2018-10-03

全ては手に入れられなかったけれど

僕はQUEENファンなのだが、I WANT IT ALLという曲が好きだった。この曲の、特にブライアンメイのソロの部分~Not a man for compromise and where’s and why’s and living lies~「妥協したり、場所理由のために生きたり、偽りの人生を生きるような男じゃない。だからこそ全てを賭けて何もかも手に入れてやる」・・・そういう歌に、当時15歳の僕はひどく感銘を受けた。何度もこの歌を繰り返し聞き、辞書の側面にこの歌詞を書き込んだ。そして人生に夢も希望目的意識も無い偏差値45の私立高校生だった僕は、人生目標として独学による早稲田大学合格を打ち立て、何を思ったか高校中退してしまった。校風が合わないこともあったが、自分を追い込み、それこそ全てを賭けるに相応しいと思ったのだ。しかし高い意識目標とは裏腹に自堕落受験生活。元々要領が悪く遅々として進まない独学に焦りを感じ、代ゼミ社会科目の単科でリズムをなんとか維持するも、現役は全落ちし、一浪の果てに偏差値50の私大法学部しか引っ掛かからなかった。しかし、(方法方向が間違っていても)それなりに努力していた僕の姿を見ていた父の言葉は優しかった。「もう1年やってみるか?」泣きながら自宅の窓から外を眺めていた僕はその優しい言葉にとても惹かれたが、自分学歴面のハンデや就職時年齢を考慮して、今後受験を続けては人生へのリスクが高すぎると判断し、コンプロマイズ(妥協)の道を選ぶことになる。偏差値50の私大へ進むよ、と答えた時、僕のI WANT IT ALLは終わり、僕の心は死んでしまった。

早稲田だろうと滑り止めだろうと、どの大学に入ったとしても、大学へ入った時点で偏差値呪縛やしがらみから解き放たれて大学生活を充実させるべきなのは間違いない。今では心からそう思うし、妥協して腐っている新入生には、偏差値呪縛から解放されて人生を楽しんで欲しい。しかし僕にはそれが出来なかった。話しかけてくれる数少ない人達好意を踏みにじり、常に孤独を選んだ。そして心が1度死んでしまうと、頭が何かを理解しようとすることを拒否してしまうのだ。高い教科書を何冊も買い読もうとしても、講義いくら受けても、言葉言葉の間に繋がりが見いだせず、混乱しか引き起こされなかった。次第に大学へは通わなくなり、1日のほとんどを自室から出ずに過ごすようになる。1度も大学へ行かないまま2年前期が終わったとき、僕は「ヨシ、もう死のう。友人もいない、勉強もできない、頭も死んでいるし、どうせ妥協した人生だ。僕の負けだ。もう死のう。」と思い立ち、同じ旨の遺書を書き置きし、身辺整理してから実家を出た。家族迷惑がかからないどこか遠くで自殺しようと、ひたすら電車を乗り継いだ。電車が止まれ路地公園で凍えながらうずくまり、朝になるとまたひたすら電車であてもなく遠くへと揺られた。九州へたどり着き死に場所を探していたときの事だ。ある駅のマクドナルドで座っていると、隣に明らかに知的障害のある若い男とその父が座った。その父は、食事をしている我が息子に愛しそうにカメラを向け、楽しそうに、笑顔写真を撮り出したのだ。その親子の姿に私は衝撃を受けてしまった。なんという父親の愛だろう。もし僕に障害のある息子が産まれたら、この父親の様に心の底から息子を愛せるだろうか。そこにあるのはただひたすらな無条件の愛だった。自分の両親顔が浮かび、次の瞬間僕の目からは涙が止めどなく流れ、いてもたってもいられずすぐに席を離れた。泣きながら公衆電話を探し、実家架電した。「今から帰るよ。ごめん。」と。自宅へ帰ると泥のように眠った後、今後のことについて話した時も父は優しく「もう大学は辞めるのか」と尋ねてきた。僕はもう迷わずこのまま通う事を選んだ。大成功けが人生では無い。あの親子のおかげでそれを本当の意味理解し、心の再生は近づいていた。大学では相変わらず孤独だったが、それからは全ての講義に欠席せず、聴講したのを録音して更に講義録を作り、試験対策も死に物狂いでやった結果、本当にスレスレで4年で卒業できた。留年が無く卒論必須ではない法学部からこそだったと思う。しか就職活動は完全に捨ててバイトサークル等もせず、卒業だけを目指していたので、卒業して無職になってからは、今後の人生方向性は定まらず、これにも困りきってしまった。なにしろ受験大学勉強だけしか知らず、その他は中学生時間が止まっているのでやりたいこと、人生目標なんてものは無い。呂律は回らない、言葉は詰まる、人生経験は何一つ無い。そのため就職活動は困難を極めた。臆病で説明会面接で行った会社インターホンを押せずに帰ったりもした。結局数社説明会を受けたりボロボロ面接をしただけでやめてしまい、困った事になったなと思いつつも1年ほどダイソーの釣具で海釣りばかりしていた。けれど何か人生軌道修正をする糸口が欲しいと思い、就職活動の練習のために一般教養科目だけで受験できる公務員試験受験した。これがトントン拍子に進んでしま採用されることになり、現在はもう5年が経とうとしている。面接相手が、実際の職場で会うことはまず無い公務員試験だと、堂々と話すことができたのだ。それに法学部出身故の法律素養が意外と仕事や昇進で役に立ち、年齢的には結構早く昇進もさせてもらっている。何がどこで繋がり役に立つかは、なかなかわからない。確かに僕の人生妥協の先にある人生だが、これは妥協や敗北ではなく、小規模な成功と換言できるのではなだろうか。大大大勝利だけに囚われて孤独で苦しい人生から抜け出せなくなるより、戦略的人生スライドさせていくことも、ひとつ人生としてはありなのではないかと思った。

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