はてなキーワード: 空疎とは
本当に何も中身がないというか、
年齢がいっているようだが、IT業界の実務経験があるわけじゃなし、
理工系の学歴があるわけでもなし、「これは」という専門があるわけでもない。
PCWatchの清水さんはネットワークに強く、他にもモニタの色調だけに特化したライターさん、
アメリカのIT動向に特化した人などもいて、それぞれためになることが多い。
スタパ斎藤さんなどもガジェットに強く、実際に購入して触っているから、記事に説得力があるのである。
内容は本当に「一般PCユーザーが気づくこと」を水増ししているだけw
しかもそれが20年近くいっこうに改善されないというのが稀有だと思う。
年齢的にも70近いようだし、もうこういう中身のない人は消えていくだけだろうなと思う。
意味のない空疎なモニュメントとして、最後の存在になると思う。(彼以外のライターはすべて読む価値があるのだから)
もちろん記事を書いているということはこういう批判を受けるのも覚悟の上だろうし、
実力がある若手にその枠をゆずるのが、彼にとって社会に唯一できる貢献だと思う。
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/config/index.html
今の日本の政治家って、次の二つの極端なタイプの政治家しかいなくないだろうか。
1)「会食政治」が大の得意で、インフォーマルな場での調整能力には長けているが、政治的なビジョンはゼロで、表で喋らせると失言王。
2)メディアに受ける威勢のいい「改革」アピールやキャッチコピー作りは上手くても、政治理念としては既得権や税金の無駄を攻撃するだけというネガティブで内容空疎なもので、実務能力や調整力もほぼゼロ。
維新の会もネオリベ改革派の顔をしているけど、共同代表が自民党旧経世会系出身の片山虎之助で、あの鈴木宗男も所属していることを忘れている人が多い。改革なんて実は一番嫌いなタイプの、調整型政治の生き残りのゾンビみたいな政治家が、実際のところ維新の会を仕切っている。
本人たちは貧困層大事だ、生活保護大切だ、みたいに心底思っているかもしれないけれど、自分たちの政治的思想をひけらかすことがいくら隠しても滲み出ているから、生活保護擁護に回りたくなくなるんだよね。公立中は動物園があれほど星を集めて支持されたはてブで、「生活保護受給者を見下しているわけではない」なんて信用できないしさ。
こんなこと言っているけど、そもそも安倍はバカでサイコパスで愚劣でどうしようもないというのがはてなの共通認識であったよね。で、その安倍路線を100%継承した菅政権ももちろん暴れているわけで、真っ当な政府の役目を果たすなんて期待するほうが間違っているんですよ。だって、バカで愚劣でサイコパスな安倍政権で中核を担って、その路線を継承した菅さんだからね。はてな民はこのことを重々承知していながら、上のようなことを言ってるんだから、傍から見れば安倍父さんや菅じいさんに対する甘えにしか見えない。政府なんて最初から信頼できないんだから、政府支援抜きの人生設計を示したり実践しなよ。
なぜ本来はまともな言説が支持を集めず、信頼されず、自民や維新が跋扈しているのか。この現状の裏には、いわゆるリベラルのいろんな問題が凝集されているんだよ。
Twitterをやめてしばらく経つと、あのオタクしかいない環境の異常さが身に染みてわかる。
Twitterのオタクは成人式に行かないのが面白いと思ってるらしいけど、外から見れば意味不明だし面白くも何ともない。行きたくなきゃ行かなければいいだけで面白い面白くないの問題でもない。
自分では特に何も生み出さず、流行りのアニメやコンテンツをただ追って、ネットミームには無駄に詳しくなって、TLに流れてくる誰かのツイートで政治や社会について知った気になり、その割には知識は偏っていて大学レベルの教養も無い。
大学受験ではエリートだったから高校までの勉強や価値観で時間が止まってるんだろうな。
陽キャラ死ね!とか言ってる割にはやたらオタク同士で群れる。面白くない奴の集まりだから当然内輪ネタも面白くないんだけど、厄介なのは留年したとかバイトブッチしたとかいうのも面白いコンテンツだと思ってること。生活力が無さすぎてボヤ出した挙句実家に強制送還されたオタクがいたのは流石に悪い意味で面白かったけど。
そういう環境にいると自分がどんどんおかしくなっているのに気づかない。あいつらって内輪でしか通じない言葉作るの好きだよね。
オタクは何故か「就活」というものに嫌悪感持ってるから、ろくに対策もしないでいきなりインターンとかGDに送り込まれる。で、自分が何者でも無いことを思い知る。
今まで身につけてきたネットユーモアとかアニメとか内輪ネタは世の中で全く相手にされないし、知識も偏ってるから言うことも的外れになっている。結局のところまともに語れる経験がない。
それは当たり前で、普通の大学生がサークルやらボランティアやらゼミで学んできた時間、彼らは誰かが作ったコンテンツに群がって同じように空疎なオタクたちと無為に過ごしてきたから。
オタクは面接が苦手というが、内輪でしか意思疎通してこなかったり話のネタになる経験もなかったりするんじゃ当たり前。で、大学受験の成功体験から抜けられないから有名企業ばかり受けるし、学力に自信があるのか筆記の公務員試験を受ける。だいたいオタクで公務員試験失敗してるのは面接なんだよね。そらそうだろ。
以上、半分自己紹介と半分周りのオタクを見てきた経験から書きました。3年生の夏にギリギリこのことに気づいたからなんとか就職できましたが、たまに昔のアカウントを見ると何年も変わらずオタク同士馴れ合ってる連中を目にする。元同期のオタクはTwitterウケ狙いでめちゃくちゃニッチな専攻を選んで、就活も苦戦中らしい。
それでは皆様ご機嫌よう。
Twitterをやめてしばらく経つと、あのオタクしかいない環境の異常さが身に染みてわかる。
Twitterのオタクは成人式に行かないのが面白いと思ってるらしいけど、外から見れば意味不明だし面白くも何ともない。行きたくなきゃ行かなければいいだけで面白い面白くないの問題でもない。
自分では特に何も生み出さず、流行りのアニメやコンテンツをただ追って、ネットミームには無駄に詳しくなって、TLに流れてくる誰かのツイートで政治や社会について知った気になり、その割には知識は偏っていて大学レベルの教養も無い。
大学受験ではエリートだったから高校までの勉強や価値観で時間が止まってるんだろうな。
陽キャラ死ね!とか言ってる割にはやたらオタク同士で群れる。面白くない奴の集まりだから当然内輪ネタも面白くないんだけど、厄介なのは留年したとかバイトブッチしたとかいうのも面白いコンテンツだと思ってること。生活力が無さすぎてボヤ出した挙句実家に強制送還されたオタクがいたのは流石に悪い意味で面白かったけど。
そういう環境にいると自分がどんどんおかしくなっているのに気づかない。あいつらって内輪でしか通じない言葉作るの好きだよね。
オタクは何故か「就活」というものに嫌悪感持ってるから、ろくに対策もしないでいきなりインターンとかGDに送り込まれる。で、自分が何者でも無いことを思い知る。
今まで身につけてきたネットユーモアとかアニメとか内輪ネタは世の中で全く相手にされないし、知識も偏ってるから言うことも的外れになっている。結局のところまともに語れる経験がない。
それは当たり前で、普通の大学生がサークルやらボランティアやらゼミで学んできた時間、彼らは誰かが作ったコンテンツに群がって同じように空疎なオタクたちと無為に過ごしてきたから。
オタクは面接が苦手というが、内輪でしか意思疎通してこなかったり話のネタになる経験もなかったりするんじゃ当たり前。で、大学受験の成功体験から抜けられないから有名企業ばかり受けるし、学力に自信があるのか筆記の公務員試験を受ける。だいたいオタクで公務員試験失敗してるのは面接なんだよね。そらそうだろ。
以上、半分自己紹介と半分周りのオタクを見てきた経験から書きました。3年生の夏にギリギリこのことに気づいたからなんとか就職できましたが、たまに昔のアカウントを見ると何年も変わらずオタク同士馴れ合ってる連中を目にする。元同期のオタクはTwitterウケ狙いでめちゃくちゃニッチな専攻を選んで、就活も苦戦中らしい。
それでは皆様ご機嫌よう。
童貞(推定)でうつ闘病中で無職で女との交流を金で買う男が、自分をずいぶん高く見積もってて、更に他人を値踏み(差別)できるもんだよねぇ。
非モテとか中年男性のうつのある種のケース(すべてのケースではない)って、自己評価が無駄に高すぎるくせに、自尊心が斜め下に低い傾向がある。まぁ自己評価と市場評価のギャップに耐えかねて発症するのが抑うつ傾向だったりもするわけだが。
彼らの無駄に高い(そして空疎な)自己評価は、かつて主流だった「男ならこうあるべし(例えば一家を養って一人前とか)」が、自分も何らかの努力をせずに当然達成できるものだという謎の勘違いが隠れてるし、斜め下に低い自尊心は、当然達成できたはずの「男なら最低限」が達成できていないことの理由をすべて外部化してしまう(女が悪い)ことにある。時代が変わった不幸もあるが、昔だって、あんな風に周囲を見下してる人に手を差し伸べる人は多くなかっただろうと思う。
まぁ、現状の情けない姿は、過去の積み重ねの必然でしかないよね…。せめて鬱が改善して、まともに仕事ができるようになるといいね。
一日の終わりにはできるだけ目を使わないようにしようと思った。
目が覚めてから寝るまで、常に何かを注意して見ている。スマートフォンやタブレットが生活の中に入り込んで来てから、画面を見て何かを読むのをやめられなくなっている。人間は視覚を好むと言っていたのはアリストテレスだったか。大学で哲学の授業に出たのはだいぶ前のことだからうろ覚えだが、現代人は視覚を好みすぎて酷使しているような気もする。
仕事帰りに新宿の西口でラーメンを食べた後、ヨドバシカメラに寄って、小さなラジオを買ってきた。ラジオしか聴けないようにするためにラジオが欲しかった。
ベッドに入って電気を消し、ラジオの電源を入れる。小さな液晶にオレンジ色の光が灯り、周波数を表示する。ダイヤルを回すと、ザーッという音が聞こえる。
そういえば、番組と番組のあいだ、周波数と周波数のあいだには、意味をなさない、あるいは意味を読み取れない雑音の海があった。アプリで文字や画像をタップするといつも目的のコンテンツに一瞬でたどり着くことに最近はすっかり慣れていたから、そんなことも忘れていた。
ダイヤルを回し続けると、雑音は不意に音楽に変わる。この、無秩序から秩序への移行を一瞬に知覚する時の感じも、ずっと忘れていたことが信じられない。
ボサノバの旋律が、やけに遠くから聞こえてくる。チェーン店のカフェでお昼を食べるときに天井から降ってくる、ありきたりで空疎な環境音のボサノバ。それが今はどこか遠くから、大切に、丁寧にこの小さな箱まで届けられた音楽のように聞こえる。これはきっと、もともとはそういう音楽だったのだという気さえしてくる。
音量のツマミを回して次第に音を小さくすると、かなり小さな音でも音楽や人の声は識別できることに気づく。スピーカーに耳をつけてようやく聞こえる程度でもそれはさほど変わらないことにも。暗くした部屋でラジオの微かな音に耳をすませていると、落ち着く。
音楽よりも好きなのは、天気予報だ。各地の天気や気温をアナウンサーが静かに読み上げていくのを聞いていると、ただ時間が経っていくのを感じられるというか、なんだか豊かな気持ちになる。さらに好きなのは各地の気圧で、ヘクトパスカルがただ読み上げられていくのに暗闇で聴き入っていると、世界はすでに戦争で滅びかけ、自分はシェルターで生き延び、よく知らない政府の発表に立ち会っているかのような、何かに包み込まれた不思議な隔離感がある。
感じられている暗さが室内の暗さなのか、まぶたを閉じているときの暗さなのか、音の途切れは電波のせいなのか、自分の意識が飛び飛びになってきているせいなのか、もうわからなくなってきたら、ツマミを回し、音を完全に消す。
久しぶりに、薬を飲まずに眠ることができた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.timakin.com/posts/hacker-and-suits/
IT技術者のイメージが確立した頃のITというのは基本的に技術が収益性を決定していた。ビジネスの人間からすれば「おかしなこと」で、普通に考えれば顧客が何を求めているかが問題だ、という意識があったはずだ。
例えば、(フォードの速い馬車という意味ではなく)顧客がミント味のガムを求めていることが判明したとする。当然、ミント味のガムを製造すれば儲かる! のだが、ITでは「ミント味のガムを製造することを認めてよいかどうか」を決めるのはエンジニアであり、そしてエンジニアは実装言語の仕様書を読んでいるだけで、更にその仕様書は半導体ベンダが決定し、加えてその仕様書も主にカリフォルニア辺りの国立大学の発明を言語化しただけのものだ。つまり、ITにおいては、顧客が何を言おうと、経営者が何を提供したくとも、カリフォルニアの国立大学の研究室の学生が決めたルールに逆らうことは許されなかった(経営者的糖衣構文を使わずに言えば、実際に技術的に不可能)し、商業的に成功するプロジェクトとは「ルールの中で安価に実現可能なもの」と「顧客が欲しているもの」の共通部分のみを的確に選んで提供することができたプロジェクトだけだった。「技術が分かる経営者」とは、現時点の最新のルールを深く把握し、損益にどう出るかイメージを掴みながら商品企画を選べる経営者だった。
ただ僕も不思議だったのは、3[他部署を巻きこみプロジェクトを推進できる]にいるエンジニアですら「事業がわかる」エンジニアとしての評価を得られないケースがあると言うことです。ユーザーにいいものを届けたいし努力をしているつもりだけど、膨大な負荷がかかっているし経営層は何もわかってくれないということで、奥歯を噛み締めながらその場を乗り切っている方は少なくないのかな、と思います。
これはまさに「技術が収益性を決定するのは、本来はおかしなこと」という経営層の理解と、「現世で現実的に可能かどうかが最優先」というエンジニア間の乖離ではないだろうか? 経営層は顧客に価値を提供して対価を受け取りたいのであり、学術的な努力目標を数多く達成したいわけでは、本来はないのだ。だから他部署を巻き込んで膨大な負荷を受け止め新しい技術的知見を得ても、まったく意味がない。過去、技術的な制約を解除することには大きな意味があった。今はそうでもない。高い技術それそのものによる金銭的価値は少なくなったのだ。その結果、顧客が支払う金銭を最大化する製品設計の価値は上昇したし、そもそも元から低くはなかった。
そして、もちろん実行力も大事なのですが、彼らとの共通言語を持った上で会話ができる、具体的には採用方針を考えたりビジネスの状況を踏まえた塩梅での技術選定をしたり、さらには企業の将来像を共に議論するというある種の机上のフェーズですら、彼らは欲して止みません。それさえできれば多少の評価が得られるというのが、隠れた事実のように感じています(もちろん、それが良いとは言ってません)。視座が4にあるだけで相当な評価を得られるということですね。当然議論してるとしばらくしたら人事や社内管理、事業のブラッシュアップ、営業など、全ての方面で駆けずり回ることにはなるのですが。
となると、自らのキャリアに集中したい、技術力への危機感がいい意味で強いエンジニアであればあるほど例の三大美徳に殉じた方が技術者として成長するし、それで評価を獲得できる会社に転職するのが良い、となります。そして経営層からしてもそういうタイプの人だと同じレイヤーで議論をしてくれることへの期待値が高くないので、自然と「事業をわかって」くれないタイプだと見做して配置換えを行います。全てではないですが、こうした負の循環によって過剰にテックリードがいる組織が僕の頭にぼんやり浮かぶことがあります。
「優れたエンジニアは汎用的な問題解決能力が高く、その能力を是非とも経営でも生かしてほしい。あとは興味を持ってくれる人がいるかどうかだけなんだ…」という意見を経営層が漏らすパターンはこっち寄りです。そしてあくまで個人の嗜好性の問題なので、解決難易度が非常に高く、共通解も存在しません。1つ目の問題のように配置換えで多少解決できることではありません。
以上のような理由から、経営層はエンジニアにも「事業をわかって」欲しいと思いながら、その期待値を高く設定することができずにいるという印象を受けました。
まとめると、既存製品の改修にしろ新製品の企画にしろ、採用や企業内の人員配置にしろ、サプライヤや親会社との折衝にしろ、まず収益性をKPIに選び、検討項目を洗い出し、貪欲に裏付けを持って改善するエンジニアの能力を活かしてほしいという話だ。顧客からの売り上げを最大化する商品企画ができないエンジニアが多い、それが要点だろう。この文章にはエンジニアと経営者の言語が疎通しない理由が詰まっている。話の要点を短くまとめていない。要点をまとめないことを要求している。要点を省いている。だから技術的な制約と戦うエンジニアには通じないのだ。正直に「企業は顧客からの売り上げで成り立っている。だからできれば商品企画の段階でも収益性第一で企画進行が出来る奴が欲しい。そして社内外を問わずオジサンが求めているのは常に出会いだ。だから収益の話をグダグダ伸ばせること、酌ができることは必須だ」と言えばいいのだ。
オッス!みんな!! 安倍首相、辞任を決意したな!!
すでに辞任会見が開かれたのは周知の通り。で、他のSNS利用者が安倍ちゃんの辞任にどんな反応をしているのか、ちょっと集めてきたぞ。いいね数順に並べたが、急いで書いたので見落としがあったらゴメンな!!
TikTokで若者たちがみんな安倍ちゃん支持だったことに、ちょっと前に小山晃弘が衝撃を受けていたことがあったね[1]。それを受けて白饅頭が記事を配信してたっけ[2]。そして、肝心の安倍ちゃん辞任にどう反応していたかと言うと、例えばこの動画。
https://www.tiktok.com/@ociocikun_pon4.29/video/6865947692191812865
安倍ちゃん辞任当日にアップロードされて、ちょっと前に確認した時点で370万回再生、40万いいね・24万のコメントがついている「安倍さんお疲れ様」動画の代表的なもの。それで、コメントの方を見ていると、みんな「安倍ちゃんお疲れ様」系ばっかりなんだ。コメントでいいねが多いものをいくつか取り出すと次の感じになる。コメントに対するいいね数はPCのブラウザでは確認できない(?)みたいだから、コメントの末尾につけていおいた。
8年も続けられたこと凄いと思うな。総理大臣って精神的にも体力的にも疲れる仕事なのに、ここまで頑張ってくれたことに感謝しかない。お疲れさまでした。(2万2千いいね)
他にも250万回再生されたものもあるし、数十万再生されているものもたくさんある(見たい人は「安倍さんお疲れ様」や「安倍さんありがとう」とかでTikTok内検索して)。いずれにしても安倍を労う調子のコメントが多数で、大量の「いいね」を獲得している。
首相官邸の投稿が「JKより上手い」「お役所感がない」とかいって話題になっていたInstagram[3]。首相官邸アカウント以外にも安倍晋三の個人アカウントがあって、そちらの投稿の方がコメントが盛り上がっているので、いいね数順に見ていこう。
僕は、中学生でクラスをまとめるだけでも大変なのに、安倍首相は、国という大規模なまとまりを、まとめてくれていたのは本当に凄いことだと思います。
安倍総理。本当に長年🇯🇵日本国のために尽くしてくれてありがとうございました。先ずはご自身のお身体をゆっくり休めて体調を整えていきましょうね。
潰瘍性大腸炎という病は腸をぎゅっとつかまれるような激痛、トイレの回数も1日で30~50回・昼夜問わずだからまともに眠れない…そんな状態の中で重大な国政を熟慮断行は本当に大変だったと思います。
この辛さを理解してない輩がいい加減な感じで『逃げだした』『中単なる腹痛だけだ』とか何て簡単に報道するのは許せないです。
潰瘍性大腸炎の治療として白血球除去療法は、人工透析のようにしばらく毎週通院しなければならないし総理のスケジュールをこなすことも難しいと判断されたのかもしれないですね😢
長きに渡り、日本のリーダーとして頑張って頂きまして、本当にありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。
色々と世論のご批判はあると思いますが、安倍総理が一番人間味があり、素晴らしい方だと私は思ってます。他の政治家よりも様々な問題に真面目に向き合っていると思ってます。だからこそ8年もリーダーでおられたのだと思います。これは誰もが否定できない真実、事実です。
これからは御自身のお身体としっかり向き合って、ご病気が少しでも回復することを心から願っております。
私はある駅前の街頭演説で総理に会いに行きました。そしてお話を聞いて、総理とハイタッチをしました。その思い出は私の本当に宝物です。
私は日本人ではありません。外国人です。でも私が日本に来た時から総理は安倍総理です。ずっと安倍総理を応援してきました。日本は本当に素晴らしい国です。
最後になりますが、本当にお疲れ様でした。本当にありがとうございました。(266いいね)
お疲れ様でした‼︎
他にもまあ、似たような感じのコメントで溢れていた。
2848コメント集めた安部の投稿。いいね数が多い順に並べる。
「総理大臣は誰がやっても同じ」と巷では言われていましたが、それが大きな大間違いであると実感したのが第二次安倍政権の誕生でした。
今は健康回復に注力して下さい。
会見で未だに所謂モリカケをネタに質問した間抜けな記者がいましたが、こういうマスコミの垂れ流す報道で多くの国民がミスリードされ、その為国政が停滞しました。我々国民も真実を見極める目を持たないとダメだと痛感しています。(428いいね)
長い間日本の為に自らの身を削って戦ってくださいました。
本当に御苦労様でした。
病を押しての激務、大変だったと思います。
安倍総理、長きに渡り本当に本当にありがとうございました。一国民として心から感謝いたします。まさに身を削って国民のために頑張って下さいました。
安倍首相。長い間、日本を守って頂き、ありがとうございました。首相は間違いなく後世評価される政治家の1人だと思ってます。しっかり養生されて、日本を見守って下さい。(150いいね)
「青山表参道はカフェにパンケーキとおしゃれな店が多いのに、秋葉原はラーメン屋にがっつり系ばかり、築地場外は海鮮丼屋ばかり」みたいなことを言われても。
こういうはてブが相対化される機会は大切だと思うで。しばらく選挙もなさそうだし。
せやね。勢いでタイトルつけちゃった。極左というより反アベだね。
今から考えると、このツッコミどころを足がかりにしてブコメしてくれる人たちが結構いるみたいだから、まあいいかって気分になっている。
安部の支持率・不支持率で言うのなら、「安倍支持の3-4割は洗脳状態」っていうブコメが100スターを獲得しているのが、はてブの世間ズレっていう意味ね。
それとブコメで指摘して頂いた方がいましたが、日経とテレビ東京の緊急世論調査で安倍ちゃんの7年8ヶ月の実績について、実績を「評価する」と「どちらかといえば評価する」と答えた人は合計74%、「評価しない」と「どちらかといえば評価しない」の合計は24%でしたね。支持率は55%まで上昇して、不支持率は37%まで下落。同情的なものもあれば、失ってから価値を実感したみたいなものもあったんでしょうね。ところで、1329ユーザーがブクマした「壊すだけ壊して何も成し遂げなかった7年半だった」という記事のブコメでは、腐敗や空疎な7年8ヶ月だったそうですけど、緊急世論調査との乖離がヤバいね……。世間とほぼ正反対だわな。
わかる。世間との乖離はとても感じている。でも世間がほんとによくわからないのだけども、それは自分が極左?なのだからなのかなぁ。政策とかじゃなくて、法を守れ、ズルするな、説明しろ?って普通じゃないのか、
まあ、公文書改竄とかモリカケ桜やお友達優遇とか色々と腐敗政治に憤りがあるのはわかる。これは一般の人もそうだと思う。ただ、一般の人はそういった汚職や腐敗にいつまでも固執はしないとも感じる。バラモン左翼の興味は他の社会問題よりも汚職に向きがちということと、そしてバラモン左翼が一般大衆から支持を集めていないことを考えると、ちょっと興味深いところ。
朝日新聞とか毎日新聞、共同通信、時事通信とかには、はてブボタンがついているからね。5chの嫌儲板やなんJ辺りは、便所の落書きで自分たちが良識とは程遠いことをよく自覚しているからさ。
RRDくん。もう立派な中高年で透析も長いし、安倍ちゃんもひとまず退いたのだから血気盛んにケンカ売っていないで、とりあえずゆっくり休んどけよ。
ちょっと思ったんだが、はてな村は現実世界の沖縄県的な感じで、色々政権に不満はあるけど、それを変えるにあたって力は遠く及ばずって感じかな。野党が正面から安倍政権を倒すことは結局成し遂げられなかったしね。なら日本脱出をすればいいけど、能力的にそれも厳しいか。まあ、英語の勉強法をよくブクマしている人たちは出来たりするんだろうけど。とりあえず、コロナの間に準備でもして日本脱出頑張ってください。はてブでエコーチャンバーに浸かって、オナニーばかりしていても仕方ないだろうしさ……。
職業の代名詞となり、特権的な地位を得ているのか不思議でならない。
別に金を得るためだけなら今でも不足している職業はいくらでもある。
匿名でなければ言えないことだが、それこそ介護士などはその端的な存在だろう。
あれだけハードで精神的な負荷もある仕事があの待遇でも人が集まるのは
それしか行き場所のない人たちが世の中にはいて、やむにやまれずその職業を選択しているからだ。
ネットで他人事の空疎な議論をしていられる立場の人間の生活は、そういう人たちによって支えられている。
そして多かれ少なかれ、世のほとんどの人は似たような理由で職業を選択し、生活のために労働をしている。
働かなくていい人も、好きなことを職業として選択している人も、やむにやまれなかったという理由で言えば、同じ貴族だ。
それに比べれば、風俗嬢は生ぬるい。
他の職業を選ぶこともできるのに、自ら進んで風俗嬢をやっている。
そこに短時間高単価だからという以外の理由があるのなら、聞いてみたい。
そしてそういう選択肢が男性にはあるのかということも問い詰めたい。
https://anond.hatelabo.jp/20200322025040
They walked along by the old canal
A little confused, I remember well
And stopped into a strange hotel
( ・3・) ふたりは古い運河に沿って歩いた。少しまごついていたのをわたしはよく覚えている。そしてふたりはネオンの輝く奇妙なホテルに入った。
――「奇妙なホテル」とは?
( ・3・) ホールにフランク・ザッパの蝋人形でも飾ってあったんじゃないか? ああ、この strange というのは unfamiliar ということだな。――ネオンの輝く見知らぬホテルに入った。彼は夜の熱気に打たれるのを感じた。まるで運命のひとひねりと共に走る貨物列車がぶつかってきたようだった。
( ・3・) 夕暮れの公園にいたふたりが歩きだす。ネオンが光っているから、あたりはもうすっかり暗くなったんだろうな。「わたし」の記憶によると、少しまごついていたようだが……。
――「わたし」が出てきましたね。
( ・3・) ふたりの背後に忍びよる謎の人物……。落ち着かない心の内までお見通しとは、たいした観察力だ。
――……。
( ・3・) いや、分かってるよ。賢明なる読者諸氏ならば、「わたし」の正体は説明せずともお分かりになるはずだ、ってことだろ? 分からないとおかしい。ナボコフの『 』を読んで、「 」と「 」とが同一人物だと気づかないようなものだ。
――『 』は読んでいないのですが……。
( ・3・) だから少しは本を読めって。ただしまともな本だぞ。『死にたくなければラ・モンテ・ヤングを聴きなさい』みたいなのは読書にカウントされないからな。
――話を元に戻しましょう。
( ・3・) 三人称の物語だったはずなのに、一人称の「わたし」がぱっと現れて、さっと消える。聴き手は混乱するんだけど、何事もなかったかのように、彼と彼女との物語が続いていく。
――はい。人称の問題は後で見直すとして、脚韻についてはどうでしょう。
( ・3・) 1行目と2行目、canal と well は母音が合っていないんじゃないか?
――子音しか合っていません。脚韻は、強勢の置かれた母音以降の音が一致しないといけないので、この箇所は韻を外していることになります。そのうえ、1行目と2行目とでは旋律も違います。
( ・3・) 違ったっけ。
――違うんです。第一スタンザでは、1行目・2行目・3行目はきれいに韻を踏んで、旋律も同じかたちでした。ところが、第二スタンザでは、1行目・2行目で母音が揃わず、canal は上昇する旋律、well は下降する旋律です。というか、"I remember well" のところは、はっきりした音程がありません。そこだけ語りのようになっています。
( ・3・) 例の「わたし」が出てくるところだな。ひょっとしたら、わざと韻を外して、旋律も外して、「わたし」に対する違和感を際立たせようとしているんじゃないか?
――わざとかどうかは分かりませんが、定型から逸脱することで、聴き手の注意を喚起する効果はあると思います。
( ・3・) となると、韻を踏まないことにも意味がありうるわけだ――あれ、6行目と7行目、train と fate も韻を踏んでいないぞ。
――6行目は train ではなく freight train の freight が脚韻にあたります。
( ・3・) まず列車の概念があって、それからより具体的には貨物列車、という思考の流れではないんだな。まずフェイトという音の響きがあって、その響きが無意識の言葉の渦からフレイトをひっぱり出してくる。それから列車の概念がフレイトにくっついてやってくる。意味が音を追いかけているみたいで面白いな。
A saxophone someplace far off played
As she was walkin’ by the arcade
As the light bust through a beat-up shade
( ・3・) どこか遠くでサックスを吹いている人がいた。――これは順番をひっくり返さないとうまくいかないな。――彼女がアーケイドを歩いていると、どこか遠くからサックスが聞こえてきた。くたびれた日よけから光が差し込み、彼は目を覚ました。
――まだ覚ましてはいません。
( ・3・) ――彼は目を覚ましつつあった。彼女は門のところで盲人のカップにコインを入れた。そして運命のひとひねりのことは忘れてしまった。
( ・3・) 夜から朝になった。どこか遠くでサックスを吹いている人がいる。時を同じくして、彼女はどこかへ歩いていく。そしてまた時を同じくして、夢うつつで横になった彼の部屋に光が差す。一行ごとに場面が切り替わって、映画みたいだ。
( ・3・) どこかへ歩いていく彼女は、そのまま消えてしまう。盲人のカップにコインを入れる、というのが何か象徴的な行為なんだな、きっと。運命、盲人、テイレシアス、と連想が働くせいでそう感じるのかもしれないが。
――何を象徴しているんですか?
( ・3・) 何かをだよ。メルヴィルの白鯨は何を象徴しているんだ?
――何かをですね。
( ・3・) そう。ある行為や対象が何を意味するのか一義的に定まらないとき、その行為や対象は象徴性を帯びるんだ。ひとつ賢くなったな。
――とはいえ、門のところの盲人は運命を告げるわけではなく――
( ・3・) それどころか、彼女は運命のひとひねりなんて気にしてないんだな、ちっとも。
――強い。
( ・3・) 強い。運命に抗う者は悲劇的な最期を遂げるが、運命に関わらない者はいつまでも幸せに暮らすんだ。――じゃあ、ありがたい教訓も得られたことだし、次に進もうか。
――その前にひとつだけ。わたしが面白いと思うのは、彼女が去っていくのを誰も見ていない点なんです。まず、どこか遠くのサックス奏者は物語に関与しない。
( ・3・) 音だけの出演。
――部屋では彼はまだ寝ている。そして門のところの盲人には――
( ・3・) 彼女は見えない。なるほど、興味深い指摘だ。きみ、名前は?
――……。
( ・3・) 名前は?
( ・3・) アルトゥーロ、ありがとう。そんなところにも彼女の強さというか、優位性が表れているのかもしれないな。
He woke up, the room was bare
He told himself he didn’t care
Felt an emptiness inside
To which he just could not relate
――ハーモニカの間奏を挟んで、ここからは後半です。彼と彼女とがいっしょにいる、あるいは少なくとも近くにいるのが前半でしたが、ディラン先生のハーモニカを聴いている間に、彼女のいた世界は彼女のいなくなった世界に変わってしまいました。――では、どうぞ。
( ・3・) 彼が目を覚ますと、部屋は熊だった。
――クマ。
( ・3・) 「かすみの間」「うぐいすの間」みたいに、「グリズリーの間」だったんだよ。泊まった部屋の名前が。
――真面目にやりましょう。
( ・3・) 彼が目を覚ますと、部屋は空っぽだった。彼女はどこにもいなかった。どうってことはないと自分に言い聞かせ、彼は窓を大きく押し開いた。心の内に虚しさを――
――虚しさを?
( ・3・) 虚しさを感じた。で、その虚しさというのは、彼がどうしてもリレイトできない――
――He just could not relate to an emptiness inside ということです。
( ・3・) どうしても関わることのできない虚しさ?
( ・3・) おまえが引きたいというのなら。
――ランダムハウスにちょうどいい例文が載っています。I can’t relate to the new music of Miles Davis. マイルス・デイヴィスの新しい音楽はわたしにはしっくりこない。――1972年に『オン・ザ・コーナー』を聴いた人はそう感じたかもしれません。そもそも1967年の『ソーサラー』からして、もう調性は不
( ・3・) 自分自身の虚しさとうまくつきあっていけない、と考えればいいのか。――どうしてもなじむことのできない虚しさを感じた。運命のひとひねりによってもたらされた虚しさを。
( ・3・) さっき "he was wakin' up" のところで「まだ目を覚ましてはいない」って添削が入ったのは、このスタンザの "He woke up" が念頭にあったからなんだな。
――そうです。ここではっきりと目を覚ます。
( ・3・) 彼女はいなくなっている。大丈夫だと自分に言い聞かせるってことは、大丈夫ではないわけだ。窓を開けたら心の内に虚しさを感じた、のくだりはなんだか分かる気がするな、感情の流れが。ぐっときたぜ。
――まず部屋が空っぽだという状況が語られる。でも本当に言わんとしているのは、彼の内面が空っぽになったことです。開いた窓のところに立って外と内とを画定することで、内面という言葉が自然に導かれています。
( ・3・) きみ、名前は?
He hears the ticking of the clocks
And walks along with a parrot that talks
Hunts her down by the waterfront docks
( ・3・) 時計がチクタクいうのが聞こえる。言葉を話すオウムを連れて歩く。水夫たちがやってくる港で彼女を捜す。また彼女が彼を見つけてくれるかもしれない。どれだけ待たなければならないのか。もう一度、運命のひとひねりが生じるのを。
( ・3・) 時計の音が聞こえてくるのにあわせて、時制が現在形になった。ここからは彼にとってまだ過去の出来事ではないんだな。
――彼女のいない現実が、一秒ごとに動かしがたいものになっていく。コンクリートが固まるみたいに。
( ・3・) 「言葉を話すオウムを連れて歩く」は何を意味するんだ? アメリカ文学で鳥がしゃべるといったら、ポウの「ザ・レイヴン」だな。死に別れた恋人と天国で再会できるだろうかと訊くと、鳥は「二度とない」と予言するんだ。
――このオウムは実在するんでしょうか? どこからともなく現れましたが。
( ・3・) そこを疑うの? 「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」「エヴィデンスは?」みたいなものじゃないか。
――いえ、そうではなく、おそらく肩の上、耳元でオウムが話しているわけですよね、彼女を捜して歩いている間ずっと。それは暗喩ではないかと思うのですが。
( ・3・) おじいさんは暗喩としての山へ暗喩としての柴刈りに行きました。
――「周囲の人たちの話が、オウムの言葉のように空疎に聞こえてしまう」を暗喩的に言い換えると「言葉を話すオウムを連れて歩く」になりませんか?
( ・3・) 心ここにあらずだから、「よう、調子はどうだい?」と声をかけられても、「ヨウ、チョウシハドウダイ」と聞こえるわけか。まあ、そうかもしれないな。
To know and feel too much within
( ・3・) 内面を知りすぎてはいけない、感じすぎてはいけないと人は言う。わたしは今でも信じている。彼女はわたしの双子だったと。しかしわたしは指輪をなくしてしまった。彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた。運命のひとひねりのせいで。
( ・3・) 「わたし」が出てきたな。二番目のスタンザでは存在をちらっと匂わせる程度だったが、ようやく正体を現した。
( ・3・) そう。三人称・過去のかたちで物語が始まり、彼女がいなくなって時計の秒針が意識に上ったときから三人称・現在になる。そして今、一人称・現在で「わたし」=「彼」が胸の内を明かしている。
――すべて過去形で書くこともできたし、すべて三人称、あるいは一人称で書くこともできたと思うんですが、どうしてそうしなかったんでしょう?
( ・3・) なんだか「学習の手引き」みたいになってきたな。時制が変わるのは、彼女の不在が彼にとって現在の出来事でありつづけているから。人称が変わるのは――そうだな、最後のスタンザの心情は、客観的に、距離をおいて語れないんじゃないか。まだ傷が生々しくて。
――第四スタンザの「部屋は空っぽだった」から「窓を大きく押し開いた」のあたりはハードボイルドの流儀で、あまり感傷的にはなるまいという抑制が働いているんですが、最後のスタンザになると――
( ・3・) 抑制が外れて、ついでに三人称の仮面も外れる。他人の物語であるかのように体裁を保っていたのが、保てなくなる。こういう効果を生むためには、人称の変化が必要だったんだな。
語り尽くされていると思うのでゆるく。
おっさんと少女のロードムービーですが、おっさんは過去に子供をなくしており、少女も周囲の人を全て無くしています。この状態に導いたのはなんとキノコ。煙さんが吐くアレです。ともかく街中がキノコ人間だらけになっている。そして例によってキノコに噛まれるとゾンビゲーのようにキノコ人間に早変わり。なのでこの二人の過去は結構悲惨だったんですね。キノコに違いない! と早合点した兵士(というかその上司)におっさんの娘は殺されます(この娘はスタート時のプレイアブルキャラで、伏線化するのかと思ったら写真以外に全く登場せず終わります)。
で、その悲惨な状態に希望の光が灯されます。なんとおっさんが知り合った少女は抗体の持ち主だというのです。おっさんは運び屋としてサイコな知り合いたちとやんちゃをやらかしながら旅を続けます。途中トラップを仕掛けまくるシャイニングのジャック・ニコルソンばりの禿げ上がった人や、ラッパーっぽい兄ちゃんたちと殺し合ったりもします。なぜかといえば、抗体を持つ少女を医療機関へと預けるためです。お届け先は荒廃前の世界で政府に敵対していた『ファイア・フライ』と呼ばれる連中でした。
ところがだんだんおっさんは命を守りたいがあまりに殺人鬼化してゆきます。言ってしまえばシェイクスピアとかそういう歌舞劇のテーマにある葛藤劇の一種と言えるでしょう。一体何が正しくて何が悪いのかという疑問を常にプレイヤーへと投げかけるわけです。例えば一番安らぐキリンさんのシーン。これは途中で人間がいない都市部で、すっかり緑地化した中心地にてキリンが草をはむというものです。人間がいないからこそ楽園のような光景が繰り広げられるという、チェルノブイリ原発の赤い森をモチーフにした名シーンと言えましょう。こうしたシーンは常に何かを引き換えに何かを手に入れる、という構造の徹底により表現されます。それはゲーム内の1エピソードである鹿肉の取引一つにおいても、車を入手する際の貸し借りに関しても理解されることです。主人公のおっさんは中盤の後半付近で「生きるためには殺さなくてはならない」と述べます。このような出来事から、「何かを得るためには、引き換えに何かを捨てる」といったテーマが浮かび上がります。この何かをするための対価が強くメッセージとして打ち出される理由は、荒廃後の世界で貨幣に変わる価値があるとすればなにか、という疑問が制作側にあったと仮定できます。この仮定に寄って立つならば、それはもう一つのテーマである命の軽重にかかってくると思うわけです。つまり暗に「金なき世界で命より重いものがあるとしてそれはなにか」、あるいは、「命が最も重たいはずなのに殺し合っている」、というメッセージ性を背負っていることになります。そして作中で命は安易に取引材料として扱われます。アメリカを代表とした世界荒廃物語ブーム(ポストアポカリプスでしたっけ)は結局金に疑問を持つアメリカ人がユートピアどころか、カタルシスであるディストピアを夢見ているようにすら思えて来ます。もっとも今作に限っていえば、だいぶ警句的な気もしますが。
ゲームラスト数分になると、少女の中にいる菌が抗体によって抑えられているのではなく、共存していることが知らされます。この菌糸の絡まった脳によって世界中の人々を治療する因子となるか、少女を殺さずに人類を見捨てるか、という選択を迫られたジョエルは少女エリーを救い出します。仕組みとしては菌類が発生させる電子連絡手段、クオルモンをヒントにしているはずです。この少女の脳という仕組み自体がそもそも共存というテーマで締めくくられており、実は上記で述べた「取捨選択」の答えは小さな少女が持っている、というラストになっています。
そして頭蓋を開ける行為はパンドラの箱を連想させます。やや飛躍しますが、彼女がパンドラのツボ(本来は箱ではなくツボ)であったと仮定した場合、災厄の中心にいる女という役割をきっちり演じきっていることになります。生い立ちは不幸で、彼女自身も自分の身の回りの人間はみな死んだと告白します。そして彼女のせいでホスピスのファイアフライは結果的に大量殺害されました。彼女は災厄と幸福の鍵を脳内というツボに温存しており、全人類にとっては全く救いにならない生き方をジョエルにより強制させられてしまいます。もっともジョエルにとっては娘と重なる彼女こそ救いそのものであり、エリーにしてみればジョエルは自らを許容し、許す存在であったに違いありません。事実、ラストでこの裏付けは取れます。つまり二人の間には共存というよりむしろ共依存関係が存在していることになります。
共依存関係の裏側は「弱さ」です。そういえばファイアスフライの女リーダーも疲れ切ったという手記を残し、打算的にエリーを殺そうとしました。ジョエルの弟も当初は保身のあまりエリーを届けようとはしません。モブの連中は自分たちが生きるために他人の犠牲など問わない生き方をします。全て各人の弱さからもたらされた結果であり、一種超人的な人間であるジョエルもまた、娘を失った空疎な記憶から立ち直ることができません。
ドラマでもいいです個人的には。洋ドラでもまあいいかなという。
ゲーム性としては一本道かつクローズドワールドのステルス&シューターですから、プレイ感は他ゲーと似た感じにはなります。
難易度中は同タイプのゲームを基準にすると難易度イージーくらいなので、撃ちもの苦手でもどうにかなるかと。
序盤はおっさんを隠して仲間に撃たせて弾丸節約もできますし、おっさんの殴りが強いので、殴り続けてるだけでも中盤まで進めることができます。多分映画のようなストーリーに没入できればいいと考えてるからこそこの難易度なんだろうな、という印象ですかね。
サバイバルモードでは緊張感が上がった、もはや別ゲーという声もあるそうですが、ハードモードってもともとそんなもんかと思います。