はてなキーワード: 一般教養科目とは
この文章は24卒の文学部に所属している私が書いたもので、同じ文学部の人たちや学部を悩んでいる高校生、その親御さんとかに向けて書いているつもりです。キャッチーなタイトルにはなっていますが私は文学部が好きだしここで勉強できて良かったなと思っています。主に文学部での大学生活と就職活動について正直に書いていきます。進路選びの参考にしてください。構成を決めず、思ったことの羅列なので読みにくかもしれません、すみません。読んでいるうちに私の所属にピンとくる方がいるかもしれません。その時はおすすめの東京のご飯を教えてください。
24卒私文。都内近郊生まれ都内近郊育ち、中高一貫からMARCHへ。やや厳格な家庭だが進路や普段の学習・成績ついて厳しくは言ってこない環境で育つ。
サークルなし、体育会なし、大学に友達(と呼べる関係の人)マジでゼロ、長期インターンなし、普通のバイトと特殊なバイト
一言でいうと文学部はおすすめしません。やめておきましょう。なぜなら文学部の授業で聞くことは基本的にやる気があれば調べたり本を読んだりすることでみにつけることができるからです。特に国文系や史学系は新しい事実が追加されることがあまりなく、すでに体系化されたものをその科目のオタクの先生が楽しい感じでおしゃべりしてくれるだけだからです。要するにうんちくマンにはなれますがご飯を食べていくための能力は授業だけでは身につかないかなと通って思いました。いつか忘れましたが阪大の文学部(?)の卒業式で部長っぽい人が言っていた「文学部の学びは金にならないけど人生の節目節目で生きてくる」(意訳、ググって読んでください。これを読んでいる人には刺さると思います)の通りだなと思います。うんちく(笑)がたくさんあるに越したことはありません。けれど考えてみてください。あなたが面接官だとして、マーケティングを学んできて神話や文学の知識にも明るい商学部の人とレポートの文字数を稼ぐのが異様に得意で国生み神話を事細かに話せる文学部ではどちらの方が欲しいですか?(泣)私はこのことに大学4年の春に気づきました。「イザナミとイザナギが空からぐちゃぐちゃにかき回したらできた島が淡路島なんですよ〜!」っていう知識が会社で顧客の獲得に大きく貢献するでしょうか(涙)。あなたの文学部での研究が面接官にまったく刺さらなかったらどうでしょうか(涙)。私は広告に関する卒論を書いていますがマーケ的な視点ではなくシンプルに趣味で調べましたみたいな内容なので全然ウケないです!
なので今進路に迷っている高校生はよっぽどの確固たる動機がない限りは文学部を選ばない方がいいと思います。理由は①やる気さえあれば本やネットで十分に学習できる、②会社で直接役に立てる知識が身につきにくいからです。数学ができるなら商学部や経済学部、そうじゃなくても文学部以外だったら基本的に会社の仕事に直結できるようなスキルが身につきやすいのではないでしょうか、知らんけど。たとえば法学部とかだったら薬の会社の法務職とか、マーケ勉強してたらマーケターの採用もあるので学びと結びつけやすそうだなと就活して思いました。
では私には確固たる動機があったのでしょうか。ありました。高校生時代のある経験から「広告をつくりたい」という強い思いができたこと、その経験から文学部で勉強するという動機がうまれ進学を決意したのです。今思うと大学入学時にすでになんとなく行きたい業界(広告)が決まっていて、かつ広告に関係することで卒業論文を書こうと決めていたのでなんとか納得のできる就活ができたのかな、と思います。結果として行きたい業界で満足できる会社の内定をいただけました。ふわふわした感じで「歴史が得意だから」「源氏物語が好きだから」「神話をもっと詳しく知りたい」みたいな趣味ベースで行ったら苦労すると思います。その好きや趣味の先に「こういう仕事、業界で働きたいから文学部で〇〇を勉強するんだ」というビジョンがない限りは文学部は選ばない方がいいと思います、マジで。文学部で就活に成功するのは基本スポ薦でゴリゴリ体育会ウェイか授業最低限で長期インターンハマり奴か公務員になろうという意思を持って1年から公務員就職に関する勉強や情報収集をしている奴です。何も考えずに大手受けても普通に落ちます(笑)パンフレットに載っている大手や勝者で活躍している先輩の紹介はマジのマジで一握りです。各大学が出している学部別の「就職先企業データ」をみましょう。何も考えず王手を受けるのはMARCHの文学部では心もとなさすぎます。運動部全国大会系ガクチカ、長期インターンガクチカなどが作れない(作る気ない)けど文学部で趣味の延長線上みたいなことがしたいならとにかく上位の文学部に入りましょう。
教員志望は学芸大学とか早稲田の教育とかとりあえず知名度とか偏差値の高いところに行くべきだと思います。理由は周りの(っていっても友達がいないので雰囲気でだが)教職履修者は大体途中で履修をやめているからです。文学部というのはおそらくどこの大学も専攻がわかれていて、国文とか史学とか色々あってそれらの必修をなんとなくとっていれば教員免許に必要な選択単位が自動で取れるのですが教職のための科目を取らなければいけません。教職科目は履修人数が多くてテストありきで(レポートや出席点がない)落とす可能性があったり、土曜だとか平日の遅い時間か1限に授業が入っていて「とりあえずとっとくか〜」のノリでとった人は大体やめます。教職は保険代とかであまり課金せずに取れる資格課程なので辞めるのもハードルが低いのでしょうね。教職履修者で残るのはマジの教員志望と親が教員でとりあえず受け続けている真面目なやつくらいです。なので「1年の時は教員になろうと思っていたけれど3年になってやっぱ一般企業にしよ」とか言う人も多いと思います。なので高偏差値の教育学部に行っておけば教員という道をやめても就活市場で戦える可能性が高くなるのではないかと思いました。
ここまでできれば文学部はやめとけの路線で行きましたが、文学部でできること(いいところ)をいくつか挙げておきます。
文学部は経済や法と違って知識の定着を問う試験はあまりありません。(もちろん試験ある科目も一定数ある)基本的に14回分の授業を通して考えたことやそこから発展して自分で決めたテーマに沿ってレポート(最低2000字くらい)を書くことのほうが多いです。文学部はどちらかというと知識や体系を詰め込むところではなく「ここまで色々話してきたけどじゃあ貴方はどう思うの?」と問われることが多いところなのかなと思います。文学部に入学するということは基本的に中高時代に作文などで苦労したことが少ない人が多いと思うので元からある程度の作文スキルがあるでしょうがそれがより強くなります。難解な表現やカタカナ語を駆使して中身がないのに文字数のある文章を書けるようになったり、参考文献を読む機会が多いので要約する力や全然関係ない学部の他校の友達のレポート代筆ができるようになります。多分3年生くらいになると最低2000文字のレポートを課されても「ツイート15個分カァ」くらいになると思います。授業の感想を毎週数百文字で求められる授業も多いので文字数を稼ぐ文章力や考えを整理する力、あとはブラインドタッチができるようになります。(逆にこの力を4年かけて400万で欲しいですか?笑)
②ずっと日本史とか世界史の教科書の端っこのコラムみたいな話が聞ける。
文字の通りです。その分野のオタクの先生がコラムみたいな話を100分盛りだくさんで話してくれます。考えてもみてください、文系(人文社会学)で院行くだけでもかなりのキテレツなのにそこから大学教員で研究者になるってよっぽどの厄介オタクですよね。先生に質問とかすると基本ニコニコされるし気に入られます。中高の頃先生と仲良くなるのが得意だった人(仲良くなりやすい人)は中高の延長線上みたいな授業になるのではないでしょうか。
③一般教養科目がめちゃくちゃある。
どこの大学の文学部でも大体当てはまると思います。専攻や専門以外の文学部の授業がたくさん取れます。国文系でも哲学や歴史、心理、宗教など幅広く授業をとることができるので(めちゃくちゃ偏見だけど)楽単度合いで選ぶよりも内容で取りやすい、しかも大体が出席とレポートで簡単に単位が取れるのでおすすめです。あそ文学部の所以ではないでしょうか。
パッと思いついたのはこれくらいです。基本的に高校時代までの趣味嗜好がそのまま勉強になるみたいな感じなので授業そのものは満足できると思います。
就活について
就活は広告、テレビ、出版、映像などクリエイティブ系を見てました。また好きな商品やサービスを宣伝するのも楽しそうだという思いからメーカーもいくつか受けました。メーカーは全て「ES落ち」でした(笑)。保険などの無形商材と不動産と金融、コンサルなどは「私如きが人様の人生に口出しできない」という思いとウェイ系が多そうということで受けませんでした。文学部は大学によっては教員・公務員志望がほとんどで大3の夏になってもサマーインターンの話が全く出ないみたいなこともザラなので仲間が欲しいとかなら他のコミュニティに入るか文学部はやめましょう。就活を始めたのは大学3年生の春で、といっても春は片っ端から興味のある会社のマイページを作って本格的にやっていたのはサマーインターンの応募からでした。ちなみによくtwitterとかでみるサマーインターン経由の優遇・内定を勝ち取れるのはごくごく一部です。期待するのはやめましょう。また、twitterでゴリゴリサマーインターンを勝ち取った報告をする人がいますが病む必要はありません。意識が高いからtwitterをしているのです。いい結果の時しか呟かないでしょうし、心配する必要はありません。夏インターンに参加できたのはテレビ局(単日開催→上級参加)と誰でも参加できるキモいベンチャーのふたつだけでした。キー局と電博、読広、D2C、NTTとかの大手をミーハーで出してました。インターン参加しなくても本選考が始まると説明会や座談会がたくさん組まれるので大丈夫ではあると思います。20社参加した!とかいうのもあまり気にしないようにしましょう。
私が就活を終えたのは6月に入ってからでした。ありがちな秋〜冬の大手に落ちまくってバリ病んでいたところ、たまたま行きたい度が高かった会社の選考がとんとん拍子で進んで内定をいただくことができました。大手だけ見るのはマジで精神を病みます。行きたい業界の大手と業界10位以内くらいまでの会社をとりあえず出して、あとは駒を増やすために逆オファーサイト(オファーボックス、ABABA、ネオキャリアなどなど)を登録するといいと思います。逆オファーは有名な(かつブラックである)飲食チェーンとレバや某ハウスみたいなウェイベンチャーと零細意識他界ベンチャーしかないので、逆オファーサービスメインでの就活はやめましょう。
あとは話せる人がいるって大切だなと思いました。学校の環境が就活モード低そうであれば夏秋冬のインターンに参加して居合わせた学生とインスタなり交換して情報交換できるようにしましょう。私は大学での友達がマジのガチのゼロでしたが夏インターンで出会った子と励ましあったり情報共有をしたりしていてメンタルが保てました。有名かつ人気の企業のインターンに「選抜」されているということはそれだけである程度優秀なのでぜひそこの繋がりも意識してみてください。大学が違う方が僻んだり妬んだりしないのでなるべく違う環境で生きている子の方が精神が安定するしモチベも保ちやすいです。
ESや面接のガクチカは特殊なバイトをしていたことと特殊なゼミに入っていたこと、地元でのボランティアでの活動を出す会社によって分けていました。これらの活動をしていたのはサークルなどに入っていなかったのでガクチカ代わりになると思ってやっていました。ゼミの方は結構ウケて、特殊なバイトの方は広告・エンタメ系ではウケました。結果として行く会社に内定をいただけたのは特殊なバイトを面白がってくれたからだと思っています。文学部の人は学部に華がないので大学+自分にしかできないような経験が必要じゃないかなと思います。商とか経はよくゼミ大会とかゼミでコンペに出すこともあるのでゼミがガクチカになりうると思いますが自分の趣味を発展させただけの文学部でのゼミの活動は「で、なんか役に立った?(笑)」になってしまいがちです。クリエイティブ系を目指すのであれば変なバイト、特殊なバイトをしましょう。特殊なバイトというのはタピオカ屋やスタバ、高級焼肉などある程度のハードルが必要な飲食もいいですがライター、特殊清掃、ラブホ、街ゆく人の数数えるなど人とのコミュニケーションや人間観察ができる、価値観に影響しそうな仕事を選ぶといいと思います。私は上に書いたようなバイトを経験しました。話すと結構興味を持ってもらえました。SNS運用インターンもいいですが、特殊な経験をうまく話したり表現することができると食いついてくれる(おもしれ〜女・男認定される)のではないかと思います。
ガクチカについては「これまでの学生時代」や「いつでもいい」などがない限りは基本大学での活動にしていました。高校時代のを話すときは文化祭でのリーダー経験でした。ガクチカを「作る」のはお勧めしません。せめて経験を「盛る」くらいにしておきましょう。周りの話や感覚としては「サークル活動」は弱いです。圧倒的に「体育会」が強くて次点で「長期インターン」です。行きたい業界に関連した会社のインターンがおすすめです。おそらくその長期インターンはベンチャーが多いと思いますが間違えてもそのベンチャーに魅せられて就職したりベンチャーで就職するのはやめましょう。
個人的ヤバい(ヤバそう)会社の見分け方は①20代で人事、②HPや会社説明文をみて一発で何をしている会社かわからない(成長・やりがい・仲間みたいな単語で内容が薄い)のは要注意です。特に①で外したことはないです。(D◯M、〇―〇〇〇〇〇、すか〇〇―◯など飲食全般)ベンチャーはベンチャーでも出資元が老舗企業だったりキャリアのある中途が多い人は結構印象よかったです。(タクシー配車アプリの会社とか)
最後に
ここまで読んでいただきありがとうございました。文学部の受験を考えていた方は考え直してくれたでしょうか。推薦で文学部を考えている人も私の文学部での生活をぜひ参考にして自分でもイメージしてみてください。教員や公務員志望の方は文学部でいいと思います。結局文学部だけに限らずどこでも大学では「自分の意思」が非常に大切です。周りに合わせていたら詰みます。一緒に行動している友人が就活を始めるのが4年の4月だったらあなたもそうしますか?面白くなさそうだけど友達がとるからその授業をとりますか?ぜひ自分の意思で行動してみてくださいね。
文学部に行きたいと思っている後輩へ
考え直してみましょう。〇〇について詳しく知りたいな〜くらいの動機だけじゃないですか?大学の文学部ではその〇〇を知った上で何か新しい視点をみつけなければいけません。自称進に通うあなた、先生に穴場学部として文学部を勧められていませんか?早慶くらいならまあいいかもしれませんがMARCH以下ならやめておきましょう。MARCHで文学部に滑り入るくらいなら勉強して文学部以外に入れる成績に持っていくかランクを落として法学部に入ったほうが就活楽そうに思います。(個人の感想)旧帝以上なら学歴に箔がつくと思うので文学部でもいいと思い Permalink | 記事への反応(30) | 15:34
アニメは友達に勧められてエヴァンゲリオンとコードギアスを見たことがある程度。同じロボットアニメだが、ガンダムは「アムロ、行きまぁす!」とシャアしか知らなかった。
夫と付き合う前、ずいぶん昔にガンダムファーストを1話だけ見てみたことがあるが、絵が古臭いわ音楽がダサいわ話がよく分からないわで面白さが分からず、1話で見るのをやめてしまった。
しかし夫はかつてメールアドレスをblue-hugestar-ramba-ral@.comにしていたほど重度のガンダムオタクであったため、夫による解説付きなら楽しめるかもしれないと思い、改めてガンダムという一般教養科目を履修することにした。
ガンダムファーストと、お台場で見たことがあるガンダムユニコーンを履修予定だったが、1年前にYoutubeのガンダム公式チャンネルで∀ガンダムを週1で配信していたため、それも一緒に見ることにした。
ファーストはNetflixで一気に見たため先に感想を言うと、リュウの死が辛すぎた。
次に誰が死ぬかをあっさりとネタバレしやがる次回予告にもリュウが死ぬことの示唆はしていなかったのに、ホワイトベースのクルーで一番まともだった人が一番最初に死んだ。夫は「戦争はまともな人から死んでいくよねー」「リュウはガンダムファーストの良心だからねー」とか言ってくる。以降夫が「この作品の良心」と紹介してきた人は全員死ぬと思うことにした。
リュウの死にホワイトベースのクルー全員が涙するシーンなんかボロボロに泣いた。次回予告で登場人物の死を予告してくれることで、例えるならジェットコースターが一気に下るまでの心の準備ができていたのに、リュウは突然死んだ。あまりのショックに、心の準備なしに突然ジェットコースターが落ちるが如き恐怖が植え付けられてしまったため、ガンダムを見る時は常に「次は誰が死ぬんだ?」と思うようになった。
慣れてくると、スレッガー中尉は登場した時点で「あーこいつどこかで死ぬわ」と分かった。だって生き延びそうな感じしないし。
ジオンってなに?なんで一年戦争やってんの?ジオン・ズム・ダイクン?なんでザビ国じゃないの?ランバラルがセイラさんのこと見てびっくりしてたけどランバラル何屋さんなの?等々、ゼータなどにつながる今後のネタバレを喰らわない程度に説明してもらいながら見たが、一人で訳もわからず見るよりとっても面白かった。夫がランバラルをメールアドレスにしていた理由もよく分かった。変とか思ってごめん、いいメアドだね。
次にユニコーンを見た。これは富野監督が作ったガンダムではないから、富野が作ったものでなきゃガンダムではないとか言うオタクが出てくることもあるよと教えてもらった。庵野以外のエヴァはありえないとか言ってるようなものだろうか?などと思いながら聞き流した。
夫は「ギルボアさんはこの作品の良心だからね」と言い出したので色々覚悟していたら本当に死んでしまった。ほらやっぱりガンダムの良心ポジは死ぬ。
ファーストのヒロインがララァだったように、この作品のヒロインはマリーダさんの時点で察する。ニュータイプの女や強化人間の女は悲しい死を迎えるのだろうかと見ていたらやっぱりそうなった。戦争の道具は幸せになれないお約束でもあるの?
最後にターンエー。週1の配信かつ間が開くこともあったため、1年をかけてファーストとユニコーンの合間合間に見ていた。
最初は世界名作劇場みたいとか思っていたが、構図はいちいち印象深くて綺麗だし、ロボットアニメなのにロボットのカッコ良さよりも人間の人生を目一杯味わうその儚さや充実を描いているし、異質だけどすぐに惹かれていった。
シンエヴァもそうだと思うが、人は歳をとると自然の美しさを見出すようになるのだろうか?エヴァでよく描かれる生い茂る葉のゆらめきや、ターンエーで描かれる黄金の秋みたいに。なんだかそれが分かる気がした。
最終回の最後の数分に流れる曲「月の繭」は、宇多田ヒカルのone last kissみたいに「聞くだけで人生の一瞬が特別な瞬間に感じる」曲になった。月の繭を聴いていると、夫と同じ布団で寝るとか、ご飯を食べるとか、そういった何気ないシーンがとても貴重なものに思えてくる。ディアナ様が女王という役目を終え、残された日々をゆっくり過ごすシーンと自分を重ね合わせていたことに気付き、なんだか忘れ難いアニメになってしまった。Youtubeで配信されていた最終回、20回は見たと思う。あれわざわざ最終回が秋に配信になるように調整したのかな。窓の外の木々が黄色くなってるのと、最終回が重なっててとても良かった。
劇場版も見てみたが、テテスさんとロランが何故か温泉に入ってしまうシーンとか、アニスばあさんのシーンとか、富野監督が描きたかったであろう人々の営みが結構カットされていた。総集編みたいなものだからそれは仕方ないと思っているし、TVアニメ版を視聴していた当時は「いやこんなシーンいらんやろw はよターンエー本気出せw 宇宙行こう」と思っていたが、ターンエーという作品を噛み締めるためにあれは全部必要だったんだと思った。
お台場のガンダムファクトリーではたくさんのユニコーンガンダムのプラモデルがあり、非常に人気が高く商業的にもおいしそうなガンダムであることを知ったが、ターンエーのプラモは全然ない。なんでだよ!!!!!!
僕はQUEENのファンなのだが、I WANT IT ALLという曲が好きだった。この曲の、特にブライアンメイのソロの部分~Not a man for compromise and where’s and why’s and living lies~「妥協したり、場所や理由のために生きたり、偽りの人生を生きるような男じゃない。だからこそ全てを賭けて何もかも手に入れてやる」・・・そういう歌に、当時15歳の僕はひどく感銘を受けた。何度もこの歌を繰り返し聞き、辞書の側面にこの歌詞を書き込んだ。そして人生に夢も希望も目的意識も無い偏差値45の私立高校生だった僕は、人生の目標として独学による早稲田大学合格を打ち立て、何を思ったか高校を中退してしまった。校風が合わないこともあったが、自分を追い込み、それこそ全てを賭けるに相応しいと思ったのだ。しかし高い意識と目標とは裏腹に自堕落な受験生活。元々要領が悪く遅々として進まない独学に焦りを感じ、代ゼミの社会科目の単科でリズムをなんとか維持するも、現役は全落ちし、一浪の果てに偏差値50の私大法学部にしか引っ掛かからなかった。しかし、(方法方向が間違っていても)それなりに努力していた僕の姿を見ていた父の言葉は優しかった。「もう1年やってみるか?」泣きながら自宅の窓から外を眺めていた僕はその優しい言葉にとても惹かれたが、自分の学歴面のハンデや就職時年齢を考慮して、今後受験を続けては人生へのリスクが高すぎると判断し、コンプロマイズ(妥協)の道を選ぶことになる。偏差値50の私大へ進むよ、と答えた時、僕のI WANT IT ALLは終わり、僕の心は死んでしまった。
早稲田だろうと滑り止めだろうと、どの大学に入ったとしても、大学へ入った時点で偏差値の呪縛やしがらみから解き放たれて大学生活を充実させるべきなのは間違いない。今では心からそう思うし、妥協して腐っている新入生には、偏差値の呪縛から解放されて人生を楽しんで欲しい。しかし僕にはそれが出来なかった。話しかけてくれる数少ない人達の好意を踏みにじり、常に孤独を選んだ。そして心が1度死んでしまうと、頭が何かを理解しようとすることを拒否してしまうのだ。高い教科書を何冊も買い読もうとしても、講義をいくら受けても、言葉と言葉の間に繋がりが見いだせず、混乱しか引き起こされなかった。次第に大学へは通わなくなり、1日のほとんどを自室から出ずに過ごすようになる。1度も大学へ行かないまま2年前期が終わったとき、僕は「ヨシ、もう死のう。友人もいない、勉強もできない、頭も死んでいるし、どうせ妥協した人生だ。僕の負けだ。もう死のう。」と思い立ち、同じ旨の遺書を書き置きし、身辺整理してから実家を出た。家族に迷惑がかからないどこか遠くで自殺しようと、ひたすら電車を乗り継いだ。電車が止まれば路地や公園で凍えながらうずくまり、朝になるとまたひたすら電車であてもなく遠くへと揺られた。九州へたどり着き死に場所を探していたときの事だ。ある駅のマクドナルドで座っていると、隣に明らかに知的障害のある若い男とその父が座った。その父は、食事をしている我が息子に愛しそうにカメラを向け、楽しそうに、笑顔で写真を撮り出したのだ。その親子の姿に私は衝撃を受けてしまった。なんという父親の愛だろう。もし僕に障害のある息子が産まれたら、この父親の様に心の底から息子を愛せるだろうか。そこにあるのはただひたすらな無条件の愛だった。自分の両親顔が浮かび、次の瞬間僕の目からは涙が止めどなく流れ、いてもたってもいられずすぐに席を離れた。泣きながら公衆電話を探し、実家へ架電した。「今から帰るよ。ごめん。」と。自宅へ帰ると泥のように眠った後、今後のことについて話した時も父は優しく「もう大学は辞めるのか」と尋ねてきた。僕はもう迷わずこのまま通う事を選んだ。大成功だけが人生では無い。あの親子のおかげでそれを本当の意味で理解し、心の再生は近づいていた。大学では相変わらず孤独だったが、それからは全ての講義に欠席せず、聴講したのを録音して更に講義録を作り、試験対策も死に物狂いでやった結果、本当にスレスレで4年で卒業できた。留年が無く卒論が必須ではない法学部だからこそだったと思う。しかし就職活動は完全に捨ててバイトもサークル等もせず、卒業だけを目指していたので、卒業して無職になってからは、今後の人生の方向性は定まらず、これにも困りきってしまった。なにしろ受験と大学の勉強だけしか知らず、その他は中学生で時間が止まっているのでやりたいこと、人生の目標なんてものは無い。呂律は回らない、言葉は詰まる、人生経験は何一つ無い。そのため就職活動は困難を極めた。臆病で説明会や面接で行った会社のインターホンを押せずに帰ったりもした。結局数社説明会を受けたりボロボロの面接をしただけでやめてしまい、困った事になったなと思いつつも1年ほどダイソーの釣具で海釣りばかりしていた。けれど何か人生の軌道修正をする糸口が欲しいと思い、就職活動の練習のために一般教養科目だけで受験できる公務員試験を受験した。これがトントン拍子に進んでしまい採用されることになり、現在はもう5年が経とうとしている。面接の相手が、実際の職場で会うことはまず無い公務員試験だと、堂々と話すことができたのだ。それに法学部出身故の法律の素養が意外と仕事や昇進で役に立ち、年齢的には結構早く昇進もさせてもらっている。何がどこで繋がり役に立つかは、なかなかわからない。確かに僕の人生は妥協の先にある人生だが、これは妥協や敗北ではなく、小規模な成功と換言できるのではなだろうか。大大大勝利だけに囚われて孤独で苦しい人生から抜け出せなくなるより、戦略的に人生をスライドさせていくことも、ひとつの人生としてはありなのではないかと思った。
発達障害なので、気の進まない課題や作業が3つ以上重なり締め切りが近づくと「ハイハイ終わり!!!!!!無理!!!!!!!!!!!」となり直視しなければ存在しないとばかりにスマホをいじり続け、生活を破壊したりする(それでもあるのは分かっているので精神はゆるやかに削れて行く。でも始められない)。
しかし私は留年のできない私大生。単位を取らないと大卒資格が危うい。今回のレポートはもうズルでもしないと間に合わない。先生はゆるい人でかつこの授業は一般教養科目なのでゆるゆるの極みであり、レポートといっても1000字にも満たないものでお遊びみたいなものだと言っていた。だからバレはしないだろう。バレはしないだろうがこうやって私はまた私に失望するのだ。
春学期も折り返しに来て単位が取れるのか不安な科目もちらほら出始め余計に精神に悪い。1ヶ月以上先にならないと結果がわからないことで悩み目先のことに取り組めないのも発達障害ゆえなのだろうな。はぁ~あ発達障害ライフハック本買って帰るか……。
今年38歳。
小中くらいはさしたる努力もせずにクラスでトップクラスの成績。
なんとか通学できるか、って距離まで伸ばしても圏内には進学先の高校は5,6校。
商業科や工業科、水産科なんかもあって、大学進学の可能性が残る普通科があるのは2校程度。
そのうち1校に入ったものの、ガクガクと成績は落ちていった。赤点をなんとか回避、ってことも何度か。
Jリーグが始まったのがこの頃か。
大学進学の可能性が残るという表現を使ったけど、田舎の学校なんでレベルは低い。
平均の偏差値は50切ってたと思う。
同学年でMARCHに入れるのが5人以下、早慶は数年に一人いるかも、くらい。
低成績の俺は地方の私大にしか受からず、親に頼み込んで浪人させてもらった。
条件は予備校の寮に入ること。ほぼ軟禁生活。泣いて嫌がったけど仕方なかった。
当時田舎者にはあこがれだった渋谷のタワレコに平日昼間から行って、 TK の新譜を試聴したな。
高校の頃からそうだけど、「勉強法の勉強」は好きで、あの方法で勉強すれば俺の成績は上がる、って謎な自信だけもっていて、でも勉強はしない。
明日やれることは今日やらない。よって数学的帰納法により、受験日まで勉強しない。
本当にダメ人間だった。
メタ勉強だけは好きってのは10年前にライフハックにハマったのと、今思えば同じ根っこだったんだろうな。
そんな訳で一浪しても入れたのは偏差値50アンダーの私立理系大。Fランク。最近はGランクまであるんだっけ?
成績不良じゃないくて出席日数不足ってところがつくづくダメだな。
ただ、振り返ってみてこの頃ラッキーだったのが2つある。
1つはコンピュータサイエンスの教官が実力主義者で、当時の第二種情報処理技術者、今の基本情報処理技術者試験に合格すれば単位をやるって人だった。
ちょうどインターネットが普及し始めて、テレホタイムになると同時にISDNで繋いでいた時期。
コンピュータの勉強は面白くて、出席外で単位とれるならと合格できた。ここで基礎を固められたのはラッキーだった。
もう1つは留年したせいで一般教養科目を余計に取れる余裕ができたこと。
心理学の少人数上級版で、自分でテーマを決めて教授と毎回議論できるってクラスだった。
就活に備えた自己分析を、心理学者とサシでできたのはラッキーだった。(ドラッカーのプロフェッショナルの条件を読めたのもこの頃だったな)
で、就職活動。2002年卒、有効求人倍率 0.54 倍。世はまさに大氷河期時代。日韓共催ワールドカップの頃。
周りや就活相談室の(ストレートな分、俺より有利な奴の)を聞くと、数十名の小規模企業に入るひと、地元に戻って地元の会社に入るひとも多かった。
このままだとヤバいなと、底辺だなと(当時は今のような使われ方をしていなかった言葉だけど)思った。
どうするか。資格もあったせいで業界は IT 、特に SI が有利だろうと思った。
計算機室でCOMPUTER WORLDを読み耽けり、大学の図書館で日経コンピュータのバックナンバー2年分を通読して業界を知った。
そして採ったのは某国産コンピュータメーカー1社のグループ会社に絞る集中戦略。
親会社の企業研究(成り立ち、歴史、挫折、チャレンジ)を深めれば子会社はいくらでも応用が効くし、心理学者と深めた自己分析と付きあわせて「あなたと出会えた私」のストーリーをでっちあげれば、志望動機も入社後の目指す姿も十分語れた。
このストーリーの説得力と、新人研修で取らせることの多い資格を既に持っていることがあれば、自分のスペックをある程度カバーできるだろうと思った。
これはうまくハマって、そのグループ会社では全戦全勝、本体でも最終面接まではいった。落ちたけど。
自分が出た大学では「誰もが知っている名前のついた会社に(子会社とはいえ)入れる奴」はレアで、まして一浪一留でってのは劇レアだった。
待遇は親会社と同一で、初年度、24歳で年収300万円くらい。
でもトレーナーとソリが合わず(今に思えば子供じみた理由だ)、転職。
就活の時にはコンサルなんて職種が世にあることを知らなかったけど、
たまたま募集してたITに強い外資コンサルに移って26歳年収400万。
国内限定学歴を揶揄する人もたまに見るけど、ボストン採用の同期とか普通にいたな。
そこでのコンサルスキルと海外経験のおかげで別のコンサルに移って28歳年収750万。貯金が1000万超えたのもこの頃。
タイミングが超ラッキーで、この直後にリーマンショックがあった。こんな大幅年収アップの転職案件はすぐになくなった。
35歳くらいで外資ベンダーに転職して年収1000万円超えて、38の今は1200万円。
年齢で見た年収は社内の平均からは下がるようだけど、まぁ十分満足してる。
株とETFで4000万円くらい持ってる。
金融資産の半分くらいは100年に一度の株の大バーゲン(リーマンショック)の時に買った株のおかげ。
その時期にセールワゴンにしがみつくだけの定期定額収入があったのも、またラッキーだったな。
転職活動では、卒業したFラン大学と一浪一留は何の問題にもならかった。
そんな感じ。
基本、世は学歴社会ではあると思う。
でも自分が対峙するフィールドでどういう力学が働くかを理解して、持ってるカードを限られたターンの中で増やし、切っていくだけだ。
自分が好きなタイミングで職を選べるのは、2つ目の外資コンサルであらゆる「ビジネスの知的基礎体力」を身につけさせてもらえたおかげだと思う。
自分が学歴とは不釣り合いな場所にいられるのは、ここに、大学を出てからのラッキーたちに、集約されると思う。
でも、それでも「大卒である」ことだけは一定程度以上の会社では最低条件、前提条件だった。
大手コンピューターメーカーの大ベテランの中には、時代的に高卒の人もいたし、高卒工場勤務から叩き上げで働いている人もいたけれど、もうそれはない。
今の勤め先も入社時にはbachelor以上の英文成績証明書が必須だ。
俺はラッキーだけで現状があるとは思っていない。
ただ、ラッキーに加えて必要だったのは、俺の場合は「Fランだろうが大卒」というチケットそれ自体ではなく、浪人と留年の学費と生活費を捻出してくれた両親だったと思う。
父は企業奨学金で日東駒専クラスに通い、卒業後に職業選択の自由はなかった。意に添わない異動も俺たち子供のために受けいれてくれた。
母は家が貧しく、家族に反対されながら働きながら自費で通信制の高校の卒業資格を得た。
そのことを身をもって知り、身をもって子に示し、ダメな俺が大学を出るまで支えてくれた両親こそ、俺が今の俺であるために必要だったと思う。
繰り返すが、学歴は強力ではあっても、いくつかあるカードの一枚に過ぎないと思ってる。
俺は馬鹿でダメな人間だったから「Fラン一浪一留」なんて貧弱なカードしか得られなかった。
でもそれも、そんなカードも、両親が必死になって繋いで手渡してくれた大切なカードだった。
その大切な一枚を活かせるような生き方ができて本当によかったと思ってる。
そろそろ俺が浪人する許しを請うた時の親の年齢に、俺がなる。
あの頃の両親のようにありたいと、そうあるための今の収入と資産だと思う。
読んでくれてありがとう。
大学入試で数学を使わなかったとしても、大学入学後に数学(的思考)が必要になることはよくある。例えば、数学を使わなさそうな学部に入っても、一般教養科目で数学Iや数学IIで習うような関数やグラフに出くわすことは珍しくない。例えば、就職活動でお目にかかるSPIの非言語問題では数学Aで習うような順列・組合せ、確率の問題が出てくる。
高校のときに2年生まで数学を頑張ったことは、国公立を狙うような進路を考えているのだったら、まず無駄にならない。仮に受験科目としては「捨て」たとしても、努力して学んだことを失くしてしまうわけじゃない。