はてなキーワード: 社会科とは
みんなジャポニカ学習帳とか、小学生の時に使ったことあるよね。
あれもB5だ。
自由帳とか日記帳とか社会科用とか、いろいろあるけど、とにかくB5。
そろいもそろってB5。
漢字練習のときには白文帳とかいう新勢力も一時的に出てくるが、そもそも学校で漢字を習う期間なんてそう長くはない。
そして中学ぐらいからは、キャンパスノート的な横罫ノートにシフトチェンジ。
アルファベット用とかを使うようにもなるが、あれも中学にいる間ぐらいでしか使わない。
私はない。
ただいつもB5を買っていた。
授業でプリント配られただろ?
ああいうのはきっちり裁断された、正確なサイズの用紙で刷られる。
B5ノートはB5ノートと名乗っていながら、実はB5よりはやや小さい。
プリントを板書ノートに合わせて保存するなら、ノートに貼るのが一番いい。
ところがはみ出てしまうので、ここでいちいち工作が必要になる。
授業中ハサミやらアラビックヤマトやら使う羽目になる。
面倒くさい。
別途ファイルなどを用意して保存すればいいかもしれないが、のりで貼るのが後で見たとき、一番わかりやすい。
そこで中学の頃、私は考えた。
広すぎて書きにくいことこの上ない。
おまけにでかすぎて鞄に収まりにくい。
そして提出したとき、ひとりだけノートがでかすぎて、先生がそろえたとき、なんかカッコ悪い。
プリントの手間を省く代わりに、いろいろな影響があった。
この辺でルーズリーフを使うようになった。
塾や講習会なんかにでたことある人なら、すでに小学生の頃からお世話になってるかもしれないが。
この辺で、中学の頃の失敗から、実はノートは小さい方がいいんじゃないかと、思い始めた。
ついでにいうなら、筆圧が強いので、シャープペンのペン先で一番多い、0.5mm規格も好きじゃない。
ボールペンともなれば、一番出回ってるのは0.7mmだ。
とにかく自分にはふとすぎた。
通販などが世間に出回る時代になって、文房具もあれこれ買いやすくなった。
色々試した。
結論から言うなら、現在はA5もしくはB6規格の、方眼ノートに落ち着いた。
ボールペンは0.5mmぐらいをよく使う。
ルーズリーフや情報カードもたまに使うが、とにかく方眼がいい。
改行のインデントも、書いているうちにずれたりしない。
枠をはみ出しても横罫ほど気にならない。
意外に自由に書ける。
ペン先は細い方が、字がつぶれないので見返したとき読みやすい。
ノートは大きすぎても小さすぎても、書きにくい。
ペン先も後で見るとき、案外筆跡にかかわるので、自分に合ったものにすると、読みやすくなる。
筆記だけを考えるなら、実はB5ノートはでかすぎる。
なんであんなに世の中に出回ってるのか疑問だ。
もっと早く、せめて高校ぐらいにわかっていたら、もう少し勉強も効率良くできた………………かも…………しれない……?
地味に伸びてるので、ついでに。
元増田の言いたいことは分かる。
ここまでじゃなかったけど似たことを経験した。そして、典型的ないじめに遭うことも経験した。
いじめで一番つらいのって、集団の中におけるメンバーとの精神的に対等な関係を失うことだと思う。奴隷扱い。社会科の授業で江戸時代にあったとされる「えた・ひにん」などの身分制度と教室を重ねたことを未だに覚えている。1人で居ること自体が本質的に辛いことではなくて、集団の中にいると脅されて支配され人格を犯されることが辛いから1人で居たくなる。
もちろん、人によって何が辛いのかは違うんだろうけど、ぼくが体験したことを一般化して表現するならこうなるだろう。
いじめられっ子は集団から逃げ出して自ら1人になることを選ぶ。
でも、元増田のやつ、本当に対等に対話しているのなら、いわゆるいじめとは少し違うと思う。いじめとなれば、対等に会話なんて成り立たない。「もう今後一切関わってくるな」なんて、対等でない相手に言えるだろうか。
対等な関係の中でパワーバランスが偏ることなんていくらでもあるし、「普通」の基準が集団から外れている人間もいる。マイノリティが集団の常識に合わないコミュニケーションを試行した結果として孤立した。というのは自然な流れではないか。彼女は違うコミュニティを探すべきだったのかもしれないし、その志向が病気によってもたらされるものなのかもしれない。人が集団から孤立する理由はいじめ以外にも腐るほどある。
もっとも、そこをきっかけに彼女に対して「制裁」などをはじめれば、いじめだろうけど。少なくとも、ちゃんと対話した元増田は、ぼくは偉いと思う。別に疑うわけでもないけど、本当にそれだけで終わっていればね。
当方社会人で、2005 年頃に発症したうつ病患者。今のところ休職経験なし。メンタル回復に効果があったものとなかったものを列記してみたい。
自分の抑うつ症状は睡眠不足に大きく起因しているようで、大変効果的。かつては深夜 0-1 時入眠 6 時前起床の 4-6 時間睡眠だったのだが、今は 22 時入眠 7 時間睡眠を目標にしている。それでもたまに睡眠不足に陥るが、以前のことを思えば随分良くなったように思う。以下は睡眠関連のコツ。
酒もクスリもやめた自分にとって (後述) セックスだけが即効性のある快楽として残ることになった。パートナーが病状理解してくれているのも幸いしている。効果はアルコールやベンゾジアゼピン系薬剤に近いように思う。大変効果的。だいたい 6-8 回/月。
自身の想いをぶつける場として大変有用。このエントリーも、まずは日記用の非公開ファイルに書き出してみて、自身の考えをまとめて、多少推敲を加え、それからポストした。今なら音声入力などを併用しても良さそう。非公開で絶対に人に見られないことがメンタルによい日記の秘訣かと思う。
大変効果的であったが健康問題により止めた。かつては連日飲酒し (ワインボトル 0.5-1 本/日)、かなりの頻度で出勤前にも飲酒していた。勤務中に飲酒することもしばしばあった。飲酒運転をすることはなかったものの、事件や事故にならなくて良かったと思う。γGTP 500 台というまあまあ重篤なアルコール性肝機能障害を来たして断酒。宴席では今でもたまに飲みたくなることもあるが、日常生活から二日酔いがなくなったメリットのほうが大きく、数年間禁酒継続できている。ちなみに最近人気のストロングゼロは頭痛必発なので好きではなかった。
こちらも大変効果的であったが健康問題により止めた。4-5 年ソラナックスとメイラックスを併用。どちらも確実に効果を実感できて大変良かったが、どんどん常用量が増えていき、ときどき OD することもあった。禁酒しても肝機能障害が遷延したため (γGTP 200 台) 勇気をもって投薬中止。ベンゾ離脱症状で 2 ヶ月ほど死にそうな気分で過ごした。残念ながら断薬後も γGTP は 3 桁高値が続いておりベンゾが悪かったとは断定できないが、離脱症状の辛さを考えるともう二度と内服したくない。
かつて 7 年間ほど常用していた。当時この手の薬剤は日中の眠気が必発で、内服時間を調整しても眠くて仕事にならなかった。世にいわれるような晴れ晴れとした気分にはならなったので、自分にはあまり効果的でなかったように思う。典型的なシャンビリ症状とインポ症状がでてきて内服中止。騒い離脱症状は出なかった。
朝 5-6 分のストレッチと自転車通勤を数年間、毎日 3 km 弱 / 20 分の室内トレッドミルを半年間、週 1 回 1 時間の水泳を 3 ヶ月続けてきたが、今のところ効果は微妙。ランニングを始めたきっかけは "脳を鍛えるには運動しかない!" という本に感化されたためだが *2、本に書いてあるほどには回復しなかった。しかし良い習慣ではあるので今後も続ける予定。
独学で始めたマインドフルネスにはほとんど効果はなかった。しばらくして臨床心理士のガイド付きマインドフルネスを 2 ヶ月ほどする機会があり、こちらは即時的な効果はあったように思う。ただ自身で再現性を得ることができず結局続いていない。そろそろ再開してみてもいいかもとは思っている。
セックスに比べると効果は弱いように感じる。安心ホルモンであるセロトニン (オキシトシン?) の分泌量に違いがあるのだそう *3。ちなみにオナ禁の経験はない。
*1 http://www.200kounen-training.com/entry/2018/01/10/223227
*2 https://www.amazon.co.jp/dp/B00JDLBEFW/
*3 https://ameblo.jp/kinyoku9/entry-12249634913.html
2018/02/03 16:18 追記コメント投稿しました。https://anond.hatelabo.jp/20180203161614
アニメ一本のために加入する気はない。より正確に言うなら、いつかその理由で加入する日は来るかもしれないからその日のためにまだお試し期間を取っておきたい。
オタク向けの自炊番組の割には結構手が込んでるらしいですね。美味しく食べてくれる美少女がいないご家庭で参考にするには凝りすぎだと思うわけですよ。せめて美味しく食べてくる元暗殺者の社会科教師だけでもご家庭にいればまだやる気が出るのですがね。
題名が七つの大罪と紛らわしすぎません?間違って視聴した子どもたちが変な性癖に目覚めたらどうするんでしょうか?
アポクリの終盤みたいな戦闘シーンが楽しめそうなら見ようなかなとは思ってる。赤セイバーやナーサリーちゃんが動いてる姿を見るためだけに見るのも一応ありかなあ。気になるのはバーサーカー。前情報ちゃんと仕入れてないから知らないんだけど、あっちのバーサーカーは出てくるんかねえ。
児童労働と身元が不確かな赤ん坊の育児と人類の存亡をかけたステゴロファイトを女の子たちにやらせるって半端じゃないレベルのブラックぶりだけど本人が好きでやる分にはいいのかな……
日本人は議論ができない 議論が成立しない人の特徴18タイプ―はてな村定点観測所
http://hatebu.me/entry/discussion
読んだ。果たして議論が出来ないのは日本人だけなのか?むしろ人間は議論が出来ないのではないか、なんて思ったけどどうなんだろう。
それは置いといて、そういえば私は小中高の間に何度か、ディベートの授業を受けた事があるんだよなぁ。たぶん小学校で一回、中学で二三回、高校で一回くらいだろう。充分に数をこなしてはいないがやったのはやった。しかしながら同級生の皆がそれで議論が上手くなったという事は全然無い。
ディベート(一つのテーマについて賛否に別れて討論すること)と議論(互いの意見を述べて論じ合う事)は違うから、ディベートやったって議論は上手くならないだろって事?そういうことなの……。
まぁよくわからんけど、とにかくサイバメ氏のエントリ読んで学生時代のディベートの授業の事を思い出したっていう話ね。
で、小中高で受けたディベートの授業の中で討論が討論として成り立った事は一度も無いし、クラスの人間関係にかなりの悪影響を及ぼすという残念な結果だけが残った。私個人には得るものがあったけれども、そういう人は少数だったんじゃないかな?もう二度とこんな事はしたくない、うんざりだ!という人達が多かったんじゃないかと思う。私の見た限りでは。
中でも私的に最悪だと思ったのが、中二の時に社会科の授業で行われたもので、「ルーズソックスに賛成か?反対か?」というテーマでの討論。
討論のやり方は、まず皆で目をつぶって賛成か反対かに挙手をすることでクラスを二分し、論戦するというもの。皆必ず一回は発言する事、相手を罵倒しない事がルール。
どうなったか?
たった一人の賛成派VS反対派30人で討論をし、反対派が圧勝を主張したが教師が賛成派の勝利を宣言、賛成派一人が授業後に散々非難と罵倒を受け、しばらくの間一部のクラスメートから嫌がらせをされる事となった。
なお賛成派って、私。孤独な戦いだったなぁ。授業後はいっそ負ければよかったんじゃね?って思ったし。でもある意味私の一人負け(私の勝ちと認めたのは先生だけで他全員は私の負けだと言ったので)だったお陰で、クラスの人間関係クラッシュ度は低く、最も平穏無事に終わったかもしれない。
そのディベートの賛成派の勝因(教師曰く)は複数の意見を出した事であり、反対派の敗因(教師曰く)は全員が全員自分の意見を言わなかったからだ。
「校則で決まっているから」「校則を破るのは悪い事だから」反対派はそれしか言わなかった。(私としてはそれらが「自分の意見ではない」というのはどうなんだと思うが)
今になってみれば、双方の論がどうこういう以前に、テーマの設定もディベートのやり方もおかしいし、それより何よりディベートの授業を行えるだけの土壌が無かったのがよくないと、私は思う。
まず、「ルーズソックス」という、学校側としては明確に禁止とされており、不良の象徴として風紀指導の対象とされているものをテーマにすることが良くない。
そして、ディベートのやり方がおかしい。賛成派と反対派のバランスが悪い上に、勝敗を決するのが教師一人というのは良くないだろうと思う。5対5くらいで、審判も生徒数名にやらせ、他の生徒には感想を述べさせる、くらいでないと不公平だし教育効果も得られなくないか?(ま、そういうやり方でもやっぱり荒れるんだけどな)
でもって酷い事に、そもそも生徒達は教師や学校を信用していなかったのであろう。これは授業後に散々叩かれた際に言われた事からの推測なのだが。
「どうせ内申点下げられると思って反対派についたのに」
「依怙贔屓されていい気になるんじゃねーよ」
ディベートの授業において、生徒がどちらの立場に立とうとも、その場限りの事としてくれるとは、皆思っていなかった。
そのように生徒達は思っていたから、自分の本当の考えを言わず求められているとしておぼしき正解しか言わなかったのだ。
この例は極端に酷いにしても、ディベートなんて、根底に教師や学校、ひいては他者への信頼感がなければ成り立たないんじゃないかと私は思う。
発言した事により自分の立場が脅かされるという恐怖が少しでもあるなら、いくら訓練しようがダメだし、僅かでも訓練に問題があれば、やはり自由に発言してはいけないんだという思いは強化される。
しかしながら、適切に訓練を重ねる事によって他者への信頼を獲得できるのではないかという気も、するんだよねー。
どうしたもんだろう。
【追記】
http://b.hatena.ne.jp/entry/347188536/comment/masara092:embed]
ディベートって自身の信条の外側で意見を交わすことに意味があるのに自分の意見だけでどちら側になるか決めるって全く意味が無い感 - masara092のコメント / はてなブックマーク
ですよねー……。
ブコメ・トラバで言われている通り、ディベートの練習なら自分とは関係ないテーマでするか、逆の意見で論じるかしないと効果無いと思う。
ちなみに私はルーズソックスなんかわざわざ学校に履いて来る事無いだろ、服装の自由とかいうけどルーズだって一部の集団の中でほぼ強制されているに近いし、と思っていたにも関わらず、賛成派の方に挙手したのだった。
何故かっていうと、これもある種の点稼ぎ。
当時高校入試の小論文で、「ある問題について、対立する意見Aと意見Bのどちらかを選んで論じろ」(どちらを選択したかで加点減点はされない)っていう形式が流行っていて、学校の定期テストで出る小論の問題も入試対策として大体いつもそれだったんだ。
その形式のテストを何度か受けているうちに、自分の元の意見で論じるのがベストな結果(小論として)を出せるとは限らないと知った。自分の考えと論じ易さは関係ない。
自分の脳みその引き出しに入っているもので充分戦えるかどうか、それが大事だと思った。
ルーズソックス問題に関しては、私もやっぱり突き詰めると反対派は「校則違反だからダメ」くらいしか言える事がなく(よくよく考えれば他にもあるんだろうけど)、難しい戦いになるだろうと予想したから、賛成派にまわった、それだけの事だった。
個人の雑感に反応していただいてありがとうございます。
拝見していていくつか気になった事を。
>高校の少人数化について
正直なところ、教員からしてみても高校の授業内容は万人に必要なものではありません。
むしろ、中学レベルのことがしっかりできていれば社会に出ても困らないと思います。
しかし、現状では中学レベルのこともままならないまま高校に進学し、
高校の内容などとてもついていけないという状況が、下位校といわず中堅校でもままあります。
個人的には中学に留年制度を設けて、中卒認定統一試験を設ける方が
学力向上には効果的だと思っており、高校や大学の進学率も今の半分でいいと思います。
そうすれば、高校と大学はおのずと淘汰され、そこに投下される予算が
高校の少人数化や高等教育無償化などに回すことができるでしょう。
また、中卒で働くことが一般化すれば、労働力不足の解消にも寄与すると思います。
ただ、そうなっていくと、戦前の旧制高校のような超エリート養成コースと
義務教育修了コースの間で格差が生じるので、その点、給与体系などに一考の余地があります。
もちろん、生徒たちにとっては最大の行事ですが、
昨今はホテルの予約合戦も熾烈で、生徒の入学時には動き出さないと間に合いません。
業者に見積もりをとり、行程を精査し、事前学習の準備だけでも重い負担です。
また、現地に行くにも教員の集合時間は早いので自腹で駅や空港に前泊することもあります。
いざ現地に行けば、生徒の体調不良や負傷、他校や現地の方とのトラブルに神経をすり減らします。
現地で他校の先生方を見ると大変苦労されているご様子です。
また、以前は夜の飲酒くらいは認められていたようですが、昨今は深夜の体調不良対応などもあり、
飲酒も禁止です。24時間体制での勤務が4日、5日続いて本当に辛いです(苦笑
昔の感覚ですと楽そうな仕事ですが、昨今は一般企業の出張よりも厳しいでしょう。
休日の出勤には手当が出ることもありますが、1日勤務して2~3000円程度です。
以前、私よりも給与の高い管理職が冗談半分で時給換算したら1カ月平均が時給300円ということもありました(苦笑
>授業の動画化
これは簡単なことではありません。
最難関校から指導困難校まで同じ教科書を使っていても指導内容はまったく異なります。
また、同じ学校の中でも習熟度が必要なくらい授業内容は異なってきます。
そうなると、授業動画は10段階や20段階の世界では無く相当細分化して制作する必要があります。
例えば私は社会科の教員ですが、私大志望者と国立志望者では授業内容を大幅に変えています。
また、年度によって生徒のレベルにも差があるので、その都度、レベルを調整したり、
映像教材や演習、雑談の比率まで変えてカリキュラムを組みます。
そうなってくると教科書会社の統一動画と言うのはかなり非現実的になってきます。
蛇足ですが教科書会社というのは大手でも本当に少人数でやっていますし、
執筆している大学教授の方はあくまで研究者なので授業がうまいというわけではありません(苦笑
このあたりを踏まえると実現は難しいかもしれません。
時の政権の意向で全国の学校の授業内容をすべて統制できるというのは極めて危険です。
右でも左でも偏った考え方の授業が全国で画一的に行われるとしたらそれは民主主義国家の根幹にかかわると思います。
長くなりましたがご意見を拝見した上で私見を述べさせていただきました。
もし、ご不明な点や指摘事項がございましたら是非拝見して、今後の仕事に生かしていきたいと思っております。
長文失礼いたしました。
投資を始めることにした。
なかなかお金はたまらないとはいえ働いてるから生活費はまぁある。
自分で働いた金じゃないから自分の物という実感がなかなか持てない。
遺産として手に入れただけに変なことに使いにくい。
そんな理由で数年銀行で寝かしたままにしてたんだけど一度の手数料で吹っ飛ぶ程度の利子しかついてないのを見て馬鹿らしくなってね。
ニュースでも市場に金が回らないことの問題を目にしてたし、今後インフレが進むとその遺産も目減りする。
じゃあ運用を考えてみるか
と。
で全然わからんから「投資なら信託銀行っしょ」と信託銀行に行って一から教えてもらったんだよ。
ほんと面白かった。
お金に対する考え方が変わったよ。
その足で証券会社にも行ってみたんだけどこっちも面白かったね。
国債の利点とかなぜ経団連が移民を入れたいのか、なぜ高齢になっても働かせたいのか。
いろんな問題や疑問が一本の線で繋がった感じ。
本当に勉強になった。
お金ってほんと集まれば集まるほど増やしやすいものなんだなというのがよくわかったw
もちろん投資や株がどういうものかという知識はあったよ。社会科でもさらっとやったりするからね。
でも実感としてはなかった。
もうアラフォーに差し掛かったんだけど今まで働いてもなかなかお金がたまらず「運用」という発想ができなかったんだよ。
子供のころから貯金をしろ、働いてお金を貯めろって言われたしそれは間違いではないけど
この社会ではそれだけではないんだな。
お金にはもっと違う次元の世界があってそこでお金はぐるぐる回ってるんだなと実感した。
全てを投資にまわしたりハイリスクな商品になんて挑戦しないけどね。
元本割れの可能性も無いではないがおおむね5%ほどのプラスにはなるようだ。
数年後インフレ率より増えててそのお金でちょっとした贅沢もできたらいいかなって感じ。
楽しみだね。
ただちょっと気になったのが
~20歳
20~60歳
60歳~
となっていたこと
働いている世代である20~60歳をひとまとめにするのはそれだけその世代の客が少ないからか?失われた20年のせいなのか?
確かに俺以外の客は高齢者ばかりだった。
まぁ単純に
働いている世代か否かを分かてるだけかも知れないけどさ。
当時は全教科とも80点は取れていたと思う。
生まれた都道府県と違うけれど、そこは誤差みたいなものとして。
5択ではなく、筆記で書かせる問題が多くて、しかも登場人物の心情を書かせたりで、難しいところがあった。
現代文はセンター試験よりも難しいくらいだと思ったが、自分がセンター試験を受けたのは遠い昔なので、なんともいえない。
現代文の文法問題を解きながら、現代文の文法は古文のそれに比べて難しいように感じた。
いまいち型にはまりきってないし、解説を読んでも解釈の余地があるような気がした。
古文はとてもやさしい。
図形に補助線を入れたりして、相似の三角形を見つけて、比を取って長さや面積を求める問題が全然解けなかった。
余弦定理を使って解けないかと思ったが、やっぱり相似を見つける必要があって、結局全然無理だった。
中央値や最頻値を計算させるなど、データ処理の基礎が問題になってたりするのが、昔とカリキュラムが違うんだろうなという感じを受けた。
みたいな問題があった。
地震速報が間に合わない理由を書かせるとか、やっぱり震災の影響ってこういうところにもあるんだなと実感。
生物の細胞の絵や模式図は、解くには問題ないが、ちょっと変で、中学校の授業大丈夫か?と感じた。
地図やグラフから読み取らせる問題が多かったりして、すっかり暗記科目だった高校の社会科よりも、SPIに近い感じで面白かった。
歴史の問題は、かなり易しかったが、その反面ちょっとどうかと思ったりした。
断片的に「~の改革」みたいなキーワードだけ覚えてもつまらないと思う。
歴史はある程度のボリュームを学ばないと、そうさせたダイナミズムを学ばないと楽しくないと思う。
これはかなり易しく感じた。
これも、単純に高校の授業が中学の上位互換だったからだと思う。
英文読解が、将来の夢だとか、未来の地球にむけてとか、夢のあるテーマなのが中学生らしくて、泣きそうになった。
簡単な文章で、こんな少ない語彙で、こんなにも人を感動させられるのかと思った。
全体を通してみて、思いのほか楽しかった。
高校の授業が中学の上位互換だった科目(古文、代数、英語)は、非常に易しく感じた半面、高校で選択科目になったような幾何や、地学は久々に解くとかなり疲労した。
何事も慣れなんだなと思った。
出来ないのではなくて、難しいのではなくて、慣れていないだけ。
努力すれば、人はなんでも出来るようになる。
それから、18歳選挙権や、地震についてかなりのボリュームが割かれてたのが、とてもよかった。
大学入試だと、多少の時事ネタはあるものの、これほどは割かれない。
あの時はわからなかったことが、今だとわかることもあった。
そうやってしょうもない揚げ足取りばかりして、本論には触れずに自分の見たいようにしか物事を見ない癖、やめたほうがいいよ。
例えに出したのが偶然、横断のマナーだっただけで、別にそこの部分は元増田が言ってる制限速度でもなんでもいい。
あの部分は(もちろんそれが死亡事故に繋がることはあるけども)大体の場合は事故に繋がるレベルじゃない(各々がこれくらいなら大丈夫/捕まらない/車もきてないし/等々の判断をしてる)と言うこと。
そういう意図で元増田も言っているだろう。それと同じ意図だと解釈できるはずなのに、いちいちケチつけて。論旨はそこじゃない。人の良心で守られている分野だからこそ厳しくなるって所だ。
まあ副流煙は放射能なんかよりよっぽど他人の生死に影響する長期的健康リスクになるわけだけど、ここでは生死にはつながらない事にしておいてあげよう。
そうだとしても、生死につながらないなら好きにやっていいっていう論法自体が暴論だという自覚がないの?
マナーの悪い人たちはそもそもが、先の増田で言ったような、自由と社会についての社会科で習うような基本のバランス感覚が欠落しているわけ。
不幸にも学生時代にそういう教育が行き届かなかった、いわゆるバカな奴らがマナーを蔑ろにして他人に迷惑をかけることを平気で人前でし続ける傾向にあるが、
タバコを吸えるくらい大人になったなら、そういう社会の中で生きてる自覚に欠けた精神未熟者をたしなめる立場にならなきゃいかん。
昨今の喫煙マナーが厳しすぎると思うのなら、嫌煙家たちに皮肉を言うんじゃなくて、立法府やら各種施設の喫煙ルール策定にかかわってる団体に抗議をするべきだし、そのへんからしてそもそも間違っているんだけどね。
こんなのがFacebookに流れてきたので勢いで書いてしまった。
なんかもったいないので、増田にでもメモ代わりに流そうと思う。
■YES
■NO
どんな科目でも生活に直結してるといえます。直結というより、きっかけが正しいかもしれません。例えば、国語であれば漢字の読み方、読解力でこうやって文章が書けます。理科で原発事故について学びました。まさか習った後に、3.11が起こるとは思いませんでしたけどね。
どの科目も、中学の時にもっとしっかり勉強しておけば素晴らしい大学に行けたと後悔していますが、特に英語は大切です。自分はプログラミングをしていて、英語が読めたり話せれば、もっとプログラミング力を伸ばせていただろうと思っています。英語はやっておいて損はないです。ちゃんと単語を覚えましょう。きっといつか絶対に英語は役に立ちます。
勉強なんてしなくたって生きていけます。ただ、勉強が出来れば絶対に勉強ができないよりも、幸せになれます。行きたい大学に行けます。人生の選択肢が広がります。それに気づくのが遅すぎました。
好きな科目より、嫌いな科目を伸ばすことの方が簡単です。自分は社会科が好きで、必死に勉強しました。そして、センター試験で現代社会を84点取りましたが、苦手な数学、英語は惨敗。もっと嫌いな科目を重点的に勉強するべきだったと終わった後に気付きました。別に嫌いな科目は嫌いな科目のままで良いと思いますが、それが苦手なままだと人生の選択肢が減ります。そういう社会です。手遅れにならないうちに、ちゃんと基礎中の基礎から学びましょう。高校のときに、中学の勉強の大切さに気づきます。ただ勉強するのではなく、ちゃんと将来まで覚えていられるよう、ちゃんと忘れずに勉強しておきましょう。いくら勉強をしたって、忘れたら意味がありませんよ。あとは、身の程に合った高校に行くように。高校になれば、勉強はもっと難しくなりますよ。世渡り上手な推薦という方法がありますが、自分は絶対におすすめしません。学力が低下し、上に書いたとおり選択肢が狭まります。人生を生きていく上で大切なことは、いかに選択肢を広げるかです。嫌いな科目は嫌いな科目のままでいいですが、苦手な科目は絶対に無くすように。人生の負け組、反面教師より。
学力がお察しで、学科だけで選んだけど、結局やりたいことが学べない学部だったことに後で気付いた。
もう早く大学を辞めたいと思ってる。自分の大学は本当につまらないよ。
底辺なので周りのレベルも底辺。中には出来る人も居るけど、ゲームやアニメの話ばかりで話が合わないや。
もう馬鹿みたい。涙が大量に出てきた。
うちも恫喝、蹴り倒したり物を投げつけるの当たり前、
日教組なので教える授業は偏向思想、とどうしようもない社会科教師がいたが(この男のせいで不登校になった生徒も何人かいた)
中学2年の時別の中学に移動になったなあ(担任持ってたし、普通3年までなのに)
大分の高校の剣道部での熱中症で生徒が亡くなった事件を読んで中学の頃の某教師を思い出した
「教育委員会に研修」「自然の家に配属」というのが問題のある教員の身柄預かりということを今更ながらに再認識した
会社で言ったら内勤の事務部署やら人事部預かりみたいなもんだろうか
しばらくうちの中学にいたけど、その後また教育委員会に異動したと聞いた
自分としてはいきなり怒鳴って怖い社会科の先生というくらいのイメージだったけど、
教育委員会にまた異動したことを思えば、なにか問題起こしてたんだろうなあ
その教師が教育委員会に再度異動したというのも、自分が中学卒業してからそれほど時間を経ってからではなかったように記憶している