havdrup、Lille Skensvedの3駅はLokaltogサイトで言ってる通り階段ありエレベーター無しだが、Ølbyは両方あることになってる。同名の別駅か、最近改修されたのか、情報が間違っているのか。

本旨の再確認

(1)元増田の紹介した例は"北欧でも/では身障者が駅を利用する場合事前連絡必要"という主張には不適切

氏の紹介した例は要予約のサービスであり、別に予約しなくとも駅は使える。

車椅子ユーザーにとって"not accessible"でありかつその支援サービス提供されている駅でのみ発生する事態なのだが、"not accessible"な駅自体が少ないことはこの追記で述べた通り。

なお駅が"not accessible"で支援サービスもない場合は諦めよう。駅員さんが賃金労働で助けてくれたりはしないぞ。

(2)北欧の駅のほとんどはaccessibleで、身障者でも事前に連絡する必要があることは稀。

これには特にソースを出さずに言ったため、疑問に思った人が多かったようだ。なので追記根拠ソースを出した。私としてはこれで十分と思うが如何に。

(3)北欧でも"not accessible"な駅はあり、事前の連絡が必要/事前に連絡してもどうしようもない場合は稀だがある。

(1)と若干被ってるか。事前連絡必要なケースは北欧の方が日本より少ないのは確かだが、無いわけじゃない。(あと必須じゃないがした方が得なので自発的に連絡する人は多い。)

なので"伊是名女史のケースは北欧でも事前連絡必要なケースに該当するかもしれない。"と書いた通り、「北欧なら伊是名女史は連絡なしで乗れたのに!日本は遅れてる!」という意見があるとすればあまり正しくない。

仮に伊是名女史がノルウェーのVieren駅(https://www.banenor.no/en/Railway/Search-for-stations/-V-/Vieren/)に行っても列車に乗るのは不可能だっただろう。この駅なら事前連絡しても無理だろうけど。

ついでに

北欧ではどうやってエレベーターとかきっちりつけてんの?金もつん?という疑問が見受けられた。その疑問に一部答えよう。

法律と金地の利である

バリアフリー化が法律義務付けられてて、駅や列車新築/新造や改修時に基準に沿ってないと許可下りない。

福祉国家故か高い税金分ジャブジャブ注ぎ込む。スウェーデンなんかは何年か前に250億くらい突っ込んでた気がする。

あと平屋建てが多い。エレベーターとかなくともちょっとスロープ付けるだけでなんとかなる。

ぶっちゃけるとド田舎ではプラットフォーム線路の脇を舗装/草刈りしただけとかもままあるため、特になんもしなくても車椅子で行けたり、手作り既製品スロープがポンと置いてあるだけなんてことも多い。

一方でそういう駅ではプラットホーム列車の間の段差はそのままだったりする。

元増田の紹介したサービスで"乗降車の補助"が多いのはそういう背景による。

日本列車プラットホームの段差は少ない(と思う)のでその点では北欧より進んでいるかもしれない。

2021-04-11

弱者の加害性に向き合うほどの精神リソースマジョリティには無い

車椅子活動家と、弱者男性論を眺めていての結論

弱者はある程度は助けられるべきだ、とは大抵の人間は思っているだろう。

しかし、それが現実的合意可能なのは弱者に「加害性がない」場合に限る。

いくら原則としての救済の必要性を打ち出しても無意味だ。

人的、精神リソース供給するにはマジョリティ自発的に行う必要がある。

強制労働させることは不可能だ。

政府が推奨しようが、言論擁護しようが、自由社会においては効果は薄い。

やりたくないことをやる人間ますます減っていくだろう。

流れを変えるために多くの予算をつけようにも、その配分を決定するのも民主主義なのだから同じことだ。


助けて欲しい人間は加害性を無くす努力必要だ。

不可能要求をしない、乱暴物言いをしない、感謝言葉を忘れない。

これから時代弱者に求められるのはこういった性質を身につけることだろう。

男だったら絶対弱者男性だったと思うから女に産まれて良かった

ガラス天井とか言うけど、いや、そういうものも世の中にあることは知ってるし、それに阻まれて苦しんでいる友人も見てきたし、まあ、ガラス天井を割ろうとするみなさんはさ、偉いと思うよ。

偉い偉い。

でも私はガラスの床の上に立っているド底辺女なので、まあ、ガラスを割られると困るわけ。


優秀でエネルギッシュな女性の皆様がガラスを割りたいって言うなら止めませんけどね。

はーい。頑張ってください。


私は男だったら絶対いじめられて引きこもりになってたタイプ

まあ女でも成人式同窓会謝罪の列ができるレベルいじめられてたけど、ゆーて女向けのいじめって精神攻撃メインなわけ。

男はバカスカ殴られてたけどチビ運動音痴の女を集団で殴る男とかそんないねえわっていう。

これガラスの床だよね。

床割られたら殴られちゃうんでしょ。無理すぎる。


ということで私は物理攻撃を受けなかったので小中高といじめられてたけど普通に卒業した。

これ男だったら絶対卒業できてなかった。

学校に行けてたので勉強はできた。

友達いないと他にやることもないしな。


大学入ってド陰キャ過ぎてバイト面接全落ちしたけど準ガルバみたいなとこは雇ってくれた。

男だったら絶対バイトなかった。

そこで最低限人間らしい振る舞いを身に着けることができたので他のバイトにありつけた。

友達も女だからって下心ありで声かけてくれた男のおかげで友人のコミュニティに入れた。

男だったらと思うと怖すぎる。


恋人だって女だから自分から動かなくてもまあできる。

恋人いるから偉いってわけじゃないが、友達とは深い関係を築けないので、それで初めて他人の前で泣くということ、他人喧嘩をするということ、そしてそれを誰かに相談するということを学んだ。

男だったらこ経験は多分積めてなかった。


他にも女が少ない学校だったこともあって、結構色んなことに「女子呼びたい」と言いだす誰かのおかげで誘ってもらった。

スノボだのキャンプだのスポーツ観戦だのライブだの、陰キャには無縁の趣味を楽しめたのは女だからだ。

こう、自発的に動く能力が欠落しててもなんとなくコミュニティに拾ってもらえる感じ、面白いこと言えなくても、仲間に誘ってもらえる感じ、色々経験出来て得だよなあと思う。


現在就活中だが、私は若い女なんだと思うと偉いおっさんの前でもベラベラ喋れる。

怖い女性とか強い女性の前では委縮しちゃうけど、経験にゆーておっさん若い女に甘いって認識がなんとなく構築されてるので、おっさんの前なら委縮せずにいられる。

これ男だったら会社役員かいう圧倒的強者を前に絶対蛇に睨まれた蛙がごとくなってたって確信できる。

だって私、強者女性怖いもん。

受け付けの美人とか強者女性過ぎて縮み上がるわ。

面接で出てくるのが受け付けの美女じゃなくて役員おっさんでほんと良かった~~~~~。


受け付けの美女あなた特に美容において力を入れていることは何ですかとか聞かれたら死ぬ?????

名門大学で立派な研究してて今バリバリ研究してるおっさんに、私がつまら大学でやったつまら研究の話をする方が全然心軽い。

だって相手おっさんで私は若い女からおっさんから能力を見定めるような意地悪のされ方したことほぼないもん。


これ男だったら絶対おっさんの前で硬直してた。

トラウマ発動だよ。



ということで私はガラスの床の上に立ってるので、この床がなかったら一体人生どうなってたんだろうなって思う。

女に産まれて良かったかは知らんが、まあ高校卒業できてなかっただろうなってとこから変わってたよなあと。

2021-04-09

anond:20210409104009

自発的介護職について老人の下を世話しろ」というのは「求職者自発的にやる事だからあてがえ論じゃない」と言ってるけど根本的には変わらんので問題視すべき?

anond:20210408163950

どれが実態だとしても弱者男性とやらが

あてがえ論を支持・黙認して女性への加害を言論創作などあらゆる場で続けているのは誤魔化せない事実

そこを弱者男性側できっちり批判して一掃させない限り、

弱者性が緩和された男性女性への加害をよりエスカレートさせるだけだ。

弱者男性自発的アップデート大前提

2021-04-08

anond:20210408120719

まぁ見える表に出てきたらそのミジメさをあげつらって自発的に石の下に戻るようにイジり倒してやるけどな

2021-04-07

弱者男性だが俺はもう大丈夫

もともと女性一般から広くモテたいとか、誰でもいいかセックスをしたいとかさせてほしいとか、社会から魅力的な男性として認められたいといった願望はない。俺が惚れた女がたまたま俺に惚れてくれないという状況がン十年続いているだけだ。しか世間一般ではその状況こそ恋愛弱者とされているのだろう。俺からしてみれば弱者という自覚などないしこうした現状を特に気に病んでもいないが、うるおいのない人生であることもまた事実だ。たしか人生はパサパサだ。顔は脂でネチョネチョしているが。さて、独り身の男がうるおいのない人生に慰めを見出すとしたら? もっとも手軽な手段は読んで字のごとく自慰である。というわけで、ここから先はオナニーの話をします。恋愛弱者論は出てきません。お引き取りください。

100%イマジネーションだけで登頂できる程度にはまだ元気な私だけれど、もちろんよいおかずがあればそれに越したことはない。私の世代男性はさまざまなおかずで食事をしてきた。うつろいゆくエロメディアの変遷をすべて経験してきた。いや、ピンク映画経験してないか。まあいい、それはさておき、自宅の電話線に通信モデム接続されるまでの長い長い間、私の主食は紙媒体だった。エロ本、エロ小説エロマンガである劇画タッチの暗くて薄汚いエロマンガに代わってアニメ調のかわいらしい絵柄の美少女エロマンガ雑誌が続々登場し、それに夢中になったりもした。アダルトビデオもすでに文化としては大輪の花を咲かせていたが市場的にはレンタル専用の位置づけで、日々の主食とするにはコストがかかりすぎるごちそうだった。どんなに気に入った作品でもレンタルは返さなければいけないし、セル用VHSともなると1本が1万円以上したのだ。

こうしたおかず環境インターネットの登場で激変し、通信環境パソコンの処理能力の向上でもう一度激変した。このあたりの変遷はくだくだしく振り返る必要はないだろう。かつて、何世代ものダビングを経て裏か表かすらよくわからなくなった飯島愛ビデオに目をこらしていたことを考えると、常時接続ネット回線からフルハイビジョン無修正動画無料でドバドバ降ってくる現代の状況は「隔世の感」などという月並み言葉では語り尽くせない感慨がある。「この世の春」が少し近い。

もっとも、この変化はあくまでも量的な変化に過ぎない。ガビガビの飯島愛とフルハイビジョンの七沢みあの違いは、端的には解像度と入手性だけであり、メディアとしての質的な差はないと言える。どっちも同じ動画だ。そこには、かつてエロ本(静止画)に代わってエロビデオ動画)が登場した時のようなパラダイムシフトはない。作品の内容についても同様である。80~90年代のAVに比べると現代のAVは内容がめちゃくちゃに高度化していて、とんでもない美人がとんでもなくエロいことをとんでもない演技力でやってのける時代になったが、これとても地道に連続的に向上していった結果であり、その間に何か飛躍があったわけではない。

この先もこういう線形な向上がひたすら続くんだろうな、と俺は思っていた。モデルますます美人になり、エロ演出ますます洗練され、解像度4K8K、16Kとますます向上し……そのうちテレビも買い換えなきゃだな、と。この先に非線形な、飛躍をともなうパラダイムシフトが起こるとは思っていなかった。

ところが2016年になってそれは起こった。アダルトVRの登場である

それはまさにパラダイムシフトだった。静止画動画になったあのパラダイムシフトさえ超える革命だった。初めてアダルトVRを見たとき、「これは今までのAVとはまったく異質なものだ」と私は確信した。

VRゴーグルをかけて再生を始めた時、自分行為の「当事者」になっていた。それまでのAVでは(一人称視点モノであっても)自分あくまでも「傍観者」だった。見慣れたハウススタジオで繰り広げられている知らない誰かと誰かの性行為を神の視点で眺めるだけの傍観者だ。男優の求めに応じて、あるいは自発的女優が行う行為淫靡さ大胆さ、背徳さや不潔さ、それを傍観して興奮するのが従来のAVだ。AV嬢は裸になるのが当たり前だし、裸になるまでのチンケな三文芝居など早送りするしかない。

しかアダルトVRはそれとはまったく違った。なぜか間取りをうっすら知っている家の中に自分はいて、目の前にはめちゃめちゃきれいな女の子がいる。冬服に変わったばかりで今タンから出してきたようなブレザーの制服を着ている。樟脳のにおいがしてきそうだ。その子がこっちを向いて「うふふっ」と笑う。こちもつられてつい笑ってしまう。「ンフッ」 今までAVを見ていてそんなことがあったか? 俺はなかった。画面の中で何が行われていても、握力と緩急の調整こそすれ、表情は真顔のままだったと思う。

驚くべきは女優たちの演技力だ。アダルトVRは基本的に「女優の一人芝居」である自分役の男優はいるがただの木偶であり、ストーリー進行はすべて女優の演技に任されている。女優たちはこれを見事にしてのけるのだ。イッセー尾形とまでは言わないが、正直私はAV女優たちがここまでちゃんとしたお芝居をするとは思っていなかった。また、そのくらいアダルトVRは女優演技力重要ジャンルなのだった。棒読み学芸会の芝居だとまったく白けたものになってしまうのだ。結果として、ただかわいくてスタイルがいいだけの女優ではなく、きちんとお芝居のできる女優が日々発掘され、適性が見いだされ、人気を得て活躍していくようになった。

一人称AVというジャンルは古くからあるが、久しくマイナージャンルであった。しかしここへきて一人称AVは突然業界のどセンターに据えられることになったのだから世の中わからないものである

一人称という形式により、2Dでは早送りしていたような行為前後のたわいもないドラマシーンががぜん意味を帯びてきた。この女性下宿美人管理人さんで、俺はしがない浪人生。この女性かわいい妹で俺はモテない兄貴。この女性神待ちJKで俺は一人暮らしの冴えないおっさんリーマン。2Dではわりとどうでもよかったそんな設定がいちいち重要になってきた。その設定に没入すればするほど、目の前の女性が服を脱いだ時の衝撃と興奮が大きいのだ。もし美人教師かわいい看護婦さんが「現実に」目の前で服を脱ぎだしたら、誰だってびっくりするでしょう?

風呂上がりでバスタオルを胴に巻いただけの妹が俺のほうに上半身をのり出してきて、急にまじめな顔になって聞く。「ねえおにいちゃん、そらのおっぱい見たい?」俺はあまりのことに声も出せずただブンブンと首をタテに振るしかできなかった。「ほら!」バスタオルの前が勢いよく開かれた。椎名そらの、いつもAVで見ていたあこがれの椎名そらの、あの白くてすべすべしてふっくらとまろやかで、ぷにぷに弾力のあるかわいい乳房が、俺の目の前でぷるんと揺れた。「あっ、あっ…!!」人は感極まるとカオナシみたいな声が出てしまうことを知った。「興奮する?」「うん…する…する!」思わず答えていた。

目の前に素敵な女の人がいて、自分を信頼して親密に身を寄せてきてくれるあの幸福感が脳を満たす。「幸せ物質」みたいなものがあるとしたらそれが体中を駆けめぐる感じ、2DのAVでは決して味わうことのないゾクゾクする感じがアダルトVRにはあった。もちろん相手が生身の女性だったらその歓喜もっとずっと大きいはずだが(長いこと感じていないのでどのくらいか忘れてしまった)そんなことはもうどうでもいい。少なくとも2Dにはそれがなく、VRにはそれがあるのだ。

心通じ合うパートナーがいなければこの先ずっと得られないと思っていたあの歓びを、わずかでも擬似的にでも感じることができたし、ゴーグルをかければいつでも感じることができる。そしてこの先まだまだVRゴーグルの性能は向上するし、きっと動画解像度も上がっていくだろう。素晴らしいじゃないかコロナにおびえながらキャバクラ風俗に通わなくてもいい。俺はもう、大丈夫だ。これさえあれば、アダルトVRさえあれば大丈夫だとわかった。生きていける。

anond:20210407203752

日本人貧乏=善だと思ってるからな。

誰もが平等に貧しくなる政策をすれば支持されるよ。

風呂掃除せず自発的掃除するくらい汚くなるまで放置するのが躾

これと同じでいっぺん道端に死体が転がってるような状態になるまでそこに疑いを持つことはないだろう。

anond:20210407202847

リーマンショック麻生内閣定額給付金1万円やった時はばらまきだ選挙目当ての買収だともっと叩かれてたから一切給付補償しないのが最善だった

震災復興税の民主党のようにコロナ税と称して増税だけやってりゃよかったんだよ

反抗期厨房10円で風呂掃除やれと言っても反発されるのと似たようなもんだろう

風呂掃除せず自発的掃除するくらい汚くなるまで放置するのが躾

コロナも下手に緊急事態宣言自粛要請せず欧米並みにバタバタ死なせて国民ビビって勝手自粛するようにすればよかった

2021-04-06

anond:20210406154303

いいたいことはわかるけどそれは無宗教とかではなくて「無信仰信仰方法自由(とりとめのない・まとまりのない・定型でない)にしてるということではないでしょうか

信仰宗教は違うのかというとそれはもう文字意味も違うので違うのだと思います

どの神様に、と選べる時点で無宗教宗教宗派に属していないといえると感じるのは、選択できる範囲や競合をできる組織体内にあるということでもないし完全に別団体に属したものを選べることを自由(無節操さ)だといえるところからです

宗教に属す宗派に属すということが「その教義の行動規範に則る」べきであるというところからになるでしょう

宗教は人の考えや行動を縛り自由を奪うものなのかといわれたら、言い方次第ではそうだといえるでしょう


自由という範疇についてすこし絞っておくと

自由を奪うことは罪であり悪であり宗教道徳といった観念から排除されるべきものととらえるのは早計でしょう

選択肢として明示し行動として示したものを許諾の例として言葉にしなければ実質制限されていることも自由範疇におさめることができます

どんな宗教悪事自由ではなく制限され道徳権利自由からそれらを排除にむかわせるべきだとしていますが時に悪事とされる善行にあたることもあるでしょう

自己犠牲として自発的に損失を被ることについて、自己犠牲になりたいと思った本人の行動がどこからが本人の意思決定であったか、その根源たるを他の人の意思であるというところまでつきつめると洗脳による自害自損ともいえるでしょう

それがどこまで近い段階であっても言葉にしなければ「美しい自己犠牲」とも言えるわけです

自由で公平で自発的なのか、恣意的他人欲求だったのか、視野自由にできるのならどれも自己責任でありますし、どれも他人所為でもあります

この定義方法を、議論考察研究文化形成生活安全性自発性に任せる部分を安全かつ効率的に使うためには関係者認識共通させる必要があります

その基準定義宗教なわけです

Aの宗教ではこれをしていいが、この場面ではBの協議にしたがう、Cの教徒とおなじ慣習をもちつつ、Dの祝い事に参加する、これが問題なのは主催者の意に沿わない参加者が発生するということです

その土地では年齢や性別に大きく関係する分類や層づくりがあって行動様式がある、それは土地の形状や生産物文化継承方法について試行錯誤の結果できたものだとして、それをどの視野範囲からかわからないけれども否定をする必要性や異なる文化への融合を促進する必要性など、人の欲求という根源以外にないわけです

これをもとに行動を個人が大きく他人を巻き込むと、独占的な判断継承されるべき文化や人々の生活などがその人の基準のみで変化しま

民主主義多数決といった構造で全体的な存続と発展の利をとるために組織されている一つの目標団体が、多目的に他情報積極的に取り込み侵食する必要はないのです

日本は結果として無宗教という無制限で垣根のない侵食を行える体制がありますが、これが陸続きの土地ならば過去大陸を大幅に占領した戦争などに近いことになるのではないかと思います日本島国日本以外にその文化も習慣もひろまることがありませんでした

この自由という行動者にとってだけ都合がよくて状況を受ける側の圧倒的不利さをせき止める防壁として戒律などがあります

培ってきた文化財産、知恵や技が家族一族を存続させるために必要であるのに、ただ血脈のなかでも一人秀でた人がいたので対応できる新技術に乗り換えたとしたら、次の世代一族はそれを継承できるのか、できなかった場合についての対策をしなくてはならないのではないか、その保守性などが宗教という組織体自由制限自由を得るための礎となるわけです

自由自由みたいなことになってしま言葉の使い方が混乱を招くわけですが、選択権を握るためには選択できる手段をもっていなくては「自由選択することすらままならなくなる」のです

両手にあまる自由をふんだんに持ち選んだりえらばなかったりすることができる、という状態自由ともいえますが過剰な供給で十分に生活ができなくなり結果として選択ができなくなる状態においこまれることを自由とまた同じ言葉で表すのは、理解をもとめるためには効率的でもないし意味のないことでしょう

自由という状態を過剰に与えるということは選択しないという自由を与えることにもなってしまう、つまり自由侵害するために自由供給されているともみれます

選択肢を狭くすることで状況を予測やすくする、想定した状況にあわせて対策を行い対処し乗り切る、その中にある判断や行動の種類の多さについて自由という言葉を使うべきなのではないでしょうか


さてお話を戻して宗教というのが行動を縛るということ、それは状況の発生予測を絞ることで行動の選択をしやす解決をしやすい方向へ導くためのルール規則単位である宗教のあるべきところだろうと私は考えます

宗教というならば、複数の神の名の下つまりコードネームのようなもの定義にある行動規範にのっとり判断し行動するという手段複数あるということになるかもしれません

それが戒律を越えなければ可能かもしれませんが、健康文化による財産生産を失う可能性があるものだとすれば到底受け入れられるものではないはずです

日本調理方法さえまちがっていなければ牛でも豚でも鶏でも食べれます これは宗教によるものということでもありますがこれは宗教による教育と統率が必要いからです

気温が50度を超える環境冷蔵庫家屋に扉が密閉できる状態でなく、電気も家庭に全てあるわけではなく、調理方法も保管方法も十分に洗浄された水が供給されていない状態無宗教日本とおなじ文化必要とする人権を唱えたところで、人権を守るためにはその土地戒律をまもったほうがより安全ではあるということがあります

これ豆知識としてこの土地では、という情報が何年間、どの範囲でどこまで残るものでしょうか

それを残すための独立組織宗教団体です

お布施などで共同運営しだれのところに優遇されることな中立でいて安全のためだけに情報継承する立場聖人という代替概念でその尊厳意味づけて形作っているのが宗教です

これを複数またいでいいとこどりをするのが、経済力などで圧倒的に安全性保障を引き受けられる個人団体、または暴力などで制圧した強制力でなければできないでしょう

その場ごとにルールがかわるのであれば、みな知恵などなくその場で判断した欲求をそれぞれに解消していけばよいだけです


日本無宗教なのはほとんどの生活行動範囲安全なため危険回避するための教えが伝承される必要がなくなっているところです

交通安全山登り川遊びで人は死にます これを避けるために必要な教えがあるはずですがこれらの発生原因をほとんど人に置き換えられるのが現状です

まり神様によって救われたり悪魔によって害をなされたりするわけではないので概念ではなく「責任者賠償要求する」という解決方法が人のあつまりにおけるルールになっているのです

責任者不在の害を受けるところには近づかないという行動規範定義づける必要がないため宗教に縛られることがなくなるのです

個人や団体において弱みや充分に練度の高まっていない部分にほかの人が了承を得ながら近づいてきて根こそぎもっていかれる、なんて詐欺犯罪から身を守るための小規模な団体の積み重ねや知恵も裁判で公平に、などと考えているかもしれません

それぞれの個人責任において自由という自分からみて選択肢が複数あること、それが他人からみて自分を奪い取る対象にしている人からもおなじ数があることが公平、といった形でそれらの安全担保しているのが政府国家がいざとなれば自分という個人をまもってくれる、その象徴日本人にさえうまれれば日本人の象徴として存在している天皇自分日本人だとして人権自由国家を通じてまもってもらえるはずだ、と言葉にはしていませんが実質その構造をもっているのが日本人の宗教といえば宗教ではあるでしょう

その宗教に属しているからこそほかの宗教に属さないということはあるかもしれません



男性女性は、と議論をするときにまず男性女性議論であればその人数から層や傾向を定義してその話をするべきでしょう

宗教宗派戒律ルールもそうです

男性100人いればそのうち5人が、女性ならば8人が、という割合や、具体的に割合から引き出された数字で話すときは「でもそうでない人がいるでしょう」とはならないはずなのです

「それ、あなた感想ですよね」ってそれは人が人の口から言っているのでその人の責任における言動あきらかでしょう

その進めたい方向と目的にあわせて議論をすすめていくところに、ルールことな干渉があるとどうなるでしょうか

いまは「そういう例の人」という100人以外でかつ数例、1例ごとに全然ちがう数例をもちだして100人構成比較議論する基準が「人であるから」というのではお話になりません

「それあなた意見ですよね」というのは誰の意見ならば、どの意見ならば、意見とは何人がどこから出せば「その人の意見」ではなくなり、その発信者責任を持つ言動以上に求められる言葉はなんの必要があるのでしょうか

裁判官が有罪と口にしたら「それあなた意見ですよね」と言うのでしょうか そうではないとしたらどの口で言うべきなのでしょうか

裁判官は裁判所のルールにしたがって、国家ルールに従って定義されたその役職で行動をしているわけでその人が構成であるということがそれらの代弁代行に意味なすことができるわけです

一人が自己責任権利において他の人に干渉するのであればそれこそ借り物の権利でほかの人の守られるべきと大きな組織定義している範囲侵害されるべきではないでしょう

これらルールにのっとり、ルール適用範囲ではルールに従った行動をし責任を果たし権利を得るという環境づくりが宗教というくくりであったり団体定義方法なのです


日本では、海外では、といったところで海外でしていることが日本でしていいのか、といった境界安全繁栄目的のために定義する最大が国家であり、そこから法的には自治体単位で、人のより能動的な生産や貢献活動の促進のために定義していない範囲だけれども、できるだけ広い範囲で知見を共有し無駄闘争議論を省き、豊かさへ行動するのに安心できるよう定義するのが宗教で、そこから地方ルールや家ルール個人ごとの約束などがあるわけです。

まり神様を何体コレクションするかということが宗教に属するということではなく、宗教ごとの福音をいくつ得たいかということが宗教に属すということではなく、自分宗教に属することで行動範囲限定利益を最大化するということ、これについて多くの人が専属的に属しているか、もしくはしていないかということにおいて、無宗教という属さない人が比較的多くいるということです

自由時間抑制しより賃金収入を拡大し効率化するためにサラリーマンになったり、収入を最低限にして自由時間を多く得るためにフリーターとなる、それらを選べる自由という選択肢の幅が宗教自由といったところでしょうか

会社につとめながら、フリーター自由さを味わい、フリーター責任の小ささを同じ労働をしている人間なのだからと訴えるのは、その組織に属している他の人が迷惑するということなのでそれを避けるためのルール戒律罰則があるわけです

複数の神を信仰する自由は、個人可能範囲自由謳歌してもらって問題ないのですが、異なるルールをほかの定義からもってくるのを禁止し、その傾向をできるだけ排除することで安定性と安心感、長期にわたる組織体の維持にあてているわけです

いかがだったでしょうか?

日本人が無宗教という表現に、いくつかばかり参考や選択肢の候補になりましたでしょうか?

https://www.asahi.com/articles/ASP4632NTP45UTIL04F.html

この記事に対する反応。

弱者男性女性に選ばれないのは仕方がない」的な事を言ってる人達が(それ自体は私も賛同する)

「「路上に4歳児、声をかけない大人たち」と言って、別に加害した訳でも何でもない、単に通り過ぎたというだけの周りの「大人」やそれを擁護する声を叩いていてびっくり

女に自称弱者男性を選ぶ義務なんかないのと同じように、親以外の大人は見知らぬ子供を助ける義務なんてないでしょ

善意好意自発的に示すものであって、他人強制するべきものではありません

女に自称弱者男性を愛する義務がないのと同じように、大人には4歳児を助ける義務もありません

なんで年齢が大人だってだけで、赤の他人積極的に助けなきゃいけない訳?まったくもって意味が分からない

子供を守るのは親の責任以外の何物でもないと思うよ

その通行人大人だってみんなそれぞれ仕事なり用事なり何なりがあって忙しくて

ましてやこのコロナ時代でしょ?

迷子だろうとなんだろうといちいち他人に声をかけてなんてられないと思うんだが

anond:20210406014150

そうやって障害者自助に(家族全体で)甘えた経験を「自発的にやってたから辛くないんだろう」という自己弁護すり替えてるだけですよね

本当に醜いのはお前だよ

2021-04-04

自由至上主義者として思うこと

国家国家を維持するためにある訳ではなく、ただただ個々の自由を最大化するためにある調整機構に過ぎない。

そもそも国家機構というもの本来的には不要のもの自助努力相互自発的扶助のもとで市民は生きていくべきだが、ホモサピエンスが愚か過ぎるので仕方なしに存在しているもんが政府であり国家

であるからして、国の未来のために出生数を増やすなんてものおかしい。

出生数は増えても減ってもいい。どちらにしろそれは個々の自由市民自由選択の結果の総体だ。

国家体勢の維持などより、そして何よりも最大限尊重されるべき事項だ。

また、このような議論でしばしば出てくる「人類、または生命目的自己増殖である」という言説も科学的でもなんでもない。

誰が言い始めたのか知らんが、生命を幾らひもとこうともその目的なんて理解はできない。

そうであるのなら、人類目的など存在しないと語るべきであろう。

異論はあり得ない。

以上の議論から共同体理論としても、生命体の理論からしても出生数を上向かせなければならない理由などない。

であるなら、出生数を上向かせるための種々の施策国家機関たる暴力装置権力暴走に他ならない。

またその財源として、税金を利用しているというのは認められる訳がない。

さっさと全てをやめるべきだ。

私は反出生主義者ではない。

生命というものは良くもあり悪くもあるだろう。

個々人の自由のもとで新規個体を生成する自由はもちろんある。

ただそれはあくまでも個々人の自由行使された結果に過ぎない。

社会共同体がそのような自由行使した者へ手を差し延べる必要断じてない。

自助努力でどうにかすればいい。

もちろん生まれしまった子供にも権利はあるから生存権自由権、そして教育を受ける権利は強く保障されるべきだ。

しかし、それもあくまでもフラット保障されるべき内容である

その両親が元の職業を難なく出来るようにしてあげるような生活保護のような発想は要らない。

減税をする必要もない。

彼等は自身自由行使したのだから、その自由のもとで責任を負えばいい。

金に困る自由人間にはあるのだ。

職に困る自由人間にはあるのだ。

権利制限されている子供へ直接の保障以外は正当性が一切ない。

増してや、不妊治療に公金を入れるなんて意味が分からない。

そんなものは個々の自由以外のなんでもないし、不妊生活が脅かされるような病気ではない。

そんなものに公金を使う正当性なんてある訳がない。

2021-04-02

anond:20210401154932

すでに壺も手に入らないのに反応が欲しいと言うだけで金投げてるから

自発的商品のないデート商法に引っかかってるようなものだな

anond:20210402110713

自分20代半ばだけど、とくに『女は男を立てるべき』なんて思わないし、世代レベルでもそういう価値観はもう古臭いモノと思われているように感じるよ。

ただそういう強制がなくなっても、相手(女→男に限らず)を立てるということが、好意の形や、対価を引き出す手段や、自己満足になり得るというのは世代が変わっても変わらないことだと思う。

しろ相手を立てることが強制ではないからこそ、自発的に行うそ行為意味を強めるんじゃないかな?

俺は男だけど、女性強制されているわけでもないのにわざわざ自分を立ててくれたら喜んでデレデレするよ。

プロフェッショナル流儀パワハラ係長〜1

この物語フィクションであり、実在人物団体とは一切関係ありません。

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パワハラ係長の朝は早い

始業1時間前に出社、清掃や取引先のメールチェックなど

業務の準備を始める。

自分より遅く出社する若手に喝を入れ、

仕事とは何かを教えるのがプロ流儀だ。

自発的に若手が業務前に仕事をしているので、

もちろん残業時間カウントされることはない。

(早朝出勤する場合時間外労働として手当を請求できる場合があります

昼休憩の時間に休んでいる社員を見つければ、

仕事するように活を入れる。

いついかなる時もサボらせずに仕事をさせることも重要だ。

(会社側には休憩を取得させる義務があります

長期に渡り休憩中に業務をさせることが常態化していると労働基準法違反になる場合があります。)

若いやつはすぐに楽しようとする、

サボろうとする、それを見つけ指導することが

パワハラ係長流儀である

今日もまた、退職を誓う若手社員が彼の背中を見つめている。

2021-04-01

anond:20210330201854

相手をイジることが、キャラ立ちを助けているって本気で言ってるのか?

相手自発的ボケたらツッコミ入れるのは会話のキャッチボールと言えなくもないけど

もしかして大津いじめ自殺とかも、いじめられてる子がリアクション芸人役で笑いをとってキャラを立ててやったと言いたいのか?

例のgoogle面接対策記事を読んで感じたこ

https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31

を読んで、ブコメ群を見ると病的だとか、「悪い意味で」頭を殴られたような感情になってしまう人が一定数いそう(私含め)と感じたので、エンジニア向けのみならず、もっと一般向けに上の話を例えてみる。なお、上の記事批判してるわけでも称賛しているわけでもないのであしからず

これは、モテる男性から、「自然女の子と話せば彼女できるよね」というモテアドバイスを貰ったとき気持ちにとても似ている。

モテる人の立場からすると、普通の、だが実体験に即したアドバイスに聞こえるだろう。一方で、真剣女子モテたいと切望する諸君立場からすると、これは3つの点で期待はずれな回答だと思う。

1: 自然にやっててダメなので、再現性のあるメソッドが聞きたかった。

2: 自然にやっててもやっぱりダメ自分という劣等感コンプレックス増長される。(そういう感情を抱かなければこの後の文章スルーで良いよ)

3: 2のような卑屈なことを考える自分に対する自己嫌悪

自然に振る舞っていてもモテなければ」意識して異性から好かれるように日々努力を重ね、可能性を高めるしかない。ということである人はサークルに入り、ある人は清潔感を保ったり、ある人は結婚相談所に駆け込んで第三者からアドバイスを貰う。こうした自発的な行動によって場数を踏んでいくことで次第に良い感触を掴んでいく。

上の記事にもどると、なんとかgoogle(や他の外資系待遇の良い企業群)に入りたいという気持ちから、おおよそ普通~ある程度経験の積んだエンジニアはleetcodeなどをやって競技プログラミングスキルを身に着けたり、コンピュータサイエンスに近い分野の本を自分なりに理解するように努めたりする。(競技プログラミング善悪の話をしているのではなく、そういう手段面接に通過する確率を上げるというだけの事実の話をしてる)

しかしながら、「自然コンピュータサイエンスに向き合っていれば、面接友達お茶をする程度で済む」と言われても、いやいやそれはモテる側の立場強者理論でしょとなる。

必要能力は「椅子に座れること」「四則演算ができること」「本が読めること」というのは、モテる人の比喩に例えれば、「椅子に座れること」「会話ができること」「スマホを持っていること」となろうか。

強者にとってまっとうな実体験に即したアドバイスでも、弱者にとって見れば残念ながらコンプレックスをえぐる言葉しかない。万人にとって良いアドバイスというもの存在しない、といえば聞こえは良いだろうが。

ということで、上のgoogle面接対策記事は、意識して努力するよりも自分の得意な(友達お茶をする程度で自然とできる)分野で勝負すべき、という身も蓋もないという小噺だと思ったほうが良いです。面接対策でleetcodeなどをやって苦労してるんだけど、という感想を抱いたり、ソフトウェアエンジニアでのステップアップに限界を感じていれば、それは「友達お茶をする程度」の感覚の人には勝てないので、得意なこととの掛け算で勝負するのが現実的な勝ち筋にみえます

2021-03-30

anond:20210330010647

多めに払ったり少額建て替えたりしていたけど自分の買い物を優先して借りた金を自発的に返さないやつだったから虚しさしか残ってないわ

金のやり取りはパパとPJ関係だけにしておけ

2021-03-28

anond:20210328182626

そら産業自体が未発展で簡単仕事がいっぱいあったからなあ

定年で言うなら日本以外の国は定年制度がある方が珍しいぞ。でも実際は歳取ると雇ってもらえなくなって自発的引退せざるを得なくなる。

2021-03-26

anond:20210326112653

書きたい奴だけ自発的に書くのはいいけど

書いてくれって回すやつは鬱陶しい。

あんなもん貰った方も義理で当たり障りのないこと書いてんな、としか思わんのに。

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