はてなキーワード: 空疎とは
小学生の頃は頭がよかった。暇つぶしに塾に通って、自分の実力相応の学校を受験、いわゆる御三家の中高一貫校に入学したけど病気して通えなくなり仕方なく中退。ちなみに中高では成績全然よくなかったし格好よくもなかった。
で、自分はそこから拗ねてしまった。どうせバカだし、高校さえ卒業できないし。
どうにか大検とって現役の歳で大学受験しようとしたけど、あの環境にいれば自然とするであろう努力も病んだ身体でひとりだとできない。結果、MARCHさえ受からなかった。そこで折れた。
今思えば試験受ける体力がなくて受験中に朦朧としてほとんど試験受けてないから当然なんだけど。出願したから受かったボーダーフリーのいわゆるFランにとりあえず入学したんだけど、ガラの悪いやつや勉強に興味のない品の悪いやつが多くてショックを受けてやめてしまった。大学は勉強するところだと信じてたのに違ったんだよな。
中高の同窓生は仲良かったし、みんなと違う道を歩いてきたよ人生ネタだよって話してた。少しずつ自己肯定感も吐く具まれてきた。
でも最近思うんだ。みんなそこそこいい学校出て大手でバシバシに先進的なことをやっている。俺は手取20弱で旧体制の誰も名前知らない中小企業。
手取として金に変換された瞬間にまた折れてしまった。病気さえしなければ、諦めさえしなければ。最近は自分の人生が恥ずかしい、きっと誰もバカにしないんだけれど。自分が仕事をまじめにやっていないツケでもあるんだろうな。胸が張れない。
自分語りが長くなった。
それで、とにかく俺はプライドをズタズタにしてしまったんだよ。頭よかったなんて過去の話に過ぎない。元増田が守り続けたプライド、俺は傷つけ続けてしまった。だから俺は元増田のことすごく格好いいと思うよ。残るものが空疎かもしれないけれど、枠を作ることは大切だから。その枠が元増田を守ることはあるよ。
いつか元増田が躓いて、自尊心がやせ細ったとき。かわいいと言われなくなったとき。もう何もないじゃんって喚き散らしたくなることあると思うんだけどさ、枠さえありゃいくらでもキラキラしたもの詰めていけるから。
ということで見てきたので感想を。
議論についてどちらがどう正しく、間違っているのかはここでは割愛したい。場の空気がどうとか、当日の実際がどうだったかについてもだ。このへんはツイッターやnoteやその他様々な媒体で色々な人が色々な主張をしている。そのあたりはその方々に任せたい。これは批評でも論評でもない、感想文だ。
私はこういう議論の場に足を運んだのは初めてで、ちょっと緊張しながら見ていた。ハラハラした。首のあたりがカァッとあつくなって、終わった後には違和感や消化不良感が残った。司会の人はいいまとめをしたと思う。
私は片方の論者が嫌いだった。その人は、相手の話をまともに聴き入れることがなく、傲慢で、自分の加害性に無自覚だと考えていた。できることならなんとかこちらの主張を、訴えを聞いてほしい、耳をこちらに傾けてほしいと思っていた。
しかし議論の終わりに目の当たりにしたのは、「「私たちこそが被害者だ」」という、双方の主張とその後の幾分救いのない沈黙そして空疎とも言えるお互いの同意だった。いや、ここまで来てそりゃないだろう、前提でしょうと思うと同時に、急にその論者に親しみを覚えるようになった。ああ、これまでの激しい論調も側から見れば言い過ぎと映る言葉も、他人から見れば全く違うように見えている。世界は広いようで狭いなあ。
その後タグを追ってタイムラインを見るたびに思う、彼/彼女はそのフォロワーから見れば、このクソッタレな世界を救おうとするヒーローでしかなかった。
インターネットを見るといつもそういう光景が広がっている。私の好きな論者やエッセイストを、色々な人たちが腐している。私があまりにひどいと思い視界に入れないようにしている論者やアルファに、一定数のファンがいつも賞賛や労いの言葉を送る。
最近、中身のないことを言うと「小泉進次郎じゃないんだから」って返しが定番になってきて、その場では笑ってたけど、
こいつは国連でもFラン卒丸出しの無教養さと、得意の中身ゼロ発言で大恥をかいてたのを見て、笑えなくなってきた。
中身がゼロなことを努力で教養を高めるということをしてこなかった。ただただ、見せかけのなにかそれっぽいことを言う力だけを身に着けた。
日本人って精神論とか好きだけど、こいつもそういうタイプ。ポエマーと言われているが、ポエマーにいくら税金使って養ってるのさ?
欧米だと人前でこんな空疎なことや精神論語ってたら、人前でオナニーやめろと一蹴されるぞ、まじで。
素晴らしい。 これが概ね紛れもない事実であることを初等教育中には周知されるべき。
文章が出来すぎていてもはや釣りかと疑いたくなる。 金・能・顔のいずれかが無い男は淘汰される。
>俺は無能な母親の甘えと冴えない父親の妥協により無能に産まれ、無能だからとありとあらゆる差別を受けてきた。
>無能な男にポリコレの救済なんて存在しない。有能な同性愛者への差別にどんなに厳しい社会になったとしても無能な異性愛者の男に救済が訪れることなんてないのだ。
>トイレの男女アイコンなんかに差別とかケチつけて大真面目に議論してる人達より俺は何百倍も苦しんで生きてきた自信があるからそんな彼らがなんだかとても空疎に見えた。
>無能には無能の世界がある。無能な男は異性に媚売って守られる生き方すら許されず、それは即ち毎日が生きるか死ぬかの戦いで、
>この世に味方は一人もおらず、そこがどれだけ地獄なのか、考えたことはあるだろうか。
>頼むから男は自分が狙える範囲だからといって無能な女性で妥協するのは辞めてくれ。
>無能な女性は結婚して幸せになるのは百歩譲ってまだいい。ただ子供は作らないでくれ。少なくとも男を生むのだけはやめてくれ。
俺たち姉弟は不幸にも出来損ないの遺伝子を受け継いでしまった。
コミュ障で多動気味の父親と、美人だが(だったが)学習障害気味の母から生まれた私達は二人の特性を見事に受け継ぎ無能という名のサラブレッドとして現代社会の悲しき烙印を押された。
社会性がないため姉は中学2年生から不登校になった。県1の馬鹿高校に行ったが夏休みが来る前に中退した。
俺は別のアホ高校に入学するも高校2年のときにいじめに耐えかね姉と同じく中退した。
俺はすぐに高校認定を取った。意外とこの程度ならなんとかなった。
姉はネトゲ廃人だったりニコ生主だったりとよくわからない生活をしていた。たまにバイトらしきものをしてたこともあるがどれも一瞬で辞めていた。
18歳になった俺は1.5年程度だけの短期のIT系の専門学校に入学した。
普通に偏差値の高い大学卒の元社会人なんて優秀な人もいたが入試という学力によるふるいの概念がないためか何しに来てるんだろいうという人が多かった印象だった。
就活はかなり苦労した。短い学生生活の中で個人開発やプログラミングは好きになれたから喋りは下手だったがエンジニア面接では意外にも好評なことが多かった。
しかし無能であるが故にエンジニア外の人事面接と適性試験でふるい落とされるのだ。
俺みたいな無能がちゃんと弾かれるなんて現代社会の採用フローというのは大変良くできていると感心した。
オブジェクト指向という言葉すら知らない級友が次々と内定を取る中で応用情報持ちで何個かWebサービス構築経験もある俺だけが取り残されていった。
卒業間際になってなんとかギリギリ田舎の零細IT企業に内定した。
頭は壊滅的に悪く初っ端から愚鈍ないじられ役というポジションを確保したが、証券会社の株うんちゃらシステムを構築できるくらいの知能がギリギリ残っていたのは不幸中の幸いだった。
コンビニバイトもあんまり続けられなかったがSlackメインでほとんど人と喋らなくていいプログラマーという職業はまあまだましな環境だと思えた。しかし2年ほど勤めたがやはり上司のパワハラで鬱病を発症し退職した。
俺は遅刻しても怒られない、気が向かなかったらリモートワークOK、残業なしな自社サービス中心の県外のIT企業を1年かけて探し出して転職した。残業代で稼げない分給料はちょっと下がったけど、もろもろゆるいオタク中心の会社だったから生きるだけならギリギリなんとかなった。
姉が結婚したと連絡があったのは俺の転職から2年後くらいだったと思う。
出会いは親には言ってないらしいがペアーズがきっかけだったらしい。
相手は姉より2歳年上の大卒公務員。見た目は身長は160cm前半くらい。女に慣れているようには見えなくて、良く言えば誠実、悪く言えば陰気な印象を受ける男だった。
結婚の報告を聞いたとき俺は素直におめでとうと言った。姉は優しい夫に支えられる不器用な専業主婦になった。幸せになったようだった。
久しぶりにGWに自分と姉は実家に帰った。家族が実家に揃うのは随分と久しぶりだった。
そこで姉に「あんたも私みたいに良い人はよ見つけて幸せになりや。」というような無神経な言葉をかけられて俺は思わず頭に来てしまった。
『良い人を見つけて幸せになる?』そんな人生の救済ルートは無能な男には端から存在しなかった。
「俺は両親の無能を受け継いでしまったために毎日毎日地獄みたいな人生を送ってきた。お前みたいに俺と同じ社会の最底辺の無能なくせに女というだけで何の努力もせず冴えない公務員に媚売って養ってもらって人生救済されるような甘えきった人生送ってる奴と一緒にするな。頼むから俺みたいな不幸を作らないためにも子供は産まないでくれ。」というようなことを言ってしまった。流石にちょっと謝ったが姉は泣いた。
両親に怒られたが似たようなことを両親にも言った。
俺は無能な母親の甘えと冴えない父親の妥協により無能に産まれ、無能だからとありとあらゆる差別を受けてきた。
無能な男にポリコレの救済なんて存在しない。有能な同性愛者への差別にどんなに厳しい社会になったとしても無能な異性愛者の男に救済が訪れることなんてないのだ。
トイレの男女アイコンなんかに差別とかケチつけて大真面目に議論してる人達より俺は何百倍も苦しんで生きてきた自信があるからそんな彼らがなんだかとても空疎に見えた。
俺は社会になんて出たくなかった。姉のように優しいパートナーに養われるヒモみたいな人生を送りたかった。
答えは簡単、無能な女は男の性欲に愛されて、無能な男は女の性欲に愛されないから。
6年もニートやってた社会経験0のコミュ障な男に『公務員の女性と結婚して養ってもらう』なんて選択肢があるか?あるわけねーだろ。
脳みそ含めて五体満足生まれた有能な男女にはわからないかもしれないが、無能には無能の世界がある。無能な男は異性に媚売って守られる生き方すら許されず、それは即ち毎日が生きるか死ぬかの戦いで、この世に味方は一人もおらず、そこがどれだけ地獄なのか、考えたことはあるだろうか。
頼むから男は自分が狙える範囲だからといって無能な女性で妥協するのは辞めてくれ。
無能な女性は結婚して幸せになるのは百歩譲ってまだいい。ただ子供は作らないでくれ。少なくとも男を生むのだけはやめてくれ。
あなたは女性だからあなたのような無能でも生きていけたかもしれないが、男の社会はそんなに甘くはない。
俺は恐らく間違えてるんだろう。でもこういう風にしかなれないんだ。
俺はめちゃくちゃ人生苦しいよ。30までには死のうかなと思ってる。
小説家になろうで先日から投稿が開始された「懲役九千兆年ウンタラカンタラ」という作品のことを二日間、ずっと考えている。
九千件の殺人を犯したサムライが投獄され、九千兆年の刑期を勤め上げ、世に放たれるところから物語は始まるらしい。
作者は、文明が何度も滅んで……と説明しているのだけど、そういう問題なのだろうか。
正直に言えば、九千兆年のタイムスケールから見れば最長の寿命を持つ恒星だって花火よりも儚かろう。
にも拘わらず『世に放つ』。その『世』とはどこじゃいとも思う。
足場にしている惑星だって当然、開幕ヨーイドンでチリになっているよと。
でも、そんなことさえ実は些細な問題であって、最大の問題は『九千兆年という時間が果たして経過するか』ということだ。
人類が発生して、おそらく滅ぶまでの間には時間が流れ続けるだろうし、だからあまり気にする人もいないだろうけど、時間の経過は必ずしも一定ではないのだ。
九千兆年は長い。おそらく惑星が、恒星がという話ではなくて、星系がという話でもない。
宇宙は常に冷え続けており、最後には空疎な空間のみになることが予想されている。だからこそ「まどかマギカ」のキューベエは物理とは別の、感情という膨大なエネルギーをくみ出し、空間に還元することで宇宙の熱量的死を避けようと頑張っていたわけだ。
まあ、しかしそんなのは空しい話で、多少延命しようが死は必ず訪れるのである。
そうして、宇宙は膨張し尽くし、内包するエネルギーは尽き、もはやすべての物質が物質としての形態を保てなくなって漂う。原子とかそんな贅沢な話でもない。もっと微小なチリだ。それが九千兆年よりもずっと手前に起こると思われる現象だ。
最大の問題は、そうなった終焉から時間が経過するものか、ということだ。
誰もそれを観測した者はいないので、憶測だがその時点で宇宙の時間は止まってしまうことも十分に考えられる。
もちろん、新しい宇宙開闢が始まる可能性もないことはないだろう。その際、現在の宇宙は消し飛んでしまい、時間どころか無に帰すのだろう。
そうして、作者はこれらの疑問に対して、文中で納得がいくように説明をされるとのことだ。
もちろん、フィクションであるので文章力次第ではむしろ読者を深い沼の底に引き入れるきっかけになることもある。
とんでもない知識かセンス。あるいはその両方が必要な説得力を俊英は振るわれるのだろうから、こちらとしては座して待ちたいと思う。
https://courrier.jp/news/archives/150572/
何も言ってなくない?
何か奇抜なこと言ってる?面白いこと言ってる?
自分はそもそも演説で感動させる奴ってキング牧師であろうとヒゲ伍長であろうと全部嫌いなんだけど、
それでもこれはないw
正義は、母たち、父たち、すべての両親が子供たちと一緒にちゃんと時間を過ごせること。
こんな凡庸陳腐な文句を「キング牧師ばり」と言っちゃうのはさすがにキング牧師への冒涜では?
I Have a Dreamを読んでこいよ。
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/
全然違うだろ。
違うのはわかるよな?
わからない奴はもうここで閉じていいぞ。お前はそれでいいや。
演説で政局動かすマンが嫌いな自分でもI Have a Dream自体は認めざるを得ない。
このキング牧師のI Have a Dreamと、この女下院議員の子供の作文みたいなものを、並べますか?
はてなは国語的素養の低いポンチプログラマーしかいないから味噌と糞の区別もつかないのだろうか。
そして本当に不思議なんだけど、
感動的な演説できる政治家が有能な政治家だとか誠実な政治家だなんてどうして考えられるの?頭悪すぎじゃない?
(そして何度でも言うけどこの最年少女性下院議員の演説は感動的ですらないただのガーベッジですよ?)
更に不可解さを増すのが、あんたら自身にその方向の能力が全然ないってこと。
それどころか何がよい演説で何が出来の悪い演説なのかを自己判断する脳みそすらない。
クーリエジャポンが「キング牧師ばり」「最年少」「女性」って言いながら紹介しただけで
こんなどうしょもない、見るべきところが何もない、内容空疎なゴミを評価しちゃうんだもん。
自分達が全然不得意で良し悪しの判別すらつかないジャンルに大事なもの賭けすぎじゃない?
なんでそんなこと出来るのかというと
・そもそもその先がどうなるかよく考えてない
フラットに考えてみなよ。
もしくは、これまでの社会制度の改善には本当に感動が必要だった?
なんで感動の効果を計測もせずに信じてるのかわからない。バカなんじゃないの?
危険な作用についてもあわせて考えたことがないよね?やっぱりバカなんじゃないの?
君達は君達の嫌いな政党に演説上手な若手が出現して急激に台頭したらどんな反応になる?
「衆愚」「危険なポピュリズム」「中身のない巧言令色」って言うんじゃないの?
それと同じことをどうしてやる?
(そしてしつこいようだけど冒頭の女性下院議員は演説すら上手くありません
あれをいい演説とか言うのはひいきの引き倒しで、そういう身内だけで通じるオナニーばっかしてるから勝負に弱くなるんだよ。
キング牧師やヒットラーは元々の支持者じゃない人間の心まで掴んで扇動するパワーがあったから歴史に名を残したんじゃないのか)
2019年に「正義」という言葉を振り回せるのは傲慢かバカかその両方だと判じられて仕方ありません。
「自明の正義」とかバカなこと言い出すのってなんとなく保守のイメージがあったんだけど
最近はなんかリベラルサイドが正義正義って言って、突っ込まれると不満そうな顔してるのをよく見かける。
キング牧師がI Have a Dreamで正義に訴えたのは50年以上前よ。
あの頃はもっと社会は素朴で、アメリカは正義の国だと疑うアメリカ国民はいなかったし、正義という言葉は陳腐化していなかった。
(それ以外にもキング牧師の「正義」の使い方には工夫と言葉への鋭さがあるんだけどそれはここで国語の成績低い奴等に説明してもしょうがないから省略)
十分に分断されきった国でだらだらっと「正義」を言い出して誰の心が動きますか。どうユナイテッド出来ますか。
遠い日本の反応ですら分断的でしょう。
それにしたって、返す返すも、あの女性下院議員の演説はゴミだけどな。
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
この1文にすら負けてるでしょう。
彼女の演説全文聞いてもキング牧師のこの1文の100分の1も胸に迫らないでしょう。
内容自体もくだらないからだけど、そもそも国語的な能力が全然違うんだよ。
キング牧師の演説が喚起するようなイマジネーションがどこにある?
キング牧師の演説は雄大なイメージがありありと目に浮かぶだろうが(だからやべーんだけど)。
寝言は寝て言えよ。
「世界を見たらなおさら国民教育復活に関して議論をしなければいけない」とはいうものの、私の立場にもつながるのですが、むしろ逆に日本におけるその国民教育復活について世界に相応の理解を得る外交努力の方が求められるのではないでしょうか?
世界各地では国民教育の再教育をした方が社会正義に見合うという超のつく悪質思想が国民教育廃止国の多い西側社会にて多発しています。私は、極めて厳しい条件をつけるという断りを入れておきますが、国民教育やその再教育に見合った超悪質思想であれば、再教育執行ができなければ民間による再教育の報復感情をあおるため、公的の責任で報復の連鎖を止めるという目的で国民教育を容認している立場です。超のつく悪質思想には相応の原因があると見るのが自然であり、その根本的原因を除去することが抜本的な意味での社会的な対策です。西側社会内での、国民教育に見合う超悪質思想の根本的要因除去への道筋なしに国民教育廃止論や復活反対論を持ち出すことほど空疎な議論はないとしたものです。
勉強するたびに、私はなにか別のものになっていく恐怖と戦わなければならなかった
勉強をするたびに、私が勉強する前の自分の考えを受け入れられなくなってしまうことが嫌だった
あのころは若かった、幼かった、ものを知らなかったという言葉で過去の自分の振る舞いを否定することになるのは耐えられなかった
それには誰も子どもの私を肯定してくれなかったという実感が大きく関わっているように思う
自分で過去の自分のことを肯定できなくなってしまったら、どうして今の自分が存在できるだろうか?
だから私はペンを握るたびに、ページをめくるたびに、シュレッダーにかけられる思いを伴わなければ新しい考え方を身につけることができなかった
成長とはなにか空疎で対外的な自己を肥大化させていくことだった
そのような感覚を初めからもちあわせていなさそうな人たちは周りに沢山いた
彼らはしあわせと未来に愛されているように見えても空の器であるように私には感じられた
自ら進んで何かになっていく彼らに人間の精神が内在していると信じることは難しかった
わたしは彼らのようになっていくことが恐ろしくて勉強することができなくなった
それでも、認識は常に少しずつ私を変身させている
言葉と思考が存在する毎日によって私は少しずつ違う何かになっていく
あるとき私はすっかり自分の認識を入れ替えてしまって、かつてそのように考えていたことも感覚のレベルで理解不能になってしまう
どうして恐れる必要なんてあっただろう?
1、スレッドが立つ。
感動を求めて人が集まってくる。
3、オリジナルAAを書ける人間が乗ってきてさらに盛り上げる。最盛期。
4、盛り上がりに乗じて何も書けない魯鈍と白痴が寄ってきてスポイルする。 ←いまここ
彼らの無駄な愛着が逆効果を及ぼし、スレッドのレベルが著しく低下。
5、飽きて大勢が去っていき、行き場の無い魯鈍と白痴が残される。
いわゆる「2ちゃんねる用語」を多用したお寒いレス等々が並ぶ。
6、煽りと罵倒しか出来ない魯鈍まで魯鈍同士の空疎な煽りあいに飽きて去る。
乙武の不倫騒動にまつわる謝罪について、一読してあまりにも中身がなくペラペラで、謝罪と言っておきながらこんな空疎な言葉を吐き出すのかとびっくりした。
自分の感情も熱も無い反省の言葉は嘘である。乙武は反省などしていない、と感じた。
そして妻の謝罪文を読んで、夫婦間の関係性の気持ち悪さが感じられた。この文章が世の中に理解されて受け入れられると考えた乙武は、相当頭が悪いのだなという事がよくわかった。
乙武の事はほとんど何も知らないが、重度の障害はあれど周囲に認められ、愛され、承認されて生きてきたのだろう。
だから自分の思考・行動・言葉のすべては他者に常に歓迎され受け入れられるという、自己愛の固まりの馬鹿になってしまったのだ。
あの謝罪文は、甘ったれて大人になれていない人間が書く文章だ。
自分は頭がよく、行動的で人間的魅力にあふれている。加えてベストセラー作家であり社会的な成功、地位・名誉も得た。
それはその通りなのだろうが、そういう自分を冷静に見る眼がない。