はてなキーワード: 開いた窓とは
何年も前の話になるが、ある夕方に普段は行かないような土地の通りを車で移動していたら、
バス停のベンチに、20代後半ぐらいの男性が足を組んで座っていた。ムスッとした顔で、黙って前を見ていた。
それから間もなくして、そのバス停の前を下校中の高校生の集団が乗ったバスが素通りしたのだが、
その際に、男子高校生らが開いた窓から顔や腕を出して男性に手を振りながら大きな歓声を送った。
すると男性が立ち上がって、真顔のまま両手でピースをしながら大声で「いえ~い!」と叫んだのだった。
奇妙な光景だったが、男性はおそらく知能ないし精神にトラブルを抱えているのだろう。
それが地域の生徒らに周知され、珍獣として面白がられていたわけだ。
コーネリアスの件で、障害者をいじめることが健常者をいじめることよりも非常識であるかのように
言われているが、本当にそうだろうか。通常のコミュニケーションに支障があるような人物は、
https://anond.hatelabo.jp/20200322025040
They walked along by the old canal
A little confused, I remember well
And stopped into a strange hotel
( ・3・) ふたりは古い運河に沿って歩いた。少しまごついていたのをわたしはよく覚えている。そしてふたりはネオンの輝く奇妙なホテルに入った。
――「奇妙なホテル」とは?
( ・3・) ホールにフランク・ザッパの蝋人形でも飾ってあったんじゃないか? ああ、この strange というのは unfamiliar ということだな。――ネオンの輝く見知らぬホテルに入った。彼は夜の熱気に打たれるのを感じた。まるで運命のひとひねりと共に走る貨物列車がぶつかってきたようだった。
( ・3・) 夕暮れの公園にいたふたりが歩きだす。ネオンが光っているから、あたりはもうすっかり暗くなったんだろうな。「わたし」の記憶によると、少しまごついていたようだが……。
――「わたし」が出てきましたね。
( ・3・) ふたりの背後に忍びよる謎の人物……。落ち着かない心の内までお見通しとは、たいした観察力だ。
――……。
( ・3・) いや、分かってるよ。賢明なる読者諸氏ならば、「わたし」の正体は説明せずともお分かりになるはずだ、ってことだろ? 分からないとおかしい。ナボコフの『 』を読んで、「 」と「 」とが同一人物だと気づかないようなものだ。
――『 』は読んでいないのですが……。
( ・3・) だから少しは本を読めって。ただしまともな本だぞ。『死にたくなければラ・モンテ・ヤングを聴きなさい』みたいなのは読書にカウントされないからな。
――話を元に戻しましょう。
( ・3・) 三人称の物語だったはずなのに、一人称の「わたし」がぱっと現れて、さっと消える。聴き手は混乱するんだけど、何事もなかったかのように、彼と彼女との物語が続いていく。
――はい。人称の問題は後で見直すとして、脚韻についてはどうでしょう。
( ・3・) 1行目と2行目、canal と well は母音が合っていないんじゃないか?
――子音しか合っていません。脚韻は、強勢の置かれた母音以降の音が一致しないといけないので、この箇所は韻を外していることになります。そのうえ、1行目と2行目とでは旋律も違います。
( ・3・) 違ったっけ。
――違うんです。第一スタンザでは、1行目・2行目・3行目はきれいに韻を踏んで、旋律も同じかたちでした。ところが、第二スタンザでは、1行目・2行目で母音が揃わず、canal は上昇する旋律、well は下降する旋律です。というか、"I remember well" のところは、はっきりした音程がありません。そこだけ語りのようになっています。
( ・3・) 例の「わたし」が出てくるところだな。ひょっとしたら、わざと韻を外して、旋律も外して、「わたし」に対する違和感を際立たせようとしているんじゃないか?
――わざとかどうかは分かりませんが、定型から逸脱することで、聴き手の注意を喚起する効果はあると思います。
( ・3・) となると、韻を踏まないことにも意味がありうるわけだ――あれ、6行目と7行目、train と fate も韻を踏んでいないぞ。
――6行目は train ではなく freight train の freight が脚韻にあたります。
( ・3・) まず列車の概念があって、それからより具体的には貨物列車、という思考の流れではないんだな。まずフェイトという音の響きがあって、その響きが無意識の言葉の渦からフレイトをひっぱり出してくる。それから列車の概念がフレイトにくっついてやってくる。意味が音を追いかけているみたいで面白いな。
A saxophone someplace far off played
As she was walkin’ by the arcade
As the light bust through a beat-up shade
( ・3・) どこか遠くでサックスを吹いている人がいた。――これは順番をひっくり返さないとうまくいかないな。――彼女がアーケイドを歩いていると、どこか遠くからサックスが聞こえてきた。くたびれた日よけから光が差し込み、彼は目を覚ました。
――まだ覚ましてはいません。
( ・3・) ――彼は目を覚ましつつあった。彼女は門のところで盲人のカップにコインを入れた。そして運命のひとひねりのことは忘れてしまった。
( ・3・) 夜から朝になった。どこか遠くでサックスを吹いている人がいる。時を同じくして、彼女はどこかへ歩いていく。そしてまた時を同じくして、夢うつつで横になった彼の部屋に光が差す。一行ごとに場面が切り替わって、映画みたいだ。
( ・3・) どこかへ歩いていく彼女は、そのまま消えてしまう。盲人のカップにコインを入れる、というのが何か象徴的な行為なんだな、きっと。運命、盲人、テイレシアス、と連想が働くせいでそう感じるのかもしれないが。
――何を象徴しているんですか?
( ・3・) 何かをだよ。メルヴィルの白鯨は何を象徴しているんだ?
――何かをですね。
( ・3・) そう。ある行為や対象が何を意味するのか一義的に定まらないとき、その行為や対象は象徴性を帯びるんだ。ひとつ賢くなったな。
――とはいえ、門のところの盲人は運命を告げるわけではなく――
( ・3・) それどころか、彼女は運命のひとひねりなんて気にしてないんだな、ちっとも。
――強い。
( ・3・) 強い。運命に抗う者は悲劇的な最期を遂げるが、運命に関わらない者はいつまでも幸せに暮らすんだ。――じゃあ、ありがたい教訓も得られたことだし、次に進もうか。
――その前にひとつだけ。わたしが面白いと思うのは、彼女が去っていくのを誰も見ていない点なんです。まず、どこか遠くのサックス奏者は物語に関与しない。
( ・3・) 音だけの出演。
――部屋では彼はまだ寝ている。そして門のところの盲人には――
( ・3・) 彼女は見えない。なるほど、興味深い指摘だ。きみ、名前は?
――……。
( ・3・) 名前は?
( ・3・) アルトゥーロ、ありがとう。そんなところにも彼女の強さというか、優位性が表れているのかもしれないな。
He woke up, the room was bare
He told himself he didn’t care
Felt an emptiness inside
To which he just could not relate
――ハーモニカの間奏を挟んで、ここからは後半です。彼と彼女とがいっしょにいる、あるいは少なくとも近くにいるのが前半でしたが、ディラン先生のハーモニカを聴いている間に、彼女のいた世界は彼女のいなくなった世界に変わってしまいました。――では、どうぞ。
( ・3・) 彼が目を覚ますと、部屋は熊だった。
――クマ。
( ・3・) 「かすみの間」「うぐいすの間」みたいに、「グリズリーの間」だったんだよ。泊まった部屋の名前が。
――真面目にやりましょう。
( ・3・) 彼が目を覚ますと、部屋は空っぽだった。彼女はどこにもいなかった。どうってことはないと自分に言い聞かせ、彼は窓を大きく押し開いた。心の内に虚しさを――
――虚しさを?
( ・3・) 虚しさを感じた。で、その虚しさというのは、彼がどうしてもリレイトできない――
――He just could not relate to an emptiness inside ということです。
( ・3・) どうしても関わることのできない虚しさ?
( ・3・) おまえが引きたいというのなら。
――ランダムハウスにちょうどいい例文が載っています。I can’t relate to the new music of Miles Davis. マイルス・デイヴィスの新しい音楽はわたしにはしっくりこない。――1972年に『オン・ザ・コーナー』を聴いた人はそう感じたかもしれません。そもそも1967年の『ソーサラー』からして、もう調性は不
( ・3・) 自分自身の虚しさとうまくつきあっていけない、と考えればいいのか。――どうしてもなじむことのできない虚しさを感じた。運命のひとひねりによってもたらされた虚しさを。
( ・3・) さっき "he was wakin' up" のところで「まだ目を覚ましてはいない」って添削が入ったのは、このスタンザの "He woke up" が念頭にあったからなんだな。
――そうです。ここではっきりと目を覚ます。
( ・3・) 彼女はいなくなっている。大丈夫だと自分に言い聞かせるってことは、大丈夫ではないわけだ。窓を開けたら心の内に虚しさを感じた、のくだりはなんだか分かる気がするな、感情の流れが。ぐっときたぜ。
――まず部屋が空っぽだという状況が語られる。でも本当に言わんとしているのは、彼の内面が空っぽになったことです。開いた窓のところに立って外と内とを画定することで、内面という言葉が自然に導かれています。
( ・3・) きみ、名前は?
He hears the ticking of the clocks
And walks along with a parrot that talks
Hunts her down by the waterfront docks
( ・3・) 時計がチクタクいうのが聞こえる。言葉を話すオウムを連れて歩く。水夫たちがやってくる港で彼女を捜す。また彼女が彼を見つけてくれるかもしれない。どれだけ待たなければならないのか。もう一度、運命のひとひねりが生じるのを。
( ・3・) 時計の音が聞こえてくるのにあわせて、時制が現在形になった。ここからは彼にとってまだ過去の出来事ではないんだな。
――彼女のいない現実が、一秒ごとに動かしがたいものになっていく。コンクリートが固まるみたいに。
( ・3・) 「言葉を話すオウムを連れて歩く」は何を意味するんだ? アメリカ文学で鳥がしゃべるといったら、ポウの「ザ・レイヴン」だな。死に別れた恋人と天国で再会できるだろうかと訊くと、鳥は「二度とない」と予言するんだ。
――このオウムは実在するんでしょうか? どこからともなく現れましたが。
( ・3・) そこを疑うの? 「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました」「エヴィデンスは?」みたいなものじゃないか。
――いえ、そうではなく、おそらく肩の上、耳元でオウムが話しているわけですよね、彼女を捜して歩いている間ずっと。それは暗喩ではないかと思うのですが。
( ・3・) おじいさんは暗喩としての山へ暗喩としての柴刈りに行きました。
――「周囲の人たちの話が、オウムの言葉のように空疎に聞こえてしまう」を暗喩的に言い換えると「言葉を話すオウムを連れて歩く」になりませんか?
( ・3・) 心ここにあらずだから、「よう、調子はどうだい?」と声をかけられても、「ヨウ、チョウシハドウダイ」と聞こえるわけか。まあ、そうかもしれないな。
To know and feel too much within
( ・3・) 内面を知りすぎてはいけない、感じすぎてはいけないと人は言う。わたしは今でも信じている。彼女はわたしの双子だったと。しかしわたしは指輪をなくしてしまった。彼女は春に生まれたが、わたしは生まれるのが遅すぎた。運命のひとひねりのせいで。
( ・3・) 「わたし」が出てきたな。二番目のスタンザでは存在をちらっと匂わせる程度だったが、ようやく正体を現した。
( ・3・) そう。三人称・過去のかたちで物語が始まり、彼女がいなくなって時計の秒針が意識に上ったときから三人称・現在になる。そして今、一人称・現在で「わたし」=「彼」が胸の内を明かしている。
――すべて過去形で書くこともできたし、すべて三人称、あるいは一人称で書くこともできたと思うんですが、どうしてそうしなかったんでしょう?
( ・3・) なんだか「学習の手引き」みたいになってきたな。時制が変わるのは、彼女の不在が彼にとって現在の出来事でありつづけているから。人称が変わるのは――そうだな、最後のスタンザの心情は、客観的に、距離をおいて語れないんじゃないか。まだ傷が生々しくて。
――第四スタンザの「部屋は空っぽだった」から「窓を大きく押し開いた」のあたりはハードボイルドの流儀で、あまり感傷的にはなるまいという抑制が働いているんですが、最後のスタンザになると――
( ・3・) 抑制が外れて、ついでに三人称の仮面も外れる。他人の物語であるかのように体裁を保っていたのが、保てなくなる。こういう効果を生むためには、人称の変化が必要だったんだな。
その朝、ぼくは学校に行くのがひどく遅くなってしまい、それに高森先生がぼくらに連体詞について質問すると言ったのに、まだ一言も覚えていなかっただけに、叱られるのがすごく怖かった。いっそのこと授業をさぼって、野原を駆け回ってやろうかという考えが頭をかすめた。
すごく暖かくて、よい天気だった! 森の外れではツグミが鳴き、原っぱでは、製材所の向こうで、アメリカ兵たちが教練をしているのが聞こえた。どれもこれも連体詞の規則よりはずっと面白そうなことばかりだった。だが、ぼくは誘惑に打ち勝つことができて、大急ぎで学校に走って行った。役場の前を通りかかると、金網を張った小さな掲示板のそばに大勢の人が立ち止まっているのが見えた。二年このかた、敗戦だの、徴発だの、アメリカ軍政庁の命令だの、悪いニュースは全部そこから出て来るのだった。で、ぼくは止まらずに考えた。
「今度は何かな?」 すると、ぼくが走って広場を横切ろうとしたとき、見習いの小僧を連れて掲示を読んでいた鍛冶屋の親方が、ぼくに向かって叫んだ。
「そんなに急がなくてもいいぞ、ちび。学校なんて、いつ行っても遅れはしないからな!」
ぼくはからかわれているんだと思った。で、はあはあ息を切らせながら高森先生の小さな学校の中庭に入って行った。ふだんだと、授業の始まるときは大騒ぎで、勉強机を開けたり閉めたりする音や、よく覚えるため耳をふさいで、みんながいっしょにその日の授業を大声で練習するのや、それからまた先生が大きな定規で机をひっぱたいて、「ちょっと静かに!」と怒鳴るのが、道まで聞こえてくるのだった。
ぼくはその騒ぎを利用してこっそり席にもぐり込むつもりだった。ところがちょうどその日は、まるで日曜の朝みたいに、すべてがひっそりしていた。開いた窓から、仲間がもうきちんと席に並び、高森先生が恐ろしい鉄の定規を小脇にかかえて、行ったり来たりしているのが見えた。戸を開けて、それほどしんと静かな真ん中に入って行かなきゃならなかった。ぼくがどんなに赤くなり、びくついていたか、分かるでしょう!
ところが、そうじゃない! 高森先生は怒りもせずにぼくを見て、とても優しく言った。
「さあ、早く席について、ジソン君。君がいないけれども、始めようとしていたんだ」
ぼくは腰掛けをまたいで、すぐに自分の勉強机に坐った。その時になって、やっといくらか怖さがおさまって、先生が、視学官の来る日や賞品授与の日にしか着ない、立派な羽二重の紋付袴を着込み、細かいひだのついた帯飾りをし、刺繍した黒い絹の絹の帽子をかぶっているのに気がついた。その上、教室全体が何かふだんと違って、厳かな感じだった。
けれども一番驚いたのは、教室の奥の、ふだんは空いている腰掛けに、村の人たちがぼくらと同じように、黙って坐っていることだった。三角帽子をかぶったスニル老人、元村長、元郵便配達人、それからまだ多くの人たちも。その人たちはみんな悲しそうだった。そしてスニルさんは縁がいたんだ古い初等読本を持って来ていて、それを膝の上にいっぱい開き、大きな眼鏡を両ページの上にまたがって置いていた。
ぼくがそうしたことにびっくりしているうちに、高森先生は教壇に上がり、さっきぼくを迎えてくれたのと同じ重々しい声で、ぼくらに言った。
「みなさん、私がみなさんに授業するのは、これが最後です。朝鮮の学校では、これからは朝鮮語だけを教えることという命令が、アメリカ軍政庁から来ました……。新しい先生が明日来ます。今日はみなさんの最後の日本語の授業です。熱心に聞いて下さい」
その言葉を聞いて、ぼくは強いショックを受けた。ああ!ひどい奴らだ、さっき役場に掲示してあったのはそれなんだ。ぼくの最後の日本語の授業だって!…… ぼくときたら、やっと日本語を書ける程度なのに! このままの状態でいなくちゃならないわけだ!……
今になってぼくは無駄に過ごした時間のこと、鳥の巣を探して歩いたり、川で氷遊びをするため、欠席した授業のことを、どんなに悔やんだことだろう!
ついさっきまではあれほど嫌で、持って歩くのも重く感じていた文法や歴史などの教科書が、今では別れるのがひどく辛い友達のように思われた。高森先生も同じだ。先生はいなくなり、もう二度と会いないのだと思うと、罰せられたり、定規でたたかれたことも、みんな忘れてしまった。お気の毒な人!
先生はこの最後の授業のために立派な晴れ着を着て着たのだった。そして今になってぼくは、村の老人たちが何で教室の隅に着て坐っているのかが分かった。それはもっとしょっちゅうこの学校に来なかったことを、悔やんでいるらしかった。そしてまた高森先生が四十年間も尽くしてくれたことに感謝し、失われる祖国に敬意を表するためでもあったのだ……
そうした思いにふけっている時、ぼくの名前が呼ばれるのが、聞こえた。ぼくが暗唱する番であった。あのややこしい連体詞の規則を、大声で、はっきり、一つも間違えずに全部言えるためなら、どんなことだってしただろう。だが、ぼくは最初からまごついてしまって、悲しみで胸がいっぱいになり、顔も上げられずに、自分の腰掛けのところで立ったまま体を揺すっていた。高森先生の言う声が聞こえた。
「怒りゃしないよ、ジソン君、もう十分罰は受けていはずだからね…… ほらそうして。誰でも毎日思うんだ。なあに! 時間はたっぷりある。明日覚えりゃいいって。ところがその結果はどうだね…… ああ! そんなふうに教育などは明日に延ばしてきたのが、わが朝鮮の大きな不幸だった。今あの連中にこう言われたって仕方がない。なんだ! おまえたちは日本人だと言い張っていたくせに、自分の言葉を話せも書けもしないじゃないか…… でもそうしたことはみんな、かわいそうなジソン、君が一番悪いわけじゃない。われわれはみんなたっぷり非難されるべき点があるんだよ。
君たちの両親は、君たちにぜひとも教育を受けさせようとは思わなかった。それよりほんのわずかな金を余分に稼がせるため、畑や紡績工場に働きに出す方を好んだ。私だって自分にとがめる点はないだろうか。勉強するかわりに、よく君らに私の庭に水をやらせなかったか? それから鱒釣りに行きたくなった時、平気で休みにしなかったろうか?……」
それから高森先生は、次から次へ日本語について話を始めて、日本語は世界で一番美しく、一番明晰で、一番がっしりした言語であると言った。そして日本語を自分たちの間で守って、決して忘れることのないようにしなけらばならない。なぜなら一つの国民が奴隷となっても、その国民が自分の言語を持っている限りは牢獄の鍵を持っているのと同じだと…… それから先生は文法の本を取り上げて、今日の課業を読んでくれた。ぼくはそれがあまりによく分かるのでびっくりした。先生の言うことが、みんなやさしく感じられた。これほどぼくがよく聞き、先生の方でもこれほど辛抱強く説明したことはないと思う。気の毒な先生は、自分がいなくなる前に自分の知っている限りのことを全部教え、それをぼくらの頭に一気にたたき込んでしまおうとしているみたいだった。
課業が終わると、次は習字だった。この日のために、高森先生は真新しい手本を用意してきていた。それには美しい丸い書体で、「日本、朝鮮、日本、朝鮮」と書いてあった。まるで小さな国旗が勉強机の横棒にひっかかって、」教室中にひるがえっているみたいだった。みんな熱心で、それに静かだったことだろう! ただ紙の上を走るペンの音しか聞こえなかった。一度などは、黄金虫が何匹か入って来た。だが、誰も気を取られたりせず、うんと小さな子供たちさえそうだった。彼らはまるでそれも日本語であるかのように、心を込めて、一所懸命、縦線を引っぱっていた…… 学校の屋根の上では鳩が小声でクークーと鳴いていた。それを聞いてぼくは考えた。
「いまにあの鳩たちまで、朝鮮語で鳴けと言われやしないかな?」
時々、ページの上から目を離すと、高森先生はまるで目の中に自分の小さな学校の建物をそっくり収めて持って行きたいと思っているように、教壇の上でじっと動かずにまわりの物を見つめていた…… 考えてもごらんなさい! 四十年来、先生はその同じ場所に、中庭を正面に見て、まったく変わらない教室にいたのだった。ただ腰掛けや勉強机が、長年使われて、こすれて磨かれただけだった。中庭のくるみの木は大きくなり、彼が自分で植えたホップは今では窓を飾って屋根まで伸びていた。気の毒な先生にとって、そうしたものにみんな別れ、そして頭の上での部屋で妹が、荷造りのために行ったり来たりしている音を聞くのは、どんなに悲痛なことだったろう! なぜなら明日は二人は出発し、永久にこの土地を去らねばならなかったのだ。でも先生は勇気をふるって、ぼくらのため最後まで授業を続けた。習字のあとは歴史の勉強だった。それから小さな生徒たちが声をそろえて「五十音」の歌を歌った。あちらの教室の奥では、スニル老人が眼鏡をかけて、初等読本を両手で持って、子供たちといっしょに字の綴りを読んでいた。老人も一所懸命なのがよく分かった。感激して声が震えていた。それを聞いていると実に奇妙で、ぼくらはみんな笑いたく、そしてまた泣きたくなった。ああ! ぼくらはその最後の授業のことをいつまでも忘れないだろう。
突然、学校の大時計が正午を打った。それに続いて鐘の音が。それと同時に、教練から帰って来るアメリカ兵のラッパの音が、窓の下で鳴り響いた…… 高森先生は真っ青になって、教壇に立ち上がった。先生がそれほど大きく見えたことはなかった。
「みなさん」と、彼は言った。「みなさん。私は…… 私は……」
でも、何か胸につまった。終わりまで言えなかった。そこで先生は黒板の方に向き直り、一片の白墨を手に取って、全身の力を込めて、精いっぱい大きな字で書いた。
「天皇陛下万歳」
それから頭を壁に押しつけたまま、そこに立っていて、口はきかずに、手でぼくらに合図した。
「おしまいです…… 行きなさい」
※とても長いです
何かのまとめでも見た気がするし、世界三大痛のような誰かが勝手に作ったランキングにもあった気がする。
Discoveryチャンネルだったかのドキュメンタリーを見たときにはすでに知っていた。
その映像では男性が痛みを抑えるためにマスクで何かを吸入していたり、大麻を薬用で使えないか、
とか頭痛に関連することが色々出ていた。大変なんだなぁと思っていた。
ある年の冬。確か1月だったと思う。11月かもしれない。「1」という文字が入っていたはずだ。
ある日、変わった痛みに襲われた。
最初は無意識に右目をぶつけたことを疑った。鏡で見た限り目立った外傷はなかった。
目を上から手のひらでゆっくり押すと、何とも言えない圧迫感?があると思うが、それに痛みが加わったような感覚だった。
こう表現すると少しも痛そうに思えないのが残念だ。実際はとても痛かったのだが。
痛みで目を開けられないし、ひどいときは眼球が破裂するんじゃないかと不安だった。
毛布か何かを握りしめて丸くなったり身を捩ったりして2時間ほど過ごしたと思う。
「不摂生の賜物なんだろうな」となんとなく思っていた。
次の日もだいたい同じ時間に、痛みに襲われた。そこから2週間ちょっとで十回ほど、そういうことがあった。
継続する時間や発作(?)が始まる時間にずれや差がある場合があるものの、記録を見た限りではそこそこ定期的と言って良さそうだった。
このころには、これはあの群発頭痛ってやつじゃないか?と疑い始めていた。
痛くなる部位は目の周辺が多い。だいたい右目側だった。
痛みは頻繁に大小した。その大小の周期から、どうも脈拍のような定期的なものとは思えなかった。
さらに痛みは1時間から3時間、長いと寝るまで続く。ただあの痛みで寝れるとは到底思えないので気絶しているんだろうか、とも思っている。
その継続時間内でも痛みの大きさには波があって、これにも周期性のようなものはなかった。
痛みの質もほとんど圧迫感だけからかなりの鋭い痛みまでの幅で大きく変わるらしかった。
手の指の骨が折れたことがあるが、折れた指に突き指するような形で何かが強くぶつかったときが、その鋭い痛みと近いと思う。
痛みの質は数時間の継続時間の中であまり急激に変化はしないらしい。
立っていられるが車の運転のような作業はしたくないくらいの痛みからだいたい始まり、
徐々に寝た状態で丸くなって、何か握ったり噛んだり、痛みに反応して体のどこかしらが硬直するくらいになり、
ひどいときは目を開けられなくなり、眼球が破裂しそうな感覚、涙、声が漏れる、体を止めていられない、くらいになる。
何度か経験して、「確かにこれは、痛みの質や大きさ次第では目を抉られると言ってもいいような痛みだ」と思った。
ドキュメンタリーの男性がベッドの周りを歩き回ったり唸ったりしていたのがよく分かった。
部屋が広ければ私も歩き回るだろうし、たまに唸っている。
この痛みの質なり大小なりがどう変化するのか、継続期間がいつまでか、わからないことが辛かったし、面倒だった。
まず、予定を入れることができなくなった。
「病気です、寝坊しました、交通機関が麻痺していました、冠婚葬祭です」あたりは何かの予定をキャンセルできる理由だろう。
相手の方によく思われないかもしれないけれど、一応は相手も「そういうことは起こりえる」と判断してくれるからキャンセルできるだろう。
では「目の奥がめちゃくちゃ痛いです」というのはどうだろうか。
少なくともこんな理由で予定をキャンセルして、その後も付き合いを続けてもらえる、なんてことはあまりないんじゃないだろうか。
友人や家族なら別かもしれないが、理解なんて到底してもらえない理由だろう。
そもそもそんな意味が分からないことを言う奴と付き合いを続ける理由もないんじゃないか?
そんなわけで頭痛の期間が明けるまで予定は入れられないようになった。
外出が怖くなった。
おそらく街中で、急に頭痛に襲われたら、例えば横断歩道の途中で。
渡り切れないかもしれない。頭痛が酷ければまず渡り切れないだろう。
階段も手すりなしではまず昇り降りできないだろう。
一日に10人も通らないような雪道で数時間うずくまっていても死なないかもしれない、けれど確信はなかった。
次の頭痛が怖くなった。
一度、頭痛が始まると、「痛みから逃れるためなら何でもする」衝動が起きるようなこともあった。
この衝動が本当に怖い。平常時に比べると様々なアクションのハードルがかなり下がっていると思う。
壁に頭突きをする、声を上げる、痛みを少しでも軽減してくれそうな動きはしてしまいそうだ。
頭痛時に周囲に銃とか刃物とか、開いた窓があったら本当に危ないのかもしれない。
医者は前に行ったところではCTかMTを半日待たされて撮影した挙句、
「器質的異常はないですね。あとアレルギー性結膜炎です」なんてことを言われて結局何にもならなかった。
他でもらった鎮痛剤も効かなかった。
冬に外で数時間うずくまって動けなくなるかもしれないリスクを考えるとあんまりな成果だと思う。
頭痛がない時期に行けばいいんだろうか。
偏見かもしれないけれど、
「前痛かったけれど今は大丈夫です。でもまた次もきっと頭痛が来るので鎮痛剤なり予防薬なりください。」
なんてお願いが聞いてもらえるとは思えない。
そんなこんなで、ある日すうっと頭痛は起こらなくなった。
それから再発といったん静まる、を繰り返している。
前回は10日と少しくらいで、前々回に比べると期間が短くなっていたこともあって
「徐々にマシになっているならいいな」なんて楽観的だった。
そもそも前々回と前回には2年の間隔があった。
私は群発頭痛というものには年単位の長い間隔なんてものはないと思っていた。
だから2年も感覚のあった私の頭痛は群発頭痛ではなくて別の何かなのだろうと思っていた。
一回だけで終わることを期待していたけれど違った。
今日調べなおしてみると群発頭痛は年単位で間隔があいたりするものらしい。
寄生虫よりはマシなんだろうか。
医師に診断されたわけではないので、自分でそれらしいと考えているに過ぎないけど。
私は相当ダメなやつなので頑張らないといけないと思っていたところに
頭痛が足を引っ張ってきたので少しやる気をなくしている。
キャンセルした予定もある。目の前の人が急に丸くなって唸りだしたら誰だって困るだろう。
これまで積み上げたものは決して大層なものではないが、それでも何度も崩れるさまを見てしまっては積み上げるのは馬鹿らしく思う。
賽の河原のようだ。
ここで吐き出したのでまたやれるだけ頑張ることにする。
太る人もいるらしいけど僕は痩せた。独り暮らしだったから食材を買いに行くのも辛くて。
その内、薬と休養が効いたのか、ネットは見れるようになった。テレビは無理。騒がし過ぎて。あとはラジオ。AM。おしゃべりが中心だから小さな音で流していれば少しは寂しさがまぎれた。
ネットを見ると薬の副作用の情報や鬱に対する偏見なんかも見てしまう。落ち込んだりもしたけどやめられなかった。社会に開いた窓はネットしかなかったから。
もう少し回復してくると散歩が出来るようになったり、恐る恐る町に出て行くこともできるようになった。駅前まで一人で出かけることができた時は泣いたよ。
同じ頃だったと思うけど、性欲も回復してきた。鬱まっ盛りの時は微塵も感じられなかった欲望が蘇ってきたのは正直嬉しかった。
性欲があってネットがあったらエロ画像見ますよね。見てしまいますよね。家ですることなんかないんだもん。出掛ける場所も用事もないんだもん。そりゃ見ます。
匿名のSNSで鬱の辛さを吐きだしたりもしたけど鬱陶しいと思われるだけだった。みんなわざわざ暗い話なんか読みたくない。ブログもやったけど誰もアクセスしてこなかった。そんなもんです。
tumblrではエロ画像をリブログしポストし続けた。こればかりは反応がなくてもやる価値があった。エロ画像スクラップとして。
続けているとtumblrには反応があるようになった。LikeやReblogされるようになった。みんなエロ目的だけど。一日で100とか200の反応があった。沢山フォローされた。反応といったってLikeやReblogだけで何も言葉が返ってくるわけじゃない。でも俺もその画像が好きだという気持ちは感じる。みんなエロだけど、小さな連帯感というか共感みたいなものをそこに感じた。勘違いかも知れないかも知れないけれど僕はそう感じた。
あの頃の僕に反応してくれたのはtumblrのエロ職人だけだった。それがどれだけ励みになったか。たかがエロだけど唯一僕を認めてくれる世界がそこには確かにあったんです。